研究内容を理解するための予備知識

芳香族ウレア化合物の合成

アミノ基を持つ芳香族化合物とフェニルイソシアネートを原料として使います。いずれも市販されている試薬です。合成上の注意すべき点として、フェニルイソシアネートは水と激しく反応しますので、反応を行うときには脱気したのち、窒素雰囲気にします。溶媒には超脱水のTHFを使うと、原料のアミノ化合物は溶解しますが、生成物のウレア化合物は不溶のため分離します。

残存しているわずかな水と反応して副産物が生成します精製するときにはデカンテーションを繰り返し、蛍光スペクトルに励起波長依存性がなくなるまで繰り返します。元素分析だけでは不純物のチェックは十分にはできません。さらに蛍光減衰曲線を測定し、単一指数関数として減衰すれば、高純度になっていることを確認することができます。化合物によっては、エタノールもしくはDMFを使った再結晶も可能です。

光吸収

波長λでの吸光度がわかれば、入射した波長λの光のうち、どれくらいが試料に吸収されたのかを知ることができます。そして、入射光の単位面積、単位時間当たりの光子数がわかれば、光照射によって生じた励起状態の濃度も知ることができます。一般に、分光光度計や蛍光分光光度計の測定条件では、分子が1つの光子を吸収すると、1つの励起状態の分子が生成します。そのため、波長λの光の強度を表す単位としては、エネルギーよりも光子数のほうが便利です。したがって今後、波長λにおける光強度は、とくに断りがない限り、単位面積、単位時間当たりの光子数で表すことにします。ただし、1光子のエネルギーはhc で表されるため、波長λに依存しますから、注意が必要です。

波長によって1光子当たりのエネルギーが違っても、吸光度は透過率を使って計算されるため、吸収スペクトルの形に影響を与えることはありません。しかし、蛍光スペクトルの場合には、縦軸の大きさは蛍光強度で表されるため、蛍光強度がエネルギーか光子数であるかによって、蛍光スペクトルの形状が変わります。一般的に縦軸は光子数で表示されるようになっています。

試料が入った光学セルを使って、波長λでの吸光度A を求める場合、セルに入射する光強度をI0 、透過する光強度をI とすると、Lambert-Beer則によって、A = log(I0 / I) と表すことができます。この関係を使うと、試料によって吸収された光強度Iabs は、Iabs = I0 (1-10A) と表されます。この式からわかるように、吸収された光強度は、吸光度とは単純な関係にはありませんが、吸光度が0.1くらいまでは吸収された光強度と比例関係にあります(下図ではI0 = 1として計算。青線は直線近似)。この関係を使って、吸光度が0.1以下の励起条件で蛍光スペクトルを測定することにより、蛍光量子収率を求めることができます(蛍光量子収率既知の試料を参照試料として用いる相対法の場合)。

Iabs = I0 (1-10A) によって表される赤い理論曲線は、吸光度が0.1を超えるあたりから、直線性を失います。青線は、理論曲線の直線部分を延長したものです。

Iabs は、単位面積、単位時間当たりに試料が吸収した光子数ですから、光子の吸収速度とも呼ばれます。

光定常状態

吸収スペクトルや蛍光スペクトルを測定するときには、一定強度の光が試料に照射されています。このような連続光を試料Sに照射したときの励起状態の濃度の時間変化は、次の速度式で表されます。ただし、S* :励起状態の濃度、Iabs :光子の吸収速度、k :励起状態の消失の速度定数で表します。

右辺の第一項によって、励起状態の濃度は直線的に増加しますが、第二項によって、励起状態は消失するということを表しています。もし消失によって、励起状態濃度が減衰していくことが起こらなければ、励起状態濃度は時間とともに直線的に増加していきます(下図の黒線)。しかしながら、実際にはある速度定数で減衰していきます。その様子を知るためには、上の速度式を積分する必要があります。積分しますと、次のようになります。


この式は、照射前(t = 0)の励起状態の濃度はゼロですが、時間とともに増加し、ある一定値(1/k)に近づくことを意味しています。消失の速度定数が大きければ大きいほど、早く一定値に到達します(下図の赤線よりも青線のほうが早く一定値に到達する)。この一定値に到達した状態を光定常状態と呼びます。蛍光寿命測定に使われる試料の寿命は長くても10ナノ秒程度ですので、その時間以内には光定常状態に達するということになります。通常使っている分光光度計や蛍光分光光度計の応答時間はミリ秒のオーダーですから、吸収スペクトルや蛍光は、光定常状態のスペクトルを測定していることになります。これは、用いられている光源強度が一定(光源スペクトルと時間安定性)であることが前提ですので、劣化した光源を使いますと、光源強度が不安定になりますので、ランプの交換が必要となります


縦軸は規格化した励起状態の濃度であり、横軸は照射時間を表します。

黒線は、励起状態の寿命が無限大のときのもので、連続光の照射によって、直線的に励起状態の濃度は増加します。

赤線は、速度定数k1 で励起状態が消失して減衰する場合を表します。時間とともに一定値に漸近します。青線はそれが4倍速くなったときを表しており、赤線よりも早い時間で一定値に達し、その大きさは1/4となります。

蛍光スペクトルの積分

市販されている多くの蛍光分光光度計は、ローダミンを使って縦軸の強度が補正されています。そのため、縦軸は光子数に比例した量と見なすことができます。エネルギー(E)と波長(λ)の間には、E = hc/λの関係がありますので、波長はエネルギーに対して等間隔でありません。したがって、蛍光量子収率を見積もるために蛍光スペクトルを積分する場合、波長を波数(波長の逆数)に変換する必要があります。このように、蛍光スペクトルを積分するときには、そのデータが補正されたものかどうかを事前に調べておく必要があります。

蛍光寿命

光吸収によって通常は励起一重項状態が生成します。芳香族ウレア化合物の場合、蛍光は芳香族化合物に局在化した励起状態から発せられます。アセテートが添加されていない場合、励起一重項状態F*の失活は、化合物に固有の輻射失活速度定数kr (蛍光を発して失活するときの速度定数)と無輻射失活速度定数knr (蛍光を発しないで失活(熱的に失活、もしくは項間交差)するときの速度定数)を使って、1次反応の速度式で表されます(式(1))。

ここで、krは化合物のモル吸光係数と密接に関係しており、knrは溶媒の性質(極性、水素結合能力など)に影響を受けます。

これを積分し、t = 0のときの励起一重項状態の濃度を[F*]0 とすると、式(2)が得られます。

化合物には固有の蛍光量子収率(kr /( kr + knr))があり、励起状態の濃度[F*]に比例した蛍光を発します。つまり、[F*]に比例した大きさの蛍光が発せられるので、式(2)で表される[F*]の消失は、蛍光強度の減少と等価となります。[F*]/[F*]0=1/eとなる時間を蛍光寿命τf と呼び、それは1/( kr + knr) に等しくなります。

蛍光寿命測定にはいくつか方法がありますが、ここでは時間相関単一光子係数法(TCSPC)を使って寿命を求めています(参照)。TCSPCではF*から発せられる蛍光の光子を係数していますので、横軸に時間をとり、縦軸には計数した光子数で表示することによって、蛍光強度の時間変化が得られ、蛍光減衰曲線と呼びます。

これは、フルオランテンウレア化合物(3FU)をDMSO中において、375 nmで励起して、490 nmで観測した蛍光減衰曲線です。縦軸は常用対数をとっています。

赤線と黒線はそれぞれ実測値と装置応答関数(IRF)で、黄色は寿命解析(τf = 8.19 ns)によって得られた最適曲線です。不純物が含まれない時には、このように単一指数関数となります。IRFは励起パルスの装置応答を表しており、観測光学系、分光器、MCP-PMT、プリアンプ、CFD、TACなど、すべての装置特性を反映しています。

この測定で得られる蛍光減衰曲線は、IRFの時間幅と形に影響を受けたコンボリューション積分となりますので、非線形最小自乗法だけでは解析することができません。そのため、デコンボリューションと蛍光減衰曲線の解析を同時に行っています。

ESPTに関係する速度定数の解析方法は、「計算方法」で解説しています。