南田原の風景には、目に見える寺社仏閣だけでなく、古代から人々の暮らしに寄り添ってきた、もう一つの祈りの形があります。それは、集落の守り神として大切にされてきた「七森(ななもり)信仰」です 。
地域の人々から親しみを込めて「モリさん」と呼ばれる、七つの聖なる森。そこは、疫病などの邪悪なものが集落へ入るのを防ぐための、神聖な結界でした 。
「モリの木を伐ると激しい祟りを受ける」。戦時中の燃料が不足した時でさえ、人々は決してモリの木に手をつけなかったといいます 。その禁忌の物語は、この信仰がどれほど人々の心に深く根ざしていたかを物語っています。
この記事では、開発によって姿を変えながらも、今なおその記憶を伝える「モリさん」たちの跡をたどり、この土地の人々が何を大切に守り継いできたのか、その精神文化の深層へと旅をします。
南田原の七森は、集落を取り囲むように点在し、それぞれが独自の物語と信仰の形を持っています 。
1. 南所の森さん
静かな住宅街の一角に、二基の石仏がひっそりとたたずんでいます。ここが、南所垣内にあった森の跡です。かつては常緑樹の深い森の中にありましたが、平成5年(1993年)の宅地造成のため、現在の場所に移されました 。姿は変わっても、ここが聖なる場所であった記憶を、石仏たちが今に伝えています。
2. 峯の森さん(星が森)
峯南垣内の小高い杜にあるこの森には、「山形 森神」と刻まれた碑が祀られています 。この杜の地主神を祀ったものと考えられ、天正7年(1579年)の銘を持つ五輪板碑も現存するなど、戦国時代からの信仰の歴史をうかがわせます 。
3. 岡村の森さん
岡村垣内にあったこの森には、室町時代末期のものとされる阿弥陀石仏二体をはじめ、多くの石造物が残されていました 。時代の異なる石仏が集まるこの場所は、長い年月にわたって人々の祈りが積層してきたことを示しています。
4. 野所の森さん
野所垣内の常緑樹林の中にあり、伊勢神宮への信仰を持つ「伊勢講」の人々によって寄進された大神宮灯籠が残ります 。毎年8月23日の地蔵盆の日には、今も講の人々によって数珠くりが行われており、信仰が生き続けていることを感じられる場所です 。
5. 堂の前の森さん
元は大きな池のほとりにありましたが、国道168号バイパスの建設に伴い、現在の場所へ移されました 。ここには妙見大菩薩の碑が祀られています。人々の暮らしを支える道の開発と、守り継がれる信仰の歴史が交差する場所です。
6. 池の谷の天神さん
「天神さん」と呼ばれ、菅原道真公が祀られている立派な祠堂です 。興味深いことに、この祠堂は、元はおまつの宮(住吉神社)で使われていた花台車(山車)を明治37年(1904年)に移してきたものと伝えられています 。毎年7月25日には、今も地域の講の人々によって祭礼が行われており、神社の祭具が地域の守り神へと姿を変えた、ユニークな信仰の形を見ることができます 。
7. 寺前の森さん
岩蔵寺の境内にあり、庚申信仰を持つ「庚申講」の人々によって祀られています 。寺という仏教空間の中に、地域固有の民間信仰が共存している様子は、神仏を分け隔てなく受け入れてきた、南田原の信仰の寛容さを象徴しています。
七森信仰は、単なる木の崇拝ではありません。それは、目に見えない脅威から共同体を守るための、精緻な精神的システムでした。
モリの多くは集落を取り囲むような位置に祀られており、外から疫病神などの邪悪なものが入ってこないように、集落を守る「聖なる結界」の役割を果たしていました 。村境にあるモリでは、「カンジョウ縄(勧請縄)」と呼ばれる巨大な注連縄を掛けて、その結界をより強固にする行事も行われていたといいます 。
この信仰は、仏教や神道といった体系化された宗教が広まる以前から続く、アニミズム(自然崇拝)の記憶を色濃く残しています。それは、自然への畏敬の念と、共同体の平和を願う人々の切実な祈りが結びついた、南田原の魂の原風景なのです。
時代の流れと共に、多くの森は姿を消し、あるいは場所を移しました。しかし、残された石仏や祠、そして「モリさん」という温かい呼び名は、この土地の人々が何を畏れ、何を大切に守り継いできたのかを、私たちに静かに語りかけてくれます。
次にあなたが南田原の道を歩くとき、ふと道の脇にたたずむ小さな祠や石仏を見つけたら、ぜひ足を止めてみてください。そこは、何百年もの間、この里の安寧を祈り続けてきた「モリさん」が、今も静かにあなたを見守ってくれている場所なのかもしれません。