どんど焼き
どんど焼き
1月13日、上川町東部町会の伝統的などんと焼きが行われました。一昨年まで行われていた場所が開発によって使えなくなり、、場所を移転しました。昨年は極く小規模に行われましたが、今年はどんと焼きの歳ノ神(せいのかみ)が建てられられました。
復活に向けて努力された秋山勝男さんを始め、町会役員のみなさん、消防団の皆さんに感謝したいと思います。お祝いの言葉を述べて下さった上川口小学校の校長先生にも感謝いたします。
私も郷土史研究に携わるものとして、川口のどんと焼きの歴史にの一部と復活への感謝の言葉を述べさせていただきました。婦人部の皆さんに繭玉団子や甘酒を振舞って頂き、火災除けの柳を1本頂きました。これでわが家も安泰に新しい年を過ごすことが出来るでしょう。
どんと焼きの歳の神
弓矢は大地の穢れを晴らし、五穀豊穣を祈る
江戸地代より続く川口の伝統的な飾り。その下段の飾りは、青、黄、赤、白、黒(せいおうせきびゃくこく)と呼び、様々な食材や料理を表す。美味しい料理が沢山食べられるようにという願いが込められている。食の神に対する感謝が込められている。
最下段に置かれているのは、前年のお札、縁起物など。お焚き上げの意味を込めて近隣の民家がここに積み上げる。
一年の感謝を込めて、神様のお札や縁起物を燃やす。寺や神社で行うお焚き上げと同じ。
挨拶をする地元の会の会長、秋山勝男さん。
五色の紙に切れ目を入れて、竹の串に巻き付ける。いわば歳の神の花。これを柳と呼ぶ。豊かな食に対する感謝と共に、丸い輪にして屋根に投げ上げておくと、火災の難を免れるという。江戸幕府はどんと焼きの火から火災が多く起こることを防止するため、江戸日本橋より12里以内のどんと焼きを禁止した。川口村は下川口(現川口町)が禁止、上川口(現上川町)は12里以遠だったので禁止を免れた。そのため、どんと焼きは上川町にのみに残る非常に珍しい風習です。
養蚕の盛んだった川口村ではどんと焼きとは言わず、繭玉焼きと呼ばれていた。