MERYY
肌を刺すような日差しのなか、木陰の少ない広場には色あせたパラソルがいくつか設置されていた。その下の安っぽい机と椅子のセットの一つに陣取って、キバナは温くなりつつあるサイコソーダに口を付けた。アスファルトから発せられる熱で景色が揺らめいて見える。こんなに暑い日でもシュートシティの遊園地は大盛況だ。
目の前には幼児を連れた家族が好むようなアトラクションが並んでいる。コーヒーカップ。メリーゴーランド。ゴーカート。汽車。あとは一回ワンコインで動く、リザードンやトレインなんかの形をした、音楽が鳴って多少前後するだけの謎の乗り物の群体。
キバナの視線はメリーゴーランドに縫い留められた。今は客の入れ替わりが行われていて、子どもらは楽しげに馬を選んでいるところだった。その光景に、キバナはどうしようもない懐かしさを覚えた。自分もああしてこのメリーゴーランドで遊んだことがあった。
「……どうした?ボーっとして」
「ああ、何でもない。なんかちょっと、懐かしいなーって思って」
横に座っていたダンデもサイコソーダから口を離す。今日はお忍びということでキャップにサングラスをしているが、その特徴的な髪で誰かは一発で分かってしまう。誰かは問われずとも分かるのだが、道行く人が彼にサインを求めることはなくなった。理由は知らない。チャンピオンではないダンデには興味がないのかも知れない。もしくは長年活躍した元チャンピオンへの労わりや優しさなのかもしれない。でも、その過程がどれであっても別に構わなかった。人々の出した結論が大事なのであって、途中式にはあまり興味がなかった。ただ、これ幸いと二人で色々な所に遠慮なく繰り出すようになった。
「ここ、来たことあるのか?」
「家族で何回か。でもそれだってトレーナーになる前だな」
「そうか」
言いながら、ぼんやりとメリーゴーランドを見詰める。ジリリリリリリ。目覚まし時計のような耳を劈く音がして、ゆっくりとメリーゴーランドが動き始めた。最初はぎこちなく。しかし徐々にスピードを上げて動きは滑らかになっていく。ポニータやギャロップ、ウィンディやパンプジンや馬車が子供を乗せてくるくると回り始める。アコーディオンの音楽は屈託がなくて愉快だ。きらきら、くるくると回る様は万華鏡のようだ。
「……どんな思い出があるんだ?」
「別に、そんな取り立てて言うほどのことはないけど」
「じゃあ、どれに乗ったんだ?」
「あー。はっきり覚えてるのはギャロップかな。お前は?」
「俺は……たしかウィンディだった。あの中じゃ一番足が速いだろ」
「あー、ぽいな」
ぽいって何だ、と笑うダンデを尻目に、キバナはメリーゴーランドからなんとなく目が離せなくなった。
柵の外で待機している両親が、一生懸命に自分の子どもに手を振っている。父親の方はカメラを構える。母親の方もスマホロトムを取り出した。きっと動画を撮っているのだろう。懐かしい。自分が子供の頃の風景そっくりだ。夏休みに来たのも同じ。きっと、ガラルの子どもの何分の一かは似たような思い出があるのではないだろうか。ただ、キバナにとってメリーゴーランドは別に楽しい思い出の象徴ではなかった。
「……オレさま、メリーゴーランドってちょっと苦手なんだよ」
「苦手?」
きゃあきゃあ、子供たちのはしゃぐ声が高く広場に響いている。メリーゴーランドのBGMが周囲のアトラクションのものと混じってハウリングしている。奇妙に歪んだ音たちがごちゃ混ぜになってキバナの耳に届いた。不協和音と相まって、聞いていると何かを削られそうになる。子供の頃はこういうことに気付かなかった。どうして大人になるとこういう些事に足を取られて感傷的になるのだろう。
「動き始めてから少しの間は、めちゃくちゃ楽しめるんだよ。どの馬に乗るか決めるのも好きだし、音楽が鳴り始めるとワクワクしたし。で、動き始めたら両親は外で手ぇ振ってくれてるじゃん。それに手を振り返すのがさ、すごい好きだったんだ。回りながら、次はどんなポーズをしようとか考えたりな」
子供たちが自分の親に向かって、撮って、とアピールする。ピースサイン、次の周では両手を離してバンザイして、そしてお次はリザードンポーズ。どうやらあの子はダンデのファンらしい。ダンデはこんなところでも人気者だ。ふと笑みがこぼれる。
キバナも似たことをした記憶がある。あの頃にリザードンポーズはなかったが、キバナも好きな選手のポーズをあのギャロップのひとつに跨りながら真似たものだ。懐かしい。
「楽しい思い出じゃないか?どこが苦手だったんだ」
「メリーゴーランドってゆっくり終わっていくだろ。それが苦手だった」
「は?」
聞き返されて、キバナも苦笑した。メリーゴーランドはまだ回り続けているが、そろそろ時間が来るだろう。終わり方を想像して、キバナは少し気分が沈む。まあ分からないだろうな、という諦念半分、それでも語り始めた手前ここで止めるのも誤解されそうではある。キバナは言いつくろうように口を開いた。
「こうさ、いきなりパンと終わってくれるなら良かったんだろうな。そうすればさ、潔く、あー楽しかった、で終われると思ってたんだよ。でもさ、メリーゴーランドは終わりがけにちょっとずつ速度落とすだろ。それでそのまま何周かして、その間ずっとマヌケ面晒して木馬の上で待ってるしかないって言うのがさ、あれがマジで苦手だったんだよ」
ほら、と指さすと、メリーゴーランドは丁度BGMが転調して、ゆっくりと速度を落とすところだった。楽しいことが終わるのを察して、子供たちは少し寂しそうな、残念そうな顔をする。キバナも同じだった。スピードを落としていくギャロップの上で、小さなキバナもなんとなく寂しい顔をしていた。その様子はばっちり実家のホームビデオに収められている。完全に停止するまで降りないように注意するアナウンスが響く。あぶないので、かんぜんに とまるまで おりないでください。電話口で無理に高くしたような女性のアナウンス。あのアナウンスも嫌いだった。楽しいことの終わりを予告するものは全部嫌いだ。子供の多くはそういうものだ。こんなに時間をかけて終わらされて、聞き分け良く、楽しかった、で済む子供の方が奇特だ。
「……そう、なのか?」
「そう。なんか、寂しくなるっていうのか、切ないって言うのかさ。とにかくダメなんだよなあ」
キバナは今でも、たのしいことなら何周したって飽きないタイプだ。メリーゴーランドだってそうだ。傍から見れば同じことの繰り返しに見えるかもしれないが、キバナには一周一周すべて全力で楽しめた。だからあんな風に、終わりますよ、だなんて途中で無粋に水を差してほしくなかったのだ。終わりを意識しながらその後も楽しめるほど大人にはなれなかった。その性質は今でもそんなに変わらないのかも知れない。愉しいことはなんでも、最後の一瞬まで楽しみたかった。メリーゴーランドの電飾と鮮烈な色彩に飾られたあの世界を、最後まで堪能していたかった。愉快に無邪気にぐるぐる回って、終わりがくるその時までずっとおどけていたかったのだ。
キバナは再びサイコソーダを口に含んだ。もう炭酸も抜けて、ほとんど甘いだけのぬるい水だ。口のなかにべったりと残る味に顔を顰める。こういうところに来たからと思って久しぶりに飲んだが、もう少し急いで飲めばよかった。感傷がすぎたかな、と頭を軽く振る。
ふうん、と気の抜けた返事をしながら、ダンデはメリーゴーランドを見た。完全に停止して、子供たちがぞろぞろと降りてくるところだった。出入り口付近で、もういっかい、帰るわよ、の押し問答をしている親子もいる。ああ、そういうのもあったよな、とキバナは淡く笑う。
ダンデは暫くキバナの横顔を見ていたが、キバナがこれ以上サイコソーダを飲む気がないとわかると立ち上がる。
「……そろそろ行こうか」
「ん。次何乗る?」
「観覧車は最後だろ?」
「ウワ、そういうの気にするんだ?」
提案された定番コースに笑いながらキバナも立ち上がる。ほんの少しだけ残ったサイコソーダはダンデが呑み干した。
「乗っていくか?」
そう言いながら、ダンデはニヤッと笑ってメリーゴーランドを指した。件のアトラクションは、もう次が始まって陽気なBGMが流れ始めたところだった。キバナはなんと返すべきか迷って、ただ静かに首を横に振った。それを見て、ダンデも静かに「そうか」と言うだけだった。