建築文化をつくるひと #3
震災後の風景のなかで、建築を再構築する
2023.12.3|小俣裕亮|閖上の掘立柱
建築文化をつくるひと #3
震災後の風景のなかで、建築を再構築する
2023.12.3|小俣裕亮|閖上の掘立柱
仙台・宮城にゆかりのある建築家が自作の建築について語り、ともに空間を体感しながら参加者と対話を重ねる「建築文化をつくるひと」。最終回となる第三回目では、小俣裕亮建築設計事務所/new building officeの小俣裕亮氏が手掛けた「閖上の掘立柱」を見学。名取市閖上にあるアイコニックな建物の見学は、その内外を体感することで建築に対する解像度を高めるだけでなく、建築物と対峙することの意義を改めて感じられる時間となった。
港の景色も堤防も、すべて周囲の景観として受け入れる
小俣氏が設計した「閖上の掘立柱」は、東日本大震災で大きな津波被害を受けた名取市閖上の港湾地区にある。整備された土地には工場や市場、商業施設など新しく立ち並び、震災後に築かれた7.2メートルの河川堤防では釣りやウォーキングを楽しむ人たちが行き交う。震災から13年を経て、人々の新たな憩いの場となっている。
そんな場所に、赤い4本の杭によって高く掲げられた建物がある。堤防の高さを越える“高床式建築”は展望台や管制塔と見間違えられることも多いというが、ここは「クマノテドット」というウェブ制作会社のオフィスだ。見学が行われた12月初旬の休日は暖かな晴天の1日に。青空をバックにその建物は清閑とそびえていた。
この日集まったのは建築を学ぶ学生も含めた約20名の参加者。集合するやいなや、早速スマートフォンやカメラであらゆる角度から建物の写真を撮り始めていた。それだけ、この建物への興味の高さを表しているよう。この日は友渕貴之氏(宮城大学 助教)による解説も交えながら建築ガイドの時間を過ごしていく。
防潮堤と河川堤防、そして市道に囲まれた三角形の敷地。その西端に「閖上の掘立柱」はある。地中深くまで打ち込まれた杭により高く持ち上げられたオフィス下のピロティ横には、釣り上げた魚の振る舞うキッチンやバーベキューなどのアクティビティを見据えたコンテナも配されている。
「壁のような防潮堤と、芝生で覆われた河川堤防に挟まれたピロティ空間が、ちょうどいい感じなんですよ。寄る辺のない開放的な空間より適度に囲われている場所の方が人は集まりやすいし、居心地もいいはず。だから、三角形の敷地の先端付近に寄せて建物を配置しました」と敷地計画について語る小俣氏。河川堤防や防潮堤をも周囲の環境として受け入れ、設計を進めたことに触れた。
こうした話を受け、参加者の意見交換の場として活用されているLINEのオープンチャットには、早くも質問が投稿されていく。
参加者の目を引いたひとつが、公道に似せてつくったような敷地内の通路についてだったようだ。閖上漁港方面からオフィスへと至る、アスファルトで舗装された市道がそのまま敷地内へ続くかのようにつくられている。このことについて、「私有地の道路を公道のように擬態することにはどんな狙いや意味があるのでしょうか。無断で入ってこられたら嫌ではないですか?」と問いかける参加者。小俣氏は「なかなか鋭い質問ですね」と微笑みながら言葉を紡いでいく。
「建物全体の設計を考えた時、港の周辺にありそうなものだけで空間をつくるのは居場所を囲うものとして悪くないなと思っていて。つるつるとした白い壁が周囲を覆うより、時間によって表情が変わったり、凹凸があるような状態がいいと思ったんです。だから敷地にはコンテナやデッキプレートのような、港の周辺にある素材を集めて建物をつくることをデザインのルールとしました」
こう話した後、本題に触れる。
「道路にもそういう側面があると思うんです。だからこの敷地の中だけ特別な舗装をして、“ここから先は俺の土地だから入ってくるな”なんて主張するより、ある程度誰かが入ってきてもそれほど気にしない状態をつくることにしました。そこに人の交流を促そうとする意図はないのですが、ひとつのアプローチだけ入ってこられないようにしても敷地の三方は空いているのだから、セキュリティラインはその道路ですべきではなく建物の前でするべきだという考えなのです」
小俣氏の理路整然とした話のひとつひとつが、参加者に深い理解とともに共有されていく。参加者が言葉を受け取るたびに、一歩ずつ建築への距離が近づいていく様が伝わってくるようだ。
続けて、杭についての質問がポストされた。地層深くから地上へすっと伸び、梁を乗せた杭。御柱のような力強さをも感じられる印象的なこの杭に対して、「どうして杭は赤い色なのですか?」という質問だ。
「この色は、錆び止め塗料の色。港にあるコンテナも錆びてしまう以前はこの杭のように赤い色だったと思うのですが、先ほども話したように港湾風景の一部になっている素材を集めて建物をつくるというルールで設計を考えていたので同じ赤にしています。なんだか、今質問されたふたつの内容は同じことを問われているようですね。興味深いなと思って聞いていました」と小俣氏。
参加者と建築家が同じ建築に向き合いながら、ともにドライブしていくような感覚。参加者たちは、たっぷりと語られる精妙な建築の思考に触れて、強く好奇心を引き出されていた。
「建築で嘘をついたなら、必ずネタばらしをしないと」
次は、建物内の見学へ。四方をガラス窓で囲われたオフィスに足を踏み入れると、南東方面には太平洋が、そして北西方面には変化する閖上の街と遠くに広がる仙台市の街並みが見渡すことができる。景色を目にした参加者からは「すごいな」「素晴らしい」という感嘆の声が漏れていた。
外から建物を眺め、“杭は柱であり、柱は杭である”というユニークなデザインや、“周囲の環境を盛り込んで建築をつくる”という思考の原点に触れた。建築の可能性を感じさせる仕掛けとも感じられる小俣氏特有のアイデアは、内部の空間でも感じ取ることができる。そのひとつが、杭の上に乗る梁が“赤く塗られた鉄の塊”という現しの状態でそこにあることだ。
「外から見える梁は雨や風から守るためにグレーの板で覆っていますが、内側では現しになっている。これは、梁をコンクリートでつくったように見せたくなかったし、最後まで嘘をつきたくなかったからなんです。実際は鉄骨の梁をセメント板で覆うことによってコンクリートの梁に見えてしまう、という嘘をついたなら、どこかでネタばらしをしたかったんです」と、小俣氏は独特な感性を乗せた言葉で語る。
さらに梁をよく見ると、学校で使われていた学習机の脚と天板が乗せられ、デスクの一部にもなっている。「当初は梁をそのままテーブルの天板にしたい気持ちがありました。でもそれだと必要以上に大きな梁にしなければならず、無駄になる。とはいえ、何かしら建物の内観に絡ませたいと思っていました。机や本棚もそうなのですが、さらに小さな鉄の梁をかけ渡してデスクや吊り棚をつくっています。一連の連鎖をインテリアで止めたくなかったんです。最後まで使い切るという考えで設計していました」
なかには、建物と同じ構造で製作したというミーティングテーブルも。ここでもネタばらしになるような仕掛けが施され、アイデアがさまざまなスケールで実現していることがわかる。
一見すると長方形に思える平面プランが、微妙に台形の形をしているという話も小俣氏から切り出された。その理由はふたつあるという。
「ひとつ目の理由は、建物の南側をミーティングスペースにしたこと。必要な幅や面積を調整しつつ、あまり大きくなりすぎないようにしました。そしてふたつ目の理由は、見た目の問題です。この建物は地下に打った杭の上にかけた梁でテーブルまでつくり、全部使い切る、味わい尽くすことをテーマにしたのですが、杭の頭を狙ってしっかりと梁をかけると…、なんていうんだろう…、地面に突き刺さって立っているというより、なんだかこぢんまりと収まってしまう感覚があるんです。そうではなく、“乗っけた状態”という見え方をしてほしかった。だから、ハの字に開くようなプランに設計しました」
「伝わりますかね?」と笑みを見せつつ、思考の筋道を伝える小俣氏。「4本の杭の上に行儀よく梁を置くと、一体の構造物に見えてしまう」「杭の上にハの字にずらして梁を乗せると、より“乗っけた感”が出る」ということを繰り返し伝え、参加者はその意図をそれぞれにじっくりと噛み砕いていく。
心引かれるポイントはまだまだ尽きない。小俣氏の設計と、施主である「クマノテドット」社長の熊谷英明氏の先を見据えた考え方、そしてこの会社でのユニークな働き方が合致していることもそうだ。
「ここには10名ほどのコアメンバーがいるけど、会社でも自宅で仕事をしてもいいというスタンスで業務を行なっています。各地のスタッフとの連携はこれからの課題だけど、今でもこの働き方とこの建物に興味や好感を持ってくれる人はたくさんいて、これからおもしろいことに展開していきそうな気がするんです。やっぱり頭を柔らかくしていかないと、この時代を生き抜くことは難しいですからね。楽しみながらも仕事はしっかりやって、スキルアップ、ステップアップをしていくスタイルをここでつくれたらいいなと思います」と語る熊谷さん。目には見えないものの、働く人たちの新たな価値観や考え方を発信する場になっていることも、きっとこの空間の魅力を際立たせるひとつの理由なのだろう。
熊谷氏からは、他にも「ノルディックウォーキングをしている方がトイレを貸してほしいと立ち寄ることがあるんです」「この建物の下でおにぎりを食べている人たちもいますよ」「仙台空港の管制塔ですか? とか、プロゲーマーの部屋なんですよね?と聞かれたこともあります」という話が盛り込まれた。思わず皆が笑顔を見せる。
建築への縁の深い・浅いに関わらず、このエリアに立ち寄る人それぞれが気になる建物として自分なりの解釈を寄せていたエピソードが印象的だ。そんな中でこの日が、施主と建築家それぞれの言葉を直に受け取ることができる貴重な機会であることを噛み締める瞬間でもあった。
編集者のように、建築を再構築する
充実した見学を終え、仙台市にある『OF HOTEL』に移動。Local Placesのメンバーである菅原麻衣子氏(she | design and research office)と友渕氏を交えた、小俣氏のトークイベントがスタートした。まずは、小俣氏が語る自身の経歴やこれまで携わったプロジェクトについて耳を傾ける。
日本を代表する建築家・磯崎新氏の設計事務所で経験を積んだ小俣氏。その中でも小俣氏が携わった『ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ(※1) (以下、アーク・ノヴァ) 』の話には、会場内の興味が大きく注がれていた。
『アーク・ノヴァ』は、スイス・ルツェルンの国際音楽祭ルツェルン・フェスティバルが発足させたプロジェクト。音楽を通して東日本大震災の復興支援を行おうと、被災地を巡回する様々なプログラムが行われた。そのイベントを行う会場の設計とデザインには、磯崎氏と英国人彫刻家のアニッシュ・カプーア氏が携わり、高さ18メートル、幅30メートル、長さ36メートルの可動式コンサートホール『アーク・ノヴァ』が誕生。小俣氏は被災地である宮城県塩竈市出身であることからプロジェクトメンバーに加わり、2013年から2015年にかけて宮城県松島町と仙台市、福島市で行われた現場の設営、撤去、運用に深く携わった。
磯崎氏が提案した『アーク・ノヴァ』は、空気膜構造のコンサートホール。500人の観客を収容すること、さらに被災地は沿岸部広域にわたることから、「サーカス小屋のように仮設の建築物で設営や撤去も移動もできる構造でつくる」という考えに礒崎氏が至ったと、小俣氏は当時を振り返りながら解説する。しかし1988年に東京ドームが完成して以降、空気膜構造の建物は日本にない。東京ドームの建設に携わった技術者たちも、すでに退職してしまっていた。
「大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、空気膜構造は今ではもう途切れてしまった建築技術なんです。また1から温め直さなければいけない技術ということで、当時の資料も見ながら、現行法規に合わせて整理する作業に結構な時間を割いて進めていきました」。ひとつひとつの行程を思い返すように話を進めていく。
さらに、途切れた建築技術を用いるという点で、『アーク・ノヴァ』と『閖上の掘立柱』には共通点があると話を続ける。「『閖上の掘立柱』は弱い地盤がゆえに地面から10メートルぐらい下にある強い地盤まで杭を打ち、さらに5メートル地上に飛び出させれば建物を乗せることができるのでは? というアイデアから始まったのですが、どういう技術で形にできたかというと、海中に灯台をつくるために必要な『パイルベント』という基礎がそのまま柱も兼ねるという構造技術があったからなんです。でも、桟橋や橋げたをつくる際に使われてきたその技術は、今の日本ではもう使われていない。『アーク・ノヴァ』と同様に、途絶えた技術をもう一度温め直す作業が必要でした」
小俣氏が言葉を語れば語るほど、関心は尽きない。むしろ、どんどんと深い部分を覗いてみたくなる。そんな瞬間のつながりが、参加者から投げかけられた質問に至っていた。
「忘れられた技術を発掘して編集して使い直してみるというスタンスは、歴史家や考古学者のような職能のイメージと重ね合わせているのですか? サンプリングをするように組み合わせて遊ぶような感覚なのか、歴史に対する建築家の態度はどのようなものなのでしょうか」という内容だ。
「サンプリングとかオマージュのようにイメージを収集している訳ではなく、かといって歴史家ほど整合性にこだわっている訳でもない。ただ空気膜構造に関しては、半ばライフワークみたいになっているんですよね。『アーク・ノヴァ』では室内温度を冷やすために空気膜に水をかけたことがあるのですが、そのデータは論文としても採択されています。そういう意味では研究でもありますね。でも歴史的な真正性に固執するわけではないし、かといって過去の技術を単なるデザインのネタとして収集してくるようにやっているわけでもない。そう考えると、つくりたいもののためにふさわしい技術を持っている人を集める “雑誌の編集者” のようなイメージなのかもしれないですね」
何をもって『景観』とし、何をもって『配慮』とするのか
また、建築を語る時に頻繁に見聞きする「景観に配慮する」というワードに話が及び、インパクトを残す時間になった。日本三景のひとつである松島に『アーク・ノヴァ』を設営する際、官庁から「景観に配慮するように」との通達があったと語る小俣氏。その一方で、閖上がある港湾の風景は配慮されるべき景観として認識されていない現実に言及した。
参加者のひとりからも、「閖上で見学をしている時、港湾エリア特有の材料や工法、素材みたいなものを積極的に採用するという形で新しく建築物をつくる、という説明がありました。日本では、古い町並みや豊かな自然だけが景観として扱われていて、景観条例などの景観に配慮するという言葉の中に、閖上のような風景は一切対象にされていない。でも『閖上のオフィス』は周囲に配慮して設計している。一方で『アーク・ノヴァ』の時には、まさに固定観念としての景観の話をされていたのがおもしろいですね」と声が上がった。小俣氏は「まさにそういうことなんですよ」と応えながらこう続けた。
「『景観』という言葉も、『配慮』という言葉もよくわからないですよね。どうして緑が豊かな場所が景観で、港の風景は景観じゃないんだって。配慮というのも、外壁の色を周囲に馴染ませたら配慮なのか? と。認識に難しさを感じたこともありました」
建築家として大切なのは、建築を語り得る言語を持つこと
「建築文化をつくるひと」と題したイベントも今回がラスト。建築に対する好奇心の間口を広げ、参加者の興味と知見を広げたイベントであったが、小俣氏は、この1日を通じて新たな発見があったと最後に付け加えた。
言葉を交わすことや空間を共有すること、そして理解を通じ合わせることの楽しさを説いて、「『アーク・ノヴァ』が立ち上がる敷地周辺のお宅を訪問してプロジェクトの趣旨を説明した時に、建物を取り囲む人たちに向けて、どうやって話せるかということがすごく大事だなと思ったんです。自分の中に建築を説明できる言語を持ち得ているかどうかは、建築家として大きな意味がありますからね。それはこのイベントでも同じで、説明が通じた時の楽しさと気持ちよさがすごいなと思いました。今日ここに来てくれた方たちが、僕の使う言葉ですごく理解してくれたという経験をまた得ることができました」
回を重ねるにつれ、建築家と参加者が同じ建築の元で歩み寄り、最後には一緒に交わっていくような体験を届けた「建築文化をつくるひと」。仙台・宮城にすばらしい建築があることはもちろん、地域にゆかりがある建築家それぞれの技術と思考、多角的な建築との向き合い方に触れられる貴重な時間となった。参加した人それぞれに、未来へと続く建築文化の流れが注ぎ込んでいるはずだ。
(※1) ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ
音楽を通して東日本大震災からの復興を支援しようと、スイス・ルツェルンの国際音楽祭「ルツェルン・フェスティバル」が発足させたプロジェクト。
小俣 裕亮|Yusuke Komata
建築家。1982年宮城県生まれ。筑波大学大学院修了後、磯崎新アトリエでルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ等のプロジェクトを担当し、2016年小俣裕亮建築設計事務所/new building officeを設立。2019年より東京大学建築学専攻T_ADSに所属。2025年大阪関西万博休憩所他設計業務プロポーザル優秀提案者に選定。
聞き手:友渕貴之、菅原麻衣子 文:及川恵子 写真:齋藤太一
トークイベント会場:OF HOTEL
トークイベント助成:(公財)仙台市市民文化事業団