ケース・スタディ3

堀紗織の場合

---関係舎のケース・スタディ、第3回は「架空の実験室vol.1」に参加していた堀紗織さんです。

堀紗織(以下、堀):よろしくお願いします。もう丸1年以上前なんですよね。

---僕も半分くらい忘れちゃってるので、一緒に思い出しながらいきましょう。まずは率直な感想というか、参加してみての「架空の実験室」の印象はどうでした? 他の、今までに自分が出演してきた芝居と比べて。

堀:「この先どうなるかわからない本番」って信じられないですよね(笑)。何が起こるかわからない緊張はありましたけど、あらかじめ考えたアイデアを持って行くようなものでもないから…とにかく舞台上では健康でいよう、くらいの気持ちでやってました。あと、自分が出ないって決まってるシーンや、途中から入っていくシーンがありましたけど、そういう、見ているときと演じているときの切り替えがすごくフラットで。この感覚は他の芝居であまり感じたことがなかったです。

---これから出番だぞという準備をせずに入っていける感じ?

堀:そうですね、自分の出番の直前に舞台袖でスタンバイしているときは、テンションのギアを一気に入れたり、第一声をどうやって出すか考えたりしながら見てるんですけど、「架空の実験室」は居酒屋の暖簾をくぐるような…「やってる?」みたいな感じが新鮮でした。この表現が正しいかは分からないけど、小さい頃の、おままごとをしている感覚に近いものがあって。いい意味で無責任にやっているというか、その役と自分との行き来がライトな感じで楽しかったんですよね。


◆「演じる」ことと私生活

---今度のケース・スタディの話し相手に堀さんを選んだ理由の一つとして、堀さんが最近更新されたnoteの記事があるんです。あれを読んで、すごく考えていることが自分と似ているんじゃないかと思ったからなんですが、この記事を書いた経緯みたいなものを少し聞かせていただけますか?

堀:「プロの俳優とは」みたいなことって、よく話題にのぼるじゃないですか。そういうので、「俳優って何をする人なんだろう?」って考えたときに、まあ、演技する人だよなと。じゃあ演技って何だろう、それぞれに磨いた技を使って、テクニックを見せているのか。でも、演技することが俳優の条件なんだとしたら、そうじゃない人たちはどうやって行動してるんだ? と思って。

---それが「演技」という言葉の意味を見つめ直すきっかけになったんですね。

堀:だって別に、俳優じゃなくても仕事でプレゼンとか、営業トークとか、するじゃないですか。お母さんが子供を叱るのだって一種の演技だし。舞台上で二つのことを同時にやるのは大変だけど、子供を叱った次の瞬間にママ友と普通にしゃべってたり、パッとスイッチ切り替えてるから、みんな凄いことやってるなあと。もしかしたら、そっちの方が豊かなのかもしれないって興味がわいたんです。個人的にも、舞台に上がった瞬間にできることがすごく減る感覚があって、それはどこから来てるんだろうという疑問がありました。

---俳優として演技するときって、これからやることが台本で決められていると思うんですけど、「架空の実験室」では何をやるかほぼ決まってないですよね。基本的には何をやっても許容されるけど、その場をぶち壊すような行動だけは取っちゃいけない…という状態。迷惑行為や犯罪行為はダメだけど、それ以外は個人の自由意志と裁量に任されているというか、それって普段の実生活にかなり近いんじゃないかなと僕は思うんです。

堀:そこの加減が面白かったですね。突飛なことはしないけど、いろんなことに理由づけをしないでそこに居られたっていうのは、たしかに私生活に近いなと思いました。舞台上の演技は行動による部分が大きいというか、その職業とか立ち位置を行動でわかるように表現しなきゃとか、説得力を示さなきゃ、っていうのがあったんですよね。対して「架空の実験室」は、自分が納得できて相手としゃべれたらそれでいい。ちゃんとコミュニケーションを取れてさえいれば、それでもう空間としては成立してたんですよね。


◆「人生のダイジェスト」に含まれない時間

---「架空の実験室」にお呼びする前、堀さんは一度「架空のプレ稽古」にも参加してますね。

堀:あの時期は、まわりの人たちがみんな「架空のプレ稽古」に参加してて、その影響でだったと思います。

---堀さんだけに限った話じゃないんですけど、「架空のプレ稽古」に参加するまではエチュードが苦手だったという…

堀:はい、嫌いでした。「外見いじりと人格否定は面白くない」って最近やっと言語化できるようになったんですけど、昔からそういう短絡的な笑いみたいなものに自分も含めて走りがちだったり、面白くしようとして言ったことが結局いちばん面白くないじゃん、みたいなこともあって、エチュードの何が面白いのかが分からなかったんですよ。ってことは、つまり「(エチュードは)面白くなきゃいけないんだ」と思ってたんでしょうね。

---わかる気はします。せっかくやるんだから盛り上げなきゃ、という気持ちが裏目に出てしまうのかも。

堀:だから私は「架空のプレ稽古」をエチュードと呼ぶのがあまりしっくり来ないんですよね。エチュードと違って、何か起きるかもしれないし何も起こらないかもしれない、という認識を持った人が集まってるから。演じることに目標と目的を持たないでいると、ああいう空気になるのかもしれないです。

---実はそこ、僕が主催者として恐れている部分でもあるんですよ。果たしてそんな目標も目的もない空間に俳優を放り込んでいいんだろうか? って不安はどうしてもあるから…最近ようやく自信を持てるようになりましたけど。

堀:もちろん合わない人もいるとは思うんですけど、やってみたら意外と楽しめちゃう人の方が多い気はします。

---うまく言えないんですけど、演技を100%「仕事」とだけ割り切って考えてない人がいいなと。そういう人には、もしかしたら「これは何の意味があるんですか?」と質問されるかもしれないし、意味がなくちゃいけないんだとしたら、僕はきっとその質問に納得いく答えを返せないので。

堀:もし「自分、俳優なんで、言われたとおり仕事するだけです」ってタイプの人が架空のプレ稽古に来たら……その人の仕事はないんですよね(笑)。

---そうなんですよ。だから演技を通して自分で何か考える、ってことをしてくれる人がいい。その考えたいテーマが他の人と共有できるものでなくてもいいから。

堀:俳優としての仕事は、ある意味ひとつもしなくていい場所だったと思います。演技なのに「見せるべき相手」がいないんですよね。何を思ってやってたんだろう…俳優の仕事はしなくていいとか言いつつ、ちゃんと計算するところは計算してるんですけど。話したくなければ黙ってていいし、何もしていないことが心地好いとか、そういう時間なんだと感じたのなら別に何かする必要もないっていう。「何もしないこと」を考えながらやってましたね。

---その話、もう少し詳しく聞いてもいいですか。

堀:悲劇的なことや喜劇的なことって演劇にしやすいけど、人生のダイジェストに含まれないような、脈々と続いてる「別に何もない」時間も実生活の中にはあって、その部分を「見せてる」んじゃなくて「生きてる」って感覚ですね。第三者に聞かせるためにしゃべってないのが面白いなって。普通に、今みたいに会話してる感じが。

---だけど、あくまで会話しているのは役と役だから、その俳優本人とも完全にイコールじゃないわけで。じゃあ、今ここにいるのは誰なんだろう…っていうのは、僕が個人的に考えてることでもあるんですけど。

堀:誰なんでしょうね…地で行ってるつもりが勝手に、どんどん自分じゃないものに変わっていく。俳優のサガとしては、うまく抑えておかないとすぐ悲劇か喜劇のほうへ寄って行っちゃうので、そこはコントロールしながらやってたかもしれません。けど、「何もしないようにしよう」と思ってやった方がリアリティがあって見えるってことは、俳優は大げさなのかな……


◆ステレオタイプに従う

---たとえば演劇と一口にいっても、思いっきりフィクションに寄った作品もあれば、淡々と日常を切り取ったような作品もあるわけじゃないですか。堀さんはどちらも出演したことがあると思うんですが、演じ分けている部分なんかはありますか?

堀:暴れてるときのほうが意外と冷静なんですよ。狂った演技をしているときの方が冷静に全部をとらえられるというか、客席からの見え方だったり、舞台の大きさに見合う届け方をできるだろうかとか考えるんですけど、無隣館の芝居に出ている時の私の姿勢の悪さといったら…(笑)。

---わざと姿勢を悪くしているわけじゃなくて?

堀:もともと姿勢はよくないんですけど、私、スカートを履くと姿勢がまあまあ良くなって、ズボンを履くと悪くなるんですね。だぼっとしたスウェットみたいな衣装だと、メチャクチャ(姿勢が)悪い。服装によって身体の緊張感が変わってくるんです。

---計算し切れていない部分もあるってことですか?

堀:なるべく無意識の部分は減らすようにコントロールはするんですけど、勝手にそうなってる部分はあると思いますね。あの、最近気がついたんですけど私、変態ミラーリングマンなんですよ。

---えっ、うん……えっ?

堀:平成に生まれし変態ミラーリングマンでして。相手と同じ反応をすることに長けている。それも無理矢理やってるわけじゃなくて、そうしている方が自分にとって居心地がいいんですよ。だから服装で姿勢が変わるっていうのも、もしかしたらそれぞれの服装に対するステレオタイプを持っていて、それに従った結果なのかもしれないです。

---「架空の実験室」のときは衣装も持ち寄りで、たとえば「派手すぎるのはNGです」くらいの指定しかなかったと思うんですが、そのとき自分が選んだ服装によって演技体が決まった部分もあると思いますか?

堀:多分あったでしょうね。もしスカートだったら、あんな図々しい感じでいられなかったと思います。

---図々しい感じ…『育つ光』(※)のときですよね。

堀:あのとき、カフェの常連客ということ以外なにも決まっていない状態からスタートして、エチュードと並行して設定が作られていくんですけど、自分のスペックにない言葉が勝手にどんどん口から出てくるんですよ。私自身はブラックコーヒー飲めないのにブラックコーヒーが好きって言ったりとか、webシステムの構築みたいな仕事してることになってたり……そんなの触ったこともないのに。自分でそう信じて疑わないというか、「嘘をついてる」という意識でもなく、「役になりきっている」感覚でもなく、普通に自分の経験かのように喋ってました。

---さっき「架空のプレ稽古」は誰に見せているわけでもない演技だって話が出ましたが、「架空の実験室」の場合はお客さんがいるわけじゃないですか。そこで何か感覚的な違いはありましたか?

堀:誤解を恐れず言うと、自分から面白くしに行くことはできない場なので…なるようになるというか、「なるようにならなきゃ」とは思ってました。お客さんが楽しんで見られてるかなって気持ちもあると同時に、「こいつ演技っぽいな」って思われてたら嫌だな、そこにいることとか、そこに存在することが嘘っぽく思われたら嫌だなと。それは「なるようになってない」ってことなので。けど、なんか気持ちいいんですよ、あの場が。どの行動も(リアクションも含めて)自分で選び取ってやっていることだから、自分の意志で場が動いていく。舞台上に作演出が5人いるような気分でしたね……稽古場って、死ぬほど面白いじゃないですか。

---うん。そう、そうなんですよ。

堀:毎回「これお客さんも見ればいいのに」と思ってたから、「架空の実験室」ではそれを本当に見てもらえたんじゃないかな。

※「育つ光」・・・「架空の実験室vol.1」(2017年12月)で稽古の様子が一般公開された物語。アットホームなカフェに集う、受験を控えた高校生や常連客の暮らしを、四季の移り変わりとともに定点で追う架空の作品。初出は2017年5月の「架空のプレ稽古」。