みなさんは精霊を見たことがあるでしょうか。ある人はとても貴重な体験をしましたね。ところで、その精霊をどこで見かけましたか。森でしょうか。泉でしょうか。それとも裏庭に咲いている花の影でしょうか。豊かな森や清らかな泉、瑞々しい花の影に精霊がいるように、広大な砂漠にも精霊は住んでいます。今日は、そんな砂漠の精霊のお話をいたします。
砂漠の精霊は、ほかの精霊と同じようにめったに人の前に姿を現しません。いつもは蜃気楼のなかにある、白亜のお城で愉快に暮らしているのです。砂漠の精霊はみな黒い艶やかな肌をもっていて、すらりと長い手足をしています。なかでもいちばん美しく、立派で、背が高いのが砂漠の精霊の長と決まっています。今の精霊の長の名前を、キバナといいました。蜃気楼のなかの白亜のお城はキバナのものです。砂漠の夜空にまたたく星々は彼の持つ宝石で、オアシスは小精霊たちのために彼があつらえたベッドでした。
キバナはとても力の強い精霊で、砂漠で思いどおりにならないことはありません。天気だって思うがままです。砂漠を行く旅人は、必ずキバナのご機嫌を伺わなくてはいけませんでした。
「どうぞ砂嵐を起こさないでください」
「日照りがあまり続きませんように」
「雷雨にあいませんように」
人々はキバナに祈るようにお願いしながら砂漠を行きます。キバナは穏やかな精霊ですので、人がすこし砂漠を横ぎるくらいのことでは怒りません。けれども挨拶もなしにオアシスで勝手に休んだり、精霊をいじめたりしたと知ると激しく怒ります。砂嵐にとじこめて、どんなに逃げようとしても出られないようにしてしまうのです。なので、砂漠の人たちはキバナの怒りをとてもおそれました。そんなキバナのことを、砂漠の王さまと呼ぶ人もいました。
砂漠の人たちはキバナのことを怖がりますが、キバナの方はとても人間のことが好きだったので、たびたび人の前に姿を現しました。とくに、砂漠で道に迷って困りはてている人間をキバナはたくさん助けてあげました。そういう人たちの言うことには、キバナはオアシスの水の深いところのような美しい目を持っているそうです。その目で見つめられると、人間はもちろん、精霊でもぼうっとなってしまって、キバナの傍から離れたくなくなってしまうのです。そして声をきくと、自分の家の帰り方も忘れてしまうと言います。キバナの魔力が強すぎるので、ふつうの人間はキバナを見たり声をきくだけでおかしくなってしまうのです。
それに、キバナも人間にとびきり優しく親切でした。砂漠の王さまと呼ばれる偉大な精霊の身でありながら、ほんとうの友だちのように手を引いて砂漠を案内してくれるのです。こんなに美しくて強い精霊が偉ぶらずに気さくに声をかけてくれるものですから、人間は自分がとても素晴らしいものになったのではないかと勘違いしてしまうのです。
そうやっておかしくなった人間は、キバナから片時も離れようとしません。招かれてもいないのに蜃気楼の城にまでついていき、うっとりとキバナの瞳をのぞきこみ続けるのです。そうして最後にはきまって、
「キバナの傍にいたい」
「ずっと傍にいても良いだろうか」
とずうずうしくも許しを乞うのです。その言葉を聞くたびに、キバナは美しいブルーの瞳を潤ませるのでした。
「オレさま、そういうつもりじゃなかったのにな」
キバナはそう悲しそうに言い、そして人間を砂漠から追い出すのです。追い出された人間は、気が付けば人の街に置き去りにされています。そうして二度と砂漠に足を踏み入れられなくなってしまうのです。キバナのお城にもう一度行こうと思っても、砂漠に一歩踏み出すといつの間にか街に戻ってきてしまうのです。まるで蜃気楼のなかに迷いこんだようなあんばいでした。追い出された人間はキバナにもう二度と会えない悲しさと恋しさに気が触れて、長くは生きられないそうです。
そういう人間が何人か出て、キバナはいつしか人間の前にあまり姿を見せなくなりました。人間が砂漠で迷っても、キバナは助けてくれなくなりました。
ある日のことです。キバナは砂漠で迷っている人間がいると聞きました。いつもは気にしないようにしていたのに、小精霊たちが城の水辺で噂しているのをうっかり聞いてしまったのです。キバナは悩みました。また人間の前に姿を現すのがひどく億劫だったのです。けれどもそのままにしておくこともできません。キバナはとても善良な精霊だったのです。
「どうしても。どうしてもオレさまの力が必要になりそうなら……」
そう言いながら、キバナは水鏡を覗き込みました。水鏡には砂漠で迷子になっている一人の男が映り込みました。薄明の空のような色の髪に、輝く金の瞳、よく日に焼けた肌。美しい精霊たちの長であるキバナでも、はっと息を呑むような美丈夫です。若者は包みを大事そうに抱えていました。そしてときおり、その包みに向かって話しかけているのです。なにを言っているのだろうと耳をすませると、水鏡から若者の声が聞こえてきます。
「ホップ、もう少しだからな。がんばれ。がんばれ……」
よく見ると、包みからは若者と同じ色の髪が少しはみだしています。どうやら若者は小さな弟をつれてこの大砂漠をいこうとしているらしいのです。弟は力なく、ほにゃあと泣きました。
なんてことでしょう。若者の弟は赤ちゃんだったのです!
「こんなに小さな子を砂漠につれてくるヤツがあるか!」
キバナはあわてて若者の頭上に雲を出してやりました。それから涼しい風も送ってやります。それでも弟はほにゃあ、ほにゃあと泣き続けます。きっとお腹も減っているのでしょう。キバナは焦れました。どうにか助けてあげたいのですが、姿を見られるわけにはいきません。また人間をおかしくしてしまいます。けれど、ここでキバナが手を貸してやらなければきっと二人いっしょに砂漠をこえることは出来ないでしょう。
「精霊たち、手伝ってくれ!」
キバナがそう叫ぶと、精霊たちはよろこんで飛んできます。この精霊たちはいつもキバナの身の周りのお世話をしている精霊たちです。
「あの人間たちにオレさまの姿が見えないようにしてくれ」
キバナがそう命じると、精霊たちはくすくす笑ってキバナの頭にすっぽりと金の豪奢な布をかぶせました。それから、
「かわいいお顔、よいお顔。雲にかくれるお月さま。岩間にかくれるひつじのこ。かくれておいで、かえるまで」
と歌いました。するとどうでしょう。布はキバナにぴったりとくっついて、口元と指先しか見えないようにしてしまいました。目も顔も殆ど見えなくなってしまえば、キバナはまるで高貴な巡礼者のように見えました。つまり、ただの人間のように。
キバナは精霊たちにお礼を言って、急いでお城を出ていきました。そして一陣の金の風となって砂漠を翔けていきます。びゅんびゅんと砂丘をいくつも越え、オアシスを通り越します。そして、若者の前でぴたりと足を止めました。若者は急に現れた貴人に目を白黒させるばかりです。
「きみは?」
若者がキバナに尋ねました。キバナは名を名乗るのをとまどいました。キバナの名前を知らない人間が、この砂漠を渡ることなどありません。キバナは一瞬まごついて、それから嘘を吐きました。
「オレさまはライハン。お前はどこにいくんだ?」
キバナは嘘を吐くと、胸がちくりと痛みました。
「俺はダンデ。この子を医者に診せにいくところなんだ」
そう言って若者―――ダンデは、抱えた布を少しずらしてキバナに弟を見せてくれました。弟は、金の瞳もふわふわの紫の髪の色もダンデにそっくりです。けれども顔色が悪く、ぜいぜいと苦しげに呼吸をしています。そしてキバナを見るなり、ほにゃあ、と弱弱しく泣きました。
「医者? それならお前の住んでいるところにもいるだろ」
キバナが聞くと、ダンデはぎゅっと眉を寄せて俯きました。その時の険しい表情に、キバナまで苦しいような気持になりました。
「近所のはやぶだ。こんなにゼーゼーいってるのに、大丈夫だなんて言って帰そうとしたんだ」
そう言うと、ダンデは丁寧に布を戻し、しっかりと弟を抱えなおしました。医者にみせにいくとなると、歩き続けても一晩はかかります。
キバナは少し迷いました。精霊の力を使えば助けることができます。でもそうすれば、キバナが人ではないことは分かってしまうでしょう。
「オレさまがみてやるよ」
でも、命には代えられません。キバナは意を決して申し出ました。ダンデは驚いた顔をして、キバナの顔を覗き込もうとします。
「きみ、医者なのか?」
「まあ、そういうこともできる」
キバナは言いながらホップの額に手を当てました。そして唇をホップの額にちかづけ、こう囁きました。
「砂漠の雨。月のひかり。世の慈しみを集めよう。砂漠の加護をお前に与えよう」
キバナの言葉にこたえるように、ホップの額がほのかに青白く光ります。光はホップの呼吸に合わせて明るくなったり、暗くなったりしました。キバナは体を起こすと、ホップの頭を優しくなでました。するとどうでしょう。さっきまで苦しげだった呼吸は少しずつ穏やかになり、そして光もそれにつれて弱くなっていきました。ホップが穏やかな寝息を立てるころには、光は消えていました。
その光景を、ダンデはじっと黙って見ていました。
「さあ、もう大丈夫だぜ」
キバナはダンデに何と言われるだろうと内心ひどく困っていました。けれどもダンデは何にも言わず、キバナの手を取ってしっかりと握りしめました。
「ありがとう。君のおかげで助かった。君はホップの命の恩人だ」
そう言いながら、ダンデは朗らかに笑いました。その笑顔を見て、キバナはほっと安心すると同時に後悔してしまいました。ホップが治ったのならば、いつまでも砂漠にいる理由はありません。ダンデとホップは家に帰らなければいけないのです。
「そっか。帰り道は分かるよな?」
「………悪い。オレはどうも方向音痴らしいんだ」
ダンデは困ったように眉を下げてそう言いました。キバナはホッとしました。もう少しだけ、ダンデと一緒にいられそうです。キバナはにっこりと笑いました。
「じゃあ送っていく」
「そこまでしてもらって良いのか?」
「良いよ。でもその代わり今日のことは誰にも言うなよ」
キバナが何気なく念を押すと、ダンデはすぐに真顔になりました。そして、キバナの手を強く握り直しました。
「じゃあせめて、本当の名前を教えてくれないか。ちゃんとお礼が言いたいんだ」
キバナは迷いました。知ってほしいと思うと同時に、知られてしまってはもう会いに来てくれないのではないかと恐れたのです。自分は人間にとって怖いものではないかと思っていました。キバナはときに激しく怒り砂嵐に迷わせ、ときに人間を惑わすものです。その自分が名乗って、ダンデにこんなに真心こめてもう一度話せるでしょうか。
それでも、キバナは一度で良いからダンデに名前を呼ばれてみたいという気持ちに抗えませんでした。そしてとうとう、観念してしまいました。
「――――キバナ」
キバナは本当に小さな声で、そう言いました。けれどもダンデはしっかりと聞き取って、それからもう一度キバナの手をぎゅっと握りました。
「キバナ。ありがとう」
キバナの胸にはたくさんの感情がおしよせて溢れそうになりました。どうしようもないほど嬉しくもありましたし、悲しくもなりました。金色の目で見つめられると、むしょうに泣きたくなるのです。
キバナはダンデに何も答えることができませんでした。ただ、ダンデの握りしめた手をぎゅっと握り返して、くるりと背を向けました。そして手を繋いだまま、ゆっくりと砂漠を歩きはじめました。二人はなにも言わず、ずっと砂丘をのぼり、オアシスを通りすぎました。ふしぎなくらいに足が重く、このまま蜃気楼の城に連れ帰ってしまいたいと思いました。けれども、キバナは歩き続けました。そうして歩き続けて、月が隠れる前にダンデの住んでいる村が見えてきました。
キバナは手を離して振り向きました。ダンデはホップをしっかりと抱えて、キバナに向かってにっこりと笑いました。
「さよなら、ダンデ」
「さよなら、キバナ。本当にありがとう」
そう言って、ダンデは自分の村に向けて歩いていきました。ダンデは、ときどき振り返っては大きく手を振りました。けれどもキバナは振り返さずに、じっとダンデが村に入るまで見守っていました。
それからと言うもの、キバナは毎日が憂鬱でした。ふとするとダンデはどうしているだろうと考えてしまいます。目を閉じれば、別れ際に残していったあの笑顔を思い出します。そして、どうしてあのとき手を振り返さなかったのだろうと後悔したり、いや、あれで良かったのだと思い直したり、そういうことを何度もくりかえしました。くりかえし、くりかえして、なんだか寂しくて疲れてしまいました。
「オレさま、どうしちまったんだろうな」
キバナは精霊に髪を梳かせながら、そうぼやきました。精霊はくすくす笑いながらこう言いました。
「キバナさまは恋をしたのね」
恋と言われて、キバナはようやく自分の感情がすとんと落ち着くべきところに落ち着きました。恋。これが恋なのです。キバナがおかしくしてしまった人間たちも、きっとキバナに恋をしたのでしょう。そのことに、キバナはようやく気付きました。
そして暗澹たる気分になりました。
「でも、ダンデはオレさまの顔も知らないだろ。嘘だって吐いてた。それで好きになってもらえるわけないよな」
自分のしたことは、あの人間たちがキバナにしたことよりもずっと悪いことです。キバナがあの人間たちを好きになれなかったように、ダンデもきっとキバナのことを好きになれないに違いありません。
「あら、めずらしい。臆病になってるの?」
精霊は気安く言いながら、キバナの髪に細かい宝石を編み込んでいきます。小さな宝石たちは、まるで朝露のようにキバナの髪を飾りました。
「大丈夫よ。あの人間、顔を見ていなくてもキバナさまに夢中だったもの」
「そんなの、見てもないくせに」
キバナが唇を尖らせると、精霊は笑いました。そしてキバナの爪をぴかぴかに磨きあげます。するとキバナの爪は美しいファイアオパールのように輝きました。
「あら。水鏡を使えばだれでも見れるわ」
精霊が何気なく言いますと、キバナはぎょっとして振り向きました。精霊は悪びれもせずににこにこと笑っています。
「見てたのか?」
「ええ。ずっと見てましたとも」
キバナは深く溜息を吐いて、ぱちんと指を鳴らしました。すると精霊はたちまち雷に打たれ、羽根を失ってしまいました。羽根をなくすと、精霊はもう力を使えなくなってしまいます。精霊はそのまま、お城を逃げ出すようにして出ていかなければいけませんでした。
キバナはダンデが恋しくて、こっそりと人間の村へ行ってダンデを探すようになりました。そのときには、かならず人間に見えるように魔法をかけてもらいました。あの時と違うことは、村にいても不自然じゃないように地味な布で装っているということでしょうか。口元と指先しか見えなければ、人間たちはキバナの持つ魅力と魔力にあてられておかしくなったりはしません。
キバナは村へ行って、とおくからダンデを見ていました。話しかけたりはしませんでした。驚かせたり、迷惑がられたりしたらきっと悲しくてたまらなくなってしまいます。
今日のダンデは市場で買い物をするようです。ダンデは人混みのなかにいても不思議なくらいに目立ちました。けれども、もっとしっかりと姿が見えないものだろうかとキバナはやきもきします。そうしてちらちらとダンデの横顔を見ていると、あの金の目を間近に見たくてたまらないときがありました。握った手の熱が恋しくなるときがありました。こうしてとおくからダンデを見ていると、そうした感情はどんどん大きくふくらんでいくようでした。
そしてついに、キバナは我慢できずにそっと人混みにまぎれてダンデにこっそり近付くことにしました。キバナはなるべく目立たないように腰を丸め、ぎゅっと首元の布を握りしめました。魔法がかかっているのですから風で飛ばされることはないとは分かっていても、それでも胸がどきどきしました。あと数歩でダンデを追い越す、まさにそのときです。ダンデが急にパッと振り向いたのです。キバナはぎくりとして歩みを止めてしまいました。ダンデとキバナは、雑踏の中でしばらく見つめ合いました。ダンデはゆっくりと歩み寄ると、布を握りしめているキバナの手をほぐして握りました。そして信じられないものを見る目で、キバナを見つめました。
「キバナ。君、どうしてここに?」
「ダンデ……」
キバナは頭が真っ白になりました。ここまで来た理由を、ダンデになんと言って説明すればいいのでしょう。キバナが戸惑っていると、ダンデは力強くキバナの手を引いて抱きしめました。はじめてのことに、キバナは困り果てました。
「どうして? なんでオレさまだって分かったんだよ」
ささやくように聞けば、ダンデはキバナをますます強く抱きしめます。
「君に会いたくて、ずっと砂漠を探してたんだ。そしたら、きみを知ってるって人と会ったんだ。水をあげたら、君の爪のことを話してくれた」
それを聞いて、キバナは自分の爪に目を落としました。そこにはサファイアオパールのように輝く爪がありました。それは、キバナが罰として羽根を奪った精霊が残していった最後の魔法でした。
キバナの胸はぎゅうっと切なく締め付けられました。それを忘れようと、キバナはダンデの首に手を回してこたえました。
「オレさまも、ダンデに会いたかった」
二人は抱き合ったまま、雑踏のなかに佇みました。頬を摺り寄せながら、二人はお互いの熱を確かめました。キバナの玉の肌を、ダンデの髭が軽く引っ搔いていきますが、そんなことは気になりませんでした。
「たまには君に会いに行ってもいいか?」
甘く耳元でささやかれて、キバナは自分の感じていた寂しさや疲れが満たされていくのを感じました。ダンデが離す言葉ひとつひとつが、キバナの胸を癒していきます。
「たまになんて言うなよ。オレさま、ダンデにずっと傍にいてほしい」
キバナにとって、それはありふれた言葉でした。けれども、はじめて自分で言った言葉でもありました。キバナはみんなから望まれましたが、自分から望んで欲しいと乞うことなどなかったのです。
「本当に? 嬉しいこと言ってくれるな」
「嘘じゃない。なんなら、今から連れ帰っても良いんだぜ」
キバナはそう言いながら、ようやくダンデから身体を離しました。ダンデがどんな顔をしているか、見定めなくてはいけないと思ったのです。
ダンデは笑っていました。明朗に笑って、キバナを優しい眼差しで見つめていました。
「それこそ、俺の望むところだ」
もうなにも疑う余地はありません。ダンデもキバナのことを深く想ってくれていたのです。
「いったな」
キバナは笑いました。キバナはするりと布を外すと、ダンデの前にほんとうの姿を現しました。黒い髪、艶やかな肌、カゲロウのような繊細な羽根、澄んだオアシスのような色の瞳。輝くほどに美しい、砂漠の精霊の長がそこには立っています。そしてキバナはにおいたつように艶やかに、にこりとひとつ笑ってみせました。その魔力に、いったい誰があらがえるでしょう。
人混みはいつのまにか、一人残らずキバナに魅入られてしまいました。雑踏全体が急にしんと静まり、みんながキバナから視線が外せません。ダンデもキバナの美しさに惚けてしまい、指一本動かせなくなってしまいました。そんなダンデを見て、キバナはますます笑みを深くします。キバナはダンデの頬を撫でると、自分を包んでいた布でダンデをすっぽりと覆ってしまいました。そして指をひとつ鳴らすと、ダンデもキバナもその場から霧のように消えてしまったということです。
残されたのは、キバナに魅入られた人々です。あの場にいた人たちは夢に見るほどキバナに恋焦がれましたが、キバナは彼らに姿を見せることはありませんでした。恋人を得たのですから当然です。魅入られた人々はみんなふぬけのようになってしまって、失恋の失意のなかで生きねばなりませんでした。
それから二人がどうしたかですって? 風のうわさでは仲睦まじく、蜃気楼のお城で暮らしているということですよ。私が話せるのはここまで。なにせ、もうあのお城をお暇をして長いものですから。
終.
(ダンキバ人外アンソロジー「Pandora's BOX」寄稿)