活動報告

第28回定期交流会  [Regular][Psychology]

講演:越境するキャラクターの顔―コスプレにおける顔の考察- 

講師:貝沼 明華さん 金城学院大学大学院文学研究科

日時:2022年1112日()11:00-13:00

開催方法:オンライン会議(Zoom ミーティング)

2022年1112日(),コロナ禍の影響を受け,前回に引き続き第28回定期交流会をオンラインで開催いたしました.参加者数は14名でした.

今回の定期交流会では金城学院大学貝沼 明華さんを講師にお招きし,講演と話題提供をしていただきました.


まず,コスプレ(コスチュームプレイ)の近況から始まり,コスプレイヤーの定義づけ(世界感、キャラクターに強い指向性を持ちキャラクターの装いをする人)を行い,コスプレ研究の歴史とオタク文化の社会的印象の変容(隠さなければいけない趣味・ネガティブからポジティブなものへ),現在行われているコスプレについての分析を紹介されました.

コスプレは,地域と密接なイベント等でも受け入れ始められていて,文化として確立し始めている一方で,まだ局所的な盛り上がりなのではという疑問譜が残るとのことでした.オタク文化が広がった要因としてデータベース消費(物語ではなく作品の構成要素が消費の対象となっているという考え方)の存在が示唆されていて,コスプレは,原作もパロディも消費され,オリジナルとコピーの形の区別がつかなくなるシミュラークルが次々と作られ消費されていく一つの形なのではないかと考えているとのことでした.


顔の造形とキャラクターの強度についての考察として,メディアミックスをしている有名なコミックを題材とし,目,鼻,眉の記号化や衣装の固定化されていてキャラクタは識別しやすく,キャラの強さはテクストのからの自立性の強さであるということでした.キャラが強い顔の方が,現在の消費社会で好まれる顔であろうということでした.オタク文化が広がった要因としてデータベース消費(物語ではなく作品の構成要素が消費の対象となっているという考え方)の存在が示唆されていて,コスプレは,原作もパロディも消費され,オリジナルとコピーの形の区別がつかなくなるシミュラークルが次々と作られ消費されていく一つの形なのではないかと考えているとのことでした.


質疑応答では,なぜ好きなキャラクタになりたがるのか?,コスプレと2次創作,コスプレが若者文化的なものなのか(卒業があるのか?)年齢とは無関係な一つの文化的なものなのか?,アニメ顔の目のデフォルメの理由はなぜか?,キャラの付属物はシミュラークルに入るのか?が挙げられ闊達な議論がなされました. 

講演後は”交流会”ということで,2つのグループに分かれ,それぞれに興味のある話題について情報交換を行いました.グループ1は貝沼さんを中心に,今回の講演内容についての深堀りと熱い議論が交わされました.グループ2では,フリーディスカッションと交流が行われました.いずれのグループも時間いっぱいまで話題が尽きずあっという間に終了の時間となりました.

オンライン開催も9回目となりますが,今回盛況に終わったのではないかと思います.次回も皆さんとお会いできることに楽しみにしています.

後日、参加者のデザイナー・イラストレーターの斎藤 忍先生から、アニメの顔の目のデフォルメの理由についての考察が寄せられましたので共有致します。

アニメの目が大きくなった理由ですが、こんな風に考えています。↓

まず、ある日突然大きくなったわけではなく、江戸時代の浮世絵でも分かるように昔は小さく描かれていました。ところが、江戸時代後期に若干目が大きく描かれた浮世絵が現れ始め、明治になり竹久夢二が大きな目の美人画を描き始め、大正になってからは中原淳一、蔦谷きいちなどが大きなお目目の作品を世に送り出しました。

昭和になると、多くの漫画家が目玉の極端に大きなヒロインを描きはじめました。代表的なところでは、ふしぎなメルモ(手塚治虫)、ひみつのアッコちゃん(赤塚不二夫)、アタックNo.1(浦野千賀子)などがあります。恐らくこの時代が、目の大きさが最大になったピークではなかったかと思います。

ところがこの大きさのままだと、大きなお目目を男性にしたとき、いささか(今の言葉で言うと)キモい顔になってしまい、アニメの中でもの絵の整合制がとれなくなってしまうので、今では極端に大きくせず、そこそこの大きさで止まっているようにも感じます。

しかし現在でも、一部のアニメや漫画では大きなうるうるした目のおじさんとかが登場してしまうこともあるようです。これは普段女性ばかりを描いている作家が、男性を描いた場合に、女性の目を描くスキーマが刷り込まれてしまっているために起こる現象なのでしょう。そしてさすがに作者も「ちょっとへんだなぁ」と思ったようで、男っぽく見せるために髭が描き加えられていることが多いようです(目はうるうるのままで)。

では本題の「なぜ目が大きく描かれるようになったか」というと、単純に「口や鼻は大きくできなかったから」ということになり、もっと言えば「口や鼻は描きたくなかったから」ということになるのでしょう。

目というのは透明な球体に囲まれた、フォルムも構成も美しい形態をしています。これに対して口は、歯、歯茎、舌、唇など、部品数も多く、煩雑で美しく無い形態をしています。これが感情やタスクによってフォルムやサイズが大きく変わっていくことになります。一方で目は、眼球という透明な球体が常に固定され、瞼やまつ毛などがその球形に沿って移動するだけのもので、ビジュアルデザイン的に見ても目は口よりも圧倒的に美しいということになります。

そして鼻に至っては、その形状が醜過ぎます。凸凹した肉の塊の下に大きな穴が2つも空いているのです。メインの部分に穴を空けるなどということはインダストリアルデザインや建築デザインでは考えられないことなのです。

そして最近のアニメではどんどんと鼻と口が小さくなっていく傾向にあります。鬼滅の刃の鬼でさえ口は小さく表現されているし、名探偵コナンに至っては、有り得ない小さくとんがった鼻の形状をしています。現在の若者社会全体が鼻と口を亡きものにしようとしているようにも感じられますよね。このことは、コロナが収まってもマスクを外さない若者もいるということにもつながっているのではないでしょうか。

それともともと日本にはマスク=カッコいい、というイメージがあるようです。古くは鞍馬天狗や月光仮面(今見ると完全な医療従事者スタイル)、ロビンマスクやウォーズマン、遊戯王にも沢山のマスクドヒーローが登場するし、ビックリマンチョコにもアリババ神帝とかが登場します。これらのマスクドヒーローたちは鼻と口という醜い部分を隠してカッコよく見せているわけです。もともとの顔が平坦でカッコ悪い東洋人だけに、何とかして西洋人のようにカッコよく見せたかったのでしょう(ロビンマスクとウォーズマンはイギリス人だが)。

昔のビデオデッキやテレビ、オーディオ機器やカラオケマシンなどで、本体の下のほうにフタがついているのを見たことがあると思います。そしてそのフタを開けると、使用頻度の低い微調整用のツマミやボタンが格納されています。つまり使用頻度が低く、見た目も美しくないものは、普段はフタで隠しておくという発想なのです。このフタが現在のマスクに該当するということになるのでしょう。

そもそも口というのは、生物が生物として誕生したときから備わっている原始的な臓器であり、捕食という攻撃をするための野蛮で恐ろしい形状をした部位なのです。鼻はその捕えたモノが食することができるかどうか判定する役割を果たしています。目が登場したのは、口や鼻のずうーっと後になるんですね。だからデザインも新しっぽくなっている。

そして入り口である口の反対にあるのが肛門。肛門をさらけ出したまま街を歩いている人がいないように、口も隠して街を歩くような時代が来るかもしれないですよね。

また、正式の場、公の場、で靴下を履いていない人はいませんよね。夏の暑い日でも普通の大人であれば靴下を履いています。これは足の指というものが、原始的で醜い形状をしていて、爬虫類や恐竜を連想することがあるからなのでしょう。


ハナシがとっ散らかり気味ですが、強引にまとめると

・目は美しい形状をしているので強調して大きく描くことができる

・口や鼻は醜い形状をしているので小さく扱う、又は描かない方向にある

といったところでしょうか。


それと最後に、

先日の発表では、スライドの画像のほとんどがアニメの顔で変遷していくのを見て思ったのですが、やはり「顔」っていうのは、今どきの若者にとっては写真ではなくイラスト、又は加工されたCGやアバターなんだよなぁ、と感じました。

また、ここ半年ぐらいでスマホでアバターを作るツールが急激に増えて、スマホさえあれば簡単に自分そっくりのアバターが作れるようになりました。そこで、今後のメタバースとアバター、コスプレの関係について、どのように展開していくのかを考えるのも面白いのではないかと思いました。