「防災市民組織講演会」参加レポート掲載(2026.3.7)
1.石灯籠一対 尉殿神社 市指定第39号
江戸時代前期の天和2年(1682年)に、本殿両脇に建立された石燈篭です。この時代の古文書に乏しい保谷地域において、背面に彫られた「上保谷村惣氏子」の銘文は貴重な記録で、尉殿権現社(尉殿神社の前名)が古くから上保谷村の惣(総)鎮守 であったことを示しています。
指定年月:平成7年3月
所在地:住吉町一丁目21番1号(尉殿神社)
2.六地蔵菩薩立像 東禅寺 市指定第37号
幕末の万延元年(1860年)に上保谷村の東禅寺の檀家信徒たちの念仏講(基段に「上保谷村念仏講中」とある)が建立したものです。六道輪廻に苦しむ衆生を救済する地蔵菩薩の本願に由来して、江戸時代に入ると六地蔵の信仰が庶民に広まり、各地に六地蔵石仏が建立されました。
指定年月:平成6年3月
所在地:住吉町一丁目2番12号(東禅寺)
3.馬駆け市大絵馬 如意輪寺 市指定第44号
明治17年(1884年)に観音堂に奉納されたこの絵馬は、村の祭りの日である「馬駈け市」を彷彿させる一等資料です。絵師は市を実見して描いたようで、如意輪寺の景観の中で行われた市の実際を極めてリアルに描写しています。市外周辺に同種の絵馬は無く、馬駈け市の記憶や伝承が消えつつある現在、貴重な文化財です。
指定年月:平成9年3月
所在地:泉町二丁目15番7号(如意輪寺)
4.木彫彩色倶利伽羅不動明王像 寶晃院 市指定第31号
江戸時代前期頃の造立。上保谷村鎮守尉殿権現社(現尉殿神社)に祀られていた仏像の神体です。明治元年(1868年)の神仏分離令によって、権現号と共にその信仰を禁止(廃仏)されましたが、氏子によって保存され、現在はかつての別当寺である寳晃院に収蔵されています。上保谷村尉殿権現を分祀したと考えられる田無村鎮守尉殿権現(現田無神社)の神体2体(現總持寺蔵)を除いて、『新編武蔵風土記稿』にも同不動像を村の鎮守神として祀った例はなく、極めて珍しい文化財です。
指定年月:平成3年11月
所在地:住吉町一丁目6番5号(寶晃院)
5.水子地蔵菩薩立像 寶晃院 市指定第35号
僧直道が悲願を立て廻国する途上、明和8年(1771年)に寳晃院に建立したものです。水子を救済する地蔵菩薩の説話を元に、絵画風の構図を一石に彫刻した類例の少ない巧みな像容で、市内にこうした像容を持つ廻国僧の塔はこの1基だけで、貴重な存在です。
指定年月:平成6年3月
所在地:住吉町一丁目6番5号(寶晃院)
6.一文銭向い目絵馬二枚 寶樹院 市指定第41号
寶樹院は薬師如来を本尊とし、病気平癒を願う信徒の信仰を集めました。「一文銭向い目絵馬」は江戸時代に眼病平癒を願って奉納されたものですが、縁日などに心願を込めて奉納された多数の絵馬の内、現存する貴重な2枚であり、寶樹院の薬師信仰を伝える資料でもあります。「向い目絵馬」の多くは墨書されましたが、これら2枚は寛永通宝を並べて平仮名の「め」の字2つを向かい合わせる位置にして貼ってあります。
指定年月:平成7年3月
所在地:泉町二丁目7番25号(寶樹院)
7.青面金剛庚申像 榎ノ木通り 市指定第23号
二鶏三猿を刻んだ台石の上にうずくまる邪鬼を踏まえた青面金剛の全身像です。市内に丸彫りの青面金剛全身像はこの1体だけです。この庚申像の立つあたりは上保谷村の中心であり、「榎の木」と呼ばれることから「榎の木の庚申様」として親しまれました。正徳4年(1714年)に上保谷村庚申講中18人により造立されたものです。元は6腕でしたが、昭和20年(1945年)の米軍の爆撃で向かって右2腕と左1腕を失いました。
指定年月:昭和61年7月
所在地:泉町二丁目3番2号
8.西浦地蔵尊 市指定第36号
上保谷村西浦の念仏講中24人が享保4年(1719年)に建立したものです。田無宿から飯盛女が北へ向かって逃げ、このあたりで捕らえられて折檻されたり、首を縊ったりしたので供養のため建立したとの伝承があり、俗称「北向地蔵」と呼ばれています。講中は現在まで継承されており、毎年7月24日に西浦の大山講と共に祀っています。集落の信仰の伝統を続けるものとして珍しい存在です。
指定年月:平成6年3月
所在地:保谷町五丁目12番24号
9.石製尾張藩鷹場標杭 市指定第32号
江戸時代中期の享保2年(1717年)以後、尾張藩徳川家の鷹場(鷹を使って狩猟をするための場所)が復活しました。鷹場を囲んで境界線に83本の石杭が立てられ、上保谷村には9本の御定杭がありました。幕末に鷹場は廃止され、多くの杭が廃棄されましたが、上保谷村では5本が残っています。このようにまとまって残っている例はほとんどなく、歴史遺産として貴重です。
指定年月:平成4年12月
所在地:保谷町
10.六角地蔵石幢 市指定第22号
ほぼ正六角形の石柱で、各面の上部に6体の地蔵菩薩を浮彫りにし、その下に銘文を施しています。「つや」という女性と「光山童子」の菩提を弔うために寛政7年(1795年)に建立されました。富士街道と深大寺道とが交差する所に建ち、道標を兼ねています。
指定年月:昭和61年7月
所在地:保谷町四丁目7番