第2回 ゲノムの実体(1)
ー 細胞と染色体
ー 細胞と染色体
第一回はあえて、遺伝情報の機能的な部分に注目するため、実際に遺伝情報がどういう形で存在するのかを細かく説明しませんでした。例えば、個体は一つの遺伝情報を持っているかのように語られましたが、実際には私たち多細胞細胞生物では細胞の数だけ遺伝情報があるように、私たちの理論的イメージと実体とはかけ離れていることがあります。どういう形で実際に存在するのか、ということを注視し、理論的前提がどのように実体において担保されているのかを理解することはとても大切なことです。ときには物質的な発見からそういった前提を考え直す必要もあるからです。
細胞それぞれのゲノム
細胞(cell)とは何か、と定義をすることは実は難しいことですが、定義よりも実際に見て理解することが重要でしょう。ヒトであれば体を形作る脳や腎臓などの器官(organ)というものがあり、器官の中で機能を持つ領域を組織(tissue)といい、組織を染色方法で染めて拡大すると、細胞膜という膜が仕切られた繰り返し単位があるでしょう。それが細胞です。菌類、藻類、植物から動物まで拡大してみてみると、似たような大きさで似たような内部構造の細胞をみることができます。これらの生物は真核生物(Eukaryote)と呼ばれ、もともと同じ生物から分かれて今のような多様な多細胞生物(multicellular organism)になったと考えられています。一方で、細菌(正確には真正細菌、Bacteria)や古細菌(Archaea)というグループはもっと祖先的なグループでそれらの膜で包まれた体も細胞といいますが、色々な点で違っています。ここでは主に真核生物の細胞について話していきます。
多くの細胞は自らのコピーを作ることができます。一つの細胞だったものが分かれて、二つの細胞になる、その過程を細胞分裂(cell division)といいます。ちなみに、この時のもとの細胞を母細胞(parental cell)、生まれるふたつの細胞を娘細胞(daughter cell)といいます。後で詳しく話しますが、ゲノムDNAはそれぞれの細胞に必要になるので、複製により二倍に増やして、分裂の際、それぞれの細胞にほぼ均等に配られます。細胞分裂後、同じ形態であった細胞もそれぞれ能動的に違う形態に変わり、機能が変わることがよくあります。これを細胞分化(cell differentiation)といいます。多細胞生物は最初は一つの細胞だったものが分裂と分化を繰り返すことで多様な細胞の集合となり、個体としての機能や形を実現します。この過程を発生(development)といいます。
発生の仕組みは動物や植物など多細胞生物によって大きく違うのですが、ひとまずヒトを中心とした動物について紹介しましょう。
個体は卵と精子が受精して受精卵という一つの細胞になることからはじまり、最初はただ細胞分裂していきますが、その後、分化と分裂が折りなして、生物個体の形態に発生していきます。どの細胞がどの細胞と分かれてというふうに図示していけば家系図のような細胞系譜(Celllineage)を描くことができます。細胞系譜を全て網羅することは難しいですが、線虫の一種であるシノラブダイテス・エレガンス(Caenorhabditis elegans、略称シーエレガンスC. elegans)はたった2000細胞で体が形成されていて、細胞系譜が全て明らかになっています。この系譜の中で卵や精子などの生殖細胞になる細胞の系列を生殖細胞系列(germ cell lineage)といい、それ以外を体細胞系列(somatic cell lineage)といいます。特に動物では体細胞系列と生殖細胞系列とが個体発生の初期にわかれます。
動物では通常、体細胞系列は生殖細胞に変わらないので、次世代に遺伝情報を残すのは生殖細胞系列の役割です。ですが、体細胞系列も含め、全ての細胞はコピーしたゲノムDNAを有しており、それを元にタンパク質を生成するなどしてそれぞれの細胞としての機能を果たします。
生殖細胞として次世代に残るゲノムと個体の体を作っているゲノムは物質的にはちがうもので成り立っているので、コピーといっても少し違う可能性があります。例えば、皮膚の細胞のDNAが紫外線を受けて変化しても、次世代に伝わる生殖細胞のゲノムDNAは変化していないので次世代には影響しません。
細胞の中のいろいろなゲノム
細胞の中にはいろいろな機能を持った構造体があり、それらをオルガネラ(細胞内小器官ともいう, organelle)といいます。通常、真核生物の細胞の中には核膜という膜で覆われた核(nucleus)というオルガネラがあります。この中に遺伝情報が詰まっていて、その情報を核ゲノム(nuclear genome)といいます。実は核以外にも遺伝情報をもつオルガネラがあり、ミトコンドリア(mitochondria)は一般的ですが、植物であれば葉緑体(chloroplast)もゲノムをもっていて、それぞれ、ミトコンドリアゲノム、葉緑体ゲノムといいます。ミトコンドリアは酸素呼吸によりエネルギーを得る機能をもち、葉緑体は光合成を行ないます。その機能に必要な一部の遺伝子がそれぞれのゲノムにあります。核ゲノムはそれ以外の全ての遺伝子をになっているので、細胞内の機能から生物個体全体の機能まで大抵は核ゲノムの遺伝情報を使って行われてると考えてもいいでしょう。
もともとオルガネラは違った真正細菌や古細菌が由来になっていて、それらが一つの細胞の中に共存し始めて、真核生物の細胞になったという細胞内共生説というのが現代生物学の共通見解となっています。すなわち核やミトコンドリアや葉緑体はそれぞれ違う単細胞生物だったのですが、遥か昔に一つの細胞を形作るようになり、今でもそれぞれが違うゲノムをもっていると考えられています。共生しているといっても、現在ではその支配力は非対称的で、核はミトコンドリアや葉緑体に必要な遺伝子を多く持っているので核ゲノムが機能しなければミトコンドリアや葉緑体は構造自体が成立しません。もちろんこれらオルガネラが機能しなければ呼吸や光合成ができなくなって問題なのですが。ミトコンドリアや葉緑体は細菌などの原初的なゲノムの性質を持っていて、ゲノムDNAは塩基が連なって一つのリングを形成した環状DNAとなっています。核ゲノムは後述するクロマチン構造などの構造で安定的にパッキングされていますが、少なくとも同じ構造は持っていません。ただ現在では昔よりもミトコンドリアゲノムを安定化する因子もわかってきていて、ただ単に単純な構造とは言えないようです。
核ゲノムとミトコンドリア、葉緑体ゲノムの決定的な違いは、その数です。多くの場合は核ゲノムは細胞に一つまたは二つだけですが、ミトコンドリアや葉緑体は細胞に多数存在し、その内部でもゲノムを複数もつので、一つの細胞だけでもかなり多くのゲノムが存在します。核ゲノムは細胞に固有に決められるのに対し、ミトコンドリア、葉緑体ゲノムはゲノムの集団として細胞にあるため、その中にゲノムのバリエーションが存在することもあります。
染色体
さらに核の中の構造を詳しく見ていきましょう。遺伝情報には区画のような連鎖群というものがあるという話は第一回で話しましたが、細胞の観察が進むことで、これが染色体(chromosome)という細胞内の構造に対応していることがわかりました。しかし染色体は簡易な染色方法ではいつでも見られるわけではありません。核は多くの場合、核膜という膜に囲われた一つの球に見えますが、細胞が分裂するときにだけ、核膜をなくします。このとき、中のゲノムDNAがヒモのようにでてきます。ヒモのように見えるのもDNAの連なりが実はかなりコンパクトに撚られたものなのですが、これがさらにコンパクトになり、数が数えられるようないくつかの線や棒や点となります。ヒトの体細胞であれば、Xの形やVの形になっています。これがいわゆる染色体ですが、その数は連鎖群の数と正確に一致し、遺伝子がこの上に乗っているということは古くからわかっていました。染色体はもともと細胞分裂以外の時いわゆる間期(interphase)では長くなって複雑な構造になりますが(詳細は第四回)、染色体というDNAの連なりがなくなるわけではありません。ヒトの染色体は体細胞の中に46本あります。対して、ヒトの精子や卵は最終段階では23本しかありません。父親の精子と母親の卵が一つの細胞になることで染色体が46本になり、23本の連鎖群の二つずつのアレルに対応しています。同じ連鎖群に属する染色体を相同染色体(homologous chromosome)といいます。
通常の体細胞における細胞分裂いわゆる有糸分裂(mitosis)では46本全ての染色体はそれぞれの娘細胞にわたされます。これを染色体分配(chromosome segregation)といいます。娘細胞それぞれに46本を用意するために、分裂の前に染色体の中のDNAをコピーして増やさなければいけません。これを複製(replication)と言います。この複製は間期におこります。複製されたゲノムDNAの各コピーは染色分体(chromatid)といって、分裂期に観察されるX型やV型の染色体は、複製されて生じた染色分体がセントロメア(centromere)というところだけでくっついている構造です。ちなみに、ミトコンドリアゲノムのように染色体は通常環状にはならず、端っこが存在します。この端っこをテロメア(telomere)といいます。セントロメアは染色体に必ず一つずつあって、細胞分裂期に動原体(kinetochore)という構造体を構成し、微小管というタンパク質のひもとつながって、紡錘体という構造を作ります。これは正確に染色分体が娘細胞に分配されるために生じる構造で、動原体が微小管により、二つの極にそれぞれひっぱられ、セントロメアが離れることで染色分体はわかれ、それぞれの極に向かった後、細胞の真ん中はくびれるなどして二つに分かれ、二つの娘細胞になります。
遺伝様式を説明する減数分裂
ヒトの精子や卵は染色体の数が23本になるといいましたが、これは正確には23本の染色分体なので、余計に分裂して、数を減らさないといけません。この特殊な細胞分裂を減数分裂(meiosis)といいます。精子の元となる精母細胞ではまず、核膜の解消ののち、相同染色体がお互い並んで、くっつきます。これを対合(pairing)といいます。この時くっついた染色体全体をニ価染色体(bivalent chromosome)といいます。二価染色体は比較的初期段階で同じ遺伝子座がうまく並ぶように整列します。実際には四本の染色分体が並んでいます。この染色分体のうちの一つが相同染色体の一つの染色分体との間でつなぎ変えをするのが、組み換えという現象の実体です。生物によって組み換えの数は様々ですが、ヒトでは一つの二価染色体あたり一回か二回の組み換えが生じます。次は二価染色体がまるで体細胞分裂における一つの染色体のようにふるまい、二価染色体のうちの父親由来のセントロメアと母親由来のセントロメアが別々の極にいくように染色体が分配されて、細胞が分裂します。ここまでの過程を第一減数分裂(meiosis I)と言います。ここで異なる二価染色体同士では独立にどちらのセントロメアをどちらの極に運ぶのかランダムに決まります。これが異なる連鎖群にある遺伝子が独立に遺伝する要因です。組み換えは概ね染色体の色々なところで起こるので、遺伝子が染色体の離れたところにあるほど、組み換えが間で起こりやすく、連鎖群の中で遺伝的距離が長くなります。このようにして連鎖群という概念は染色体の組み換えと分配を通して説明されます。
第一減数分裂の後、間髪挟まず次の細胞分裂がはじまります。ここでは染色体の数が半分に減っていますが、体細胞分裂のように染色分体がはなれて、娘細胞に分配されます。これが第二減数分裂(meiosis II)です。このようにして一つの精母細胞が二回の分裂を介して計4つの精細胞になります。精細胞は変態しておたまじゃくしのような形の精子になり、受精のときを待ちます。
卵の側は少し複雑ですが、基本的には同じような減数分裂をします。ヒトの発生の初期に卵の元になる卵母細胞はすでに減数分裂を開始します。卵母細胞は染色体が対合している状態で止まり、個体の成熟してやっと、卵母細胞は減数分裂を再開させ、第一減数分裂を完了させます。このとき精子形成とは違い、分裂の極によってその運命が違います。一つの極は次の第二減数分裂に入りますが、もう一つの極は極体(polar body)という構造につつまれて、後に排除されます。これを極体放出と言います。さらに第二減数分裂の過程で止まり、次に再開するのは精子が受精してからになります。つまり、受精した直後はまだ卵子側の核はすぐ合体できる状態ではなくて、受精後に減数分裂を再開させて、染色分体を分離させて、また一方を極体放出して、残った23本の染色分体がようやく精子側と混ざります。このように卵形成では一つの卵母細胞から一つの卵子しかできません。その分離は通常は精子と同じようにランダムに起こりますが、場合によっては何らかの理由で異常になってしまったものを極体側に放出してエラーの排除に使われることもありますし、いつか話しますが、このシステムを出し抜いて自身のアレルを選択的に卵側に残すように進化した因子もあります。
このようにして、減数分裂は幾何学的な図式で示されたアレルの独立や連鎖的な分配などを説明しますが、一方でその現象は個体の発生の仕方とともにあり、卵と精子とで違いがあったように、生物種をくらべても多様なあり方があります。逆に言えば、多様な達成の仕方があるにもかかわらず、基本的な図式は真核生物全体で共通しているというのは驚くべきことです。
第4回ではさらにミクロな染色体の構造について見ていきます。その前に次回は、特殊かつ重要な染色体の話をしておきたいと思います。
[吉田恒太 2022.11.6更新 ]