射
射
弓で矢を射る爽快感は格別です。安全が配慮された青空を飛ぶ矢の音は心に残る風景です。日本の伝統の射には弓箭と身体の合理的活用で実践された事実とその射法理論が4、500年の歴史に培われ弓術書に明確に伝わっています。弓術書の一言が実践で納得される達成感も途切れることなく続き、為すべき筋道を具体的に示された先哲の偉業の凄さを実感しつつ稽古できる日々を感謝しています。先哲が示唆される
「射法射技の本は一つ」
「他との比を見ず功拙を意とせず私意を弄せず一途に己を尽くす射を為しなさい」
をこころして悠々たる一射を思い描き射をする日々の稽古の楽しさが心身を潤してくれる私の射の自画像です。
「今の人、射は射て成るものと思い、骨法の然る所以を知らず」
明治22年「弓道保存教授及び演説主意」本多利実師(54歳) (注1)
「射法八節の道理である「骨法」とは何かを理解せずに、唯、矢を射続けても”正しい射技”は身に付きません」
と云われていると思います。
明治の黎明期、日置師以来400年の伝統和弓の斜面打起射法の総てを含んで近代現代の射に「正面打起射法」を提示、多くの指導者を育成、正面打起を執る教本執筆範士を導いた先哲:本多利実師は何故、「射法射技の本は一つ」と云われるのでしょうか。
矢を射る姿には
「骨法に随って骨力を主に用いて、正しく矢を射る動作であらわれる射法八節の姿」と
「筋力を主に用いて、射法八節の姿・形の外観を真似て矢を放つ動作する姿」の
二つの姿がある事を
「射は骨法の然る所以の根本の理を学びつつ実践する事」で二つの姿がある事を知ります。
前者は万人が為せる「中る射」の筋道に入り
後者は飛、貫通力には無頓着にして、己だけの「当てる射」を器用に射る事に専心します
先哲の諸書を紐解かず・学ば無い方は二つの姿は分りませんと
本多利実師は指摘していると理解しました。
前者は万人が為せる伝えるべき射であり
後者は「一人だけ為せる技」で、当てる達人はいつの世にもあらわれます。
しかし、骨法に適わない当てる射は「歳をとると射れ無くなる」と本多師は指摘します。
初心の時、指導のあり方で前者と後者の道は分かれるのは射の道に限りません。(注8)
分かれ道は射に向かう意識にあります
射法八節の記述は
骨法の動作であらわれる連続する動的な姿を
仮に八つの節で区切って書きしるした静的な姿
骨法は
骨力を主に筋肉を従に扱う意識で弓弦を押し広げる動作の方法
其の動作によって現れた姿が八節の規矩に自然になる法で
骨法の定義は尾州竹林派弓術書に明解で、その筋道は同書と高穎淑師「射学正宗」に記されています。
繰返し正確に再現される「中る射の理」と「射技」を具体的に説き、「心身弓の最大限の発露の理」と「矢早」「飛翔性」「貫通力」にかかわる修練の教法と「遠矢の事実」を示し、「”射法訓”の本になる理」と「骨法が自然の理に基ずく事」を説いています。
高穎淑師著「射学正宗」も同様に学べ、本多利実師著「射法正規」「弓術講義録」から阿波師梅路師の著書と活動につながると理解しました。本多利実師系譜の教法一巻、二巻の神永師高木師の射法射技に至ると理解しました。
骨力
「形状変化しない体内の道具の骨」が伝達する力
生まれた時から無意識に体内に働いている力で、動作の全てに「骨の力」を用いてにも拘らず無意識にして無頓着です。
教本二巻にて「骨力」の言葉にふれ、竹林派吉見順正師「射法訓」にて「骨を射る」との言詮に合い、竹林坊如成師序文「骨力を宗として射を行う」の記述にハットして、本多師、高穎淑師の示唆によって、はじめて「骨力」が「具体的に射法射技の軸と為す意識」にのぼり「筋力の射から骨力の射」の稽古に挑む意志を決する迄「骨身に染みた癖を付け、迷路を彷徨う自覚に至る」まで長い歳月を辿りました。
骨力のイメージは多々あるとおもいます。
骨力は「重力に抗して5、60㎏の自分の体重を支え立ち続ける足の骨の中に通ずる力
幾時間も歩き続ける動く骨格の内部に通ずる力」と意識できます。
力学的生理学的な資料からも骨力にかかわる骨の耐圧縮力は弓力等比較にならない事がわかります。
関節のデータは見当たりませんでしたが、数時間あるいて動的な圧縮力に抗する事実が意識されます。
射では、初心の稽古で足踏みの技を習う時に「重力に抗する縦軸を為す技」によってイメージされると学べます。
同様に「弓を押し開く両上腕の骨格を通ずる骨力で、横軸を為す技」で理解されます。骨力の感得は指導されるかたの骨法の理解と実践方法で骨力のイメージは霧散します。
骨力を主に「弓力に抗する横軸を為す技」が弓術書に具体的に明解に説かれています。勿論、概ね六分から七分の弓力20数㎏~30数㎏で、教本に記載される20数㎏は誰もが骨力で引きこなせ、指導されるかた少なくとも20数㎏の弓を射こなし骨法を示し、指導される事が必須と理解できます。
骨力は老いて筋力が衰えても六分から六分数厘(20数㎏)の弓は悠に射こなせると云われる先哲諸師の示唆を思い起こします。射では堂射の実績、修行では叡山の千日回峰行の脚力でイメージされ、「射法訓」を述べる吉見順正師の修練の凄さに想いが馳せます。
梅路師阿波師が力に関らない様に云われる事は教本一巻に記載されたオイゲンヘリゲル師の言葉にあらわれています。10数㎏の弓で述べても詮なき事は本多師が指摘する事と学べます。
祖師の残したる法則を究理し続け実践練磨する人はまずは無しと云うに近い
「今の人、射は射て成るものと思い、骨法の然る所以を知らず」と本多師の背景に在る「伝承される課題」を述べています。「極めて弱い弓で当てても詮無き事」姿形に拘泥し当りの多寡と称号認許に競いに衰退する江戸期の姿形を引きずる明治の状況に、諸流派を超えて「本は一つ:自然の理である骨法に随って正しい射を修練しなさい」と本多利実師は断じたと思います。
「射の本は一つの事実」を「惜しむ事なく」と言葉を添え先哲祖師の口伝、秘伝、諸弓術書を開示され
「骨法にて正射的中する事実を示す」と実践をもって指導された事が師の記述からわかります。
「骨法」「骨力」は教本にも出てきます。初代会長宇野要三郎範士は月間弓道に射法八節は自然の理である骨法に基ずく事を説明しています。「骨法」を説かれる正面打起を執る師によって「実際のわざ」が記されていると理解できました。
多数の姿・形
伝統の技藝は始めは姿形を見て習います。射も同じです。
やがて「何故、その姿形なのかを問い」その技や動作の本を究明しつつ
その理(ことわり)を自覚して実践します。
ことわりの理解と技量に相応して為す事は分野を問いません。
指導される方々の事
流祖をたて奉り流技を指導・継承される流派の指導者が「流祖の発明工夫した理を究明せず、骨法の技の真異がわからず、唯流派の表面的な姿・形に固執して指導・伝承し、本を失い末を論ずる」と本多師は指摘しています。
射に似たいろいろな形が指導者の肩書と共に現れる姿を「射を学ぶ人が常に知る事」を高穎淑師「射学正宗」、本多師「射法正規」、見鸞見鳳の号を連ねる梅路師、阿波師の著から覗えます。
何故なら、当りの数と姿形を比べた勝者で射法に適うもの百に一つとして無いと先哲は喝破し、”射法射技を本を究めず、法を無視する横着で邪な心” が生まれるのは「法の有る射の”法”の本質の病」と先哲祖師は必ず記しています。「学ぶ者は彷徨い、失った本は骨法」と学べ、時代を超えて問うている事と理解できます。此事は射に限らず「型形技の本質の課題」と理解でき、明治以降、諸藝に「道」を付して、益々、疑念は深まります。
骨法を忘れ研究もせず「本を失い、姿・形の比較差別」を人の数や競技で優劣で競う状況は、射に似て射とは異なる姿が蔓延り、学ぶ者を、真贋が不明の内に、取り返しのつかない癖の道を誘いこむ事に注意を喚起しています。
祖師没後、家督を争う戦国武将に似た様子も見れば、二代目以降の指導者らの正統性を主張する争いが必ず起こることに例外が無い事は歴史が示す事と学べ、弓術書には「正しい」という言葉が溢れてると愚推します。
何故、諸流派は生まれたのでしょうか:流祖と仰ぎたてまつられた先哲祖師の真意・創意工夫
「弓道保存教授及び演説主意」に「本は一つなり。末に些少の見識あるのみ」といわれ、流祖と云われる先哲の一つ一つの創意工夫を説明しますと本多利実師は述べています。現代に「自然合法の射」を示し実践された梅路見鸞師も「本は一つ」と云われていると読み取りました。梅路見鸞師は「流派の射法において多少の優劣あるは、流祖の悟底の深浅、行路の別、時代の如何、道力の相違等によって生じた」と述べ、禅導の手法の一つとして弓箭を活用し「具体的な道法」を説き「道」を示し実践したと愚推します。
因に、自己流と謙遜して先哲諸師は云われます。伝統の諸芸のどの分野に関らず個々人が自称する事です。それを弟子らが先哲の意志に反して先哲を祭り上げ、先哲の名を冠して流派を設立、組織化する事も分野を問わず時代を超えて歴史が示す事と思えます。
明治以降近代から現代は
本多師が「本は一つ」と明断し「惜しむことなく」と師の射を開示され、合わせて、師の始祖竹林坊如成師の骨法の教え、それにつながる江戸期の諸弓術を刊行・開示され、誰もがこれを手にし、学び究明することが可能になったと推測されます。「伝統文化のかたかたちわざ」を身に着け伝承する基本の姿勢と学びました。本多師に続く見鸞見鳳の号を連ねる梅路見鸞師も阿波見鳳師も「本は一つ」を究め、時代に応じた射を実践されたと学びました。
「本は一つ、今の人骨法の然る所以知らず」といわれ、誰もが「骨法」を学び実践で「そのことわり(理)」を自得出来る射法であるにも関わらず、「扱う弓の弓力」は凡そ伝統の事実を否定する程に弱く、的中至上主義を排すと宣言しながら斜面と同様に手の内を決めつけ ”骨法を無視した「正面の打起」に似た姿”が排出しても、なんら疑問が提起されと感じるのは、浅学の為すところなのでしょうか。相手のい無い射の世界では相手は唯一「弓力」であり、応ずるの「骨力」といえます、それ故、技量相応の弓力が求められます。
多様性が重んぜられる現代の社会に、弓箭は様々な姿で私達の生活を潤します。その可能性は更にひろがるはずです。しかし、伝統の和弓が築いた日本の弓道の射の文化を継承するには、先ずは、先哲と同じ伝統の方法と事実に則り真実を究めつつ修練を積み、骨法を具体的に説き、実践教導される事は当然の事の一つで、その上で時代に応じた弓箭の活用に創意工夫する姿勢とその指導が顕れると理解できます。本多師はそれこそが近代現代の指導者の役割と説いていると理解されます。
現代弓道の正面打起射法は本多利実師が明治42年に著された「弓術講義録」(注2)(注3)に始まると学べます。
(注3)師没後、大正12年大日本弓道会編本多利実師講述
「弓道講義」(国会図書館蔵)として再版されました。
「弓術講義録」は日置弾正師以来の斜面打起射法の総てを含んで
現代弓道に向けた正面打起射法を示されたと理解できます。
この書は斜面打起「尾州竹林派弓術書」の記載を基に口語体で記述されています。
しかし、射法として「骨法」の定義は見当たりません。何故でしょうか。
本書の冒頭「修習の順序」には
「弓を学ぶに就き手の心得」と「素引き」について具体的に詳述されています。
弓を手にして射を為す最初の稽古「素引き」には当然、「本は一つである骨法の理に随って為される稽古」
と理解・思索されます。其の意味を指導される方に伝えていると学びました。
骨法の定義の具体的記述は「始祖石堂竹林坊如成師の竹林派弓術書」と高穎淑師著作「射学正宗」から学べます。
骨法が為せる射の世界は「射学正宗」を高く評価され、正面打起を執る本多師著「射法正規」の中に学べます
「射学正宗」は訳文も多々刊行され「骨法」をより深く研究することが出来ます。
「弓術講義録」の射術総説と細説は竹林派弓術書が基礎になっている事は直に理解できます。
”骨を射る”と述べる「射法訓」を掲載する教本・加えて月間弓道は「先哲が創意工夫した”射法八節は骨法の理に基ずく事”と”射は自然の理である事”」を掲載しています。現代の諸弓術書は「射法八節は”一つの連続する技を仮に八節に分けて姿”」は述べていますが、「その本となる骨法(自然の理)」との関係は記載が見つかりません。
因みに本多師著「弓術講義録」又は「弓道講義」は射礼編、弓具編が明記され、明治以降の弓術書の構成のひとつの指針になっていると思います。また、明治以前の弓術書に無い「遠的」について、其の発祥を述べ、遠的は的前射法で行う事を明記しています。つまり繰矢前(遠矢)、指矢(堂射)とは異なり、胴造は「真っ直真っ平(垂直水平)」と述べられています。
「現代弓道講座(昭和12年版を含む)」や「日本武道全集第三巻」、他から諸流派の系譜と射法射技の詳細が学べます。,小澤氏や村河氏の訳の「射学正宗」、「射経」「礼記射技篇」、その他さまざまな流派の書や射を学ぶ人の書などは公共の図書を閲覧できます。
「全日本弓道連の教本二・三巻」に諸流派のいろいろな技が載せられていますので、「射法射技の本は一つ」と云われる本多師の示唆を考えるのに役立ちます。教本だけでなく「月間弓道」には斜面打起を取る日置流諸派、尾州竹林派、印西岡山系譜、道雪派等々の江戸期の新弓術と、中国の明代の「射学正宗」、又「射経」等が連載されました。
昭和46年教本一巻改訂版「あとがき」に射法制定委員が記載され、執筆範士の流派の系譜が明記されています。一巻「射法射技の基本」の「射法八節の解説」には、「射法射技の詳しい内容」について弓道教本二巻、三巻の「射技篇」を参考にするように記されています。(尚、折込みの”射法八節の図解”について参考にするとの記載はありません。初版本、31年改訂版、46年改訂版の比較検討から理由は明らかと、読み間違わない様に注意して稽古しています。また、初版と31年改訂版には「弓二張りを手にして肩入れする」記述もありません。何故でしょうか)
本多利実師述「射は一技」とは
「自然の理に則した骨法」
修練すべき方法は伝統の弓箭、道具の本質を理解して
先哲の示した「射の理を究明しつつ学び」先人が為してきた「実践の事実」に随うと学べます
15間の的前に何㎏の弓を使用するかは自由です。しかし先哲の示唆からは ”姿勢が調い当ればそれで骨法に適う射が身に付いたとは言え無い”と理解できます。本多利実師、高穎淑師は「正しい師の教えの本では半年から一年で六分弱20kg前後の弓が引ける」と明示(注1)されています事から「六分数厘の弓は誰もが射こなせると確信される」事と理解できます。
古人が常用した弓術書に記述されている20数kg程度以上の弓は古希を過ぎても射こなすことが出来る、出来ないのは「骨法の正しい射」を身に着けたとは言えないと本多利実師、高穎淑師、梅路見鸞師の先哲諸師の記載を理解すれば、「法」のある日置師以来の射法を学ぶ者にとって、本多師が「極めて弱き弓にて当てても詮なき事」(注10)と断じている声が響きます。
「射法八節は骨法に随う」と「射法訓」を理念とする教本執筆師も記述しています。誰もが20数㎏程度の弓が射こなせる「自然の理に立脚した射法」が身に付き、その上で「時処状況」に応じた弓力を選定する自由があり、射法八節を用いて弓箭を活用する所業の多様性の基にあります。
概観すれば教本記載の弓も20数㎏であり「射法訓」に関係する三十三間堂の堂射の弓も26、7㎏程度と整合性があります。これは本多利実師著「射法正規」記載の普通の強さの弓:六分五厘(約30㎏)弱程度と学べます。強い弓は七分、八分との記載があり、強弓などはその上と理解できます。
伊勢貞丈の述べる強弓などは凡そ20数㎏程度では無いと思いますが、強い弓の使用に関しては、どの書も必ず「初心の者」と注意書きが有り「身に余る強い弓を引かず技量に則した弓力」で稽古する事を述べています。当然、「初心者」とわざわざ但し書きあるので指導者や熟達者は該当しないと理解できます。寧ろ、竹林坊如成師と本多利実師は「剛無理」(注2,注9)と記して「剛き事を目指して稽古する事に理屈は無い」と記しています。梅路見鸞師が「老いざるに技の衰ふるは、此徒労の徒なり…」と断じている事はその現れと理解できます。
尚、日置流印西岡山系譜浦上栄師は「弓道講座 第二巻」(昭和12年雄山閣刊)に「六分の弓二挺を肩入れできれば、その1挺は充分射こなせる」と記しています。教本にも昭和46年改訂版に 「弓二張りをもって肩入れする」記述が現れ、「云われている」との付則の文言ついて同様の記載があります。この流派の系譜には「三分の二」や「天文筋」「体配」等文言が同派専用の斜面の技として記載が見られ、虎口や掌心等、射学正宗の文言を借用していますが、要前を主目的にした骨法の理論は見出せませんでした。
すがたかたちの奥にあるもの
「今の人、射は射て成るものと思い、骨法の然る所以を知らず」
明治22年「弓道保存教授及び演説主意」本多利実師(54歳)著 (注1)
初めは見て真似て動作しますが、何故、その動作をするのかを尋ね、自分で学び理解して射の動作をする事。
姿を作っているは骨格
「弓箭は身に随って動き意の外に在り、骨法は動的にのびる十文字を作る規矩を内在する法(注9)」といえます。
「射は骨力を主に筋力を従に用いる」と云われる竹林坊如成師は「弱は骨法不行き」と明断しています。
開かれた弓は連続して縮む
故に、停滞せず緩まず連続して押し広げる動作を覚知する(知る)事
「十文字が形成される過程で骨格内を通ずる力が弱い弓では意識されない」と理解できます。
竹林の定義では
骨力の伝導が「直に成る様に射の初めから途切れる事無く育てる」と学べます。
つまり「骨と骨と間の関節を通ずる射手の骨力と弓の力とが「直」に通じて向き合っている事」
と学べ
「骨力が、常に弓弦を押し広げる動的な方向性の状態を知覚する内に離れる」
と理解しました。
「射法訓」を著わした吉見順正師と本多利実師の始祖竹林坊如成師が「弱は骨法不行き」と云われるのは、「射法八節が骨法から成る」と頭で知っても「弱い弓で無意識に筋力を主に用いて表面的な姿・形を真似て当たりを求める動作」だけの稽古では「骨法とは何かを知る事は生涯できません」と断言されていると学べます。
「射法八節は自然の理から成る骨法」が何かを自ら学ばず「骨力等念頭に無く」八節の姿・形を真似て筋力を主に弓箭を操作して、会から離れの十文字の姿・形を整え15間先の尺二の紙的に矢が当り目録や免許を得て認められても、それだけでは「骨法の正しい射技を自覚した」とは成らないと竹林坊師に続く先哲は断じていると理解できます。事実、弓術書は六分数厘を普通の強さの弓と記しています。骨法の射を為した人は歳を重ねても誰もが六分数厘を弓を射こなせると述べています。
射に限らず、伝統諸武藝の稽古のスタートは姿・形を真似から入ります。
どの分野でも、やがて「何故その姿・形と成るのか、其の本の真理を理解して技を為す事」を知り、修練を深めます。
真理を理解する修練に適う姿が日々の稽古に顕れなければ、タダ弱弱しくおどおどしながら姿・形を詮索する仕草は猿真似といわれます。世阿弥は「稽古は強かれ」と「風姿花伝書」の冒頭に稽古の心構えを述べ、沢庵禅師は「事・理の両輪を増す事」と不動智神妙録に喝破しています。弱い弓で詮索して姿・形と当りを窺う射の迷いは「輪廻の弓」と「射の本質的な射の病」を糺すのに竹林坊如成師は「剛無理」と剛きを専一に稽古する心を示唆しています。
射の姿形の奥にあるモノ
「七道又は八節の射法射技の本は骨法」である事
「何故、骨力を主に筋力を従に射を行うのか」「骨力をどのように扱うのか」を先哲の書に問い、其の理を学び続けつつ、為すべき技は「射の始めから終わりまで「骨力を直に育てる意識で弓弦を連続して押し開く」と心に定め「その結果動的な十文字の規矩が顕れる」稽古を重ねる事と学べます。
明治22年「弓道保存教授及び演説主意」(注1)に「ひと月で骨法を知る」
と本多利実師は述べています。課題はギャップの埋め方、骨法自知する指導方法と、骨法を説かずに形と姿と当たりで指導する方法で道は、学ぶ者は全く正反対に向かう事を述べています。同様の記述は「射学正宗」で高穎淑師も述べています。
弓を手にした初心の時、先ずは八節の姿を真似て素引きの稽古を始めます。同時に、指導される方より「その八節の姿・形は骨力で弓を押し開く動作する意識の結果、顕れる事」が説明され、実践で示めされます。本多利実師が「弓術講義録」で示唆されるように、それは「素引きの動作」と「矢番え動作」のギャップで即座に知ることが出来ます。このギャップを埋める修練をかさねる事で八節の規矩が自然に調う事を「初心の始めに自覚する事」が必須と理解できます。
姿・形に囚われた射から脱け出す初めの一歩
意識を180度転換する事
「骨力」を主に「筋力」を従に使う射行とは何か自身に問い先師の正技を尋ねます
言詮は「する」との能動的示唆は姿形にとらわれるます
連続する八節の「現在身は当然の機に応じて『なる』」と意識は変わります
意識の目は技を為す現在身の内なる骨力の方向性に着視
弓友の目には八節の規矩に適いません等
そこに顕れる「正雑」「正邪」の覚知して、修練を重ねる事になります。
意識を変える等これほど難しい事はありません。それを実践せねば生涯、形に囚われた姿になると深く自戒してやみません。
往々にして横着心が芽を吹き、極めて弱い弓に拘泥して規矩に合わせる邪心に回帰します。謙虚にして素直に為す事と云われる指導者の言葉に逆行します。
射行が「骨力で弓弦を押し開く動作」が一貫すれば、姿・形にとらわれる事無く射手の身体と技量に適う八節の姿があらわれ、次第に八節の規矩に随った姿が整います。教本に20数㎏程度の記述があり、誰もが古希を過ぎても射こなす等、普通の事と、未熟で稚拙な射ですが、今は思います。
「正しい射」を求めてると述べても、「骨法」に触れずに筋力を主に用いて10数㎏の弓の域を生涯出ないで、八節の姿にあわせる動作は射には似ていますが真似モノと先哲は云われるのでしょう。射法八節が骨法から成る事がを知っても、その実践無くして「道」を耳にする武道や弓道の「道」に至るのでしょうかと、その先の疑問もひろがります。姿・形に囚われた射の意識から、「骨法の射の真」に意識を180度変えることがいかに困難か、阿波見鳳師が云われた言葉を以下に載せます。
「我れ弓道を学ぶ事20余年、徒に形に走り、その神を忘れしこと、近年初めて自覚せり」
大正12年武徳会教士、八段 阿波研造師(44歳)(注5)
「正射正中」
当てる射では無く「中る射」といわれます
しかし、「具体的な技」と「技の道理」を説く弓術書や指導者は稀です
「中る射」
本多利実師は「射ぬ先から中外(アタリハズレ)の変化の理を予知する事が出来る」(注10)
「中る射」に至るには「骨法の理を読み解き続ける事」は当然ですが「”正しい弓箭と正しい実践と正しい修練の在り方”に因って覚知される」と学べます。つまり沢庵禅師が云われる如く「事理の両輪を回す」姿勢で稽古する事が大切です。
これには長い歳月がかかります。本多師は「射行中の現在身の其の時に中外(アタリハズレ)の変化の理を予知出来る」は「自然の理である骨法」を顕現した竹林派「五の法度(注4)」を修めて初めてなることで、それに至る間は ”我流の「当てる射」に「アタリの数は劣る」”と喝破し心構えをただしておられます。
先ずは、姿形、当てることなど囚われず、しかし心には正しい射法八節と中りを心に治めてとらわれず「射を行う自身の内なる意識、先ずは骨力を正しく為す事」と本多師の系譜の記述を基に骨法の理を紐解き、実践しつつ覚知する稽古を為す事と学べます。時々は弱い弓と強い弓と相応の弓を手にして稽古すればそこそこ当りも姿形も整うと経験しました。
矢束一杯から三、四寸も引き足らず・矢勢矢飛などお構え無く、頗る弱き弓で「良く当てる射を工夫・稽古する人」と、「射法の道理に従って中る射を修練する人」の歩む道の違いを本多師は「中外論」に記しています。
(注4:的中、速さ、飛翔力、貫通力に関る ”中り、矢早、通心、遠矢、花形(射礼)”の五つの法度の事
遠矢に七分台の弓が記述されていますので、20数㎏~30数㎏の弓力で顕現される事と思います)
高穎淑師の警鐘: ”当り外れにとらわれ「当てる射」を競う人に正射は百に一つと無い”」
本多師著「中外論」は大正2年、弓箭が無用の器になった近代の状況に於ても、射に似て正射とは異なる「当てる射」に埋没し、骨法を唱えながら骨法を無視する姿が蔓延る事を危惧されたと愚推できます。「来るべき現代の”射”や”弓道”の姿」を本多師は見透して、この「中外論」に「400年の伝統の射のあるべき姿」を述べていると理解しました。
弓箭が有用の時代の最たる「要前」の六分程の弓箭を主に七、八間の飛距離で速射に適う斜面打起は戦の時代の必然であって、骨法に基ずく日置師や竹林坊師の正しい射法を継承せねば「当りハズレのまぐれ当りに潜む射幸心と勝ち負けの陶酔に潜む欲望に心が騒ぐその業、その性ね」が勝者の肩書と共に、知らず的中至上主義に陥り、知らず弱い弓でしか矢を射れずに「的中至上主義の射にて射では無い世界」を蔓延らせ、真贋が不明な世界になります。竹林坊師、高穎淑師の時代から、本多師、梅路見鸞師の近現代に続くまで、各師とも「草菅穀に勝」のたとえを以て警鐘を鳴らし続けています。竹林坊師や高穎淑師の警鐘から愚推すれば、「現代弓道講座」に指摘される指導者はいつの時代にも顕れる事と伺え、射の限らず「極めて弱き弓しか引け無い指導者の真贋を問う事」と先哲はいわれていると読み取れます。
「中り外の変化の理を予知する」とは、「骨法の理解と実践」には「正射正中の道理」が具体的に意識されるの凄さがあります。特に、「変化の理」の言詮には「正雑二念の平衡を保つ」と云われる梅路見鸞師の射法要諦七つの第一項の示唆が浮かびます。「射ぬ先」とは射行中であり現在身のあるべき射手の覚醒状態を示唆したと云えます。つまり、姿・形にとらわれず射を行う自分の本心に直接かかわり、的や弓箭に関らないと云えます。それが、自然の理に基ずく骨法の射法八節であり、骨法の現在身の動作は自然の理を直に顕現する、と理解できます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中る射と骨法の理解
本多利実師、竹林坊如成師、高穎淑師の記述「骨力を主に用いて為す骨法」に適う「動的な骨格構造」
正面打起を執る教本二巻三巻に射技を記述諸師の技の理解と稽古
骨法
① 正確な中りを繰返し正確に再現する礎となる
② 身体力と弓力の適正を覚知し可能性をのばす
③ 意識を的から自己の本心におく行射を生む事
竹林坊如成師、高穎淑師、本多利実師、梅路見鸞師の射法射技の記述から
骨法の射が生み出す具体的内容と理解できます。
弓箭が有用な道具であった江戸期のこの骨法の射が
弓箭が無用な道具になった現代に於て、最も重視すべきは骨法が
詳細を続いて記します。骨法の定義について「骨法」に係る記載を参照願います。
正確な中りを再現する礎を生む事 の「骨法の理」について
① 射手に定まった唯一・定寸の矢束一杯の動的な骨格構造から
繰返し再現性のある正確な一定の弓力を生む事
② 唯一・定寸の矢束一杯に至る射手に備わた唯一の弦道が骨法に随って定る事
③ 繰返し同じ正確な離れの動的な骨格構造が骨法の射の理から体得される
と自覚される事
と理解しました。何故か!と問えば「射手の骨の長さは変わらない事で、矢束は数量の単位である」つまり、姿・形は骨が成す事。
未詳未熟な私ですが矢束一杯に入った時、時として感じます。当然、骨法の理からは射のその先の可能性が示唆されていると理解できます。又、このような観点から、「本は一つ」の筋道にある、身近な紀州竹林派吉見順正師「射法訓」などが道場に掲載されるのは当然の事と理解できます。
骨法の射が導く先にある「自然の理」
「射法八節の基にある骨法」は「自然の理が本になって創意工夫された射法」です。それ故「射は自然の理が顕れる」事が自然と云えます。
本多利実師が「射ぬ先から中外(アタリハズレ)の変化の理を予知する」と述べ「射は顕幽両途を貫通して一技を全備す」と明治22年に云われ、本多師に見鸞の号をいただいたと云われる梅路見鸞師は「自然合法の射」を表明し、禅の道の導法として射技を説いた、それ故、本は一つと云われるていると愚考します。同様に本多師より見鳳の号をいただいた阿波見鳳師は「無発の発、即ち未発先中」を説いています。
400年も前の弓箭が有用な時代に、すでに、竹林坊如成師と高穎淑師は「骨法の射法の本質に向かうよう、射の真実を説いていた事」に驚かされます。当然、それは弓箭を扱う技の持つ本質で「いつの時代にも、むしろ弓箭が無用にこそ」大切と云えます。 昨今を見れば、AIと制御装置の組合による意識そのものへの干渉し、価値観そのものを勝手に操作する文化社会の変革の時にこそ、「法」の有る「射の技の実践を通して自覚、意識を覚醒する精神世界」へ寄与すると思います。
以上、「射の項」初めを終わります。
私の射の風景
学生時代に弓を初めて手にしました。会社勤め時代は市の弓道協会で稽古し、全弓連以外、他の流派の射は学びませんので他流は不明ですが、本多流の方や日置印西岡山系譜の方とも稽古しました。
「強い弓を引かねば射の事は分りません。歳をとっても射場の一射は24,5kg、巻き藁は30㎏程度の弓が引けると良い」先ずは「教本の記述に”何故”と問いつつ学び、実践しなさい」と42歳の時に池田先生に云われました。今、その時の先生の歳を超え80歳を迎え、教本一巻に記述される「六分から六分二、三厘の弓」は引けると不詳未熟ですが自負し、稽古には六分~七分の弓を常に強弱三張り用意して稽古をするのが私の射の風景です。
「本は一つ」を尋ね「骨法」を探求すれば「弱い弓では骨法は分りません」 と云われる本多利実師、吉見順正師の始祖竹林坊如成師の示唆に至りました。また「流派の指導される人々で骨法を学び練磨するものは無いに近い」との本多師の断言に合い、「師を選びなさい」と云われるように、私は「弓術書を選び本は一つにつながる書」を「師」として稽古するのが私の射の風景です。具体的には「本多師と本多師と係る先哲の射の理」と「諸流派が掲載されている教本の執筆師で本多師に師事した神永師と高木師の具体的な技」を「師」として稽古を進めています。
稽古は常に「これら先哲の書の記述」に基ずいて、恣意を弄さな稽古の風景が基本です。それ故、志を同じくする弓友に常に見て戴く事を心掛けています。先哲の弓術書を手にして、弓友とは上下関係無く相互の射を評価、先哲の示唆を提示し弓友は相互に師であり学ぶ者で、「一つの本:正しい射法射技は骨法に適う射法八節」を心して学び、互いに問い掛け実践にて自由に意見交換する稽古が私の射の風景です。
「骨力を意識する」その懸け橋に「重力に抗して立つ脚力」を想起しています。50~70㎏の自分の体重を支えている両足の骨の力と骨格の動きを想う事。「骨力の持続力」は「叡山の千日回峰行を為せる力」は「堂射の名士の神業」と意識を共有して射を稽古するのが私の風景です。
今、20kg以上の弓を射こなす稽古をする人が稀で、20数kgの弓も生涯射こなさないで伝統の射法と称して射を伝承する現代の状況に疑問を抱いて長い歳月が過ぎています。「骨法」が示してきた400年の伝統の事実に随って、先哲が「24、5kgの弓は歳をとっても誰もが引ける事」云われる射を心に定め一射を為せば先哲の言葉は日々私の心に新で、其の事を先哲の言葉と共に書きしるす日常が、射を共に生活する私の風景です。
私の射の自画像は、竹林坊如成師の示唆を受け
①「自由に屈曲する骨格の中を貫通する骨力が、自然に直に働けるよう育てる」と骨法を理解しました。
② 射を為す意識の目は内なる骨力の方向性に向き、外から見える姿・形には向かず知覚するだけです。
③ 射の始から終りまで、弓弦を両上腕の骨力を主に、停滞途切れること無く連続して
両上腕の骨の向き(骨力の方向)に押し開き続ける意識だけで一射を尽くすこと
が私の「骨法」の理解であり、実践する射の目標とする自画像です。
骨の向きに一心に弓箭を押し広げる結果「表れる姿」が竹林坊如成師、高叔穎師、本多利実師が示唆する如く「八節の規矩に適う」事、「中り外れの変化のことわりを知覚する事」が日々の稽古の目標です。
「射の姿・結果は、八節を知る人は誰が見てもすぐに判る事」と先哲は云われます。それ故、率先して見て戴く心がけます。段や歳の上下、経験の長短など無いよう互いに心掛け、射の姿、稽古の姿勢は弓友の指摘又は映像で確認し「骨法を基に精査」する事を念頭に置いています。
「八節の規矩に適う」現在の主眼は、先哲諸師が云われる「正面打起の陥りやすい失」に以下の5項目に留意しています。具体的には
① 動的な正しい矢筋と骨格が一つになって在り
② 右手首に手繰りなく
③ 右肘が肩の後方骨節が尽きるところの矢束一杯の関節の技が働く八節の姿に成って、
④ 初めて胸の中筋から離れ、的中が生まれる事
⑤ 射行中の「正雑正邪を自覚」するのが今の私の行射の自画像になります。
過去の自画像を振返れば、其の始めの一頁目は「射法八節の姿かたちを真似て動作」で、以後、段も重ねた20数年間です。この間、十数㎏の弓で四苦八苦し、当たりも射もママ成らない40歳までの自画像です。梅路見鸞・阿波見鳳両師に学んだ池田先生に「意識を変えればできます」と云われ、その時から、竹林坊如成師の記述に気が付くまで更に数十年かかりました。「意識を変える事の難しさは誰もが知ること」です。「其の無自覚が射癖となって骨が歪んだ」と自覚するのに、池田先生の示唆を受けて更に20数年の歳月を要し、今も、苦しんでいます。もし「先哲が書に書きしるした様に、はじめに、射の姿・形が骨法から成る事を実践で指導を受ける稽古」であれば自画像は全く変わったと思うので、歳をとった今、その事を弓友に伝えながら稽古する姿勢が私の自画像です。
「射技の指針」は教本の神永師、高木師の具体的示唆によります。「射法の指針」は掲載する先哲諸師です。その先哲の示唆に随って教本二師の技を「骨法に随って読解き」六分~七分の弓で稽古するのが今の私の射の自画像と云えます。
「射」に「何故と問い掛け学ぶ稽古」は教本の記述からも覗え、尋ねられたら素直に伺い謙虚に応じる姿勢は本多利実師の記述を模範にしています。反対に「当たりと名声に基ずく指導の誤り」を本多師や高叔穎師はきっぱりと切り捨てていますので、この失が無き様心しています。先哲は「横着して恰好だけ真似て射当てる世界が蔓延る事」を警告し、その戒めを念頭に射に向かうのが今の自画像です。私の射の姿の問いには「筋力を主に弓箭を操作する意識から、骨力の方向性に留意・連続して弓を押し開く意識に180度変える事」を述べ、実践で見て戴く工夫をします。
具体的には、普通の身体、体力と普通の稽古で20数㎏の弓は射こなせ、30㎏ほども毎回の稽古で引く稽古を続けることで相応の弓を用いれば矢束一杯から離れる骨法の的中を歳をとっても感じられことを実践で試みて話します。又、身に付いた癖、意識の変換には更に長い歳月が必要でした。癖がついた身心でも「骨力を宗として骨法に則した射法八節を為す」と意識を変えて臨めば、古希を過ぎても「誰でも24,5㎏の弓が射こなせ、矢束一杯に引く事が骨法の的中」と先哲の示唆が理解できたと思うので、其の事もまた実践でお話しします。
歳を重ねて射こなせ無いのは「正しい射を身に着けていない」と断言された高穎淑師、本多利実師、梅路見鸞師の実践を心にとめて、教本に記載される「技」で教本に記述される「25kg程度弓力の弓」が正しく射こなせるか、弓友と射を稽古する楽しさも増します。実践して先哲の示唆を思うと、20数㎏の弓も射こなさないで「道」を唱え「技即道」を伝承しては日本の伝統の射は潰えてしまうと、繰り返し書に記述し警鐘を鳴らされた先哲の想いが、日々心をよぎります。「技即道」は私には「遠い道」です、まずは「骨法の理」を明解する書を開き日々学び、「骨法に適う自己の射の実践」を弓友と共に稽古を重ねているのが「私の射の自画像」です。
以上、まえがき。このHPは弓道を求めて師を尋ね、学ぶ立場で稽古する姿を綴ります。思いつくまま書き、内容は多数重複しています。
(注1・財団法人生弓会1976年発行「本多流始祖射法解説」掲載資料;戸倉章写)
(注2)明治42年大日本弓術会編本多利実師後述「弓術講義録」
(注3)「弓術講義録」は師没後、大正12年大日本弓道会編本多利実師講述「弓道講義」(国会図書館蔵)として再版されました。このHPは「弓道講義」を利用しました
(注4:的中、速さ、飛翔力、貫通力に関る ”中り、矢早、通心、遠矢、花形(射礼)”の五つの法度の事で六分~七分台の弓力で顕現される(注9))
(注5・「日本の弓術」オイゲン・ヘリゲル著柴田治三郎訳(岩波文庫)
(注6:昭和9年「武禅第一巻」)
(注7:本多利実師著「射法正規」、竹林派系「弓術書」、高穎淑師著「射学正宗」、梅路見鸞師著作、阿波見鳳師とオイゲンヘリゲル師関係著作)
(注8:高穎淑師著「射学正宗」、本多利実師著「射法正規」)
(注9:「尾州竹林派弓術書」及び「射学正宗」)
(注10:本多利実口述「中外論」大日本弓術会編『射道』大正2年;「本多流弓術書」財団法人生弓会刊行より)
はじめに
弓を手にして半世紀以上過ぎました。普段の健康と体力で家族とサラリーマン生活を営みつつ弓に親しみ、本多利実師著「射法正規」に記述される、誰もが扱える「普通の弓力:六分五厘(約30㎏)の弓」、日弓連 教本一巻(改訂版)に記載されている「六分数厘(25kg程度)の弓」の射こなしを目指しています。何故、誰もが25kg程度の弓を日常的に引かない、むしろ引け無くなってしまっているのか。何故、其の事に疑問を持たなくなっているのであろうか、と今は自問しています。それは「正しい技」を「正しく学び」、「正しく実践する事」で「正しい結果」に導びかれる「伝統の技の実践が育む身心の育成の現代的な意義」を問うことになります。
「伝統に示された正しい技」を問い学び「正しく実践する事」で必然的に「正しい結果に至る」伝統の事物には、「学ぶ心に創造の芽を育て自立を促す」とこのHPの「はじめに」の項で述べました。
しかしながら、伝統の技は全く反対の世界が生まれる事は歴史が示し、偉業を成した先哲は皆その書に指摘するところです。伝統を学ぶときに心すべきことは、横着して「かたかたちわざ」の表面だけ真似る癖が付きやい事実をはじめにこころしておく事です。それは欲望の世界のことです。射幸心と云う言葉には「法」を無視した当たりと姿・形と競争心が心の欲望が支配することと意識を広げれば、本多利実師が六道の病に「横着心」を加えられた想いを飛躍して自戒することができます。
弓に矢を番えて射る現象は「自然の理」の現われです。竹林坊如成師、高穎淑師、本多利実師、梅路見鸞師は文化・社会を包括して自然の理の射を示しています。射の自然の理論を学び「骨法に適う射法理論」を理解し、「正しい射技」を実践で体得する稽古を常に意識して修練せねばなりません。それは上述弓術書に在る25kg程度の弓が誰でも引けることに顕れます。「当たり必ずしも正射にあらず」と云われるように10数㎏の弱い弓で当てるだけでは骨法の射とは言えません。射形が崩れて25kg程度の弓を引いても骨法の規矩に適う射とは言えません。
骨法の射は25kg程度の弓は古希を過ぎても引けます、と先哲諸師は述べていますので、教本や本多師弓術書、伝統の和弓の射を為した達人、例えば射法訓を著した達人の弓力は誰もが引けるのは当然といえます。常時、25kg程度の弓が射こなせる上で10数㎏程度弓を扱うか否かは射手の自由です。時処状況に応じて己の価値観に随って為せばよい事です。
射の稽古にあたって意識する視点は、比較差別の結果にこだわるあまり姿・恰好ばかり固執し、何故、その形になるか「骨法に基づく技」を究明、理解、説明しない事で、系統的に射を修得する意志の芽を摘み取ることが無いか、と云う伝統の技の伝承の在り方に有ると云えます。
「伝統の正しい技」を理解し実践する事は「正しい技を学ぶ人の創造性と自立を促す事」になります。之は一つ伝統の技にかかわらず人の成長と発展の基本と思います。寧ろ、偉業の為した先哲各師は生涯学ぶ者ととして謙虚に心を開いています。射の筋道を開いた先師は皆、其の事をのべています。
可能性を求めて
只管ら「射法の理」を学び「射法の実践」に因り
創造の芽を育て、自立を促す事
弓を引く動作を「射」と云いますが、日本の射は「自然の理」に適う「骨法」が4,500年程前に創意工夫され、現代に続く「射法八節」があります。
「法」を無視して無闇に弓を引くのではなく
「自然の理」に適う「骨法」を究明して射に臨み
「正しい射」を心に行射する一射の正雑正邪を自得します
「知と実践の両輪を回し」射を修練します
伝統の技を築いた先人の「正法」を学び、先人の業績(飛・貫通力・中)を念頭に実践して去来する己の「正雑と正邪」に向き合い「正しい技」を自覚、修得する過程に創造性と自立の芽が生まれます。
「骨法の射法八節と射技」は先哲の偉業と弓術書に明らかで、新しい事はありません。先ずは「先哲の射が顕現する事実と真意の示唆」をリスペクトして行射するうちに顕れる心象と事象の中に、新しい自分があらわれます。それを素直に観て、謙虚に受け入れる修練をします。
「射の理と先師の実践」に謙虚に照らして、「正しい技:自然の理に則した骨法の射」を心に定め意識して行射します。しかし、実際に知覚されるのは「雑な技、雑な気持ち、邪な心」も伴います。寧ろ経験を重ねる分「雑と邪」が膨らむ気がします。先哲の云われる事は、「行射中に、この正雑に素直に向合い、これに捉われず射を為し、顕れる結果に謙虚に反省して次の行射に向けて、理解した思う骨法を見直し、次に為すべき稽古を心に決める修練を生涯続けます。弱い弓でああだこうだと探りながら形を直し、当たりをさぐりながら動作するモノなど射法に基ずく射ではありません。行射中にその失が生じない稽古と修練を生涯つづけます。
自身の想いと行射の事実は「射の自画像」に顕れ、「骨法」を無視する事無く自然の理に適う姿に至る筋道に沿う、人それぞれの「射の風景」が、時を重ねる事で生まれる創造的な伝統の技と学べます。
初心の稽古に顕れること
弓箭を扱う姿に「二つの姿が在る」事は弓箭を手にした時から顕れます。初めて弓を手にしてすぐに矢を弦にかけて射放つことはしません。
①先ずは矢を弦にかけずに、弓だけを骨法に随って(射法八節の姿を真似て)弓弦を押し広げます。これを素引きと云います。
②素引きの動作を大凡、身に付けたなら次に矢を番えて弓を押し広げ射放つ稽古を始めます。これを矢番え動作と云います。
実践してみると「素引きの動作」と「矢番え動作」は同じようにしているつもりでも、同じようには行きません。何故でしょうか。ここに「二つの姿」が顕れる分岐点があります。
その時に「学ぶ人と指導する人の間に「骨法」を通じて学ぶ意識が通ずるか否か」が「二つの姿を生み出す本」になります。それ故、本多利実師は指導者が骨法に適う射を学び、理解しているか、指導者の姿勢に向けて多くの警鐘をならしています。
指導する人が「骨法」等勉強してこなければ指導は表面の形ばかりになり学ぶ者は形を作る癖を育てます。「骨法」を学び、骨力で弓・弦を押し開く意識で弓箭を自然に働かし、「弓箭を扱う射手の姿」が「骨法の技」を積み重ね射法八節の姿に適う人の指導であれば、学ぶ人が「八節の規矩が、何故、そのような姿・わざ・規矩なのか」の「弓弦を押し開く動作の本を考える問い」に「骨法の理」に随って応え、骨法の理と実践の両輪を学びつつ「正しい射技」を実践稽古する姿勢が育ちます。「矢を番えて射を為す」稽古の始めに、此事を明らかにして指導するのが指導者の責務と高穎淑師、本多利実師は云われている事が判ります。
一概には言えませんが、生涯十数㎏の弓しか射こなせなければ「骨法」に適う「正しい射技」を修得していると云えません。骨法に適う射の姿は、骨法の理解が進み実践してその道理を自得すれるにつれて、弓力は上がり続けます。普通の体力の人であれば、「骨法」に適うその弓力は「骨法」を記載する「射法正規」や教本に記載される「普通の弓の強さ:20数㎏程度の弓力の弓を矢束一杯に射こなし」且つ「八節の規矩の筋道に適う又はその方向に在る姿があらわれる事」が目安になると理解できます。反対に「形に囚われ筋力を主に弓を操作する事が身に付いた熟達者」が、射に二つの姿が在る事を知っても、高穎淑師や本多利実師が下記に云うように、理解し実践する事はなかなかできません。
15間先の的前のアタリハズレではわからない事は、経験の少ない若い方が熟達者や高段指導者より良く当たる事を見ればわかります。その事実を何故か高段熟達者はたびたび云われます。「弓が照る、矢が鳥打になる」と云って、射形に意識が取られ筋力で弓箭を操作する癖を身に着け、次第に「弓弦を矢束一杯に押し開く」射の本分を見失います。弱い弓で形をなぞり始めますとこれから生涯抜けきれず「ああだこうだ」と人の数だけ癖のわざが生まれます。学ぶ人は射の姿を「あーだこーだ」と詮索しながら、筋力で弓を操作します。射は骨法の一つの技です、骨法の理に基ずく癖の修正が在る事は先哲の書から学べます。その前提は、意識を変える事にあります。
骨法の射か否か、唯一、見分けがつくのは射法八節の規矩に叶った射を為せる弓の強さといえます。アタリハズレが正射の絶対条件になら無いのは「中は技三、精神七」と弓にかかわらず、的狙いの飛び道具・武具に云われる事からもわかります。どの世界でも名人はいます。法が無ければその技は本人だけの素晴らしい成果と評価されるべきですが、伝承すべき伝統の技とはなりません。其の事を初心の方にお話すべき事も教える方の義務と思います
先哲の教えを基に「射」を考えるこのHPの手法に随って、以下に本多利実師と高穎淑師の示唆をここに取上げます。
本多利実講述「弓道講義」大正12年大日本弓道会編:国立国会図書館蔵(又は明治42年本多利実著「弓術講義録」)
「第一篇 総論、第二章修習の順序 第二節 素引」
「…つまり矢を番えて引くのと素引きとは大に具合が違うから、之を素引きのときと同様になるまで練習せねばなりません、それで矢をかけて引いても全く素引の通りに引ければ、規矩にもはづれず、姿勢も自然出来るのであります。…」
高穎師著「射学正宗」:廣道館発行「武経射学正宗同指迷集譯解」大日本武徳会弓道教士小澤瀇譯著 弁惑門序ヨリ
「年 力 未だ衰えず 而して 弓を引くこと満たざる(※矢束一杯に引け無い)者は乃ち 俗にいう毛病(癖)にして 力衰えるに非ざるなり 年老いて 力衰えて 弓引くこと満たざる(※矢束一杯に引け無い)者は 空引き(※素引き)も亦満たず(※矢束一杯に引け無ず) 的に対して矢を発つも亦満たざるなり 若し 毛病(※癖)を犯して満たざる者は 空引(※素引き)は即ち満ち 的に対して矢を発つ時は即ち満たす事能わず 此を毛病(癖)と為す 極めて去り難し 今の人 此の病に坐する者 最も多し」
(※)は弊意訳。
以下に全文を意訳します。
若く体力もあるのに矢束一杯に引けないのは力が無いからではなく、骨法の正しい技を理解し無いからです。熟達者が歳とって矢番え動作で矢束一杯に引け無い人は、正しい射技では無い癖の動作が身に染みて、弓が正しく引け無いのです。ですから癖がついては、素引き動作にも癖の動作が出て矢束一杯になりません。
骨法を知らず又は骨法を無視して形をなぞる癖の技をつけては、素引き動作は矢束一杯になったとしても、矢番え動作では矢束一杯になりまん。骨法の基本である「矢束一杯にして正確で再現性のある中りを生む射法射技」を修練せずに、「矢束一杯に引かないで当てる癖」は極めて治すことができない癖なのです。射を学ぶ人の最も多い病です。
(注:矢束一杯とは射手の持つ「寸法変化しない骨」がつくる「右肘関節が可動出来る一杯の骨格構造(関節技)に因る骨格の長さ寸法」で「繰返し正確に再現される弓と弦の巾の長さ(間隔)=矢に与える一定の力学的エネルギー量」を保証し「物理的数値による定義」であって、精神的な表現ではありません。骨格に基ずくので、その射手に与えられた生来「定まった、変化しない矢束」と理解できます)
射法八節は、「骨力」を主に連続して弓箭を押し広げる動作で現れた姿・形を、仮に八つの部分に分けて記述した外見を示した記述です。
それ故、射法八節の姿・形を知りなぞっても、中味の力が自然の理、骨法に随って正しく働いたとは言えません。中味が本なのは弓道に限らない事です。
八節の姿・外見が生まれる道理「姿→中味→骨力の働き→骨法」を理解せねば、弓と身体とを自然の理に則して働かせる事には役立ちません。
いつの時代にあっても、又歳をとっても、誰もが25㎏ほどの弓が引けるのは「骨法に適う動作→骨力で押し開く意識→八節の規矩に適う姿が顕れる」と理解できます。
「射は射て成る事と思い、骨法の然る所以を知らず。
故に、射る程 益々病い深く骨に入りて 終いに射の理に遠ざかるは哀れむべし」(注1)
染みついた意識、癖の技は無意識の骨と骨格に入り込むとは、歳取ればとるほどますます自覚されます。近代社会の夜明けの時に本多利実師が断言された事を再び思い起こします。
射学正宗の上巻「捷径門」の末尾に高穎淑師は
以下に意訳します様「正しい筆の使い方を学ぶ事を例に挙げ、射も同様」と説明
その心の惑いを中巻「弁惑門」に詳細に記しています。
「・・・正しい筆使いを稽古しようと志す者が、正しい筆遣いを理解して稽古して身に着ける努力を重ねず、横着して癖の筆づかいで事足り満足してしまえば、年寄りになっても正しい筆使いなどせず、癖の筆使いを生涯します。もし其の間違えを改めようと、”正しい筆遣いで書を書こうと実践すればかえって不自由を感ずるので、素直に直せない”のが人の性根・業です。弓を稽古するのも同じです。それで、初めて弓射る事を習う人は、横の脇道の入り口か本道の正しい入り口かの違いを知らなくては、正しい射の技を身に着ける事は出来ない事を知らねばならない。それで、上巻に続き中巻の弁惑門(これは総じて癖のある射てもたまたま中ることなどを、初めて弓を手にする初心者は知らないのでそのような癖の方法を真似して惑う心の事を明かにします)を立てました。」と云っております。
尾州竹林派弓術書本書第二巻~第五巻
本多利実師「射法正規」中巻
もまたその事を詳細かつ具体的に記述しています
先哲三師の指摘を念頭に「骨力」をもって弓を射る方法を創意工夫して発明した日置弾正師の「七道」・「射法八節の射技」は「誰もが25kg程の弓で矢を射れる動作である」ことに矛盾は感じません。反対に「弓術書にも載らない弱い弓で、筋力を使って射法八節の姿を真似て矢を射て15間先の紙的に当てて」も先哲が発明した和弓の伝統の技に随って矢が射れたと想うことはできません。寧ろ、竹林坊師が云われるように「輪廻の弓とて射を遂行させない、形に囚われ、離れらてない弓を学ぶ病」と理解できます。冒頭、阿波見鳳師のことばが思い起こされます。
「射法射技の本は一つ」と本多利実師が云われる背景は、矢を射る姿には筋力を主に使い弱い弓で八節の形を真似て美しく引いて紙の的に当てる「骨法の射とは異なる射に似た別の姿」が必ずあらわれ、その指導からは指導者の体感した射様と言葉が多数生まれます。学ぶ者は指導者が変われば射の内容は変わり、彷徨うことになります。高穎淑師、本多師は其の事を繰り返し述べています。
事実「六分~六分五厘(25kgほど)の弓は古希を過ぎても射こなせる」と云われる先哲の教えを実践されるひとは稀と、書に書かれ、云われる現代です。それ故、「本は一つ」と云われる先哲に学べば、射を学ぶ者は、弓箭を扱う姿に「二つの姿が在る」事をはじめに知って稽古に臨み注意せねばと理解できます。往々にして、結果に囚われ、評価に囚われ、比較差別の欲に囚われる事から興る事なのでしょう。
竹林坊師や本多師が「正しい射の技」を学ぶ欲求の本心に巣食う、欲望の心「横着心」と断罪しています。「心」は常に此の「正しい技を身に着けたいと云う欲求」と「比較差別の欲望からくる横着心」の間を彷徨います。「射」に限らず、伝統の文化や技を学ぶ時「うわべの姿ばかり真似るのでは無く、何故その姿なのか、その本質をとらえなさい」と常に云われる事です。
(注1・財団法人生弓会平成15年発行「本多流弓術書」より)
本多利実師の著作、また明の高穎淑師著作から知ることが出来る事
先哲が「実績で示した然るべき手順と弓力の弓を師」として
「自然の理に則した骨法の正しい技」を自得究明する稽古を重ねる事
昭和30年教本二巻初版本に神永師、高木師は「骨法」「骨力」を説いています。「八節の射法が骨法から成る事」は全弓連宇野会長が昭和41年月間弓道「日本弓道の理念」にも明言されています。本稿は中央講習会で当時の指導層に向けて開示されたことがわかりますので、八節が骨法から成る事、まず第一に指導者が理解されている事が前提になり、宇野師も又その理を学び、実践で自ら自得する事を示唆されたいます。
本多師、高穎淑師の「骨法」の加えて其始祖につながる弓術書によって「骨法とは何か、其の理を自ら学び考え」「具体的射技と規矩を正しく理解し正しい技を心描き」、骨法を説き実践する師に学び、両道の師無きときは、正しい骨法の技を具体的に意識して実践に臨み、「弓を師として」稽古する事。
呟き:少しでも強い弓を引くと、指導者から「弓二張りの肩入れできますか」といわれ「弓二張りの肩入れが出来る半分の力の弓が相当」の話を言われます。しかし教本には「いわれている」と記述が続きます。一体、誰がどのような根拠で云っているのでしょう?。「射法射技の基本」その第一の重要な記述にも拘らず、且つ、射は自然の理を現すとありながら、最も大事な手の内が現実ことなる等の矛盾について問い合わせても指導される方の説明はありませんし、指導者の実践もあまり見ません。教本の昭和28年初版本、昭和31年改訂版にはこの記述を見る事はできませんでした。併せて、射法八節の図解も無く、これらは、46年の再改定版に初版本の執筆師の四師没後に著されています。
相当な弓力は「射学正宗」や「射法正規」や「尾州竹林派弓術書」にも記述されています。これらの記述は「弓を握れない弓二張りではありません。実践と同じ弓一張りで方法も異なります」。15㎏程の弓を使われ、その二張りで肩入れを実践されている方にお会いしません。ましてや教本に記述されています20数kg程の弓二張りなどできる方にお会いしません。教本は多くの流派の指導者の技が記載されている事が優れている良い点と思います。「いわれている」の論拠は何にで、どの流派なのでしょうか。
初心の気持
どのような道具にも正しい使い方があります。でも、これを使うには必ず「正しい方法で使う姿」と「癖の姿」の二つが生まれます。一度癖がつくと、癖を直そうとすると不便を感じかえって癖使いを深め、それが身心に浸み付いてしまいます。特に、飛び道具を用いる射技は「アタリや段級争いの競争に心を歪められやすい」ので、初心の目には当たればと正しいと思い込んでこの病に陥りやすいのです。
偉人達人が発明した射の技と姿を見て弟子が真似ることは当然の事といえます。初心の方が競技選手の良くあてる勝者や、肩書の有る指導者の射を見て真似て学ぶ事も普通の事です。しかし、初めて弓を手にする方がそれが「正しい射」か「癖の間違った射」かは見分けがつきません。理解するにはい偉人達人が自然の理に叶った合理的な道理に沿った「法」を実践しながら勉強せねばなりませんと、先哲は云われます。
上述のように、飛び道具などの的狙いは、射幸心と云われるほど欲がカラミ、目が惑いますので射法の「法」を「犯す心の病」を先哲は指摘されます。「正しい射技を身に着ける」には団体組織によってそれぞれ仕組み・段級、称号があります。完成するまで「癖の射」も「正しい射」も入交、同じ段でも人によっていろいろな射の姿が見るのは誰もが経験する処と思います。それ故、先哲は「当たりは必ずしも正しい射ではありません」と明断し、正しい射とは何か勉強しなさいと明言しています。
射学正宗 中巻 弁惑門 序 高穎淑師の記述から
村河清譯
「・・・之まで弓を引きて、射中てる事など競争する人を見物するに、其の中に本道の射方に叶う者は百人に一人もみいださないのである。」
良く当てる人の「外見の姿を見て真似て、的狙いのアタリハズレの稽古に拘泥し、競射や集団の上下を競いあうだけの射」を繰返し稽古しても「骨法の理に叶い正しく中る射法八節」を身に着けることはできません、と高穎師と本多利実師はその著書に詳しく記述して、射を学ぶ方々に注意喚起しています。
中外論 本多利実師 大日本弓術会編「射道」 (本多流弓術書 生弓会発行)を読むと
「弱い弓で、大抵、矢束は取らず楽に引いて中りどころの呼吸を覚え器用に引いて実に良く当てる、娯楽的に考える方の射と云われています。正しい稽古をする人は矢束一杯に満月の様に弓を引きます。正しく射行出来ネバ中りません。それは道理に叶っている正しい射行と云われていると学べます。」
弓の習い始め、的に惑わされない(アタリハズレばかり気にしない)で、まずは自身の学ぶ心がまえに目(意識)を向ける事を教わります。「初心の方の射の理解」に係る此事は指導者の課題と云えます。実践稽古と共に「射法八節の姿を司る骨法」を学び「実と理の両厘」を回しながら修練する事といえます。書だけ読んでもわかりません、実践して読み返す事を生涯続けると事と今は思います。
武禅 梅路見鸞師 射法七要諦 一:正雑二念の平衡を保つ事
無闇やたらに形を真似て射ては「雑な技や癖」をつけるだけと、初心の時に心に定める事が大切と云われています。形をだけを意識する人は射行中に「あーだ・コーダと詮索して射をします」ので弓弦を押し広げる事をせずに形を探ります。弓・弦は常に縮みますから常に押し広げるのが弓と云う道具を用いる道理です。射行中に雑念が出てもそれを心に留め置き、決して押し開き続ける事が弓を使う基本の心・意識と先哲の示唆から学べます。
何故、射には射法と云う「法」が在るのか、骨法の「正しい技が成す射の姿・規矩」なのかに向き合い考え、その姿になる「理:ことわり」を学び身に着けねば、偉人達人と同様の射法に適う技を発揮したとは言えません。その違いを、本多利実師高穎淑、両師は「骨法」に則して具体的に記述しています。以後の多くの指導に両師の文言がたびたび現れますが「本は一つ」と本多師は云われ「射は一筋の大きな道がある」と高穎師は云われる事念頭に、自然の理に則した一筋の道:骨法に依拠して自身の心に問いかけ、指導される方は素直にして謙虚に応える事になります。
偉人達人とは「新弓術:現在の射法八節」のことわり「骨法の射」を発明した500年程前の日置弾正正次師と石堂竹林坊如成師です。
竹林坊如成師は「輪廻の弓と云って射形の迷う病が必ず生まれます」と述べておられます。この病にかかると生涯離れられず「終いに正しい射が行え無くなる(本多師の言葉をおかりすれば「故に、射る程 益々病い深く骨に入りて 終いに射の理に遠ざかる」)」と断じています。25~28㎏ほどの弓を用いたと云われる堂射で、一日で一万射を超える射を為した三十三間堂の指し矢の名人で「射法訓」を著した紀州竹林派祖師吉見順正師の始祖は竹林坊如成師であり、竹林坊師は本多利実師の始祖でもあります。
「射の技の本になる考え方」など初めて弓箭を学ぶ初心者には不明の事で、指導される方が「射の理=骨法」を説き、「然るべき弓力(六分から六分五厘程)の弓箭をもって実践で示し」、射を学ぶ者に代々伝え来ねば、今の私達には「骨法」など意識にも上りません。『先哲の発明した「射法八節の理:骨法の然る所以を先哲の実践した弓力で究明しなさい」究明せねば「姿は似ても、正しい日本の射法射技とは似て非なるモノ」になります』と、先哲諸師は主に流派を継ぎ指導される方々にむけて警鐘を鳴らすのは当然の事と理解できます。
日置弾正師や竹林坊如成師など流派の祖師が工夫をした祖師の「理」を学ばずに、流派を継ぐ二代目三代目の指導者たちが「祖師の発明した形だけを伝承したことで「射の文化は衰退」したと諸流派の指導者たちの無責任性を本多利実師は断罪しています。「射法射技の本は一つ」との警句は、江戸期に様々な流派が生まれながら「名と形」だけの衰退した射の世界となっていた時代に遭遇した本多利実師が、明治の時代に再び「射の道に陽を射した至言」と思います。今また江戸期のようなことが無き様の自戒して稽古する事と学びました。
(注※)本多利実述「弓道保存教授及び演説主意」戸倉章氏写 生弓会刊「本多流始祖射技解説」ヨリ)
本多利実師と「射法訓」を述べた吉見順正師の祖師竹林坊如成師が
①「弱は骨法不行き届き」と断じ
②「中と矢早」は「射形の真」、「矢業(飛・貫通力)」は「射の真実」の二つを共に修得せねば射は理解できない述べています。
加えて、先生の示唆がありました。
③「歳をとっても射場の一射は25kgほど、巻き藁では30kg程度の弓が引けると良いです」
「強い弓(六分数厘程度)を引かねば射の事はわかりません」先ずは教本等諸弓術書に「何故と問い掛け」学びなさい。
「意識を変えれば会得できます」と示唆を受けました。
④「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も」と本多師は「射法正規」で古歌を取上げて云われます。
何故「弱は骨法不行き届き」なのでしょうか。
この言葉「尾州竹林派弓術書の中学集」に記載されています。「弱」とは弱い弓の事で「中学集 : 第三 剛弱の事射形に限りて万事に有る義也」の項に記載されています。
初心者と技量の有る熟達者・指導者
本多利実師とその始祖 竹林坊如成師は射を学ぶ根本的な病の第一に「射形に迷う病」記載しています。この病は「弓力の強さ弱さに関係する姿・形に心が捉われる病」で「射法の理:骨法を無視する病」と警鐘を鳴らされていると理解できます。
現代の弓術書は誰が見てもすぐわかる病「初心者や技量の無い人が骨法など学ばず、身に余る強い弓で射形を崩して射る病」には「初心者や技量の無い人」と必ず記載しています。では「初心者では無い、技量のある高段熟達者」はいかにすべきなのでしょうか。
見て判らない心の病「骨法を無視して弱い弓で八節の形をなぞり美しく引いて当てる心の病」について記載する書は竹林派弓術書の他にはまずありません。何故でしょうか。
「誰もが年老いても20数㎏の弓は引けます」との先哲の示唆からは、強い弓、剛弓などは35、40㎏以上の話と理解できます。
すこしでも強い弓を射こなす事を心に定めて射を行う事
先哲は弱い弓で「骨法」を無視して当てる病をむしろ厳しく注意し、すこしでも強い弓を射こなす事を心に定めて行う事を示唆しています。一方で「骨法を知るには弱い弓から始めて、少しずつ強い弓に」して「生涯剛き求める稽古」を継続して「骨法の射法」に則って常に向上していかねばならないと示唆され、それ以外に無いと述べています。
「力が無いから」と理由を述べた瞬間に「骨法」を理解していない事を自ら明らかにされたと、学べます。
「骨力」など初めて弓を手にした時、私は耳にしませんでした。竹林派弓術書の冒頭の「序」に「生まれ持った骨力考えて射を為す」とのべ、明の「射学正宗」も「骨力をもって射を為す」と同様の記載があります。勿論、教本にも「骨力」という言葉は出てきます。
「骨力」と「骨法」
「骨力」の凄さをイメージする
「骨力」をイメージするために、私の射の風景では「骨力は立った姿の足腰の力、両足の骨力は体重を支えます。弓の弓力30㎏程は全く問題になりません」と話しています。「筋力はエキスパンダを開く力」と例えて話します。骨の力は叡山の千日回峰行の行者さんのことを思い描きます。一日中30㎞程の山道を3年間も休みなく修行することを可能にするのが「骨力」と思います。そのように想像すれば「25,6㎏ほどの弓を一日万射以上引きこなす堂射」の偉業も納得されます。骨力を基礎に置いた「射法八節」は無限の可能性を引き出す稀有な日本の伝統のわざと思います。
意識を180度変えて:射の自画像
先哲をリスペクトし意識を変え、教本と教本に記述されている六分(22,3㎏)の弓を手にして数十年を経た今、私の「射法の視点」と「実践する動作する意識」は180度変化をしつつ、射の稽古をするたびに、日々、新たな発見があります。今の射の自画像であります。
ひとたび20数㎏の弓を射こなせば、稽古と共に弓力は増し、又10数㎏は骨力を主に射こなせ、下手ではありますが、筋力が衰えつつある今、時所状況に応じた相応の弓を扱えると自覚します。振返れば、筋力を主に10数㎏の弓だけしか引かずに、たまには当り・段も進めば「法」に適った射と意識することも疑う事も無く、先哲が云うが如く矢束も取らず緩んであてている自分がいると回顧されます。
「射は射て成る事と思い、骨法の然る所以を知らず」と云われる本多利実師は指導する者の責任を第一に指摘しています。本多師著「弓術講義録」と合わせ読めば、指導は「骨法」とは何かを明らかにして学ぶ人に説明され、弓の強弱をもって伝統の事実にそくして実践指導する事と理解できます。
「何故と問いつつ学ぶ事」を教本も示唆しています。射を成すには教本をはじめ諸弓術書を紐解いて学び、今より少し強い弓を稽古に加え、強弱共に射こなす努力を継続することと学べます。そこに何故と問い掛ければ「一つの本」に至ります。射法射技の全ては、先哲の弓術書に明解です。
2024年9月9日改訂 風姿浩茂
「繰返し正確に的中させる射法射技」のことわりを為す「自然の理=骨法」
体内にある「寸法変化しない骨」を用いる射法「骨法」
柔軟に可動する骨格を「常に同じ長さの矢束一杯」の「可動限界から矢を射放つ骨格構造の動的メカニズム」をなす
「自然の理=骨法」からなる射法八節の技
それ故、竹林坊如成師は「射手に唯一無二の弦道を行って、射手に備わった同じ長さの矢束一杯の骨格が伸び続け、胸を楔として離れる」といわれ、本多利実師は「矢を射放つ以前に中り外れの変化の理(ことわり)を予知する事が出来る」と云われる「骨法」は「自然の理」から理解できます。
自然の理をあらわす「射法八節」の基本:「骨法」
射は一技です。故に、射の伝承にあたっては骨法の理解に努め骨法に随って射法八節の射技を学び、是を説き先哲の示唆する弓力の弓を用いて実践して体得し示さねば伝統は潰えます
近代の先哲が記述された警鐘と理解できます。
「骨法」や「骨力」は教本にも出てきます。月間弓道の解説にも「射法八節は骨法に従う」と説いています。石堂竹林坊如成師に係る「尾州竹林派弓術書」も月間弓道に連載されましたので誰もが知るところと思います。
射学正宗の事
明の時代に高穎淑師が著した「射学正宗」も「骨法」に関し具体的に記載されます。日本の諸流派に大きな影響を与え「骨法」の道理やその技法と言葉が使用されています。技法のみならず精神の事や道具の事など射全般に論理的に展開されていますので本多利実師は「射法正規」でその重要性説いておられます。戦前にいくつか翻訳が出版されました。この翻訳に関連して月間弓道にも連載されました。
「射学正宗」は骨法を理解する上で基本の弓術書としとてこのHPに多く取り上げます。
高穎淑師の云う骨法
弓の強弱を以て骨法を学ぶ事
先哲諸師が「あたりは必ずしも正射では無い」高穎師は「競射で当りにとらわれた射に、理に適う射は百に一つと無い」と断言しています「当りの多寡や、名声をもって正射を談じては、初学の人を迷い道に誘う」と「射学正宗」に記述されています。本多利実師が「弓を射ん事思い、命中を思う勿れ」といわれ「極めて弱き弓にて射たのでは仮に中りても詮なき事」と述べられています。現代弓道が的中至上主義では無いのであれば、誰もが普通に射こなせるという25数kg程度の弓で「射法八節の規矩に適って日常的に射こなせるか否か」を自他に問う方法が誰が見てもその姿形が射法の規矩に適うか否かはよくわかり「骨法に随った正しい筋みちに適う射か否か自覚しやすい」と学べます。その上で竹林坊如成師・本多利実師・梅路見鸞師が言われる「中り」とは何かを問います。「骨法の射は離れる以前に中外(アタリハズレ)の変化の理を予知する行射である事を心して実践に臨む事」を要件に加えて「射の正否を行射の中で自身で覚知する事」が弓箭が無用の現代の射の稽古の風景と理解できます。
弓を手にして一年程で「骨法」を知る事
既に弱い弓で形をなぞる癖が身に付いては、この道は遠い事と思われますが、高穎師も本多師も「正しい指導を受ければ、弓を始めて半年から一年で知ることができます」と述べています。
「骨法」の理解に努め稽古を繰返せば、そこには自然の理に順う一筋の道「中る射に至る筋道の技」がある事を知り、射形を気にしたり当たりハズレの結果にとらわれて あれこれ技を探る迷い道に入る事は無いと学べます。それが高穎師「射学正宗」と本多師「射法正規」の云う「正しい射の道に入る門を叩く事」と理解できます。
”当りの多寡”で見るより「扱える弓の強弱」で日々の稽古の正雑を自覚する稽古は「正しい技を身につける稽古:骨法の修練」に正しく進んでいるか否を弓箭が教えると理解できます。
弱い弓で八節の形をなぞり動作する意識から、弓と弦を骨法の理に随って押し開く動作に意識を180度変えて事になります。
意識を変える事程難しい事はありません。弓箭はそれを射手に問います。
では弓箭は何を具体的に教えるのでしょうか。
竹林派弓術書の序には「骨力を知って動作すれば、射行中に弓弦から受ける力が連続して増大し、力の方向も連続して変わり、作用点も連続して変わることにで、射手は己の身体に生じたバランスの変化(諸関節の剛弱の変化)を自分で知覚できますので、次に一射にはこれに対応する稽古を重ねて直す事が出来るので,自然と射形もよくなり矢わざも中りも出来ます」とあります。
吉見順正師の「射法訓」は竹林派の祖師の教えと深く結びついている事を知れば、竹林坊如成師が「射の真実は矢業にある」と学べ「射法訓」の云われる射法射技の始めの実践稽古に於て弓の強弱をもって稽古する大切さがわかります。其の事が尾州竹林派弓術書の中の「中学集」に記載されています。矢業は飛距離、飛翔性、貫通力の事で弓の強さにかかわります。
射法八節の「骨法の筋道を学び続けているいる方」なら、弓の強弱を以て稽古すれば、良導の師が居られない時でも、日々の射に現れる外見の姿・形の正雑や良し悪しが「骨法の理」に沿って自他共に具体的にしてしあい判ります。加えて、志を同じくする弓友は、直にその正邪も見定める事ができ、射手自身も又、覚知する事ができます。その事は先哲諸師が皆書き記し、高穎師が「射学正宗」に具体的事例を挙げて詳細に述べておられます。それ故、謙虚、素直が大切とどの弓術書も必ずいわれていると学べます。
唯、一つ述べる事があります。「年老いては決して強弓(ゴウキュウ)は扱わない事」と本多師の示唆を心せば、歳を重ねた今、本多師が”強い弓”と云われる30数㎏”以上は私には素引きもママならない強弓(ゴウキュウ)です。伊勢貞丈師や本多師の云われる強弓(ゴウキュウ)とは40㎏、50㎏などを云うのでしょう。「初心者や技量無い人」と云われるのは「技量と引ける弓の強さは相対的な事」で、技量の無い人は20kg程度の弓を強弓と云われます。
このHPでは「骨法」を ”力学の手法・ベクトルで理解”につとめます。
「骨力に従って身体と弓箭が連動する一連の射行の姿」を八つの部分に分けて著したのが「射法八節の姿・規矩・型・形」です
その本になるの「骨法」の理解に、専門ではありませんが、初歩のベクトルを考え方を射技に適用して理解する事をみます。
「射は意と力の着くする所に従って其の強弱を生ずる」と云われる先哲の示唆を念頭に
剛弱点にベクトルの三要素を充て為すべき具体的射技を心に定めて稽古し
射場の一射に去来する射の姿と心の姿・風景を徒然なるままに射の自画像に書きおろします
徒然なるままに書き出しペイジごとに区切りました。重複する記事、転写しアチラコチラに嵌込文・言葉が多々あります。
私の射の風景
①本多師に師事された正面打起を伝える教本執筆師(主に本多利実師社会人系譜神永師)の射技が基本です
②本多利実師、梅路見鸞師・阿波見鳳師の射法の要諦から教本執筆師の技を考え・動作を具体化
③実践で稽古すべき意識する具体的動作が、射法訓の本・尾州竹林派弓術書の「骨法の理と矛盾が無いか」か意識を定め稽古に臨み
④力の向き(ベクトルの方向性)の連続性に随い、過去身を自覚して今なすべき現在身の正雑・正邪を覚知してとらわれず一射を尽くす事を信念に
⑤竹林坊如成師、本多利実師の示唆に常に剛き事を心して稽古することで事象と心象を知覚して相応の弓を自覚する事。
⑥伝統の事実に随い、古の先人が普通に用い、教本や他の弓術書、射法訓に係る堂射に用いられる六分数厘の弓を矢束一杯に射こなす目標に向かって
はじめは20㎏前後の弓で稽古し、次第に六分、六分五厘、七分で稽古する事
⑦射ぬ前に中り外れの理を自覚できる一射を行じる事
射技に関する先哲の示唆で今取上げている事
①竹林坊如成師、本多利実師、神永師が「弓手中指の先の事」について示唆し、
②尾州竹林派弓術書が示す「弦搦が、弦と右肘を直につなげ、射手に唯一の弦道を定め、引かぬ矢束至り真の矢束から胸の中筋から離れる」と示唆し
③梅路見鸞師が「筋肉を自然に働かし且つ弓箭を自然に働かせる要諦」を示唆し、
④阿波見鳳師が「両拳だけ力を使い、あとは出来るだけ力を使わないよう」と示唆し
⑤池田先生が「一意到底の射」を云われれば、
私の射の風景は、
構えたら最後、骨法の定義に随う過去身から上腕の骨の向きに一途に弓・弦を押し広げる一念から矢が自然に射放たれることで射法八節が顕れる射
新しい技等は何もありません。教本をはじめ諸弓術書を紐解いて学び、そこに何故と問い掛ければ「一つの本」に至ります。
射法射技の全ては、先哲の弓術書に明解です。
2024年9月9日改訂 風姿浩茂
手にする弓の強弱
「射法訓」を述べた吉見順正師の始祖石堂竹林坊如成師の「竹林派弓術書」は「強弱共に稽古し修練を重ねて相応の弓を自覚する事」と学べます。
竹林派弓術書には繰矢の七分半の弓の記事があります。弱い弓から始め、骨法を学び骨法の理解に連れてより強い弓を常に求めて稽古する事で、骨法に随って強い弓強い弓へと修練する事を否定する理由は無いと理解できます。
竹林派弓術を継承し、正面打起射法を現代弓道に据え正面打起を執る教本執筆者を指導された本多利実師は著書「射法正規」で六分5厘(約28~30kg)を普通の強さ弓と述べています。本多利実師著「弓術講義録」「弓道講義」にも「剛無理:強い事には理無し、弓は成るだけ強弱の中にも強き事を大切に」の記述があります。
出雲派雪荷道雪は要前が主と理解します。弓と矢の相性を述べています。その弓は六分五厘から七分五厘の弓の記事があります。また六分の弓の効果の記事が見られます。
出雲派印西は斜面要前と理解します。弓と矢の相性を述べています。六分と七分の弓ついて記事があります。
印西派岡山系譜は六分の弓二挺を肩入れできれば其一挺は充分射こなす、すなわち射手の全力の二分の一と述べています。
相応の弓には離れの条件が付いています。この系譜は虎口、掌根、彀など「射学正宗」と同じ語句を用いて射を説いていると思えます。肩入れは素引きの記述から斜面の方式と理解します。例として六分(約22-23kg)の弓二張り(46kg)を掲載しています。それ故、この流派では六分の弓一張り23㎏程度が普通の弓と類推されます。
射学正宗は明時代高穎淑の骨法を射を記述した弓術書で日本の弓術と大きく関係しています。
基本は「強弱共に稽古して自得する事」と理解できます。
例として特に「臂の力が強い人」をあげ、「素引き百斤(約60kg)で彀まで入れば矢番えでは50斤(約30kg)を使う」と記述し、まだ半分力が残っているのでこれを出す事よりは出さない方を良しとすると理解できます。
素引きは弓一張りで行います。
この書には十斤から百斤まで記述があり、初心者は30数斤(約20kg)を使い徐々に弓力を上げるとあります。
小笠原流は手元の書からは弓力が不明ですが、小笠原流の教本執筆師は「六分の弓は弱弓」と述べている事から六分数厘以上が想定されます。
教本一巻には二か所に記述されています。
「弓二張りの肩入れの出来る二分の一が適当な弓力と云われている」と、紹介にとどまる記述と
「約六分22~23㎏の弓を普通に上に六分三厘、下に五分八厘」と範囲を示し「大凡20kg~27,8㎏を対象に弓矢弦を説明」記述から成ります。
五分八厘未満は教本記述にも見られず、初心者以外は対象外と思えます。
教本は各流派の射法射技を取り上げていますのでその事を考慮した「云われている」との紹介と理解しました。
浅学の身で考察すれば、上記斜面打起印西岡山系譜の方法と同様で斜面の方法と類推されます。
「射学正宗」と似ていますが、「射学正宗」は弓一張りの素引きで手の内が調いますので射法と合致し合理的です。弓二張りは実践して試みると手の内は定まらず、正面ではかなり難しいと感じます。また弓力に係る他の日置流各流派の記述を併せて判断すると教本ではもう一つの記述・大凡20kg~27,8㎏が妥当と私は思います。
強い弓を手にすると指導者は「常に弓二張り」の事を持ち出します。その時「云われている」と記述された其の真意の説明は全くありませんし実践の教示もありません。初心者や骨法の技量の無い方にとっては弓二張りはとても出来ない例をみます。実際、斜面に比べ正面では更に難しい事はすぐにわかります。結果、弓力は落ちる方向にのみ進むと思われ、常に強い事を指向して学びなさい等先哲の示唆とは反対に、学ぶ者の意欲、可能性を削ぎ取ると思います。
他流派に二張りの記述等無い点から印西岡山系譜の方法と仮定して述べます。この流派の弓術書の実例は六分で、教本も六分は範囲の真ん中の強さでありますから一張りとして強さは妥当ですが、二張りの弓を以て約46kgの素引きを為す事になります。弓一張りでも困難と思えますが、弓二張りを以て指導者は普通に矢束一杯に引く事は可能なのでしょうか。私の経験では無理です。今現在、七分35㎏程度は肩入れできますが七分二厘ほどは無理です。
また、この流派は射術に射学正宗の言葉の引用がよく見られます。「二分の一」の数値は射学正宗と同じですが、射で最も肝心な手の内が実践とは異なります。又、この流派では「骨法の射の要」になる『胸の中筋に離れに係る「匀法」は初心者の技』との記載もあります。
射法射技の基本の最初にある言詮「云われている」なので、教本二巻三巻の諸流派射法全体から一巻を検証して実践で示される事と愚考します。
「射法訓」を述べた吉見順正師と同時期の星野勘左衛門師の推定25kg~28㎏を弓(下鉾を少し詰めた弓)を一昼夜10000射の堂射を為したことを尾州竹林派系譜魚住範士が述べています。
以上の事から、誰でも扱える骨法の射が可能とする弓は、日々の修練は大凡20kgから30㎏弱程度の弓で稽古する事が「射法射技の本は一つ」に適うと理解できます。そのうえで時処状況に応じて自己相応の弓を選定する事と理解できます。
私の射の風景は、40歳ごろから六分の弓を手にし下手ではありますが80歳に近くになっても六分数厘は引けますので、教本に随い教本の示唆する弓力を手に稽古する事は誰でも出来る事で 先哲の云われる事の通りと実感します。今の自画像で云えば今は20~23㎏ほどが弓を若干弱いと感じるので扱いやすい処で、稽古は強弱と中の弓力三張りを用意して稽古を楽しみます。
《自然の理:射のことわり(理)》
矢は重力に抗し且つ風を切って飛びます。弓を手にする意識は矢を遠くに早く狙ったところに繰返し正確に力を使わず動作出来る事です。
先ずは、私たちは重力抗して大地に立ち、体勢を維持した発射台:射手の縦軸を確と定めねば矢の方向を定める事はできません。大地に立ち、重力に抗して射手の体重を支えるのは足の骨と胴体の骨です。重力に抗して正しく立ち続ける事が縦軸の規矩になります。その規矩は何かを骨法に適って考えます。
道具の弓はいつも縮もうとします。弓を押し開いた射手は上腕の骨でこれを受けます。会の姿を思い浮かべれば明白です、筋力は次です。先ずは骨で筋骨から成る骨格で弓・弦を肩根から上腕の方向に押し広げます。弓力に抗して縦軸の胸の中筋から両上腕の方向に弓弦を開きつ続ける事が横軸の規矩になります。その規矩は何かを骨法に適って考えます。
横軸と縦軸を結ぶのが「肩・背骨・腰」で為す胴体の骨格でこの中を「骨力」が上下に伸び、胸の中筋から両肩根に向かって左右に伸びてていくと理解できます。射法で云えば縦軸と横軸で的前射法で云えば動的な縦横十文字と云えます。「動的」というもは、骨で押し広げられた弓は常に縮み、また、意識しない重力も射手を大地に押し沈めます。ですから、地球上で弓で矢を射るには射手の骨力は常に上下左右に伸び広がる事が自然の理です。それ故、射法の規矩は動的、乃至動態と意識する事が自然・骨法の理と云えます。
骨は変化しませんが、射手が弓と弦を押し、弓が開けば縮みますので、射手と弓の二つの力と拮抗して関節部分が押しつぶされます。加えて、関節で前後の骨がズレ・捻じれ・モーメントが起こり、姿勢が崩れば反射的かつ無意識に筋力を使いますので「剛弱」を感じます。この事象と心象の変化を射を成している瞬間に、むしろ同時に知覚します。その感度は「骨法」の精度と「竹林派弓術書」からまなべます。
関節点での弓と射手の二つの力は圧縮力です、この圧縮力に抗して射手の骨格が伸びる事に因って離れが生じる事が自然の理です。射法では横軸上にあり、その規矩は何か考える事になりますを。基本は横軸は圧縮される関節が自在に伸びて離れを起こさなければなりません。伸びる事は射の始めから終わりまで連続している事で、止まれば新たな力を出しその瞬間に力を感じます。その力の連続性は基は骨力をイメージしなければなりません。大地に立つ足の骨力と同様に、両腕にあって働きます。30-40㎏などは悠に受けるしょう。弛んだり停滞したりしては正常に骨力は働きません。射の自画像で云えば両肩根から上腕骨の方向(力のベクトルの方向)に骨力を直に押し広げる続ける事を第一に射を成す事になります。最も注意すべきは八節のふし節です。ここで力のベクトルの方向性が変わっては連続性は途絶え、方向を変える新たな力をだし、弓の強さを感じてしまいます。
《二つの姿》
射法八節と云っている姿には二つの姿が在ります。一つは骨力を主体に動作して顕れる射法八節に適う姿で、もう一つは筋力を主体に射法八節をなぞって真似る姿です。これは射の世界だけでなく「型形技」の総てにいえる事で、特に伝統の事物にいえることと前置きして射の話をすすめます。
重力以外すべての力は変化し連続しています。射の目的にそって合理的に工夫した動作は、「射手と弓箭と重力」の見えない三つ力の動態のことわりを「骨法」という「法」で記述しましたので、弓を手にするヒト誰にでも伝えられます。前述しましたように「自然の理」に基ずく「力の関係」ですから私達の意識、無意識の中に内在しますので共用されます。十文字などの用語を用いれば「骨力」は力学的な力線に代替されます。ニュートンよりはるか以前ですこぶる合理的と愚考します。
日置弾正師が工夫した七道は自然の理に適って弓を射る「骨法」による射の動作ですから、射法八節を学ぶ人は、先ず、目に見えない「骨力」を第一に意識し、その事を心に明記して射の動作を成す事と学べます。「骨法」に適った正しい動作の結果・現れた姿を「断続的に静的に姿を書き記し著した」のが日本では「七道」現在の「八節」の射法であり、明では「五法」です。
この姿を真似て動作をしても「骨力の骨法」は現れません。全く異質のモノで、骨法の射とはなりません。静的に記述された八節射法の姿は骨法の動作の結果で 結果を真似ても意味は無く、結果到る動作は何かを理解して動作する現在身、動作する自分自身の現在心が意味ある事です。それ故第一に「見えない骨力」を意識して動作し、顕れた姿が射法八節の規矩に適うかは次の事になります。
先哲は、良き師に付けば、ひと月で骨法を知る云われ、正しい筋道の門に入れば半年から一年で20kg前後の弓が引けると示唆されています。射法八節を真似して動作をするのは「初めて弓を手にした時」だけで、直ちに、骨力の正しい使い方を学び射法八節の意味:中味を学ぶ事と先哲の示唆から理解できます。
「正しい技の道に入る入口・門を考えなさい」「良き師を選びなさい」と先哲が云われるのは、つまり「弓を射るには射法八節という骨法がある」事を知ったなら直ちに骨法の中味を指導し、実践にて指導される事が大切と理解できます。骨法に則った射、骨法を知らない射、骨法を知って無視しした射、稽古に意識で現れる射の姿かたちは変わります。それを指導される方は「骨法」にそくしてその正雑・正邪を指摘します。それ故、学ぶ者は一射の顕れた姿を謙虚にみて、骨法に基ずて素直に見直さねばなりません。その見直し正す筋道は一つです。本多利実師と梅路見鸞師が言われる「射法射技の本は一つ」の示唆からは何流何流など、流派の祖師が発明した骨法を理を深く究めずに、形と認可ばかりに拘泥して教える事を糾弾されています。「骨法」によりいかに正しく学ぶかを詳しく記載したのが竹林坊如成師と高穎師の弓術書がはじめで近年では本多利実師が正面打起射法をもって再興されたと浅学の私は思います、それ故、先哲師の示唆により先ずは其の中味を勉強し、実践して自得する事と学べます。
先哲は「正しい技」意識して学ぶ人の心の姿の課題を具体的かつ詳細に記述しています、むしろこの課題の方が射の道には大きな課題といえます。先哲の書の主点はここにあると理解できます。
《骨法の定義》
浅学の私には骨法の定義は竹林派弓術書が明解と思います。他の書は不明と愚考します。骨格の中を走る骨力の状態を「直」にと竹林坊師は定義しました。又、「曲がれる骨おばその理にしたがい直になるように育てる事」つまり、骨格を整える在り方は「骨力」が「直」に伝わるよう意識して動作しなさいと理解できます。これ一つです。
『「直」とは「骨力」が無駄なく弓に伝わる事』と「弓力が無駄なく集まる事:つまり射手の一点に集まる事」と理解できます。「直」は見えない「線」で「線画→」として意識にうつります。数学的には見えない点・線と同じで、力学的にはベクトルを想定できます。
『曲がれる骨おばその理に従い「直」にする』とは関節の事と理解しました。ここは関節を点と意識して、関節点を通る接線方向の「骨力」と「弓力」が「直」に成る様にすると理解します。
関節が自在に動く事は、人が身体と道具を使うことが出来る基本です。五感に伴う動作のもとは関節の自在性と限界性があったのでしょう。限界性とは膝関節を考えればよいと思います。
射の動作は、射手の身体から生み出される骨力と、弓と重力からくる圧縮力が自在に動く関節点で拮抗しますが、それらが力学的に正しく;すなわち「直」に通ずる事が「骨法に適う事」ですが、骨格の「骨力→関節←骨力」を貫通する「→骨力←」が断節したり、捻じれを生みます。「直に育てる」とはこの捻じれ、モーメントを生じない様に弓弦を押し広げる事です。
「限界性」の言詮はありませんが、竹林派弓術書の「楔」や「弦搦の技」が想定されます。
弓の復元力は連続です、途切れません。それ故、射手が応ずる「骨力」は動態の性質であって、連続して「直」に弓と弦に押し続ける(※)事が「射の理」と理解出来ます。その時の射手の意識・精神性は「押し開き続ける一意を尽くす事」成ると学べます。
その一つの動作に意識が集中すれば、現在身の総ての変化が瞬時に知覚されやすいと考えます。つまり「直」でない骨力の状態は反射的に筋力が働き、修練の程度の従い知覚され、変化を予知する状態が平行して無意識にあるいは意識的動作がなされると理解されます。[(※)の部分はこのHPでは力学的ベクトルで考え、力点、作用点の支点、骨力の大きさ、骨力方向性の三要素の連続性を考えます]
全ての「力」、骨力も筋力を自分では見えません、自身では感じる事です。その骨力と筋力が外見・姿・射の姿を表わします。前者は心象の内にあり後者は的を含む事象とすれば、事象と心象の乖離が悩みとなり病になります。それが「六道の病:射形に迷い苦しむ病」で治療は「骨法」があたり、薬は「骨法の定義」を理解する事と愚考します。
《骨法の射の理》以上
参考資料
「射」の項全体にわたって出てきます参考資料を一括してここに記載しておきます。
「武経射学入門正宗」:昭和2年7月25日発行、小澤 瀇 著兼発行
「武経射学正宗同指迷集譯解」:昭和2年7月 廣道館発行、小澤著
「武経射学正宗詳解」昭和5年 村河清 著 内外出版印刷株式会社 発行
「武経射学正宗解説」昭和5年村河清詳解の解説、仲 和良著:日弓連発行”月刊弓道”(611~633号)連載
以上を「射学正宗」と述べる事もあります
「尾州竹林派弓術書」:財団法人生弓会蔵版 国立国会図書館蔵
:「本多流始祖射技解説」財団法人生弓会1976年出版にも収録有
「尾州竹林流”四巻の書”講義」:全日本弓道連盟発行”月刊弓道”(434~472号)連載
以上二つの資料をこのHPでは「竹林派弓術書」と述べる事もあります。二つの資料には注釈もあり竹林坊如成師の言葉の範囲が不明なので、
竹林派弓術の論理に矛盾が無ければ「竹林坊如成師」と記述する場合もあります。
「日置流竹林派伝書 その一」 入江康平編 弓道資料第二巻
「日置流射法 稲垣源四郎」:現代弓道講座、 雄山閣
「第二部 日置流射法・射様・伝承流儀・系譜」: 記念誌
「日置流道雪派 射法」:現代弓道講座、 雄山閣
「日置流道雪派 六十五ヶ条講述抄」:全日本弓道連盟発行”月刊弓道”(419号~)連載
「小笠原流弓道伝書 その一」 入江康平編 弓道資料第四巻
「小笠原流歩射」:現代弓道講座、 雄山閣
「大和流弓道伝書」 入江康平編 弓道資料第十巻
「橘家蟇目之大事」 長谷川如是閑 コレクション
「橘家蟇目口伝 全」
「橘家蟇目秘伝」
「風姿花伝書」
「本多流弓術書」:平成15年8月23日財団法人生弓会発行
この書には本多師の多くの著作が載せられております。
「弓道保存教授及び演説主意」:「本多流始祖射技解説」にも収録されています。
「射法正規」
「中外論」
「射の修業と精神の迷い」
「弦音について」
そのほか多数の本多利実師の著作から抜粋されています
また江戸期の多数の弓術書の本多利実師の註解が記述されています.
「本書」、「竹林派射学本書五巻註解」
「射法輯要」「竹林派射法輯要註解」 そのほか竹林派の弓術書と註解が
多数抜粋されております。
「弓術講義録」本多利実講述:明治42年大日本弓術会
「弓道講義」本多利実講述:大日本弓道会編(1923年)国立国会図書館蔵
明治42年大日本弓術会編「弓術講義録」と同じと思われます。
「武禅」「顕正射道儀」:昭和9年~昭和11年 発行所 梅路武禅道場
「無影心月射義」:梅路見鸞
「弓道教本第一巻」:昭和28年8月1日版日本弓道連盟発行
「弓道教本第一巻」:昭和56年9月1日版全日本弓道連盟発行
このHPでは「弓道教本」「教本」「教本一巻」と記述する事もあります
「弓道教本第二、三巻」:昭和55年4月1日版全日本弓道連盟発行
このHPでは「弓道教本」「教本」「教本二巻、三巻」と記述する事もあります
「日本武道全集 第三巻」:昭和」41年人物往来社発行
「現代弓道講座 全巻」雄山閣
「射法入門」:昭和60年9月20日発行 相陽射人著 発行者池田正一郎
「四方山噺」:平成11年5月1日 池田正一郎著
「その他の書物」: 昭和50年代以降に発刊さた弓術書その他文献、資料は掲載の都度記載します。
骨法の道理を説く書をたどる
現代の弓術書や教本に現れる主要な文言が数百年も前の弓術書に現れます。 教本や現代弓道講座、日本武道全集には多くの流派の射法射技が掲載されています。国立国会図書館の利用から個別の流派につても知ることが出来ます。武道全集などでは日置師以前を古法、以降を新法としていますのでここでは新法を学んでいる事になります。
生弓会編「本多流弓術書」によれば本多利実師は千を超える弓術書を調べたとの記載があります。その大多数は冗言と記述されており、研究実践の上で”射法射技の本は一つ”と射人の迷いを解くため、唯道場で矢を飛ばしているだけでなく、しっかりと先哲の弓術書を学び勉強しなさい警鐘を鳴らされたと愚推しています。本多師の著作は明治維新前の「射術」と現代の社会の「弓道」をつなぎ、今の私たちの実践に活きているといえます。
その基軸は「骨法の道理の記述」である事は明治22年「弓道保存教授及び演説主意」明かです。
本多師の記述は祖師竹林坊如成師の「竹林派弓術書」につながり、師自らの言葉を以って高穎師「射学正宗」につながっております。梅路見鸞師と阿波見鳳師の「見鸞見鳳の号」は対に成って本多師が両師に授けたとと聞きましたが、何よりも梅路師の「先哲が築いた射法射技は深処へ深処へ導き、微塵も差も生じない」と云わた記述からは、竹林坊師、高穎師、本多師の云われます事と符合し、この先哲四師の「骨法」の道理は一貫しており明解です。また、教本執筆諸師の経歴から正面打起射法の執筆師は本多師と関係が記載され」、学校系譜の方は一師で他師は本多師系譜の一般社会人と知ることが出来ます。
これらの書を基軸に他の弓術書を紐解く事にしました。特に、本多師、梅路師の見解には「骨法の先」つまり射の本質について「竹林坊師と高穎師の理を究理実践の上に、示唆されている」事に注目していると愚考します。「技の柱の骨法」も又「的中」のために組立てられたことわり(理)である事は竹林派弓術書の「射技を記した七道は目当てが目的」に明らかで、それは弓が有用の時代の事で当然と云えます。「技三精神(心)七から生まれる射」において射の多くは「心」に依存している事は竹林坊師はじめ諸先哲の示唆に明らかです。「当れば良いとする中り」と結果を主とする事は弓が無用の時代の射の姿で無い事を本多師と梅路師は明確に示し、「骨法」に随って「確かに中り、確かに外れる」ということを「射行中にそのことわりを知って射を行う射行に厳密に対峙する事」つまり、両師云われる「中り外れの事象の変化の理を射る前に予知する心象」を課題にしていると学べます。当然、その事はすでに弓が有用の時代に竹林派弓術書に示されていると理解できます。
迷わず射を学ぶには「射が一技である骨法の道理を説く書」をたどり「弓箭が無用の時代にあっても古の先哲が実証した六分数厘程度の弓の射こなし」に稽古の意識を定め実践を試みて「理と実」の乖離と一致を自覚すること、と理解できます。 即ち『射の型・形・技の言詮を骨法の道理に基ずいて吟味して、その理の内実を「正」』とし『実践行射中に現われる射手の「事象と心象(内に感じる力の剛弱と対応する自分の心と姿:外に現れる射形)」を「雑」』として描けます。射行中に自身の『事前に描いた「正」』と『射行中に生じるギャップ「雑」』を自覚して『其正雑に去来する「邪」を意識してとらわれず』に一射を尽くして、生じた結果・残身に「素直に向合い」、自己の射を見直し、自己の射の理の理解を見直し、自己の意識を創造し、自己再生と自立を進める事と理解できます。最も悪い事は「結果を意識して射の内容を変え当てる事に意識が捉われる事」です。規矩を語りながら規矩を無視して射を行う事と云えます。
繰返して述べるように「弓道は辿るべき射法射技の本は一つ」と日々の射行に疑義があれば「骨法」の究明に先哲の書を尋ねれば迷う事は何も無いと云う事です。勿論、良導の師に会えれば其の必要もありません。「弓を師とする稽古も本を唯る一つ」です。前述の様に、「骨法」を吟味し、伝統の事実に即した弓力で稽古できるよう心掛け、射こなす弓力の向上をもって技量をはかる事、と学べます。先ず「アタリはずれの結果から離れ」今の自分の射を自覚する事と云えます。度意識は結果から180度反対に、今、「骨法」にそって弓弦を押し開いている自分の射の心象に心を澄ます事と学べます。特別な事ではありません、射行中の心象はどなたも感じている事と思います、その在り方を先哲は示唆していると学べます。その心がまえは「純真に技を学ぶ姿勢」を自分の心に聞き自分の「射」の心象と事象を見つめて結果を離れて見極めたいと思います。
「言詮に惑わされず」と自戒しつつ、良き師を求め、歴史に実証された先人の偉業を指針に稽古をすれば、射法射技の本となる自然の道理に到る道は開かれ導かれています。 射の理を尋ねず弓箭を手にしては「骨法を知らず」と迷い道をさまよい続けるのでしょう。射の理念等無く弓箭を扱うならばこのような事は不必要ですが、射の理念をもつ射の道とは異なる事は当然です、それ故、「先哲の弓術書」を紐解きながら射の話を進めて行きます。
骨法の道理を説く書をたどる 以上 (概要の項 参考資料)
参考資料について
(1)全体的な事
教本を執筆した正面打起の多くの師が本多師、阿波師の射の系譜にある事が教本二巻によって知ることができます。
また、梅路師、阿波師の両師は本多利実師より「見鸞、見鳳の号を頂いた」と伺った事があります。両師の関係は「武禅」から知ることもできます。本多師は尾州竹林派弓術の流れを汲み、その源、石堂竹林坊如成・日置弾正に至ります。本多師は「弓道保存教授及演説主意」で「日置弾正以降を新術、それ以前を古法」と区別し、「新術の流派は日置師の発明に拠らざるなし」と記しています。本多師、梅路師の両師は流派のワザに言及し ”新たな事は何もない” と本多師は「射法正規上巻」に、また、、古法橘流を修めたと云われる梅路師は「武禅」に示唆しております。
技の源は同じである事を心に銘記して、紀州竹林は吉見順正「射法訓」の理解・実践にこれらの書を用いています。江戸期の「斜面・日置と正面・小笠原の関係」が多くの弓術書に記載されていますが、「弓道講座」や入江氏編纂小笠原流の書物を見ますと、「射の技の本は一つ」との先哲の示唆に確信が生まれます。したがって、それを意識してこれらの書と接しています。
(2)「射学正宗」と各書の関係
①本多師は「弓道保存教授及演説主意」で”骨法射形を記した「射学正宗」”と”日置氏の射形骨法” が「相同じ」と記し、本多師著「射法正規」も構成等を参考にされていることを謙虚に述べています
②教本二巻には江戸期の射風が射学正宗の影響を受けていることを記し、射学正宗の弁惑門の ”射の病癖” 記載を取り上げ ”高穎師は深刻に述べている” と紹介しています。
③「尾州竹林弓術書」の”草菅穀に勝”の記載は「射学正宗」弁惑門総括の記載と同じであります。また本多師の著作にも表われ、射の病”六道の病”に記され、たびたび学ぶことができます。
④「武禅」梅路師記 ”弓道の危機” の一文は射学正宗の指摘を本質まで掘り下げ、戦前の弓界の問題を明確にしたと私は思います。上記①~③を重ねますといつの時代でも同じ課題で射の本質と提起されていると受け取りました。
⑤現代の射の理の記述は約4・500年前日置師・竹林坊師と高穎師によって確立され「竹林坊師と高穎師の骨法に係る記述」が具体的と思います。この両書には「正しい射」と「癖の射」の対比が明確で、その根にある心象が具体的に記述されていると学べます。そこに「本は一つ」と喝破される射法射技の理念を見出すことができます。
(3)尾州竹林派弓術書、「弓道講義」等本多師著作
本多師の系譜は社会人系譜の弓道家と学生弓道系譜の分けて捉えています。
社会人系譜は 大日本弓道会編、本多利実師著作「弓道講義」(1923年)と、諸弓道家の著作に著れています。本多師著作、1909年大日本弓術会編「弓術講義録」と同じと思えますが、この書は日置師以来江戸期に熟成された斜面の射法射技のすべてが現代の私たちが行う正面打起射法射技に内包されている事をわかりやすく説かれております。また、尾州竹林派弓術書の内容も網羅され、読みやすく、現代私たちが用いている弓道用語の語源を知るとともに、骨法を旨とする射法射技が論理的に述べられています。
(4)「正しい技」を心に留めてこの資料を紐解く
先哲の書の不明なところが浅学の身には多々ありますが、竹林坊如成師をはじめとする先哲の射の理念の中に伝統のワザが現代にいきずく「技の本質」が既に述べられている気がします。本多師や梅路師云われる如く「射法射技の本は一つ」であり「欲」がそれを破壊します。弓道に限らずあらゆる武道・人の技に棲みつくことと愚考します。特に「正しい射」とは何か、先師の弓術書の冒頭に顕われる事と注視しています。
誰もが「正しい技」を身に着けようと一生懸命稽古してます。しかし、「その方法、意識の置き所を先ず考えなさい」と先哲先師はいっています。弓を手にして実践だけ行い、アタリの多寡、勝負の優劣、段の有無の結果を「正しい技」と思うのは間違えを起こしますよと云われていると理解できます。本多師や高穎師はその事を丁寧に説明しています。その一歩が「資料を紐解く事」になります。
「射学正宗」から始めから「射の真理に至る正しい道」に入らねば全く違う癖の射の所に行く事を学びました。
振り返って30年ほど前にその岐路に立ち、意識を変えた経験から、日頃目に触れている先哲の理念理論を眺めているだけで、丁寧に読み、読み砕いて、丁寧に実践に臨んでいない事に気づきました。その経験から、目にしている先哲の言葉が意味する「正しい道」は何かを理論と実践を回し ながらその相違を覚知し「何故」と問うことにしました。段や勝ち負けの他力に依拠せず少し強い弓に答えを求め、良導の師を求め得られないときは、ここに掲げる先哲の指針が、いかに具体的で人を惑わさず導いてくれるかを確信出来ると思います。本多師は其の事を明言している事と理解しました。
孔子孟子の示唆は弓術書に必ず出てきます。礼記射技編の「正しきを己に求める」もその背景が 古代中国の封建性の中で”家父長から王”に至る、組織の力を持つ人(階級組織の上位者)をいさめ、その心の、正しあるべく姿勢を射の世界にとりいれています。つまり、指導する側の姿勢を正ている事を忘れてはいけません。射の稽古が「謙虚」であることは、先ず先哲の理念を前にして、指導される方は勿論、学ぶ者も意識を謙虚にして問い、「正しき」とは何かを己に求め、段や権威の他力に求め、依存し無い事を明言しています。その事を射の実践を通じてこれらの書物から教えて頂けると思います。
(5)沢庵禅師は「不動智心妙録」”理の修行、事(ワザ)の修行と申す事の候”で「事理の二つは車の輪の如くなるべく候」と示唆しています
射は「射法の理論」と「実践の事実」が「骨法に基づく一技」ですから、初めて弓を手にしても学ぶ人を迷いに誘うことは無いと云えます。初めて弓を手にした人は各自の「射の理」に接する考え方と「実践に臨む」意識は百人百様であるからこそいつの時代にあっても、射手それぞれには新鮮で新たな意識を育むと学べます。稽古や修練は創造的な意欲と自立を促すことですから理と実践が一技である射はとても良い伝統の技芸と云えます。これらの事は「骨法の射」を知るという意味ですから、はじめに指導される方から説明されないとわかりません。江戸期末には、射は「骨法」の一技にある事を見失って衰退した現実を本多利実師が明らかにした事と同じと云えます。
「一技である正しい技の骨法の理」も明確に心に定めて、いざ実践しても思い通りにいかず、その中の「正雑や正邪」の心象に接する自身の心を見る目、意識によって自身の射は様々な態様を示す事への向き合うことになります。
私の射の風景は、先哲の示唆により「射学正宗や教本や現代の弓術書に何故と尋ね、射法の「理」を此処に掲げる先哲の理を精査することを出発点」としました。それによって、正面打起をとる諸師が本多利実師の系譜であり射法訓が本多師と同じ系譜にある事を知るに至って本多師著作と本多師が開示した竹林派弓術書に会うことが出来ました。
本多利実師が「委しき正道を知りたる師を選び、その門に入りて弓の理を聞きて稽古を始める」事を示唆し、人の道を説き実践された梅路見鸞師も「正覚の師の良導を得ること」が必須と説いています。
先哲は、書を読んでわかっても、又指摘を受けても、実行する人はい無いと指摘しています。素直に行うヒトはまずいないとの指摘は、自身に手を当てれば自戒する事です。素直でない自分、意識を変えられない自分はいつも見ます。迷いが出れば「心の底に自問自答して真実の心の叫び聞くこと」「射法理論と肉体の合理的使用に忠実に徹して、向上の一路を無限にたどろう欲求すること」に真摯に向き合い、心新たに日々の稽古に臨みたいと思います。
参考資料について 以上 (概要の項 参考資料)
ヒトの 内にある道具
骨に意識を向けて思う事
「骨は人の持つ道具」として位置付けて「かたかたいわざ」を考えます。
「弓を手にして矢を射る動態の骨格」をいかに組むみ上げるか創意工夫は試行錯誤して「骨法という一技」に至ったと愚推します。骨、筋膜、筋、筋肉、皮膚、体液、呼気と関節で姿形が出来る身体には二つの外力がかかります。一定の重力が静態として常にかかり、連続的に引き絞る弓と弦からくる圧縮力です。弓箭の圧縮力は「弓力の位置と圧縮力の方向性の変化。弓力の大きさのと接触点の位置の変化」をともない、身体は「肩甲骨から先の骨格構造が変化し、呼吸の変化、心気の動きなど、動的状態」が変化します。総ては、射手と弓箭と大地の力学的系の変化する動態で、力は連続して断絶すことはありません。会の状態は静態の中の骨力のベクトルの動態が身体の一点でバランスしており、離れは其の一点から起こればその点は微動だにしません。連続して微動だにしない事が射の条件です。それ故、力学的なベクトルのバランスが意識されます。それも体内にある道具「骨」がある所以と云えます。
このような道具を使う動作は、文化文明の中では他に浮かびません。それによって弓箭を扱う意図が達成されれば、そこに「型」が意識されると「骨法」という仮説をたてて矢を射る動作を理解します。骨と皮で動的なバランスする静止体をベクトルで考えれば、そこにそれを「大地と弓箭と身体を統率」する意識、心象が弓術書には様々な角度から述べられています。顕著なのは梅路見鸞師は「武禅」で大正の末頃から「射に起こる力の現象」を単なる物理的解釈で終わるのでは無く、心理物理学という見地から専門学者に研究を指示している事があげられます。バックミンスター・フラーがテンセグリテー理論を提唱した時期に重なり、「かたかたちわざ」を考える領域を広げる事も「射」と云う動作の本質をとらえる切り口には必要と思います。身体の制御系を電気信号で解析する研究は技芸や運動の技の無限の可能性と先人の偉業を信ずる一つの見解になるといえます。
弓を射る縦横十文字の骨格の中を走る「骨力の直線性」を想起するのに、「皮膚や筋肉、体液、呼気に包まれた骨格が直になるようにする」骨法の定義は、「人の心気と呼気と一体」になってその「直」の真正を限りなく極限にするには物理的な動きの意識して知覚をもって制御はできず、身体内を頭の天辺から足先まで瞬時に伝わる電子など情報伝達機能とその流れを無意識に知覚して制御する自律神経などの生理反応によって『より真に「骨法の直」になる』と想起されます。射手の全身が動的な「直」に統御され働き、身体の一点を介在して人智を超えてた発と射の発現が、自然、為されると想定すれば、「心理物理学というヒト特有の力の発現の実態」が浮かぶのかもしれません。当然、その心気は電子的なオーラとなって外部の世界と物理的に、すでに結びついているので、彼我を分けない、自他を乖離させない、一元論的認識と一元論的行動の様相を射は内在すると理解できます。射の限らず合気道や他の技の図り知れない技の作用と力の根源もそこにあると勝手に類推します。それは無意識内に「誰にでもいつでも起こっている事」で意識には「瞬時に顕われて瞬時にみうしなう」と気がします。
記憶と意識:意識という道具
骨法の射の「型形技」に内在る骨力の直のの概念に意識と無意識の世界の認識を考えると「意識」とい道具を据える事で「かたかたちわざ」とは何かの問いへ展開する事が浮かびます。
昔、強い弓など意識に無い時、称号者に本多師の骨法にかかわる資料を戴き、「骨法」「骨法」と云われても実践に結びつける事が出来ませんた。周りを伺っても六分の弓さえ引く方は稀でした。骨法骨法と云われる方ほど弱い弓であったと今はおもいます。
今、「骨は体の中に在る道具」「弓箭は体の外にある道具」、 二つの道具を結ぶのが「意識と無意識、筋肉、筋、皮膚、体液、呼気と不明の”気”」を要素に考えてきました。「意識」は「無意識の世界から記憶を呼び起こす道具」と仮定します。つまり「人の持つ道具」を想えば、物理的には「骨」で、心理・精神的には「意識」、ヒトはこの二つの道具を持っています。意識は「かたかたちわざ」をもって変化し続けるこの世界の認識に応じてきました。同時に文化文明はその「かたかたちわざ」によって、ヒトを形成します。
「射の理」の本は「骨法」にあり、先哲の示唆です。「骨法は自然の理」に基ずくことが理解でき自然の理が何か問えば、上記の如く自然、原子、分子宇宙へと意識は飛びます。その観点から「骨法の具体的動作」を考えれば、精神や心理、呼吸や命、命は物質と生命の狭間を透してあること事を想い、物質と心の二元論と、一元の世界観に触れながら、射の実践は果てなく進みます。
昭和の初期、梅路見鸞師は道法として「弓道」を明断し、骨法は自明として「意識と筋肉」について技を示されてた愚考しています。戦後の書に”射は筋骨を以て力行する”との筋骨と並列された表現に会うと、戦前の骨法の射とは何が同じでなにが異なるのか自問します。戦前、梅路師の射法七要諦に「骨」が無く「弓箭を自由に自然に働かす」「筋肉を自由に自然に働かす」と弓箭と身体を独立させ、筋肉が射の主体になっている事に「何故、骨力で無く筋肉なのか」と問わざるを得ません。骨を統率し動かす筋肉を云われる事を兼ね合わせて射の力の本を尋ねれば、そこに「骨法」の真意が」浮かびます。詰まり道具に係るなと受け取れます。まさにその事が弓の力を意識させず、一意に弓を押し開く動作に意識を集中させ、強い意味も引けるようになると今は思います。決して骨法を無視しているのではありませんが、本多利実師や阿波見鳳師の見解にもあまり骨法にこだわっていない「日本の射の捉え方」が気になっていた、私の射の風景です。
身近には、射法射技の基本にある骨法を念頭に、先哲の文言に向き合い理と実の両輪が必要と自覚したのは、一度も、骨法等と云われなかった先生の実践を見、両手の内とカケの使い方を模式的に示して戴いた以外になく、先ずは教本に何故と問いかけて、教本 を学びなさいと示唆を戴きのが始まりでした。高穎師や林坊師、本多師の射法理論に道を開いていただけたのは、弦を取って正しい道を示される先生の見守りや、弓友との自主的な稽古と思います。今は、射では骨法や自然の射などは自分なりに見解を持ちつつ更に進めていますが、八節の技を知った初心の方には「骨法」について問い掛けられれば、実践の中でお話しできるよう工夫します、それも又、射の理の理解を進む楽しさがあります。
射学正宗、高穎師 「的中には何を基準にすればよいか、それは形も寸法も変わらない自分の中にある骨を基準」にするという射法理論は強烈な示唆でありました。骨は自分の中にある道具と思うえば、射に関わらずすべての動作に考えを巡らせ、何故、人は骨を持ったかなど、問は次から次に巡り、何故、地球には重力があるのか等宇宙論の中で人体を考える事にも考えはめぐります。
そのれは「かたかたちわざ」の本質を考えさせることになります。地球の上に生きる第一は、地球の重力に抗して、如何にして”座る・立つ”かであったと思います。ですから「人類の最初の道具の一つは骨」と云う事になります。「もう一つの道具は意識」でしょう。無限の広がりと可能性を有する無意識と記憶の中から筋肉や器官を動かす意識と云う道具でしょう。
しかし果たして骨は最初の道具でしょうか、仕組みやエネルギー効率の視点から細菌やウイルスの動き、触媒の働きには、骨や無意識と同じような考えがうかびます。
ヒトの 内にある道具 以上
スマホ等、精密な映像技術の利用
先哲諸師が「あたりは必ずしも正射では無い」高穎師は「競射で当りにとらわれた射に、理に適う射は百に一つと無い」と断言し「当りの多寡や、名声をもって正射を談じては、初学の人を迷い道に誘う」と「射学正宗」に記述されています。本多利実師が「弓を射ん事思い、命中を思う勿れ」といわれ「極めて弱き弓にて射たのでは仮に中りても詮なき事」と述べられ、現代弓道が的中至上主義では無いのであれば、誰もが普通に射こなせるという25数kg程度の弓で「射法八節の規矩に適って日常的に射こなせるか否か」を自他に問う方法が姿形がよくわかり「骨法に随った正しい筋みちに適う射か否か自覚しやすい」と学べます。加えて、竹林坊如成師・本多利実師が言われる「骨法の射は離れる以前に中外(アタリハズレ)の変化の理を予知する行射である事を心して実践に臨む事」を要件に加えて「射の正否を行射の中で自身で覚知する事」が弓箭が無用の現代の射の稽古の風景と理解できます。それが高穎師「射学正宗」と本多師「射法正規」の云う「正しい射の道に入る門を叩く事」と理解できます。
”当りの多寡”で見るより”扱える弓の強さ”で日々の稽古の正雑を自覚する稽古は「正しい技を身につける稽古:骨法の修練」に正しく進んでいるか否を弓箭が教えると理解できます。何故なら、良導の師が居られない時でも、日々の射に現れる外見の姿は、射法八節を学んでいる方なら、外見の姿・形の正雑や良し悪しが自他共に判ります。加えて、志を同じくする弓友は、直にその正邪も見定める事ができ、射手自身も又、覚知する事ができます。その事は先哲諸師が皆書き記し、高穎師が「射学正宗」に具体的事例を挙げて詳細に述べておられます。それ故、謙虚、素直が大切とどの弓術書も必ずいわれます。
以上「弓の強弱を以て骨法を学ぶ事」で最初に述べました。
弓の強弱は射の姿勢、八節の規矩が正しく現れているか否か、自他ともにすぐに具体的に判断できる利点があります。
何事も「正雑」を示すのは行為している時その時と思います。「会」に入る瞬間、「止めるな」と先生はビシッと言われます。一度だけでしたが今も心に残ります。
人に言われて素直にすぐ受ける人は先ずいませんと自戒します。右を指摘されれば右に関係なく、左の事を言いだします。自分の映像を見ても視点を変えないほど固執します。意識を変えなさいと分かって居てもなかなかできません。映像は役立ちますが、やはり使い方です。しかし、その時に何も反応しなくとも「必ず心にのこります」その後の射を見ればわかります。
「正しい技か否かの判断」には次に稽古すべき筋道が明らかであることが必須です。何故なら「骨法の理を理解するとは」、「骨法は連続する一技」すから「雑な動作」「規矩に適わない姿」が自覚されれば「次の一射を始める前に自分が何をこころして稽古すべきかわかる」事、それが正しい稽古を継続してると自分で意識できる事とまなべます。先ず、自分で考え実践する事。指導者は求められれば、その筋道を正しく具体的に説き、自ら実践で示す事が伝統の技を伝える指導者の役割と学べます。為すべきは行射しているその瞬間に射手に自覚させる事、それ故弦を執って教えると理解できます。先生は、絶対に体に障りません。弓と弦を手にして弦道を指します。今の指導者が触って教えるのは雲泥の差があります。「射手に触れて教えてはいけません」と先生は云われます。射場の一射で触られては射は何の為に在るのでしょうか。
為すべきは行射しているその瞬間に射手に自覚させる事に加えて、私の射の風景はスマホ等、精密な映像技術の利用です。
射には素直、謙虚、正しい心がよく使われます。それは指導される方がよく言われます。ここに掲げる先哲諸師は、むしろ指導される方が常に謙虚にして素直に「正しい技」に向き合う事を記述して警鐘を鳴らされていると思います。
指導される指摘に映像を加えるのは効果的とおもいます。矢飛と矢どころの結果を自他で話し合うのは、残身に至る行射を直視する事になります。更に映像を用いれば行射する射手の現在心身に目が行き、自身に去来する内実「雑な技、よこしまな心・欲」を自ら覚知し、素直に向き合う機会を発現しますので効果的です。
大切なのは、弓友の示唆を謙虚に聞き、自ら覚知した「正雑」を素直に問い、意識を正し、射を行う姿勢・意識を変える切っ掛けにする事と思います。「骨法の弦道と離れの様子」は連続する骨法の理を理解するのに頗る有効と理解できます。指導される方は積極的に自身の映像を見てもらい、自身の骨法の射の理と実践した映像の姿で示すことが、指導法として効果的で、「実践して示す」記述された本多師の示唆に適うとおもいます。
当りの多寡、段位の高下に頼った判断等、時々の比較差別の相対的な判断では、次に行う稽古に連続性が自覚できません。いつまで経っても詮索し、普通の強さの弓に至らないと事実を知ります。当りはでます、でも映像の姿と骨法の理との関係について誰もが納得できるか疑問が生じます。その事に因って、射の理に順って筋道が示され、次の一射に為すべき事を明確に自覚します。いつの日か、それによって現れた射の姿が,少しずつ八節の規矩に適って行く、と先哲は云われていると理解できます。
弓箭の活用
射にはいろいろな姿が在るのは歴史が示すところです。
多様性が重んじられる現代、道を唱えて射を教える人、それを習い段の取得を励みにする人もいます。スポーツ的な競射を好む人もいます。祭事に弓箭を役立てる文化は数多あります。その風土その地域地域には其の土地の社会に根差した弓の文化が残っています。弓を引いて矢を射放ち「的」に時々的中する爽快感でリフレッシュする人もいます。歳老いて級友と談笑しながら悠々と一射を楽しむのも射です。いずれも伝統の文化として、古来から今に伝わり、射には無限の可能性が有る事を知ります。
しかし「射法訓」にならって「法の在る射を為す」なら「弓箭が無用の時代になっても古の有様を参考にして射を学びなさい」と云われる本多師の示唆はおもい示唆といえます。500年の歴史と伝統の実績に支えられた「射法八節」の「骨法の射」生涯10数㎏をもって射の真実を体得すると理解するには無理があり、その理を示されるべきと思います。また、矢束一杯について知っていても、骨力を主に扱う「骨法」に因らず筋力で弱い弓を引いて矢束一杯に取らず自分の調子の良い矢束と調子の有った離れの調和を以て、繰返し正確に射る方は沢山います。高穎師も本多利実師もその事実を書き添えています、その中(アタリ)が自分に特有の事と理解して、人に自分に特有の癖のあたりと自覚して教えなければ、むしろ、「癖だから学ばない様にといって射を続けることこそ意味のある事」と理解できます。しかし、反対に規矩に適わない射で当てて教える事は「伝統の正射に適わない」のは当然で、それを「骨法に適う八節の射」と指導しては射とは全く異なる世界を作り出す事になります。勿論、規矩に適って六分から七分の弓を射こなし、規矩を骨法の理で説き実践で指導される方は、弱い弓でも骨法に適う射を当然成しえます。逆はありません。10数㎏の弓しか引け無ければ、20数㎏の弓はすぐには引けません、実践すればわかる事です。
歳、若くして射形が乱れ、規矩など無視しして強弓を讃美す事もまた醜く、習うべき師では無いと梅路見鸞師は「武禅」の中に記しています。
指導される方が「道」を唱え「精神の鍛練」と云って「具体的な道法」も示さず「道」をなす事が弓箭の唯一の活用と思い込ませ「礼」とは何かを学ぶ事も無く形式ばかり押しつけ、かえって射のもつ創造性と多様性の芽をツムグ事の無いように、と「清き水に魚住まず」と本多利実師は「射法正規」で近代・現代の射の文化に向けて云われたと私は理解しました。先ずは、「正しい射の技の事・理」を生涯求め、射の理を明らかにしつつ20数㎏~30㎏弱の弓を的前で悠々と射れるのが良いと思うのが私の射の風景です。
弓箭の活用 以上
骨法
「今の人骨法を知らず」と云われていますが
「骨法」とは何か、その定義が見当たりません。
教本には”骨法”・”骨力”の文言があり「射法八節は骨法を著したもの」と教本を執筆した範士も述べています。
近代・現代の弓術書には”骨法”の文言が記載されて無い書を多く見ます
二つの理由が考えられます。別途(骨法の定義の項)記述します。
骨法の定義は「尾州竹林派弓術書・本書」の「骨相筋道の事」以外、私は知りません。
この定義には「弓力と重力の二つの力(身体を圧縮する力)に応じて骨と関節と骨格に通ずる力が骨力が述べられています。
「骨力」は立っている自分の足の骨と骨格の状態を想い描けば良いでしょう。
その「骨力」ははかり知れません。弓力など物の数に入らないでしょう。
しかし、正しく立たなければ役に立ちませんそれ故、足踏み胴造りの規矩があります
では、どのようにして縦軸の技を為すのでしょうか。具体的技を問うべきです。
以上は重力に抗する上に伸びる縦軸です。
横軸は、縮み続ける弓弦を押し広げる力学的合理的性に適った「骨力」の動的な技で出来る骨格構造で
「普通の強さ(20数㎏~30㎏ほど)の弓」が骨力で引ける可能にし
「矢がはなたれる前に中り外れの理」が縦軸と横軸の動態から判る軸です。
骨法を射法に著した竹林坊如成師の「七道」、高穎師の「五法」がそれに適う射法射技で、重力と弓力の二つの圧縮力に抗する「動的な骨力・骨格」の形成と矢を射放つ離れのメカニズムを「自然の理」にそくして、具体的射技を説明しています。
竹林坊如成師と高穎師両先哲が示す事
射法射技が示す事:繰返し正しい的中を保証する再現性のメカニズム」を射法で明らかにしています。つまり的中の正確な再現性は「長さの変わらない骨」と「可動の自在性と限界性による骨格の形態」で一義的に定まる事
① 引く長さ(矢束一杯)が、繰返し同じ長さである事
② 繰返し同じ離れが生じる事。つまり動的な矢束一杯の状態で「骨と関節と骨格の力学的メカニズム」に従って離れが起こる事
③ 弓弦を押し広げる動作は”射手の骨格にさだまる唯一の弦道”を自然に繰りかえし出来る動作である事
④ 唯一の弦道は、射手の骨格に自然にさだまる唯一かつ一定の矢束に至る事
⑤ 「中」と「引ける弓の強さ」には もう一つの要素が有ります
弓力は常に変わりませんが射手の気力体力筋力は常に変わります、それ故筋力で弓を引いては矢束など定まらず、矢を発射する弓のエネルギは不安定ですと高穎師は云われていると学べます。安定しているのは骨格です。高穎師は射に及ぼす「骨と骨格と骨力」の役割を明確に示唆しています。
アタリだけ言えば、本多師は技・姿勢三、精神七と述べています。また引ける弓の強さは調子も大事な要素ですと述べています。強い相手も弱い相手もいる剣道や柔道に比較すれば、射では調子や気力等、精神力はわかりにくい事です
そこで
手にする弓箭の強弱が行射中に射の成否を射手自身に覚知させると理解できます。
竹林坊師が弓箭が有用な時代に”強弱共に稽古しなさい”と400年も前から言われる示唆には、
弓箭が無用の現代にこそ重要な稽古であると学べます。
心の事:横着
初めて弓を学ぶ人が、射法八節の中身を理解せず、外見の射形をなぞって”早く当てたい欲心”は普通に起こる事です。
本多師や高穎師、梅路見鸞師や阿波見鳳師等先哲諸師が繰返し警告する事
「その横着心を、骨法の理に順って普通の強さの弓(20数㎏~30㎏程度)で実践して正しく導く」のは指導者の責任
「”28m先に矢が届き、審査や競射には弓の強さは関係無い” と云いつつ、
”伝統の和弓を用い射法八節の実践によって、射の真実・道を為す徳が得られる”と教導されれば、
学ぶ者は教本や本多師の云う25kg~30㎏程度の弓を引かず・引く意識も持たず、生涯経験もせず、
竹林坊師が射の病と云う、筋力で八節の射形をなぞって当てる事が可能な10数㎏の弓を求めるのでしょう。
”今の人骨法を知らず”と断じた本多利実師は、
射法八節が骨法の理にある事を伝える指導が、10数㎏の弓箭を用いる事を念頭に実践される事が現代の風潮
と広言されれば、どのように言われるのでしょうか。昔と違い、現代は弓術書は求めれば手に入ります。
「正しい技」とは何か、射には法が有る事を知った初心の時から、学ぶ者も、己に問う事を云われています。
姿形から入る藝
世阿弥は「稽古は強かれ」と今から600年程前に述べています。
”姿・形にかかわる藝”で、格好を猿真似する弱弱しい稽古ではありません。と学べます。
強い信念のもとに、対象者の真理と融合しながら、自身の確固とした姿を演じる稽古しなさい学べます。
世阿弥の指摘と竹林坊如成師の指摘が重なります
「弱は骨法不行き届き」と断じ、剛無理:射を学ぶに心の姿勢には「ことわりもなく強かれと意識が必要です」
と”弱い弓で八節の形をなぞって、美しく引いて当てる射の病”を諫めたと私は理解しました。
射に内在する、正しい心の強さの一面が「練膽」とすれば
剛無理とは「力みでは無く、”理”も無くただ強かれと云う心」を述べる竹林坊師の「射の精神・理念」を感じます。
的前で「花形」の位の射を為すには、繰り矢指し矢に用いる30㎏台の弓を稽古を達成した後する事
竹林坊如成師と本多利実師は断じています
反対に、当りや段級、勝ち負け等結果に心が奪われると
”表面的に美しく見えて、紙的を破れば良い”との横着な心は増長されるのでしょう。
振り返ればその事は射の世界だけの事では無いと理解できます。
今、まさに、仮想と現実が交絡するAIが活用されるこの時代この世界に、その事が問われているのでしょう。
本は一つ
現代の弓術用語は日置師以来の新(弓)術と云われる4,500年前に表れ、使われています。
、”胸にてさけてひらけるように離れる”と「射法訓」につながる記述がを「竹林派弓術書」と「射学正宗」にあります
両書には”六分数厘から七分数厘”の弓を ”普通” に射こなす「骨法の射の理論」が具体的射術と教法が詳細に展開されています
その技は教本の執筆師にも表れていますので、誰もが修得できます。
その指針がヒントになって実践を試み、「射の理」を求めて学べば、次に為すべき稽古の具体的筋道が明らかです
それに従えば、10数㎏の弓力から23㎏~30㎏程度の弓は誰もが引きこなせると、80歳近くの今は思います。
私の射の風景へ
「射法射技の本は一つ」
明治の黎明期に現代弓道の礎を築かれた本多利実師は喝破されました
身の周りにある弓術書に「何故、本多利実師は”射法射技の本は一つ”と言われるのか」、その本を尋ねれば、わが国では日置弾正師と竹林坊如成師に至り、海を渡れば高穎師と「射経」に至ります。現代弓道は日置弾正師の工夫創出した射法であることは誰もが知るところです。しかしながら、その「本」から流れる流派の技は異なります。また、同じ弓術書を用いても指導される技・例えば矢束一つとっても骨法に適う矢束の説明をする人も、矢束が何かを説明せず矢束を取らせない指導者もいます。一事が万事総てがそうなのでしょう。何故でしょうか。
「諸流派を継承する指導者が諸流派を創設した流祖の射法射技の中身を学ばず、自派の表面的な形に拘泥し、他派との当り数の表面の姿に比較差別の形式に権威を付け、八節射法の射技と規矩にあまたの文言を排出するので、学ぶ者は、知らずに言詮の渦に吞み込まれ、迷界をさまよう事になる」と本多師はじめ先哲は指導される方の姿勢を糾弾します。それ故、先哲は「言詮に捉われず」と警鐘を鳴らすのでしょう。射法八節は指導されるが、それぞれの技、言葉が「骨法の理」から説明され無い事から起こる事で、価値観が有る多様性などでは無く、学ぶ者を迷路に招きます。
表面の形だけは射に似ている姿で中味は射とは異なる「射法を無視した迷界」が、いつの時代も必ず生まれる事を先哲諸師は警告されています。一般的に言えば、その原因は「伝統の”かたかたちわざ”に向き合う心の在り方、業、欲心などに在る」と理解できます。射でいえば、八節の射法射技の中身(骨法の理)を、先哲の云う普通の強さの弓で自ら究明して実践せずに、”指導者の云う外見の姿・形”を、著しく弱い弓でなぞり・促成して八節の形を演出して、当りの多寡の比較と段級の上下などの優劣の比較で正否や真否を断ずる等、欲心に心が捉われる姿と学べます。事によると高穎師、本多利実師、梅路見鸞師は断罪してると理解しました。
それ故、あまたの言葉に「何故、そういわれるのか。何故、その技なのか」と問いかけ、意識を「正しい技の理論を自ら調べて理解」し「先哲の実践した弓箭で射を実践」し、「理と技の両輪を回し続ける」事に向け事と理解できます。技や規矩の中味(骨法)は何かと問いかければ、射法射技の「本は一つ」と云われる先哲の記述につながり、竹林坊師高穎師本多利実師梅路見鸞師阿波見鳳師等先哲の示唆にブレはありません、明解です。
「竹林派弓術と射学正宗の両書」は、弓箭が武器として有用な時代にあっても「骨法の理に基ずく法のある”射”」の稽古・実践が人を成長させる精神性を内包している事を明らかにしています。射の理に内在する合理性(自然の理)が弓箭が無用な現代弓道に在っても、弓箭の活用によって精神が育まれる事が本多利実師著明治42年「弓術講義録」(大正12年「弓道講義」)と明治40年「射法正規」、明治22年「弓道保存教授及び演説主意」に記されていると学べます。この本を介在して、斜面の伝統の技の総てを含んで、近代・現代の正面打起を教授する指導者の技と規矩に伝えられ、今日にあると理解できます。本多師が「本は一つ」と云われる事は「昔と同じ弓力と教法に基ずか無ければ、正しく射は理解できない」と断言されている事です。
弓箭が無用の近代・現代の弓道の射法射技の礎は本多利実師の著作に明らかであり、道法としての弓道は梅路見鸞師に明らかで、その実践は見鸞見鳳の号を連ねる梅路見鸞、阿波見鳳両先哲に実践されています。新しい事は何もありません、歴史に陶冶された伝統の日本の和弓の射の文化は先哲の偉業(理論と実践の事実)にその真実が示されています。伝統の技を身につける事はまず謙虚に先哲の偉業をリスペクトして向合う事から始まります。「道」を説く弓箭の活用は如何にして人を導くその具体的方法論が無ければ、口だけの話になってしまう事は、一つ弓道の限りません。
先哲の示唆をリスペクトすれば、「法」のある武道で「物理、生理、精神面で自然の理に基ずく原理の記述があるのは射」だけと理解できます。八節の射法を知って無闇に弓を引く人はいません。ならば「射法の法とは何か」と問われれば、本多利実師が言われるよう、指導される方は「正しく」説明せねばなりません。それが明治以降の射の教法と「弓道講義」に述べています。
全ての先哲諸師は射を行う姿勢に、心の在り方:「正しさ」を問うています。何故、でしょうか。
飛道具には結果が有ります。結果だけに心を取られ今なすべき事を見失い、射幸心という欲望が人の姿の総てをゆがめるからでしょう。今まで述べて来た如く射には「本は一つ」に辿れる正しい筋道が500年に続く歴史に陶冶されて今日に有り、今日、射を為す人すべてが射法八節に随って射をする意志を持っています。しかし、多くは今なすべき事より、結果に意識を取られます。当たらなけれ射の行為が正しくない、アタレバ射の行為が正しいと云います。
今なすべき「正しい行為」が八節の射法が在る射には明確で、先哲は「本は一つ」に辿れる正しい筋道を著作に明らかにし、実践して示されたと私は理解しました。その筋道の行為の本は唯一無二の自然の理に基ずく一筋の「骨法の動作」であり、その現れた姿を表現しやすいように仮に八節に分け射法として著されたと理解できます。それ故、射は自然の理を表すと云われる由縁と学べます。
結果に心を奪われ、弱い弓で八節の射法の規矩・射技の外見の姿を真似て当てるのでは無く、技や規矩に何故と問い掛け、その内実(力学的合理性、筋骨の状態・働きのなど自然の合理性)を自ら進んで学び究明して理解することが、「射は射て成る事では無い」と云われる本多師の示唆と理解できます。
射形の美しさや当りなどの結果に目を向けるのではなく、「今、行射している自身の骨法の動作=骨の向きに正しく弓を連続して押し開いている」かに目を向け、骨法の射を正しく理解して動作する意思を持った筋道の射か否かを、行射中に自覚する事とが「射は骨法の然る由縁である事」を自覚する筋道と学べます。
射は、行射する一射の正・雑を自他に問い、”癖や雑な動作”、”簡単に結果を得ようとする横着心、当てるためには規矩・決まりを無視する邪な心”を糺すための行為といえます。随って、射の癖は勿論、精神の迷いや癖を「骨法の理、自然の理によって説明し、一筋の射行に随って具体的に為すべき技を心に定め」直します。その経験の積み重ねが、射行中に去来する正雑正邪に素直に向き合い、そこにある「心の失を自覚し、正しくする射行」を生涯おこなう事といえます。
「正しい」とは何かを自らに問い、強弱の弓箭をともに稽古して”技に捉われず、ましてや形に捉われず”、ひたすら弓箭を押し開く一心で顕現される射にこそ、新しきことが起こる思いをします。竹林坊如成師が詮索する射をやめなさいと言われる一射がいつの日か体現できる事を心に据えて進みます。
「六道の病:輪廻の弓と云いわれ、射の表面のかたちに迷い苦しむ病で、やがて弓が引け無くなる」
「二十五有に随って稽古しなさい。しかし二十五有の内に居ては射はわかりません」と竹林坊如成師は云われます。
何故でしょうか。
学ぶ立場
これから述べる事は主に「具体的な技」に関り、精神性には深く言及しません。諸流派の弓術書や指導者の記述には、同じ意義で別の名称、同じ名称で別の意義はあまたにあります。「射法射技の本は一つ」と云われる先哲をリスペクトし、諸弓術書、諸指導者の文言に「何故」と問いかける事からはじめます。
稽古している自分の段階は「只管、正しい射・技を求める欲求」を心に据えて「骨法とは何かを問い」、「規矩と技に適う動作を具体化しイメージ・意識」して、「行射中にその成否を体得する」事と云えます。生涯、射の「正しい技」を問い、学ぶ事と心に定め、学ぶ立場で気が付いた事・課題を記します。
「道」を唱え「人の道」を学び教える事を目的にする ”「弓道」や「射道」” に入る以前の課程と認識しています。
本多利実師を基軸とし先哲の弓術記述にてらして学びますので、引用します文献を記載します。略式で述べる事もあります。先哲に「師」を付しましたご理解いお願いします。
素引き
本多利実講述「弓道講義」大正12年大日本弓道会編:国立国会図書館蔵(又は明治42年本多利実著「弓術講義録」)
「第一篇 総論、第二章修習の順序 第二節 素引」
「…つまり矢を番えて引くのと素引きとは大に具合が違うから、之を素引きのときと同様になるまで練習せねばなりません、それで矢をかけて引いても全く素引の通りに引ければ、規矩にもはづれず、姿勢も自然出来るのであります。…」
以上
高穎師著「射学正宗」:廣道館発行「武経射学正宗同指迷集譯解」大日本武徳会弓道教士小澤瀇譯著 弁惑門序ヨリ
「年 力 未だ衰えず 而して 弓を引くこと満たざる(※矢束一杯に引け無い)者は乃ち 俗にいう毛病(癖)にして 力衰えるに非ざるなり 年老いて 力衰えて 弓引くこと満たざる(矢束一杯に引け無い)者は 空引き(※素引き)も亦満たず(※矢束一杯に引け無ず) 的に対して矢を発つも亦満たざるなり 若し 毛病(※癖)を犯して満たざる者は 空引(※素引き)は即ち満ち 的に対して矢を発つ時は即ち満たす事能わず 此を毛病(癖)と為す 極めて去り難し 今の人 此の病に坐する者 最も多し」以上
(※)は意訳。
以下に全文意訳します。
若いのに矢束一杯に引けないのは力が無いからではなく、骨法の正しい技を理解し無いからです。歳とって矢番え動作で矢束一杯に引け無い人は、癖が身に染みて引け無いのです。ですから癖がついては、素引き動作でも矢束一杯になりません。 骨法を知らず又は無視して癖の技をつけては、素引き動作は矢束一杯になったとしても、矢番え動作では矢束一杯になりません。骨法の基本である「矢束一杯」:「中る射法射技」を修練せずに、矢束一杯に引かないで「当てる射」の癖は、極めて治すことができない癖なのです。射を学ぶ人の最も多い病です。
(注:矢束一杯とは射手の持つ変化しない”骨と骨格構造の長さ”によって、繰返し正確に再現される弓と弦の引かれる距離で物理的定義です、精神的定義ではありません。その射手に生来定まる、変化しない矢束を云います)
「何故」
何故、本多師と高穎師は「素引き動作と矢番え動作の違いを自覚しなさい」と言われるのでしょうか
何故、「骨法」は矢束一杯を骨格形態から定義しているのでしょうか。
何故、「束」は量を著す言葉であるのにかかわらず、「矢束」を情緒的な技と説くのでしょうか。
何故、本多師は「”矢束一杯ひいては当たらない”という指導は間違っている」と断言するのでしょうか。
このHPでは「普段に扱う弓の強さ」に関連する記述を念頭に於て「骨法の示す正しい射」を学んでいます。弓術書に記載の技や規矩に「なぜ」と問いかける事を発端に「骨法の射の理」を紐解き学び、意識すべき「正しい技を具体的動作に描き、心に定めて射に臨み」、射行に現れる「正雑・正邪」を覚知してこれにかかわらず一射を尽くし、射後其の現れた心象と事象を受ける心象を自覚して次の為すべきとを心に定め、正覚の射を心して修練を積むことを目指しています。
「何故」と問いかけの第一に「素引き」を上げます。この問いの答えに気が付くのに私は半世紀かかりました。
現代の弓術書には必ず記載され、初めの指導に必ず行う素引き、特に「素引きと矢番え動作の違いに現れる事実」について「射法射技の本は一つ」と云われる本多師と高穎師の伝える「骨法の射の技」を取り上げます。詳細は別に記述します。
「矢番え動作」と「素引き動作」では引ける弓の強さが異なる事を経験します。何故、でしょうか。
また、弱い弓で筋力を主体に形をなぞる癖の射形で稽古を重ねると「素引きも”癖のかたち”」なるので、若くて力もあるのに弱い弓でも素「矢束一杯に引く」事が践できなくる両先哲が明断しています。多くは弓術書の先哲の話を云っても、それらの書を手にする事は勿論、求めて読むことも稀と感じるのは私一人でしょうか。にも拘わらず「矢束とは何かを」述べず「矢束一杯引かない事」のべ、指導される方もいます。
関連して以下の問いが続きます。
何故、”初めて弓を手にしてから半年から一年で六分弱(20㎏程度)の弓が楽しく引ける”と射法が骨法から成る事を詳しく説かれる本多利実師や「射学正宗」の著者高穎師は断言するのでしょうか。
何故、強い弓は”初心者や技量の無い人は強い弓を引いてはいけない”と但書が必ずあるのに、”指導者や熟達者”は普通の強さ弓(25~30kg程度の弓)を強すぎるといって、常用しないのでしょうか。伊勢貞丈の云う強弓などは強い弓七分以上とおもわれます。
本多師と高穎師と池田正一郎先生が「何故、素引きが大切なのか」について丁寧に説明しています。
その観点から見ますと弓術書に「素引きの本質」を述べる記述は少く無く、形式が主と思われるます。石岡久夫著「弓道入門」には”素引射法”と項目を設け、手の内と引分けのバランスが素引き練習で大切と説明しています。
現代の弓術書に素引きの詳細な記述はあまり見られません、弓道小辞典には肩入れ動作と素引きが平行して記述されています。現在でも、初心の方の指導は素引きから始めますが、素引きが八節の射形を真似る事に偏り、弓を押し開くことで現れる姿が射法八節の道理を説き、何故その規矩かの観点から指導される状況に私は会いません。肩入れと素引きを区別することもなく、射行の前に必ず行うと云われながら、「素引き」に「射法八節:骨法の理」を学ぶ記述は見られません
「弓術講義録」の本多師の素引きの説明に「射の理に適う射法八節の理、つまり骨法に係る射行の教導がある」と私は理解しました。
加えて、師の著作「弓道保存教授及演説主意」に「能き師に学べば六ケ月で真の中を知る」その「一つ月目で骨法を知る」とありますから、それに素引きが含まれるはずです。本多師のこの指摘は高穎師の示唆するところと一致し、その弓は六分弱、約20㎏程度の弓と理解できます。それは当然、誰もが25,6㎏~30kgの弓を普通に引けることにつながります。
弓を手にした初心のはじめに「骨法の真実」を伝えるのが指導される方の責務と本多師は云われていると思います。
素引きは無闇に行っては癖を染み付けるだけです。素引き一つとっても、むしろこの初めの関りにこそ指導される方の説明と実践提示は、学び人の将来を決めると云って良いと今は思います。
それで、先哲は、先ず学び人を診なさいというのでしょう。学ぶ人の”考え方、実践の感じ方、意識の所在、性格、心情、学び実践の仕方など等など”で皆、異なるのでしょう。学ぶ人も、指導される人もそれぞれの価値観に基ずく性格・業があり、姿は多様です。それ故、正しい多様性が重んじられますが、射の理の内実を明示されておれば、現れる射の射相は、射の理に適って創造的で個性的でかつ多様な射が生まれます。多分、外見は同じ様ですが、少し飛躍しますが、内実はその射手の生き方に実相が顕われると云えます。それ故、射はその人を表すのでしょう。
素引きの事:先哲の示唆
本多師は「素引きの稽古で主に注意すべきは足踏み」
「足踏みを規矩を知って稽古する事によって全体の規矩と合致する」と示唆
はじめに 何故、「足踏み」なのでしょうか。それが私の疑問でした。
八節射法の姿は、連続して弓を押し広げる意志で現れた結果の射手の姿・形です。随って、どのように弓を押し広げるか「骨法に理」に随って、自ら考え、技や規矩を理解しなければなりません。
射手にかかる力は二つあります。
① 一つは重力で、一つは弓の力です。
② 力の種類は、いずれも身体を、連続して圧縮する力、射手の関節を押しつぶす力です。
③ 二つの力に対応するのは主に骨です。先ず、誰もが理解できるのが重力を考えます。
人が立っていられるのは骨が有るからで、骨が圧縮する重力に応じます。
骨の剛さは、荷を背負い体重を支えます。一日50kmも山道を千日も歩きつ続ける強さが有ります。
④ 骨は筋肉や筋や筋膜や皮や体液で骨と関節を構成して骨格を組み、その力を発揮します。
足踏みは、足裏から骨に通じる力(竹林坊師・高穎師が言われる骨力)を意志をもって意識します。
意識的に身体を通ずる動的な骨力・骨格の在り方は技で示されます。本多師梅路師神永師は具体的に記述しています。
骨法の理に適って先哲が示された足踏みの技が、射法射技の規矩と整合があり、それは自然の理にかないます。
以上から学べば
① 足踏は弓箭を持つ前、重力に抗する骨格で骨格の中を通ずる骨力をどのようするかという技の課題:縦線になります。
② その要件は一つ、連続している事、一つ、重力と反対の方向で常に上に伸びて関節が自由に動ける(伸びる)事が要件になります。
③ 竹林派の「骨相筋道」の骨法の定義から「足踏みの動作で重力に抗する骨・骨格の使い方」が決まります。
④ 次に弓の圧縮力に抗する横線の伸びの技につながります。「素引き」によっては本格的に全身の骨・動的な骨格の理解に繋がります。
⑤ 結果、「伸びて縮まない縦横十文字の胸の中筋から離れる」意味を知ることになります。
それ故、その入り口は「素引きでの第一段階」は弓箭が圧縮力を持つ以前の足踏みの理解、実践稽古が骨法の体得につながります。
六分数厘の弓を師として学ぶ自画像
(自画像とは私の経験と実践中の事です)
経験
”若い時に強い弓を引いて鍛えねば4,50歳台にはなって強い弓は引けません”と云われる方もおりますが、その様な見解を先哲の書に見る事はありませんでした。先哲の示唆は「骨法の正しい技」の射は古希を過ぎてもさほど変わらない、と記述されています。先哲諸師は「歳を重ねても普通の強さの弓が引け無いのは、射法の理に適っていない稽古を続けた結果」と断言しています。その弓力は25kg前後と思われます。
40歳代に入って、74歳先生にお会いした時「歳を取っても”射場の一射は25kg程度、巻き藁では30kg程度の弓”を引けると良いですね、先ず、教本に"何故"と問いかけて学びなさい」と云われました。教本の技を学び、今、80に近くなっても、六分,六分五里、七分の弓で稽古できる事を実感しています。
先哲の示唆
阿波見鳳師は「両手だけに力を用い、他は出来るだけ力を抜きなさい」と云い、「引分けの意起こりて弓の力を感ぜず」と梅路見鸞師は示唆し、竹林坊如成師と高穎師は「骨力を主、筋力を従に思慮するのが骨法」と明記し、本多師は「手の内が整うに斜面と正面とに差が無い」と明示されています。骨法の定義とその技は竹林派弓術書と射学正宗にあります。これらの先哲の言詮は教本にたびたび会います。私は教本を執筆した本多師の二つの系譜上にある神永師と高木師が骨法を明記し技法を示唆していますので、現在、この技を主に学び、射行しています。矢束一杯は神永師の姿に明らかです。正面打起の技の要諦は本多師と梅路師の射法要諦に明らかです。新し技などありません、総て先哲によって明示されています。
私の実践
上に伸び足踏・胴造・弓構で調えた両肩根から両肘の方向:つまり上腕の骨の向きに、上下前後左右に正等な骨力に随って弓箭を押し開き続ける一心で残身に至る一射を為す事といえます。何故なら弾力のある弓は連続して身体を圧縮し、圧縮力に対応するのは骨で、関節が連続して伸び続ける骨格(骨格内を直に通ずる骨力・外に向かうベクトルを持つ骨力)と、先哲の書から理解できます。要諦は、力を感じないためには弓と弦との接触点の考え方・技の理解に有り、梅路師の云われる「身体を自然働かし、弓箭を自然に働かす事」、阿波見鳳師の云われる「両手の内だけ力を使う事」、本多師、竹林派弓術にある「一つ手の内」の事など等の示唆を骨法に理にしたがって技を理解することに有ります。総ては骨力をベクトルの力方向性で捉え、点で弓と弦に接する事で弓と弦は両手の内の中に自然に動きおさまります。総ては過去身を過ぎればする能動で言詮をとらえず、現在身の進行に随って当然になると受動で言詮を解釈する事と学べます。
振り返れば、その事は、本多利実師が「素引き」と「矢番え動作」の違いについて示唆される事です。私達誰もが、弓を手にした初めに顕れている事で、真実は初めから素引きする自分にあると理解できます。その事に気が付き始めたは弓を手にして数十年たち、本多師の弓術講義録を読み、さらに又数十年たったころで、弱い弓で癖もたっぷりついてからです。
素引きは、自分の外見・姿に目を向けて弓・弦を引くのでは無く、初めて弓を手にして間もなく、まずは、意識を自分の中に目を向け、自分の内から出る力(骨力:骨の中を貫通する力、特に関節を通ずる力)に目を向け・意識を据えて、ひたすら弓箭を押し開く一心の一射を行じる事と理解できます。その実践は堅帽子の弽で行うよりは、素手或はチョン弽などが「弓手手の内と弓」「馬手手の内と弦」の動きがハッキリ見えて、骨法の理の理解と実践のつながりを知りやすいと思います。
今、弓を手にして半世紀たって思う事。
良導の師は、初めて弓を手にする方の年齢や社会の経験や性格等などから心相を知って「素引きの具体的な規矩とその理:骨法の八節射法を説き、素引きを実践で示し」指導されるのでしょう。私は実践提示の時「弱い弓から強い弓力の弓で示される事」によって「弓の強弱で素引きが変わらない事」が示されると良いと思うのです。本多師に続くここに記載しました先哲は「素引きを正しくこなして巻き藁」に向かったように思います。今はとても無理でしょう、その事も本多師は「弓術講義録」に記しています。それ故、初心の方に繰返し、繰返し「弱い弓、普通の弓、強い弓」で実践して示すことも大事なのでしょう。それも、若干、弓箭の用いる用向きは異なりますが、竹林派弓術書には記載されています。
骨法の射の先に
的中主義と中る射
本多利実師・梅路見鸞師・阿波見鳳師
何故、現代弓道は的中至上主義を排したと云われるのでしょうか。
その事は、射を学ぶ人に何を喚起し、求めているのでしょうか。
弓箭をもって「道」を実践するには具体的な道法が示されるべきで、本多利実師、梅路見鸞師、阿波見鳳師の三師が「道」を示されたと、先哲の書から私は思います。その道を私は学んでいないので、ここでは扱いません。
本多利実師、梅路見鸞師、阿波見鳳師の三師は「矢が放たれる前に必ず中るという確信が自覚される事」を述べています。ここは本多師が云われるように「中り外れの理を予知する」すなわち、外れには外れる「骨法」上の理由がある事に意識をおくことが最も大切な事です。的中至上主義を排したのは、意識が「的」に行くのではなく、意識は正しい骨法を学ことで、矢行きの残身と矢飛と矢どころの真実に謙虚に接し、素直に「骨法」の筋道に向かう事と云えます。
道具の弓箭は、矢を目的の位置に正確に早く至らせる事、加えて、出来るだけ遠くに射やる事と学べます。その最大の目的を失っては学ぶ者は混乱します。「骨法の理」を学び、実践修練し「必ず中るという確信が自覚される事」は、アタリハズレの二元論、善し悪しの詮索など相対的な射から離れる事で、竹林坊如成師がその事を書き記しています。
的中至上主義の言葉には、射法の「法」を無視して射法射技の真「骨法」を学び続けず、矢束とは何かを学ばず「矢束一杯」を知らず、実践で骨法の定める矢束を取らず緩めて当てて、勝ち負けにこだわって当りの数を競い、勝者の射や流派などの名声・肩書こそが正しいと信ずる、比較差別の詮索して弦道を修正しつつ会を模索した「当り至上主義」では無いとですよ、と学ぶ事ができます。
「武禅」梅路見鸞師
「本来骨法は、各流派共に、所定の形姿の構成と、左右上下の墨曲の成立との便をとるのみにして、即ち骨を頼り肉を頼るの範囲を出でない射の中途のものである。更に厳重に云えば、骨法は心身の自在の伸展を阻止するの杓子定規である。故に此規より一歩出を事を得ない。為に骨法偏重の射は歳を経るに随い(敢て老年の故では無い)筋肉の衰えと共に射詰り、唯述馴れの小刀細工と、魂の脱殻の如き貧弱なる射をみせるのみである。
由来、射に限らず総ての道は、規あり條ありて、之に入るを得ると云えども、これに捉われず規條を脱して、真の規條を得るに至って初めて基道に達するを得ると云うが如く、無法の法、無規の規こそ、限定無き自然の大道である。曰く、君子は器ならずも此の謂である。」
このHPでは骨法の定義を「尾州竹林派弓術書」の定義に随て骨法と骨力を記述しています。梅路見鸞師の示唆には統からく「自然の理には相対など無く唯一無二の自在性の中にあり」「射もまたその中にある」と今は思います。梅路見鸞師の云われる「通ける」との示唆を骨法の「直なるを直に育てる」上位の概念として、本来、自然というものは直にして動的に関るので敢て直にせずとも心身が弓と応じて射ると実感すればよい事でそこに意図は生じず、射の始めから終わりまで内から外に無限に意識も力も「通けている」と愚推します。それ故、梅路師の要諦に気縛の停滞は無いし、通れている状態では弓箭と心身の分離も射の始めから無いと云えます。それ故、意識は
骨法の先にあるもの
何故、この課題を考えるのかをのべます。
本多利実師、梅路見鸞師、阿波見鳳師の示唆を学べば、「骨法」に捉われて射行する事も、また「的中」に捉われていると、私は感じます。その事は「弓箭が有用な時代」の事で「弓箭が無用の時代」はどうなのかとの問いがあります。
先哲三師の記述には弓箭が無用の現代にあって「繰返し正しい的中を可能にする骨法」を身につけた先に、骨法を含んでこれを超えた射の本来の姿がある事を示唆されている事を感じます。三師は「射る前に的中を確信する」、それは技の良し悪、技の正雑など比較差別の二元論的な射では無く「射行の動作中、射る前に中り外れの理を覚知して成る射」をさしていると思います。当然の動作は当然のことが顕れるのが自然の理であって、骨法が全備され完備されなければ真の射では無く、当然の行為が当然として顕れる事が真実であると動作や行為の中で覚知される事と云えます。梅路師は「自然合理の射法」を武禅に開示し実践実行し、阿波見鳳師は「大射道教」を実行しました。もとより、本多利実師と竹林坊如成師の記述と実践からうかがえることであります。
何故、「的中は”技(姿勢)が三で精神が七”」と本多利実師が述べているのでしょうか。「技二精神八」とも先生は言われます。
射法の規矩など考慮せず、癖射ともいえる自分だけが繰り返しできる姿勢(わざ)で当てる天賦の才で当てる方を、身近に見る事が沢山できます。勝負勘に依拠した集中力が同じ姿勢を繰返させ、あたりを重ねますが、それは伝承する技では無いと自覚されている方は謙虚であり、多様性の時代には大切な射と思います。また、初心の方は無我夢中で精神が集中されて我知らず、素晴らしい射と的中をたびたび見る事ができます。この経験は「骨法の先の射の様相を呈している」気がします。往々にして、形に捉われた指導はその精神性を消滅させます。特に初心の方に、弦を取って指導をされず、体に触れて教えては射の本意を失わせます。
「技二」は「骨法の技」を正しく身につける稽古の課程:意識せずに骨法に適う動作をなす行為に「精神七の自覚を促す射の筋道がある事」をこれら三人の先哲が実践し伝えるている事と理解できます。初心の方と同じ、我知らず離れ、我知らず中るという経験と思い起します。射には因果や比較する二元的な世界観と一元的な世界が常に行き来している気がします。
「技即道」とは、先ず、「正しく骨法の技を身につける努力を継続し」「射場で行う一射はそれにとらわれず、つまり技や形など意識せず射行できる骨法の先の射の道」を目指しなさいと学べます。人の道を弓箭をもって導く梅路見鸞師の述べる道法の十段階の階梯を思えば「初めのひとつ:第一段階」が「骨法の射の覚知」で、先哲の云われる”「道」の入口まで”と私は考え、学び稽古しています。このHPはその第一段階なので、それ故、タイトルは「射」としました。
「矢束一杯に引かず、緩めて当てる等射法の規矩を無視して勝ち負けにこだわる欲心が充満した状態」を「集中力が高く立派な精神力」と云って指導される事には違和感を覚えます。
初めて弓を手にした初心の方が「癖の射で良く当たる人を見ればこれを正しい射と信ずるのは普通です」と高穎師は射学正宗の中で詳述しています。「それは癖の射で、誰もができる規矩(きまり)が無いので、真似る事も教える事も伝える事も出来ない」と高穎師は述べています。骨法の理を先哲の記述に随って説明し自己の癖の技を教えるなど決して思わず「自らの癖の射を開示して同じ学ぶ立場で射の稽古を積めば」学ぶ姿勢に自他の本意が通じ合い自然に慈しみが生まれる中で射の実践そのものを楽しめば、実に射はその目的を果たしております。先哲の如き良導の師が居られない時は「意を同じくする数人の仲間で稽古しなさい」と400年も前に高穎師が射学正宗で云われる事と学べます。
「二十五有に随って稽古しなさい。しかし二十五有の内に居ては射はわかりません」と竹林坊如成師は云われます。
何故でしょうか。
多様性
「清き水に魚すまず」と本多利実師が言われる事
指導の事
弓箭が実利の道具でない現代、「清き水に魚住まず」とは指導者に向けた本多師の問い、と学べます。この示唆は明治40年の本多師著「射法正規・中巻」に述べられています。
明治40年当時を俯瞰すれば、江戸末期から明治維新をへて西欧の近代科学的文化の黎明期から近代日本の社会構造が擁立する時で、弓界には大正期から戦前に活躍し戦後の弓界に関る多くの弓道家の若き研鑽の時代に入った時と思索できます。本多師の「射法正規」はこれから来る時代、実利でもなく、武士の表芸でもない時代に向けた伝統の事物:弓箭と射術の文化の存在意義と方向性を示されたと学べます。江戸期でさえ、「法」を見失い「名義と形」と流派にとらわれ易い弓界の実情を。「本は一つ」「骨法を知らず」「筋力に依拠し弱弓で形に拘泥する」等、繰返し警鐘されている事を前提に「清き水」とは何かを考える事にします。
加えて、明治期に日本の武術や技芸は、自らその技と事物に「道」を据え「礼や徳」をもって「理念」を掲げて、大衆性と論理と言詮が軸となる来るべき時代の社会性を担保したと思います。何故なら、本多師著明治42年「弓術講義録」には、江戸期末までに弓馬槍剣銃砲など十八藝は「形と名義」だけで指導し、学ぶ者は「目録」や「皆伝」等の肩書だけを求めた記述しています。武術の内面など陶冶する事も無く、明治に入って、「道」や「礼」や「徳」を据える事の背景には、「実利の技藝の ”利” の代替えに、為す事で得られる肩書等の社会性を担保するための言詮を掲げた」と、その視点からも本多師の示唆を俯瞰できます。本多利実師は弓箭の文化に内在する負の局面が来るべき時代の射の文化を歪曲し、射に似て伝統とは和弓の文化を背景にした「正しい射行射技が失われる事」それを見通して現代社会の射の指導者に向けた「清き水に魚住まず」の示唆を投げかけたと愚推します。
本多師のこの示唆に触れると、現代社会の射法射技の指導法に向けた三つの課題に飛躍して考察すべきと思います。
1・「射は癖が着きやすい事、指導者もふくめて誰もがこの癖から逃れにくい事」その歴史的な事実を認識して指導は為される事。
「清き水」が「正しい射技」であって、指導稽古がこれに過ぎれば、「学ぶ人を射形を詮索しながら射行する癖」をつけるマイナス面がある事を示唆
1・「物事は正しい事を行う事が道理である事」を前提に本多師が「清き水」と云われる事を指導される方どのように向き合っているか、
射の歴史を振り返れば、殆ど形と名義の比較差別の欲を誘発し射の衰退を招いた事実から、指導するに当たって「其の正しい技の実践と理念に至る具体的道筋が歴史的に実態として無い中」で「正しい技を云われる指導者自身で、自身技の真偽を究明する事」を示唆
1・封建制から解き放たれ、西欧の合理主義と明治期の日本文化の揺籃の中で来るべき時代の射の文化とその在り方を課題にされている事
射の文化は自己開発と自己発見を促す役割がある事が来るべき社会の存在性であり、実践の方法に顕れる学ぶ方の多様性、射行に向ける創造性に目を向けて指導される事
以上は指導者が自然の理に則した骨法を理解し「先人と同じ伝統の弓箭によって、まず、正しい射の稽古実践を重ねる上で、指導者の鍛錬の広さと深さに応じて、学ぶ人の時処状況に応じた現代の射の活用を工夫を伸ばし、学ぶ人の射に顕れる意識の自在性、多様性、射の生活の創造性を喚起する事
癖の射
本多師の記述には「癖の射」は誰にでも必ずあります、とその事実をのべています。それを「癖だ癖だと云って、射行中に体に障って、正しくしなさい」と指導しては、学ぶ者は「正しい技が出来なければ射では無い」と思い込み、常に射を疑い、弓を押し開くより詮索しながら動作をします。形にとらわれた人、清き姿が中味の無い動作に学ぶ者の意識を固着する等、ヒトを創らずロボットつくるに等しい事にきずかない指導をよく見、生涯学ぶ人の道を奪います。
失礼を顧みず述べれば、肩書を旨に指導されるかたで癖の無い方はおらず、骨法の法に適わない射方する方をよく見ます。更に思案されるのは、凡そ、骨法など究明する事も無く指導する無責任な言動もあります。努めて「自己の射の理と実践」を学ぶ人に開示し、肩書に囚われずに「自己の射癖」を学ぶ人に謙虚に問うことも無しに、立場の中での指導の姿は「言詮や、図示された表面的で静的な八節の図絵の姿・形と比較差別し、合わなければ射では無い」と云われては、学ぶ者は射に迷い、日々の稽古に迷い、生涯詮索する射の世界の「清き水」言詮の底に沈み込みます。
本多師が云われるのは「正しい射、骨法の射の理を考えて実践稽古する ”具体的な骨法の技の稽古の方向性” が大事なのであって ”姿形の美しさや中り外れの結果では無いですよ” と云われているのです、骨法には方向性が在っていつかその姿は理に適う事を保証しています。五重の十文字はどの弓術書にも顕れます、それは静的な図絵を意味しているのでは、射を行う一連の連続した動作の位置局面でこの先に離れがあり残身が生まれる事、その弓を押し広げる意志の連続性と方向性が重要であって、生まれる形の不具合、癖を如何に射手が自覚し、次の稽古に主体的に骨法を学、工夫して臨むかによって創造性が培われます。その稽古の方法は誰もが自分でつかむものです。
学ぶ人の志にそって、指導される方は「正しい技」とは「自然の理」に依拠した「骨法」の技を実践で示し、その理を説き学ぶ方に則した稽古する目標と具体的技を指導される方が実践で開示する事になります。その洞察は指導される方の鍛錬の深さ、、骨法に根を置く「理念」の具体的な方法論究明と実践にそって、学ぶ人の日々の稽古実践が適切に工夫される方法があることを言われていると理解できます。
その射の意識の多様性は「結果を思わず、射行中にしょうずる因果を離れる事を自覚する事で、射手が成すべき方向が射行を通じて射行中の現在身の行動におのずと自身に明確に自覚行動される事」が現代の射の有り様で、射の持つ自己開発の無限の可能性が具現することで、射の多様性が証明されると云えます。
清き水
本多師が指導される方々に「清き水に魚住まず」と示唆される事にもう一つの背景をみます。澄んで透明に見える「清き水」は飲める水なのでしょうか。
指導される方が「清き水」と思われる「濁りの無い澄んだ心境」そのもものに「射に無心に接する意識」の中に無ければ、この言葉も全く意味をなさない事です。一つの課題は「技即道」と云われる「道」の理念にあり、それ故、指導される方は「技」そのもの「真偽」に常に対峙している事の必要性を示唆されていると思います。
現代社会に、「道」の言詮を据えての指導される方は、弓箭を扱う技を「弓道」といい「武道」といって「礼」を据え「徳」の育成を念ずる事を、進むべき道の目的に現代の射の意義を話されます。学ぶ者は「この道」は無知不明にして、この言詮の威圧にさらされ、知らず、上下の束縛を感じ、また自らも威圧を快感にして段位を競い、射を学ぶ心の居場所を失い、知らず、意とは真逆の事が暗雲の如く漂っている事を肌で感じます。其の事を指導者がどのように応じられるかと云う課題に明解を為されるべきです。
上下を作る比較差別の競争・競技の世界に「正しき」等の「清き言詮」が何をもたらすか、指導される方々の「清き心」が問われていると思います。常日頃それを問わねば、先哲が顕現し、伝統の事績と成って顕された広大な射の世界とは全く別の世界に無意識無責任に肩書に依拠して指導される失を犯す、と本多師は警鐘を鳴らされ、又、高穎淑師や武禅執筆の先哲の多くの記述が指導者に向けられた記述でもある事実から理解することが出来ます。
その焦点は、「技即道」の「技」に「正しい技」は「自然の理に則した骨法であり」、射法の「法に適う技」を「先哲と同じ射業を実践で示している」とおのずから日々顕現せずには「清き水」そのものも戯言と暗に云われる課題に指導される方が明解に実践で示す事でしょう。射法訓を掲げ指導されるなば、宇野師が研修で繰返し「骨法」を指導されているにも関わらず、現代に続く指導の有り様に接しますと「骨法を説く本多師や高穎淑師や竹林坊師の射法射技を徹底に究明と実践で明解されていない」と思うのは私の事実誤認に記するのでしょうか。
射に癖は付き物:正雑二念の平衡を保つこと
「人の道を説く弓道」を掲げ稽古場に「道」の書を照らして「技即道」を唱えても、「射法八節を修得」すれば「理念に適う人」と成る具体的な道筋、例えば叡山の千日回峰の修行の様に具体的な行動内容(導法)を開示し指導者自らそれを実践指導する事が無くては、「禅」の正しい導師とは異なる、野狐禅と云われてしまいます。このHPの課題で云えば、正しい技の要になる「自然の理に叶う骨法」の究明・実践教示も無くしては「清き水」が飲める水か飲めない水か不明です。
本多利実師は十八藝の中でも「中味を無視して形だけを真似しやすい技」の第一は射技と云っています。本多師の始祖竹林坊如成師は「形に捉われ、アーダコーダと詮索して、形に迷い苦しむ射癖を輪廻の弓」と云って「六道の病」を射の病の第一に据えて射を学人に注意を喚起しています。本多師は「射法正規」で「射に癖は常につくもの、むしろ射の修練の過程の真実である事を認識して学ぶ人を導きなさい」と云われていると理解しました。形から見れば癖の射であっても、射行そのもは射手の真実が顕れている射行は稽古のたびに一度は見ます。癖を見て射をする射手の中の真実を観ずにいれば、指導者が学ぶ人の稽古の意識の具体的方向性、自然の理に随う骨法の技に随って陶冶する方向性を論理的かつ創造的に指導、育成する事はできません。
それ故、本多利実師は「清き水に魚住まず」と喝破して「正しきを思いてその理を忘れずに」と指導者が射手の状況に応じた柔軟な教導を工夫しなさいと示唆されていると理解しました。「射に癖は付くもの」と自覚して巻き藁で法則に則り修正稽古し、「射場の一射はこれに関らず弓箭を骨力主に筋力を従にして弓・弦を骨の向きに一心に押し開く事」加えていえば「的を審定して足踏み胴造りをしたら目は自身の内の骨力方向性に意識を集中すれば自然に射法八節の形が顕れ、矢束一杯の動的な五重の十文字の中で、意識は又に注ぐ」事といえます。さすれば射行中に癖によっておこる「雑な動作、意識、射を尽くさず当たりに気を取られる邪心」に射手自身が気付きます。指導者でなくとも、射を為す弓友もその事を指摘できます。梅路見鸞師が射法七要諦の第一に「正雑二念の平衡を保つこと」を述べています。
常日頃疑念におもうのは、数十年の熟達射人が、弱い弓で筋力を使って「美しく引く六道の病:天道、人道の抜きがたい精神的な癖」ほど「清き水に魚住まず」の世界を拡大しているとおもいます。其の本は、形と肩書の名義の取得の競争心が、横着心に依拠して射の正しい技をと技にいる事が原因で、骨法を学ばずに癖を重ねればいつしか癖も身に付いて身に付いた癖を疑わばないので、肩書ととともに指導されては学ぶ者を生涯迷路に誘います。自戒されるところであります。
癖に目を向ければ、本多師の問いかけには寧ろ、実利の射から離れた現代には「自然の理に則した骨法の射の理」を徹底すれば伝統の和弓の用法に内在する日本文化の創造性を活躍する躍動があることがわかります。更に「骨法も又型の束縛にあり」その本になる「自然の理」に基ずく射こそ、日本中に射を用いた日本の文化が活きずいて継承されている多様性の証明であり、その事実が。形の世界に陥りやすい指導者の教条主義的な閉塞感を打ち破り、射の持つ心身の躍動と解放感を放つと学べます。
高穎師著「射学正宗中巻」に見る「癖の射に向かう射手自身の心境」
骨法の理を実践し無い指導者は、癖を目にすれば、目につく癖をしきりに手を加え「絵にかいた八節の姿を正しい技・正しい技と云って、射形だけが射と理解して手取り足取り身体を触って羽交い絞め」にして指導します。学ぶ者は弓を押し開く意識に集中させることはできるはずはありません。学ぶ者は射形を探り、詮索しながら恐る恐る射をする事に疑いを持ちません。やがて学ぶ人が指導する立場になれば同じことをします。いつしかそれが「正しい技」と思います。
身に付いた癖も含めて、身に付いた今ある自分を自在にして一射を為さなければ、弓箭も自身も活かせません。
それ故、自在に射をなす射手の意志と射行中の正雑・正邪を見て「正しい方向」に導くのは、「時所位の射」とは何か理解し、実践できる指導者の責務と云われていると学べます。指導者が骨法を究明して向き合わねばそれも不明です。
本多師が「清き水に魚住まず」の譬を用いた事が理解されます。
現実はいかがでしょうか、規矩を全く無視し自分の癖の事実を明らかにすることも無く自分の癖を示す指導や、「礼」の後ろに隠れた封建的な形ばかりの「礼」を押し付けるハラスメント等はあってはならない事です。その上、手取り足取り身体を触って指導されれば射手の意識は射の向きません。「弦を取って教えなさい」と先哲は云われます。「弦取るには骨法を理解せねばなりません」。本多師は指導者が謙虚にして常に「正しい心」で「正しい射の技」は何かと「射の理を研究し、実践修練を続け学ぶ事」を繰り返し述べています。そうでなければ「骨法の中味の無い癖」の射が蔓延し「形だけ射に似た演じごと」:日本の伝統の射は「名称とまねの姿の世界」になる事を、歴史の事実を挙げ、繰返し警告しています。
「正しきを思いてその理を忘れずに」に学び、まずは「伝統における本来の正しさ何かを自らに先ず疑問を投げかけ、謙虚に伝統と現在の自分の姿・技に謙虚に向き合い、素直に問い掛ける事」をすぐに為すべきと理解できます。現代弓道を楽しむ人は多岐にわたります、「正しい」とか「道」とか「礼」を述べる人は「その理念」を自問し伝統の射の技の事実、同様の事を顕現することなく指導せねば、往々にして学ぶもを惑わし、虚を伝える事は歴史が証明します。伝統の事物が長い間の時代時代の文化に陶冶されて現代に在れば、伝統の道具と技から生まれる多様な活動には、それぞれの時代の生活に立脚した考え方や価値観に基ずいた事物が生まれるのは、伝統の分野にはよく見られることです。
正しき事」を「礼」の唱和と段級の上下に於て「正しい」「正しい」と言い換えても何も起こらず、弓二張りなど射では無さいない方法を秘伝として相応の弓を述べ、的中至上主義の天文筋に囚われ弓箭と身体の合理性、矢筋と三重の体構えの規矩の無視には始まり、矢束一杯など物理的な束を感覚的な解釈にして惑わし、十文字の規矩を唱えながら残身で手首を折るなど唱える流派など一体数百年も続いている原書なども不明、それ故、その言詮が「正しい」の究明など、未だに不透明でありながら、「本は一つの」の本に回帰できない自浄能力の相互の削除などが挙げられます。それは、学ぶ者は分らない事で、指導者の姿勢の課題であります。
現れた行動が価値観と異なればその姿・形は中味とは異なる奇を衒った名前ばかりの事物なのでしょう。したがって、今見るその姿・かたちに疑義が浮かべば、「何故!」と問いかけ、其の本を尋ね理を明らかにして、実践を通じて「姿かたちを顕した技が正しいか否か」、つまり正しい理論と実践の適否、間違いを射を行じているその時に自覚する事と学べます。
多様性
屋外に遠的で矢が音を立てて青空を飛翔する爽快感は心に浸みる事をはじめに記しました。
矢を射放つ爽快感と、思い思いの心に適う自由自在の射行の多様な姿はいつの時代にも見られます、弓箭の活用と矢を射る方法は沢山あります。それは射の文化、歴史に見る数多の事実、日本の風土と地域に弓を用いた行事などなど、テレビやネットなどで知ることが出来ます。遠くのものに射中てる予感、飛んでいる矢に何も為し得ず見ている静観と欲に起因する不安、結果が生まれた解放感は時代をとわず心に響きます。
弓を初めて手にする動機はいろいろ伺い知ることが出来ます。各地の祭事や神事、四半的などの遊戯、流鏑馬、各地の武道館などでの射の稽古や競技を見て矢を射たいと、学生時代から、また社会人になって始められます。今日では仕事や日々の家族との生活から放たれてから始める方も多くなりました。多くの市に弓道協会あり、弓箭を扱う技をしり心構えなどを教わり射技を身につけます。そこで、弓を射る技には「法:射法八節」が有る事を知ります。
各市の弓道協会の目的は「弓を愛する人の集まりで、親睦と射の技術を向上を共に稽古し、射の文化に寄与し、市の文化生活の向上にきよする」を持つ独立組織として活動します。協会は市の教育委員会や日本弓道連盟に組織として参加する場合もありますがあくまでも、独立した組織で、教育委員会や日本弓道連盟の下部組織ではありません。
当然教育委員会や日本弓道連盟は組織としての目的や理念や統治機構を有します。現実には日本弓道連盟の指導方法で実践されるのが実態と云えます。上述しましたように、各協会に所属する射手は第一に協会の目的に適う事になります。実利の道具でない現代においては、人に迷惑をかけずに矢を射はなつことを前提に、射手個々人の想い、価値観に基ずいて弓を射る事ができます。寧ろ、その姿勢は協会で指導される立場の方々の日々の心使いと実践する行動に顕れ、指導される方が何も言わず率先して正しい技を学ぶ姿勢で稽古し実践して示す事と、学ぶ方々と同列で射を為せば、学ぶ者は必ずその良い事を真似します。反対に、指導が強要して自分のワザに縛りこむことも在ります。寧ろそれが多勢でしょう。
現代は射法八節に基ずいた弓箭の扱いはどのような祭事でも為されているの見ますと、射には八節の技法がありそれに理念や法がある事を知っていても又は知らなくとも、安全を前提に、弓を射て当りを楽しみ、友人と会話しながら、仕事や生活の余暇を潤す遊戯の道具としても十分に役に立ちます。寧ろ、時処状況に応じて射る事を楽しむことが大切であると思います。そこに必ず、長年弓を親しんだ人が居られ、または指導者が居られるはずで、指導される方こそ学び人や射を楽しむ人のその射の場を価値あるものにすることが出来るのが相手の無い射の世界と云えます。礼や徳など持ち出さなくとも、時処、集まる方々の意に沿って自在に応対するのが、射の指導者のとるべき道と思うわれます。正しい技:射法八節は知っていても、射の姿はその人の価値観を明らかにして為せばよい事です。
画一性
各協会の現実は日本弓道連盟の高段者や称号者が射法訓を理念に掲げて、段級の序列で指導するのが実態と思われます。今まで述べてきましたように、教本と機関紙には射法八節が自然の理である骨法である事が記載され六分数厘の弓が引ける技である事が明記され「技即道」を指針にしていますので常にその先にある「礼や徳」をかかげます。云う事と為す事の課題について今まで述べてきましたが、先哲の警鐘は「上位下立の一方通行的な画一性」が流派に始まる射の組織の課題で、それは必ず形と名義だけの射に似たモノになる事と学べます。
射法を知って心いやす道具として弓箭を扱う、その取捨選択は指導者の鍛錬の巧拙の上「清き水に魚住まず」と本多師が言われたように、指導者によって分別されれ、学ぶ者と指導する方々に差異があれば指摘しあい謙虚に話合えばよい事です。それは高穎淑師が述べ本多師も弓術講義録で述べています。
技や形に捉われず「何も心に抱かず一心に弓を押し開き、矢が飛ぶ爽快感」こそがいつの時代にも弓箭が生活に活きる続ける本源と学べます。誰もが弓箭を手にして生活を潤し心をリフレッシュできます。それに理念を付けて画餅になるか、弓を手にし「弓道」を知った初心者の指導こそ重要と本多師も高穎淑師も繰り返し云い、指導者の責任をどの先哲は繰返し警告しています。明治以降、あらゆる日本の伝統の技藝に「道」を付与して「礼と徳」を掲げて理念に据え「技即道」に社会性をあてんとします。そのような世界を知りたいと思う動機あるでしょう。同じく禅の精神修養の如く考えられている人もいるでしょう。武道と云って剣道や柔道と同じ段位た称号などを得たい人もいます。中り外れの多寡を競う人、上下の肩書を競う人、争い武具の扱い接する自身に反省と心の構えを旨とします。これには反対に、自身の恰好付け為の統率の道具に埋没するのが多くの状態でしょう。その多様性こそが弓箭が現代社会に活き着き、生活に潤いをもたらします。多様性は相互にそれぞれの価値観を明示して、その価値観に応じた射を実践して顕現されます。
射学正宗で高穎淑師は意識を同じくする弓友が相互に看取り稽古する事を薦める真意と思います。現代施設の道場が少なく公共の施設で多くの方が射を学ぶ時、礼や徳を持ち出してこれ以外は射では無いと云う「失礼」かつ尊大な態度で射場を統べんとする方が的の後ろ狙って矢束も取らず緩めて当てて骨法の射を説き理念を肩書で示される事に質問して問えば「無礼」といって応えずにいては射場は凍ります。伝統の技に道を据えたすべての藝ごとにいえる事でしょう。多様性を大切にする現代は、自分の価値観を明示して実践することで、多様性は初めてその具体的内容と行動の姿がはっきりします。反対に、価値観と実践が異なれば多様性でなく、単なる奇を衒った名声と姿で名とは異なる事物と云えます。さらに、弓道に権威を据えるならなおさらと云えます。
伝統に関わる職業人では無く、サラリーマンや家庭人の誰もが伝統の技を身に付け自己表現、自己実現させることが出来ます。
伝統の事物に触れ、これを”したい”と思う純真な心に誘われて”伝統”と名の付くヒトや組織を尋ねる事から始まるのは何事も同じです。それこそが伝統の事物の持つ力であり、文化が再生される力です。伝統の技を用いる動機や、心からの欲求は多岐にわたりますので、夫々の心のおもむきと価値観を明確にして、多様性が相互に尊重されて成長する事が新しきことがうまれます。伝統の技を伝える方々は、技を扱う道理と用いる意識・価値観をキチントお話されなければ、生まれ出る人と事物が、人の自立と活性を育む伝統の事物となるとは限りません。常に、伝統の事物とは全く異なる迷い道が在ることを自戒し無ければ、奇を衒ったモノとなります。
それ故、伝統の事物の型形技の表面にある画一性と、型形技にある真の多様性の課題に向きあう必要があります。
最後に
自己実現する実践の一射には 自分や他の方のいろいろな姿に会います。 意識すれば、道具を用いて自己実現をはかる、その姿に宿る心に素直に接し、「射は一技、本は一つと「正しい技」は骨法に随って謙虚に考える事を問われます。その自覚が、自他共に各自の道理に向き合う多様な姿に気づかせ、道理究める多様な行動が顕われる事を知れるのが、射の世界の特徴で、むしろ唯一無二の技と先哲が云われる由縁と学べます。それ故、稽古に在っては。上下など無く互いに学ぶ者であれ指摘する指導者である事を明確に自覚した上で、自他の多様な姿を認識め、自己実現を図り、自立を促す事が今の時代の伝統の型・形・技を学ぶ姿と思います。
道具は本来、この未来を「予測して態勢を調えた過去」と、「型・法則」に従って使用している現在の動作:技の中に「未来を予知・予感する意識・無意識」の中で道具の活用が実行されます。つまり道具と技を結ぶ「型」は「変化」を認識する側面から考える事も出来ます。伝統の技と事物の中味はそれを顕現しています。偉人の事物は姿を透して直接心に映しだします。
伝統の事物は生活に重要な役割を果たし、時代時代に即した道具と用法・技を工夫して次世代につなぎます。組織を為せば、集団の大きくなるにつれて、道具を扱う動作が型や形等が一つの様式となって集団と個とを結びつける役割、機能を果たします。弓箭も同じです。弓箭は時代に沿った新しい文化を生み、その新しい文化の中でまた、新しい役割や機能が付与されているのは歴史が示しています。弓箭は文化によって再生産されます、今まで繰り返し述べましたように、弓箭を扱う射法射技には、誰もが使用できる汎用性とその理を学ぶ姿勢の両輪が行きかう射の中に法や形や型を知ってとらわれない自立した自在性、心身の解放感が矢飛の姿に顕われるのでしょう。
「清き水に魚住まず」で始まる本多利実師の示唆は「これらは時所位によって取捨勘弁は鍛練の巧拙の上に分別すべし」と続き指導される方の重要な役割を説いています。その事は学ぶ方の今ある力量と意識の在るがままの射を活かし、癖を骨法に随って見直し、自分の創造性働かせて射を築けば、射場の一射に去来する「正雑・正邪」が同居する自分を見て見失わず、射の内実を豊かにします。
寧ろ、指導者が骨法の定める矢束一杯の理論的説明も無く、矢束も取らず軽い矢と弱い弓で緩んで当てて、競射し、勝ちを自認している姿・等、誰が見てもすぐわかる「失」をないがしろにして、道場全体に「礼」だ「礼」だと「清き水」を振りまく姿にあっては、学ぶ者は深い闇に陥ります。
現代こそ、型形を知って、かたかたちわざにとらわれない禅的な世界の一射から地方地方の祭事に至る射の顕現を包括して、骨法に関り骨法に束縛されない自然の理に則した射を伝承する工夫が大切と思います。