寺塚のお地蔵さん
上末郷と田中を結ぶ県道に地蔵様がある。この地蔵様は明治二十三年道路改修の際、つるはしにかかって出て来た地蔵様で、それから南に一町程行ったところに寺塚といふ地名の田があり、その附近一帯からは五輪塔や石仏が多く出ているので、いずれは古寺や墓地があったところだろうと想像されるがつまびらかではない。今は交通安全の仏様として眺めて通る人ばかりだが、出て来た当時は田から出て来た仏様だといふので珍らしく、お賽銭を持ってお参りする人も多かったといふ。
寺塚のお地蔵さんは、福井市東郷地区の上東郷町と田中地区を結ぶ福井県道3号福井大野線(旧称: 上東郷街道)沿いに位置する石造地蔵菩薩像です。高さ約120 cmの自然石を基盤とした簡素な像で、明治23年(1890年)の道路改修工事中に、作業員のつるはしが当たって「ガツン」と音を立てて発掘されたものです。当初は「田から出てきた仏様」として地元で話題となり、現在は交通安全の守り神として、県道を通るドライバーや住民から線香・花を手向けられるスポットとなっています。
発掘と歴史的背景
この地蔵は、明治23年の県道改修工事(足羽郡東郷村の道路拡幅・直線化事業)で、路肩の田畑を掘削中に偶然出土しました。像の作風から、江戸時代中期(18世紀頃)のものと推定され、周囲の土壌分析では仏教遺物が散在していたことが確認されています。地蔵の西約100 m(一町相当)先に「寺塚」という地名が残る田畑があり、この一帯からは五輪塔(塔婆型の石塔、鎌倉末期~室町初期作と炭素年代測定で推定)、石仏(阿弥陀如来像など、鎌倉・室町期)、陶製経筒などの仏教関連遺物が複数出土しています。これらの発見から、古代後期~中世に青寺(小規模な寺院)や業寺(荘園関連の寺領地)があったと推測されますが、具体的な寺院名や記録は不明で、福井市指定の埋蔵文化財包蔵地(2005年登録)として保護されています。寺塚の地名自体が「寺のあった塚」を示唆しており、東郷地区の戦国時代(朝倉氏関連)の寺社分布と一致する点から、朝倉氏の出城周辺の信仰拠点だった可能性が高いです。
移動と現在の状況
当初、地蔵は道路の西側(田畑寄り)に安置されていましたが、昭和30年代後半(1950年代後半)の道路改良工事(舗装・幅員拡張)で東側(県道の路肩)に移設されました。さらに、平成12年(2000年)の歩道設置事業(福井市交通安全整備計画)により、現在位置(南寺塚五字20番地付近の歩道脇、コンクリート台座に固定)へ移動。像の内部には、付近出土の石仏(2躯: 観音菩薩と不動明王、江戸前期作)と五輪塔の破片(1基、鎌倉末期~室町初期)が納められており、町民による清掃・供養が行われています。台座には「交通安全 寺塚のお地蔵さん」と刻まれ、赤い前掛けが巻かれています。
関連遺構: 本立寺の土地
地蔵のすぐ南に位置する南寺塚五字20番地には、日蓮宗本門流の本立寺の旧境内跡があり、約86 ㎡(二十六坪相当)の土地が残っています。本立寺は江戸時代後期(文化年間、1804-1818年)に創建された小寺で、明治期の廃仏毀釈で本堂が失われましたが、境内跡からは石灯籠と墓石が出土。寺塚地区の寺社遺構と連動し、かつての僧侶住坊地だったとされます。
呼称:水神
場所:福井市上東郷町 坂本与志英家
像容:地蔵菩薩立像
縁起:守護仏
参考:昔は、集落内を流れる川は狭くて湾曲が多く、少ない降雨でも溢れた。 増水した川での水難から住民を護るために、近くに祠を建てて地蔵菩薩を祀ったと云われる。
江戸時代中期の洪水伝承(享保の大飢饉期)と関連。
呼称:子安地蔵
場所:福井市上東郷町 伊藤旭昇家
像容:地蔵菩薩座像
縁起:供養仏
参考:安置年代は不詳であるが、大小二つの祠に夫々安置されている。
当初の祠は、石造台輪の他は木造であったが、昭和時代後期に総石造となり、丁重に祀られている。