結論から言おう。キバナと言う男は、ライバルとしてはもちろん恋人としても最高だ。マメに連絡を取り合おうと積極的に動いてくれて、いろいろなデートなんかの計画を立てるのもキバナが中心だ。彼から受けた気遣いをあれこれ数え上げたらきりがないくらいだ。
なかでも俺が最高だと思っているのは、記念日になると『とっておき』を着て準備してくれることだ。そういうサプライズは『付き合って三ヵ月』だとか『二人のハーフバースデー』とか、まあそういうちょっとした記念日なわけだけれど。恥ずかしながら、俺はそういう記念日をいちいち把握できない性質の人間なので、当日キバナが『とっておき』を披露してその日が記念日だったってはじめて知る、なんてことも少なくない。キバナのスケジュール管理能力は素晴らしい。
話を戻そう。その『とっておき』っていうのがすごいって話だ。それはつまりいつもと違う―――いわゆる勝負下着を着て待っててくれるわけだ。普段と変わらない服の下を暴くと、レースの透け感の強いやつだとか、ほぼ紐にリングでなんとか守ってるようなのとか、もういっそ見えてるのとか、とにかくすごいのが出てくる。それを、朝から仕込んでくるんだ。こっちの身にもなってほしい。うっかり記念日だってことを忘れて外にデートに行って、後悔したことが何回もある。知ってたら家から出ないで存分に堪能したっていうのに。もったいないことをしてる。
下着を披露したキバナは俺の顔を覗き込んでニヤッと笑って、
「おまえさ、こういうの好きだろ?」
って挑発的に言うんだ。そうなった後はもう、俺がむちゃくちゃに暴れる。キバナっていう男は本当に最高の恋人なので、俺の煽り方を熟知しすぎてる向きがある。それに乗っかって暴れるのはどうなんだって話なんだが、まあキバナ相手だから許されてるよな。そこも含めて愛を感じる。
「そう、愛なんだよ。キバナの行動は全部愛だ。だから、俺も少しは返したいし、そうじゃなきゃフェアじゃないと思うんだ」
「すいません、こっちにエールとつまみの追加」
「ネズ、聞いてるのか?」
「そうですね、聞かせる気があんのかって聞き返してやりましょうかね」
結論から入ったわりに長ぇんですよ、とぼやいてネズはエールの瓶を煽った。ネズは乱暴に口元を拭くと、どん、と空き瓶になったものを机に叩きつける。
「で、用件はなんなんですか」
あんまりな言いように、俺は溜息を吐いた。これじゃ、なんのために時間をかけて語ってきたのか分からない。
バーの照明はネズの顔色の悪さを際立たせていて、まるでゴーストタイプのポケモンみたいに見える。まあいつものことだから気にしないが。俺も一口エールに口をつける。万人受けするお行儀の良い味だ。俺としてはもっと癖のある方が好きだ。地元のエールがそういうタイプだったから、そっちで慣れた身としては若干物足りなく感じる。
「じゃあ、本当に用件だけ言うからな」
俺は口の端に零れたエールをぐいっと拭うと、ネズを真っ直ぐに見る。
「俺の下着を選んでくれ」
ネズは口をあんぐり開けて、俺を凝視した。そのまま数秒が過ぎる。俺は中央に置かれた皿からジャーキーを一本摘まみ上げて口に放り込んだ。ガラルヤドンのスパイシーな味わいが酒によく合う。噛み応え抜群。三十回噛んでもまだ風味がある。
俺がジャーキーを飲み込む前に、ネズはゆっくりと瞬きをしてから口元を歪めた。
「―――全然文脈が見えないんですが?」
たぶん、笑おうとして口角を上げたかったんだと思う。でも引きつってるし目が死にすぎていて全然成功しているようには見えなかった。
「ネズが長いって言うからだろ」
「ものには限度ってもんがあるでしょうが! なんでそうなるのかきっちり説明しやがれ!」
俺は仕方なく、端折った諸々をぽつぽつと話し始めた。もうすぐ聖夜だから、たまには俺の方で記念日のサプライズを仕込んでみようと思い立ったこと。何をしたらいいか散々悩んで、キバナの真似をしてみることにしたこと。つまり――――勝負下着を朝から仕込んでいこうと思ったこと。
「俺も『とっておき』を仕込もうと思ったんだが、なんていうか、こう、これ!っていうのが分からなくてだな……」
そう言いながら、俺はロトムの入っていないスマホをすっとネズに差し出した。これはキバナとの諸々を管理するためのものだった。写真だとか、検索履歴だとか、メッセージのやりとりだとかが入っている。チャンピオン・ダンデの門外不出のプライベートの塊だ。
俺はスマホを操作して、正直に検索履歴をネズに開示した。直近のキーワードは『下着 男性用 セクシー』『メンズ ランジェリー』『男性 勝負下着』とかそういう感じだ。これが世の中に流出したら俺は死ぬ。
ネズは俺からスマホを受け取って履歴を見ると、めちゃくちゃ嫌な顔をして摘まみ上げるようにしてスマホを持ち直し、俺に突っ返してきた。笑いもしない。真顔だ。それはそれで辛い。いっそ指をさされて笑われた方がマシだった。
こうやって通販サイトを漁ってみたが、いまいちピンとこなかった。たぶん、俺に足りないのはビジョンだ。購買意欲はあっても『何を買うか』の具体性がないから、通販サイトを徘徊したところで目ぼしいものを見つけられるはずがないのだ。漠然と、『キバナに喜んでもらえそうなヤツ』としか考えてないから決めれない。
ネズは呆れた顔をしながら苛々と前髪を弄った。
「そんなもん自分がどれ着たいかで良いでしょうに」
俺はその言葉に雷に撃たれたような衝撃を受けた。自分が着たいかどうか! その視点は俺になかった。やっぱり人に相談してよかった。恥を忍んだ甲斐があった。
「そういう観点はなかったな。新しい知見だ。ありがとう」
俺は改めて通販サイトに飛び込み、売れ筋ランキングを上から下までじっくりと見た。艶々した素材のブーメランパンツ、派手な柄のブリーフ、面白い系プリントのトランクス……。
ひとつひとつ眺めながら、自分が着用しているところを想像してみる。サプライズを抜きにしても、俺が自ら進んで着るような……。
店員がエールとつまみを置いていき、ネズは無言でチップを払った。そのまま財布をテーブルに放り出す。不用心に見えるがここはネズのホームタウンだ。まあどうにでもなるんだろう。
ネズがちびちびとエールを舐めている間に、俺はランキングをすべてチェックし終わった。終わってみると、どんな下着があったとも総括できない。モデルが着用しているのに一ミリも興味が湧かなかった。
「……別にどれも着たくはないな」
俺はすっとスマホから視線を外していた。いや、別に着るのは良いんだ。キバナのためなら俺は多少のことは気にしない、でもそれを自分の趣味趣向としてキバナに開示するのには抵抗があった。だって正直どれも趣味じゃない。俺は履き心地が良くて収めるべきものが収まればなんでも良いのだ。
ネズは俺に冷たい視線を寄越して、
「お前ひたすらこのサプライズ向いてませんよ」
と吐き捨てた。財布からいくらか出して、机に放り出す。帰る気か!
俺はそうはさせまいと全力でネズの腕に取りすがった。腕力ならこちらが上だ。案の定ネズは席を立つことも出来ずにじたばたしている。まあ、ネズの細腕では抵抗って言うのもあれな感じなんだが。
「それでもキバナをとびっきり喜ばせたいんだ! 助けてくれネズ! 君だったら恋人がどんなのつけてたら興奮するんだ!?」
別にネズのそういう個人的な趣味を知りたいわけじゃないが、とりあえず参考にしたい。この件が恙なく終わったなら記憶から抹消するって誓っても良い。俺の方も覚えていてもひとつも益になるようなことはないしな。もうこの際適当な一般論でも良いから何か天啓が欲しい。
「こんなところでそんなもん言うわけないでしょうこのボケ」
「頼む、キバナの好きそうなのを選ぶのでも良い!」
「お前が知らねえのに俺が知るワケねえでしょうがこのあんぽんたんがッ!」
ネズを掴んでいた手に拳が振り下ろされる。別に痛くない。これならホップのヒーローごっこに付き合ってた時の方がよっぽど強い力で殴られてたぞ。手加減してるにしたって、もうちょっと力入れても良いんじゃないのか。それとも妹しか兄弟がいないと、力加減が最小で常に生きることに慣れていくのか? それはそれで大変だな。
「それはそうなんだが……。こんなこと、ネズくらいにか相談できないんだ……」
俺がしゅんとして見せると、ネズの琴線のなにに触れたのかはよく分からないが、とりあえずは暴れるのをやめて席に腰を落ち着けてくれた。
「……分かりましたよ。……傾向くらいは分かってるんでしょうね」
俺はすっと腕を放して、もう一度プライベート用のスマホを取り出した。ネズはしおらしくしている方がいい。覚えておこう。
今度は履歴じゃなく、写真の方をチェックする。これはさすがにネズには見せられない。なにせ、『とっておき』のキバナの写真だ。でもこうしてカメラロールを見てみると、最近のキバナの『とっておき』には一定の方向性が感じられた。ちらりと見える清楚な白。レース。はじめの頃よりも少し布地が多めな気がする。
「うーん……。たぶんなんだが、レース系がブームなんじゃないかと思うんだ。で、色味は大人しいかんじが多くて、」
俺は説明しながら、どこまで言うべきか悩んだ。いや今更なんだが、あんまり具体的過ぎるのも良くない気がする。でも、ここであまり情報を開示しないのもよくない。
「こう、腰回りにレースがくるデザインが多いな。なんていうか、普段のキバナからはちょっと離れているような、清楚で可憐なイメージの……」
ネズは最初こそふんふんと相槌を打っていたが、段々反応が悪くなり、俺がスマホから顔を上げる頃には死んだ目で胡乱に見ていた。
「…………それは、お前の趣味じゃなく?」
「……………………えっ」
指摘されて、一瞬時間が止まっていた、確かに。確かにそういうのを着用したキバナが好きだ。正直普段とのギャップに無茶苦茶興奮する。いやでも、そんなにあからさまに態度に出して狂喜した覚えは……あまり、ないと信じたい。いやどうだろう。すごい燃え上がった。いつもより燃え上がったのは確かだが、違うんだ。いつものキバナももちろん好きなんだがこうレア感があっていいっていうか。
ネズは訳知り顔でひとつ頷くと、俺を詰めるために身を乗り出した。
「だってお前、キバナでしょう。お前の傾向を対策してくるに決まってるでしょうが」
ほら心当たりがあるんでしょ? と言外になじられて、俺の目は泳いだ。
「いやだって、ほら、そういうわけじゃないと……いや……あ、ぐ……」
もうなにも言えない。やばい、恥ずかしい。穴があったら入りたい。言い訳するだけ見苦しいのは分かっていても、いやでも言い訳のひとつもしたくなる。だって、そうだろ。男だったら恋人のふだん絶対しない恰好見たら興奮するだろ。俺は間違ってない。
なんか、恥ずかしさが過ぎて涙が出そうになる。いや、ここで泣くな。今はネズは優しくしてくれるかもしれないが、後日散々ネタにされるぞ。いや、もういっそこれ利用してみるのも手か?
俺はネズの腕にすがりながら、もう一度懇願した。
「ね、ネズ。頼む、助けてくれ」
ネズはうっとおしそうに俺の腕を跳ねのけると、迷惑そうな顔をした。眉間に深い皺が寄っている。そして深々と溜息を吐くと、新しいエールに口をつけた。何度も喉を鳴らしながら飲み下し、ぷは、と息を吐いた。
ネズは座った目で俺を睥睨すると、吐き捨てるように言い立てた。
「あのね、リサーチが雑すぎるんですよ。俺に言えることなんざもうないですよ。はい、解散。さよなら」
ネズがテーブルの上に放り出していた財布を引っ掴もうとするのを慌てて上から押さえつける。今帰られたら困る。ノーヒントでサプライズはあんまりにもハードルが高い。無理だ。
「頼む。どうか、どうか見捨てないでくれ」
俺がこれだけ下手に出ているって言うのに、ネズは冷たい目で俺を見下ろすだけだった。さっきみたいな泣き落としはもう通用しないようだった。
「もうお前がキバナに着せたいやつ持って行きんしゃい。キバナならそれでもめちゃくちゃ楽しんでくれますから」
「それじゃ意味がないんだ! ネズ! なあ!」
それから俺は自分の趣味趣向やらキバナとの今までのアレソレを赤裸々に、包み隠さずネズに開示し、なんとか一着のメンズランジェリーを手に入れることになった。
まあ、当日その『とっておき』を巡っていろんなハプニングがあったんだが、それはまた別のお話。
2022/12/24 ダキ灯聖夜無配 再掲