「お観音みち」の項目には次のような記載があります。
県道梯・三珠線の町屋角より、美濃部線芦川停留所のあたりまでにあった道を「お観音みち」といい ~ 略 ~ 江戸の初期に大真寺という真言宗の寺があった。
この門前の道端にあった岩船地蔵尊(現存の味噌ナメ地蔵)は・・・
岩船地蔵が「味噌ナメ地蔵」と呼ばれるようになった由縁は?
「お観音みち」の項目には次のような記載があります。
県道梯・三珠線の町屋角より、美濃部線芦川停留所のあたりまでにあった道を「お観音みち」といい ~ 略 ~ 江戸の初期に大真寺という真言宗の寺があった。
この門前の道端にあった岩船地蔵尊(現存の味噌ナメ地蔵)は・・・
岩船地蔵が「味噌ナメ地蔵」と呼ばれるようになった由縁は?
A.飢饉で味噌しか供えられなかった 正解!
B.地主が味噌好きだった
C.妖怪味噌ナメのたたりを恐れた
<解説>
江戸中期、天明飢饉の際、近隣の老婆たちが穀物は供えられないので、味噌でもなめてくださいと供えたもので、以来味噌なめ地蔵と言い伝えられている。
この観音様があった大真寺は焼失。
観音堂は、明治17年に解体して、薬王寺の境内に再建されたが、大正時代に取り壊し、観音像だけは、薬王寺本堂に今もなお設置されている。