可愛い小鳥
最近、小鳥を拾った。いや、本当のところは小鳥なんて可愛らしいサイズじゃないけど。結構筋肉あるし、重いし、毎日結構な量の飯をぺろっと平らげている。そもそも、人間用のベッドを丸っと占領するサイズだしな。これが本当に小鳥だったらびっくりも良いところだ。でも、まあちょっと無理はあるけれど対外的には小鳥ってことで通してる。翼の折れた有翼人をこっそり匿ってるなんて、誰にも言えない。―――言っちゃいけない。
その小鳥との出会いは、家の近くの森だった。植物採集をしてたら、小鳥が地面に落ちているのを見つけたんだよ。白い翼が見事に折れていた。落ちたときについたのか、全身切り傷だらけで見ていて痛々しかった。オレさまはとにかくどうにかしなくちゃ、と思って小鳥を家まで担いでいった。それからほとんど付きっきりで看病した。
必死に介抱した甲斐もあって、近頃は翼もイイ感じに治ってきてる。素人が施した治療だ。もしかしたら二度と飛べないんじゃないかって気を揉んだけど、どうにかなりそうだった。小鳥はオレさまに懐いてくれて、最近は珍しい歌や踊りを披露してくれるようにもなった。故郷のことも、ぽつぽつ話すようになってくれたんだよ。それまでは全然自分のことや故郷のことなんか教えてくれなかったのに。
拾ってからずっと、小鳥の世話に夢中になってた。なにか見返りが欲しくて看病してたわけでも、家の奥で匿ってたわけでもない。でも、こうして小鳥が返してくれるものが嬉しくないわけでもない。まあ、端的に言うと情が移ってきたってやつ。
で、最近はその小鳥のことでちょっと悩んだりするようになったわけ。翼が治ったら、帰さなきゃいけないだろ。ちゃんと帰してあげれるかどうか分かんなくなってきちゃったなって。
うそ。ちゃんと帰すさ。それが正しいことなんだから。
扉を四回ノックする。耳をそばだてて返事を待つが、部屋のなかは静まり返っていた。
「ダンデ、」
もう一度ノック。呼びかけにも反応はなかった。オレさまは抱えていた盥を持ち直して、今度は強めにノックした。それでもリアクションはない。
「……ダンデ、入るぜ」
オレさまは何度か深呼吸をして、それから静かに扉を開けた。
扉を開けて最初に目に飛び込むのは、紫色の長い髪と大きな金の翼だ。翼が光を受けてきらきらしている。綺麗だ。日に日に翼は色を濃くしている。出会ったときは真っ白だったのに、今は見事な金色になっていた。燃え上がる炎の先っぽみたいな色だ。翼は、思いきり広げれば小さな客間がいっぱいになるくらいに大きい。今は畳まれて背中に綺麗に収まっているが、それでもその存在感は圧倒的だ。地上人とは明らかに違う。猛禽の鳥のような濃い金の瞳。よく日に焼けた肌。分厚い体。他の部位はほとんど人と違わなくても、それでも背中にある翼だけでそいつは地上人とは明らかに別の種族だった。
これがオレさまが拾った小鳥。有翼人のダンデだ。
オレさまみたいな庶民が普通に生きてても、有翼人なんて珍しい人に出会えることはまずない。有翼人が希少って言うか、彼らは地上が嫌いだから。運悪く地上に落ちてきた有翼人はその土地の領主さまが保護して、丁重に遇することになっている。庶民は有翼人を見かけたら通報する義務があるって法律も制定されてるけど、オレさまはそれをしなかった。保護とか綺麗なこと言ってるけど、本当は観賞用のペットとして飼殺すって話だ。そんなの、駄目だろ。
だからオレさまは、翼の折れた小鳥の世話をしてるってことにして、自分の家の奥でダンデを隠してるわけだ。ダンデには申し訳ないことをしてる。ご馳走が用意できるわけでもないし、翼を悠々と伸ばせるようなスペースを提供できてるわけでもない。ダンデにはめちゃくちゃ負担がデカいだろうなって思うんだよ。でもダンデは、そういうことを口に出して言わなかった。でも、見てれば分かる。
ダンデは窓の外をぼんやりと憂鬱な目で見ていた。翼よりも何段か濃い金色の瞳が、今はどんよりと濁っている。指は苛々と窓枠を叩いていた。かなり溜まってるな。そりゃそうだ。自由に散歩すらできないんだから、ストレスも溜まるよ。オレさまは大きく息を吸う。
「ダンデ!」
大きな声で呼びかけると、ようやくダンデはこちらを振り向いた。瞳から憂鬱な色が霧散して、パッと明るく笑った。花が咲いたみたいだ。それにオレさまはちょっと安心してしまう。甘えてしまう。
「キバナ」
ダンデは嬉しそうに笑って、オレさまの方に来る。その合間にダンデは、何気なく体に巻き付けていたシーツを直した。
これもオレさま的には申し訳ないことのひとつだ。地上には有翼人用の服なんて流通してないから、洗濯中はダンデにシーツ類を服代わりにして我慢してもらわなくちゃいけない。出会ったときに着ていた服もボロボロになってきたから、好い加減どうにかしなくちゃいけないんだけどなあ。でも服の背中周りの構造がどうしてもよく分からないから手が出せずにいる。一回バラバラに分解したら分かるのかも知れないけど、元通りにできる自信がなくて手が出せない。戻せなかったらアウトだからな。帰るまでシーツで過ごしてもらうとか、絶対駄目だろ。
……ダンデはズボンと下着があれば別に良いって言ってくれてるけど。でもときどき、本当にときどきだぜ。ちょっと目のやり場に困ったりする。そういう意味でも、ちゃんとした服を着せなくちゃなって思うんだ。
オレさまは椅子に盥を置く。ちゃぷんと小さく水が跳ねる音がした。
「ダンデ、大丈夫か? さっきから声かけてたんだけど、調子悪い?」
ダンデは柔らかに笑いながら、ゆるゆる首を振った。
「少し考えごとをしてたんだ。心配かけたな、すまない」
「なら、いいけど」
オレさまは言いながら、盥からタオルを引っ張り出して絞った。それをダンデに渡すと、ダンデは顔を拭い、首を拭く。顔を上げる瞬間、はふ、と気持ちよさそうに息を吐いた。その音が、ちょっと心臓に悪い。そこで一旦タオルがオレさまに戻されて、それから身体に巻き付けていたシーツを取り払う段に入った。
少しずつ、ダンデの体が露わになっていく。
「…………」
毎度のことながら、目のやり場に困る。心臓が変にどきどきする。でも、ここで顔を背けるのはやましいことがありますよと言っているようなものだろ? だからオレさまはなるべく何も考えないようにしながら、ダンデが脱ぎ終わるのを大人しく見守ってるしかない。
真っ白な布の下から、顔より少し色の白い肌が見えてくる。ダンデの身体は驚くほど鍛え上げられていた。特に胸周りの筋肉はかなり発達していて、まるで歴戦の戦士みたいな体だ。有翼人は飛ぶために皆こういう体になるのかな。
オレさまがそんなことを考えてる間にもダンデに巻き付いていた布はすっかり取り払われて、上半身裸の状態になった。
「キバナ、頼めるか?」
ダンデがくるりと背中を向けた。肩甲骨あたりから翼が生えている。つるりとした肌から急に羽根が生えているのが何度見ても不思議だった。教会の壁に描かれている天使さまの絵みたいだ。あんまり現実味がないって言うか、取って付けたみたいに見える。
「了解」
オレさまは手に持っていたタオルで項からそっと拭き始めた。特に自分では難しいだろうから、翼と翼の間の辺りは丁寧に。そうして背中をどんどん拭いていく。
「どっか痒いとかあったら言えよ」
「ああ。ありがとう」
ダンデの体って、ごつごつした筋肉の塊だ。あんまりにも柔らかさと無縁で、石像かなにかの掃除をしているような気分になる。拭くたびに筋肉の形が手に取るように分かる。本当に、翼がある以外は人間とそんなに大きく違うようには見えない。それが不思議だった。
この時間がずっと続けばいいのに。ダンデの背中を拭きながら、そんなことを考えてしまう。でも分かってる。翼が治ったらダンデは空に帰るべきだ。散歩すらままならないなんて、そんなの貴族が有翼人を飼殺すのとなにも変わらない。
上から丹念に拭いていって、腰のくびれを過ぎた辺りに差し掛かると、ダンデがもぞりと身動きをした。それまで石みたいに不動だったのに、急に動くからちょっとびっくりする。
オレさまが拭いていた手を離すと、ダンデは振り向いてにかりと笑った。
「ありがとう。もう大丈夫だぜ。次は翼を動かすから、少し離れていてくれ」
「ん。オッケー」
オレさまがそっと離れると、ダンデはぶるりと体を震わせた。それから翼を大きく広げる。そして思い切りぶるぶると翼を震わせた。その拍子に何枚も羽根が落ちる。部屋の中に金色の羽根がふわふわと落ちていく光景は、なんだか幻想的だ。そうして、部屋の床の半分くらいがダンデの羽根で埋まった。
「またたくさん抜けたな」
オレさまは腰をかがめて一枚羽根を拾い上げる。窓から差し込む光に透かすと、羽根はきらきら光った。その光景に思わずほうと息を吐く。本物の金で作ったと言われたら信じてしまいそうだ。夕映えのなかで燃えるように色を深める秋のイチョウみたいだ。くるくると指先で弄ぶと、羽根はますますきらきら輝いた。ずっと見ていられる。
でも、ダンデはそうしてオレさまが羽根で遊ぶのが気に食わないのか、きゅっと眉を顰める。
「汚れてるぜ。捨てておいてくれ」
吐き捨てるような調子に、オレさまは少し首を傾げる。どうしたんだろう。汚れてるって言っても、すぐに床から拾い上げたんだから全然平気だと思うんだけど。
オレさまが首を傾げる。でも手の中の羽根は持ったままだ。ダンデはますます渋い顔をする。
「えー?」
そのぶすくれた顔にちょっと笑いながら、わざと困ったような声で抗議してみる。それでもダンデの表情は変わらなかった。
出会った頃、ダンデの翼は一点の曇りのない白色だった。快晴に浮かぶ白雲みたいで、眩しいくらいだった。それが今はどうだろう。こんなにも見事な金になっている。いや、今も日増しに色が濃くなってきてるんだよな。
はじめは悪いものでも食わせちまって、体調不良が翼の色に出てきてるのかと思ってすごくびっくりした。尋常じゃない量の羽根が落ちるしさ。ダンデに自然なことだって教えてもらったから、今はあんまり心配してないけど。でも毎日まだこんなに羽根が抜け替わるのはちょっとビビる。
まあそれはそれとして、日ごとに色が変わるのを見守るのが楽しいって言うのはある。このまま色が濃くなっていくとしたら、最後にはどうなっているんだろう。今は金一色に無柄だけど、そのうち色が増えて柄が出てきたりするんだろうか。想像するだけで楽しい。わくわくする。
まあ、そこまで見届けられるかどうかは分かんないけど。もうすぐ翼も治る。今のところ動かすのに支障はなさそうだから、このままいけば飛べるようになるのに一ヶ月もかからないだろう。そうしたらダンデとはお別れだ。
ちょっと寂しいけど。うそ。ダンデと別れるの、想像だけでめちゃくちゃ寂しい。でも、そんなこと言う訳にもいかないしな。
オレさまは笑顔で手の中の羽根を見つめる。お別れするときが来たら、一枚で良いから持っていたい。ダンデは嫌な顔するかもしれないけど。
「でも綺麗じゃん。捨てろって言われてもさ、もったいないなって思うんだけど」
オレさまが褒めると、ダンデは少し戸惑ったような顔をした。それからオレさまをちらりと見て、それから少し泣きそうな顔になった。
「……そうか? 綺麗、だろうか」
なんだろう。どうしてそんな顔をするんだろう。戸惑っているような、それでいてちょっと嬉しそうな複雑な顔だ。ダンデがそんな顔をする理由はオレさまには分からないけど、でもここで綺麗じゃないなんて言えない。だって実際綺麗だし。
「うん。すげー綺麗」
オレさまが素直に頷くと、ダンデはぱっと顔を伏せた。
え? なになに?
オレさまが追いかけて顔を覗き込むと、顔を真っ赤にしたダンデと目が合った。じろっと睨まれるけど、そんなに赤い顔してちゃ全然怖くない。って言うか、オレさまの方がぽかんって間抜けな顔しちまった。だってさあ。
「……なんで照れてんの?」
マジでなんで? 羽根の色褒めただけなんだけど、照れる要素あったか? だって、髪の綺麗な人に髪が綺麗ですねって言ってそんなになることないじゃん。
ダンデの尋常じゃない照れ方に、オレさまの方がどぎまぎする。なんか変なこと言ったっぽい。いやでもどういう方向性なのかイマイチ分かんないからフォローのしようもないんだけど。
オレさまがまごまごしていたら、ダンデはもう一度オレさまを睨んだ。それから大きな溜息をこれ見よがしにひとつ吐く。
「……有翼人の間じゃ、色が変わった翼をそんなに面と向かって褒めるものじゃないんだ」
「ふうん? なんで?」
子供に諭すような言い方に、オレさまはすぐに疑問をぶつけてしまった。それこそガキのすることじゃんって言ってから思ったけど、もう遅い。
「なんで……?」
ダンデが絶句してる。やっちまった。悪気はないんだけどさ、なんか引っかかるとすぐに質問する癖があるんだよな。こういうのって、善し悪しだと思うんだけど今は完全に悪いほうで出ちまった。
でもさあ、不思議に思うのは仕方ないじゃん。こんなに色が変わってるのに褒めないとかありえないだろ。そうじゃなくても、気付いたら言うと思うんだけどなあ。
ダンデから少しずつ有翼人の話は聞いてるけど、やっぱりこういう細かいところで躓くんだよ。そういうとき、こうやって聞き返してダンデをよく困らせたりする。
ダンデは今回も困ったような顔をした。それから恥ずかし気に顔を伏せて、もじもじと手を揉む。
「なんでって、色が変わるのはコンイだから……」
「コンイ? コンイってなんだ?」
また新しい言葉だ! と思ったらもう疑問が口から出ていた。考えてる間もない。本当に悪い癖だ。ごめん。
ダンデはもう絶句って言うよりも呆れかえっていた。ダンデは重苦しい溜息を吐き出してから天井を仰いで、それから目頭を揉む。なんでなんでって、言葉を覚えたての幼児かって話だよな。本当にごめん。
ダンデは軽く頭を振ると、パンっと両頬を叩いた。急になんだ。ビックリするじゃん。
ダンデはオレさまにずいっと近付くとオレさまの両手を握った。え、ほんとうになに?
「とにかく! 床に落ちた羽根を拾うのはやめてくれ。君にはもっとちゃんとしたのを贈るから」
ダンデがじっと真剣な眼差しでオレさまを見上げている。手は握られたままだ。え、マジでなに? どういう話の流れでこういう体勢になってんの? オレさま全然分かんないんだけど。
「お、おう。楽しみにしてる」
オレさまが胡乱な返事をしても、ダンデは気にした様子はなかった。ニカッと笑うと握っている手をぶんぶん振った。
「任せてくれ! 君が気に入るのを集めてみせるぜ!」
どうでも良いけど、めっちゃ力強くて肩外れそうなんだけど。
そんなこと面と向かって言えるはずもなく、オレさまはとりあえず曖昧に笑って分かっといたフリをしといた。
それがあんなことになるなんて、この時は思ってもいなかったんだよ。
終.
小鳥の胸中
翼のない人を相手に恋をするのがこんなに大変だとは思わなかった。
俺は何度目かも分からない溜息を吐いて、それからシーツの上にふるい落とした自分の羽根を見下ろした。俺の恋の色は金一色だったらしい。それを知ったのも、この地上に落ちてキバナに拾われてからだった。
有翼人の男は恋をすると翼の色が変わる。婚衣と言って、求婚時に使われるものだ。想い人一人のために、有翼人の翼の色は変化する。だから、血を分けた肉親であっても気軽に翼の色を褒めることはない。それを褒めるのは、性的に気があると宣言しているようなものだから。
婚衣には個性がある。残念ながら、有翼人の間では俺のような単色無柄の婚衣はあまり持て囃される部類じゃない。じゃあどんなのがモテるのかって言えば、多色有柄の派手なものが情熱的で良いとされている。羽根一枚のなかにも複雑な模様があると美しいと好まれる。恋に身を焦がすほど婚衣は複雑な色や柄になると信じられているからだ。だから色鮮やかな翼が好まれるのが常だった。
羽根をひとつ手に取って、形、色、大きさなんかをじっくりと観察する。ムラのない金一色。大きさも手頃だし、変に羽根の流れが偏っているとかもない。これは問題なさそうだ。ただ、特別魅力的には見えないのが気になった。これだと思えるようなものじゃなければキバナには相応しくない。でもまあ、これは予備に入れておこう。失敗しないように何度か練習する必要もある。そういうときに使えるかもしれない。形が崩れないようにそっと木箱に入れる。それから次の羽根の検分に移る。次のは見るからに毛羽立っていた。これは形が悪くて使えない。俺は容赦なくその羽根をベッドの外に落とした。こうしてどんどん羽根を厳選していく。
ここにきて、自分の婚衣がこんなに単調な単色だって事実にがっくりくる。多色有柄だったら、この作業ももう少し選び甲斐もあっただろう。まあ、言っても仕方のないことだが。
羽根一つ選ぶのだってこんなにも苦しい。キバナはどう思うだろうとやきもきする。喜んでくれるだろうかと勝手に期待をして、いやこんな単調でつまらない羽根じゃあ喜ぶもなにも、と思い直して一人で失望したりする。
こんなにも苦しくて上手くいかなくて苛々するのに、それでもまだ俺は恋に身を焦がすとは言えないらしい。四六時中キバナのことでいっぱいなのに。どうしたら翼が治ってもキバナと一緒にいられるか毎日必死になって考えてるのに、これはまだまだ焦がれるうちに入らないと言うんだから堪ったものじゃない。
もっと派手な柄の翼だったら、キバナは俺が恋をしているってことに気付いただろうか。翼のない君相手に、どうしようもなく恋をしてるんだと気付いてもらえただろうか。
まあ、現実はそんなに甘くない。翼のないキバナは婚衣なんて言葉すら知らなかったし、あまつさえ俺の婚衣を気軽に綺麗だなんて言ってきたりする。そんなに直接的に褒められるなんて思ってもいなかったから、あのときは心臓が破れるかと思った。
思い出すだけでも面映ゆい。俺の面白みのない、金一色の翼をキバナは無邪気に綺麗だって言った。言ったんだ。この事実を噛み締めて、もう何日になるだろう。だからこうして、この羽根でも喜んでくれるだろうかって勝手に期待したりする。
でも、それだけだ。別に俺のアプローチが成功してるわけでもなさそうなのが悩みだ。好意は伝わってると思う。でもそれがどんな種類の好意かとか、そういう細かいニュアンスは全く伝わってない感じがする。こんなに分かりやすくしてるのに。
恋の歌も求愛の踊りも、キバナは笑って見てるばかりで応えてくれなかった。そのくせ婚衣は褒めるんだから参る。本人は婚衣を褒める意味をまるで分かってなかったみたいだが。気があるのかないのか、問い詰めたくて堪らないときがある。実際どうなんだろう。分からない。
そもそも、キバナたちは翼がないのにどうやって意中の人にアプローチするのだろう。いっそのこと、そちらのやり方に合わせた方が話が早いのだろうか。
だが如何せんここには俺とキバナしかいない。まさかキバナに面と向かって『今から君を口説くから、翼のない人たちの口説き方を教えてくれ』とは言えないし。どうしたもんかな。
そんなことをグダグダ考えながら、俺はもう今日だけでも何度目かも分からない溜息を吐いた。窓の外はどんよりとした雲が立ち込めている。それを睨み上げながら、俺は苛々と爪を弾いた。どんな天気であっても雲を見上げると気が滅入るが、なかでも曇天は一番ストレスを感じる。故郷では雲を見上げるなんてことがなかったからだろう。あんなにも空が遠いという事実を突きつけられて、どうしようもなく苛立つ。馴染みのない空がこんなにも厭わしいものだとは思わなかった。
その時だった。軽いノックの音がして、ダンデ、と柔らかに俺を呼ぶ声がした。反射的にパッと振り返って、それからベッドの上に落ちている羽根をひとまず全部床に払い落とす。それから羽根を入れた木箱の蓋を閉めて、机の上に置く。
どうぞ、と返事をするとゆっくりと扉が開けられる。市場に行っていたんだろう。少し良い上着を羽織っている。キバナは上背があるから、パッとなにかを羽織るだけでも見映えがする。
「ただいま」
「おかえり」
キバナはにこりと笑みを浮かべた。それだけで鼓動が跳ねる。キバナにかかれば笑みひとつで見てる人間全員の脳ミソを溶かせるだろう。
初めてキバナを見たときは驚いたものだ。こんなにも美しい人は見たことがなかった。こんなにも美しいのに翼がない。そのことに俺は衝撃を受けた。有翼人の美醜は翼に重きが置かれる。でもキバナは、翼がなくても目を見張るほど美しかった。それまでの自分の価値観が崩れて、それからキバナを軸に再構築されてしまった。彼は、それだけの容貌をしていた。
「ダンデ、紐ってこういうので良いのか?」
キバナは袋から紐の束を引っ張り出して見せる。俺はそれを見て、背中の羽根が少し逆立つような感覚がした。それを無視して、俺は笑って手を伸ばす。
「ありがとう、ちょっと見せてくれ」
太さも長さも雑多にある。色も白っぽい色合いから黒っぽいもの、果ては鮮やかな赤や青に染色されたものまで多種多様だ。中には皮の紐まであった。これだけのものを集めるのには苦労しただろうに、キバナはそういうことは何も言わない。そういうところが好きだ。
「これだけあれば、編み放題だな」
俺は紐を三本選び抜いて、他のものは脇に置いておいた。羽根の金を目立たせる色が良いだろう。とりあえず紐の色は黒にした。
「市場にいろいろあったから買ってみたけどさ、なにに使うんだ?」
キバナはことりと小首を傾げて見せた。そういう仕草をすると、キバナの顔が小さいのが強調される。
「婚衣を繋ぐんだ」
「コンイ」
俺の答えをオウム返しに繰り返して、キバナはもう一度首を傾げる。俺は貰った三本の紐を試しに編み始めた。基本的な三つ編みは指が覚えているようだった。良かった。本当はビーズなんかも織り込むと良いんだろうが、あいにくそこまで器用でもない。これも適齢期になると編むのも練習するものだが、俺は興味が湧かなくて早々にやめた口だった。幼馴染はそれじゃ困るよと忠告してくれてたんだが、こんなにすぐに必要になると思ってなかったんだ。必要になったら、その時は人に聞きながらでもやっていけば良いかと。それを今、地上で後悔する羽目になるとは思いもよらなかった。
「で、そのコンイってなに?」
「色の変わった羽根のことだ」
俺が簡単に答えると、ふうん、とキバナは分かったような、分からなかったような曖昧な相槌を返した。その顔はもっと質問がしたくてうずうずしているように見えたが、それ以上は何も言わなかった。まあ、正直そっちの方がありがたい。今は編むのに必死でまともに受け答えが出来る状態じゃないんだ。
真ん中くらいまで来たら、木箱から羽根を取り出す。羽根を途中に括りつけてまた編み始める。単調な作業だ。指が太いから編んでいくのも一苦労だ。力の入れ具合が均一になるように常に集中しなくちゃいけないのも大変だった。
紐の編み方も、レースのように編み込んで凝った造りにする方がウケが良いのは分かっている。でも今の俺に出来る精一杯は、ただ単調に三本を編んでいくことだけだった。情けない。
そうこうしてるうちに、編み終わってしまった。俺は出来上がりを確認するためにそれを掲げてみる。黒い紐に、ぶらりと金の羽根が不格好にぶら下がっている。里に帰ればちゃんとした金具を羽根に付けて綺麗に処理できるんだが。どうにかネックレスくらいの長さにはなったが、なにか中途半端な長さだった。短すぎると言うこともないが、十分な長さとも言えないだろう。全体として出来は稚拙だし、だらしがない印象だ。理想には程遠い。これを想い人に贈ろうという気には全くなれなかった。まあ、初めて作ったのならこんなものだろう。本番用の羽根が落ちるまで、編む練習も兼ねて色々試すしかない。
「出来た?」
キバナがひょいと手元を覗き込んでくる。みっともないからあんまり見ないでほしい。俺が適当に手の中に婚衣を隠すと、キバナは驚いたような顔をした。
「これは……試作品なんだ。あんまり見ないでくれ」
「試作? あんなに真剣に作ってたのに?」
そう言って、俺の手をゆっくりと包み込む。そうして紐の端を捕まえて、丁寧に俺の手を解した。中からよれた羽根が出てくる。ぐちゃぐちゃだ。まあ、どうでもいいか。紐が勿体ないから、あとで一回解いてしまおう。
ふと、キバナの指がそのぐちゃぐちゃになった羽根に触れた。俺が驚いて顔を上げると、キバナは悲し気な顔をして婚衣を見下ろしていた。その横顔にどきりとする。こんなに無様な婚衣を惜しんでいるんだろうか。そんなまさか。だって、こんなになってしまったのに。
キバナは暫くじっとそれを見つめて、それからパッと顔を上げて微笑んだ。
「オレさま、これ欲しいなー」
いつもより数段甘い声音だった。その声が耳に入った途端、なんだか腰の下の方がビリっと来るような感覚があった。
「……え?」
俺が問い返すと、キバナはゆったりと笑いながらも、俺の手から婚衣をするりと奪い取った。それから、よれて毛羽立った羽根を優しく撫でつける。元に戻そうとしてるみたいだった。そうしているキバナから、どうしてか目が離せなくなる。
「でも……。だって、こんなだぞ」
俺がもごもご言うと、キバナは顔を上げて微笑んだ。
「うん。綺麗だよな」
「綺麗?」
オウム返しに繰り返す。綺麗。綺麗だって言われた。こんな、不出来で、ぐちゃぐちゃになった婚衣を、キバナは綺麗だって言った。頭がぐわんぐわんと揺さぶられる。俺の困惑を他所に、キバナは華やかに微笑み続けていた。
「うん。せっかく作ったんだしさ、それ、オレさまにちょーだい?」
わざとらしいくらい舌足らずな言い方だった。いや、わざとやっているんだろう。きっとこうして強請ったものの殆どをキバナは手に入れてきたんだ。
キバナの手の中にある婚衣を奪い取ろうと手を伸ばすと、キバナはパッと俺から婚衣を隠した。思わずため息が出る。どうしたものだろうか。
「キバナ。これは……やめよう。もっと綺麗なのを渡すから。約束する」
「ヤダ。これがいい」
「キバナ……」
弱った。弟が駄々を捏ねたときだって、こんなに困りはしなかった。キバナがふるふると首を横に振って、じっと俺の目を見つめた。不思議な色合いのブルーの瞳が潤んでいる。見続けたらなんでも我儘を聞いてあげたくなってしまう気がして、俺はふいと顔を逸らした。
「なんで駄目なんだよ」
子供が拗ねているような声だ。ちらりとキバナの顔を見ると、見事に頬を膨らませている。それに笑いそうになってしまって、慌ててまた顔を逸らした。
「……君に渡すのに相応しくない」
俺が絞り出すように言うと、キバナは俺の顎を片手で挟み込んでぐるりと自分の方に向かせた。
「それってダンデが決めることか? オレさまが綺麗だ、欲しいって言ってるのに?」
キバナの瞳が、視界いっぱいにあった。優しい海みたいな色のなかに悄然としている自分が映っている。キバナの手の中にある婚衣みたいに、よれよれで情けない。
「オレさまはこれが良いんだよ。それでもダメ?」
キバナに言い募られて、俺は静かに目を閉じた。顎にかかっている手を掴むと、キバナはパッと手を離した。
俺は一歩下がると、一度深呼吸する。それからゆっくりと目を開けてキバナを見据えた。
「婚衣を贈るって言うのは特別なんだ。一度贈ればおいそれと返したり、返してくれだなんて言えるものじゃない。大体、きみ、分かってるのか?」
口調に棘が混じるのをどうしようもない。無意味に苛立ってしまう。キバナは悪くないのにな。知らないことは罪じゃない。分かっていても、俺はそんなに我慢強くなれない。
「婚衣を受け取るってことは、俺の告白を受け入れるってことだぜ」
「……告白?」
キバナが見るからに怯んだ。さっきの態度から一変して、目が泳ぐ。やっぱり分かってなかったか。怯んだ隙に、婚衣をもぎ取った。キバナがどれだけ直そうとしてくれても、一度癖のついた羽根はそう簡単には戻らない。
「やっぱり翼がない人の間にこういう風習はないのか」
俺が深々と溜息を吐くと、キバナは居心地悪そうに自分の頭を触ったり、手を揉んだりしてもじもじし始めた。
「ええっと……。告白って言うと、その」
「もちろん、愛の告白だぜ」
他に何があるのだろう。ただの友情や親愛の発露でここまでする生き物なんかいないだろうに、察しが悪いというかなんと言うか。
「ひぇっ」
キバナは小さく飛び上がって、それからじりじりと後退していった。顔が真っ青だ。
仕方がないか。自宅で匿ってる有翼人に一方的にそういう目で見られていたと知ったら、身の危険のひとつも感じるのが普通だ。そういう意味では、キバナが正常な警戒心を持ってることに安堵する。
「俺たちの羽根は恋をすると色を変えるんだ。その羽根を贈ることで、俺たちは愛を伝える」
「待て。待ってくれ。いきなりすぎるだろ」
キバナは俺から距離を取りながら頭を抱えていた。よっぽど驚いているらしい。でも、そんな青天の霹靂みたいな態度を取られるのは本意じゃない。俺だってここに来るまで、別に何もしなかったわけじゃない。
「いきなりじゃない。俺だって歌ったり、踊ったりしただろ」
俺が憮然として言うと、キバナはきょとんとした顔をした。覚えは一応あるらしい。良かった。忘れ去られていたらそれはそれでショックだ。
「してたなあ。それが?」
「あれが俺たちの間で一般的なアプローチだ」
というか、本来は恋の歌を交わし合い、愛の踊りを共にしてから婚衣を贈る段に入るのが普通だ。キバナがあんまりにもそれらをスルーするし、婚衣だけに興味を持つからこんな感じになってしまっただけで。
「……マジ?」
「マジ」
キバナは本気で気付いていなかったらしい。俺は頭を抱えたくなった。どうやら翼のない人たちはそういうことはしないらしい。恋の歌も踊る風習もないなんて、思いもしなかった。翼のない人たちはどうやってアプローチするんだ。
「うわ、ごめん……。全然気が付かなかった……」
素直に謝らないでほしい。脈がありませんと言われているようなものだ。でも、まあ良い。これで婚衣の意味をちゃんと伝えられたんだから。その上でキバナに選んでもらえるなら、それで。
「……それでも、これが欲しいのか?」
俺はもう一度、手の中にあるボロボロの婚衣を見えるように掲げて見せた。キバナは戸惑っているようだった。ずっと俺と目が合わない。肯定も否定の素振りもない。この妙な間で確信した。キバナにはその気がなかったんだ。俺の婚衣を褒めたのも他意はなかった。翼のない人たちにはそういうことがなかったのだから仕方がない。もやもやばかりだった胸がすっと空っぽになる。
もう良いか。ここで振られてもそれはそれで潔く終われそうだ。だったら、最後はちゃんとしよう。
よれた婚衣も、今の俺には相応しい。どうせ振られるんだから、このくらいで良い。
俺はゆっくりとキバナに歩み寄った。なるべく怖がらせないようにしたつもりだったが、キバナは目に見えて体を固くさせて緊張していた。その足元に跪いて、婚衣を差し出す。酷い出来だ。こんなものを婚衣だなんて、故郷のやつらが聞いたら大いに笑うか、嫌悪するかのどちらかだろう。最悪の部類に入る。
「キバナ。好きだ。俺の婚衣を受け取って欲しい」
見上げたキバナの顔は、ひどく強張っていた。可哀そうに。逃げるでもいい。何も言わなくていい。婚衣を受け取らずに、この場を去ってくれれば十分だった。俺たちの間ではそれは別に普通のことだ。それで諦められる。
キバナは暫く愕然として俺を見下ろしていたが、やがて大きく息を吸うと、そっと俺の手の上の婚衣に触れた。
「――――オレさまも、ダンデが好きだ」
「え?」
独り言を呟いたような、ささやかな声だった。聞き間違いかと思った。それでもキバナは微笑んで、俺の手から婚衣を受け取る。そしてもう一度笑って見せた。
「ありがとう。ダンデのコンイ、一生大事にする」
頭が真っ白になった。
好き? 俺のことが?
何を言われたのか分からずに、俺は暫く跪いたままの恰好で呆然としていた。そうしてる間にも、頭の中でキバナの言葉がぐるぐると回っている。俺のことが好き。一生、大事に?
キバナは上機嫌に手の中の婚衣を見つめている。その姿でハッとした。よれよれの婚衣。こんなつもりじゃなかった。突っ返されると思って差し出してしまった。でも、こんなものがキバナに贈る婚衣だなんて!
「待ってくれ! 今のはそういうつもりで言ったんじゃなくて……」
俺が慌てて立ち上がり、キバナから婚衣を取ろうと手を伸ばす。でもキバナは、それを見透かしていたみたいに半身を捻って俺の手を避けた。
「ええー? この後に及んでそれはないんじゃねえの」
「だって、君、俺のことが好きって……嘘だろう」
アプローチはなに一つ伝わってなかった。それなのに好きになって貰えるだなんて、そんな都合の良い話があるわけがない。
俺が言い募ると、キバナはムッとした顔をした。
「あのさあ。好きでもないヤツ命懸けで家に隠して匿ったりするわけないだろ?」
命懸け、と言われて首を傾げる。なにか危険なことがあったのだろうか。よく分からない。
「本当に……?」
俺が恐る恐る聞き返すと、キバナは少し拗ねたような顔でこくりと頷いた。その頬は、ほんの僅かかもしれないが確かに赤い。その顔でようやく俺は本当なんだと信じることができた。実感と共に、一気に自分の顔にも血が昇る。熱い。
「待ってくれ。なおさらそれは渡せない!」
そうだ。そんなに無様な婚衣をキバナに身に着けさせるだなんて!
単色無柄の俺の婚衣じゃ世界一美しいとはいかないかもしれないが、それでももっと改良の余地はある。せめて十人並みのものは贈らせてほしい。
それなのにキバナはぺろりと舌を出した。そういう悪戯っぽい顔をしても、キバナはどこまでも魅力的だから参る。
「でももう受け取っちゃったし」
「もっと綺麗に作りたいんだ! 紐の色が君の肌に合ってないし、君に似合うものを贈りたいんだ」
俺がどんなに縋っても、キバナは笑うばかりで取り合わなかった。
「一回贈ったらおいそれと返したり出来ないんだろ? 諦めなって」
キバナは軽く笑って、俺の手からするりと逃れた。そして婚衣の紐を、自分の首の後ろで結ぶ。くしゃくしゃの羽根が、キバナの鎖骨の下あたりで光を弾きながら揺れた。
「どう? 似合ってるだろ?」
似合わない。単色無柄で、紐の編みは荒くて、羽根自体もよれよれで。こんなのキバナに相応しくない。キバナにはもっと豪奢で、美しい婚衣こそ相応しいのに。こんなにみすぼらしくて無茶苦茶な婚衣を、そんなに幸せそうな顔で着けないでほしい。全然、似合ってなんかいないはずなのに。
でも、それを着けているキバナを見て、なにか、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。胸がつっかえるみたいにいっぱいになる。その拍子に目からぼろりと涙が落ちる。急に視界が歪む。まるで迷子が母親と再会したときみたいな安堵感が全身を包んでいた。嬉しい。キバナが俺の婚衣を身に着けてくれているのがこんなにも嬉しい。
「――――似合ってない」
絞り出した言葉は、贈った婚衣と同じく無様によれた。なんて格好悪い。似合ってないのに、こんなにも胸がいっぱいになって、幸せになることがあるんだろうか。変だ。
キバナが小首を傾げて、ふふ、と軽く笑う気配がする。
「ダンデ、」
優しく呼びかけられて、顔を上げる。涙で歪んだ視界に、あの穏やかなブルーが迫っているのが見えた。そして、唇に温かい感触があった。
ああ、キスされているのか。
翼のない人たちも恋仲になればそういうことをするのだと、俺はそのとき初めて知った。
終.
(ダンキバ有翼族パロディアンソロジー『今宵、箱庭にて』寄稿)
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