「骨法」の説明が無ければ、癖の原因が何でどのように直すか、癖を自覚し正しい射技を身に着ける筋道を意識できません。姿・形にとらわれ癖の修正は指導される方の数だけ方法が異なり迷います。往々にして言詮は情緒的かつ観念的と成って形や姿を述べ、学ぶ者は姿・形を詮索して射を行じ、あたりはずれの結果にとらわれては、如何にして骨を射る」と啓示される「骨法」に適った稽古が出来るのか、との思いは霧散してしまいます。

「”姿・形・アタリハズレの結果に囚われ本を失う”根源の病」を上述しました。「正しい射技を身に着けたい」と

育む弓箭」の初心の想いも、先哲の予言通り、自己の癖に都合の好いように解釈し、癖の技を真と錯誤させます。それを糺し、正しい筋道に指導するのが指導される方の責務と先哲は断言しています。「”かたかたちわざ”をなす伝統の技藝」の指導継承の共通の課題です。誰もが射の癖を持ち「骨法の正しい射」から乖離することを自覚すれば、「一つの本に至る具体的な方法」を指導される方に問うのは当然の事と弓術講義録にのべられています。弓の弓力を扱うなど意識の癖こそ根源の病に直結していることを学びます。

現代に正面打起射法を提示し「弓術講義録をはじめ本多利実師の著作」は変化する時代にあって、射に似て射とは異なる維新前後の実情を述べ、弓箭が無用の道具である来るべき時代の射法射技の継承の課題を予知し、指導される方々に向け数多の示唆と学ぶ者の心得が示されています。