ケース・スタディ1

日向修二の場合

---「関係舎のケース・スタディ」、第1回は2019年1月の「架空のプレ稽古」に参加された日向修二さんです。今日はよろしくお願いします。

日向修二(以下、日向): よろしくお願いします。

---まずは、今回のインタビューの主旨を簡単に説明しておきます。これまでに何度も「架空のプレ稽古」をやってきて、実はこの稽古にどんなメリットがあるのかを自分でうまく説明できないんですよね。それは、主催者ではあるけれど僕自身が役者をやっている人間じゃないからなんですけど。

日向: なるほど。

---参加して楽しかったとか、また来たいとか言っていただけることは多くて、だからやる意味はきっとあるんですけど、実際この経験が役者さんに対してどう機能しているのか、そのへんを参加者自身の口から直接お聞きして今後のアップデートに繋げていきたい、という意図があっての「ケース・スタディ」です。


◆エチュードが苦手な人のためのエチュード

---ちなみに日向さんの場合、参加してみようと思った理由は何でしたか?

日向: まず、「架空の箱庭療法」や「架空のプレ稽古」のことは前々から一方的に知っていて、面白そうなことしてるなーという興味もあったんです。でも実際の内容は、上演予定のない架空の作品の稽古をするっていうのが…なんとなくでしか解ってなくて。参加してみたら、ほぼエチュードだったわけですが、最初はもうちょっと脚本があるんだと思ってたんですよ。

---上演はしないけど、なんらかのテキストを使って稽古すると思ってたんですね。

日向: もともと台本読むのとか、結構好きなんですよ。大学の頃は演劇をやっていて、社会人になってからは参加できる機会も少なくなってきましたけど、台本を読むだけならすぐできるじゃないですか。だからそういう機会があったら…遊びに行くじゃないですけど、こう、「演劇的な遊びをしたいな」という感じで参加しました。エチュードなんだってことは行くまで知らなかったですね。

---今までにも何本か演劇作品に出演されていると思うんですが、通常の(台本のある)稽古と比べて、どんな違いがありましたか。

日向: テキストがある時って(台本を)事前にもらうので、書かれていることを元に「このキャラクターはこういうことを考えて、こういう動機で…」という順に考えるんですけど、「架空のプレ稽古」では最初になんとなく枠だけがあって、そこに自分の経験や知識の中から近いものを「これかな?」と引っ張り出してきて演じる感じでしたね。多分あの場にいた他の人もそうだと思うんですけど、エチュードはあんまり得意じゃなくて…

---僕も自分から「エチュード得意です」って言う人には会ったことないです。

日向: 苦手は苦手なんですけど、「架空のプレ稽古」の場合は設定が結構あるじゃないですか。これこれこういうキャラクターがいて、こういう背景があって、こういう場所が舞台で、って。だから何もないエチュードよりはやりやすくて、でもテキストが用意された稽古より自由度があるし、いろんなチャレンジもできる……というのはすごく、ちょうどいいバランスだったなと思いました。

---ふだん苦手と思っているほうのエチュードって、たとえばどういう設定でやることが多いんですか。

日向: 関係性、ですかね……関係性だけがあるような。先輩と後輩とか、友達同士とか。5分くらいの短いものが多いです。

---さらにその背景(の情報)というものはない?

日向: たとえば、誰かの誕生日会にプレゼントを買ってきた人と、そんなの用意してないよっていう人とのやり取りみたいな。「架空のプレ稽古」でやった『渡り鳥の便箋』(※)みたいに、こんな島に住んでいて、島の人口はどのくらいで、フェリーがどれくらいの間隔で来てとか、そこまでは全然作り込んでない。

---それでも、エチュードを進めていくうちに新たな設定が立ち上がって行くみたいなことはあると思うんですけど、それが最初からあるのと自分で作らなきゃいけないのとでは、やっぱり違いましたか?

日向: だいぶ違いますね。上手い人は様子を見ながら臨機応変に対応できるんでしょうけど、僕の場合は何をすればいいか、いつも探り探りになってしまって……自分で思うほどにはうまくいかなくて、あとから「もうちょっとできたよな」って苦手意識がつくという感じです。

---エチュードが苦手だと言っている人に話を聞くと、やっぱり「面白いことをしなきゃいけない」という強迫観念みたいなものがあることが多いみたいです。特にそれをオーディションの場などで求められたりすると、「何かを見せなきゃいけない」みたいになってしまうんでしょうけど、僕はここ最近は「架空のプレ稽古」の冒頭で「面白くしなくていいです」と言うようにしてて。

日向: 稽古の前にみんなで自己紹介したじゃないですか。その時に「バレなさそうな嘘を1つだけ入れる」というのがあって、あれが指針としてすごくわかりやすかった。

---あそこで「実は宇宙人です」みたいな嘘をつくことは全然できると思うんですよ。その瞬間は面白くなるのかもしれないけど、確実に嘘だってことはバレるし、他の本当の自己紹介に比べて明らかに浮いてしまう。違和感なく信じられる範囲の嘘だけを使って、普通の人が普通の生活のなかで取りうる範囲の行動だけをやってください、という意味で「大事件を起こさない」ってルールを明文化してるんです。

日向: 僕の場合はすごくありがたかったですね。大事件を起こさなくてはというプレッシャーから解放されると同時に、他の人の突飛な行動にどうリアクションを返せばいいんだろうというプレッシャーもなくなるんで。僕にとっては心地よい制約でした。

---初めて「架空の箱庭療法」をやった時からすると、自分の見たいものは変化しているなと思います。最近は「普通の暮らし」を覗いてみたい、という気持ちが強くなってきています。極端な話、見たいのは「人に見せるための演技」じゃないんですよね。ファミレスとかに一人でいるとき、隣の席の知らない人の会話がものすごく面白くて気になっちゃうみたいなことってあると思うんですけど。

日向: あります、あります。

---そういう、誰の作為も働いていないというか、起承転結として展開することを計算されていない会話に限りなく近いものを、人為的に生み出せないものかと考えていて。


◆架空だけど架空じゃないもの

日向: 僕は初参加だったこともあって、あの経験をしてるかしてないかっていうのは割と大きいかなと思ってるんですよ。

---経験というのは、「架空のプレ稽古」に参加した経験ですか?

日向: そう、ああいう架空のエチュードを経験してるっていうのは、今後の作品作りだったり、役者をやる上でも割とプラスだなと思っていて。以前に参加したお芝居が、演出家が全部を決めるんじゃなくて、各自キャラクターの掘り下げをしながら演出家が適宜修正を加えていく、みたいな方針だったんです。多分、そういった作業がすごくやりやすくなるんじゃないかなと思いますね。

---いわゆる役作りっていうやつですよね。

日向: 今しゃべっててふと思ったのは、少なくとも僕は「架空のプレ稽古」の設定で用意されていない部分の、たとえばその島の風景を、過去に読んだことのある漫画とか旅行先での景色とか、自分の記憶から引っ張り出して作ってるんですよね。そうするとキャラクターも自然に、自分自身とそう遠くない性格になる。それで架空の話を演じたので、引っ張ってきた本物の記憶とごっちゃになる感覚がありましたね。たしか辻本さんが「他人の記憶を捏造する」みたいなことをツイッターで書いていて、なるほどこういう事かと。

---そうか、本物と偽物が混ざったまま演技することになるわけですもんね。

日向: 他の参加者も「あの島にいたような気がする」って感想を言ってたんですけど、同じような感覚で、侵蝕されてるんですよね。現実に侵蝕してくるってすごいよなと。

---たとえば人が頭に思い浮かべたものをそのまま映像出力する方法があったとして、参加者全員の映像を見比べたら、みんな全然違う場所にいたことになると思うんですけど。お互いの発言がそれぞれ自分の中だけの何かと作用して、その共通点の部分が観客側に見えてくるっていうのは、すごいことだなって思います。僕がこの「架空のプレ稽古」をやり始めた時は別にそれを目的としてはいなかったんですけど、やっていくうちに、あ、これ面白いなあっていう興味が生まれてきた。

日向: テキストから立ち上げた役って、どうしても最終的には自分と別物という感じがあるんですけど、「架空のプレ稽古」の場合は自分と同化してるから……

---自分で考えたから、というのはやっぱりデカいんでしょうね。

日向: そうですね、演じてはいるけど自分の引き出しにあったものしか使ってないし。


◆「ただの人たち」が会話する根源的な面白さ

---今回は「架空のプレ稽古」経験者と未経験者を明確に分けてやってみたんです。いつも大抵1人か2人は経験者がいるんですけど、そうすると僕が「この人がどうにかしてくれるだろう」と甘えてしまう部分もあるので……

日向: もし次回も参加するとしたら、今度は僕が経験者側に回るわけじゃないですか。そうなったら今回と同じようには絶対できないだろうなと思いますね。

---それはこのプロットじゃなくてもですか?

日向: 良くも悪くも、全体のバランスを見る視点みたいなものができてしまうと思うんですよ、「架空のプレ稽古」に対して。どれくらいのことなら言っても大丈夫とか、どこまでなら脱線しても修正がきくとか……その時のメンバーにもよると思うんですけど。

---メンバーによって変わるところは大きいと思いますね。「架空のプレ稽古」をやってて一番顕著なのは、その人のキャリアが長いとか短いとか、エチュードや演技が上手いか下手かってことが、ほとんど関係なくなるってことなんですよね。みんな一旦「ただの人」に戻って、そこから組み立てなおしていくような感覚がある。毎回集まってくれる人たちって、当たり前ですけどみんな考え方も見てきたものも違う人たちじゃないですか。違う人たち同士が喋ってて面白くならないわけがないだろうって、今はそう思います。

日向: 僕がずっと不思議なのは、これだけいろんな設定を考えつく辻本さんが、脚本書いたりはしないのかなってことなんですけど。

---僕は脚本が書けないんですよ。

日向: その、「プロットは書けるけど脚本書けない」ってのが、よくわかんなくて。

---みんな一回は通る道だと思うんですけど、いろんなお芝居を見ているうちに、自分でも書いてみたいなと考える時期はあったんです。実際、ちょっと書いてみたりしたこともあるんですけど、途中まではいけるんですよ。「架空のプレ稽古」でいつも配ってるような、登場人物と舞台設定を思いついて、っていうところまでは。でも、そうやって考えた人物が全員登場して、最初に考えた設定を吐き出し終えたところから先へ一行も進まないんですよね。その先に興味がないというか、「こんな人たちがいる。もう、それでいいじゃない」って気持ちになっちゃうんですよ。もちろん先の展開を知りたい気持ちはあるんですけど、それは僕が決めていいことじゃないんじゃないか、という。せっかくいろんな登場人物を分けたのに、自分が展開を考えると結局また1つにまとまってしまうことがイヤで……突き詰めると「いてくれるだけで充分です」みたいなことになる。だから、あとのことは役者さんに任せようというスタンスで、こういう形に落ち着いてます。

※「渡り鳥の便箋」・・・架空のプレ稽古(2019年1月版)で使用した物語。人口わずか1200人程度の離島で暮らす人々と、その島へ映画を撮るためにやってきた撮影クルーとの交流を描く架空の作品。初出は2018年10月「カチコミWS」。