東郷の名のおこり
東郷の郷とは、むかしの行政区画で郡内にあるいくつかの村を合わせたものを指す。
霊亀2年(716年)以降に郷となった村にたいし、東にできた郷だから「東郷」と呼ばれるようになったのかもしれないが、定かではない。
越前国足羽郡の東に位置する郷(地域)であったことから、後に東郷と呼ばれるようになった と考えられる。
東郷の庄
奈良時代から室町時代にかけて、国内の各地に「荘園」ができた。
荘園は「有力な貴族や寺社が所有した私有地」です、奈良時代の「墾田永年私財法」により、開墾した土地の私有が認められたことが始まりです。
厳密な史料上では、この地域は巨大な荘園である「足羽荘(あすわのしょう)」の一部として記録されています、地元ではその一部を「東郷の庄」と呼んできた経緯があります。
荘園時代から南北朝・室町時代
鎌倉時代から一条、九条という貴族が分けて持っていましたが、南北朝時代の正平二年(1347年)にその三分の一を東福寺に寄進
鎌倉時代、足羽荘は九条家(摂関家)の領地であり、南北朝時代の正平二年(1347年)にその三分の一が京都の東福寺に寄進し、残りは朝倉氏の一族である東郷氏があずかりました。東郷が東福寺と深く関わっていたことは、東福寺に残る古文書から証明されている歴史的事実です。
東郷氏について: 朝倉氏の一族である東郷氏については、地元の有力な土豪であったと考えられます。
応仁の乱(1467年)以後は、朝倉氏によって全部おさめられるようになりました。
城下町のおこり
槇山城(まきやまじょう)は一乗谷の東の出城(防御拠点)として機能。朝倉孝景(敏景)が文明3年(1471年)頃に一乗谷へ本拠移転後、麓にには次第に家や倉庫が立ち並び、多くのお寺が建てられました。
町名(札町=行政・高札場、かじや町=鍛冶職人街、観音町=寺院周辺)は戦国時代の職人・商人街の遺構で、現在も一部残っています。一乗谷全体が「北の京」と呼ばれる繁栄を支えました。
槇山城(まきやまじょう)の役割: 槇山城は、朝倉氏の本拠地・一乗谷の背後(東側)を守る「一乗谷の出城(支城)」として極めて重要な軍事拠点でした。
町割りの形成: 安原・札町などの町割りは、戦国時代から整備が始まりました。特に「札町」は、一乗谷の城下町にもあった地名で、物流や経済のつながりを示しています。
朝倉氏の滅亡とその後
朝倉氏の時代は約百年あまり続きましたが、義景の代になって織田信長と戦い、天正元年(1573年)に滅びてしまいました。
東郷の城下町がもっとも栄えたのは天正13年(1585年)頃、豊臣秀次の家来であった長谷川秀一が槇山城主となった時代です。
当時の石高は15万石といわれました。
長谷川秀一は、天正19年(1591年)は朝鮮出兵の準備、出兵 文禄元年(1592年)、文禄3年(1594年)に朝鮮の陣中で病没しました。
現在、栃木地区に伝わっている「花山権現(花山の舞) 」は、平安時代の花山法皇の伝説と、戦国時代の武士の出陣の様子が混じり合った貴重な福井県指定無形民俗文化財です。
秀一が亡くなった後は豊臣秀吉の家来である丹羽長重(にわ ながしげ)、丹羽長秀の長男が城主となりましたが、慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いで西軍に味方したため領地は没収され、以後、槇山城に住む人はいなくなりました。
交通の発達(江戸時代)
江戸時代の天和二年(1682年)に土井利房が大野の亀山城主となり、参勤交代のために東郷の村の中の道を通るようになりました。
東郷は福井城下と大野城下を結ぶ「大野街道」の主要な宿場(合いの宿)として栄えました。
駅伝(伝馬制:車や馬の宿つぎをするところ)は参勤交代や物資輸送で重要でした。
川交通は主に足羽川(および支流の堂田川)で、高瀬舟による米・商品運搬。上りは岸からの綱引き(歩き曳き)が過酷でした。
舟運が行われたのは主に「足羽川」です。東郷は足羽川を利用した年貢米の集散地であり、川沿いには「堂島(どうじま)」などの舟運に関連する地名も残っています。
舟は、浅瀬でも進める「高瀬舟(たかせぶね)」が使われていました。
黒丸城七代の朝倉敏景が文明3年(1471年)、136年間にわたって根拠地とした黒丸城を出て一乗谷に移った。
一乗谷に移った理由は以下の3点。
三方が峻険な山に囲まれた天然の要塞であること。
冬期間は多量の雪が降る降雪地帯であること。
黒丸城三代氏景が晩年、一乗谷に熊野三社を勧請したため関係が深かったこと。
朝倉氏は守護的な武将であり、敵の侵入を抑えたり一向一揆の平定に努めていた。
敵が無い(テキナイ)時には休んで寝ていたと言われ、このことから一乗・東郷を中心とした地域で、休んで寝ていることを「テキナッタ」といい、後に病気のことを「テキナイ」と言うようになったと言われている。
空は青空 風さわやかに 仰ぐ槇山(まきやま) みどり濃く 松の若芽は すくすくのびて ぼくも わたしも 元気にのびる ぼくも わたしも 元気にのびる
足羽(あすわ)の流れ 希望(きぼう)をのせて 果ては海原(うなばら) 洋々と 広がる未来 理想(りそう)も高く ぼくも わたしも たゆまず進む ぼくも わたしも たゆまず進む
今井 寛徳 作詞 木下 甫 補作 望月 敬明 作曲
東郷体育振興会会則 第 16 条(ブロック編成)
ブロックの編成は次の自治会割とする
第 1 ブロック:東郷
第 2 ブロック:小安・東郷美里
第 3 ブロック:南山・脇三ヶ・みどり
第 4 ブロック:上毘沙門・中毘沙門・下毘沙門
第 5 ブロック:東郷中島・円成寺・下東郷・上東郷
第 6 ブロック:深見・桂山・谷
第 7 ブロック:栃泉・赤坂
第 8 ブロック:福田
2 つ以上の自治会で構成されているブロックについて、そのブロックを 2 つ以上に分割しても最少ブロック戸数を越える場合は、地元の意見を尊重しながら、速やかにブロックの再編成を行う。