ケース・スタディ2
さいとう篤史の場合
さいとう篤史の場合
---関係舎のケース・スタディということで「架空のプレ稽古」に参加してくださった方から順番にお話を伺っています。第2回は、さいとう篤史さんです。
さいとう篤史(以下、さいとう): よろしくお願いします。
---インタビューの時って、お互い「話し手」と「聞き手」に徹するために、誰に対しても基本的には敬語(丁寧語)で臨むようにしているんですけど、相手が篤史だと逆に調子が狂うようなところがあって…なので普通にしゃべるね。
さいとう: だって、もう知り合って何年経つ? 10年近いでしょ。
---「架空のプレ稽古」への参加もほぼ皆勤に近いし、今まで3回あった「架空の箱庭療法」に3回とも出てる唯一の人間だから。そもそも「架空の箱庭療法」のオファーをした頃は知り合った直後くらいだった気がするんだけど、ずっと聞きたかったのは「なんであのとき快諾してくれたの?」っていう。
さいとう: そりゃ「面白そうだったから」っていうのが大前提なんだけど、なんだろう……それまでずっと辻本さんってスタッフだったじゃない? その、裏方だった人が自分で企画を立ち上げて動き出そうとしていることが面白くて、これは乗っかるしかない! と思ったからかな。
---これは結果がきちんと出た今だから言えるんだけど、当時は役者の知り合いがあんまりいなくて。やろうとしている企画が他人から見てアリかナシかの自信もなかったから……って時に思い浮かんだ、数少ない「比較的声をかけやすい人」の一人が篤史だったってだけなんだよね。で、すごく面白がってくれたし、より面白くするにはどうするかみたいな話もできるから続いているという。
さいとう: じゃあ、俺、もうけたね。
---「架空のプレ稽古」には、いつもどんなスタンスで参加してくれてるの?
さいとう: 俳優をやっていて感じる、ドラマが立ち上がった瞬間の匂いだったり温度だったり、があるんだけど。それを顕著に体感できる場所だと思う。脚本から稽古を積み上げていくのとはまったく別で、はじめましての人たちと一緒にこの感じができるのも魅力だと思うし、技術面の話ではなく純粋に「俳優が作品を創作している」ときの上質な空間がそこにあるから。その感覚を忘れないようにというか、自分だけで頭でっかちにやらないようにする……デトックスみたいなところもあると思う。
---「デトックス」って表現は他の参加者にもよく言われる。
さいとう: ほとんど初対面の人と一緒にやると、エチュードで何をしても「ああ、そういう演技をする人なんだ」と思われるから、自分が普段通りの演技をしたのか挑戦をしたのかで判断されることがない。これって、すごく魅力的な環境だと思っていて。しかも、挑戦をして上手くいかなかったとして、誰かに怒られることもない。
---失敗をしても失敗にならない場であることは確かだろうね。架空のプレ稽古では、僕が人の演技をクオリティ云々で見ていないから。自分が日常において見聞きする言葉って、大半は舞台上で同じこと聞いても全然面白くない、どうってことないものが多いんだけど、実生活ではそういう言葉で大笑いできたり救われたりすることがある。それはエンタメ的な「おもしろさ」には欠けるかもしれないけど、何回でも見ていられるものになると思う。
さいとう: 俺も、いまだに『無産市民のお茶会』(※)の映像とか、ときどき見返しちゃうな。
---今までの架空のプレ稽古、映像撮れるときは出来るだけ撮って残してるんだけど、映像はパソコンの前にいないと見られないから、音声データだけmp3に変換して電車の中で聴いたりしてる。通勤中とかに。
さいとう: それはね、ちょっと変態。
---えー?
さいとう: その発想には至らないもん。え、フェイバリットナンバー知りたい。繰り返し聴いちゃうやつある?
---フェイバリットは『育つ光』(※)かな。架空のプレ稽古版『育つ光』の、合格シーン。
さいとう: 『育つ光』は辻本さんの中でエポックメイキングだった?
---「架空の実験室」バージョンは合格通知の封筒を用意したりだとか、色々こちらからも仕掛けていったけど、プレ稽古版はすごくシンプルに「合格結果を受け取って店に来る」だけの展開で、合格か不合格かも高校生役の俳優が自分で決めてよかった。でも「合格しました」って言った瞬間にみんなの空気がはっきり変わったから、あ、この喜びってエチュードで再現可能なんだって、そのときに初めて理解できたんだよね。
さいとう: 初めて『無産市民のお茶会』をやったときに、閉店準備を終えたみんなが順番に帰っていくシーンがあったじゃない。もちろん「適当なところで帰る」という指示はあったけど、あの流れで、あの順番で人が減っていくことで勝手にドラマになっていったのは、やっぱり彼らが自身の生活を信じてやっていたからだし、これが演劇の純度だよなっていうのをすごく感じたんだよね。人間が何かを演じる、ということの原風景みたいな。
---演技って計算で作る部分と、成り行きでそうなる部分とがあると思うんだけど、「一人ずつ帰っていく様子がなんとなくドラマチック」というのも、他の作品で同じようなシーンを見たことがあったのか、自身の経験として同じようなことがあったのか、どちらかはわからないけど、とにかくあの場にいた全員が共通で理解できるドラマチックさで。それが誰かの計算によって作られたものじゃない、っていうところにやっぱり僕はグッときちゃうんだけど。
さいとう: うーん……それはでも、役者としては(計算している部分と)半々かな。もちろん計算していないように見えたのなら良かったとは思うけど。だからこそ役者としては、半々だから面白いんだよね。この選択をした結果これに至ったんだ、ってことが大事で。
---ただ、それって自分の演技プランだけで生まれるものではないわけでしょ。もちろん見ている側よりも気付くのは早いし、気づいてから計算はしてると思うけど。場の空気感が自然とそうなっていて、ここでこうすると……エモいぞ、みたいな。
さいとう: 「エモい」ね。
---あんまり濫用しないようにしようとは思ってるんだけど、この単語。
さいとう: いや、けど「エモい」はぴったりはまる言葉だと思う。で、「エモさを演じる」みたいなところもあるんだよね。あのシーンで言うと「いまエンドロールが流れてるぞ」みたいな空気があるわけじゃない、なんとなく。そういう、見たことがある風景に対して乗っかる演技をするような。
---自分たちの演技の「エモさ」に気づいてしまうと、そこに恥じらいや抵抗みたいなものって少なからず出てくるのかなとも思うけど、それがなくなる空気も「架空のプレ稽古」には存在している気がする。
さいとう: それも、なんでなんだろうと考えたんだけど。はじめまして同士だと、自由に演技をしていいと言われてはいるけど、相手を傷つけたりするマイナスの行動は取りづらくなる。結果、お互いのポジティブな要素が重なり合っていって、エモさを許容できるような連帯感というか、それこそ「座組感」が出てくるんじゃないかな。
さいとう: 辻本さんから見て、この人は(架空のプレ稽古と)相性が悪かったなと思う人は過去にいた?
---参加した側がどう感じたかはわからないけど…少なくとも僕のほうからそう思った人は今のところいないかな。なんだかんだで皆「座組の一員」って雰囲気にはなるから、見ていて明らかに浮いてるような人は出てこないし。あ、でも…面白くしなくていいです、話したくなければ話さなくても大丈夫ですって自分から再三言っておいてなんだけど、エチュード中の口数が極端に少ない人のことは気になっちゃうかな。それは合う合わないというより「ちゃんと楽しめてる?」って意味で。
さいとう: なるべく自分の手数を最小限にして、でもおいしいところは持っていくみたいなタイプの役者もいるからね。省エネタイプというか、それはテクニックとしてわざとそうしてるんだけど。
---それもわかるんだけど、「架空のプレ稽古」に関してはあまりテクニックで来られても意味がないというか…意味なくはないんだけど、それってこの場であなたにとってのプラスに作用してますか? とは思うかな。
さいとう: 良くも悪くも「座組」になるから、どんな人と一緒にやるかで役者のモチベーションも、発揮できるポテンシャルも変わってくる。
---そこが難しいところなんだよね…僕はこの「架空のプレ稽古」のシステムって、うまく拡張すればそれこそ演劇経験ゼロの人でも参加できるようになるなとは思ってて。だけど、それを実現するには今言ったような座組感を共有できるかどうかの問題もあるし、あとやっぱりエチュードの作法みたいなのを感覚的にわかっている必要がある。ルールっていうほど厳しいものではないんだけど、一律でマニュアル化できるようなものでもないし…だから現状「演技力は問わないけど演技経験のある人」という条件になっちゃう。
さいとう: 今は役者やってなくて「架空のプレ稽古」にだけ参加する、みたいな人もいるね。
---うん。他にも、いろんな事情でしばらく演劇から遠ざかっていた人とか、役者をやることに疲れたり演劇が嫌いになりかけているって人が「ここなら」と選んでくれるのはすごく嬉しい。演劇を続ける力を失った人が息を吹き返すところを間近で見られるから。
さいとう: 個人的にはあまりそっちの可能性を考えたことはなくて、あくまで俳優としてのチャレンジの場だと思ってるから、たまに知り合いの役者を「架空のプレ稽古」へ送り込む時も、屈強な演劇戦士ばかりを選んで…もしかしてコロッセオだと思ってるのかな、俺。
---でも、そう考えると「コロッセオだと思って来た人」と「ビアガーデンだと思って来た人」が同じことで手を取り合って楽しめる場ってすごくない?
さいとう: お互い「へえ、ビールって美味いんだね」「へえ、甲冑って重いんですね」って。
※「無産市民のお茶会」・・・「架空の箱庭療法#3」(2015年4月)企画の一環で製作された物語。喫茶店のバックヤードに出入りする店員たちの日常を描いた架空の作品。初出は2014年4月の「架空のプレ稽古」。
※「育つ光」・・・「架空の実験室vol.1」(2017年12月)で稽古の様子が一般公開された物語。アットホームなカフェに集う、受験を控えた高校生や常連客の暮らしを、四季の移り変わりとともに定点で追う架空の作品。初出は2017年5月の「架空のプレ稽古」。