風流にはほど遠い
「んっふふ。何だよ、お前。なんでそんな変な顔してんの。まあ良いや。……えーっとどこまで話したっけ。そうそう、今日のリーグ。オレさまがネズとやってたの、お前見てた?ネズの読みがヤバかったヤツ。いやーもー完敗って感じだった。一々指示に無駄がなくってマジでキレッキレだったよなあ。ホント、何やっても読まれてたわー。完全に掌で転がされてた。いやもう流石って感じ。成す術なし。お手上げ。お前とは逆にぐだぐだになったみたいだけど、マジでネズはいつもああいう戦い方いつもしてくれって思うよな。オレさま別にファンじゃないけど、キレてるネズやっぱめっちゃ好きだわ。やっててメチャクチャ楽しいもん。最初からアクセル全開で勝ち筋一手一手詰めてくる感じ、マジでぞくぞくするんだよな。ん?ああ、違う違う!勘違いすんなって、お前とやってんのが一番だから。お前とやんのが一番楽しいから、な。あーもう拗ねんな拗ねんな!あはははは。何だよ、ばーか。うわ、恥ずかしーヤツ。んふふふ。あーでも話してたらちょっと腹立ってきた。やっぱさー、自分がバトルしてんのに試合中に相手に惚れ惚れしちゃったのはちょっと悔しいよなー。いやでもさ、そんだけ良い動きされるとさ、試合中でもやっぱりウワーッて思うじゃん。これ読んでこう詰めてくるのかなるほどなー、みたいなさ。いや、もうな。今日のネズには惚れたわ。お前との試合のグダグダさで完全に醒めたけど。……んふふ。ほら、これでいいかよ?ほら、機嫌なおせって。な。あーあとさ、惚れ惚れと言えばさ、今日カブさんもヤバかったんだよ。相性不利の……たしかオリヒメ選手だっけか、あの子相手にメチャクチャ善戦してたんだよ。いつも良いところ見せれずに敗退してたのにさ、今日はばっちり対策して最後の一体まで行ってたんだって。マジでマジで。削り合いまで持ち込んでこれはって思ったんだけどなー。ウー悔しい!ホントに!見てるオレさまが悔しくなるような良い試合だったんだって!いやマジで。あとでログ見ろって、すげーから。カブさん激アツだから。そんでお前とネズの試合見ながらカブさんとさ、いやーお互い今日は負けたけど良い試合しましたねーみたいな話しててさ、そう言えばもうすぐ重陽の節句だねって言われて。重陽って知らなかったから何ですかそれって聞いたんだけど。えーっとなんだったっけ。9月9日は9が二つ重なるからオンミョー思想的に陽の気がウンチャラでえーっと、何か良く分かんねーけど何かあるから酒を呑むんだよ。酒に菊浮かべたりして呑むって言う。あーウンチャラが思い出せない。ウー、ちょっと待ってろ、ウンチャラがなんだったか思い出すから。カブさんに説明してもらったからちゃんと分かってるはずなんだよ、うん。えーっとなんだったっけ。月の札と菊酒の札と桜に幕の札で『月見で一杯、花見で一杯』で役が付いて、カブさんは花見酒が好きで、んんーと、違うなこれ。これは脇道だった。なんだっけ。思い出す。思い出すから待ってろ。えーっと……陽の気が強いから、えーっと……あー、うん。忘れた!あっははははは!いやまあ良いんだよ、どーせあるのは月と酒だけなんだから!お前と呑めればそれで!ははははは!それよりさ、今日のオレさまとネズの試合見てたか?」
ダンデの膝の上で上機嫌で捲し立てるキバナを見ながら、深々と溜息を吐く。その話はもう何回目なんだ、とは聞かない。聞いたところでマトモに答えが返ってくるはずもない。酔っ払いの言を真に受けるなら、ダンデが呼ばれたのは一言で済んでしまいそうな理由だった。それはいつだってそうだ。それは分かっている。ただその一言を待つあまり、ダンデは全く興味のない話を何十分も聞かなければならなかった。今日は遅刻をしなかったのでネズの調子が良かったのは見ていたし、他の試合にもすべて目を通していた。だから、たった一言以外はダンデにとってサダイジャの絵に足を描き足すような行為でしかない。
酔っ払いのキバナの話を要約するとこうだ。カブさんに何かの拍子に月見酒という文化を教えてもらった。それで、それをダンデとそういう風流なことをしてみようという気になったのだ。今日はスタジアムで顔を合わせられなかったから野良バトルでもどうだと誘われて、ダンデも喜んで受けた。バトルが終わってその帰りに呑もうと切り出されて、良いぜ、それじゃあ、という流れだ。
お前と呑めるならそれで。
聞いたとき、一気に体から力が抜けていくのが分かった。そのたった一言を言うためにどれだけ時間と酒をかけてるんだ。この言葉が出てくるまで何回も何回も何回もネズの話をされて、カブさんに教えてもらったというふわふわな知識を披露されて、それを根気強く聞き流したり相槌を打ったりして、ようやくだ。疲れた。話が一周するたびに何故かキバナはダンデとの距離を縮めてくるし、酒の瓶がひとつ床に転がった。おかげで呑み始めは向かい合って座っていたはずなのに、現在キバナはダンデの膝の上だ。
酔っているキバナはおかしいくらいに距離感がバグる。今なら何をしても殆ど怒られないので、ダンデもこれ幸いと色々と触りまくっているが。主に足や腹。何気なく撫でたりして反応を見ているが、キバナは全く気にした様子がない。
ダイニングの腰窓から外を覗くと、満月がちょうどバトルタワーの真上あたりで皓皓と輝いていた。さっきからキバナは月など見ないで、ダンデの顔ばかり見ている。ダンデも、キバナの顔しか殆ど見ていなかった。最初こそちびちびと酒を舐めながら二人で月を愛でていたが、キバナがダンデに腕を伸ばしたあたりから殆ど見られることもなくなってしまった。元々、そういう風雅な趣味はダンデにはないのだ。
「ああ、見てたぜ。……それで、月見酒って言うのはこれで合ってるのか?」
「さあ」
キバナは上機嫌に笑いながら、また少しグラスを傾ける。頬はさっきから緩みっぱなしだ。その無防備な顔に、そんなに許されてもなあ、と思わなくもない。ふふふ、と上機嫌に笑って、キバナはグラスを置いた。そしてダンデの髪の間に指を突っ込んで、ゆっくりと手櫛で梳いていく。その瞳はいつもよりとろりと甘い色をしていて、優しくうるんでいた。
「あのな。オレさま、来年もお前とこうして酒呑みたいワケ」
そっと呟くように言われた言葉に、来年だけで良いのか、と意地悪く返しそうになって慌てて口を噤む。来年だけなんて、ダンデは嫌だ。来年も、だなんてそんないじらしくて慎ましいことを言わないでほしい。もっと欲張りになって、素直になって、これから先ずっと、と打ち明けてほしい。でも、ここで焦ってはいけない。チョウヨウだか何だか良く分からないことを理由に尋ねて来なくても良い間柄になるために、一つ一つ段階を踏んでいる途中なのだ。もっと遠慮なく、いつだってお前といたいと言えばいいのに。なのにこの男は、ダンデがどういうつもりなのかなど知らないような顔で酒に誘ってくる。素面だと自分がどういうつもりなのかも分かっていないような素振りをするから、本当に知らないのかも知れない。キバナがダンデに積極的に接触するのは、決まって酒の席だけだった。素面のときでもそういうことは遠慮なく言ってくれればいいのに、キバナは言わない。その無駄な奥ゆかしさが歯痒い。
「ああ……。うん、そうだな」
「なんだ、そのパッとしない返事。オレさまと呑むのは嫌だとか言うなよ」
「違う違う。そうじゃなくて、君、呑みすぎじゃないのか」
「んんー……。でもさあ、せっかくだしもうちょっと呑もうぜ。なあ?」
甘ったるく、なあ、と言われて背筋が粟立つ。酒で前後不覚のくせに耳元でそういう声を出さないでほしい。いろいろなものを溜息一つで押し流して、キバナの頬に視線を移す。無駄な肉のない薄い皮の頬だ。歯を立てれば容易く破れて、血が流れるのだろう。この肌に血を乗せるのは、少し興奮する光景かもしれない。劣情ではなく、単純に闘争本能が刺激されるという意味の方で。
「なに見てんの」
「おまえ」
なにを当たり前のことを聞くのだろう。この至近距離で他のものが見えるはずもないのは分かっているだろうに。ダンデは淡々と返しながら、さてどうしたものかな、と思案する。これはこれで楽しいが、近すぎてキバナの顔が見られないのは如何ともしがたい。かと言って膝から下ろすのも勿体ない。せっかく自分から来てくれたのだから、もっとじっくりキバナを触っておきたい。
「んふふ。お前、ずっとオレさま見てるな。そんなに好き?」
「好きだぜ」
さて、言ってやったが、キバナはどう出る。
間髪入れずに言ってやった。完全に不意を突いたはずだ。それなのに、キバナは特に表情を変えることなく笑うだけだった。その様子に拍子抜けしてしまった。ダンデの頬を、小型のポケモンをくすぐって愛でるように、指先だけで撫でていく。
「そりゃどーも」
「喜んでくれないのか」
「素面で言ってくれたらもうちょっと喜ぶかもしれないけど、今このタイミングじゃ無理」
「奇遇だな。俺も似たようなこと思ってたぜ」
「なんだよ、両想いじゃん」
「そうだな。俺は結構前から知ってたぜ」
「あははは。酔いすぎ。お前こそ、もうやめとけば?」
「うーん、そうか?」
「そうだろ」
二人で顔を見合わせて、どちらともなくゲラゲラ声を上げて笑った。酷い会話だ。素面では絶対に言わないことの応酬。素面ではまずこんな体勢にならないし、こんなにベタベタ触らない。キバナは笑いすぎたのか、目尻に涙を溜めていた。それをちょっと指で突いてやると、簡単にぼろっと落ちていった。キバナは笑って、ダンデにも同じようにやり返す。ダンデの方も、一粒涙がこぼれる。べったりと腹をくっつけ合って、完全に上半身を密着させる。なんだこの体勢、と思えば思うほど笑える。キバナがそれを制するように肩を叩いてきたが、構ってられない。ふと、視線が絡み合って見つめ合う形になった。お互いに挑発的に笑い合う。
「キスでもするか?」
「キスとかしちゃう?」
同時に放られた冗談に、二人で一瞬虚を突かれるたようにぽかんと間の抜けた面を晒す。そのお互いの顔で、じわじわと笑いの波が来た。どんなタイミングだ。どちらともなく笑い、肩を叩き、いつの間にか二人で箍が外れたように笑って、キスの代わりに力いっぱい抱きしめあった。そんな力任せの色気のないハグで、もうキスをする気にはなれなかった。
そうして今年の夏も終わっていく。