アイデンティティ、自己同一性について、桜井はいつも悩んだようだ。
自分とは何なのか。
自分らしさとは何か。
そんな歌が多い。
これは若者らしい、ある程度皆に共通する悩みだ。
あるがままの心で 生きられぬ弱さを 誰かのせいにして過ごしてる
知らぬ間に築いてた 自分らしさの檻のなかで もがいてるなら 僕だってそうなんだ
名もなき詩 の一部分だが、世間からの視線と本当の自分の狭間で悩んでいる様子が歌われている。
しかしそんな桜井が、ひとつの確かな存在根拠として、掴めたものがあった。
何を犠牲にしても守るべきものがあるとして 僕にとって今君が それに当たると思うんだよ
これはおそらく、別れた家族の、まだ幼かった娘さんのことである。
たとえばこれが、恋とはちがっても、という歌詞が、そのことを表している。
実はこれ以降、桜井は頻繁に、恋の歌に偽装しながら、娘のことを歌うことになる。
どこかで掛け違えていて
気がつけば一つ余ったボタン
「くるみ」の一節だが、これを読むと、あたかも別れた恋人同士に聞こえる。
しかしやはりここは、別れた妻と子
そしてそこに、誰か新しい相手が入り込むだろうということを、歌っているのだ
あれからは一度も涙を流してないよ Ah
でも本気で笑うことも少ない
おなじく「くるみ」の歌詞。
それ以降本気で笑うことが減るような体験って何だと考えると、やはり血のつながった家族だと思える。
ミスチルは若いころは若者の代表のようであり
迷える心の代弁者のようであったが
そうした役回りを演じるよりも
やはり本当の大人の心理を表現したこうした歌の方が、
やはり胸を打つ。
作りものでない、本当の心情だから。