通学路に宝くじ売り場があります。建物の横に、地面からにょきっと生えたような大きな白い招き猫があります。この招き猫にふれると宝くじに当選するという、うわさがあります。だから、くじを買う人がさわります。くじを買わなくてもなんとなくさわりたくなる、かわいい顔をしています。おかげで招き猫の耳はすり減って、とがっていません。おいでおいでと丸めた手も、ペンキがはげていました。
ユリは登下校のとき、この招き猫が気になっていました。
「ペンキがはげたところをきれいにしてあげたい。耳のかわりにねこ耳カチューシャなんて、どうかしら」
学校の帰り、宝くじ売り場はしまっていて、だれもいませんでした。近づいてみると、招き猫の目とユリの目はちょうど同じくらいの高さです。赤い首輪に丸いあとがついています。今はないけれど、鈴がついていたみたい。ユリは家に向かいました。
「どこかに鈴があったはずだわ」
ユリが引き出しをガサゴソさせたので、台所からおばあちゃんが声をかけました。
「おばあちゃん。鈴を探しているの。招き猫さんにプレゼントしたいから」
おばあちゃんが一緒に探してくれた鈴と赤いひもを持って、ユリは招き猫のところへ急ぎました。
「ねこさん、もっと背が高くなったら、わたしが色もぬってあげるからね」
そう言って、招き猫の首に鈴をつけたら。招き猫と目が合いました。
「えっ?」
ユリはびっくり。招き猫はまじめくさった顔から、にゃんわりと笑いました。
「きゃっ! ねこさんが動いた!」
「ユリちゃん、ありがとう。うれしいにゃあ」
招き猫がおじぎをしました。シャラーンと首の鈴が鳴ると、招き猫はピョーンと台から降りました。
「ええーっ」
「お礼にちょっと、ひとっ飛び」
招き猫に抱えられ、風がほっぺたをすうっと通り過ぎたと思ったら、ユリは知らない場所にいました。大きな朱塗りの屋根の下で、たくさんの招き猫がワイワイガヤガヤとおしゃべりをしています。白、黒、赤の、招き猫がわんさか。
「ここはどこなの?」
「ここは招き堂。招き猫たちが仲間を招くお堂だよ」
招き猫は友達に会いたくなると、ここに来て友達を招きます。人間から無理なお願いをされたら、ここに集まって相談をするそうです。
「こないだにぃ、子供の病気の治療をするために、どうしても大金が必要なんだという願いをかにゃえるために、みんなでいっぱい祈ったんにゃー」
「病気は治ったのかにゃー」
「人探しだってするのにゃよ。各地に住む招き猫の力を借りて、ここで情報交換をするのにゃ。お金を引き寄せるよりよっぽど大変にゃーが」
「役に立つとうれしいにゃねー」
招き猫はそれぞれに言いたいことがあったので、ユリは黙って聞いてあげました。
「すごい。みんな頑張っているんだね」
ユリがほめたので、招き猫たちの目がピカピカと輝きます。
「ユリちゃんは願いごとはないのかにゃ?」
「あのね、招き猫さんたちの色がはげたところや、壊れたところを直してほしいわ」
ウオオーン!
まるで地震かと思うような地響きがして、見ると招き猫たちが滝のように涙を流していました。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ユリちゃん、ありがとう。自分のためのお願いじゃなくて、僕たちのために願ってくれるなんて。でも色が無くなるほどなでられるのは、僕たちの勲章にゃのさ」
招き猫たちは胸を張りました。
「そうだったのね。直すだなんて言ってごめんなさい」
「うんにゃ。新しい鈴はニャンともうれしかったにゃ」
シャラシャラシャラー。
たくさんの鈴が鳴り響くと、招き猫たちが白くかすんでいきます。そして、ユリは宝くじ売り場へ戻っていました。
「楽しかったよ。どうもありがとう」
話しかけても、招き猫はもう返事をしません。けれど瞳はつやつやとまだぬれていました。夢じゃなかったんだ、とユリは思います。
その後も、招き猫は涼しい顔をして宝くじ売り場に立っています。ユリはときどき招き猫の前に立ち、また目が合うのを待っています。
「短歌草原」91巻2月号(東京/短歌草原社)に初出した「まねきねこ」を修正しました。
「文芸おとふけ」55号(2023年・音更町文化協会 発行)
「音更についての文を」というお話を受けて音更の今が気になり、二月に訪れた。私が住んでいたのはもう十年近く前になるが、緑陽台保育所の近くで三年過ごした。丘の上は車の騒音から遠く、散歩しながら麦の成長、草花の盛衰を感じ、朝な夕なに日高山脈を眺めるのが楽しみだった。
二〇一二年の秋に、音更町図書館の展示ホールで行われた「大地展」に出品したのをきっかけに、音更美術協会にお誘いいただき、お陰さまで翌年からは音更美術協会展にも出品させていただいた。そこで絵を描く人たちと出会い、寄る辺ない生活に彩りがもたらされた。ジャンルは違っても「絵を描く」という共通点を持っているだけで親しみを感じ、あたたかな気持ちになったものだ。
さて、この音更美術協会が、音更の子供達の絵画力の向上に力を尽くそうという話が持ち上がり、美術協会は数人ずつ班を作り、それぞれの担当の町立保育所で絵画制作のお手伝いをすることになった。保育所の先生方との話し合いにより、協会員が主導となって指導したところもあるし、先生方の指導の方向性を聞いて補助をしたところもあった。その違いについては協会内でも話し合いがあったと記憶している。
私は緑陽台保育所に何度か通い、子供たちと触れ合った。子供たちは明るく自由。先生方はサポートしつつ、おおらかに教育。絵画制作はカリキュラムがあり、共同制作の時間と個人制作の時間がある。参加したときの共同制作ではホールに大きな紙を広げて、そこに乗り物や家を描き足して(音更)町にしようという制作だったように思う。ホールだから走り出してしまう子もいるのではと思ったが、静かに制作する子がほとんどで、早く描きおわって遊びたいウズウズ組もいたが、先生は声がけが上手で少し待たせ、全員が終わったらそこで電車ごっこをするという静から動、制作から運動への連動はお見事。お手伝い組の私たちも一緒に走り回って、子供たちからエネルギーをもらった。
教室での個人制作は主に季節の行事をテーマにした絵であった。同じテーマでも子供たちの想像はひとりひとり違う。先生が普段通りうまく導入していくので、私たちは指導というよりは絵が進まなくて困っている子のアドバイスに終始した。色の塗り方が大胆だったり、ものの見方が大人びていたりして、小さな子供の中にある大きな可能性を垣間見た。こちらの方がたいへん勉強になり、先生方の邪魔になりはしなかったかと思って恐縮しながら・・・・・・。外部講師と名ばかりで、慣れていなくて自信が無い私たちを受け入れてくださった先生方にはとても感謝している。
当時、発達障害を抱えている子供が複数いるように感じた。その子を取り巻く環境は細やかな配慮がされていて(先生にはご苦労が多いかもしれないが)とても感じ入った。私の娘にも発達障害があるが、娘の子供時代にはこういうことが世間でもあまり明るくなく、普通の子供と同じように育てたために本人には苦労が多かったと後になって知った。現代は発達障害や身体障害があっても臆することなく外で学ばせてあげられるように周囲が変わったのだと改めて思い、先生方に御礼を申し上げたい。
八年ぶりに通りかかると、緑陽台保育所は園舎も新しく緑陽台認定こども園に変わったことを知った。時代の流れで変わることはある、でも、子供が大切な宝物であることに変わりはない。
「文芸おとふけ」55号(2023年・音更町文化協会 発行)
五月(さつき)は名前からもわかる五月生まれだ。大半のクラスメイトより少し早く十歳になった。
四年生には成人の半分の節目として、二分の一成人式という授業がある。ここまで育ててくれた両親や祖父母にありがとうの気持ちを伝え、赤ちゃんだった時の思い出の品を持ち寄って、どれだけ大きくなったのかを実感する。
どんな大人になりたいか夢について話し合ったあと、二十歳の自分に向けて手紙を書く。その手紙は二十歳になったら開封する。
五月はその手紙を授業中に書き上げることができなかった。クラスメイトたちは「警察官になって平和を守る」とか、「スイーツ職人になりたい」とか言って目を輝かせているが、五月にはイメージが湧かないのだ。
「五月は何になりたいの? 」
友達に尋ねられ、内心ドキドキしながら五月は「ないしょ」と答えた。
リビングのソファーに寝転んで、手紙のことを考えている。天井から下がるモビールが瞳に映っている。それは五月が作ったもので、母が気に入って天井にピンで留めたのだ。父が赴任先から帰るたびに「通るときに引っ掛かるから端へ移して」と言う。父は背が高いので気になるのだろうが、母は一向に気にしない。真ん中にある方がどこからでも見えると言うのだ。母が気に入ってくれたことが五月は嬉しい。それはピンクの猫、水色の犬、黄色い象でできていた。
それを授業で作っているときに、友達からは「変なの」と言われた。猫はピンクではないし、水色の犬も黄色の象もいないけど、でもこんな色の動物たちがいたらどんなに楽しいだろう、とそのときは思ったのだ。
私はちゃんとした大人になれるのかな、と五月は思った。母は相変わらず掃除も料理も苦手だった。五月が家事を手伝わなければ、何がどこにあるのかもわからなくなってしまう。よく遅刻もするから、母がスマホを見ながら化粧をしているのが気が気でない。五月は自分も登校しないと、と思いながら心配で母を急かすのだった。母は気の向かない仕事をしていると遅刻や病欠が多くなる。続いているときは母に向いているということなので、その仕事を続けていけるよう、家のことはなるべく手伝おうと五月は決めていた。仕事に行かなくなると、母はやる気がなくなりもっと部屋を散らかし、食事も不規則になり、朝も起きなくなる。
父は仕事が忙しいときは月に一度くらいしか帰れないので、戻ってくると家の惨状にウッ! と顔をしかめるが小言を言わない。言いたいけど言わないようにしていると五月には思えた。そんな父の様子も見たくはないので、五月は普段から散らかり過ぎないように気をつけて暮らしている。
最近は友達も慣れっこになって、雑然としている五月の家を「ちょっとレトロな雑貨屋」みたいだと面白がってくれるようになった。
でも、五月が掃除や料理をしているうちに友達は公園で遊んだり、映画館へ行ったりしていた。「昨日、何してた?」という女子たちの会話はキラキラしていて、その笑顔に夢や未来が詰まっているように見えた。あの子たちと同じようには話せない。私の毎日にはキラキラがないから。
窓からの光が、モビールをあたたかい色に照らした。夕方になったのだ。
五月は夢を持っていなかった。楽しいことも好きなこともある。でも、それを一生続けられるとは思わなかった。母のように何でも始めてはすぐやめるのではないか、と恐れていた。気持ちの動くものに手を出しては放り出してしまう。それはとても贅沢であり、もったいなく、悲しいことに思えた。
祖母が以前に「お母さんには発達障害がある」と話してくれてからしばらく経つが、最近になって本やインターネットで調べるようになった。母に当てはまることがあまりに多く、五月はショックだった。
私が大人になって家を出たら、お母さんは一人でやっていけるのかな。ゴミを出し忘れてゴミの中で暮らすんじゃないのかな。洗濯物が山になって、またソファーに座れなくなって。お父さんは帰ってくるたび我慢するのかな。
そんなことを考える間にも、部屋は夕暮れに包まれる。
発達障害は身体障害のように端から見て障害があるとわかりにくいので、周囲の人から理解されにくい。白い杖や車椅子はわかりやすく、周囲が支援しやすい。勿論、身体障害がある人たちも、支援を受けないで暮らせるならそうしたいと思うかもしれない。
五月は発達障害を持つ人が社会生活を営む困難さを本で知った。支援が必要なことはわかりすぎるくらいわかる。現在、五月は母の支援をしていると言っても過言ではない。それでも、そういうことをもっと学んで、一生の仕事にしたいとは思えなかった。これ以上誰かを支援するなんて無理。五月は子供ながら何年も母を支援して疲れてしまったのだ。福祉の仕事をしなくても、母を支援することは終わらない。その上他人の支援までするのは無理だと感じた。
部屋が暗くなっていた。照明を点けると、モビールがキラキラと光った。作り物の光で輝くのは嘘くさく、なんだかモビールがかわいそう。
窓の近くに飾ろう。おひさまが当たる場所に。
決めたら気持ちがすっきりした。だけど五月には天井は高すぎて、椅子に乗っても届かない。テーブルの上に木の椅子を乗せてみた。椅子の脚がカタカタ揺れて少し怖い。大丈夫、と自分を励ます。ゆっくりモビールを外した。
新しい場所を決めたものの、そこには足がかりにできるものがない。テーブルは重くて動かせなかった。五月は少しうなだれて、モビールを一旦置いた。お米を研ぎながら、目は台になるものを探している。本を積む、危なそう。クッション、もだめそう。そんな時、ガチャリ、とドアが開いた。
父が入って来たのを見て、五月は驚いた。
「ただいま。ごめん。びっくりした? 近くで仕事だったから帰って来たんだ」
おいしそうな匂いがする。洋風な、お腹が空く匂い。父の手には大きな包みが提げられている。
「ご飯炊いちゃったか? 急に帰って悪いと思ってさ。みんなの分も買ってきたぞ」
五月はパアッと笑顔になった。
「お父さん! お願いがあるの」
翌朝、カーテンを開けると朝の光が差し込んで、モビールを輝かせた。クルクル、キラキラ。きれいで、ずっと眺めていたい。
いいんだ。猫がピンクでも。何色だっていいんだ。自分が思った通りに、その気持ちを信じよう。夢だって仕事だって、今、方向なんて決めなくていい。だから「二十歳の私へ」の手紙には
「あなたは今、何がしたいですか? どんな夢でも私は応援します」
と書いた。その手紙を読むとき、五月は自分らしく生きている大人になっているはずだ。
「文芸おとふけ」54号(2022年・音更町文化協会 発行)
警察官が事件を起こしたと聞くと、がっかりする。警察官も人間なので仕方がないとも思うが、親戚や友達の家族に警察官がいて、真摯に仕事に向き合っているのを知っているので余計にそう感じるのかもしれない。
警察の方にはお世話になってきた。なんて書くと
「えっ、この人は犯罪者かな」
と思われそうだが、そうではない。私たちは普段から、知らないうちにいろいろな人のお世話になっていて、お陰様で平和に暮らせている。世の中が複雑になって、事件も多様化して大変だ。学校の登下校時間に警察車両がパトロールをしている様子も見られるようになった。
先日、交通事故に遭って、警察の方が親切に対応してくださった。親切、と言えば思い出すことがある。
私が子供の頃の家業は食堂だった。店舗と住まいは別なところにあった。両親は夕方になると店へと出掛けて行き、夜中の三時を目処に帰って来るのだが、時々もっと遅くまで帰らないこともあった。私は夜を一人で過ごしていた。
両親は仕事帰りに、店の客が経営するスナックに寄って帰りが遅いこともあった。お互いに自営業同士、客同士、行き来があるのが商売だ。スナックの終業とともに帰ってくれば四時か五時。夜中に親が帰ってこないので心配になることは多々あったが、寄り道をしているなら理解できた。ところがあるとき、明るくなっても両親が帰って来ない。夏の朝なら三時過ぎでも明るいが、冬の夜ともなれば暗さは格別だ。長い夜を私はまんじりともせず待ち続けた。なにか心が騒ぐのだった。
誰か親族が亡くなったなら、私にも連絡がくるだろう。待つ間に悪い想像が膨らんだ。いつもはそんなことをしないのに、派出所に電話を掛けてしまった。
「両親が仕事から帰って来ないんです。いつもなら遅くても四時頃には帰って来るんです。今夜、火事があったとか、交通事故があったとかいうことはありませんか? 」
電話に出た警察官は声からして年配の人のように思う。
「そうなんですね。それは心配でしょう。今のところ今夜は火事も事故も起きたという情報はありません。もう少し待っていたら帰って来ると思いますよ。不安なら少しお話ししていてもいいけれど。電話を切っても、ここにいますから心配だったらまた掛けてください。大丈夫ですか? 」
というようなことを話された。十歳を過ぎて、警察の電話をつないだままにしておけないことはわかっていた。他の困っている人が電話をしてくるかもしれないからだ。夜更けというか朝方というか、こんな時間に電話に出てもらえる人を私は他に知らなかった。こんな時間に親戚に電話をして起こしたら、あとで親から大目玉を食らうに違いなかった。
警察官は
「できたら寝なさいね。朝になればお父さんもお母さんも帰ってきていると思うよ」
と励ますように付け加えた。
一人で過ごす夜には、新聞や宗教の勧誘、押し売りも来た。クリーニングの支払いや新聞代などは集金の時代だったので、私はいろいろな職種の大人と対峙しなければならなかった。現代なら「誰か来ても玄関を開けるんじゃない」とか「居留守をしなさい」とか言うのかもしれないが、そういう時代ではなかった。目に見える姿でヤクザな家業の人も多かった。両親の食堂にはヤクザが来ることもあった。同じように警察官も夜中でも見回りをかかさなかった。ありがたいことである。
一時期、両親がヤクザから脅されていたとき、家によく電話がかかってきたが、親は仕事に行っていて家にいない。私が応対していた。その人は丁寧な言葉遣いなのに、ものすごく深いところから響いてくるようなゾッとする声をしていて、電話で名乗らなくてもその人だとすぐわかった。大人になった今思うが、声優のように声音を使って怖がらせようとしていたのかもしれない。もし、本当にそういう声だったのなら、彼は声優になれたかもしれない。
ヤクザから逃げるためとは言わないが、我が家は年に一度ほどのペースで引っ越しを繰り返していた。ある夜、訪ねて来た人があった。面と向かって
「お父さんはいるかな? 」
と言うその声は例のゾッとする声で、この人があの電話の人なのだ、と直感した。普通に紳士的なスーツを着こなして、身だしなみはきれい。黒目がちな瞳は強く光っていて、何も見逃さないぞと言うように私をねめつけていた。彼の背後は夜の闇。少し笑っているようにも見えるが、決して笑っているのではない。子供の私を侮っていたのだ。
父は仕事に行っているのでいない、と答えると、彼は少し疑わしそうに私の背後を見回したが、そのまま何も言わずに帰って行った。ごねずに帰ってくれたのでありがたかった。下手な押し売りよりスマートだ。
大人になってから、知人の家族や近所の派出所のお巡りさんなど、たくさんの警察官にお会いした。みなさんとても礼儀正しく親切にしてくださるのに、割と目つきが怖い。いや、鋭いと言うべきか。あのときのヤクザの目つきに似ているなあと思う。警察官とヤクザの目つきが似ているだなんて話をしたら叱られるかも。この話を最近お子さんが警察官になった友達に話したら
「いや、うちの子ももう目つき怖いわ」
と言って苦笑していた。
私たちを見守ってくれている全ての警察官に感謝の気持ちを送りたい。
「文芸おとふけ」54号(2022年・音更町文化協会 発行)
授業を終了するチャイムが鳴り、二年生の教室の前に、子供たちが集まっている。
「何時に遊ぶ? 誰のうち?」と楽しそうに相談している輪の後ろを、五月(さつき)は小さくなってそうっと通った、急いで校門を出る。時々ちらっと後ろを振り返るが、誰も追いかけては来ない。それが嬉しいのか悲しいのか自分でもよくわからない。家が見えてくると、ランドセルが重くなった。
玄関のドアを開けると、出し忘れたゴミの袋が入り口をふさいでいて、靴を脱ぐのが大変。廊下にはバッグや服が落ちている。それを踏まないようにしてリビングに入った。
キッチンには汚れた食器がどっさり。ソファーは洗濯が終わった服と、脱いで置いたままのものが山になっている。ソファーとテーブルの間に少し床が見える隙間があって、五月はそこに収まった。ランドセルを隣に置いて「はあー」と伸びをしかけたけど、机の下の雑誌につま先が当たった。何事もなかったみたいに足を引っ込めたけれど、なんとなく悲しい。
五月の母の弥生は片付けが苦手。掃除も苦手。料理はとても時間がかかる。鍋を火にかけながらスマホを見始めて、料理のことを忘れてしまう。スマホは後回しにしなさいと、弥生は夫の冬馬に注意される。それが五月には両親が喧嘩をしているように見えた。「お母さんと喧嘩しないで」と五月が頼むと、「お父さんは仕事の都合で毎日は家にいられない。だから五月のことが心配なんだよ」と言われた。冬馬は単身赴任をしている。一、二週間に一日帰ってきて、洗濯をしたりゴミを分別したりする。冬馬がため息を吐くのを何度も見た五月は、父の機嫌が悪いことを察した。母と喧嘩しないでと五月が頼んだから、母への怒りを我慢しているのかもしれないと思うと、心が苦しくなる。
五月は友達の家に遊びに行ったとき、部屋がきれいなことにびっくりした。テーブルの上には何もない。床は広く、走れるくらい。五月は自分の家と友達の家の暮らしぶりを比べ、戸惑いを感じた。
「お母さんは、どうしてお掃除が嫌いなんだろう?」
散らかった家の中を見ながら、ため息が出た。五月は、友達の家には遊びに行くくせに自分の家にはよばないと、学級で悪口を言われていた。公園や児童館に行って、友達と一緒に遊んだあとで、必ず誰かの家に行くことになるのだった。
友達と遊びたい。家を行ったり来たりして、他の子たちみたいにしたい。でも、散らかっている部屋を見られたくない。汚いとか言われそう。それが嫌で、近頃は友達の誘いを断って、ひとりで下校している。
みんなが遊ぶ相談をしているのを見ると、とてつもなくもの寂しい気持ちになった。
五月は弥生に「お片付けしないの?」と訊いたことがある。弥生はなにげなく「そのうちね」と返事をした。そして話したことをすぐに忘れた。そういうところがあった。
五月には母がいつも真剣に話を聞いてくれないという不満があった。仕事をしている母のことをえらいと思う一方で、家の中がぐちゃぐちゃでも気にしない性格を尊敬できなかった。
宿題をするためにテーブルの上を片付けていたら、母方の祖母から電話がかかってきた。祖母は五月が留守番をしていることを心配し、時々こうして電話してくる。
「五月ちゃん。こんにちは。元気で学校に通っているかい?」
「おばあちゃん、こんにちは……」
なんとなく悲しくなっていた五月には、祖母の声はとても明るく聞こえた。妙なことに、自分がひとり取り残されたような気持ちになって、急に涙が出た。祖母は五月の鼻声を放ってはおかなかった。
五月は「お母さんが家を片付けてくれないので友達をよべない」と打ち明けた。電話の向こうで、祖母は涙声になった。五月は自分がお母さんの悪口を言ったせいだ、と心配になった。
「五月ちゃん、ごめんねえ……あんたのお母さんはね、病気なの」
「えっ! 病気なの?」
五月の胸は、まるで石がのったように重くなった。
「それがねえ、病気と言ってもねえ……」
祖母は話しにくそうに、五月に母の話をしてくれた。
弥生には発達障害があり、片付けが苦手で、人の話を聞くのが苦手で、何かに夢中になると今までやっていたことを忘れてしまうそうだ。いつも眠たくて、ぼーっとしたり、よく失敗をしてしまうのもそのためらしい。相手の気持ちがわからなくて、言葉遣いも下手だから思いやりがないと思われてしまう。本当は優しい人なのに。
五月自身も、いつも寝てばかりいる弥生のことを少しなまけていると思っていた。それは発達障害のせいだったと、今、理解した。
「ねえ、五月ちゃん。お母さんだって、きっとちゃんとしたいと思っているはずよ。でもできないの。したいのにできないって辛いことだと思わない? お母さんは悪くないの。おばあちゃんがお母さんを健康に産んであげられなかったから、おばあちゃんのせいなの。だからね……五月ちゃんにお願いがあるの。お母さんを悪く思わないで。五月ちゃんができることをお手伝いしてあげてほしいの」
電話が終わったあと、五月は興奮していた。お母さんがかわいそうで泣いた。おばあちゃんもかわいそう。お母さんの気持ちを考えてみた。ちゃんとしたいのにできないのは辛い、と思った。お父さんはわかっていたんだ。だから代わりに掃除や洗濯をしてくれたんだ。これからは私が頑張る。そうしたらお父さんだってゆっくりできると思う。
五月は散らかっているリビングを見回した。
息をいっぱいすって「よーし!」と自分に力を入れた。
床の上の服を拾って、たたんだ。一枚、二枚……。そのうちに、たたんだ服でタワーができた。きれいになった部屋の様子が頭に浮かんできて、どんどん楽しくなった。お皿も洗おう。それから掃除機をかける……。
お母さんが帰ってきたら、びっくりするかな。なんて言うんだろう。喜んでくれたらいいんだけど。そのときの母の様子を想像すると、五月は笑顔がこぼれた。
今までお手伝いをしたことがないわけではなかったが、慣れていない手つきで一生懸命やっても、八歳の五月では家事がはかどらない。目が回るくらい働いたのに、ぜんぜん片付いた感じがしない。気がつけば部屋は薄暗くなっていた。電灯をつけると様々なものが光を反射してくる。部屋をきれいに片付けるのがこんなに大変だとは。
頬がほてって疲れを感じ、ひと休みしようと、ソファーにもたれかかると、眠ってしまった。
「ただいまあ」という声で目が覚めたときには、服のタワーは倒れてまたぐちゃぐちゃになっているし、お腹は空いたし、疲れているしで切なくなって泣いてしまった。
帰って来たら五月が大泣きしているので、弥生は何事かと思った。五月がしゃくり上げながら「お手伝いしようとした」と言うのを聞いてほっとした。
「なーる、わかったわ。ありがとね、五月」
五月はもっと素晴らしく部屋が片付いて、お母さんをびっくりさせたかったのに、とまた涙が出た。
「五月の気持ち、嬉しいよ。ありがと」
めったに抱っこしないのに、弥生は抱いて五月をあやした。
「まー少しずつ? 手伝ってくれたら助かるかな。お母さんも頑張るから」
お母さんからソーズのいい匂いがする。五月のお腹がぐーっと鳴った。
「ねえ、たこ焼き買ってきたの。食べよ。今日忙しかったから疲れたの。これで夕食。いい?」 と照れ笑い。
「いいよ! たこ焼き最高!」
五月はジャンプしながら、お母さんの笑顔が大好きだと思った。
もう友達を家によべない理由はない。五月の努力で変えられることがわかったから。
「文芸おとふけ」53号(2021年・音更町文化協会 発行)
母の化粧が嫌いで仕方がなかった。子供の頃の話だ。
白い肌、紅い唇、黒いマスカラ。それらは私に嫌悪を抱かせた。
白粉の匂い、油の匂い、香水などにめまいを感じた。
深紅や紫のマニキュアを塗っては気に入らないと剥がし、塗り直す長い長い作業の間、除光液の臭いに吐き気を催した。
母は念入りに化粧をする間に別人になってゆく。夫のことも娘のことも忘れたふりをして、女に立ち戻る時間を大切にしていた。途中で話しかけてはいけない。 不機嫌になるからだ。こちらの用事は後回しにするのが礼儀である。その時間は母にとって自分が自分へと還ってゆく大切な儀式なのだろう。
私は子供のくせに、きれいに着飾った母のことを嬉しく思うとか、誇らしく感じるとかいうことがなく、 冷ややかだったかもしれない。母がそこまで着飾って自分の姿を良く見せようとするのは何故なのだろうと考えるような子供だった。
美しくいたい。人気者でありたい。しかしそれより もっと強い気持ち。それは結婚したことに対する後悔だったと思われる。夫や子供に我が身と人生を費やしてしまったことを悔やんだ。若く美しい時間。自由な自分。失ってしまったものはあまりに大きかった。母は幼かった私に、その気持ちを話した。娘を産んで「しまった」と思ったことを。言わずにいられない程、我慢できなくなっていたのだろう。
母は人生を悔やむことに費やしたくなかったのだろう。自分のために生きると決めた。こうあるはずだった自分を演出し、その姿で周囲から認識される。そうしてやっと市民権を得たような気持ちになって人前で堂々と振る舞える。羽が生えたように身軽になり、夜の街へ飛んで行った。父は黙って見送っていた。母のことを父がどう考えていたのかはわからないが、自由を許していたのだから、それなりに感じる所があったのではないだろうか。
私は化粧が嫌い、というよりは、母が化粧をする、という行為が嫌いだったのだろう。化粧して家族を置いて出て行く母が嫌だっただけなのだ。母が私を捨ててゆく時間だとわかっていたから。夕方になると楽しそうに出かけてゆく母を、無言で無視する父の姿も見たくはなかったから。
母は化粧をし、家庭から社会へ出ることで、妻として母としての日常と一線を画したのだろう。それは思うようにならなかった人生への抵抗だったのかもしれない。それをしてはじめて、化粧をしない時間は家族のために生きられたのかもしれない。現代のように、両親共働きが普通の時代では、母親が社会に出て活躍することが当り前になっているが、母が若い時はそうではなかった。もしかしたら時代の先を行く生き方だったのかもしれない。新しいもの好きの母らしいと思う。結婚も子育ても経て、私はやっと少し母の気持ちを理解することができる。現在、母は私の二十代の娘たちと化粧品の話で盛り上がれる素敵なおばあちゃんである。
「文芸おとふけ」53号(2021年・音更町文化協会 発行)
街を見下ろす山の、中腹。閉じられた遊園地が在る。長い間うち捨てられ、木の葉が厚く降り積もった。フェンスは錆ばかり。電柱は蔦にのみ込まれた。大風が吹くと遊具が軋み、再び動き出すかのようだ。夜半、若者たちが面白がって肝試しに訪れた時期もあったが、倒れた草が絡まり合い足下が危なくなってから、寄りつく者はいなかった。
年月の重さが等しく積もるものの、回転木馬だけはかろうじてかつての姿をとどめていた。大きな屋根があるからだろう。全盛期の遊園地で回転木馬は花形だった。子供たちがひっきりなしに並んでいた。開園から閉園まで休みなく回り続け、賑やかな声、音楽が、ここにいつも鳴り響いていた。
木馬の中に同じ木から切り出された二体が在った。樹木だったころ同じ水を得て生きていた。青く塗られた木馬、白く塗られた木馬に変わり、この遊園地へやってきた。外周は時計回り内周は反時計回りの遊具で、円盤の上には黒やピンクに塗られた木馬たち、赤や黄色の馬車などがある。そこに子供たちの衣装が加わってちぐはぐな色彩の中、二体の木馬は互いの姿を認めると不思議とぬくもりを感じた。もとは樹木なのだからおかしなものだ。木馬たちは子供が親に手を振る姿を見たし、親が笑顔で応えるのを知った。ここに集う家族たちは幸せそうだった。それで人の想いというものが、伝播したのかもしれない。
閉園の日、最後の運転が終了する間際、白馬と青馬はすれ違った。円盤の中心にある大黒柱(鏡に覆われた機械室)の向こうに互いの姿が隠れた。そのまま年月が流れていった。静かな園内には小鳥のさえずりや葉擦れの音だけが響いた。命のない木馬たちはただ静かにその場に立ち尽くしていたが、それぞれがある種の雰囲気を醸し出していた。空虚で思いなどないのが普通であろうに。
白馬は青馬がどうしているのかが気がかりだった。しかし、金属のバーで固定されているので動けない。あと少し、もう少しでいいから前へ進みたい。少しだけ回ってくれたなら機械室の向こうにいる青馬が見えるはずなのだ。風雨で汚れた鏡はもはや自分の姿を映してもくれない。白馬の前に見えるのは、伸び放題の野草に埋もれつつある隣の遊具だけだ。白馬は初めて寂しいと感じた。青々とした葉を茂らせて風を感じていた樹木のころ、こんな寂しい思いをしたことはなかった。子供を乗せていたころは喜ばれることが木馬の幸せだった。あの子供たちはどこへ行ったのか。もう長いこと人間を見ていない。せめて使えるうちに廃材として利用して欲しかった。こんなにも長く闇夜にうち捨てられるのなら、いっそ薪にくべて燃やし尽くして欲しかった。そんな暗い気持ちが沸き起こる。置き去られるということはそれほど哀しく切ないことだった。
その夏、暑い日が続いたあと、激しい雨が降り始めた。やがて滝のような豪雨となり、山から溢れた土砂が遊園地をのみ込んだ。回転木馬も屋根が落ち、円盤が傾きバーが捻れて折れた。木っ端が飛び散る。雨は霧散しすべてを地面に押しとどめた。無事だった遊具はひとつもなかった。
廃墟といわれるものは、人によって作り出された生活が人によって放棄されてできる。手もつけられていない原野を廃墟と呼ぶことはない。自然が不必要なものを山に埋めてくれたとして、目に見えないからと言って、それが消え去ったと誰か言えるだろうか。人々は街中の豪雨災害の復興に力を注いだ。すべては「よりよく生きていくため」に。今はそれしかできないのだ。そしていつの日か、忘れられた遊園地が新しく立ち上がるだろう。心にある愛が風化しないように、互いを思いやる心を忘れてはいけない。
「文芸おとふけ」51号(2019年・音更町文化協会 発行)
昌史は二月に、祖父を亡くした。例年よりも雪が多く、寒い冬だった。昌史と母の美奈代は緑陽台北区に住んでいる。祖父は緑陽台南区に住んでいた。これまで、美奈代が仕事に行っている間は、祖父が昌史を育てた。学校からまっすぐ祖父の家に向かい、美奈代が帰ると三人で夕飯を食べ、自宅へ戻る。自分の家がふたつあるようで、昌史は楽しかった。祖父の入院中は、夕方まで学童保育に預けられた。もう二年生だし、自分はひとりで留守番ができるのに、どうして学童保育にいなければならないのか、昌史は怒っていた。
「お母さんはぼくを信用してないんだ。まったく」
おじいちゃんが病気なので仕方がない、と我慢した。本当の病名を知らされていなかったので、祖父が元気になって、元の生活に戻れると、思い込んでいた。
祖父は肝臓がんで、この数年は病院にいる時間の方が長かった。それでも、気持ちは元気なままで、退院したその日のうちに、待ってましたとばかりに、行き先も言わずに車で出かけた。美奈代がどんなに止めても、自由気ままに振る舞った。祖父は、昌史のあこがれだった。自由で男らしく、父のように慕っていた。なのに、美奈代が祖父のことをわがままだといつも怒っていて、昌史は不満だった。
「お母さんはきびしすぎるんだ。なんでいつもあんなに怒っているんだろ」
春を越え、三年生になった昌史は、学童保育をやめてもらった。子供ながら、早く帰って家事を手伝いたい、という気持ちもあった。美奈代からしてみれば、大人に預けていた方が、よほど安心なのだったが。
美奈代にとって、父が退院したての状態で、車の運転をするのは悩みの種だった。怒りすら感じていた。しかし父は聞き入れなかった。
数ヶ月前から、美奈代は父の死を覚悟しており、そのことについては諦めがついていた。だが、何ヶ月も病院にいた弱った体力で、運転をするのだけは、許せなかった。体のことが心配というよりかは、交通事故を起こしてしまうことの方が恐ろしく、父だけが怪我をするならまだしも、この町の人たちに迷惑をかけてしまったらと思うと、車に乗っていなくなった後、帰ってくるまでは気が気ではなかった。どこまで行っていたのか知らないが、亡父の住まいを片付けていると、ガソリンスタンドのレシートがいくつも出てきて、これだけのガソリン、いったいどこまで行っていたのかと、びっくりするばかり。それでも、あれだけ自分が反対しても、最後に好きなことを全うした父のことを思うと、今だからこそか、笑みがこぼれることもある。今まで十分に心配したのだ。これからは、父が医師の忠告を無視して酒を飲むことも、気にしなくていい。言いたくないことを、言わなくていい。
父は、倒れて病院へ搬送されたにも関わらず、肝性脳症でそのときのことを覚えていなかったので、医師が提示する治療をことごとく拒んだ。美奈代ははじめ、医師にがんであることを伏せてくれるようお願いしたが、医師は難色を示した。現代の治療は本人が前向きになることが必要だ、と医師は言った。話さなければ、病名を知らないばかりに積極的な治療を拒む。それは、本人にとって望ましくない。中途半端な治療では効果が望めないそうだ。それくらい、病状は悪いということだった。
「大池さん、あなたは肝臓がんです。これからは積極的な治療が必要ですよ」
そう言われてなお、父は、
「どうせ死ぬんだから治療はしなくていい。薬漬けになって病院で暮らすより、好きなことをして家で死にます」
と言い返した。これには参ったが、医師も本人が同意しない治療はできない。それで、肝臓の数値が少し落ち着いたところで、家に帰された。その後も何度も倒れ、緊急入院し、抗がん剤はイヤだと駄々をこね、父が歩み寄れた治療は、ラジオ波焼灼術と呼ばれ、腹部を少し切開し、肝臓に電極針差し入れて、がんの部分を焼く手術だった。次には、肝臓動脈塞栓術。施術後は、翌日まで一切体を動かせない。そんな恐ろしげなことが受け入れられるというのに、抗がん剤の投与は我慢できないだなんて、どういう神経してるんだろう、と美奈代は思った。いつまでも持つものでもなく、がん細胞がまた増え、塞栓術を繰り返した。やがて、医師から肝臓移植を勧められた。それは、美奈代から父へ、生体肝移植をしたらどうか、という勧めだ。美奈代の体から、力が抜けた。
「あなたは娘さんで、血液型も同じです。他に候補者はいません。他人に臓器提供を募ると最低でも三千万円ほどかかりますが、ご家族の提供ということでしたら、治療費だけで済みますから。まず、適応するかどうか、検査をしてみましょう」
してみませんか? ではなく、してみましょう、と言った医師の顔を、美奈代は見つめた。いろいろな考えが浮かび、声が出なかった。
「手続きを進めていいですか?」
「先生……あの、もし私が生体肝移植をしたら、私は、どうなりますか?」
自分の声じゃないような声が言った。
「失礼ですが、体重はおいくつくらいでしょう?」
妙に丁寧に聞かれる内容が、体重のことだとは。
「……五十キロくらいだと思います」
医師はカルテをパラパラと繰った。体重が……と何か計算している。
「そうですね。お父様はこの場合、肝臓を全部取り出します。残したらがんが復活するかもしれないので。それで、お父様の体重からすると、必要なのはあなたの肝臓の六十パーセントほどですね」
美奈代の頭はぐるぐる回り、吐き気を催した。六十パーセント、とは。では自分には、四十しか、半分以下しか残らないということか?
「検査だけでもしてみましょう。結果が出るのは二週後くらいになりますから、それまでに考えればいいですよ」
今すぐ、ここから逃げ出したい。検査をしたら。もし適応したら。そのときは、もう断れなくなってしまうんじゃないだろうか。
「血液検査」
と、医師が、看護師を呼んだ。
「先生! 先生……あの。私は肝臓が四十パーセントになって、大丈夫なんですか? 働いているんです。子供がまだ小学二年生なんです」
医師は安心させようと思ったのか、少し笑顔になった。
「大丈夫です。あなたは健康なので、肝臓はいずれ再生します」
「私、健康じゃありません。いろいろ病気があって、薬を飲んでいるので、肝臓の数値が悪いんです。肝臓が半分以下になっても、同じように薬が飲めますか? 無理じゃないんですか?」
医師は笑顔を引っ込めた。
「ああ、そうなの? まあ、肝機能が落ちるわけだから、同じような治療はできないかもしれないけどね……治療を変えるとか、それはあなたの治療をしている先生の考え方だから、今現在で僕はなんともお返事しかねます。じゃあ、お父さんは諦めます? あなたがそれでもいいんならね……」
少し考えさせて下さい、と言って、美奈代は逃げるように相談室を出た。考えたところで、不安は増すばかり。若いときから好き勝手ばかりしてきた父のために、真面目に頑張っている私が、肝臓をあげるって……。私が入院したら、昌史はどうなるの?
家に帰ってから、インターネットで調べたら、生体肝移植が全て成功するというわけでもない、とわかった。特に肝臓に限っては、移植される方は悪い肝臓で暮らしてきたので、新しい肝臓がうまくつけば前より数倍健康になれることがある。提供した方は、今まで百パーセントの力で生きてきたものが、急に機能が半分になるということで、悪くすると、提供後に死亡した事例もある。移植を受けた方も、十年後生存率は少ない。五年後の生存さえ……。父をたった数年生かすために、自分の肝臓を分けてあげたとしても、健康になった体で、父はまた絶対に酒を飲む。好き勝手をする。答えは自ずと出た。しかし、それは、自分をこの世に生み出してくれた人を見捨てることになる。自分はそのことに耐えられるだろうか? 母が生きていたら、なんて言うだろう。父親を助けてと言うだろうか。娘の健康を選んでくれるだろうか? 想像ができない。
それでも、やはり昌史のことを考えると、自分が父より先に死ぬようなことになるわけにはいかなかった。夫とは、昌史が一歳になる前に離婚して以来、連絡も取っていない。自分になにかあっても、頼れない。それに、もしもいつか、あって欲しくはないけれど、昌史が健康を害したとき、昌史に臓器をあげられるのは私しかいないのだ。その思いが、後押しをした。
医師にはお断りした。父にはそのことを言わなかった。やがて、父は急に、もう少し世の中が見たくなったと言って、今になって、抗がん剤治療を受け入れた。一錠が五百円以上もする新薬で、医師は効果を期待したが、すでに遅く、放射線治療も甲斐なく、転移が進んでいった。残りの日々は肝臓の解毒作用が機能しなくなり、せん妄状態になり、自分の名前も、家族のこともわからなくなった。
看護の手が足りず、看護師からはできるだけ来て欲しいと言われる。入院先の病院は帯広にあり、時間帯によっては車が混んで、音更からでも遠く感じた。やっと時間をやりくりして病院へ行けば、問題が持ち上がっていて、仕事先に迷惑をかけることも多々あった。父はときどきわけもなく、点滴を抜いてしまい、衣服を血だらけにした。ベッドから落ちることもあった。病棟を徘徊することもあった。手がかかるし、事故防止のためにベッドに縛られて、美奈代がいる時間だけ、ベルトを外して自由にしてもらえる。縛られるのが可哀想で、美奈代はできるだけ病院へ通ったが、自分のことも娘のこともわからない父の面倒をみるのは、心が折れそうだった。
いっとき会話が成立する時期があり、昌史があんまり、おじいちゃんに会わせろとうるさいので、連れて行った。父には孫のことがわからず、昌史は困惑した。
「ねえ、おじいちゃん、どうしちゃったの?」
「おじいちゃん、病気なのよ。つよーい薬を飲んでるからね……記憶喪失?」
美奈代は冗談ぽく笑って見せたが、昌史は納得しない様子だった。父が、
「俺、ばかになっちゃったなあ」
とにやにやした。子供のような笑顔だった。
「もう一回勉強しなおさなくちゃあ」
その言葉を聞いたら、涙が溢れて、美奈代はジュースを買ってくると言って、病室を出た。廊下で泣いていると、看護師が通りすがりに気の毒そうな視線を投げた。
三月に入り、ようやく亡父のアパートを引き払う準備を進めた。美奈代の稼ぎでは、二つのアパートの家賃は払えない。父には収集癖があった。理解できない木片やら、金属の道具があった。女ひとりの手に余る重さの物もあり、ナツカシ館の館長や、リサイクル屋に頼んで、いくつか引き取ってもらった。その際、一眼レフカメラが出てきた。父がそんな物を持っているなんて、知らなかった。そんな趣味もあったんだ。
「このデジカメ、新しいよ。去年の春モデルかな。高く買いますよ」
と言われたが、それは残した。昌史に、形見になるものを残してやりたかった。
昌史はそのカメラを手にした時、思わず叫んでしまった。
「えーっ! ほんとにもらっていいの?」
「おじいちゃんの形見だよ。大事に使いなさいね」
「うん!」
使い方を問われて、はて、取扱説明書のようなものはなかったな、と美奈代は思った。
「……そのうちね、誰かに聞いてみるね」
「えー」
そのうち、を待っていられる昌史ではなかった。学校へ持って行って、担任に見せ、叱られた。そんな高価な物を、学校に持ってきてはいけません、と。いったん没収されたけれど、放課後にカメラに詳しい先生が教えてくれた。簡単な写し方、撮った写真の見方。
夜、昌史は母親に、カメラの使い方を教えた。カメラに残されていた画像。美奈代は、それを撮影した意味がわからず、首をひねった。いろいろな家。一枚だけ、見たことがある家だわ。気に入った建物を写したの? 古いけど……どうせなら、きれいな家を撮ればいいのに。
「おじいちゃん、家が好きだったのかな?」
その言葉に、はっとした。もしかして、あのたくさんのレシート。広尾やら、足寄やら、士幌……のガソリンスタンド。ずいぶん遠くまで行くんだなと思っていたけど。これはきっと、父が元気な頃、大工仕事をした家だ。それを見に行っていたんだ。そして、自分が見たことがあると思った写真は、かつて、父母と自分が住んでいた家だと気がついた。そうだったの? 本当に?
父はかつて大工として腕をふるっていたが、雇われていた工務店が廃業し、その後は派遣社員をしていた。新築住宅を買ったが、不動産取引でだまされ、住宅ローンを払っていたというのに、その家は他人の名義になっていたため没収された。詐欺に遭っている、ということを、ずっと気がつかないまま、三人は希望を抱いて暮らしていた。家を失ってから、なにかしら家の中がぎくしゃくして、美奈代は暗い青春時代を過ごした。母もあまりいい目をみないで亡くなったと思う。その家を見に行ったというの? 亡父は、ずっとあのときのことは口にしなかった。そんなことはなかったみたいに……。父の中で、あの出来事は埋もれてなどいなかったのだ。忘れられず頭の中にあり、心に引っかかり、熾火のように燃えていたのだ。私とて未だに父を許せない気持ちが消えずに、自分を投げ打ってまで尽くすことをためらっていたのではなかったか。自分の中にも消えない赤い火があることに、美奈代は愕然とした。詐欺に遭った父を、家族が許さなければ誰が許すというのだろう?
母が放心しているので、昌史は心配になった。
「おかあさん。どうしたの?」
「……なんでもない。ごはんにしよっか」
なんでもない、という顔ではなかった。昌史は写真のデータを見てから、母の様子がおかしいと思った。
「なんだこんなうち。暗いし。人も写ってない」
いいのよ、と美奈代は言った。そこには誰も写っていなくてもいいの。私には幸せな家族が見えるから、と心で頷いた。
「今度、おかあさんと写真撮ろうね!」
「そうだね!そうしよう! 暖かくなったら、動物園行こうか?」
と、美奈代は明るい声で言った。
「うん! 行きたい! 行く!」
抜けるような青空。百か日に、父の遺骨を墓地に埋葬した。墓地で写真を撮らないで、と言っておいたのに、昌史は首からカメラをぶら下げていた。例年ならゴールデンウィークが終わる頃には桜が咲くのに、寒かった冬のおかげか遅れて、今が満開であった。その美しさに励まされながら、美奈代は辛かったことや悲しかったことも、墓石に埋めようと思った。
「おかあさん! 隠し撮りー!」
「隠し撮りって言ってから撮ったら、隠し撮りじゃないじゃん」
二人は笑いながら、墓地の坂を下りていった。その後ろから、薄桃色が降ってくる。ひらひら、ひらひらと。
「文芸おとふけ」50号(2018年・音更町文化協会 発行)
メグミは家事をしようとしたが、何から手をつけたらいいか、思いつかなかった。今しがた、夫と口げんかをしてしまい、家を出て行こうとする夫に投げつけてしまったのは、言葉だけではない。娘もだった。
「出かけるならサチも連れて行って! ヒロシはずるい! みんな私に押しつけるんだから! 」
サチは心細そうな顔で、ヒロシと出て行った。あんな顔を初めて見たかもしれない、と気がついて、メグミは取り返しのつかないことをしたのではないかと不安になった。何かをして気を紛らわせたかったが、することなど思いつかない。室内は、メグミの努力から、あるべきところにあるべきものが収まり、調和が保たれていた。ただメグミの気持ちの中では、この家庭は荒れていて、気持ちが散り散りで、治まりが悪かった。毎日どんなに一生懸命家事をしても、落ち着きのなさから解放されることはなかった。三歳のサチには手がかかって、メグミが思うようには一日が進まない。夫のヒロシはいっさい家事を手伝わない。そのことがメグミの苛立ちに拍車をかけていた。手伝おうと思えば、ヒロシはメグミの負担を軽くすることが出来るはずだ。自分の都合で夜遅くに帰宅した日、風呂を最後に使ったヒロシが掃除をすれば、メグミはどんなに助かるだろう。自分が使ったグラス一つでも洗うようにすれば、メグミの気持ちも少しは楽になるだろう。
ヒロシと結婚したこと自体、失敗だったかもしれない、とメグミは思い始めていた。たまに頭をもたげるくらいならいいが、最近は一日中その考えに支配されてしまうこともある。そのせいもあって、この頃はサチが何かを求めてきても、うるさいと思ってしまい、ついじゃけんに扱って、泣かれてもっと腹が立ってしまう悪循環だった。子供を叱る自分が嫌になる。こんなに腹が立つのはどうしてなのか自分でもわからなくなっていた。
さっき、ソファーで悠々とゲームをしていたヒロシに、苛立ちのあまり、クッションを投げつけた。ヒロシが床に落ちたスマホを大事そうに拾ったことにまで腹が立った。休みの日にゲームをするのが駄目だとは言わない。けれど、主婦のメグミには一年中休みなどないのだ。怒っている理由を問いただされ、そんなこともわからないヒロシに余計に苛立ちが募った。ただ、睨むことしか出来なかった。それでヒロシはサチを連れて出て行った。
その時のシーンが脳裏に浮かぶ。怯えた顔、母の怒りに耐えてじっとしている三歳の娘。
それでも、その時、サチは、
「おかあさん、いってきます」
と、小さな手を自分に向けて振っていた。手を振り返してやるどころか、鬼のような形相で睨んでいたかもしれないと思うと、メグミは深い後悔に苛まれた。体の力が抜けて、ソファーに沈み込んでしまった。
私が悪いの? 私は毎日こんなに頑張っているのに。洗濯も掃除も食事の支度も、サチのことだって。子育てをしながら家事をするのは本当に大変。何をしていても、サチが泣いたら途中で放りだして駆けつける。怪我をさせたら、病気になったらと思うと怖くてたまらない。家事の最中に足元に立たれたら危なくて気が気じゃなかった。だから昼寝をしている間に済ませようとしているのに、忙しい時に限って、サチは寝つきが悪かったり、すぐに目を覚ましてしまうのだ。起こしてしまわないように、細心の注意を払って、静かに行動する。それがまた、メグミを疲れさせた。
二歳を過ぎたあたりから、サチは何でも自分でやりたがるようになった。させることで成長する、やる気のある時にと思いはしたものの、それはとても忍耐がいることだった。サチに手伝いをさせることは、メグミが自分でするより何倍も何十倍もの時間と手間がかかり、それをずっと待っていなくてはいけないのを、この頃は待ってやれなくなっていた。そしてそのことにサチも気づいているかのように、お手伝いをすると言わなくなってきた。大人の顔色を見て行動するような子にしたくなかったのに、とメグミは落ち込んだ。
ヒロシはサチに優しいけれど、自分ひとりでサチの世話をすることはなかった。自分の手に負えなくなればメグミを呼ぶ。そんな気楽な子育てをしていて、自分にも手柄があるような態度でいる。だからメグミの考えをぶつけたところで、本当の苦労などわかってくれないだろう。そう思うと、苛立ちの原因はヒロシの態度にあるように思えてくる。サチに手がかかるのは当たり前だ。あの子はまだ三歳なんだもの。大人の手が必要なんだもの。それでも……私ひとりではもう育てられないかもしれない。
ふと、出かける時にサチが帽子をかぶっていなかったことに気づく。ヒロシに子供を外へ連れて行く時の気づかいがないことに、また腹が立った。届けに行ってやる元気は湧かなかった。
ヒロシは娘を連れて外へ出てから、さてどこへ行こうかと考えた。気持ちにそぐわず、空は青く澄み渡って、初夏の風が気持ちいい。
メグミはどうしてあんなに怒っているんだろう?ドアを見つめても、その向こうの妻の心は透けて見えはしない。指先に軽く、何かが触れて、下を見るとサチが手を伸ばしていた。手をつなぎたいのだろう。さっきのメグミは大人の自分でも怖かった。サチはもっと怖かったかもしれない。サチが僕とメグミの顔色を見比べて、表情が強張っていたので可哀相だった。メグミは朝から忙しそうにしていた。僕だけ遊んでいると苛ついたのかもしれない。ちょっとゲームをするくらいいいじゃないか。おまえだってやってるだろう? でも、そんな風に言えばもっと怒ったに決まってる。僕は毎日ちゃんと仕事に行って、きちんと給料も入れている。転職だってしないで、上司の小言にも、取引先のクレームにも耐えているんだ。休みの日に昼まで寝ていたって、ゲームをしたって別にいいと思う。そりゃあ、家のことも娘のことも、まあ親のこともメグミに任せているけれど、それが君の仕事だ。いつも家にいるんだし。僕は仕事に行きたくない日にだって、家族のために無理もして、頑張っているんだぜ。休みの日くらい、自由にさせて欲しいよ。ほんと。
手をつないだら、サチは泣きそうな目をしてそっと笑った。それをどう取ったらいいのか、ドキッとして僕は少しうろたえた。とにかく気持ちを切り替えて、と。子供の前で難しい顔でいたくない。行く当てもなく歩き出すと、
「どこにいくの? 」
と可愛い声が訊く。
「どこへ行こうかねえ? 」
そうだ。
「サチ、川に行こうか? 」
「かわ? 」
サチは川を知らないのだろうか? そんなことはないだろう。あんなに絵本を見ているのだから。
サチには散歩中の犬やよその家の庭木など、いろいろな物が気になった。そのたび立ち止まっては質問し、触り、匂いを確かめたりする。犬の飼い主とは初対面で、ヒロシは少し気まずい思いをした。メグミならうまくやるんだろうと思った。家からまだそう離れてはいまい。この調子では時速何メートルになるんだろう。背の低いサチと手をつないでいると、体が傾くので、腰が疲れる。仕事に響いてはと思い、サチを抱いて行くことにする。早く着くし、楽だ。サチは下りたがったが、
「帰りね、帰り」
と言うと、素直にうなずいた。
河川敷は広い原っぱになっている。サチを下ろすと、蝶を追いかけて、走って行く。それを横目で見ながら、土手に上った。ここに座っていれば、サチの様子も見える。川面に光が反射して、キラキラ輝いている。水の流れる音が心地良い。少しの間、スマホに気を取られていたら、サチがいない。ヒロシは慌てて周囲を見回した。草の間で白い物がチラチラ見え隠れしている。ヒロシは走り寄りながら、動機と汗が止まらなかった。
「サチ! どうした」
サチは立ち上がると、得意そうにして、ヒロシにクローバーを一本差し出した。四つ葉だった。
「これね、もってるとしあわせになるんだよ。おとうさんにあげる」
急に気が抜けて、ヒロシは笑い出しそうになった。それを受け取りそうになったが、
「サチが持っててよ」
と微笑みかけた。娘はうなずかなかった。
「おとうさん、しあわせになってね」
心配そうなサチの表情を見て、ヒロシは小さな子と思っていた娘が、思っていたより成長しているのだと気づいた。いつの間に……。多分それはメグミのお陰だろう。娘の細い指からクローバーを受け取ると、泣きたくなるくらい切ない気持ちが胸を疼かせた。
「ありがとう。サチ」
サチは幸せそうに笑い、また草をかき分け始めた。
ヒロシは思い出した。メグミが、昔、同じようにクローバーをくれたことを。つきあい始めた頃は中学生で、映画やゲームセンターに誘うなんて恥ずかしくて、学校の帰り道にわざと遠回りして、たくさん話をした。この土手を通った時に、メグミが四つ葉のクローバーを探したいと言って、ヒロシは初めはつき合って探したが、すぐに飽きてしまった。
「もうやめよう。どうせ見つからないって」
ヒロシは半ば呆れながら、メグミが諦めるのを待っていた。
「こんな何万本生えてるのかわからない所から探すなんて無理。絶対無理。先に帰るよ。おーい。聞こえてる? 」
ヒロシは夕方から始まるアニメが見たかったので、帰れないことに苛々した。どうしてそんな物を真剣に欲しがるのか、ちっとも理解出来なかった。
「あった! 見つけたよ! 」
上気した顔で、誇らしそうにメグミが言った。
「ヒロシくんにあげる。いつも幸せでいて欲しいから」
その時、ヒロシは本当に彼女が好きだと思った。
先程のサチの言動は、メグミにそっくりだった、とヒロシは思った。多分、メグミはサチに同じことをしたのだ。でなければ、三歳の子供が思いつくわけがない。
「幸せ……か」
ヒロシの膝のあたりで、ザワザワと草が揺れた。これのせいでサチの姿が見えなかったんだ、と気づいた。草丈はそう高くないのに、サチにとってここはまるでジャングルだ。こんなに小さいんだな、まだ。目を放したら消えてしまいそうだ。メグミが全身全霊を捧げている理由がわかる。
「お父さんも手伝うよ」
「おかあさんのぶん、みつけようね」
あんなに怒っていたお母さんに? サチは優しいね。お母さんのことが大好きなんだね。僕を見上げているサチのおでこには、汗が光っていた。帽子をかぶせてやらなかったことを後悔し、手のひらでサチのおでこを撫でた。
「サチ。これをおかあさんにあげようよ」
元気がなくなってきたクローバーを示すと、サチが目を輝かせた。思えばメグミの笑顔を最近見ていない。ため息が出た。メグミをここへ連れて来よう。そして、あの日、僕がどんなに感動したか、今日どんなに嬉しかったかを、話したい。
「おかあさん、よろこぶかなあ? 」
「喜ぶよ。サチ、よく見つけたねって、ほめてくれるよ。今度はお母さんと来よう」
「ほんと? 」
サチのはちきれんばかりの笑顔を見ながら、ヒロシは罪悪感を覚えた。河川敷に家族で来ることをそんなに喜ぶなんて。今まで全然外に連れて出なかった。出かける時はひとりの方が楽だと思っていたからだ。でもこれからは違うよ、と心の中でサチに語りかけた。
二人で手をつなぎ、今度はサチの歩調に合わせて歩く。サチは気になる物をいちいち確認する。僕は、早く帰りたい気持ちが半分。でも、もう少しメグミをひとりにしておいたた方がいいのかな、とも思う。サチの歩みはゆっくりで、これじゃ日が暮れてしまうかもと苦笑しながら、急ぐ必要はないと自分に言い聞かせた。次は家族三人で出かけよう。弁当でも持って……それはコンビニかどこかで買えばいい。サチも大きくなったし、何でも食べられるだろう。僕の知らないサチを、メグミはたくさん知っていて、その分苦労も多かったのかもしれない。これからはメグミに時々気晴らしをさせてあげよう。あんなに頑張っているのだし。疲れが溜まっているのかも。気が利かなかったよな。ごめん。
いつだったかメグミが言っていた。四つ葉は同じところにまた生えるんだって。だから場所を覚えておけば、見失いさえしなければ、また見つけることが出来るんだ。それを思い出させてくれたサチに、僕は感謝する。メグミがそんな子に育ててくれたことにも。
メグミと、メグミのミニチュアみたいなサチと一緒に、幸せを育てていこうと思う。
「文芸おとふけ」49号(2016年・音更町文化協会 発行)
祖父を預けている特別養護老人ホームから、体調を崩したので自宅に引き取るように、と連絡があった。今のままでは手狭なため、住宅を探した。母の同僚が空き家を持っていたので、借りて、引っ越しをした。
その家は坂の上にあり、古かった。爽やかな風が吹く六月なのに、室内はじめじめし、臭気がこもっていた。窓を開けようとすると、結露の跡が残る木枠が、ギシギシと鳴った。
二階の一室が私に与えられた。隣が両親の寝室だ。一階のひと部屋を祖父用に、もうひと部屋を両親の趣味部屋にするようだ。両親はひとつ所に長く住めずに、今までも市内を転々とした。
引っ越しで疲れたが、祖父を引き取る前に、家の中をきちんと整理しておかなければならない。二階へ上がろうとすると、階段の途中から空気が悪い気がし、気持ちが重くなる。人が住んでいなかったので、こもってしまったのだろう。私の部屋に母が来て「ここはお姑さんが使っていたの。亡くなってからは使ってなかったみたい」と言った。私は少し気分を害した。母は時折、私が嫌がることを平気で口にする。
窓が開いているのに、父が籠から猫を出してしまった。猫は環境の変化に驚いたのか、窓枠を飛び越えて外に飛び出した。あっという間だった。探しに出たが見つからなくて、私はがっかりしたが、両親はそのうち戻ってくるから、とのんびりしたものだった。
父が、妙なことを言い出した。「屋根の下になにかある。布団が敷いてあって、誰かが寝ている気がする」
私も母もびっくりし、空き家だった隙に、誰かが天井裏に入り込んだかと思った。私がせっかく片付けた荷物を、父が押し入れから全部出した。天井裏を懐中電灯で照らしたら、つぶれて薄くなった古いマットレスを発見した。父は、ほらね、と私と母を見た。
「捨てようとして、忘れていたのかな。処分してもいいか、大家に訊いてみよう」
それを下すかもしれないので、荷物は押し入れに戻さず、畳の上に散らかったままになった。私は気味が悪くて寝つけない。そのマットレスが、ちょうど自分のベッドの真上にあるような気がした。
翌日、私が仕事から帰った時には、マットレスはもう捨てられていたので、それを見ないで済んだ。押し入れにもう一度荷物を詰め込み、気持ちも落ち着いた。
猫を探してみるが、周辺にはいないようだ。前に住んでいた家まで戻って呼んでみるが、出て来ない。可哀想なことをした。
階段のコーナーが暗く、二階へ行くのがなんとなく嫌だ。光が届かないせいかな。今まではずっと平家に住んでいたから、目が届かない場所ができたからかも。猫がいてくれたら、と思う。両親が家にいない時間が長いので、自分が思っていたよりも猫を頼りにしていたことに気づく。
夜、居間でテレビを見ていると、視界の隅になにかが映った。そちらを見ると、細かなススのようなものが流れている。火事? ススが急速に集まって、人のかたちになった。私は恐怖で飛び上がった。隣の部屋に逃げ込んだが、家には自分しかいないのだ。全身に鳥肌が立つ。ドアの向こうはどうなっているのか。虫ならそのうちどこかにいなくなるが、あれがまたススみたいになったら、隙間からこちらに入ってきたら、どうしたらいい? 息を吸うのがためらわれた。ドアのむこうはしんとしている。しばらくそこから動けなった。そのうちにどうしてもトイレに行きたくてたまらなくなり、こわごわドアを、細く、開けた。居間に変わった様子はない。見間違いだったかもしれない。そう自分を納得させようとしていたのに、両親に話すと、二人とも見たと言った。
「たぶん天井裏のマットレスに寝ていたんだ。あれを片付けてしまったから、探してるんだな」
父は簡単に言う。二階へ行くのが怖くなったが、自分の部屋が二階にあるので仕方がない。
「今から行くよ! 」と大声を出してみたり、歌をうたいながら階段を上った。自分の家なのに、居心地が悪い。
祖父を引き取った日から、家に一人ではない、という部分ではほっとした。けれど、私しかいない時に祖父になにかがあれば、自分の責任だと思うと落ち着けなかった。以前、父の兄たちの世帯と同居していたことがあって、母が私に、いとこたちの身になにか起これば、最年長の私の責任であると厳しく言い渡した。そして私に非があれば、ひいては親の自分たちの責任になるのだ、親に恥をかかせたいかと言われれば、子供ながら身が引き締まる思いだった。子守りが子供の気持ちで遊ぶことはできない。いとこたちは悪ふざけをしたり、いたずらをしかけたりしたが、私が保護者目線で注意をするのをわかっていたので、仲間に入れようとはしなかった。その後、父の兄妹はそれぞれ家を建てて出て行き、私は子守りから解放された。そして祖父が残された。両親は仕事で留守がちだった。私は今度は祖父の要望を叶える役目を担った。
祖父は、祖母の前ではおとなしい夫に見えたが、妻の死後は次第に横暴な口をきくようになり、自分の希望が通らないと、乱暴な態度を見せた。
当時のことを思い出しながら、今は弱って見る影もなくなった祖父を見つめた。寝たきりになり、たまにうなるだけ。母はおむつを換え、食事を与え、仕事に行く。自分の留守中のことを、私に指示しなかった。しなかったけれど、過去に照らし合わせると、私には祖父の命に対する責任がある、と思ってしまう。母はなにも言わないけれども、万が一の時は私を責めるのではないだろうか。
前に住んでいた家に、猫が戻っているよ、と知人が教えてくれた。行って、名前を呼ぶと、少し痩せて汚くなった姿ですり寄って来た。ほっとする。猫はか細い声で鳴いた。連れて帰ってから、落ち着かない様子で家中をうろついている。この家に早く慣れて欲しい。
ある日、仕事から帰ったら、階段のコーナーに絵が飾られていた。モデルは民族衣装を着た外国の女性らしい。極彩色の絵だ。なぜか目が合うから、かけている位置を少しずらした。それでもなんとなく、目が合う気がする。
「あの絵はどうしたの?」
「天井裏にあった。マットレスと一緒に」
なぜ一緒に捨ててしまわなかったんだろう。父は、本当に気にしない性格だと思う。
その夜中、階段が軋んだ。祖父は一人では歩けない。両親が帰って来たのだと思ってまた寝かかった。けれど、隣にある寝室のドアが開く気配がない。誰かが家に入り込んだのかと思って怖くてじっとしていると、そのうち、玄関の鍵が開く音がした。今度こそ両親だ。私は思いきってドアを開け、階段を駆け下りた。家中見てもらったが、私たちしかいないそうだ。寝ぼけたのか? 父が、十三段の階段は縁起が悪い、なんて言い出す。留守番する私の身になって、言葉を選んでくれたらいいのにと思う。
私は寝つきが悪くなり、体調を崩した。ようやく眠っても、同じ時間に目が覚めてしまう。また階段を上がってくる気配だ。足音が止まると、急に静まり返った。今にもドアが開くのでは、と思うだけで、部屋が更に暗さを増す。早く朝になれ、明るくなれと願う。階段に霊道があるのかも、と父が言い出した。父は若い頃から幽霊が見えたらしい。大工をしていたが、出張先の宿泊所で怖い目に遭って、夜中に車で逃げ帰って来たことがあった。作業現場で総毛立ち、どうしてもその場にいられないと、仕事をキャンセルしたこともある。それで大工を辞めて、飲食店を始めた。
「霊が通る道にこの家があって、階段を上った先にあの世へ続く道があるんじゃないのかな。だから部屋には入って来ないよ。そのままあの世へ行くんだから」
笑いながら言われても、私は受け入れられなかった。父は面白がっているみたいに見える。母も秘密を打ちあけるみたいに目を耀かせた。
「気がついた? 私たちの寝室……夕方五時頃になると、ドアが振動するの。気になるからマグネットでくっつけてあるのよ。それでも振動するんだよ。すごいよね」
試しにドアを開けようとしたら、マグネットが強力で開けるのに力がいった。昼間は変化がないのに、夕方になると、確かにドアが震えている。ノブが小刻みに動くせいで、その銀色の輪郭がぼやけて見える。その部屋以外のドアノブには異常がない。近所で工事でもしていて、それが地盤の悪いところを伝わって響くのかとか、家の前の道路を車が通るからだとか、想像はしてみる。本当の理由はわからない。
初夏の昼日中、家の裏手で砂利を踏む音がして、誰なのか気になり、二階の窓から見下ろした。誰もいない。窓から身を乗り出して軒下まで見てみたが、家の周囲に人影はない。敷き詰められた砂利はしんとして、直射日光を浴びている。お隣の音かな、と思ったら、また聞こえた。窓の真下からだ。急に肌寒くなり、見えない誰かに見られないよう、そっとしゃがんだ。音を立てて気づかれるのが怖くて、窓を閉めるのをためらった。大家が新しく家を建てて引っ越したのは、お金に余裕があったからとかそういうことではなく、なにかしら理由があるんじゃないかと怪しんだ。お姑さんが亡くなったのを機会に新しい家にする、それならこの場所で建て直してもよかった気がする。まあ、それは他人がとやかく言うことじゃないが。どこの家もそうなように、どんなに仲のいい家族であったとしても、また、はたからはそう見えていたとしても、いい思い出ばかりとは言えないのが家族というものだろう。
夏なので、夜まで窓を開け放っていたら、庭の方からなにか聞こえた。暑いから、みんなが窓を開けている。よそのお宅の生活音だろうと思っていたら、梨の木の下から声のようなものが聞こえた。庭には以前住んでいた人が植えた、さまざまな低木がある。中でも一番背が高いのが梨の木だ。居間の窓から正面に見える位置に立っている。両隣りの家族の声が、ちょうど枝に集まって、ミックスするのだろうか。密かな囁き。妙に気持ちがざわついて、鳥肌が立った。暑かったが、庭に面する窓を閉めた。昼間は猫が虫や鳥を追っている、普通の庭なのに。その庭で、猫の写真を撮ったら、怖いことになった。うちの猫の他にも猫が写っている。カメラを向けている時には気がつかなかった。よく見ると、葉の裏や日陰にたくさんいる。猫のように見えるけれども、陽炎に阻まれたように、姿が歪んでいた。母が、梨の木の下に気持ち悪いものがいる、と言い、写真を取り落とした。木の根元、陰の中。触れるのも嫌だった。フィルムと写真に塩をかけ焼いた。どこでお祓いしてもらったらいいかわからなかったから。それからは庭に出ないようにした。
雨が降ると、室内は一層じめじめして、すえた臭いがどこからともなく漂った。この家はよくない。今までの家とは違う。家が変わるとしばらくは自分の家という感じがしないし、馴染むまで時間がかかる。だけど、そんな理屈では納得いかない。両親に引っ越すことを勧めたが、同僚に借りた手前、母は早々と引っ越す気にはなれないらしい。自力で起き上がれない祖父を移動させるのは大変だし、今の家賃と同額くらいの、四人で暮らす家を探すのも難しいのかもしれない。大家は時々遊びに来て、母と世間話をして行く。あるいは家の使用状態を見に来ているのかもしれない。私は母と大家の笑い声を、複雑な思いで聞いていた。
夏が終わり、窓を開けなくなったことで、外の気味悪さからは逃れたが、家の中の空気は悪く、時折ふっと臭って、吐き気をもよおした。祖父は寒くなるにしたがって、夏草が枯れていくように痩せ細り、食事も受けつけなくなった。入院しなくて大丈夫なのかと尋ねたが、両親は返事をしなかった。
猫がまたいなくなり、祖父のことも猫のことも気にかかる。珍しく両親と昼食を共にしていると、居間の入口に、白く光り輝く人影が現われた。私たちは魅入られた。以前に見た黒いやつとは全然違う、おだやかな雰囲気を持っていて、怖くなかった。まるで歩くように移動して、祖父の部屋と居間を行き来し、私たち家族は困惑して、ただ固くなっていた。
朝方、母の叫び声を聞いて階下へ急ぐと、祖父が息をしていないと言う。呼吸を確かめ、心臓マッサージをしようとしたら、母に止められた。
「やめなさい! 骨が折れるから」
だからって、このまま見ているの?
「お母さん、救急車を呼んで!」
「待って。こういう時はかかりつけ医なの」
母は一呼吸おいて、かかりつけの内科医に電話をしたが、先生のお手隙の時でいいですので、などと悠長なことを言った。医師が駆けつけてくれ、診察をした。
「たった今、亡くなられたようですね」
と時間を読み上げた。私は母に対して不信感を抱き、嫌な気分だった。
母は、本当は祖父を引き取りたくなかったはずなのに、父の兄妹に押しつけられたのだった。十年前、祖父が認知症を発症した。嫁が自分に冷たく当たると思い込み、包丁を突き付けた。祖父の二人の息子が力ずくで包丁をもぎ取った。その時のもみ合いは家族の姿とは到底思えない、刑事ドラマのシーンのようだった。私たちは精神的に疲弊した。もう家族では見守りができないと泣きつき、施設への入所が許可されるまでの間、祖父だけ家に残し、食事を運び、私たちは親戚の家に逃げていた。その祖父を、いくら力も記憶も失くしたとはいえ、再び引き取ることになった両親の心中を思うと、本当は嫌悪するべきではない、と思いながら、祖父の死に際の態度から、私は両親に対し、いくばくかの闇を感じずにはいられなかった。
葬儀を終えて家に戻ると、猫が玄関の前で待っていた。白い人影はいなくなっていて、猫が人影を嫌がって外に出ていたのか、その逆かと話し合ったが、そんなことはわからない。
父が「あれはお迎えだ」 と言い、私は次にあれを見たら、誰の迎えか考えてしまうと思った。それでも、久しぶりに家族で話が弾んだのは、祖父を送り出したことで肩の荷が下りてほっとしたからだろうか。それとも、猫の仕草に癒されたからかもしれない。
ひとりでいると、大きな音がするようになる。壁にかけてあるフライパンや、流し台に置いたはずの果物など、ものが落ちた。風がスーッと流れ、鳥肌が立つ。本を読めば、肩に手が置かれる。いつも一人の時だった。
夢の中で人形に首を絞められ、飛び起きた。灯りを点けると、ベッドの上に人形があってドキリとする。祖母が若い頃に横浜で買ったという青い目の女の子は、形見だからと一階のガラスケースにしまわれていた。それがなぜここにあるのかを考え、父か母のどちらかが持って来たのだ、と結論した。だって、今のは夢だ。そうでなければ怖すぎる。こわごわつかんで階下へ持って行き、翌日、尋ねてみた。
「人形? 動かしてないわよ」
私は人形を捨てて欲しいと頼んだ。
「えっ。嫌だ。恨まれたら嫌だもん」
母は人形を再びガラスケースに収めた。私は心が落ち着かず、母を少し恨めしく思った。人形はガラスのケースの中で、何十年も変わらない微笑みを浮かべている。
私は食事がとれなくなり、食べてもすぐに吐くようになった。体重は十キロ以上減った。病院では、若いのに病気なわけがないとか、神経的なもので病気じゃないと言われた。気持ちが弱っているせいか、重大な病気なら面白いのに、お前はなんにも異常がなくてつまらない、ただ具合悪がっているだけだ、と言われたような気になる。幽霊も怖いけど、生きている人間の方が意地悪く、冷たいのではないかと思うようになった。幽霊なら肉体がないのだから危害を加えることはできない。人間は、体があり言葉を持つから、肉体的にも精神的にも他人に危害を与えられる。もっと相手を大事にしないといけない。死んでから、もっとしてあげればよかったなんて思っても遅いんだ。そんなことを、恥ずかしいけど、自分が病気になって考えるようになった。両親は祖父が亡くなったあとは落ち着いてしまい、この家を引っ越すつもりがないように見えた。こんなに具合が悪く、引っ越しを願い出ているのに、取り合わない両親のことを憎いとさえ思う。家さえ変われば体調も戻るのではないか。体調が戻れば、精神的にも立ち直れると信じている。
ふらふらして、階段を下りるのにも苦労する。居間のドアの向こうから、母の声がした。
「あの子に生命保険、いくらかけてたんだったかしら。それで教育ローン、返済できるかしらね?」
誰かに問いかけるような言葉。返事はないが、父がそこにいるに違いない。私は話の内容にショックを受け、居間に入れなかった。
母には以前から冷淡なところがある。私が幼かった頃に、鼻血が止まらなくなったことがあった。初めて見る大量の血に怯える私を両親が見下ろしていた。洗面器に半分ほど溜まった血を見ながら、
「この子、死ぬのかしら? 」と、母が言った。その顔は無表情で青白く、言葉の内容と相まって、私はとても怖かった。
「子供の前でそんなことを言うもんじゃない」 と、普段は温厚な父が怒ったことで、死が現実味を帯びて感じられた。
今、ドアの向こう側で父はなにをしているのか? 母が、生命保険の証券を探してみる、と言って、移動する音が聞こえた。父の返事はなかった。
やはり生きている人間の方が怖い。私が呼吸を止めた時、祖父の死の際のように、心臓マッサージを拒むのでは。軽い気持ちで考えたのに、私の中でなにかが弾けた。そのためにまだ、この家にとどまっているのだとしたら? 初めからそのつもりで引っ越したのだとしたら? 二人に気づかれないように、そっと階段を上がった。体重が軽くなったため、私の足音は無いに等しい。
私は実家を出ることにした。そう告げると、両親も引っ越しを決めた。二人で暮らすには広いからかもしれないし、ひとつ所に長く住めない性質が戻ってきたのかもしれない。それ以外の理由は考えたくない。
両親が引き払ったあと、家はすぐに取り壊された。庭だった土地もすべて使い、まばゆいほど白い壁を持つ、大きな建物が完成した。その新しいアパートに、四室ともカーテンがかかり、私は複雑な思いでそれを見た。やがて、周辺の家屋も次々とリフォームされ、彩り明るい現代風の家が立ち並んだ。
ところが、しばらくあとにその前を通ると、いつの間にか、そのアパートだけがひっそりとしていた。カーテンも外され、窓の転落防止用の柵に、不動産屋の看板がくくりつけられていた。
数年前に知り合った女性から、その後のアパートの様子が聞けた。彼女は結婚を機に入居したそうだ。時期は私がそこを出てから、五年後のようだ。彼女が気味の悪い家に住んだことがある、と話し始めた時に、住所ですぐにそこだとわかったが、どんな話が聞けるのか興味があったので、私がかつてそこに住んでいたことは言わないでおいた。
彼女が越して来た当時、そのアパートは一室だけ空いていた。真っ白な壁紙なのに部屋の隅がどことなく暗く感じられ、わけもなく不安を感じた。結婚して家族と離れ、夫は留守がちで寂しかったせいかな、と彼女が言った。排水管の造りが悪いのか、しょっちゅう汚水が逆流し、空気が通る音と共に嫌な臭いがした。大家からパイプ洗浄剤をひと月に一度は使ってくれと要望があったが、言う通りにしていてもらちが明かず、三カ月に一度は業者を呼んで詰まりを直さなければいけなかった。なにが詰まっていたかって。長い黒髪だ。彼女は隣の部屋の奥さんと立ち話をしながら作業を見守っていたが、二人ともギョッとして言葉が出なかった。当時そのアパートには、髪の長い人は一人も住んでいなかった。その後、一人も残らず引っ越して行ってしまう。そこで彼女の話は終わった。あのアパートの窓には、今でも不動産屋の看板がかけられている。
あの暗い窓の向こうに、今はなにがいるのかはわからない。あるいはなにもいないのかもしれないが、私は二度と足を踏み入れない。あれ以来、妙なものが見えて仕方がない。つま先だけの時もあるし、髪の毛だけの時もある。すれ違った人に違和感を感じて振り返ったら、もう姿がどこにもない、ということもあった。
あの家に住んでいる間に、普通なら見えないはずのものが見えてしまう、本来ならいらない感覚を植えつけられた。あそこに住んだせいで、体調だけでなく精神も病んでしまった。そして、両親に対する不信感がどうしても消せなくなった。人の心の闇こそ深く、得体がしれないものだと思う。
「文芸おとふけ」47号(2015年・音更町文化協会 発行)
突然、洗濯機が壊れて、動かなくなった。説明書と顔をつき合わせていろいろやってみても、自分ではどうにもならないみたい。電器屋さんに電話して、修理してもらわなきゃと思ったけど、わたしの休みの日は近所の電器屋さんもお休みの日。なかなかタイミングが合いそうにない。どうしよう。
自転車で会社に向かいながら、ため息がもれた。雪がとけたばかりとはいえ、いいお天気なので、洗濯してベランダに干して出かけたらよく乾いただろうに。青い空から明るい陽光が降り注いで、学校に向かう子供たちをかろやかに見せている。みんな友達と仲良く歩いていて、楽しそう。すれ違う大人たちも、朝だからまだ難しい顔はわずか。今日が始まる。
わたしも気持ちを新たにした。それなのに仕事でミスをしてしまい、職場の仲間に迷惑をかけた。謝りながら、身が縮んだような気がした。やっとひとごこちついたのは午後になってから。昼食を買いに行く余裕がなかったので、デスクの引き出しに入っていたお菓子で空腹をごまかした。今週はずっとこんな調子で、うまくいかないことだらけ。その最後が洗濯機か、と思っていたのに、更にミスをするなんて。情けない。
やり直しになった仕事のせいで、いつもより少し時間が遅くなった帰り道、車道には車のライトがいっぱい流れていた。疲れているし、お腹も空いていた。帰ったら、洗濯物をどうしよう。手洗いする?
ううん……疲れたからそれはいやだ。ふと、思いついた。近くにコインランドリーがなかったかな。うん、それがいい。少し元気になって、ペダルをこぐ足に少し力が入った。
疲れて夕食も簡単にすませてしまったけれど、コインランドリーを探すという目標をみつけたわたしは、ネットで検索を始めた。今まで気にしていなかったけど、この町にはコインランドリーがみっつもあった。この時間でもまだ開いている。今日のうちにできることはやってしまおう。先送りするとあとが辛くなる。
アパートから一番近いコインランドリーの住所を控えて、洗濯物を詰めた袋を持って自転車置き場へ行った。袋をカゴに詰め、さあ行くぞ。ついでに帰りにコンビニに寄って、牛乳を買って来よう。夕方より少し車の減った道路を自転車でゆくと、ふと、明るい電飾の看板が目に入った。たんぽぽみたいな明るい黄色が、暗いオフィスビルの谷間で光っていた。看板には「コインランドリー」と書かれていた。
「あれっ? こんなところに、あった? 」
わたしはその店の前で自転車を降りた。買い物に行くときにその道をいつも通っているはずなのに……今まで気がつかなかっただけ?
お店はガラス張りで、奥まで見通せた。普通のコインランドリーみたい。近くにあって助かった。ここにしよう。
洗濯機の上に「コインを入れるときにふたを閉めないで下さい」と大きな字で書かれている。その通りにしたら、すうっと空気が動いて、わたしはあっという間にまるいドアの中へ吸い込まれた。
気がついたら、草の上に座っていた。えっ、なんで? 夢? どこからが夢なの? 音がするので見ると、遠くの鉄橋の上を、列車が走って行く。夢じゃないの?
青空の下、草原が広がっていて、まるでどこかの公園みたい。それも、なんだか懐かしい感じ。足元に野球のボールが転がって来て、遠くから「お願いしまーす」 と男の子の声がした。不思議と小学生の時の友達、K君に似てる。キャッチボールの相手はS君に似てる。わたしは可笑しくなりながら、ボールをはいっ、と投げてあげた。
「ありがとうございまーす」
男の子たちはそろって帽子を脱いで挨拶した。ピクニック用のシートを敷いて、おままごとをしている女の子たちもいた。最近の子はゲームばっかりしているイメージがあったけど、勝手な思い込みだったね。わたしも持っていたよ。同じようなピンクのお茶碗と、赤いコップ。遠くにはお弁当を広げている親子もいた。小さな女の子が一生懸命話しているのを、お母さんらしきひとが笑顔で聞いている。その横で大きなおにぎりにかぶりついたひとは、お父さんかな。ほのぼのとして、わたしはくすっと笑ってしまった。
風が気持ちよく吹いて、わたしの頬をくすぐった。うぶげがふわふわっと動いた。あたたかい空気を胸いっぱいに吸い込んでみた。春はまだ先なのに、もうやって来たように、わくわくした。こんな気持ちになれたのはひさしぶりで、もうずっと忘れてしまっていたと思う。そうだ、そうだよ。この景色……。こどものころ、この辺に公園があった。そこで友達と遊んだ……。どうして忘れていたんだろう?
あるとき急に公園がなくなった。ビルがたくさん建って、この道を通るのが楽しくなくなった。日陰ばかりになってしまったし、山の緑が見えなくなった。町は確かに大きくなった。でもあのゆるやかな時間を損なってしまった気になった。公園だった頃は、こどもも大人も緑の芝生に寝転んだり、キャッチボールをしたり、バドミントンをしたりした。お祭りやイベントは小さな規模でも楽しかった。知らない人同士でもみんなが笑い合っていた。そういうことを全部忘れていたんだな、と思うと、わたしは公園に対して申し訳ない気持ちになった。
公園に行くのが好きだったわたしは、いつしか大人になって、こどものときみたいに、楽しいことだけ考えられなくなってしまった。わたしに必要だったのは、こういう優しい休日だった。自然に親しんだり、友達と会っておしゃべりしたりすることだった。このごろ忙しくて忘れてしまっていた。ひとりに慣れて、ひとりが楽な気になって、休みの日は誰とも会わなくなっていた。どうせわたしの気持ちなんかわかってもらえないと思い込んでいた。疲れているのに、誰かの話を聞くのは面倒だって思うようになっていた。
でもひとりでいるのは変化が無い……。父親の転勤について行ったが新しい場所での暮らしに馴染めなくて、この町が一番と思ってひとりで戻って来た。それなのに、勇気がなくて自分から声がかけられなかった。でもやっぱり誰かと話したり、笑ったりしたい。どんな話でもいい……。ずっと連絡を取っていなかった友達に、休みの日に会おうよって、電話してみようかな。ずっと怖かった。あんまり長い間会わなかったから、わたしたち友達だったかしら、なんて言われたら、と考えたりした。でもしそう言われたら、お天気のいい日にお弁当を作って、ひとりで自転車で遠くまで行ってみるのもいい。青い空に白い雲。どこまでも行けそうな気分。一歩進む勇気って、こんなふうに生まれてくるんだ、と実感する。服が汚れるのなんか気にせず、草の上に横になる。草が風になびき、耳元でさらさらと鳴った。太陽の光があたたかく顔を照らした。
ふっと気がつくと、コインランドリーの椅子の上で横になっていた。洗濯機は停まって、室内はしんとしていた。やはり夢だった、と寂しい気持ちになった。急に肌寒く感じる。でも、いい夢を見たな。ほんとに夢だった? 草の香りがしないかと服の匂いをかいでしまった自分に苦笑する。洗濯物はすっかり乾いてふわふわして、あたたかいにおいがした。またここにこよう。洗濯機が直るまで何度でも。むしろ洗濯機が壊れてくれてよかったのかも。自転車のペダルは軽く、あっという間にアパートに着いた。
ところが、今日また行ってみると、コインランドリーはどこにも無い。この辺り、と思って何度も通ったが、あるのは大きなビルと、その横の小さな花壇だけだった。花壇はまだ手入れがされていなくて、たんぽぽが一株、寒そうに咲いていた。ここは日陰なのに、頑張って咲いているんだね。たんぽぽはとても生命力が強い花だという。わたしが落ちこんでいたから思い出させてくれたんだね。夢に見た風景が頭の中で広がった。ひと足早い春を見せてくれて、どうもありがとう。わたしはこれからも頑張れそうです、とたんぽぽに向かってつぶやいた。そういう自分が可笑しく、でも好きだと思った。まだ吹く風は冷たいけれど、心はあたたかくふくらんでいる。
「文芸北見」45号(2015年・文芸北見発刊実行委員会 刊)
引っ越しをすることになって、古い物を整理していたら出てきた。他人の結婚式の式次第だ。懐かしい思いでパラパラとめくっていると若い頃を思い出した。
高校を卒業して働きに出たばかりの頃、給料が安いから同級生の結婚式に呼ばれるのは嬉しくもあり切なくもあった。会費、お祝い、遠方ならば宿泊費に交通費、行き帰りの飲食代など、結婚式ひとつ出るのにたいそうお金がかかったものだった。
式次第にはたいていの場合、二人のプロフィールや近況などが面白おかしく書かれたしおりがついていた。それを読むと当時が思い出されて懐かしくなった。
二人がどうやって知り合ったのか、どんな言葉でプロポーズをしたのか、内容はバラエティに富んでいる。紙面を盛り上げるために流行のマンガを使ったり、社会情勢なども書き込まれていたりする。新聞みたいなレイアウトで書かれていたり、夫婦になる二人の誕生時の新聞のコピーなどが付されているものまである。どれも当時、発起人と本人たちが額を寄せ合い、時にはお酒も入って、陽気に楽しんで作った跡がうかがわれた。だからなんとなく簡単には捨てられなかった。
転勤族と聞くとうらやましがる人がいる。
いろいろな街に住めていいわねえ、タダで旅行に行くようなものじゃない、と言われる。
どんな街にでも馴染めないと転勤なんてしていられない。特に子供がいる場合はなおさらだ。新しい土地に住む時には気持ちを一新してまっさらになって臨む。結婚して初めての土地へ入る人もそうだろう。もしも転勤など無くて一生そこに住むのだとしても、最初が肝心、失敗できない、と身体も強張るだろう。結婚するということは二人でいれば幸せ、ということでもない。親や兄弟姉妹、親戚にご近所。二人で幸せに、を目指して結婚するはずなのに当てが外れる。
しおりを読み返しながらそんなことを考えたのは、通り過ぎてきた街で共に年月を過ごした人たちを思い起こしたからだった。
転勤先の社宅を借りる時に願うことは、知人がいるなら近くに住みたい、ということだ。会社が貸与してくれる社宅は自分で選ぶことができない。行先に知人がいると喜んでも家が近いとは限らない。そうなると幼稚園や学校の様子、病院の良し悪しなどを訊ける人がいない。情報がないまま見知らぬ街へ引っ越すのは心細かった。早く慣れるために情報が欲しかった。同じように、新しい人を迎え入れる方も情報が必要だった。相手のことを何も知らないと声を掛けるのをためらってしまう。引っ越してきたばかりで心細くしている相手に掛けられる言葉は限られていた。落ち着いたらお茶でも、何か困ったことがあったら……。時に互いの事情を知ってさえいれば問題がなかったのに、知らなかったがためにいじめに発展することもあった。お互いによく知らない間柄ではそこから仲良くなるまでに時間がかかり、やっと仲良くなれた頃には春が来て、先にいた方が社宅を出て行く。春が巡るたびに別れと出会いを繰り返す。
一部ずつめくっていくと、ドキッとさせられた写真があった。現在は、もう亡くなった人の幸せそうな笑顔がそこにはある。若くして亡くなることなど誰にも想像できず、ただ幸せになることだけを願って結婚した二人。
長い年月の間に、離婚してしまった人も多い。離婚が悪いとは言わない。今や珍しいことでもなくなった。希望を失わず何度も結婚する人も増えた。結婚すると決めた時、彼らにとって結婚披露宴は幸福の絶頂とも言える最高のシーンだったはずだ。好きだよ、愛してる、ずっと一緒にいようね、幸せな家庭を築こうと思います……しおりに書かれた二人の言葉には嘘はなかったはずだ。そんな二人のために人々は集まり、応援した。式は明るく希望にあふれ、色や花や音楽が満ちていた。
しおりには必ずと言っていいほど家族や親族、友や同僚などのお祝いの言葉が並んでいるが、そこに載せきれない、はるかに多くのお祝いの言葉を二人はもらったはずだ。長い時を共に過ごす間に訪れた生活の不安や軋みがいつの間にか二人を遠ざけてしまった。
そういうことをふと思い、今回すべて処分してしまうことにした。たとえそれがその時期の真実の姿であったとしても、若く勢いがあり怖いもの知らずだった時の姿を、私なら読み返されたくないと気づいたからだ。それは結婚式を盛り上げるために作られたただの印刷物で、そこに真実が何パーセント含まれているのかは疑問だ。確かに誕生日や出身地などを知っていると、話が弾むきっかけにはなった。けれど当時の職場が同じだったということだけで、その後のお付き合いもないのにプロフィールを読み直すのもどうなのか。会社でのおつき合いに役立てばという思いで個人の情報を取っておいたのは必要だったからだが、もう遠く離れてしまったのだ。本来はしおりから知ることではなく、親しくなって本人の口から直接聞けばよかったのだ。私たちはだんだんコミュニケーションが下手になっているような気がする。メールでのやり取りにも心はかけないではない。けれど細かなニュアンスは伝わらない。誰かと向かい合うのには多少の緊張感はある。なくてはいけない。そうでないと、口から飛び出す言葉で相手を傷つけてしまうことがある。それを怖がってメールだけに頼り、顔を見て言葉を交わすことを避けるなら、お互いのニュアンスが読み取れずに本当の気持ちを理解することは難しい。擦れ違いを感じたとしても諦めずに話し続けることでニュアンスの違いを少しずつ修正し、理解しあう。そうであって欲しい。そんなことを考えた。
「文芸おとふけ」46号(2014年・音更町文化協会 発行)
出席を取ったときに、ヤスハルがいなかった。他の子供たちがスクールバスで登校するなか、ヤスハルは一人だけ家が近くて歩いて来るので、ちょっと遅れているのかな、と思った。欠席の連絡もないことだし、もう少ししたら来るだろう。
一時間目の授業を始めて、十五分くらいたったころ、ヤスハルは真っ赤な顔をして教室に入って来た。
「おう、遅刻なんて珍しいな」
と僕が言うと、ヤスハルは真剣な顔で、
「坂の下できつねが死んでた! 車にひかれたみたい」
と言った。額に汗がにじんでいる。
えーっ、と子供たちの目はいっせいにヤスハルを見た。
「気がつかなかった!」
「バスから見えたー?」
「俺、見た」
「マジで?」
「だって別に言うほどの事でもねえじゃん」
教室内がざわざわっとなり、
「静かに」
と僕は言った。
「きつねは交通安全教室受けてないからなー。みんなも車には気をつけるように」
と言ったら、一年生は素直にうなずいたが、他の学年は嫌な目で僕を見た。
「先生。きつね埋めてやって」
とヤスハルが言ったので仰天した。
「ええっ? 先生がか?」
空気を読んでくれたらいいのだが、と思いながらヤスハルを見ると、彼は純粋な目をして僕を見た。ううっ。
「ねー先生、時々猫が死んでたりするでしょ? でも学校から帰る時にはなくなってるの。あれってどうして? 生き返るの?」
とジュンが聞いた。そんなわけないじゃんか、と思いながら、
「それは近所に住む親切な人が片付けてくれたんだろう」
と答えた。
マリカが、
「きつね死んじゃったの?」
と訊く。
「この間金魚が死んじゃってねー、お庭にお墓作ってあげたんだよ」
と得意そうに言う。
「きつねもお墓が欲しいんじゃない?」
コウタが目をくりっと動かした。こいつは何でも面白がる。
「先生! お墓作ろうよ!」
ほら、来た。
「先生大人なんだからさ。きつね片付けたら?」
と、僕に対していつも否定的な言葉を投げかけるカズが言った。十一歳の癖に、いつも斜に構えている。
「見てくる!」
ユウセイが、前の戸を開けて飛び出した。彼は落ち着きがなく、時々教室から脱走する。僕はため息を押し殺しながら、クラスのまとめ役のモエに、
「ごめんな。ちょっと見ててくれ」
と頼んで、ユウセイを追いかけた。もう見えない。玄関で靴を履いているのか? ところが玄関へ行くと、もう彼は外へ出てしまっていた。しかも、上履きのままで。
「こらっ! 戻って来い!」
仕方がないから追いかける。運よく、校長が階段下で落ち葉を掃いていた。校長は上手いことユウセイを捕まえてくれた。
「すみません! 先生!」
「どうしたんだい? 授業中だろう?」
と校長は姿勢を屈めてユウセイに尋ねた。
「校長先生も行こうよ。みんなで見に行こうよ」
とユウセイはつかまれた腕をふりほどこうともがいた。
「何を見に行くの?」
と校長が興味を見せたので、ユウセイは興奮して、
「きつねだよ!」
と言った。それでは意味が通じないので、僕が説明をした。
「坂の下の、国道とぶつかる辺りにきつねが死んでいるらしいんです。それを聞いたものだから」
「ねえ、せんせー! 見に行こうよー! お墓を作るんでしょー?」
校長が何か考え深げな目をして身体を起こした。教室の方を見ると、窓から残りの生徒たちがこちらを見ている。
「行きますか? ヤナギ先生」
一瞬、考えた。
「えっ! 行くんですか?」
声が裏返った。
「今日は課外授業だなあ。お天気もいいし」
校長は手を振って、窓に向かって叫んだ。モエが窓を開けた。
「みんな、温かい格好をしておいで! みんなで行こう!」
「校長先生……」
僕はどうするつもりかと思案した。きつねの死骸を見に行くなんて……親に知れたら怒られそうな事なのに。
「これはいい授業になりそうですよ」
なんて校長は楽しげに言って、箒を階段横へ立てかけた。僕は言われたままに、用具室から軍手、ごみ袋、シャベルなどを持ち出した。それを高学年の生徒に分担して持たせると何人かは嫌な顔を見せた。そりゃあそうだろう。きつねの死骸なんて、どう考えても気持ちがいいものじゃない。校長とユウセイがいないと思ったら、二人で校舎から出てきて、みんなにマスクを配った。大きい子にはゴム手袋も。
「なんでマスクすんの?」
とコウタが訊いた。
「そりゃー……きつねは病気があるのもいるし……いや、気持ちの問題と言うか」
と僕はごまかした。
きつねの病気は糞尿から移るだけだっけ?
みんなで、坂道を下った。マスクをした子供の集団。シャベルにごみ袋。一見ごみ拾いに行くような格好だ。春の一斉清掃……。
校長は最後尾から、後ろ手にゆっくり歩いて来る。僕は校長と話したかった。歩を緩めて、でも油断なく子供たちを見ながら、校長の隣に並んだ。
「どうしました?」
相変わらずのにこやかな笑み。校長は確か五十代の筈なのに、いつももっと落ち着いた老齢に見えた。
「ほんとに行くんですか?」
「いいじゃないの。行きましょう」
「あとで父兄から苦情が」
「電話が来たら言ってやりなさい。命の授業をしました。これは国語や算数よりも大切な授業ですって」
はあ。僕は返す言葉を見つけられなかった。
坂の下の、ちょうど学校側へ上がってくる道の端に、きつねが横たわっているのが遠目にも見えた。子供たちが一瞬どよめき、足が止まった。
「行きますよ」
と校長が声を掛け、歩き出したので、生徒たちは後ろからおっかなびっくり進んで行った。近くによると、きつねは身体を長く伸ばし、ひらべったくなって転がっていた。見るからにもう固い。子供たちが妙に静かなのが逆に耳についた。こういう時こそ、ユウセイやコウタが、真っ先に何か言いそうなものなのに。
「触らないでね」
と校長が優しく言うのが聞こえた。
「野生動物は、病気を持っていることがあるんだよ。だから、可愛いとか、可哀相とか思って、すぐに触ってはいけない」
子供たちはそろそろときつねの周囲を囲んだ。
「ヤナギ先生。車が来ないか注意してて下さいよ」
と校長が言うので、僕は子供たちも見なければいけないし、道路の両側も見なきゃいけないしで、ドキドキした。
「どうして死んだんでしょうね?」
と校長の柔らかい声が聞こえた。
「車にひかれたんじゃあ?」
とモエが自信なさそうに言った。
「だって、ねえ?」
とヤスハルに同意を求めた。ヤスハルは委縮した様に喋らない。モエは確認するように、同学年のカズに言った。カズは、
「そうなんじゃねえの?」
とぶっきらぼうに、でも普段より声を落として言った。まさか自分が片付ける羽目になるとは思わなかっただろうな。
僕は子供たちの背後から、そっと覗いた。きつねは口から血を流していたが、もう渇いていた。他に血は出ていないようだ。少なくともグロテスクな様子ではなかっただけマシか。モエが厳しい顔をして、ユウセイの手をぎゅっと握っている。痛いんじゃないか? と思いながら、ユウセイが何も言わないし騒がないことにも気がついていた。
「先生、どうすんの?」
いつもは何にでも興味津々のコウタが、遠慮がちに僕に尋ねた。どうするって、お前がお墓を作ろう、って言ったんだろうに。
「まあ、なあ」
僕は曖昧に相槌を打ってしまった。言うべきことを、見つけられない。校長が、しゃがんだまま子供たちをぐるりと見回した。
「どうしたらいい? みんな。意見はあるかい?」
「死んでる?」
とマリカが訊いた。
「金魚はこれくらいだからね、お墓もこれくらい」
と小さな手で何かをすくうような仕草を見せた。
「そうか。きつねはそれよりも大きいね。どうしよう?」
校長は困っている風を見せた。
「もし、おうちで飼っている犬や猫が死んでしまったら、みんなはどうする?」
そこで、みんなショックを受けたようだった。無口で普段あまり喋らないナツミが、
「うちの花丸も死ぬの?」
と校長の顔を見ながら涙をポロッとこぼした。花丸はナツミの飼っている犬だ。
「・・・・・・うん。生きている物は、みんな死ぬんだ。今でなくてもいつかはね」
ナツミの涙につられたのか、それぞれ思うところがあるのか、子供たちはぐすぐすと泣き出した。あの、カズでさえもが気難しい顔で横を向いた。
「花丸はナツミの家族だよね。マリカの金魚もね」
校長はマリカの頭を撫でながら言った。
「家族にはお墓を作ってあげたいよね。だって、大切な仲間だからね。でも、じゃあ、このきつねはどうだろう? 知らないきつねだよ。どうする? みんな」
子供たちは黙っていた。
「死ぬって悲しいけど、こういうことなんだ。誰もそばにいなかったら、こうやってお墓も作ってもらえないで放っておかれるんだよ」
「校長先生、ちょっと……」
それは言い過ぎじゃあ……。彼は僕を見上げて、ふっと微笑んだ。今の笑みは?
「だからね、家族を大切にして、いつも思い合って暮らさなきゃ。こんな風に独りで寂しいのは嫌でしょう?」
と彼はモエを見た。モエが肯いた。カズを見た。カズは見られているのが分かって横を向いた。校長は一人ずつ、子供たちの顔を見た。よいしょっ、と立ち上がると、
「さっ、ヤナギ先生。手伝って下さいよ」
と僕に言った。校長はモエとカズに袋の口を広げて持つように指示し、ヤスハルにシャベルを僕に渡すように言った。校長と二人でシャベルをきつねの身体の下に入れ、息を合わせて持ち上げた。袋に入れようとしたとき、モエが怖がって手を放したのを、ヤスハルが代わってくれた。二枚の袋で厳重に包んだそれを、僕と校長でぶら下げて坂を上った。重いとも軽いとも、何とも表現できない。子供たちはシャベルを気持ち悪そうに、手を伸ばして身体から離して持っていた。
「知らないきつねでも、野ざらしは……お墓がないのは寂しいでしょうから。人もおんなじです。困っている時、悲しい時、ひとりじゃ寂しいですからね。助け合ってね」
と校長が声を掛けると、子供たちはお互いの顔をそっとうかがった。
校庭の端の端に、校長は穴を掘ろうと言った。そんなところにきつねを埋めたりして、しかも野生のきつねを、あとで怒られないのだろうか? と僕は気になった。いずれは……ああ、気が滅入るからやめておこう。土中には草の根がはびこり、みんなで交代でシャベルを動かした。子供たちは顔をまっかにして、額に汗を浮かべていた。女子も男子も、一年生も、一度はシャベルを手にした。消防署の午後十二時を知らせるサイレンが遠く聞こえたが、誰もお腹が空いたとは言わなかった。やってしまいたい。昼食休憩どころではない。だいたい、みんなはお弁当が食べられるのか?
最後は僕と校長が汗だくになって深く掘り、袋のままきつねを横たえた。子供たちがそれぞれ手を合わせて祈りだした。見ていると仏教的なものあり、キリスト教的なものありで、なんだか不思議だった。それぞれの家のやり方なんだろうな。土をかけていく間には僕は肩の荷が下りた気になって、気持ちが晴れ晴れとした。ヤスハルとジュンが平たい石を持って来て、それを上に置いた。
「ここはきつねのお墓です。いつでも来て、祈ってあげて下さい」
校長が子供たちを見回した。そして、
「手を洗って、お弁当の時間だー!」
と明るい声で言った。それで急に子供たちは解き放たれたように、わーっと校舎の玄関めがけて走って行った。僕は今日、あの年中落ち着きのないユウセイが、大人しくいう事をきいていたことに感動を覚えた。今も誰の手もわずらわせずに、ちゃんと校舎に入って行った。もっとも、お腹が空いたと言えばそれまでだけど。
「じゃあ、お疲れの所申し訳ないが、先生」
と校長はシャベルを僕に渡し、笑いかけた。僕は苦笑して用具室に道具をしまった。
数日後、授業中に、窓際の席のユウセイが、
「きつね!」
と叫んだ。開け放した窓から、初夏の風がそよぐ。校庭をきつねが横切っていた。
「行き返ったー!」
ジュンがはしゃぐ。
「そんなわけないじゃん!」
とコウタが大きな声で言った。
「だって生きてるよ」
と声が小さくなったジュンの頭を僕は撫でた。
「きつねは山にたくさんいるから。親戚かもしれないね」
すんなり口から出て、自分でも驚いた。親戚だなんて。
「お墓参りに来たのかもよ」
とモエが明るく言った。ほほう! とみんなが声を上げた。
「お墓があって良かったね!」
と彼らは笑い合った。
春よりも少し仲が良くなった、僕のクラスの子どもたち。小さな学校で、少ない人数だけど、いつかここにいた日々を大切に思い出せるように過ごしていって欲しいと思った。
後日談。校長はあの日、子供たちが帰った後で、きつねを掘り返して、町の清掃業者に取りに来てもらったらしい。それを知らなかった僕は、子供たちに誘われるままに、花を摘んで手向けたりしていたのだが……。まあ、知っていながら素直な気持ちで祈るなんて芸当は僕には出来そうもないので。校長はそれをわかっていたってことかな。いつまで経っても、僕もあなたの教え子だって事ですかね。先生。
「文芸おとふけ」45号(2013年・音更町文化協会 発行)
父の新盆の支度のために実家に帰った。私は子供たちと自宅に住んでいるため、実家は父の死後、留守宅になっている。実家は父の生前通りにそのままにして、時折風を通しに行く。二月に亡くなってから、七日ごとのお参り、四十九日までを実家で行った。五月の百か日にお墓に納骨をして、仏壇を自宅に移した。今日は新盆の時に使う諸々の仏具を探しに来たのだ。
父は工作好きであったので、大工道具からわけのわからないものまで、部屋は物で溢れていたが、法要のために少しずつ片付けてきて、現在は来客があっても泊まれるくらいにはきれいになっている。そうするまでには努力が必要であって、私は父の道具類をあれこれ考える暇もなく、押し入れやら物置に突っ込んできた。そのつけが今日、盆提灯や灯籠を探すのに苦労する原因にもなった。
しばらく風を入れなかった家は、七月の熱気をまともに詰め込んでむっとする状態だった。すぐに全部の窓を開けたが、風がないので空気がなかなか入れ替わらない。持って来たペットボトルのお茶をまず一口飲んで、仏壇があった部屋から捜索を始めた。
普通は盆提灯なんて、仏壇のある部屋の押し入れにしまうだろうと思った予測は見事に外れ、見つからない。父が寝ていたベッドがある部屋にもない。押し入れの物を出し入れするたびに、古い匂いと綿ぼこり、虫の死骸などにうんざりしながら、見るともなしに手に取る物を見ていると、父の生きてきた人生の一部分一部分が私の中で思い出された。若いころ読んでいた本。仕事で使っていた大工道具。父が作った、使えるのか置物なのかよく解らない代物。私が子供のころ、粘土で作って父の日にプレゼントした灰皿。そんなものをまだ持っていたのか、と私は手を止めた。こんな三十年以上前のものを、今でも……。しかも父は煙草を一切吸わないというのに、何故に灰皿だったのか、と自分で苦笑する。その時は確か、児童館で全員が灰皿を作る日だったから、私は考えもなく灰皿を作ったのではなかったか。
父は肝臓がんで、見つかった時にはもうかなり悪くなっていた。本人が病院嫌いで積極的な治療を望まず、医師に抗がん剤治療を断った。何故かというと、抗がん剤を始めると急激に体力が落ちるケースがあるという医師の説明を受けた矢先に、入院先で同じような病気の人が治療開始二週間で亡くなったのを目の当たりにしたためでもある。父は治療で早く死を迎えることになるのは避けたいようだった。
「そうすると治さなくてもいいと言うわけですか。チャンスがあるのに?」 と、若い担当医に言われても、父は抗がん剤治療にうんと言わなかった。その後、外科に移り、ラジオ波焼灼術という処置を受けたり、内科へ戻って肝動脈塞栓術という処置を受けたりしているうちに、どんどん悪くなりついに抗がん剤治療を受け入れた。もうとうに悪くなっていたので、抗がん剤の効き目は期待できなかった。新薬が投与されたが副作用に耐えきれず治療を断念した。肝機能の数値が悪くなっていくと、肝性脳症というもうろうとした状態が増えるようになり、亡くなる三ヶ月前くらいからは衝動的に徘徊したり、自分のこともわからなくなる時もあった。治療の効果が出ると急に元気に戻る日もあり、今日は私のことが誰かわかるのか、自分のことはわかっているのかと心細い気持ちで付き添いに向かう日々だった。
考え込むと手が止まる。懐かしい物が出てきても見つめるのはやめにした。どちらにせよ、冬前くらいには、荷物の整理をしなければならないだろう……。
二階へ行くと少し風の通りが良くて、階下でかいた汗が冷えて涼しく感じた。でも、押し入れから出す段ボールの側面は温かい。じゅうたんの上に座ると、接している部分から汗ばんでくる。その時、何とはなしに見上げた棚の上に、それらしい箱を見つけた。少し細長く、薄い箱。そうそう、こういう箱だったかも、と思いながら高いところから箱を下ろした。私が来るといつももう飾ってあって、知らないうちに片付けられていたから、盆提灯がどういう状態でしまわれているのかを知らなかった。提灯は折りたたまれ、灯籠は足が外されていた。
広げてみると随分色が褪せてきていて、私は少し考えた。新盆だから、新しいのを買ってあげたらいいかしら?
葬儀だ法要だとお金はかかったものの、こういうところはきちんとしてあげたいと思う。
壁に寄りかかって足を伸ばし、ペットボトルを手に取る。背中が熱い。部屋の散らかった惨状を見て、どっと疲れた。最初から買う方向で考えれば良かった。
提灯や灯籠と一緒に下ろした菓子箱に目が止まった。それはこの街の老舗の和菓子屋の名前が金で箔押しされた箱で、相当古そうだ。現在の箱はこのデザインではない。そうっと開けてみる。斑点が浮き出した古い紙に何か包まれている。開いてみると南部風鈴だった。釣り鐘のような形で青錆色。振ると高く澄んだチリンという音がした。窓のカーテンレールに吊してみた。ふちが傷んで丸まっていた風受け用の紙が、微かに風を受けている。それをそのままにして、散らかした物を押し入れに戻し始めた。捜し物が見つかったので、今度はゆっくり箱の中身を眺めながら。
チリンチリン、と風鈴が鳴って、風が通ったのを知らせた。私は少し楽しくなり、窓から外を見下ろした。夏の陽光は相変わらず強さを誇っているが、音の効果か先ほどとは違うさわやかな心持ちだ。
二階の窓からは通りが見通せて、気がつくと路上でも風鈴がなっている。今時珍しい風鈴売りの屋台であった。たくさんの風鈴が一度に鳴ると、シャラララとか、カランカランとか金属的な音に聞こえた。さっきまで気がつかなかったのは、風がなかったから?
見ると、日傘を差した和服姿の女性と、小学生くらいの男の子が屋台の前に立っている。男の子はグンゼのシャツみたいな上着に半ズボン、大人の革ベルトみたいなベルトを締めている。あんな格好でいる小学生は珍しい。だいたいこの三十度近い気温に和服って。しかも落ち着いた紬の着物がまるで普段着のようにしっくり似合っている。顔は日傘に隠れて見えない。母親と息子だろうか。男の子が風鈴を指さして何かを言っているようだが、たくさんの風鈴が邪魔をして聞こえない。彼は一所懸命に何かを訴えているようだ。風鈴屋が外して差し出したのは、赤い金魚みたいな柄がついたガラスの風鈴。けれど傘の下から出て来た白い手は別の風鈴を指さした。ガラスの風鈴はまた竿にかけられ、代わりに青い南部風鈴が渡された。
母親がお金を払っている間、男の子はうつむいて地面を見ていた。よく見ると彼が履いているのは下駄で、私はあら? と思って目を凝らした。突然高い鈴の音が耳元で響いて、びっくりして顔を上げた。カーテンレールになんて下げるものだから……と思いながら再び通りを見ると、不思議なことに誰の姿もなく、道が陽に照らされているだけだ。急いで左右を見回したが、どちらの道にも親子連れも屋台も見つけられなかった。
段ボール箱の中にもうひとつ似たような菓子箱を見つけた。それはまた先ほどと同じ和菓子屋の箱で、現在のデザインに近い造りだった。その箱の中には、新聞紙に包まれたガラスの風鈴が入っていた。これには見覚えがある。
確か縁日の夜店で父が買い求めたものだ。その時父は迷わずこの風鈴を選んだ。まるでそれしか目に入らないとでもいうように。そして家に帰って電灯のひもの先に結わえた。通るたびに当たって邪魔なので、私は別の場所に付け替えてよ、と言った。すると父は光が当たってきれいだから、と言うのだった。
その風鈴もカーテンレールに吊してみた。南部風鈴がぶつかって割れないように、少し離して。
二つの風鈴は風に揺られて、それぞれ違った音色を放った。良く響く高い音と、お世辞にも上品とは言えない軽い音。父は風鈴に音を求めていたのではないのかもしれない。ガラスの風鈴は陽の光を透かしてきれいだった。赤い金魚が生彩を放っていた。
もし、時のいたずらで過去が見えたのだとしたら、あの着物の女性が父の母親で、あの子が子供時代の父だったなら。なんとなく納得できた。父は母親に口応えできない優しい子供であったと聞いている。
先ほどの出来事はさっき本当に起こったことかもしれないし、暑さが見せた幻かもしれない。
私は父に新しい盆提灯を買って飾ってあげようと思う。ナスとキュウリで馬を作って飾ろう。子供のころに、父が作って見せてくれたように。それは父がお盆に母親を迎えるために作ったものだった。
床に散らばる荷物を眺めながら、在りし日の父を思った。
「文芸おとふけ」44 号(2012年・音更町文化協会 発行)
僕は寒いのが苦手だ。雪の朝は特に仕事に行くのが億劫だ。粉雪を避けるために顔を半分マフラーで覆うようにして、うつむいて歩いていた。雪はまだうっすら、先に行った誰かの足跡がアスファルト色に浮かび上がり、それを見るともなしに見ていたら、見慣れないものが落ちていた。色はくすんで、角はもろい。なぜか、星だと思えた。もしかしたらいいことが起こるかもと思ってポケットに入れ、その後忘れてしまった。
職場で小さな失敗をごまかそうとして、先輩から叱られた。上司は失敗がなかったことになるくらい巧く仕事を納めてくれたけど、僕は落ち込んだ。迷惑をかけた後悔、僕にできないことを簡単にクリアする人への羨望。
帰り道で、ポケットに手を入れたら、硬いものに触った。
ああ……朝はいいものに思えたのに。暗い夜道で見ると硬くて冷たくて、ちっともきれいじゃない。光るどころか、むしろダークな気を放っているんじゃない?
でも、そのかけらはなんだかいとおしかった。どうしてかはわからない。握ったまま、手をポケットに入れた。石はだんだんとあたたかくなってきたようだ。見るとぼんやり光っている。そして少し震えている。手を開いてみた。かけらがちょっとだけ浮き上がった。驚いた。それはすぐに落ちてきて、手のひらでふるふると振動した。
「空に戻りたいのかい?」と、思わず語りかけていた。
かけらがまたたいた、ように感じた。その気持ちをなんて表現したらいいんだろう?ウレシイ、カンゲキ、シアワセ……? セツナイ。
暗がりから、誰かが近づいて来る。僕はどきっとして、その人を見つめた。向こうもびっくりしたようだ。帽子の下から長い髪が見えて、女の人だとわかった。
「あっ」と二つの口が言った。
「それ……」
二人の手のひらには、同じようなかけらがあって、少し震え、かすかに光っている。まるでお互いを呼んでいるように、僕には思えた。
「拾ったんですか?」と僕が話しかけ、「ええ」と、彼女がうなずいた。
「道に落ちていたんです」
「僕も今朝そこで……あの、ちょっと借りてもいいですか?」
彼女のかけらを僕のと合わせてみた。二つはぴったり合わさって、くっついた。そして、急に輝きを増して、すーっと空へ上った。光の尾はすぐに都市の明かりに負けてしまい、僕はそれを見失った。夜空にはたくさんの光がまたたき、僕はしばらく空を見上げていた。
ちょっと惜しかった。
でも、僕の部屋を照らすだけのためにあれを使うのはもったいない。天井にくっついて光っていても、かっこわるい。もとの場所に戻れてよかったんだ。急に彼女のことを思い出し、そっと様子をうかがった。彼女はまだ空を見上げている。かけら、大事にしていたのかな。僕が、あんなことをしたから、怒っているかもしれない。
「ごめんなさい。こんなことになるとは……」
「よかったですね。空に帰れて……」と言いながら、彼女の横顔は少し寂しそう。
「怒っていませんか?」
「大丈夫です」と言いながら、彼女が首を小さく振るその感じが、ふるふると震えていたかけらを思い出させた。もっと見ていたかったのに、彼女の笑顔がまぶしくて、僕は目をそらしてしまった。
それから僕たちは、星を拾った場所を尋ね合って、またかけらを見つけたら会おうね、と言いながら別れた。それは約束ではない。お互いに連絡先を尋ねなかったから。
僕はあれから、彼女を探している。暗かったし、女の人はみんな似て見えるから、人混みの中では探せない。けれど、かけらさえ見つけることができたなら。
どうしてあのとき、もっと話をしなかったのだろう? どうして……。自分の情けなさを踏みつけながら、いつもかけらを探している。
時折、ずっと高いところから呼ばれたような気になり、立ち止まって空を見つめる。あのときの星がどれなのかはわからないけれど、空の上のひとつの光が僕らの星なのだと思うと、胸が熱くなる。今日も頑張ろうと思える。
雪に残る靴の後は、曲がったり、他の靴に踏まれたりしながら、同じ方向へ続いている。
朝が来た。このところポカポカ陽気で、ボクはうれしい。
「ナあーア」
足のつま先からシッポの先まで、大きく伸びをする。ポリバケツのふたの上で、ミケが寝ている。先を越してホウライのおじさんとこへ行こう。おじさんは、店を閉めるときに、ごはんを出しておいてくれる。ボクはミケを起こさないように、ソッと路地を抜けだした。
朝の繁華街は人がいなくていい気分。車には気をつけなくちゃねと、思うそばからバイクが飛び込んできた。危ない! ボクはひらりとかわす。ひらり、ではなかったかもしれないけど、とにかくすっ飛んで逃げた。
おじさんの店に行くまで、今日のごちそうはどんなか、ボクはいろいろ想像した。昨日は人通りが多くて、シッポを踏まれそうで路地から出て行かれなかった。だからぺこぺこなんだ。想像しただけでよだれが落ちてしまいそうだが、そこは猫の気品、そんなみっともないことはしないぞ。横丁の暗い路地を抜け、店の裏へまわる。
「おじさんっ、今日もありがと!」
勝手口の前に飛び出したが、今日はカラッポ。ひどいや、忘れるなんて……。いつもなら、いろんなごちそうが入っている四角い缶には、なにも入っていない。食べ残しのわずかなごはんつぶがあるだけ。情けなくなってきちゃったよ。腹ペコで、ゴミ箱あさりかぁ……。首をたれながら、缶の中を見つめた。みじめったらしいと言われるかも知れないが、のらねこにとっていつも食事がとれる場所があるかないかってのは、死活問題だ。
だけど、なにかがおかしい。妙に鼻先にまとわりつく、この香り……。かいでみると、まだ新しいみたいだ。ボクはこういうことには鼻がきく。いや、目ざといというべきか。誰かがごはんを盗ったのだ。おじさんは、きっとごちそうを入れてくれたんだ。なんだか腹が立ってきた。腹ぺこでも、腹は立つ。誰なんだ? ボクのごちそうを盗んだやつ。あっ、まさかミケが? でも、ミケは自分の好きなものにがっついても、相棒にも半分くらいは残しておくやつだ。いくら腹ぺこだからって、先に全部食べちゃうなんてことはしないやつだ。うっ、ボクはミケが寝ているのを横目で見ながらここへ来たけれど……。でも、ミケの分は残しておくつもりだったさ、そりゃあね……。猫にはそれぞれの体内時計があって、その時間に沿って生きている。だから、「食べに行くぜー」なんて起こしたりするのは逆に迷惑だろう?
うーん。なんだかミケじゃなかったとしても、ミケに文句を言ってやりたくなってきた。誰かにわめかなきゃ、気がおさまらない。そこへミケがやってくるのが見えた。すごいスピードで、こっちへやって来る。
「どーして先に食べちゃうわけ?」
急ブレーキをかけて、つんのめったミケは、目の前の四角い缶の中を見て絶句した。そんなうるんだ瞳でボクを見たってさあ。
「なに? なに? 食べちゃったわけ? ひとりで全部、食べちゃったわけ?」
ボクはため息をつこうと思ったけど、間違って鼻息が出た。ミケは恨めしそうな顔をしている。
「違うよ。ボクもびっくりしていたところだよ」
「じゃあ、食べていないわけ?」
「食べてないよ。お前の分まで、食べるもんか」
ボクは少し機嫌が悪そうに言った。ボク達の友情ってそんなものかよ、って、気持ちを込めて。
よし。今夜は店が閉まる頃、見張ってやるぜ。
夜、繁華街へやって来た。この時間はお酒に酔った人間たちが大声で話したり、歌ったりしている。この時間にここへ来たくないのは、たくさんの車が行ったり来たりするので危ないから。
今、ホウライのおじさんがごはんを置いた。白い影がさっと通りから出た。見たことない白猫だ。お腹が地面につくほど膨らんでいる。彼女はホウライのおじさんが出してくれたごはんを、まるで味なんかわからないようにがっついて食べている。ミケが飛び出した。
「おうおう、ここはオレ達の飯場だぜ」
ぷっ! ボクは思わず吹き出した。おうおう、だって! オレ、だって! いつもはボクの後ろから見ているミケだが、ごはんがかかっているとなりゃあ、仕方がない。くいしんぼうだもんね。
白猫はフーッ! と逆毛を立てて、缶の前に立ちふさがった。よく見ると、前足に怪我をしている。体もずいぶん汚れている。威嚇していても、そこに力強さがない。そして大きなお腹……。
「ミケ、行くぞ」
ミケはあっけに取られてポカーンと口を開けたままだ。
「え?」
「ほら、いいから。行くぞ」
ボクは背中を向けた。彼女はこどもを産む前に、栄養をつけなきゃならないんだ。
「いいのー? だってオレらのごはんはどうすんのー?」
不満顔でついて来るミケを、コンビニの前まで連れて行った。待っていると、店の中から袋をさげたふたり連れが出て来た。ボクはミケに見てろ、とばかりに目配せをした。
「にゃおーん」となるべく可愛い声を出して、女の方へ寄って行った。すると、男が手を伸ばしてきたのでヒヤッとする。
「可愛いなー」と、背中を撫ではじめたので、ターゲットを男に切り替えた。
「にゃおー」
足元に体をすり寄せると、男はでれっとして「お腹が空いてんのか? あれ、ちょっとやれよ」と女に言った。
「あげるの? 大丈夫?」
袋からいい匂いがする。ボクはますます甘えた声を出した。から揚げを1個落としてくれたので、ボクは感謝の意を込めて、ふたりに体をすり寄せた。
「遅くなるから、帰ろう」と女のほうが言うと、男は残念そうに背中を撫でて「もう1個やれよ」と言った。そうやって、何人かに同じことをして、 その晩は、なかなかいいものを夕食にいただいた。でも、本当はこびるのは好きじゃない。ホウライに行っていたのは、こびなくてもありつけるからだった。でも、あの白猫が頑張っているのなら、ゆずってやればいい。あの体でご飯にありつくのは大変だろうから。
それでも、完全にホウライの飯場をあきらめたわけじゃない。あの白猫がどこか別のところへ行くことだって、あるかもしれない。ボクとミケは毎日、ホウライの裏をのぞいた。時には階段下でごはんを待っている白猫を見た。こっちの方が早くて、彼女がボクらの姿を後ろのほうからうかがっている時もあった。そういう時、彼女は遠慮がちにこちらを見ていた。ボクらが立ち去る様子を見せると、陰から出てきて食べはじめる。彼女もボクらのごはんを盗った形になって、気後れしているのかもな。
ある晩のこと。ホウライの裏ですごい叫び声が聞こえた。急いで行ったら、顔に傷のある大きなトラ猫が、ごはんの前にいる白猫にケンカを仕掛けていた。彼女は重たいお腹を地面につけて威嚇していたが、トラ猫は全然引き下がりそうじゃない。彼女はだんだん後じさりして、もうあきらめてしまいそうだ。
ボクは飛び出した。加勢したボクを見て、トラ猫はひるむどころか飛びかかってきた。ボクより大きくて重い。前足が大きくて口が大きくて、体当たりが痛くて。上になり下になり、もうどこが痛いのかわからなくなってきたとき、ぎゃうっ! とトラ猫が叫んで、ボクの上からどいた。ミケが、やつの首に噛みついていた。ホウライの裏口が開いて、おじさんが出てきた。トラ猫はおじさんに驚いて逃げて行った。
おじさんは「おやおや……ごはんでケンカかい?」と言って中へ入って行き、大きな缶のふたに、ごはんとお肉のはしっこをのせて持ってきた。
「お前たち最近見かけなかったね。今度は三匹分やらなきゃいかんなあ」
ボクはにゃーと御礼を言って、おじさんが出してくれたご飯を食べた。ミケも食べた。ご飯は温かくておいしかった。食べ終わると、白猫は少し恥ずかしそうに、ありがとうと言った。トラ猫にぶたれたまぶたが痛かったけど、ボクは満足だ。彼女にこどもが生まれたら、その場所までご飯を運んであげようかなと思っている。
モデルは、ラーメン屋を長く営業していた父です。店の名は「宝来軒」。猫が好きな父でした。
山に囲まれた、小さな町がありました。
ある日、作業員を乗せたバスと、大きなトラックが何台もやって来ました。そして、一番高い山の木を、次々と切り倒しました。
町に住む人々は、何ごとかと思いました。
「何を造っているんだろ?」「スーパーかな?」「遊べる所がいいね」
だれかれかまわず、山をどうするのかとたずねあいましたが、誰も知りません。想像がふくらむばかりです。あの山は、名所のないこの町にとって、シンボルのような存在でした。心配した人々が町長につめよりました。
町長が、山の持ち主にたずねると、「山は売ってしまったから、あとのことは知らんよ」という答えでした。
次に、作業員にたずねると、「おれは道を造れと言われただけさ」と答えました。
今度は、工事を頼んだ人に電話をしましたが、電話はなかなかつながりません。待つ間に、どんどん気持ちが重くなりました。なにせ、相手がどんな人なのかがわかりません。
もう受話器を置いてしまおうかと思ったときに、ようやく電話がつながりました。でも、雑音ばかりが聞こえてきます。「もしもし! そちら、工事を頼んだ方ですか?」と大きな声でどなっても、電話の向こうも工事中みたいで、相手の言っていることがよく聞こえません。それでも、工事を頼んだ人が、今度の休みの日に町に来るということだけは聞きとれて、少しほっとしました。会って、直接話を聞けばいいのです。
工事はどんどん進み、山頂に、小さな家が一軒建ちました。どう見ても普通の家です。それを見た人々は、少しがっかりしました。
「木を切って道まで造って……たったの一軒、家を建てるためだったなんて、期待が外れたよ」
そう言いながら、きっと家の中がすばらしいに違いないとか、お金持ちが別荘にするのだとか、いろいろなうわさが飛び交いました。
約束の日、役場の前には、たくさんの人が集まりました。今日という日を、みんな楽しみに待っていたのです。
バスを降りたのはひとりだけでした。まだあどけなさが残る少年です。「あれ?」と、みんなはバスをのぞき込みました。頭の中でどんな人が現れるだろうと想像をたくましくしていたので、なんだか拍子抜けして、ため息ともとれる声がもれました。
「お連れの方はどこですか?」とたずねられた少年は、「ぼくひとりです。工事を頼んだのはぼくです」とはっきり答えました。
一瞬ののち、大人たちは笑いました。その若さでそんなお金があるわけがない、と一部の人が言いました。親の使いだろう、と言う人もいました。少年は初めて来た町で、知らない人たちに囲まれて、心細くなりました。
その様子を見ていた町長は、少年がかわいそうになり、急いで近づいて、「役場の中でお話しましょう」と言いました。ふたりの後ろから、大人たちがぞろぞろとついて行きます。
「どうしてあそこに家を建てようと思ったの?」とたずねると、少年が話し始めました。
夢の中に亡くなったいもうとが現われて、あの山の上に家を建ててほしいと頼んだそうです。あの山は非常にいい電波が受けとれるので、天国と電話がつながるらしいと言うのです。少年は疑うこともせずに、信じきっているようでした。
「遠くの町で働いていたのですが、家ができあがったので、これからはこの町で働きたいです」と少年が言いました。
みんなはなかばあきれて聞いていました。いったいどんなものができあがるんだろう? とすごく考えに考えてきて、もっとすごい何かを期待していたので、真実がわかったら、急に興味がなくなってしまいました。
「なあんだ。ただの家か」「かわいそうに。この子は頭がおかしいんだな」
「ぼくはこれから行って、電波が受けとれるか、テストをしてみます」と少年が言ったので、役場はもう一度笑い声に満たされました。町長の心臓は、早鐘のように打ちました。
「わたしも一緒に行っていいですか?」と町長が言うと、「うんうん、ついて行ってやりたまえ」なんてえらそうに言う人もいて、みんなで笑いながら、ほかの話を始めました。
大人たちの失礼な態度に、町長はがっかりするやら、少年に申し訳なく思うやらで、汗をかきました。
町長が運転して、車が役場を離れると、ふたりとも、ようやく一息つきました。
家はできたばかりなので、まだ家具もじゅうたんもありません。ただひとつ、大きなテレビが置かれています。
少年は走ってテレビに近づくと、電源を入れ、画面に向かって「おーい」と大きな声で呼びかけました。
「あすか! 聞こえる?」
画面の中の白いもやが揺れ、女の子が映りました。「おにいちゃん。おそかったじゃない」と、口をとがらせたので、少年が頭をかきながら、「だってお金がなかったんだ」と言うと、ふたりでほほ笑みあいました。
「お父さんとお母さんも呼んで来てよ」
横で見ていた町長はびっくりして、これを信じていいのだろうか、と考えました。
いろいろな技術があるのだから、だますことも簡単だ。
それに、少年と、亡くなっているという家族がとても自然に会話しているのが、余計に怪しい。
そう思う一方で、本当ならどんなにいいだろう、とも思います。本当なら。そうだったなら。
少年の両親が、画面の向こうから自分を見ていることに気がつきました。話をしてみると、まるでしばらく会っていなかった親戚みたいに、親しみを感じる人たちです。町長はやっと信じる気持ちになって、胸にあふれる思いを打ち明けました。
「ぼくの奥さんに会わせてください」と、真剣にうったえました。すると、一度かれらの姿が消え、もやの中から奥さんが現われました。恥ずかしそうな笑顔です。町長の目から、どっと涙があふれました。
奥さんは、町長の仕事中に亡くなりました。最後に会えなかったことが、ずっと気がかりでした。あの日、仕事を休めばよかったと長く後悔していたのです。言いたいことがあったのに、言えなかったことが心に引っかかって、ずっと明るい気持ちになれませんでした。それが、今日、やっと言えました。まるで心の中に風が吹き抜けたような、晴れやかな気持ちになりました。
戻って来た町長の言葉を、誰もが笑ってとりあいませんでした。けれど最近見ることがなかった、嬉しそうな姿を見て、何人かが、こっそり確かめに、山の上まで行きました。
その後、うわさは広がり、今ではたくさんの人が少年の家を訪れます。
「ひょうげん」24号(2016年発行・北見創作協会)
山のふもとに、小さな神社がありました。その鎮守の森の草むらで、きつねの親子が休んでいました。食べる物を探して山を降り、人家の近くまで出てきたのです。車がたくさん通る道を渡ったり、離れ犬に追いかけられたりして疲れてしまいました。そのくせ、食べられる物はちっとも見つかりません。森の木の実が熟するまで、あともう少し。さわやかな秋の風が吹けば、山の木陰で何か見つけられるのに。お腹を空かせた子ぎつねは、それでも元気に虫を追いかけて遊んでいます。
不意に砂利を踏みしめる音がして、母さんぎつねははっとしました。男の子がふたり、自転車に乗って通りがかったのです。母さんぎつねは子ぎつねを呼んで、木陰の後ろへそっと隠れました。神社の朱い鳥居の前に、ふたりは並んで自転車を停めました。太くて朱い鳥居の肌を手で撫でながら、ひとりが言いました。
「たっくん、今日、ろうそく出せ(注2)行く?」
「うん、行くよ。お菓子いっぱい集めようね」
と、もうひとりが言いました。
「袋、持って行く?」
「うーん。お母さんに聞いてみる」
ふたりは参道を歩きまわって、小石を拾いました。時折黒い石をつかんでは投げて、割れたかけらを見つめると、
「見て見て、十勝石!(注3)」
と言ってポケットにしまいます。
男の子が石を投げている間、母さんぎつねはどきどきしていました。以前、人間から石を投げられたことがあったからです。男の子達はポケットが石でいっぱいになると、また自転車に乗って帰って行きました。
誰もいなくなった途端、我慢をしていた子ぎつねは参道へ走りました。子ども達が石を拾っていた辺りには、変わった物は何もありません。
「ねえ、何をしていたの? ねえ」
母さんぎつねは首を振りました。
「ねえ、ろうそく出せって何? 何のこと?」
「そうねえ」
母さんぎつねは、その言葉に聞き覚えがあるような気がしました。ずっとずっと以前に、好奇心で街まで出掛けて行ったあの日のこと。
子ども達が大勢集まって、
「ろうそく出せ、出せよ」
と歌いながらねり歩いていた夜のこと。家々の戸口から笑い声が聞こえてきます。
子ども達のまわりは、電灯でぼうっと明るくて、離れた所からでも、その楽しそうな顔が見てとれました。子ども達が手に持っている物は何? そんなに楽しそうなのは何故?
笑顔に誘われて、ついだんだん近くまで行ってしまいました。子どもがアーンと開けたその口に、おばあさんが何か入れてあげています。
「おいしい。ありがとう」
と子ども達が言うのをみると、どうやら食べ物をもらっているようです。
そのとき、
「きつね!」
と大きな声がして、何か投げつけられたのでした。背中に固い物が当たって、びっくりして、ありったけの力で走って逃げたのでした。
母さんぎつねは思いました。ろうそく出せと言う子どもについていけば、この子も食べ物がもらえるでしょう。人間の姿なら。
きょとんとした顔で、返事を待っている子ぎつねを見て、母さんぎつねは切なくなりました。
もう何日もトンボとか、オケラとか、嚙んでは吐き出している子ぎつねは、きっととてもお腹が空いているでしょう。
母さんぎつねは神社の本殿を仰ぎ見ました。祈って、考えて、忘れかけていた変身の術をやっとのことで思い出しました。術を使わなくても、ずっとやってこられたのです。でも、今日この子に何か食べさせてあげたい、その一心でした。
「いいかい? 他の子ども達と同じようにして、決して目立ってはいけないよ」
と母さんぎつねは言いました。
「それから、御礼はちゃんと言うんだよ」
道路の端に落ちていたビニールの袋をくわえてきて、今は人間の子どもの姿になっている子ぎつねの手に持たせました。
夕暮れが近づき、遠くから、
「ろうそく出せ、出せよ」
と子ども達の歌声が聞こえてきました。母さんぎつねの心配をよそに、子ぎつねは何が起こるのかわくわくしてきて、
「ぼく、行ってくるね」
と元気に駆けだして行きました。母さんぎつねは少し離れてついていき、様子を見守ることにしました。
ろうそく出せ、出せよ
出さないとひっかくぞ
出さないとくいつくぞ
元気な子どもの合唱が道々に響いて、玄関口からエプロン姿のおばあさんや、にこにこ顔のおじいさんが出てきます。
「どおれ、どれ、今年もよく来たのお」
と言って、ろうそくを二本と、お菓子を袋に入れてくれます。
子ぎつねはろうそくというのが何かはわからないけれど、お菓子はにおいで食べる物だとわかりました。
「ありがと」
と、母さんぎつねに言われた通り、御礼もちゃんと言いました。
夕日が沈んで暗くなってからも、子ども達の行進は続きました。家々の戸口で、元気な歌声が響きます。華やいだ雰囲気に、子ぎつねも声高らかに歌います。
ずいぶん歩いて、袋が重くなった頃、ある家のおばあさんが子ぎつねを呼び止めました。
「ねえ、その袋、ちょっと破れているみたいよ」
子ぎつねはびっくりしました。母さんぎつねに、他の子と同じようにしなければいけないと言われたのです。急いで子ども達を追いかけようとしたのに、おばあさんは前に立って顔をのぞき込んでいます。胸がどきどきして、変身がとけてしまいそう。もしかして、もうヒゲや尻尾が見えているのかな?
「この袋汚れているみたいだし、新しいのに取り換えてあげるわね」
とおばあさんが手を伸ばしたそのとき、自分でもびっくりするような大声が出ました。
「やだっ。これはお母さんがくれたのっ。車が来る危ない道から持って来てくれたのっ」
おばあさんはびっくりした顔で見ています。子ぎつねはもう駄目だと思いました。ぎゅっと目をつぶっていると、おばあさんの温かい手がそっと頭を撫でました。
「そうかい、そうかい。ごめんねえ」
頭を撫でる手は、とっても柔らかくてあったかくて、子ぎつねはそうっと目を開けてみました。
「ちょっとだけ、待っててね」
そう言うと、一度家の中に入ったおばあさんは、新聞紙で包んだ物を持って来て、子ぎつねの手に渡しました。ほかほか温かくて、ぷーんといいにおいがしました。
「お母さんが持たせてくれた袋を汚れてるなんて言って、ごめんねえ。これはおわびの気持ちだよ。お家に帰って、お母さんと一緒にお食べ」
みんなには内緒だよ、とおばあさんは片目をつぶって付け足しました。
通りの向こうに行ってしまった子ども達の列を追って、子ぎつねは駆け出しました。あれっ、何か忘れてる、何を忘れているんだっけ? そう思いながら、列に追いつくのに必死でした。
背後でおばあさんが、子ぎつねの姿が見えなくなるまで見送ってくれたことにも、気付きませんでした。
少し離れた暗がりで、二つの赤い光が瞬きました。母さんぎつねです。子ぎつねはそっと列から離れ、ひとり山への道を登って行きました。
おばあさんが新聞紙に包んで渡してくれた物は、ふかし芋でした。とっても柔らかくて、ホクホクしてて、母さんぎつねと一緒に仲良く分けて食べました。そしておいしい食事の後で、あの時の忘れ物を思い出しました。
「ぼく、おばあさんに御礼を言うのを忘れちゃった……」
翌朝のことです。おばあさんは、あの子にひどいことを言ってしまったなあと気に病んでいました。それで少し元気なく、玄関の掃除をしていたら、隣の奥さんがほうきを持ってやって来ました。
「あら、お早うございます」
「ねえ、ちょっと。今、裏にきつねがいたわよ」
奥さんは気もそぞろで、挨拶どころではないようです。ほうきを逆さまに持ち換えました。周囲を見まわすと、通りを挟んだ空き地の端に、大きなきつねがいるのに気がつきました。
「あら、あのきつね、何かくわえてる」
と、奥さんが言いました。大きなきつねは口元に山百合を一輪くわえていました。さっと空き地を横切って、こちらへ向かって来るきつねを見て、
「ひゃあ」
と、言葉にならない声をあげて、奥さんはほうきを振りまわしました。
大きなきつねは山百合をそっとおばあさんの近くに置いて、風のように走り抜けていきました。生け垣に隠れていた小さなきつねは、その後を追って駆け出しましたが、一度だけおばあさんを振り返り、走り去りました。
「不思議なこともあるものねえ」
と興奮冷めやらぬ奥さんが言いました。
「その花、エプロンの柄と同じよ」
そう言われて、おばあさんは自分のエプロンを見下ろしました。気に入っているので、いつもつけているエプロンです。山百合を手に取ると、山の清々しい香りがしました。とても幸せな気持ちになって、去って行ったきつねの親子に御礼を言いました。
その山百合はお盆の間じゅう、おばあさんの目を楽しませてくれました。
(注1) 北海道の一部の地域では、七夕は八月七日にする風習がある。
(注2) ろうそく出せ、とは子ども達が浴衣などを着て、各家にろうそくをもらいに行く行事のこと。現在はお菓子をもらいに練り歩くハロウィンのような内容に変化した。時代の流れで残念ながらこのような行事が失われた地区も多い。
(注3) 十勝石とは、黒曜石のことで、北海道ではポピュラーな呼び方である。十勝地方から多く産出されたからと見られる。ガラス質の石で割ると非常に鋭利な欠片となり、古代から矢じりやナイフなどに加工されてきた。
北海道旭川市は人口が30万人以上。北海道では大きな都市にあたる。その都会にあって「ろうそく出せ」という昔ながらの行事が(他の小都市では失われたのに)残っていることが印象的だった。街中は街路樹や花壇も多く、自然を残している。護国神社を奉る気持ちが強く、神社際の頃には旗が並び立つ(一軒ごとに旗を預かっている)。街が大きくなると人の付き合いは希薄になる—そういう部分も感じつつの「ろうそく出せ」は残ったという精神性に心打たれた。
「ヒューマン」38号(2006年発行・ヒューマン刊行会)
梨佳子は毎日様々な本を持ってくる。そして終業のチャイムが鳴るまでに持ってきた本を大抵読破してしまう。驚くべき読書欲だった。亜紀は自分のやりたいことが見つからず、とりあえず教科書を読んだり、英単語をノートに写したり、阿部先生が忙しい時は仕事を手伝ったりして過ごした。
ある日のことだ。梨佳子が初めて自分から声をかけてきた。今まで亜紀の方から何度話しかけても返事はなかったので、梨佳子と話をすることはなかば諦めかけていた。
「高橋さんて、どうしていつも笑っているの? 」
「えっ」
「教科書を読んでいる時、先生の手伝いをしている時、給食を食べている時」
「わ、私、笑ってる? 」
亜紀は普段の自分がどんな顔をしているのかなど気に止めたことがなかったので、びっくりした。
「そう、いつも笑っているの。まるで、悲しいことなんか何もないみたいに」
「悲しいことなら、私にだってあるわよ」
少し気分を害して強い口調で言った。
「そうよ、その顔よ。みんなその顔が見たいの」
「えっ、なんのこと? 」
「あなたがいつも幸せそうに笑っているからいけないの。みんなあなたの困った顔が見たかったのよ。なのにあなたは保健室登校になっても笑っているんだもの」
亜紀は梨佳子の言わんとしていることを理解しようと努めた。
「あなたの泣いている顔が見たくてみんな来るの。斉藤も、近野も、今井も。あの子達、私のこともいじめたわ。私が小さい頃からずっと髪を延ばしているのが気に入らないって、一度でいいからショートの私が見たいって、教室で私の髪を切ったの。嫌がって逃げた時、勢いで耳まで切られちゃったわ」
無表情で怖いことを言う梨佳子を見て、亜紀はぞっとした。
「そ、それで? 」
「あの子達、逃げちゃったの。誰も私の言うことを信じてくれなかった。お母さんが怒って先生に訴えたけど、本人がやってないって言うのに叱れません、って先生が言ったわよ。見ていた人もいないし、証拠がないって。その上近野のお母さんが怒鳴り込んできて、やってもいないことをうちの子のせいにしておとしいれた、って大騒ぎ。母は困ってもういいです、って言ったの。あの子達やり方を心得てるのよ。優等生を装って、大人を味方につけるやり方をね」
「もういいです、って言ったの? お母さん」
「そうよ」
「同じだね、うちのお母さんと。まるめ込まれちゃった、というか、負けちゃったというか」
梨佳子は黙ったままだ。
「その時、悔しかったでしょう? 」
亜紀は梨佳子の気持ちを思うと切なかった。形はどうあれ、私達は同じように傷ついている、と思った。
「私達は悔しいって思っちゃいけないの」
はっきりとした口調だった。亜紀はまた驚いた。
「どうして? 」
「私達は弱すぎる。悔しいなんて思う価値もないほどに。生きているだけの価値もないほどに」
「そんなの、違う! あの人たちの方こそ、価値がないの。私達は違うでしょ? 」
「怒るの? 私に」
「ごめんなさい。あなたに怒っているんじゃない。でも、高柳さん、それは違うよ」
「違わないわよ。だって私達、教室にも行けない、集団にも入れない、保健室登校なのよ」
「悔しがっちゃいけないこととそれが関係あるの? 」
「だって、私達は社会に入れないんだもの。人と同じに扱われなくて当然なのよ」
梨佳子はさっとカーテンを曳いた。白いカーテンの向こうに梨佳子の影がうすぼんやりと映る。影が少し揺れた。
「私の居場所はここ。あなたはどうするの? 」
亜紀は答えられなかった。
梨佳子があんな風な考え方をしていることを知って、亜紀はショックを受けていた。あれじゃ、人生を捨てている。でも、私はどうなんだろう。私も今のままでは時間を無駄にしているだけだ。
あなたはどうするの、との問いに答えを見つけたかった。梨佳子はきっと本を読むことで自分の存在を消してるんだ、と思う。読んでいる間、その世界に入り込んで現実を忘れられるんだ。
私が映画を見ている間、現実の嫌なことを忘れていられるように。だからあんなにひっきりなしに本を読んで、読み終わったら不安でたまらなくて、すぐ次を読まずにはいられないんだ。
でも、弱いから悔しがる価値も生きている価値もないなんていうのは違う。絶対違う。私が教室に入れないのはあの人たちが悪いからで、私のせいじゃない。
笑っていることが許せないなんてそんなの嘘。お父さんは女の子は笑顔が一番いいっていつも言っているのに。
階下で電話が鳴っていた。母はさっき仕事に出かけて行った。父からだろうかと思い電話を見ると、ナンバーディスプレイに見たことのない番号が表示されていた。
電話の声は遠慮がちに、
「美智子かい?」
と、言った。
「母は仕事に行きましたけど、どなたですか?」
「ああ、亜紀かい。大きくなったんだろうね。じいちゃんだよ」
亜紀はいぶかしく思った。
「おじいちゃんって?」
「母さんの、父さんだ」
父方の祖母と同居していた頃、何故うちにはおじいちゃんがいないの、と聞いたことがある。祖父は若い頃病死したのだと聞いた。母方には祖父母がいないのかと尋ねたら、いない、と母
が言うのでずっとそう思っていたのだったが。
「おじいちゃん、ですか? 」
「そうだよ。元気か?」
「うちは高橋ですけど、間違っていませんか?」
電話の向こうで長く息を吐いて彼は言った。
「亜紀、母さんはじいちゃんのことを亜紀に話しておらんのかね? 」
「はい」
返事しながら自分は夢でも見ているのか、詐欺にでもあっているのではないかと疑った。
「父さんから電話を貰ったんだ。亜紀と話をしてくれと」
「お父さんが? 」
「学校のことで悩んでいると言っておったが、そうなのかね?」
亜紀は誰かが自分を騙してもっとひどいいじめを企んでいるのではないかと疑った。でも、この声、大人の人が子供と一緒になって中学生を騙すだろうか?
それとも先生が私から何か聞きだそうとしているのかしら ?
「突然電話してこんなことを聞いても駄目だなぁ。悪かった」
いかにもすまなそうに言ったので、亜紀は警戒を解いた。
「おじいちゃん。私、一度も会ったことがないですよね? 」
「美智子が、帰りたくないみたいでなぁ」
「お母さんが? どうして? 」
「母さんにはこの町に帰りたくない気持ちがあるんだよ」
どうしてだろう。
「あ、ねえ、おばあちゃんは、いるんですか? 」
「母さんが子供の時に亡くなってしまったんだ。じいちゃんはひとり暮らしだ」
お母さんはどうして自分の親のことを話してくれないんだろう。亜紀は聞きたいことが次から次へと浮かんできて、突然出来た祖父とのおしゃべりを楽しんだ。
「亜紀、じいちゃん、もう疲れたで、またにしよう。夏休みにでも一度うちにくるといい。海も近いし、景色もいいぞ。知床連山に雪が残っていてきれいだし、夏は祭りもあるし」
「おじいちゃん! 」
亜紀は大きな声で言った。
「明日行く! 行ってもいいでしょ? 」
「明日って、学校は? 」
「おじいちゃん、さっき、学校なんて行きたくない時は休んでもいい、って言ったじゃない」
亜紀は電話を切るとすぐ部屋に行ってスポーツバッグに着替えを詰め始めた。先ほど祖父に教えてもらった住所とバスの停留所を書いた紙を、大事に財布にしまった。
翌日の朝、母は亜紀の話を聞いてびっくりし、言葉も出なかった。朝食もそこそこに玄関に向かう亜紀の手からバッグを取り上げて、
「駄目よ! 」
と、強く言った。
「駄目でも行くよ。十三年間、一度も会ってないおじいちゃんだよ。どうして会わせてくれなかったの? 私、会いたいの。会っていっぱいお話したい」
「待って、じゃあ、ちょっと待って。今度の休みにお父さんが帰って来たら、そしたらみんなで行きましょう」
美智子は動揺していたし、言葉も弱くなっていた。
「でも、今日行かせて。大丈夫だから。お願い、お母さん」
亜紀は母の手からバッグを取り返すと、玄関に出て靴を履いた。母は追って来たが、もう反対しなかった。
「行ってきます! 」
元気に出かける娘を見ながら、美智子は胸の疼きを感じていた。
バスは海沿いの道を快速に走った。遠くからすでに見えていた知床連山がだんだん大きく、色鮮やかに迫って、亜紀は感動した。教えられた停留所でバスを降りると、携帯電話で祖父に連絡をした。祖父はすぐ自転車に乗って現れた。
「ごめんなさい。急に、来ちゃって」
亜紀はぺこんと頭を下げた。祖父は色黒で頭の毛が薄くなりかけていたが、人の良さそうな笑みを浮かべた。彼は自転車の荷台に亜紀のスポーツバッグをくくりつけ、家へ案内した。祖父の家は板張りの古い家屋で、周囲のしゃれた造りの住宅とは何世紀もずれているような感じがした。
しかし中はきれいに整頓されていて、祖父の性格が想像された。
「母さんの部屋を見るか? 」
と、奥へ案内された。主の帰らない部屋は昔の姿そのままに、時が止まっていた。「明星」、「平凡」という雑誌と重なって、中学の教科書が積まれてあった。日に当たって色あせた表紙が長い年月を感じさせる。
「お母さんはどうして帰らなかったのかしら?」
亜紀は疑問をぶつけた。
「おじいちゃんとけんかでもした?」
祖父はため息混じりに長い話を始めた。美智子は中学三年の時にいじめが原因で登校拒否になり、家に引きこもる生活が二年近く続いた。まだ世間に登校拒否や引きこもりなどという言葉さえ知られていない頃、男手ひとつで気難しい美智子を育てるのは大変だった。思わず厳しいことも言った。美智子はますます殻に閉じこもり、父とも口を利かなくなった。小さな町ゆえに人の口にものぼる。当時高校で教師をしていたこともあって、子供が学校へ行かないでいることは自分にとってもショックであったし、同僚の教師達や生徒の父兄たちからも好奇の目で見られとても辛かったことを祖父は漏らした。
「今はいじめや引きこもりが社会で取りざたされとる。今なら美智子もそんなに辛くなかったかも知れないな」
「お母さん、辛かったんだ」
「この町を出たいと美智子が言った時、担任を持っていてすぐには引っ越してやれなんだ。それで札幌の親戚を頼りに札幌へやった。向こうで仕事を見つけて、社会に出るようになったので喜んどった。でも、ここにはそれきり帰ってこんかったなあ」
祖父は亜紀を見てちょっとだけ笑った。
「いいんだよ。今、美智子が幸せならな、これでいいんだ」
笑ってはいるが、亜紀には寂しそうに見えた。
家の裏手から道路を渡るとすぐに海が広がっている。オホーツクの海は天気によって色が様々に違う。昨日は晴れた空の色そのままに美しく輝いていたが、今日は深く冷たそうな暗さを漂わせている。昨日は母の部屋で寝た。母の寂しかった思いをかみしめながら。
うすぼんやりとした空の下、砂浜で子供たちがサッカーボールで遊んでいる。午後なのでもう学校から帰って来たのだろう。その中に自分くらいの少女がいるのに気がついた。ボールがこちらに転がって、その少女が取りに来たので、拾って投げてやった。
「ありがとう」
と、彼女は言って、そのボールを子供たちの方に放るとこちらに近づいて来た。彼女が真っ直ぐに亜紀の顔を見るので、亜紀は少しどきどきした。
「家、近いの? 」
亜紀は祖父の家に来ていることを告げた。
「佐田先生のとこ?先生、孫いたんだー」
彼女は持田サユリと名乗った。
「学校休んで来たの? もしかして、先生、具合でも悪い? 」
亜紀の祖父のことを心配そうに尋ねるサユリに対して、亜紀は好感を持った。
「ううん。元気だよ。持田さんはおじいちゃんを知ってるの? 」
「先生ねえ、近所の子供に家、開放してくれるんだ。学校辞めてから、寂しいみたいで、子供集めて勉強教えたり、遊んでくれたりするの。親共働きで家に誰もいない時、先生に料理教えてもらったりして、ご飯ごちそうになったりする。亜紀ちゃん、いいおじいちゃん持って幸せだよ」
亜紀は少しうつむいた。
「でも私、三日前まで自分におじいちゃんがいること、知らなかったんだ」
サユリは驚いて、まじまじと亜紀を見つめた。亜紀は自分の母と祖父の関係を話しながら、初めて会ったサユリにこんな話をする自分にも驚いていた。自分の中にある暗い気持ちをこんな風に人に話せるなんて。サユリの目が優しいからだろうか? 亜紀は不思議に思った。
「そうなんだ。先生、寂しかっただろうね」
うん、と亜紀は頷いた。
「亜紀ちゃんさ、今度お母さん連れて来なよ。亜紀ちゃんが仲直りさせてあげなよ」
それが、と亜紀は言いよどんだ。自分自身が母と気まずくて、話すことと言ったらドラマや芸能ニュースの話題ばかりで、母と面と向かって大事な話をしたことがない、と亜紀は告白した。
「持田さんは、お母さんと何でも話すの? 」
「さりりん、でいいよ。友だちはみんなそう呼ぶから。私もお母さんと何でも話すって訳じゃないけどさ、でも、話し合ってわかり合わないと困ることってたくさんあるじゃん。これだけはしないで、ということとかさ。一人で悩んでもどうにもならないことってあるじゃん。友だちに助けてもらう時もあるけど、友だちには言えないことってのもあるし」
「うちのお母さん、私が話しかけてもこっち向いてくれないし、いつも忙しそうなんだよね。なんか声かける暇ない、って感じ」
「それでも話しかけるんだよ。お母さんが忙しいの、当たり前じゃん。ご飯作ってる時でも、掃除機かけてる時でも、くっついて話しかけるのさ。さりなんかしつこーい、ってよく怒られるよ。でも大事なことはシツコクいわなきゃダメなのさ。だって大人って、忙しくてすぐ忘れちゃうんだもん。もうーって感じよ」
亜紀とサユリはとめどなく話を続けた。亜紀は今までこんなに誰かと本当の気持ちを語り合ったことがあるだろうか、と自身に問うた。
転勤で引越しがちな亜紀には、幼い時からひとつ所で住み、幼なじみがいて、一緒に学校に上がり、クラスが替わっても誰かしら知り合いがいて、などという生活は望めず、亜紀が友だちになった子にはいつももっと仲のいい友だちが先にいて、亜紀は時々自分が外されているような気がしたり、都合のいい時だけ付き合ってくれているという気持ちが拭えなかった。もしかしたら今まで誰にも心を許して来なかったのだろうか。自分の問題だったのだろうか。私がみんなを拒否してきたのだろうか? だって、初めて会ったサユリちゃんはこんなに優しくしてくれる。それは転校初日に声をかけてくれた美香ちゃんや、別れ際に走ってバスを追いかけてくれた俊平君やひかるちゃんの優しさと同じ。私は新しい生活に慣れることにのみ一生懸命で、みんなのことをちゃんと見ていなかった。みんなの気持ちを考えてあげてなかった。自分のことばかりだったんだ。
夜、布団の中で涙を流しながら、亜紀は思った。
昨日の約束を守るため、サユリがやって来た。自分の中学のジャージを持って来たので、着ろと言う。祖父が目をしばたたかせて、何をするつもりか尋ねた。
「亜紀ちゃんを南中に連れてくの。社会見学よ、社会見学」
中学までの道を二人で歩いていると、同じジャージの女の子が走り寄って来た。
「亜紀ちゃん、友だちの彩香。ミーシャと呼んでやって」
サユリがおどけて言った。
「なんで、ミーシャなの? 」
と、亜紀は聞いた。
「ミーシャのだいダイ大ファンだからよ」
と、大きな声で彩香が叫んだので、亜紀は周囲に人がいないかと見回した。
「だいじょーぶ、亜紀ちゃん。この人の騒ぎは今に始まったことじゃないから。これくらいみんないつも叫んでるよね」
「叫ばにゃいられぬ年頃なのよ」
彩香もおどけたので、亜紀は笑った。
中学の門を入る時、亜紀は心臓が飛び出しそうなほどどきどきしたが、二人はどこ吹く風といった様子だった。玄関脇でジャージ姿の先生と挨拶したが、全然気にも止めない様子だったので、ほっと胸をなで下ろした。
ここがお母さんの通った学校なんだ。亜紀は古ぼけた校舎を眺め回しながら、母の中学時代を思った。掲示板の上に古い写真や年表などが貼られている。卒業写真だろうか、黄ばんできてはいるが額に入れられ大事そうに飾られている写真の下に、年度が記されている。この中に母はいない。亜紀は確信していた。ずっと学校に来ないで、卒業写真だけ撮るわけない。床がぎしっと軋んだ。
「そこ、気をつけたほうがいいよ。床、抜けそうだから」
校庭の土手に座り、野球部の練習を見るとはなしに見ながら、三人で話をした。
「亜紀ちゃん、こっちに来ればいいのに」
と、彩香が言った。
「ここの学校は古いけど、楽しいよ。佐田先生も喜ぶべさ」
「ミーシャ」
と、サユリが厳しい声で言った。
「無責任なことを言っちゃ駄目さ。私達は楽しいからいいけど、亜紀ちゃんは一から始めなきゃならないんだから。高校行ったら、バラバラになっちゃうかもしれないんだし、今のことだけ考えてたら、ダメじゃん? 」
「そっか」
二人のやりとりを聞きながら、サユリは大人だな、と亜紀は感心した。サユリに誘われて帰りに彼女の家に寄った。サユリが家に入るなり大きな声で、
「お母さん! 」
と言ったので、びっくりした。
「今日早いじゃん! 何だー、友だち連れて来たのにー」
サユリの母は仕事から早く帰ってきたらしい。サユリはそれがいかにも不満という態度を取った。
「お母さんいたっていいじゃない! 邪魔はしないからさ。いらっしゃい。ゆっくりしてきな」
サユリの母は洗濯物を畳みながらふと亜紀の顔を見た。
「始めて来るお友だちだねえ」
亜紀は少し緊張して、
「こんにちは。高橋亜紀です」
と、しっかり挨拶をした。
「佐田先生の孫なんだって」
サユリが冷蔵庫の中身を物色しながら言った。その言葉に、母の手が止まった。
「あんた、美智子ちゃんの子なの? 」
亜紀は頷いた。
「美智子ちゃんも来てるの? 」
「いいえ。一人で来たんです」
サユリの母は肩を落として、ため息を吐いた。
「そう、美智子ちゃんの子か。お母さん、元気? 」
「はい。母をご存知なんですね。お友達ですか? 」
それには答えず、サユリの母は足早に奥の部屋へ入っていった。
「なーに? ごめんね。感じ悪くて」
サユリは言って、自分の部屋へと二人を誘った。
しばらくすると、サユリの母が部屋へ来て、亜紀を呼んだ。
「お母さん、私の友だちに何? 」
「ちょっと、大事な話があるの。お母さんのことで」
母は亜紀だけに話したいと言ったが、彼女の青ざめた様子から見て亜紀は一人で聞きたくない、サユリたちにそばにいて欲しいと言った。サユリの母は、古い一冊のノートを亜紀に手渡した。
亜紀が表紙をめくろうとすると、
「駄目、見ないで」
と、怖い声で言った。
「それをお母さんに渡して欲しいの。それと、これ」
白い封筒を差し出した。
「お母さん、なんなのよ、それ」
「美智子ちゃんに返すものなの」
「おばさん、お母さんの友達だったんですか? 」
答えがない。サユリの母の態度を見ていると、亜紀はもしかしたら、という疑問を隠してはおけなくなった。
「お母さんが学校に行けなかったことと関係があるんですか? 」
サユリの母の目にみるみる涙がせり上がった。三人はびっくりして成り行きを見守った。母はどうしてもサユリに聞かせたくない、と泣きながら言い、サユリはかえって聞きたがったが、亜紀は二人に部屋に行って待っていてくれるよう頼んだ。サユリはなかなか納得しなかったが、母は泣き続けるばかりだし、彩香にも説得されて、仕方なく部屋で待つことにした。
サユリがいなくなると彼女は亜紀の母が学校に行けなくなったのは自分のいたずらから始まったことだ、と告白を始めた。
亜紀の母、美智子はいつも笑顔で友達に好かれていた。嫌なことを言っても顔色も変えず、自信に輝いているように見えて、サユリの母、真弓は羨ましくてたまらなかった。美智子には付き合っている男の子がいて、交換日記を交わしていることを知り、真弓は友達とつるんでその日記を盗み取り、いやらしい言葉などを書いて、みんなに公表したのだ、と涙ながらに語った。美智子が学校を休みがちになると罪悪感を覚えたが、いい気味だと思い謝らなかった。誰が日記を公表したかもわからないまま、美智子は学校に来ることを止め、卒業式にも出席しなかった。美智子は先生の子だし、頭はいい筈なので高校には行くだろう、と真弓は勝手に思っていた。しかし、美智子は家に引きこもり、結局は中学三年のあの日を境に学校というものからすっかり身を引いてしまった。
美智子が札幌に勤めに出たと聞いた時、自分は毎日のように高校の仲間とゲームセンターで遊んだり、ウインドゥ・ショッピングを楽しんだりして、美智子の悲しみをまるで感じようともしなかったことに唐突に気がついた。それ以来自分が空虚で中身のない、まるで半身を失ってしまったかのような喪失感に悩まされた、と真弓は言った。
「ごめんなさい」
亜紀の手をまるで美智子の手を握るようにそっと握って、サユリの母は涙をこぼした。
亜紀がそのノートを見せると、母はそれを開くこともせずにゴミ箱に捨てた。亜紀は緊張が高まってくらくらしそうだ。母は泣くだろうか。私が古い思い出を開いてしまったことを怒るだろうか? でも、母は玄関で出迎えてくれた時の微笑のままで、亜紀に紅茶を入れてくれた。それから電話の前に行き、長い間そこに立っていた。白い封筒の手紙を、開いたり閉じたりしながら。
美智子は父に電話をかけ、短く話をした。夏休みには家族で帰るから、と言った。次にサユリの家の電話番号を押した。サユリと亜紀は再会を約束して電話番号を交換したのだ。電話の相手はなかなか出ないみたいだ。母が受話器を置こうとした時、声が聞こえた。瞬間、美智子の手は受話器をすくい上げた。
「あの、高橋ですけど。美智子です」
ゆっくりと、かみしめるように言った。電話の向こうで、真弓が息を飲んだのが伝わってくるようだ。
「美智子ちゃん、私、ごめんなさい、ずっと謝りたかった。ごめんね、もっと早くに」
後は嗚咽が聞こえてきて、言葉にならないようだった。美智子は真弓に見える訳でもないのにちょっと笑顔を作って、
「大丈夫だよ」
と、言った。
「もうあんな昔のこと気にしてないから、真弓ちゃんも忘れてね。今、とても幸せだから」
電話の後、美智子は少しさっぱりして、
「亜紀、今夜どこかに食べに行っちゃおうか? 」
と、明るく言った。亜紀は母がまるで中学生みたいに目を輝かせているのを見た。
「亜紀、ごめんね。お母さん、亜紀に自分と同じことを繰り返させたくなくて、保健室登校でもなんでもいい、学校さえ行ければいい、と思って、だから」
美智子は言葉に詰まった。亜紀は真っ直ぐに母を見つめている。
「でも、それは違うね。結局あんたには辛かったんだよね。ごめんね、経験者なのに、わかってあげなくて」
美智子は長い間胸に抱えていたことが軽くなって、楽になれたような気がした。
亜紀は母が自分に対してこんな風に素直に語ってくれるのを、始めて聞いたような気がした。
お母さんも、辛かったんだよね。そう思うと、今までのわだかまりが一気に解けていくような気がする。
「お母さん。私、元気が出たよ。おじいちゃんの所に行かせてくれてありがとう」
校門のところで足を止め、亜紀は自分の学校の姿をよく見回した。サユリの学校を見た時の、新鮮な気持ちを思い出す。他の生徒達は急ぎ足に玄関に向かってゆく。突っ立っている亜紀を邪魔そうに見る奴もいる。道の真ん中に突っ立っていて、邪魔してスミマセン、と今までの私なら思っただろう、と亜紀は考える。でも、本当はどこに立とうが、どの道を歩こうが、何を選ぼうが、それは自分の自由なのだということにもう亜紀は気づいている。そして、自分で選んだら、それを続けることも止めることも自分の責任なのだ。
保健室に行くと、梨佳子がもう来ていた。いつも遅刻ギリギリに来るのに、心境の変化でもあったのかしら。私みたいに。
「おはよう。高柳さん、私、今日から教室に行くことにしたの」
梨佳子はカーテンの端から覗くようにして亜紀を見た。
「この間高柳さんが言ってたこと、いろいろ考えてみたの。言われなきゃ、わからなかったかも知れない。だから、ありがとう」
梨佳子は興味なさそうにまたベッドに横になった。私はあなたを誘うことはしない、と亜紀は心の中で梨佳子に言った。教室に戻るか、ここにいるか、選ぶのはあなただもの。でも、私が成功したら、あなたにも戻って来て欲しい。本当は。
教室に行くためには努力がいるし、元のようになるためには頑張らなければならないけれど、私はやれる。だって、それが今一番やりたいことだから。
幸い亜紀の席はまだ誰にも譲られることなくそのままにあった。亜紀が教室に入るやいなや、生徒達は楽しげなおしゃべりを止め、亜紀が鞄から教科書などを机に入れるのを見守った。亜紀は椅子に座って深呼吸した。黒板が見えた。クラスメート達が見えた。斉藤美沙と近野恵美が仲間を集めてひそひそとやっている。気にするものか、と亜紀は度胸を据えた。本当は少しどきどきしてる。胸が痛くなりそうに、どきどきしてる。その時、後ろから思い切り肩を叩かれ、心臓が口から飛び出しそうになった。
「来たじゃん! 高橋ー」
及川信也だった。顔は三枚目だが明るくて、男子にも女子にも人気がある。
「よっ、元気だった? 」
信也の笑顔につられ、亜紀も笑った。
「うん、元気! 」
まだ始まったばかり。亜紀は自分に言い聞かす。二年D組。今はまだ居心地悪いけど、そのうちにきっと私の居場所にしてみせる。
美智子は学校に出向き、校長に面会を求めた。誰かがイタズラ描きをした亜紀の歴史の教科書や音楽のワークなどを見せ、いじめの実態を訴えた。一度はおとなしく引き下がった親が、再び眉間に皺を寄せ詰め寄ってきた事態に校長は焦り、担任を呼んだ。堺は授業があるのに呼びつけられ、不機嫌だった。
「先生」
美智子は静かに言った。
「学校は授業だけ教えればそれでいいんですか? 人に対する思いやりとか、優しさというものを集団の中でこそ教えられるのではないですか? 」
堺は苛立ちを隠そうともせず、きつい目つきで美智子を見た。
「そんなことは小学校でこそ教えることだと思いますね。中学校では授業の指導が中心になりますから。思いやりの心、なんてものは、親御さんが教えてやってしかるべきなんじゃないでしょうか? 」
美智子はそれを聞いてがっかりした。こんな先生に亜紀を任せていたなんて。
学校に来る子供たちは性格も様々、家庭の事情もそれぞれ違い、物事に対する価値観も違う。
だがその中で、自分と違う考え方、生き方に出会い、学び、人格を形成してゆく大事な時期に、「授業が大切」なんて言って、助け合うこと、お互いを認め合うことを教えなければ集団でいる意味がない、と美智子は思う。成績さえ良ければ人を傷つけてもいいということはない。塾ならわからないではない。塾は成績を上げることが一番だから。でも、学校は。
「先生、学校って、楽しい所じゃないですか。成績も大事ですけど、お友達を作ったり、思い出を作ったりして、学校は楽しいなと思って来る所じゃないんですか? 」
「楽しいですよ。学園祭も、体育祭も、合唱祭だってありますよ。楽しくないのは、高橋さんが自分で楽しもうとしないからですよ」
「行事のことを言っているのではありません。普段のことを言っているんです」
話しながら美智子はこの話し合いは無駄なのではないかと思い始めていた。そもそもこの教師と私は同じラインに立って話してはいない。てんでちぐはぐな場所に立ち、別々なことを話している、そんな気がする。でも、ここは亜紀のために歩み寄らなければ。私は前は投げ出してしまった。父は私のために努力してくれたのに、自分で投げ出してしまった。亜紀は自分で飛び込んで行った。ここで私が後押ししなくてどうする。
「亜紀にも悪い所はあると思います。でも、亜紀にだけあるのではないと思います。お友達も少し歩み寄ってくれたら、もっと楽しく学校生活が送れると思います。先生から助言していただけないでしょうか? 」
と、美智子は自分の気持ちを押さえてお願いした。しかし堺は横柄に、
「一生懸命やっている子たちにケチはつけられませんのでね」
と、言った。
険悪なムードを感じて校長が分け入った。
「今は親御さんが厳しくて、教師は板ばさみなのです。子供さんを叱るとその子供さんの親から教師がお叱りを受ける時代です。教員もストレスで心療内科に通う人が増えています」
「そのことと亜紀のことは関係ないじゃありませんか」
我慢していたのに、校長がもっと的外れなことを言うものだから、とうとう美智子は怒って大きな声を出してしまった。
堺と校長は一瞬居住いを正したが、美智子に敵意を抱いたようだった。校長室はしんと静まり返った。
美智子は亜紀が学校を無断で休んでいたと知った時の気持ちを思い出していた。亜紀が「学校に行けない」と泣いて叫んだ時を思い出した。あの時私は我が子が自分と同じ後悔を繰り返すのではないかという危惧に怯えた。亜紀はあの日の自分と同じだったのに。助けを求めていたのに。
中学生の時に自分がして欲しかったことを、中学生の自分の娘にしてあげられなかった。私にはその気持ちがわかってやれる筈だったのに。痛みを知っているからこそ、守ってやるべきだったのに。
「先生方が大変なご苦労をされていることは私にもわかります。みんな性格も違えば、ご家庭の事情も違う子供たちですから。そんなたくさんの子供たちの面倒を見る学校の先生がとても大変な思いをされていることは誰だってわかると思います。でも、私は学校というところは子供たちがお互いを尊重したり、励ましあったりして、楽しく過ごす場所であって欲しいと思います。
確かに喧嘩もありますし、ぶつかってこそわかり合う部分もあると思うんです。でも一方的に大勢が一人を傷つけることはあってはならないことだと思います。その一人の気持ちになってみて下さい。その苦しみはずっと続くんです。忘れられないんです」
そこまで話してしまうと、美智子は大きく溜め息を吐いた。
校長はちら、と堺教諭を見た。堺は神経質そうに煙草をふかしている。校長は咳払いをひとつした。
「お母さん、私どもでは沢山のお子さんをお預かりしております。ひとりひとりが大切な生徒でありますから、もちろん、高橋さんのお子さんもですな、楽しく学校生活を送って、無事に卒業して欲しいと願っているわけです。お子さんは保健室に登校するのを止めて、また教室に戻って来れたわけですから、もう、安心されたらいかがですかな? 」
「だからなんです。校長先生。せっかく戻って頑張る気持ちになった今だからこそ、ひどく傷つくようなことを避けて通りたいんです」
「だからって、他の生徒に言うんですか? 今、高橋さんは大事な時期だから、みんなで気をつけてやって欲しいって。特別扱いしてやってくれって。いいですよ。ただ、そんなことを言ったら、他の生徒が怒りますよ。余計にいじめの対象になると思いますね」
堺が言葉を荒げ、言った。美智子はそんな風に投げやりな態度で応対されるのは嫌だった。頭ごなしに叱られているような気がした。これ以上何か言うと、この先生は先に立って亜紀をいじめるのではないか、そんな気持ちにさえなる。
「私が言いたかったのは、そういう意味じゃないです。先生。特別扱いじゃなくて、みんなと同じように過ごせたらと」
「同じに扱ってますよ。同じだと感じてないんなら、それは高橋さんの方の問題だ。自意識過剰というか、被害妄想ですね。私は、お母さんもそれにとらわれているように感じます」
「堺君、君、少し落ち着きなさい! 」
校長がたしなめた。
「お母さん、堺先生は授業を待たせているのでイライラしているようですから、どうか感情的にならずに。心配なことがおありでしたら、またその時に落ち着いてお話したいと思うのですが」
校長に話を打ち切られなくても、美智子の方もこれ以上話をしても無駄だと感じていた。2人に挨拶をすると校長室を出た。ドアが閉まると一気に疲れが噴きだした。背中に重い物が乗っているみたいな、疲労感が押し寄せる。
私が学校に行かなくなった時、父もまた、私のために手を尽くそうとしてくれた。私はそれに応えられなかったから、未だに父に顔向けができない気持ちがある。亜紀には父が私にしてくれたように、いや、私に出来ることは全てしてやりたい。今度こそ失敗しないで、乗り越えたい。
そして、父に笑顔で「ただいま」を言いたい。逃げないで、自分に出来ることはしたよ、と自信をもって言いたい。
学校の門を出て四階建ての校舎を振り仰ぐと、威風堂々としてこちらに迫り来るように見えた。
暑さのため開け放たれたたくさんの窓から、白いカーテンが風に揺れる。
どうか、亜紀だけでなくたくさんの子供たちが、学校を楽しいところと思って、毎日楽しく通えますように。人に意地悪なことをしなくても、他に楽しいことが見つけられますように。誰かを傷つけることは、結局は自分自身を傷つけることなのだと早く気づいてくれますように。せっかくの若く自由な日々を後悔しないように過ごせますように。
美智子はしばらくの間、校舎に向かって祈っていた。それは教師達へ、子供たちの父母への祈りでもあった。目先のことに囚われないおおらかな心で子供たちを育てて欲しい、と美智子は思った。
人に優しくすればいつか誰かに優しくしてもらえる、という時代ではなくなってしまったのかも知れないが、私はこれからも亜紀にそう教えたい。亜紀の子供にもそう教えられる時代であって欲しい。
夏休み、斜里の海岸にすっかり日焼けした亜紀の姿があった。毎日さりりんとミーシャと遊び回って、夏休みをエンジョイしている。学校には休まず行っている。及川信也や山本純など、男の子の友達が数人できた。男の子はさっぱりしていていい。時々、近野や斉藤が嫌がらせをしてくるが、亜紀は気にしないように努めている。信也や純がいたずらを諌めてくれる時もある。学校も捨てたもんじゃない、と思えるようになった。
祖父の家からエプロン姿の母が出て来て、亜紀を呼ぶ。
「ご飯だから、三人とも帰っといでー」
さりりんが足についた砂を払う。
「可愛いミュールだね」
亜紀がほめる。
「亜紀ちんも買えばー? お揃いのやつ」
ミーシャが自分の足元も見せる。サユリのミュールとは色違いである。
二人は同じ学校へ行き、重なる時間がたくさんある。亜紀は時々電話でふたりと繋がっているが、一緒にいられる時間は短い。けれど、離れていることで程よい距離が保てるのかもしれない。
お世辞もなく、嫌味もなく、あるがままの姿を受け入れあえるトモダチ。
「亜紀ちん、のちん、は止めてよねー」
と、亜紀は顔をしかめる。
「じゃあ、あっきーにする? 」
「それもいまひとつだね」
さりりんが笑う。
亜紀は海に向かい、大きく伸びをした。水平線から海岸へと白い波が打ち寄せる。波は広げた両手を繋ぐかのように他の波と混ざり、打ち解けあい、押し寄せる。人も同じだ。手を繋ぎ、打ち解け、一緒になれる。自分さえ、そうすれば。
「私、来て良かったな! ここ」
夏休みはまだ始まったばかり。生きることも、これから始める。
長女の中学校は比較的いじめが少ない学校でしたが、いじめや暴力は確かにありました。娘のおびえようを見るたびに、小学校時代に遭った同級生からの暴力を思い出すのだろうと心が痛みました。私自身の体験と合わせ、「いじめは罪だ」 と訴えかけられたら……。編集の先生からは主人公の親の心情と、いじめを知った同級生の親たちとの葛藤と解決を描いたらいい作品になるのでは、と講評いただきましたが、そこまで書けませんでした。いじめをしている子の親御さんはなかなかそれを認めない。解決に至る話し合いの場を自分が持てなかったので、相手の心情を理解するのが難しかったのです。
「ヒューマン」37号(2005年秋発行・ヒューマン刊行会)
目が覚めて時計を見ると、もう起きる時間だった。亜紀はゆっくりと周囲を見回した。いつもと変わらない朝の始まりだ。薄いカーテンを透かして差し込んでいる朝の光にほっとするような、憎らしいような、複雑な気持ちになる。
目覚まし時計のベルが鳴る前に自然に目が覚めた、という事実を唯一の慰めにして、ゆっくりと時間をかけて制服を着、鞄の中身を確かめていると、母親がドアを開けて、
「起きてる? 」
と、早口で言った。
「ご飯出来てるから早く食べなさい」
言うが早いか階段をかけ降りて行った。亜紀が食卓につく頃には、母の食事はもう終わりかけている。
「期末試験いつから? 中二にもなれば下手な点取れないんだから。頑張って勉強してよ。学生の本分なんだから」
うんうんと頷きながら固いトーストをほお張った。冷たい牛乳でそれを流し込むと、居間でテレビにしがみつくようにして芸能ニュースを見始めた母の横顔を覗き見た。
学校へはもうずっと前から行きたくなかった。登校拒否をする勇気なんか無かったし、行かない理由を根掘り葉掘り問い詰められるのが嫌だから、我慢して通っているだけだ。ニュース番組でいじめや自殺の事件を見るたびに、「そんなの可哀相」とか、「許せないわ」などといちいち感情移入している母が、いざ自分の娘が同じ目に遭っていることを知ったら何て言うだろうか。亜紀には想像がついた。だから母には何も言わず、毎日判で押したように家を出て、とぼとぼ学校へ向かうのだ。授業をサボって公園や繁華街へ逃げ出したかったことが何度あったろう。けれどもし補導されて親に知れたら、と思うとそれも出来なかった。
亜紀の父親は単身赴任をしていて、仕事の忙しい時などひと月帰らないこともままある。だから母との間が気まずくなってしまったら、家庭さえもが安住の地ではなくなってしまうのだ。それだけはなんとしても避けたかった。
遅刻ギリギリのところで玄関に滑り込む。先生が教室に入る寸前まで廊下で待つ。そうする事でクラスメートとの距離を置いた。余計な火の粉を浴びないために。
昼休み、給食のカートを給食室までひとりで運んだ。係りは他にもいる。でも、声をかけると露骨に知らん振りをされたので、一人で片付けた。戻って来たら教室の黒板に女子の体育用ブルマーが画鋲で止めつけられていた。不吉な思いで体操着のバッグの中を捜したが、やはり無い。
周囲の眼を気にしながら黒板に近付く。私ので無ければいい、という思い、けれど、今までのことを考えればきっと自分のだ、と思わざるを得なかった。教室のざわめきが先ほどまでとは違う質のものに変わったような気がする。振り返れなかった。談笑は続いているのに、みんなの目が自分に向いているような気がした。息を潜めて、獲物を狙うように。黒板が遠く感じる。ブルマーの横にチョークで何か書いてある。ブルマーを矢印でさして「トイレに落ちてました」。亜紀はとっさに飛びついた。ブルマーはぐっしょりと濡れていて、思わず取り落としてしまった。
ウエストの裏側に、「高橋」と亜紀の字で書かれている。目の前が暗くなった。
背後で小さく誰かが笑ったのを、亜紀は聞いた。その嘲笑はあくまでも小さなさざなみのように教室内に広がった。大声で笑われた方がむしろ怖くないような気がした。泣くもんか、と亜紀は心に力を入れて、背筋を伸ばすと教室を出た。
空腹感が余計に彼女を切なくさせた。今日は給食をほとんど食べていなかった。給食が始まってすぐに、横の席の男子達がふざけ始めたのだ。一人が立ち上がり、もう一人が押した。彼は亜紀の机に倒れかかり、給食のトレーごと、机を倒してしまったのだった。彼は謝りもせず、こぼれた物を拾うのも手伝いもしないで自分の制服が汚れなかったか心配しているだけだった。誰もがそれを目にしていながら、自分たちの楽しいおしゃべりに夢中で、手を貸そうとはしない。床をティッシュで拭きながら涙で手元がにじんで見えた。
みんなに無視されるようになったのはいつの頃からだろう。二年生になってクラス替えがあり、初めは上手くやっていた筈だった。そのうちに三谷頼子がクラスの中で浮いた存在になっているのに気付いた。明るくて物怖じしないのに、男子生徒からは特に嫌われていた。容姿のことを言われれば私だって何も言えない、と亜紀は思い、頼子のことを気にかけていた。気持ちが通じたのか、頼子の方から友達になりたいと言って来た時、亜紀は二つ返事で友達になったのだっだが。
それからだった。クラスのみんなが頼子のみならず亜紀まで避けるようになったのは。初め、亜紀はそれでもいいと思っていた。いわれのないことで嫌われるなんて馬鹿げてる。そのうちみんなもわかってくれる。私は理由のないことで人を傷つけるより、自分が傷ついても人の気持ちをわかってあげたいもの。そう思っている自分が誇らしくさえあった。けれど、それは間違っていたんだろうかと今になって思う。もしかしたら私は頼子に対して優越感を抱いていたのだろうか。知らず知らず偉そうな態度を取ってしまったのだろうか。そのためにこうして嫌われてしまったのかしら。頼子といい友達になれた自信はない。ほどなく、頼子は父親の転勤でこの町を出て行った。
今、亜紀はひとりぼっちだった。
亜紀は映画を見るのが好きだ。夜九時からのロードショーはテレビにかじりついてでも見ている。映画を見ている間は登場人物になりきって、現実を忘れることが出来るのだ。そのほんの一時、亜紀は胸の痛みを感じない。夕方、学校から帰って来ると母は仕事に出かけている。母がいない、ということで心が安らぐ時もある。それでも寂しさはいつも胸の内にある。冬などは陽が早く落ちるので、帰って来た時に玄関の外灯が点いていないことが妙に身にしみて辛かったりした。夜分に訪ねて来る集金人や宗教の勧誘、セールスマンなどに気持ちが脅かされもした。特に学校で嫌なことがあった日には、夕暮れと共に死への情熱が暗く湧き上がってくるのを抑えることが出来なかった。
このままでは駄目だ、と亜紀は泣いた。今のままじゃ私は無くなってしまう。それは死ぬことより怖いことだった。
亜紀は学校で、絶えず周囲や自分の持ち物に対し、注意を向けていなければならなかった。机の中や鞄の中から、ときどき物が無くなることがあるからだ。けれど、どうしても教室を離れなければならないことがある。音楽室や、理科室、移動授業から戻ってくると、次の授業で使う物が無くなっていることがよくあった。教師達は亜紀が頻繁に忘れ物をするのであまり快く思っていなかった。
正直言って中学生になってからというもの、亜紀は忘れ物をしたことが無い。家で持ち物をしっかり確かめて来るのだから。朝、教室に来た時点ではまだきちんと全て揃っているのだ。それを担任や科目ごとの教師に訴えても良かったのだが、それはしなかった。告げ口をするようで嫌だったからだ。小学校の頃、担任の先生に友達が自分に嫌なことをした、とたまりかねて訴えた時、「それくらいのことは自分で解決しなさい」と叱られて以来、先生に頼ることはしなかった。
ましてや今は中学生。そんなことを先生に相談しても無駄なように思えた。掲示板のポスターには「いじめをなくそう! 」、「人にやさしく」などでかでかと描かれているが、そんな物はただの紙切れに過ぎないことを知っていた。みんな口では言うのだ。「仲良く、仲間外れを作らず、力を合わせていいクラスにしよう! 」そんな目標は黒板の上に掲げられた途端に忘れられてゆく。
保健室掃除の日、毎週水曜なのだが、亜紀はいつも一人で廊下の掃除をする。他の生徒達は保健室の中でおしゃべりを楽しんでいる。ときどき同じところを箒で掃いたり、雑巾を手にしたまま、夢中になって話をする。保健の阿部先生がいるときは真面目に掃除をするが、いないときはひどいものだ。廊下は寒く、人が歩くたびにゴミが散ってしまい、みんな掃除をしたがらない。
でも、亜紀はみんなのおしゃべりの邪魔者と思われないように、いつも廊下の掃除を引き受けていた。引き受けると言っても、誰も出て来てくれないだけで、一人で広い廊下を掃いたり拭いたりするのは骨が折れたが、誰かとするより気が楽かもしれない、と亜紀は思った。
阿部先生がこちらへ歩いて来た。亜紀に微笑みかけ、保健室に入る。
「あなたたちは、何やってんの? 」
突然、大きな声で阿部先生が怒鳴った。亜紀は雑巾掛けの手を止め、そっと耳を澄ませた。
「いつか自分たちで気がつくかと思って大目に見てきたけど、もう我慢できないわ。あなたたち、いつも高橋さん一人に掃除をさせて、あなたたちは暖かい保健室でおしゃべりしてるだけじゃない。なんなの? 小学生みたいに、掃除の意味から教えて欲しいの? 」
先生が入り口から手を振って、亜紀を呼んだ。雑巾を洗っていたので、急いで手を拭いた。先生は亜紀の肩に手を置くと、
「みなさん、高橋さんを見習って下さい」
と、言った。
亜紀は顔にこそ出さないように努めたが、努力を認めてくれる人がいることが本当に嬉しく、幸せいっぱいな気持ちだった。
その翌日から、風当たりが更に厳しくなったのを、亜紀は感じないわけにはいかなかった。担任の堺先生の授業の時間、その前の休み時間に委員会の仕事で教室を離れていた隙に、誰かが亜紀の机にいたずらをした。
授業開始のチャイムが鳴って急いで教室に駆け込んだ亜紀は、その授業の教科書やワーク、ノートの果てまで、無くなっていることに気付いて愕然とした。
今までは教科書だったり、ワークだったり、ひとつだけ無くなっていることがあったけれど、全部無いなんて。担任からは「最近忘れ物が多くていかん」と厳しく注意をされていたので、亜紀は蒼白になった。
堺先生はいつも通り授業を始めようとしたが、一番前の席の太田が、小さな声で呼んだのでチョークを置いた。
「何だ? 」
「先生、高橋がまた忘れ物してるよ」
担任と目が合って、亜紀の胸は大きくドキンと鳴った。堺先生は亜紀の机の上にペンケースしかないのを見てとると、わざと大きく溜め息を吐いてみせた。
そして口元に手を当てて、内緒だぞ、と言わんばかりの格好で、
「あいつは馬鹿だから、言っても無駄だ」
と、教室中に聞こえる声で言った。
大爆笑が起きた。
それから堺先生は背中を向けて、
「はい、七十四ページを開いて」
と、何事も無かったように授業を始めた。
亜紀はうつむいて、顔を上げることが出来なかった。担任に対して、クラスメートに対しても、憎悪が憤然と沸き起こり、抑えることが出来なかった。みんな死んでしまえばいい。こんな人たち。けれど怒りは授業が終わるまでの間ずっと燃え続けることは出来ず、次第に疲れ、友達が死ねばいいなどと思う自分に成り下がったことにむしろショックを受け、大きく落胆した。彼女の中で希望が砕け、生きていく意味も、意欲も失われた。
放課後、委員会が終わって教室に戻ってくると、いつもそうであるように無くなった物が机の上に無造作に積まれていた。歴史の教科書を何気なくぱらぱらめくると、黒いマジックやカラーボールペンでいたずら書きがたくさんしてあった。破り取られているページもあった。西郷隆盛の写真にはひげやカツラが描かれていた。亜紀は泣く気力もなくそれらを鞄にしまい、いつものようにとぼとぼと家に向かった。
どんなに泣いても、それを知っている人がいなければ慰めてもらうことは出来ない。そんなことは亜紀にもわかっていた。毎晩のように泣いていたので、朝起きたときにまぶたの腫れが残っているときもあったのだが、母と顔を合わせても彼女は何も気がつかない。お母さんはもともと私の顔なんか見ていないのかも知れない、と亜紀は思う。誰もが自分のことで精一杯なのだ。母であっても。大人であっても。それをいつも感じていたから、亜紀は自分のことで母をわずらわせたくなかったのだ。一生懸命働いている姿をずっと見てきたからこそ、尚のこと。でも、もうこの状態を保てないかもしれない、と亜紀は悩んだ。
家にいるときは普通の生活だった。今までは。
母にいじめを知られたら、その後どうなるんだろう。騒ぐだけ騒いで、やっぱり今までのように学校に行く? みんな急に態度を変えて優しくなるの? そんなことは無い。考えられない。では、もっといじめがひどくなる? そんなの、生きていけない。学校に行かない。そう、それがいい。不登校している子なんて全国にはごまんといる。私が不登校をして悪いことなんてあるもんか。
不意に父の顔が思い浮かんだ。
私が不登校になったりしたら、お父さん、なんて言うだろう。
父は約二百五十キロ離れた町で仕事をしていた。転勤族なのだが、亜紀をこれ以上転校させないために三年前に家を購入した。転校ばかりで亜紀には仲のいい友達がなかなか出来ず、出来たと思ったらまた転校で離れ離れになってしまう、という繰り返しを終わりにしたかった。新しい家に二年住み、父は転勤になり、家を離れた。一緒について行けば良かったな。亜紀は心からそう思った。お母さんももう引越しは疲れたなんて言って、社宅のお付き合いは人が入れ替わるから疲れるなんて言って、結局お父さんに家を買わせてしまった。私のためだから、を強調して、本当はお母さんが家を欲しかっただけじゃないかしら。
亜紀はベッドから起き上がると鼻をかんだ。脇にはティッシュの山が出来ていた。それをゴミ箱に片付けながら、お母さんはこのティッシュのゴミの数を見て、いつも何も思わないのかしら、と思いながらまた鼻をかんだ。死んでしまおうかな。それは毎晩のように考えていた。亜紀は本をたくさん読み、夢見がちな少女であったため、前世とか来世とかいうものを信じていた。同居していた父方の祖母が天国と地獄についての話を、小さな亜紀に毎日のように聞かせ、「悪いことをしたら地獄に行くよ」というのを脅し文句にして亜紀を躾たため、亜紀は地獄というものもまたあるのかも知れないと思うのだった。芥川龍之介だって書いている。死んだら私は地獄に行くのかしら、なんて思うと怖くなる。また逆に、全く何も残らないのも悲しいと思う。死んだら終わり。それは楽だけれど、では、生きていることにどんな意味があるのだろう。死んだら終わり、ではどんなに頑張っても報われないじゃない。魂だけ残る、というのもまた悲しい。みんなに気付いてもらえないのに傍にいて、ゆらり漂って、何にも伝えられないの。そんなのイヤ。
亜紀は死について何時間も考える。それがどんなものか知りたくてたまらない。
夜中の二時をまわって、階下で鍵を開ける音がした。母が帰宅したのだ。耳をそばだて様子をうかがう。母はリビングに入って、ドアを閉めたようだ。レジ袋をくしゃっとする音。、音楽を聴いているのだろう、低音の響きが伝わって来る。一時間くらいして、水の音がしたのを最後に階下はしんと静かになった。亜紀は明日からどうやって学校を休もうか、真剣に考え続けていた。
朝方まで起きていたせいだろう、頭が重く、めまいがする。亜紀は具合が悪くて学校に行けないと母に言った。母は亜紀の額を手のひらで押さえた。
「熱ないじゃない」
亜紀は身が縮んだ。
「吐き気がするの。学校行く途中で吐いちゃうかもしれない」
本当に具合が悪そうに言った。まったく、と母は毒づいた。
「今日だけだからね」
母が足音荒く部屋を出て行ったので、怒ってるな、と亜紀は感じた。
翌日も同じ手を使ったが、今日は母は譲らなかった。
「何よ。学校に行きたくないわけでもあるの? 悪いことしてるわけじゃないわよね」
明らかに詰問調で迫ってきたため、亜紀は辟易してのろのろと学校へ行く支度をした。家を出て、いつもの道を途中まで歩いた。背広姿のオジサンたち、ОLらしい制服姿の女性、小学生。
いつものように同じ道を同じように歩いて、行くべきところへと向かってゆく。私は何処へ行けばいいの? 亜紀は道をそれて公園を抜け、林の陰の人通りの少ない道をずんずんと進んで、石狩川の河川敷で午後まで過ごした。三日間をそんな風に過ごしたが、そんなことを何日も続けられるはずもなかった。学校から無断欠席が続いている旨の電話があって、亜紀が帰った途端に母の怒号が炸裂した。母の言葉は洪水のごとく亜紀に襲いかかったが、怒りのあまりか意味の通じない部分もあった。亜紀は部屋へ逃げ込もうとしたが、母が力いっぱい亜紀の腕をつかんで放さなかった。
「お母さんなんか、何も知らないくせに! 」
亜紀は泣きながら叫んだ。
「私の苦しみなんか、わからないくせに! 」
「わかるわよ! お母さんなんだから! 」
母の顔は真っ赤で、赤鬼のようだと亜紀は思った。母は亜紀がいじめについて話し出すと、
「情けない! 」
と言って、亜紀の腕を振りほどいた。腕には白く母の指の跡が残っていて亜紀は悲しかった。思わず母に対する怒りが湧き上がった。
「情けないって何? 私が悪いって言うの? 」
「学校に行かないのはあんたが悪いじゃないの」
「だって行けないんだよ。行ったら嫌な目に会うの。それでも行けって言うの? お母さんは私が可愛くないんでしょう」
「学校に行かないと社会から落ちこぼれるんだよ」
と、母は厳しく言った。
「ああ、あの子は学校に行けないんだ、会社にお勤めしても駄目かもね、ってレッテル貼られたら、何やるのも大変じゃない。お母さんはあんたの将来を考えると、今は我慢しなさいって言ってるの」
亜紀はこのまま母と話をしても駄目だと思った。
「じゃあ、死んでいい? 」
子供に手を上げないのを自慢にしていた美智子だったが、この時初めて亜紀の頬をぶった。美智子の中には怒りしかなかった。憐れんでなどやるものか。それは決意だった。
翌日母に伴われて学校へ行った。教室ではなく校長室に来るようにと言われていた。校長や教頭、担任教師にひたすら弁明する母の姿を亜紀は冷めた目で見ていた。担任は「いやそれはそうじゃなくて」、とか「勘違いですよ」などと母の訴えを適当にあしらって、亜紀に冷たい固い声で、
「お前の思い違いだよな? 」
と、念を押すように言った。
亜紀は返事をしなかった。下を向いて、固くなっているだけだった。
「とにかくお母さん、誤解もあるみたいですから」
と、校長が言った。
「あれですな。高橋君が普通に教室で勉強できない心境にあるのでしたら、ですな。年度が始まって三ヶ月やそこらでクラス替えなどということになりますと、他のお子さんや父兄の方々にもご迷惑をおかけすることになりますし」
校長はいったん言葉を切った。母はうなずきながら話に聞き入っていた。
「今はあれです。保健室登校というものが、あるんだね? 」
校長の問いに教頭がすかさず答えた。
「そうなんです。とりあえず学校には休まず来ていただいて、教室に入れる日は教室で勉強していただく。教室に入れなかったら保健室へ行っていただいて、そこで自習したり、課題をやって、単位を取るのです。そうすると普通に卒業出来ますから」
「他にもいるんですよ。保健室登校の子というのが」
校長が言うと教頭も担任も笑った。一見、心配しなくていいんですよ、という友好的な笑いに見える。母はすっかり安心してしまったようだ。彼女も笑顔になって、
「そうなんですか? 」
なんて言っている。
保健室登校をすればいいなんて解決法に収まること自体おかしいよ。何かずれている。お母さん、気がつかないの? 亜紀は大人たちへの不信感で吐き気がした。
保健室登校、が始まった。阿部先生が明るく迎え入れてくれるのが妙にわざとらしく感じ、嫌だった。亜紀が何をどうしていいかわからず、阿部先生に聞くと、
「好きな科目を出して勉強したり、やりたいことをやればいいから」
という返事だった。
やりたいことって、何でも? そう言われると却って何をしたらいいのかがわからなかった。
保健室はそう広くなく、ベッドがふたつ、薬品戸棚がひとつ、阿部先生の机と椅子、その他パイプの丸椅子がみっつ置いてあるだけだった。窓が大きく、明るい陽光が射していて、細く開いたサッシの隙間から入り込む密かな風が白いレースのカーテンをそっと揺らしていた。いつも掃除に来ていたのに、こんなに仔細に室内を見たのは初めてだ。廊下ばかり掃いていたから。窓に近寄ると鉢植えのピンクの花から甘いにおいが漂ってくる。ここが学校? 教室とのあまりの違いに亜紀は戸惑った。同じ校舎の中にこんなに静かな場所があるなんて。でも学校である証拠に廊下の奥から生徒達のざわめきも聞こえるし、窓から見れば、ほら、一時限目に体育をする生徒達がグラウンドに集まり始めてる。始業のチャイムが、鳴った。
保健室の戸が静かに開いて、女子生徒が一人入って来た。
「梨佳子ちゃん、おはよう」
と、阿部先生が元気に声を掛けた。生徒は挨拶もせず中に入ってくると、ふと、亜紀に眼を止めた。ああ、この子かと亜紀は気がついた。昨日校長先生が他にも保健室登校の子がいるって言っていた。梨佳子と呼ばれた生徒は亜紀に敵意を感じているかのような一瞥をくれると、奥のベッドへ真っ直ぐ行き、鞄から小説の文庫を三冊出して枕元に置き、ベッドに上がって本を読み始めた。
「梨佳子ちゃん、今日からここに来ることになった、高橋亜紀さんよ。よろしくね」
阿部先生の声は宙に消えたかのように梨佳子は無視して本を読み続けていた。先生は亜紀に向かい、
「高柳梨佳子さん、あなたと同じ二年なの。保健室に来出して、もう一年近くなるわ。本を読むのが好きなの。読んでいる時に話しかけると嫌みたい。よろしくね」
と、遠慮がちに言った。
「本を読んでいいの? 勉強しなくても? 」
「いいわよ」
と、先生は言った。
「ここはあなたが好きなことをしていいの。勉強でなくても」
変なところだ。亜紀は困惑した。ここは学校であって、学校ではないのだ。
一日目を亜紀は保健の先生の仕事ややって来る生徒達の様子などを見て過ごした。三時限めの休み時間に亜紀のクラスの斉藤美沙と近野恵美が来たが、向こうが知らんふりをしたのでこちらもそうした。美沙は阿部先生を独り占めにしたいみたいにベタベタしていたが、チャイムが鳴って名残惜しそうに出て行った。給食も他のクラスの生徒とは別に給食室へ取りに行くのだが、係りの生徒がクラス分を持ち去ってから、しんと静まった給食室へ一人で取りに行った。給食のおばさんに声をかけると、調理台の上に置いてあった一人分だけよそってあるトレーを渡してくれた。渡すとさっさと奥へ引っ込み、自分たちの食事を始めた。亜紀は梨佳子の分を一緒に持って行ってやろうか迷っていたが、おかずが汁物なのを見てやめた。給食は冷めていた。
五時限目、堺先生がやって来た。阿部先生が職員室に行って、居ない時だった。
「どうだ、高橋。保健室は」
「先生、課題とか、プリントとかないんですか? 」
おずおずと聞いた。
「お前一人だけの為にそんな特別扱いは出来ないな。高橋、お前は勉強がしたいのか? 本当はしたくないんじゃないか? 」
言いながらちらりと梨佳子の方を見た。梨佳子は音を立ててカーテンを曳いた。
二人はまだ揺れているカーテンから視線を戻した。
「勉強する気があるから学校に来ているんです。何にもしないなら、家にいても変りません」
「でも、家にいても単位は貰えないぞ」
堺は怖い顔をして見せた。
「勉強したいならクラスに来れるだろう。勉強する気がないから来れないんだ。プリントをくれなんて言うんなら、教室に来たらいいだろう。俺が思うにはだな、お前はやる気が足らん。だからクラスメートにも迷惑をかけて、結果的に嫌われてしまったんだ。お前がやる気を見せて頑張れば、みんなもわかってくれると先生は思う。こんなことをしていて、高校受験はどうするんだ。ここにいる無駄な時間は塾に入ったって取り戻せないぞ。みんなは学校でも勉強して、塾に行っても勉強して、家に帰っても勉強するんだ」
言い返せないでいる亜紀を見て、堺はにやっと笑った。
「お前、ひとつだけ得意な物があるだろう。美術部で頑張っているらしいじゃないか。勉強が嫌なら受験なんかしなくたって、看板描きのアルバイトやペンキ塗りでもして食べていったらどうだ? 」
亜紀は悔しさで顔が火照ってくるのを感じていた。涙がせり上がってくるのを必死でこらえた。そこへ阿部先生が戻ってきたので、堺は話を切り上げた。
「先生、どうです? 高橋が迷惑かけていませんか? 」なんて言って。
母は初めての保健室登校の話を詳しく聞きたがった。疲れていて話したくなかったが、母が大人しく引き下がるとは思えなかったので、要点だけ話して解放してもらった。悔しくて思い出すだけでも震えが来るので担任のことは話さなかった。
自分のベッドに横になり、開け放した窓から空を見上げると、その蒼さに胸が痛み、ひたすらに涙がこぼれてくるのだった。
夜、父から電話があった。亜紀は言葉少なに学校のことを報告した。父は母からことの経緯をやや感情的に聞いていたので、亜紀が落ち着いて話すのを聞いて少し安心した。
「それで、亜紀はそれでいいのかい? 」
と、父は尋ねた。
「それでいいって? 」
「その話もしないで本を読んでいるような子と二人だけで保健室にいて、他に友達がいなくて、勉強も教えてもらえなくて、それでいいのかってことさ」
父は担任と話し合う必要を感じていたが、電話で話すのでは見えない部分が多すぎるとも感じた。だがここ数日は仕事が忙しくて帰ることが出来ない。
「いいわけないよ。でも、クラスにいるよりはずっといい、かも」
「嫌がらせを受けないで、クラスで勉強できたらいいよね」
と、父は力強く言ってみた。だが亜紀は力なく、
「転校でもしなきゃ、無理だよ」
と、言った。
「転校したって、亜紀がその気にならなきゃ同じかもしれないぞ。負けないぞ、って、少し強気に生きて行かなくちゃ」
父が堺と同じようなことを言い出したので、亜紀はがっかりした。
「お父さんも私が悪いって言うの? 」
返事を待たず、電話を切った。
「ヒューマン」36号(2004年冬発行・ヒューマン刊行会)
これは第二次世界大戦の終わりの頃のこと、私の大好きな兄と、その大切な友達のリリーのことをお話しします。
私の家族は、北海道の紋別というところに住んでいました。父は元気に働いておりましたが、戦争中でもあるためか、生活はそれほど豊かではなく、上の兄も国鉄で一生懸命働いていました。このような片田舎の町でも、時折、戦闘機が飛来したりしました。母たちはよく、竹やりの訓練などをしておりました。父たちは連絡網を整えて、いつでも避難が出来るようにしていたそうです。
下の兄が十七歳の頃、姉は女学生、私と妹はまだほんの子供でした。この兄は幼い頃から体が弱く、部屋で過ごすことが多かったそうです。寝床の上で本を読み、想像の世界で見る夢はどんなだったでしょう。もちろん健康でない人がみる夢がいつも同じであるように、兄も自分の健康な姿をいつも思い浮かべていたに違いありません。兄は私と妹に良くお話を聞かせてくれました。本ばかり読んで過ごす兄は、誰よりも話し上手でした。また、一緒に遊んでもくれました。元気の良いときは近所の友達と一緒に野原へ行ったりもしました。
兄の友達の中に、シェパード犬を飼っている人がいました。兄はこのシェパードをたいへん気に入って、元気な日はその家によく遊びに行っていたものです。そして犬の話ばかりします。
「頭が良くってね、棒っきれを放ると、ちゃんと取って来るんだよ」
その時の兄は、まるで自分の犬の話をするように、頬を上気させて話すのです。母がこのことを父に話すと、父は
「あれに犬を飼わせてやろう。少しは健康になるかもしれない」
と、どこからか子犬のシェパードを手に入れてきました。兄はたいへん喜んで、リリーと名前を付けました。この頃、戦争中の日本では、外国語を話したりすることが禁じられていました。外国の言葉をわざわざ漢字に直したりしていました。それでも兄は、本の中からでもとったのでしょうか、この名前に決めてしまいました。父は反対したりはしなかったようです。戦争中、何もかもが不足して、食べ物も制限されてしまうなか、犬を飼うのはそう楽なことではありません。それでも両親は兄に夢を与えてやりたかったのでしょう。
兄は毎日子犬とじゃれあって、家の中にいることが少なくなりました。少しずつ日焼けをし、健康的な顔色になり、両親とも
「もっと早く犬をもらってやれば良かったなぁ」
とか、
「大人になって少しずつ健康な体になってきたのかも」
などと喜んでおりました。
兄は少しずつリリーに芸を教え、リリーが何かを覚えるたびに、家族に披露してくれました。病気がちだった兄が健康になり、明るい話題を食卓に持ち込むので、家族は誰も皆、明るくなごやかに過ごしました。ひとりの人が元気にしていることで、こんなにも家中が明るくなるだなんて、思いもよらないことでした。私たちはリリーにとても感謝しました。
リリーの世話はすべて兄がひとりでやりました。日に二回の食事、散歩から体を洗ってやることまで。リリーは兄に首ったけで、私たちが兄を離さないでいると,ヤキモチを妬いているのか吠えついたり、体をすりつけたりしました。兄はよくリリーに話をしてやっていたので、リリーはとても頭が良かったみたいです。彼らの散歩のコースは、家から裏山に登り、その野原で走ったり、海を眺めたりしていました。兄はリリーが大好きで、リリーのほうも兄を大好きのようでした。私はうらやましくて、ひとりでリリーの鎖を持って、散歩に行こうとしたことがありますが、リリーは兄とでないと散歩に行こうとはしませんでした。私も小さな妹も、リリーは兄のものだということが重々わかっていたので、私たちにも自分だけになつく動物が欲しいと言っては、母に叱られました。
「あんたたちは自分の事もまだ出来ないのに」
と、よく言われました。それ程、うらやましくなるくらい兄とリリーは仲良しだったのです。そうして時が流れ、リリーがすっかり成長した頃、悲しい知らせが届いたのです。
この頃、戦争は激しくなる一方で、男の人がどんどん戦争のために外国へ送られてゆきました。こんな田舎の町からでも、多くの人が出征してゆきます。それと同じように、戦地で薬を届けたり、物資を運んだり、斥候に行かせたり、爆薬を持って敵地に行かせたりするために、犬まで戦争に行かされたのです。私は人間が勝手に起こした戦争のために、こうして罪のない犬たちが殺されていったことを思うと、悲しくてなりません。ある日、係りの人が、リリーを軍用犬として出征させるようにという連絡を持ってやってきました。兄の犬も、召集を受けてしまったのです。御国の為とは言いますが、戦争に出征してゆく者の家族の悲しみはいかばかりでしょうか。リリーだって大切な家族なのです。兄はもちろん、家族の驚きと悲しみは言うまでもありません。兄は行かせない、と言って泣きました。家族も皆、泣いていました。でも、どうすることも出来ません。三日後の列車には、どうしてもリリーを乗せなければなりません。
兄は別れの日まで、片時も離れずリリーと過ごしました。散歩に出かけて遅くまで帰らず、家族に心配をかけたりしました。リリーもわかっていたのでしょうか。さびしそうな目をして、兄のそばを離れようとしませんでした。出発の前の晩、兄はリリーを洗ってやり、丁寧にブラシをかけてやりました。そうしているうちにも、涙があふれてくるのです。見ている私たちも、心がつらくなりました。
翌朝、私が早起きして庭に出ると、すでに兄が立っていました。兄の目は赤く泣きはらされていて、痛々しい思いがしました。リリーは名前を、ホクト号と銘うったタスキをかけて、りん、と立っていました。兄はリリーという名前のままで戦争には行けないことを知っていたのです。とてもりりしい出で立ちでした。妹も起こされて、家族が皆揃うと、リリーに最後の食事を差し出しました。いつもと違ってごちそうなのが気を引いたのでしょうか、皆の態度に気付いたのでしょうか、リリーは不審がって食べようとはしないのです。私たちがそれぞれ行ってすすめるのですが、リリーは皆の顔を見比べてばかりです。兄が思わず、
「もう食べられないかもしれないんだぞ!」
と大きな声で叫びました。それを聞いて姉と母は涙ぐみました。妹は怖がって泣き出しました。リリーは驚いて、兄の顔をじっと見つめています。父が力なく、そんな兄をいさめました。兄の形相は,いつもの温厚な兄とは思えないほど恐かったので、リリーはしおしおと遠慮がちにそのごちそうを平らげました。
リリーを連れて玄関を出ると、近所の人たちが国旗を持って待っていて下さいました。拍手と「万歳!」 の声を心のどこかで聞きながら、私たちは駅へと向かいました。道々、たくさんの人がリリーを励まして下さいましたが、私がおぼえているのは、ただリリーの後ろ姿だけで、何を聞いたか、何を考えながら駅に着いたのかはおぼえていないのです。黒く並んでいる貨車の入り口が開けられており、兵隊がその前に立って、犬たちを一匹ずつ乗せてゆきます。犬を飼っている、兄の友達の姿もありました。あの犬も、リリーと一緒に行くのです。
たくさんの犬たちが吠えたり、ざわめく中にあって、貨車に載せられたリリーはひどく大人びて見えました。ピンと耳を立てて、その勇姿は誇らしげです。でも、その瞳の輝きは、涙で光っているかのようでした。いよいよ別れのときです。兄は泣くまいと思っているのか、妙に無表情になっています。列車が軋み始め、それを合図にするかのように、兵隊が貨車の扉を閉め始めました。たくさんの人の声がいっそうざわめいて、あちこちから子供の声があふれかえりました。兄も、
「リリー,死ぬなよー!」
と叫びました。リリーの目がぱっとあかるくなったような気がしました。兵隊は私たちを一瞥して扉をカチリ、と閉めました。列車は少しずつ速度を増してゆきます。大勢の人々の振る国旗が視界にあふれ、その国旗に見送られた使命を持った犬たちと共に、リリーは行ってしまいました。私たちは身を乗り出して、いつまでも列車の後ろ姿を見送っていました。
リリーが私たちのもとから去ってしまったのは、夏の終わりのことでした。冬に向かうにしたがって、兄は少しずつ元気をなくして行きました。次第に、寝床から庭を眺めて過ごすことが多くなりました。雪が降り積もり、寒さが日増しに強まる頃、ささいな風邪から肺炎を起こし、高熱が何日も続きました。実は兄はすでに肺結核に冒されていたのです。往診に来てくれた医師は、
「物資が不足しているのです。この薬が効かなければ、もうこれ以上のものはありません」
と言いました。母は泣き崩れました。父はただ黙っていました。医師は
「時代が変わっていたら、もっと出来ることもあったかも知れません。残念です」
と言って、帰って行きました。
私たちはその日から、毎日兄の回復だけを願っていました。兄は何日も長い間、食事をとることが出来ずにいたので、頬はこけおち、顔色も青ざめていました。ところがある朝、母が枕もとへ行ってみると、窓越しに雪に覆われた庭を見つめておりました。熱も少し下がり、表情が明るくなっています。母は喜んで、
「元気が出るからこれをお食べ」
と言って、みかんを取り出しました。この頃、みかんというものは貴重でした。こんな北海道の片田舎で簡単に手に入るしろものではありません。おそらく父があちこちの知人に頼み込んで、苦労して手に入れたものに違いありません。兄は満足そうに、母の手から、そのみずみずしくなくなってしまったみかんを食べました。そして
「僕はもう一度、リリーと野原を駆けたかった」
とつぶやきました。その日が兄の最期でした。
あれから何十年も経ち、父も母もすでに亡く、戦争も遠い出来事になってしまいました。けれど私は,戦争に行ったリリーと、はかなく逝った兄のことを忘れることは出来ません。兄は天国でリリーに会えたのでしょうか。戦争も病気もない空の国で、彼らが仲良くじゃれあっている姿を、私はときどき思い浮かべるのです。戦争は二度と起こって欲しくありません。尊い犠牲を失ってまで得るものは、楽園とは言えません。彼らのことを思い出すたび,平和が続きますようにと祈るばかりです。この思いはいつまでも私の心の中で眠りつづけることでしょう。
私は今犬を飼っています。私のリリーは戦争に行くこともなく、毎日平和に野原を駆けています。
この話は、宮本千代さん(故人)から聞いた話を少し脚色して書いたものです。出会ったのは宮本さんが70代、私が20代のときです。北海道紋別市での幼少期や、忘れがたいお兄様のことをよく憶えていらっしゃいました。宮本さんはご主人と共に小学校の教師をされて、子育てが終わったあと、文章(「さいはてのふだん記」など)や童謡の歌詞を書きながら、100歳近くまでシルバー合唱団で活躍していました。共に暮らしたのはポメラニアンです。工夫が好きで、明るく前向きな方でした。
書いた当時、戦争中の悲しい出来事を風化せないために、と中学校の国語の教材として使用してくださった一人の国語教師に感謝しています。宮本千代さんも喜んでおられました。
「ヒューマン」19号(1989年春発行・ヒューマン刊行会)
桃ちゃんには、大切なおともだちがいました。うさぎのぬいぐるみのみみちゃんです。
桃ちゃんはこのぬいぐるみを、三歳のお誕生日に、お父さんとお母さんからもらいました。お母さんは、みみちゃんのお洋服も縫って下さいました。桃ちゃんはうれしくて、抱っこしたまま離しません。だって、こんな大きなぬいぐるみは初めてもらったのです。お風呂にも一緒に入るつもりでいてお母さんに止められました。桃ちゃんは泣きましたが、お母さんは、お風呂に入れるのだけは、許してくれませんでした。
その日から、おままごとも、 お食事も、お昼寝も、みみちゃんと一緒。朝一緒に着替えをして、ご飯を食べて、 あそびます。おやつのチョコレートまで食べさせようとして、お口のまわりを汚してしまいました。こんな風にいつも仲良くしていましたが、桃ちゃんが幼稚園に行くようになると、みみちゃんはお留守番をすることになりました。
桃ちゃんは、幼稚園から帰って来ると、また以前のようにみみちゃんとあそびます。幼稚園では毎日のように、新しいお歌やおあそびをおぼえます。それを今度は、みみちゃんに教えてあげるのです。何度も一緒に練習をするので、桃ちゃんはお歌が上手になりました。お父さんにも、お母さんにも、たまにあそびに来るおばあちゃんにも、二人で歌って聞かせてあげますが、もちろん誰にもみみちゃんの声は聞こえません。でも、桃ちゃんには聞こえるのです。 みみちゃんの歌声が。それにお人形ごっこやおままごとなどを一緒にしていると、面白いのです。みみちゃんは、桃ちゃんの言う通りにあそんでくれるのですから。そんなことしたら、面白くない、なんて絶対言いません。幼稚園のおともだちは、 時々桃ちゃんにこう言います。
「だめだよ、まちがってるよ」
「桃ちゃんて、ずるい!」
「そうじゃないっていってるしょ」
「そんなことしたらいけないんだよー」
でも、みみちゃんはいつも、いいよいいよ、ってあそんでくれます。桃ちゃんがお話をすると、じゃましないで静かに聞いてくれます。とってもいいおともだち。だから桃ちゃんは、だんだん、幼稚園へ行くよりもおうちであそんでいたいと思うようになりました。そしてだんだん人間のおともだちとあそばなくなって、幼稚園にいても、早くおうちに帰ることばかり考えています。今日帰ったら何をしてあそぼうかとそればっかり考えて、人間のおともだちにトランプにさそわれても、 なわとびをしようとか、おにごっこをしようと言われても、仲間に入らなくなりました。 先生と、お母さんは困ってしまいました。 みみちゃんとあそぶのは、悪いことではありませんが、せっかくおともだちが、たくさんいるのだから、いろいろなおともだちと、いろいろなことをしてあそんでほしかったのです。みみちゃんは一緒に水あそびが出来ません。みみちゃんは一緒になわとびが出来ません。トランプもおりがみも、ずいずいずっころばしも、出来ないのです。でも、人間のおともだちなら出来ます。もっとたくさんのことを、一緒にすることが出来るのです。そして、お母さんが何よりも大切に思っていたのは、おともだちとのおしゃべりです。いじわるなことを言われても、泣きたくなるようなことを言われることがあっても、それでもお母さんはおともだちとあそんでほしいのです。だって、必ずうれしいことを言われたり、楽しいお話をしたりする機会もあるはずです。そして一緒に考えたり、なやんだりして、最後には喜んでほしいのです。おともだちと一緒にいると、よかった、と思うことがたくさんあることを、お母さんは知っているからです。桃ちゃんに、心のふれあい、ということがどんなに大切か、わかる子供になって欲しいと思いました。
ある日、桃ちゃんが幼稚園から帰ってくると、みみちゃんがいなくなっています。
「おかあさん、みみちゃんどこ行ったの?」
と聞くと、お母さんは
「よその犬が入ってきてね、持って行ってしまったの。お母さん、こらーって言って、おいかけたんだけど、逃げられてしまったの。桃子、許してね」
と言いました。 桃ちゃんはちょっと変だなと思いました。お母さんは、時々、
「外でおともだちとあそんできなさい」
と言って、みみちゃんをとりあげてしまうことがありました。今度もそうかもしれない、と桃ちゃんは思いました。だって、桃ちゃんがどんなにみみちゃんを大切にしていたか、 よく知っているお母さんです。お母さんの言っていることが本当なら、きっと、お母さんはどこまでも追いかけて行って犬からみみちゃんをとり返してくれるにきまっている、と桃ちゃんは思ったのです。
「おかあさんの、うそつき!」
と言って桃ちゃんはお部屋へ行きました。バタンバタン! とすごい音を立てながら、みみちゃんをしているようです。うそつき、と言われたお母さんはとても悲しくなりました。だって、うそをついたのは本当なのです。 みみちゃんは、押し入れの高い段の奥に、ダンボールの箱に入れてかくしました。そうしないと、桃ちゃんはみみちゃんを置いて、他のおともだちとあそんでくれないのです。そうして、このことは一日限りにしてはだめなのです。一日だけみみちゃんをかくして他のおともだちとあそんでも、次の日からまたみみちゃんとしかあそばないなら、なんにもならないとお母さんには思えました。だから、ずっと、もうみみちゃんがあっても他のおともだちとあそべるようになる日まで、みみちゃんは箱の中とそう決めていました。
桃ちゃんのお部屋が急に静かになったので、お母さんは様子を見に行きました。すると、桃ちゃんが座りこんで泣いていました。お母さんは桃ちゃんをなぐさめて、
「おやつを食べましょう」
とさそいましたが、桃ちゃんが無視して泣いているので、 しばらくほうっておくことにしました。
夕食の時にも、桃ちゃんはお部屋から出てきません。みかねて、お父さんが、
「もう箱から出してやったら」
と言いましたが、お母さんは出しませんでした。翌日、桃ちゃんは幼稚園へ行きましたが、元気がないのでと、心配して先生がお母さんに電話をかけてきました。お母さんがわけを話すと、先生も協力してくれることになり、同じ組の子供たちのお母さんに連絡をして、桃ちゃんのおうちへ子供たちを連れて行ったり、桃ちゃんをおともだちのおうちへ呼んであそばせて下さい、とお願いしてくれました。おかげで桃ちゃんとお母さんは大忙し。
「今日はうちへいらっしゃい」
「明日、あそびに行っていいかしら」
と、たくさんお声がかかります。そのため、毎日午後からもおともだちと一緒にいられるようになりましたが、やっぱり仲良くあそべない桃ちゃんです。こうやってよ、と言われたらいやになってしまいます。
今日もいつものように、おともだちが集まりました。今日は、桃ちゃんのお部屋であそんでいます。桃ちゃんは、お人形やおままごとの道具をみんなにかしてあげていますが、乱暴につかわれると悲しくなります。だから
「もうかしてあげない!」
と言って、ケンカになりました。けんいちくんとあやみちゃんは、
「じゃあ、もうあそびに来ない!」
と言いました。りゅういちくんは、
「ケチだなあ」
と言います。桃ちゃんはますますつまらなくなってしまって、早くみんなが帰ってくれればいい、と思いました。
その時、
「じゃあ違うことしてあそぼうよ」
と、まきちゃんが言いました。みんなは、まだおままごとをしていたかったので、
「いやだー」
と、口々に言いました。
「じゃあ仲良くあそばなきゃ。桃ちゃん、お人形かしてくれる?」
まきちゃんは、桃ちゃんのお人形や道具をいつも大事につかってくれます。だから桃ちゃんも、
「いいよ」
って、言えました。ても、他のおともだちにも、いいよ、ってかしてあげなければなりません。でも、桃ちゃんは、どうしたら乱暴にしないで、ものを大事にしてもらえるかわかりません。桃ちゃんは困りました。みんな私のおもちゃだから大事にしてくれないんだわ、なんて思ってしまいます。おままごとはまだ続いていますが、そんな事が気になっているので、桃ちゃんだけうわのそらです。その時、またけんいちくんが、
「出前じんそく!」
なんて言って桃ちゃんの茶わんをほうり投げました。思わず、桃ちゃんは泣き出してしまいました。みんなは、困って
「けんちゃんが投げたりするからだよ」
「こわれたらどうするの」
なんて、けんいちくんを責めたので、けんいちくんも泣き出してしまいました。
まきちゃんが呼びに来たので、お母さんが行って話を聞きました。
「そういう時はね、大事にしてね、って言うのよ。みんなだって、おもちゃをこわされたらいやだってことは、わかってるよね」
お母さんは仲なおりをさせてから、みんなにおやつをごちそうしました。
桃ちゃんはそれから、幼稚園でも、おうちでも、おともだちとあそべるようになりました。初めは呼んでもらえなければ、仲間に入れなかったのに、そのうち自分から入れてもらえるようになりました。お母さんは喜んで、もうみみちゃんがあっても大丈夫、と思いました。そこで、
「桃ちゃん、またみみちゃんと同じようなぬいぐるみ、買ってあげようか」
と言ってみました。でも桃ちゃんは、おともだちとあそぶ方が楽しくなって、
「買ってくれるんだったら、みんなで出来るゲームがいい」
と言いました。
こうして、みみちゃんは桃ちゃんの一番のおともだちではなくなりました。しばらくあとでお母さんは、みみちゃんを箱から出して、桃ちゃんに返してあげました。桃ちゃんは、みみちゃんに話しかけたり、服を着せ替えたりしましたが、それはおともだちとあそべないときや、ないしょの話をしたい時だけ。うさぎのみみちゃんは淋しくなったかも知れませんが、桃ちゃんはおともだちがいっぱい出来て、幸せになりました。
新婚の頃、紋別市に住んでいて、社宅の子供たちとたくさん遊びました。そんな日々の中で生まれてきた物語です。あのときの子供たちも今では結婚してお子さんがいます。
「ヒューマン」18号(1988年秋発行・ヒューマン刊行会)
風
海を渡ってゆく風は
どこまで行くのだろうか
ひき返さず ふり返らず
異国の地までも行くのだろうか
それとも ある時 ふと
懐かしい顔を想い出して
帰ってくるのだろうか
波を蹴立てて
来春
はるかな地の果てから
近づいてくるもの
その足音は轟音となって
私の耳を塞がせる
その容姿は風のように
仏の眼には見えないが
その気配で私は
心が騒ぐのだ
美しい世界
雪が降るのは
醜悪なるものを隠すためだろう
その雪でさえ
最近では汚れているのだ
まきあげられた粉ジンが
美しい心をむしばんでゆく
汚れた世界に
汚れたチリが降りつもり
世界はもっと
醜くなってゆく
美しい雪を降らせる為に
どうすれば良いのか
美しい世界を手に入れる為に
一体どうするべきなのか
青い地表
ほんとうは 青い空が地面で
この地上が空なのだ
だから人々は ふわふわと
いつもふわふわと
揺れては 流れにのみ込まれてゆく
空は風が強いから 吹きとばされてはちりぢりになり———
ああ こんなにもたくさんのものたちとの別れを
強要するのだ
痛い思いも辛い思いもなにもかも風にまぎれ
きりきりと舞う 自分のまわりの
刺すような風だけが見えるのだ
ああ あの
青い地表に立ったなら
どっしり足を踏まえて立てるだろうか
澄んだ空気の中ならば
傷つかずに生きられそうだ
雨にけぶる街
雨にけぶる街
電柱に
雨傘の骨に
しずくがつたう
雨にけぶる村
田畑に
人々の心に
潤いを与えてくれる
雨にけぶる都市では
人々は飢えているらしい
雨にけぶる街で
母に花を買いたくなった
雨は蒸発した 人々の心の潤い
優しさの映る 鏡のしずく
キツツキ
キツツキが木をつつくように
心の扉を叩かねばならない
キツツキは生きるために木を
私も生きるために人の心を
キツツキが木をつつく姿が
おもしろおかしく見えるみたいに
私が人の心を叩こうとする
あがきは
人から見るとこっけいなのだろうか
嫌悪
からから
音たてて笑うようなカシワの葉
からからからから
秋の紅葉は美しいものと
小さい頃から思っていたのに
カラカラカラ……
どす黒い大きな葉は
カラカラと私を嘲笑う
月のない夜
真夜中(一時半)
目を覚ますと
真っ暗な闇が支配していた
月のない夜
目をあけてもいなくても
真っ黒い闇
それは重くのしかかってくる
圧力の闇
ふと 自分の歩む道をあやぶませる
月のない夜
赤い涙
あの娘が泣くのは
いつも夕方だった
亦い夕焼けを見ながら
彼女は何を想って泣いたのだろう
誰にも知られず ひとりで泣いて
心の重荷はおりたのか
それとも 増したのか
あの娘が泣くのは
必ず夕方からだ
ひとりになる夜を見計らっては
せきを切ったように 泣き崩れる
手紙
手紙を書くときは 淋しい時だよ
と あの人は言った
淋しい時は 誰かに会いたい
声が聞きたい 顔が見たい
そして何よりも
生きている自分を 見せたい
僕はここにいるよ 今ここに在るんだよと
あれから何年もたち
私も独りになってしまった
あなたに手紙を書きたいけれど———
今なら わかる
手紙を書く時は 淋しい時だと
物語
夜空に星が 見えはじめる頃
あの人は私に語ってくれました
夜空に光る星は すべて人間の命
あの星ひとつひとつが 僕たちの輝きなのだと
死んだ人の星は その晩流れ去ってゆき
去る途中で 大勢の人の夢を叶えるという
最後の大仕事をするのだよ
今夜は星が流れるでしょう
私の大好きだった あなたの
最後の大仕事なのだから
雨が降っては可哀相ね
今夜は雨が降らないように 私はずっと祈ります
横顔
また明日ね と言って別れて
もう貴女は二度と僕の前に現われなかった
あの青い車があなたを轢いてしまったから
誰にも知らせず 逃げてしまったから
僕は今でも覚えている あの青い車と
それに乗っていたヤツの顔と
そして貴女のきれいな あまりにも きれいな
青白い横顔を
蒼い空が
窓際に立って見て下さい
そうすれば 僕の顔が見えるから
ヴェランダに出て見て下さい
蒼い空が 貴女を待っているから
日常
砲声が聞こえる
遠い彼方で
それは 朝の夢に似ていた
明るく美しく しかもさびしげな
いつの世も争いの声は絶えない
そうして 生命が失われてゆく
私は眠りからさめる
幸せな筈の幸せな毎日の中で
苦痛と恐怖が
しだいに とりでを造り上げている
激情
全身に何万本という針をつきたてるような
激しい寒気が
この地方を襲って
私を心の底から凍えさせる
凍えるのは寒さのせいだけじゃない
飢えながら 渇きながら
荒野に独り立ち尽くすような
そんな思惟が私を
内側からも責め立てている
ものうい午後
確かなことは
もうわからなくなってしまった
あいまいな言葉だけが漂う
ものうい午後
昨日まではたぶんはっきりしていたそれが
今日はもうわからなくなるという
自分の不確かさが
恐怖になって私の震えを誘うのだ
その名を聞けば
その名を聞けばいつも
体の中をさざ波が駆け抜ける
そんな気がする
懐かしいあのひと
忘れ去ってしまったはずの
楽しい思い出からは
今は淋しい影だけが
しみ入るように打ち寄せる
その名を聞けば
ひとり佇み
遠い
或いは近かったかも知れないあの人の
瞳の中に何があったのか
私はそれが見えなかったために
今
こうして路傍にひとり佇んでいる
あの人の瞳の中に
一体何を見ることが出来たかを
ここにこうして考えながら
ひとり
ひっそりとした音をたてて
ガスが燃える
なぜ こんなに静かなんだろう
きっと 火力が弱いせいさ
なんてへらへらと笑ってみる
部屋には 私しかいない
感情
出来ることなら 独りで生きてゆきたいと
できもしないのに それだけを想って
他の事も 手につかなくなる程に
思いわずらうこの感情は
一体 何か
旅人
河はいつまでも
流れるだろう
大きく 豊かに
けれども 私は
消えてゆくだろう
無限の時の中で
ただの通りすがりの者として
生きる
私がいつも恐れている 死への恐怖が
希望に
負けることがある
そういう時は
ひどく嬉しくなるものだ
逝く日
はるかな想いを
言葉に託し
叶わなかった夢も
いつくしみに変え
こんなにも
生きようと努力しても
私は ゆかねばならない
私だけでなく
誰もが歩む同じ道だけれど
もっと愛したい
もっと語りたい
想いは変わらないだろう
いつか時がやってきても
詩作年代
一九八〇年 ひとり
一九八三年 雨にけぶる街 月のない夜 蒼い空が 生きる
一九八四年 横顔
一九八五年 来春 青い地表 キツツキ 嫌悪 赤い涙 手紙 物語 その名を聞けば 激情
ものうい午後 ひとり佇み 感情
一九八六年 風 美しい世界 逝く日 日常 旅人
詩集「ひとりたたずみ」初版
編集・一九八七年一月 香川 節
印刷・一九八九年十月 香川 節
作者・河野 智子(旧姓・鈴木)
15歳から21歳までに書いた詩の中から、師が詩集を編んでくださいました。