京都難病ケアSG(Study Group))では、リモートで難病ケアカフェを開催してきました。その反応をお聞きするとともに、来年度以降の活動の資料とさせていただくため、歴代の参加者の皆様にアンケートを送付させていただきました。ご協力ありがとうございました。おかげさまで140を超えるご回答をいただきました。加えて自由記述の項目に多くのご意見をいただき、当会として大変貴重な財産となりました。ご回答いただいた皆様から結果を知りたいというお声をいただき、このページを作成し、ご案内させていただきます。
当カフェが大切にしているのは、情報の効率的な交換ではなく、病を抱えながら今を生きるという『生命そのものの現れ』です。医療職の役割は、この生命のうねりを管理・指導することではなく、むしろその計り知れない重みに従属し、その場が守られるよう静かに支えることにあると考えています。
毎回、さまざまな立場でお話しいただくのは、当事者を身近に感じ、共に歩んでこられた方々です。それは当事者本人の言葉そのものではないかもしれません。しかし、聴き手はそこに、当事者のいわば『プレゼンス(現前)』を感じ取っています。
そこで交わされるのは、『自慢』や『内輪ネタ』などではなく、支援を通じて見えた『生命の個別具体的な輝き』を伝える試みです。そこでは、話す側も聴く側も、定義された記号(シニフィエ)を超えた、生の響き(シニフィアン)を伝え、受け止めようとする現在進行形の時間が流れています。
それに対して『まともな運営を』というご要望は、既存の知識の整理や行動の最適化を指すものでしょう。それは医師の責務であり権威の源泉でもありますが、その視点は往々にして、整理しきれない『生命の直接的な響き合い』を、無意味な雑談として切り捨ててしまいがちです。
しかし、残念ながら『生温い』と切り捨てられたその余白こそが、当事者が管理から解き放たれ、一人の人間として呼吸できる空間であると私たちは信じています。それはまた、医師にとっても、『箱(病院や大学)』の中では得られない学びの機会でもあります。
『書かれたものは過去の病気です。目の前の患者さんから今の病気を学びなさい』
伝統ある東大第三内科の故・沖中重雄先生のこの教えは、まさに今、目の前で立ち現れる生命(ゾーエ)に向き合うことの重要性を説かれたものです。私たちの場もまた、その精神に連なるものでありたいと願っています。(辻)