それを誰が仕立てたか
ダンデがバトルオーナーになったと言うので挨拶に来てみれば、チャンピオンのユニフォームを脱ぎ捨てた男は見慣れぬ服に身を包んでキバナを迎えた。仕立てが良く、ダンデの肉体美を損なわずに強調する、貴族が着る乗馬服のようなもの。今にもポロか狩りに興じそうな出で立ちであった。キバナは思わず一瞬足を止めて、見惚れた。似合っている。ラフには見えず、しかし変にかしこまっているわけでもない。ただ立っているだけでその存在感を誇示する。マントもユニフォームもなく、それなのにダンデはまだ王者として立っている。そのチャンピオンを降りても損なわれなかったものに安堵し、そして次に感じたのは激しい嫉妬だった。
これはダンデの趣味ではない。そもそも、衣類の類に全く興味のない男だ。帽子だけは熱心なコレクターではあったが拘りがあるのはそれだけで、他は何を着ていようと頓着しない。おかげで上と下がちぐはぐなんてことは何時ものこと。そんな男のセンスでこんな服は選ばない。
ならば絶対に、どこかにこれを選んだ人間がいるはずだ。このキバナを差し置いて。
「……よう。元気そうじゃん」
笑顔が引きつっているのだろう。ダンデはキバナの顔を見て、一瞬不思議なものを見たような顔をした。バトル中、指示が理解できなかったヌメルゴンでも良い。いつもならば何か世間話を一つ挟んで問うところだが、しかし今のキバナにはそんな余裕はなかった。
「それ。誰の趣味だよ」
言いながら、キバナはダンデの服を指した。もう笑顔を取り繕うことも出来なかった。
「変か?」
「どこぞの貴族様かと思ったぜ」
「そう見えるなら良かった。方々に確認した甲斐があったな」
ダンデは満足そうに笑いながら小首を傾げてみせる。そういう表情をしていると少し幼く、もっと言えば口説く隙がありそうに見える。恋人がいながらそれを許すほど甘い男ではないと分かっているから杞憂なのだが、他所でもそういう顔をしているのかと言って困らせてやりたい。本人は自覚がないだろうから、きっと嫌な空気になって終わるだけだが。キバナが黙っているので、ダンデは諦めて弁明らしきものをし始めた。
「チャンピオンのイメージを引き摺るのも、前任者の面影も避けたかったからな。けど、バトルをする以上、動きやすさは絶対に譲れないし。だから、俺が普段どういう格好で過ごすかで何度も会議したんだ」
「そんなもんで会議するなよ」
「イメージ戦略は大事だろ。俺はタワーの顔になるんだ。その俺が、侮られても変に畏まられても困る」
ダンデが言うと言葉が重い。流石に十年ガラルのポケモントレーナーの頂点にあった男は言う事が違う。この調子であれば、己の助けなどほとんどなしに立派にオーナー業もこなしてみせるだろう。
「それで、最終的に俺の爵位に合わせるのが順当ってことになった」
「爵位?」
耳慣れない単語に首を傾げる。爵位。爵位と言ったか。この、礼儀を知っているのか知らないのか良く分からない男が、爵位だと。
「チャンピオンを五年以上続けているのと、ガラルへの貢献を認めるって形で一代限りの騎士爵位を贈られただろ。覚えてないか?」
知っているはずだ、と言われて当惑したのはキバナの方だった。
ガラルには未だに王族が存在する。影響力を失って久しく、普段何をしているのかよく分からないと国民から謗られる有様であっても確かに存在はしているのである。そして、その周りには王族の信奉者たち――――所謂、元貴族が侍っている。こちらは王族とは違い、明確に元が頭につく。権力から追放され、土地所有権を持たないので当然である。しかしそれでもルミナスメイズ伯爵だとか、ミロカロ子爵だとか、そういう称号を未だに名乗る輩は多い。その手合いが一体どういう法的根拠を元にそれを名乗っているのかキバナは全く知らなかったが、とにかく称号として今も存在しているのだ。そういう手合いに、キバナも何人かと会ったことがあった。ポケモンバトルの講師として何度か招かれたのだ。なんでも、ポケモンバトルは貴族、王族のたしなみであるらしい。変に繋がりを持って自分の行動に制限がかかるのも嫌だったので、初めの数回でやんわりと他に良い教師がいるとか何とか言いながらお断りした。だがまさかダンデがその末席にあるとは。何時の間にそんな話になっていたんだかと記憶を探っても覚えがない。少なくともニュースにはなっていないはずだ。まあ、あの王族から賜るものなぞその程度のものなのだろう。
「叙勲を記念してパーティーもしただろ。君も呼んだぜ」
パーティーと言われても、年に大小含めていくつも出席している。スポンサーの関係やリーグの関係、果てはナックルシティ主催のものまで入れれば今年出席したものだけでも列挙するのは難しかった。
「マジで覚えてないな」
「俺が初めて酒の味を覚えたって言えば分かるか?」
初めての酒、と言われてようやく合点が行く。あの、酷い醜態を晒したときの。思わず苦い顔になる。そもそも、あれはキバナは呼ばれない席だったのだ。それをダンデの我儘で、キバナが従者代わりに添えられたあのパーティーのことか。詳しい名目は教えてもらわなかったがキバナは直前にローズ直々に呼び出され、今日の会は貴い人が多いからとにかく粗相のないように、と厳しく言われたのだ。当時反抗期真っ最中のキバナは頭ごなしに言われて心の中で舌を出して聞いていたが、キバナの反抗などその程度の可愛らしいものだった。もっと派手に反抗期だったダンデは凄まじい荒れっぷりを周囲に見せ付けてくれていた。あれは本当に酷かった。
初めての酒にべろべろに酔ったダンデは、その日の主役だというのに挨拶回りにもいかずキバナにまとわりついて離れなかった。あげく途中でキバナを連れてバックレようとした。結局オリーヴに無理矢理会場に連れ戻され、嫌だ嫌だバトルがしたい今すぐしたい、俺はチャンピオンだぞと盛大に謎の駄々をこねて、何故か最終的に公衆の面前でキバナにディープキスをかました。ローズがあれこれと手を回して闇に葬られたあのパーティーか。あれがまさか叙勲記念だと。なんだか見ない顔が多いと思っていたが、なんて席でなんてことをしてくれたのだ。数年越しに明かされた事態に震えた。
酒のインパクトが強いのと、あまりにも酷い記憶だったので記憶の奥底に眠らせていたのに思わぬ形で掘り起こされてしまった。ボタン一つとっても豪奢なジャケットと仕立ての良いズボンとフリルタイで着飾ったダンデ少年は、それは愛らしく美々しかったが、その可愛さをもってしても色々と台無しだったあれ。
「……あれかあ。酒の印象しかないな」
「だろうな。それでキバナ。この服は俺に似合ってるだろうか?」
さらりと流して、ダンデは腕を広げてみせる。赤いジャケットが恐ろしく似合っている。キバナがダンデに服を贈るときは必ずモノトーンなどの落ち着いた色味だった。菫色の髪と赤の取り合わせの新鮮さが瑞々しいほど眩しく、そしてやはり妬ける。
「さっき感想は言っただろ」
「君に褒められたいんだ」
にこにこと笑う瞳が、期待に輝いている。キバナは溜息を一つ吐いてダンデと向き合った。
「……よく似合ってるよ。一瞬見惚れて、その次にその服選んだ奴を探し出したくなるくらいには」
素直に言えば、ダンデは声を上げて笑った。それにキバナはますます眉を顰める。分かっている。自覚はしている。とんでもなく恥ずかしいヤツだと指さされて笑ってくれて構わない。キバナはむくれながら、なんだよ、ともごもごと言って睨んだ。
「君らしからぬ言いようだな」
「素直な感想だろ」
「最上級だったか。ふふふ」
「笑うなよ。ああ、もう。カッコ悪い」
キバナが顔を逸らすと、ダンデが手を伸ばしてキバナの頬を撫でる。強いてそっぽを向き続けていると、何が可笑しいのか、ふふ、とまた笑われる。そうして意地に視線を合わせずにいると、ダンデは頬に軽く口付けた。ちゅ、と可愛らしい音を立てて、すぐにダンデが離れていく。
「キバナ。嬉しいぜ」
上機嫌に笑うダンデの髪が、風に煽られて大きくなびいた。青空の下で金の瞳が輝く。その光景に、またキバナは見惚れた。