その装いを剥ぎ取って、
『次の問題です。まずは写真をごらんください』
豪奢にカールさせたブルネット。長い睫毛に縁どられたブルーの瞳。濃い褐色の肌。ほとんど顔しか映っていないが、ばっちりと上目遣いで微笑む姿は女に見える。化粧が濃いのはご愛敬。おかげで夜の蝶のごときけばけばしさだったが、まあ美女と言えば美女だ。回答者の女性陣から、綺麗、という声が上がる。気の利いたおためごかしをどうも。そんな気分でキバナは缶ビールを煽る。首から下は白いフェイクファーで覆われているので思ったよりも違和感がない。しかし、違和感がないのと美醜と似合っているかどうかは、それぞれ別の観点だとキバナは思っている。美しいか醜いかで言えば、写真の人物は美しい。男が女のようなメイクを施しているという事にも、別段嫌悪感が湧かない程度の仕上がりではある。そういう意味では違和感はない。しかし総評としてキバナは『似合ってはいない』と女を評する。ウィッグの色味も派手なルージュも、キバナが持ち得る生来の素材から目を逸らさせるためのものであってキバナを活かすものではない。むしろ殺すメイクだ。だから『似合ってはいない』。しかし、キバナはシンデレラにさせられた。メイクとカメラ技術と照明と、その他色々な魔法がかかったシンデレラがまさか2m近い男だとは誰も思うまい。
『さて、この美女は誰でしょう?視聴者の皆さんもお考え下さい!』
番組MCが煽る。それを見ながら、キバナは缶ビールをまた一口口に含んだ。我ながらよく化けたものだと感心する。隣に座っていたダンデなど、驚いたまま画面とキバナを交互に何度も見る。キバナは思わず笑った。その視線は確信的だ。卓越した観察眼を持つと言われているが、まさか一瞬で看過されるとは思わなかった。
「よく一発でオレさまだって分かったな」
「瞳の色が君だったから。この色は間違えようがない」
熱烈な言葉に、キバナは上機嫌に笑う。そうか。この男はここまでキバナの原型がなくなっても見分けるのだ。人間の顔をちゃんと認識しているのかいないのか、分からないような男が。その、優越感。
『ヒント1、男性です』
ええ、とスタジオで困惑したような声が上がる。このコーナーは、色々な人間に『魔法』をかける。プロのメイクとスタイリストが全力を出して美女を作る。往年のミュージシャン、不美人を売りにしている女コメディアン、俳優、現役プロボクサー、CMに引っ張りだこの子役。老いも若きも男も女も関係なくシンデレラに仕立て上げる。何枚か写真を見せて、さて、これは誰でしょうとスタジオに問うのだ。まさか自分がこれに出るとは思わなかった。だが横で見ているダンデの反応を見ていると、なかなか楽しい。ダンデはテレビを見て、うう、とかぐう、とか唸りながら本物のキバナを見る。そしてまた、恐る恐るテレビに視線を戻して唸る。どんな葛藤をしているのかは知らないが、こういうダンデが見られたのなら自分の我慢も報われるというものだ。
『では、二枚目の写真です』
次に出てきたのはファーを取っ払った、横顔のショットだった。白いドレスから伸びる腕は筋肉がよく分かる。撮影開始時は袖があるドレスだったのだが、撮影の最中に袖のないものに急遽替えられた。スタイリストの美感に合わなかったらしい。美女――――写真のキバナは、カメラから目を背け、伏せがちにしている。髪を乱し、腕を放り出し、喉仏を強調するように顎を上げる。どこか情事を思わせる。物憂げな表情だった。こんな顔したっけ、と自分でも驚いてしまう。それだけでシンデレラは男になった。それでも魔法は完全に解けない。シンデレラは男であっても美しかった。メイクと体格のアンバランスさは滑稽になりかねないのだが、瀬戸際のところで留まっている。この写真の時は、キバナも口を出した。一枚はちゃんと男に見えるショットを使ってくれと注文して、いくつかのポージングが検討されてこれに落ち着いたのだ。この体勢、意外にキープするのが辛かったんだよなあ、と思い出しながらキバナはテレビからダンデに視線を移す。ダンデは食い入るようにテレビを見ていた。
「………これはダメだろう」
ぽつん、と零れた呟きに、キバナは首を傾げる。
「何が?」
「お茶の間に流したらダメだろ、これは」
隣のキバナに向かって、何故か真顔で言い含めるように言う。いや、それを判断したのはオレさまじゃないし。
『ヒント2、趣味はファッションとSNSだそうです』
「なんで?」
「なんでって……その、えっちじゃないか?」
「露出は控えめのはずだけど?」
「そういうことじゃなくて……。とにかく、ああいう顔は他所でしないでくれ」
頼むから、と本気の声で言われて、キバナはますます浮つく。恋人からそういう風に言われれば、悪い気はしない。そして予想よりもダンデが狼狽えるのが楽しかった。横にダンデがいなければ、こんな番組見る気もしなかったが。
回答者が何人かの著名人の名前を上げるが、番組MCは笑顔で首を横に振り続けた。その度にスタジオは混乱する。
『それでは三枚目の写真です』
次は全身のショットだった。スリットから膝から上を出さないように、と散々言われながら撮られたものだ。スリットがあんなに深く入っているのに膝を出すなとは無茶な注文だよな、と今でも思う。ファーを中途半端に腕に絡ませ、不自然に傾ぎ、腰に手を当ててスリットから足をちらりと見せている写真。撮影時、これはどういうシチュエーションなんだと思っていたが、写真になると不思議とそういう違和感はなかった。しかし、全身が映るとどうしてもその長身が強調される。対象物として置かれた木製の椅子が恐ろしく小さく見えた。構図として椅子は邪魔だ。しかし、回答者から正解を引き出すためには重要なヒントである。なるほど、こうなるのかとキバナが感心していると、ダンデはとうとう頭を抱えだした。
「どうした?」
「……ムカムカする。ちょっと水飲んでくる」
いってらっしゃい、と手を振ってもダンデは何も答えずにずんずんと行ってしまう。キバナははて、と首を傾げた。何がそんなに駄目だったのだろう。しかも、ムカムカ。他に言いようはなかったのか。
『ヒント3、有名なポケモントレーナーの方ですよ』
あーっという絶叫と共に、回答者の半分ほどが競ってだんだんと回答ボタンを連打する。回答権を得たのは女性タレントだった。
『ナックルジムリーダーのキバナさん!』
『正解!』
ぴんぽんぴんぽんと気の抜ける音と共に回答者が称えられる。そこでVTRが差し込まれて、普段の―――女装姿ではないキバナが現れる。にこにことカメラに向かって愛想よく笑いながら手を振った。
『正解は、ナックルジムリーダー、ドラゴンストームこと、キバナ様でした~』
がお、とお馴染みのポーズをして、また手を振る。スタジオからは驚愕の声が上がる。あのキバナが、まさかこんな美女に?そんな困惑の声が溢れる。
その辺りでダンデがソファに帰ってきたので、キスで迎える。ん、と咄嗟に目を瞑ってキスを受けるダンデの顔は、少し疲れていた。
「落ち着いたか?」
「正直まだだ。でも終わったんだろ?」
「いや、これからメイキングが入ると思う」
え、とダンデは顔を引きつらせるが、容赦なくMCは宣言する。
『それでは、大変身の様子をダイジェストでどうぞ』
テレビの中ではメイクを施されていくキバナが五倍速で映される。指示通りに目を閉じたり、上を向いたり、口を半開きにする様子が高速で流れ、キバナがどんどん別人に変貌していく。そしてブルネットのウィッグをつけて、大体は完成したところで映像は通常の速度に戻される。
ふわふわとウィッグを内側から弄びながら、大女―――キバナはまじまじと鏡を見つめる。その表情は無だった。
『どうです?』
『……癖になったらどうしよ』
テレビのキバナがおどけて笑うと、スタッフも笑った。そこで、ぶつんと画面が真っ暗になる。見れば、ダンデが怒った顔でチャンネルを握りしめている。
「壊れるから離せよ」
キバナが咎めると、ダンデは乱暴にチャンネルを放り出してキバナに抱き着いてきた。結構な勢いだったので受け止めた衝撃で、ぐ、と妙な声が出る。
「……今後、ああいう仕事は控えてくれ」
ああいう、と言ってキバナは首を傾げる。
「女装すんなって?これ一回だけだから安心しろよ」
そもそも、番組コンセプト的に二回目の出演はないだろう。だからキバナも受けたのだ。一度だけだと分かっているから許した、と言い換えても良い。あまりにもオファーがしつこいのと、スポンサーからも根回しが入ったので受けたのだ。スポンサーのひとつが番組広告出資者だった。それが決め手だった。撮影後、プロデューサーからは次は回答者として是非、とラブコールを受けたが、その場できっぱりとお断りしている。もう今後一切関わりたくない。趣味ではない格好、好きになれないおべっかを振りまいて、オンエアー越しには気の利かないコメントまで頂戴した。笑い者になるのは一度きりで十分だ。
そもそも、今の自分以外の何かになるなど真っ平御免だとキバナは思っている。己が引き立つように飾るのは結構だが、女装はキバナの趣味にそぐわない。女を装う、というのは考えてみればかなりジェンダー的な視点だ。女だって女を装う。男も女を装って構わないが、キバナは自分が進んで女装をするかと言えば答えはノーだった。ジェンダー的にもセクシュアル的にもキバナは自分を男と認識している。自分には女を装う理由がないのだ。女になりたいと思ったことはない。ダンデに抱かれている時でさえ、自分は男だという認識が揺らいだことはない。
今の自分とは違う何者かになるというのは変身願望と言う。言葉は知っていてもキバナはその願望を上手く理解できない。生まれ持った自分以外の何かになるなど、想像もしたくない。こうあれたら、というのは弱音だ。理想の自分。本当の自分。そういう夢想の自己自認をキバナは拒む。何年もかけて努力を重ね、歩み続けてきた今の自分を誇っているからだ。今この地点に立つ自分こそが自分の選んだ最高の己だと、キバナは全世界に宣言できる。
だから、ダンデの心配は杞憂だ。
「違う。ああやって他人にされるがままの君を、俺に見せないでくれ」
されるがまま。言われて脳裏に閃いたのはメイクを施されている自分だった。
「……メイクされんなって?仕事なんだけど」
「メイクされるのは、まあ仕方ない。俺も取材とかでされるしな。だけど、そういう様子は俺に見えないようにしてくれ。気が狂いそうになる」
「うわ、すげえ束縛するな」
キバナが上機嫌に笑えば、ダンデは対照的に不機嫌そうに眉根を顰める。
「だって、君があんなに無防備にするから……見てられない」
「なあ。それって嫉妬?」
問えば、ダンデは一瞬虚を突かれたような顔をした。そんな恋人を前に、キバナの機嫌はますます上がる。
「なあ、答えろよ」
「……君のお望みの答えを言いたいが、正解が分からないな」
そうだなあ、とキバナは考える振りをしながらダンデの膝に乗っかる。ダンデは重いぜ、と言いながら脚を撫でた。満更でもないくせに。
「おみとおしなの悔しがって、『イエス』って言えよ」
「注文が多いな」
「オレさまはそれをお望みなんだよ。叶えてくれるか?」
ダンデは少し考える素振りをした。そして少し眉を顰める。鼻に皺を寄せ、唇を震わせて噛みしめる。何かを言おうとして、閉じて。言葉にならない、とでも言うように。そんな表情を正面から見たのはこれが初めてだった。スタジアムではまだ見れていない表情で、ダンデは悔しさを語る。それを惜しげもなく晒してみせて、ダンデは低く絞り出すように答えた。
「……イエス。嫉妬だ」
嫌味なほど良い演技だった。うっかり本心から言っているのではないかと思うほどに。何度もダンデに勝利する瞬間をイメージしてきた。それでも、この表情だけはキバナには想像も出来なかった。具体的に想像しようとすればするほどその顔は真っ黒に塗りつぶされ、眉ひとつ、鼻筋すらも夢に描かせなかった。キバナだけではない。ガラルでは10年、この男からこの顔を引き出した者はいない。この男は、負けたときこんな顔をするのか。
そう思いながらまじまじと見つめていると、ダンデの方もじっとキバナを見上げた。その表情は、もういつも通りの彼だった。何でもないような涼しい顔をして、余裕たっぷりに微笑んで見せる。彼はチャンピオンを装う。そして男をも装う。太い指を意識させるようにゆっくりとキバナの髪をすくって耳に掛けてやる。そのまま体を引き寄せられて、ダンデの分厚い体に抱き込まれる。ダンデはキバナを抱く前には殊更、男を意識させるように接触を繰り返す。言葉でなく、今から始めるぞと言われている。それが小憎たらしい。
「これで良いのか?」
熱っぽく耳元で囁かれて、くすぐったさに身を捩った。ご褒美に、と軽く頬にキスを贈る。
「グッボーイ、ダンデ。よく出来ました」
ダンデはパッと明るく笑うと、もっと、と言うように腰を撫で、尻を揉み始める。熱い手があちこちを撫でまわすのを、こらこら、と軽く嗜めるが止まる様子はない。
趣味でもないのに女を装った甲斐はあった。充足感に笑いながら、二人でベッドに倒れ込んでいった。