2025.1.11
『アドラー心理学』
看護師の青山です。
午年の2026年も颯爽と始まりました。年始に、今年96歳になられる方が「8回目の年女やわ」と笑顔で話されているのを伺い、感慨深い思いになりました。
今回は、「素敵な仲間ともっと仲良くなりたい」をテーマに、昨年から月1回、職員研修で受講している「アドラー心理学」について、少しお話しさせていただきます。
アドラー心理学は、「共同体感覚」を育成することを重要とする心理学です。この共同体感覚を育てるために必要な関わりとして、
「見直す(相互尊敬)」「信じ合う(相互信頼)」「助け合う(協力)」「行き先を決める(目的の一致)」
の4つが挙げられます。
人は違いがあるからこそ面白く、自分と相手の違いやそれぞれの役割を知ることで、競争的な“タテ”の関係ではなく、協力的な“ヨコ”の関係を築くことができます。
講義の中では、スタッフ一人ひとりの話を聴く時間も多く、仲間の良いところを見つける研修にもなっています。毎回、笑いの絶えない、和やかな時間です。
素敵な仲間ができれば、自然と支援の質も向上していくと感じています。
難病支援の現場では、困難と感じる場面を多く経験します。そのため、多職種連携は必要不可欠です。
素敵なチームをつくるためのヒントとなる「アドラー心理学」について、これからも学びを深めていきたいと思います。
2025.12.31
『最近思うこと』
皆さんこんにちは。訪問介護ステーショングリム本社の川辺です。
医療的ケアって、ヘルパーさんが実施するのを基本的に認められていないものっていくつかありますよね。
でも、利用者さんにとっては、必要不可欠な支援内容なので、実施可能か何度も聞かれたことがあると思います。
PTEGからの注入、カニューレ内部より奥の痰の吸引、カフアシスト、パーカッサー、注入時のガス抜き等...
もう少し法律が柔軟であればと何度思ったことでしょう。
「上の方達は現場の状況をわかってくれない」なんて声もちらほら。
じゃあどうすれば変わっていくの?
誰に訴えたら考えてくれる?
そんなこんなを考えてる毎日です。
医療的ケアを必要としてる方が、少しでも生活しやすい毎日がおくれたらいいなー。
2025.11.30
私が南区の「ハピネス子ども食堂」でしようとしていること
みなさん、こんにちは。ふじた医院の藤田祝子です。
南区にハピネス子ども食堂というのがあります。子ども食堂はあちこちでみかけますね。このハピネスさんは宇野明香さんという女性が中心となって活動されています。宇野さんの魅力でこの地域にはいろんな分野の方々が集まっています。宇野さんの魅力ってなんなのだろう、人を集めることのできる魅力ってなんなのだろう。
「生まれた場所や環境に関わらず、互いに支え合いながら生きてゆける地域を目指し、子どもと保護者の孤立を防ぐ活動をしています。人は一人で生きることはできないからこそ、手を取り合い「お互いさま」と許しあうことが大切です。誰かにもらった「恩」を、次の世代へ贈るという「ありがとうのサイクル」をまわしていきたい」とホームページに書かれています。
宇野さんの活動に少し協力するようになって5年ほど経過しています。ハピネス子ども食堂を中心として、夕食を一人で食べる子ども、頑張って子育てするひとり親、障害者、そのきょうだいや親、癌を抱えて社会で懸命に生きる人、引きこもりの若者、認知症の高齢者、そして健常者など、様々な人たちが暮らしやすい街づくりを唐橋地域に作ろうとしているところです。私は医療者として、それ以外に子どもの親などいろんな立場で関わりたいと思っています。
1年ほど前には石川県の「仏師園」を視察してきました。ここは「ごちゃまぜの共生社会」を目指しておられ、政府のモデル地区にもなっており日本全国から行政が視察にこられています。この秋には、福岡の「NPO法人抱撲」の奥田知志牧師の講演を伺い、懇親会でゆっくりお話をして奥田さんの温かなぬくもりを感じる目線に心を打たれました。30年以上前からホームレス支援をされてきました。1990年に北九州市で中学生がホームレスを襲撃する事件があり、その当事者から相談を受けた奥田さんの話です。「その方は、困っている一方で、中学生たちの気持ちが分かると言いました。夜中の1時や2時にそんなことをしているのは、家があっても居場所がないんじゃないか、親はいても心配してくれる人はいないんじゃないか。自分も帰るところがないからこそ分かるんだと」その言葉を聞き、ホームレス問題の本質は「人と人のつながりがないこと」にあるのだと気付かされたといいます。
南区のハピネス子ども食堂を通してのこれからの具体的な活動としては、近くの銭湯にイノベーションです。銭湯に子どもたちと絵を描いて、子ども食堂で食事をし、銭湯に入り、隣の一杯飲み屋で美味しくお酒を飲む・・・。
人と人とのつながりが、小さな幸せをたくさん生み、それぞれの心が豊かになり、笑顔の多い南区の唐橋地域になることを期待していてください。私はそれに向けてがんばります。
2025.10.2
「難病支援で意識していること」
お久しぶりにコラム担当します、高田です。
訪問看護で難病を担当するとき、私の感じていることを少し紹介します。
改めて、難病の方を担当するとき、社会資源の利用、活動方法の考察の違いが一番多いように思います。
難病以外の他の方の訪問看護利用回数が多くなると「死期」が迫っているときですが、難病の方は、訪問看護利用回数が多いときは「死期」ではなく「医療度」が高くなるという印象です。
訪問看護自体、末期がんの方と難病の方の訪問回数の制度的な制限は同じなのですが、難病の方の「医療度」が高くなると、医療機器やヘルパーさんへの連携という部分が密になっていきます。
「多職種の連携が蜜」になるということは、本人の思いや家族様の希望に添えない場合もあり、優先順位や優先方法などのコミュニケーションの場面が増え、自分自身の意見や本人の代弁者として医師との協議や連携時の伝達など、複雑になっていきます。
「多職種の連携が密」になる要因としては、訪問看護の増回だけでなく、難病法に基づく特定医療費助成制度や重度心身障害者医療費助成制度があるからだと思います。
そのため、難病支援の現場の実情から目標としていることは、コミュニケーションです。
家族や多職種との連携も「伝え方次第」で成果が変わるので、コミュニケーション力向上で得られる効果として
① 介護拒否が減り、スムーズなケアが実現
② 利用者の表情が明るくなり、やりがいを実感
③ 家族からの信頼が深まり、クレームが激減
④ チーム連携が向上し、働きやすい環境に
を意識しながら難病支援に関わらせて頂いています。
2025.9.11
「外出支援」
皆さん、こんにちは。理学療法士の奥山です。
大学4年の実習生だった頃、ALSの女性(Aさん)を担当しました。毎日そばでお話を伺い、「まずは知ること」を心に置いて過ごしていたある日、Aさんがぽつりとおっしゃいました。
「天井を見つめてベッドで寝たきりになるらしいけど、呼吸器なんて付ける意味あるのかな。」
当時は、人工呼吸器を装着したまま外出することが今ほど一般的ではありませんでした。主治医から今後の意思確認を受けた直後だったそうです。私は何も返せず、ただ黙りました。「呼吸器を付けて生きてほしい」と言いたい気持ちと、勝手なことは言えないという思いが胸の中でぶつかっていました。あの頃の私は、人工呼吸器を装着して在宅で暮らす方に、まだ出会ったことがなかったのです。
卒業後、在宅の難病支援に取り組む診療所に勤務し、多くのALSの方と関わる機会をいただきました。あの「天井」という言葉が心に残り、外出支援の機会をできるだけ大切にしてきました。外へ出ることは、特別な行事というより、その人の日常を少しずつ取り戻す手立てになり得ると感じる場面が増えました。行き先は近くでも十分だと思います。玄関先で風に当たる、ベランダで空を見る、近所の公園まで行ってみる――距離よりも、「行きたい」に沿った経験そのものが力になるのではないかと感じています。
現場では、支援者が多くのリスクに目を配りながら準備を重ねていますが、その一方で、本人が「無理なく行けた」と思えることが、次の一歩につながることが少なくありません。小さな成功体験を積み重ね、今日の一歩が明日の一歩へとつながっていくよう、これからも静かに伴走していければと思います。
2025.8.23
「家族の支援を考えてみる」
難病相談員の瀬津です。
最近3名の神経難病の方の訃報を聞きました。3名の方は在宅療養生活10年以上の方々です。
私はこの3名の方のうち2名は診断当初から、あと1名の方は小児難病で中途支援したケースです。
今回はこの3名の方への思いも含めて家族とのかかわりを簡単に紹介いたします。
ケース1
ALS 40歳代 男性 大学病院からの紹介
就労中の発症のため本人と一緒に会社側との話し合いを行い、本人の希望もあり当初より介護保険申請と訪問診療、訪問看護師の支援から在宅構築を行う。
10年前に人工呼吸器装着 在宅医がリーダーシップをとり、この時点前からCMと一緒に3制度活用の支援体制構築を行った。
夫婦2人暮らし 奥様も若く仕事に責任ある立場 奥様の病気の受容と今後の不安、家のローン等の経済的問題、仕事継続についての迷い傾聴アドバイス等のサポートを行う。
ケース2
多系統萎縮症 60歳代 女性 家族が調べて個人相談
高齢の夫が主介護 次男夫婦の家の近くに引っ越し次男夫婦も介護協力 夫も次男も病気の経過や在宅療養の方法について当初より質問が多く前向きな姿勢。しかし経過の中で夫の介護疲労、病気入院、介護者支援の拒否等があり次男との意見の食い違いが多く家族内でのトラブルが増える。適時、課題と方向性の確認のため話し合いを行う。医療機関との連携を行い、レスパイト入院を定期的に繰り返し活用した。(在宅と入院の生活)
ケース3
小児難病 10歳代 男性 人工呼吸器装着 大学病院からの紹介
生下時より家族の協力もあるが母親が介護の中心。時間をかけてMSWと一緒に今後の在宅療養支援の必要性、地域の支援の紹介と具体的内容を話しする。地域で相談支援専門員と自宅と特別支援学校訪問し教師と連携した。長く介護を行い医療的ケアもしっかりできる母親に対して、本人と母親を取り巻く環境を知ることから始め、今困っている介護内容の表出(成長期の入浴)から訪問看護とリハビリの介入ができた。
3ケースは初期の病気の理解と在宅構築に向けての家族の支援ですが、当初から私一人が支援したわけでなく必ず複数の支援者と一緒にかかわりました。MSW、相談支援専門員、CM、訪問看護師さんたちでした。
3ケースが10年以上も在宅療養できたことは支援者の皆さんの支援、ケアの結果です。本人も家族も家族介護が当たり前の思いと責任感は強いです。誰が家族のケアを行うのかでなく場面場面での家族の言動に向き合いチームで共有してチームで支援してほしいと改めて思います。
2025.7.25
当院の管理栄養士が末期がん患者に調理したスベラカーゼ寿司
歯科医師の中川です。
私たち歯科医師は医療職の中ではとてもマイナーだと日々感じています。みなさん、口の中がどうなっているのか、それに対して何を行っているのか、わからないからだと思います。でも、我々だけでなく、他にもマイナーを自称される職種の方がいらっしゃいます。それが「管理栄養士」や「言語聴覚士」さんです。
日々の診療では、そもそも栄養状態がわるければ何もうまくいかないこと、また食べたいのに食べられるかどうかの評価や環境調整がご自宅でできていないことにたびたび遭遇します。それらの課題解決に、在宅で管理栄養士や言語聴覚士は欠かせない存在なのです。
在宅生活での「食」をかなえるために、在宅マイナー3職種である歯科医師、言語聴覚士、管理栄養士で訪問同行することがあります。当グループの瀬津さんが「食支援チーム」と命名くださいました。一人ではかなわなくても、みんなで集まると還元できることや可能性が増えてくるのです。
病院の中と違い、在宅ではとても連携のハードルが高いのですが、とても意識の高い、積極的な支援者に囲まれて、今日も支援を行っています。
2025.6.30
ケアマネジャー布施です。
ケアマネジャーとして難病の方を担当させて戴く経験の中で
・先を見通すことと先回りすることは違うということ、
・その方の気持ちの変化を待つことの大切さ を学びました。
ある方が大学病院の担当医師に「布施さんは私を置いてどんどん先に行ってしまう、私はおいてきぼりや」とこぼされたことがあったと伺いました。
そんなふうに感じておられるとは全く思っておらず、利用者さんにそのような不安を与えていたのだと...ハッとしました。
できる限り早めに支援体制を整える事が、利用者さんの安心につながると思い対応していましたが
病気の診断受容ができない状態の時に、先回りされていると感じるのは本当に不安だと思います。
進行の速度はそれぞれですが、病気の進行だけではなく精神面への配慮・時期を待つことが大切だと改めて感じました。
難病研修を企画する中で研修への参加目的に「病気の知識や制度利用について学びたい・知りたい」というのが割と多いように思います。
確かに両方ともに大切な事だと思います。
加えてその方の「今まで・今・これから」を尊重し、表情・態度等からその方の気持ちの変化を理解しようとする姿勢が信頼関係につながるように思います。
これは、間接援助職のケアマネジャーという役割の醍醐味でもあると思います。
難病支援を経験することで、考え方や視点が広がることはもちろんですが、対応力・柔軟性が鍛えられます!!!
実践で多職種や難病ケアカフェで刺激を受けながら、これからも難病支援に関わり続けたいと思う今日この頃です。
2025. 5.30
「生きる」
こんにちは 脳神経内科医の辻です
先日、当院音楽療法にてお世話になった声楽家の先生からご連絡があり、京都女子大のホールで、演奏会があり、兵庫県にお住いの出演者のお母さまが聴きにきたいのだけれど、ご本人はALSで療養されていて、外出はこれが最後かもしれないということで、お手伝いをしたいのだが、女子大のホールは二階席で、エレベーターがない!。日曜なので、職員はいなくて、主催者参加者は女性ばかり、経験もないということで、相談がありました。おまけに、開催は三日後!こんな困難なミッションですので、瀬津さんに相談しました。むつかしいけど、障害者生活相談センターに聞いてみるようにいわれ、すぐ電話したところ、いくつかの事業所に声かけてみますと、嫌な顔(声ですが)もせず、お聞き入れいただいて、待つこと15分、まごのて洛東の岡山さんという方が受けて下さるのでお電話をといわれ、携帯番号を教えていただきました。すぐに連絡し、主催者とつなぎました。登り、2500円、帰りも必要ならもう2500円といわれ、安さにもびっくりしましたが、反応の速さ、度量の広さに、感動しました。このことは、あえて、ものすごく大げさに言うと、患者さんの生きるための選択に応えることができたということかと思います。上野千鶴子氏の近著、「アンチ・アンチエイジングの思想 ボーヴォワールの『老い』を読む」は、ボーヴォワールの著作をテクストに読み解きながら、それを残されたものへの宿題として、その後の動きを批判することで、一つの大きな流れを描き出しています。と、私には思えます。その中でALSに触れている個所があり、生きるという選択肢が正しく可視化できなければ、死ぬという選択は強制ではないかという問いかけがあります。ACPにも批判的で、死ぬ選択肢ばかりが並べられ、生きる選択肢とそのアクチュアリティーが示されることがないという趣旨です。実は、もう一人、長谷川唯さんといって、立命館大学の生存学研究所におられて、ALS支援活動をされている方にもメールで連絡して、同じく二人ほど、ヘルパーさんをご紹介いただいていました。この方はALSのドキュメンタリー映画「杳かなる」の上映会をされて、拝見しました。生と死のはざまで、淡々とした描写で、その暮らしが活写されていきます。これなども、生きる選択の一助になればと思います。人は正常であるとき、『老い』、『病い』、『障害』は他者性を帯びます。それが自己のものになった時、見る自分と見られる自分は分離され、両者の間に弁証法的な関係が生まれます。弁証法的というとむつかしいですが、対話的関係といえばいいでしょうか。対他的なわたし(難病者)と対自的なわたし(主観主体)との対話です。弁証法的な関係は悪いものではありません。それが正しく機能すれば、前向きに進めてゆく原動力になります。「~とともに生きる」、という形ですね。でもそれが拒否的になるとき、その対話は不安定になります。ALS委託殺人事件の当事者の方は、私にはその典型です。上野氏はその事件にも触れていて、「死にたいと生きたいの間を揺れていた」と、正しくとらえています。上述したように、生きるための、あるいは生きたい、の選択肢が示されていないと、それは死の強制になる。死にたいを誘導するような事態を抑え、生きたいを誘導するような事態を重ねてゆく。私たちにできることはそういうことかなと思います。今回、お世話になった障害者生活相談センターと、ヘルパー事業所のお二人の行動やお気持ちは、きっとそのように伝わったのではないかなと思います。うれしい「事件」でした。
2025.4.30
『症状に向き合い、想いに寄り添う』
こんにちは。理学療法士の山中です。
病院勤務から在宅へ足を踏み入れた際にぶち当たった壁の1つが支援者間でのサービス格差でした。
この課題は理学療法士のみならず、特に在宅を支援する全ての職種に当てはまるかもしれません。それぞれの支援方法については各利用者を通して集まったチームにおいて専門職として役割、医療者としての役割、さらに広く支援者としての役割があります。
これら役割についてどのように考えれば良いでしょうか?
そんなモヤモヤの中で神経難病のリハビリを専門にしようと覚悟を決めた時に「難病なんだから勉強しても変わらないんじゃない?」と言われた事がありました。確かに神経難病の認定PTの資格を取得した後もすぐに何かが変わった訳ではありませんでした。むしろ多くを学んだ事で本来あるべき現場と実際の現場との乖離を感じてさらにモヤモヤは膨らんでいきました。
ちょうどそんな時期に表題の言葉に出会うことになりました。当初は『寄り添う』ってよく聞くけど『向き合う』って?そもそも区別する意味ある?等の疑問を感じました。
しかし『症状に向き合い、想いに寄り添う』というように解釈するとどうでしょう。
専門職として症状に向き合っているけれど支援者として想いに寄り添っていないパターン。支援者として寄り添っているけれど専門職として向き合っていないパターン。専門職として向き合っているけれど医療者として向き合っていないパターン等、様々な関わりがあることがわかり、自分自身の中で一気に腑に落ちるものがありました。
難病ゆえに症状に向き合っても越えられない壁はあります。しかし症状に向き合い続けることで想いに寄り添うこともできます。「この想いは自分にしかわからない」という強いスピリチュアルペインを抱いている神経難病の方こそ、自分自身も含めてこのようなスタンスでチームで関わっていけたらと日々感じています。