フォーラム1
精神科学に精神を奪還する
G. ブックの人間形成論とリッター学派
報告者:森 祐亮(大阪大学)
司会:藤井 佳世(横浜国立大学)
G. ブックの人間形成論とリッター学派
報告者:森 祐亮(大阪大学)
司会:藤井 佳世(横浜国立大学)
戦後ドイツ思想界において最も影響力をもったアカデミック集団がフランクフルト学派であることは、論を俟たないだろう。2024年現在までも生き存え、学問の内外になお圧倒的な影響力を持ち続けている、いわゆる「第二世代」に属するハーバーマスを筆頭に、その前の「第一世代」に属するアドルノやホルクハイマー、少々アウトサイダー的な位置づけになるが学生運動においてカリスマ的な影響力を誇ったヘルベルト・マルクーゼなど、フランクフルト学派の戦後ドイツにおける存在感は他の追随を許さぬものがある。
こうした流れは教育学にも少なからず影響を与えた。1960年代から1970年代にかけて、このフランクフルト学派の理論を自らの理論的下支えにした「解放的教育学」が教育学を席巻した。それはまた、ディルタイに端を発する「精神科学的教育学」の衰退を同時に意味していた。事実、解放的教育学の台頭と軌を一にして「精神科学的教育学の終焉」が叫ばれるようになる。すなわち、広い意味での思想においても精神科学や精神なる概念のイデオロギー性が糾弾され、その流れが教育学にも波及したと言える。
なるほど、そのような流れがあったことは事実だろう。しかし、戦後ドイツ思想史は決してそのような単線的な語りで汲み尽くせるようなものではない。発表者はこれまで、ガダマーの弟子である教育学者ギュンター・ブックの思想研究を行ってきた。その中で明らかになったのは、彼らはある意味においてドイツの戦後保守派とも呼び得る思想家たちの一群に属するということである。彼らは、文化や伝統をイデオロギーの培養地として弾劾するフランクフルト学派とは対照的に、それらの理性的性格を重視し、さらに19世紀的な権威を重んじる。そして彼らにとって非常に重要なのが精神科学である。19世紀の教養市民的伝統を重んじる彼らは、その結晶とも言える精神科学に拘り続ける。その代表的な人物が『歴史的哲学事典』の編者として知られるヨアヒム・リッターとその弟子のリッター学派の人々である。そして、こうした人々は実はかなりの影響力をもっていたのである。にもかかわらず、彼らについての研究は現状ほとんど存在していないと言ってよい。
精神は本当に無用の長物、役に立たない前時代の遺物なのか。そして、その精神を対象とする精神科学などは乗り越えられるべきものであり、文化研究(カルチュラル・スタディーズ)や文化科学(クルトゥアー・ヴィッセンシャフト)にとって代わられるべきものだろうか。残念ながら、発表者はそれに対する明白な答えを持ち合わせてはいない。しかし、少なくとも戦後ドイツにおいてそれにはっきり拒絶を突きつけ、なお精神科学に拘ろうとする人々がいたことは確かである。「精神科学はもう古い、終わったのだ」と結論づけるのは性急すぎるだろう。本発表では、発表者の研究対象であるブックを中心磁場として設定しつつ、不当にも無視されてきた戦後ドイツ保守派の人々の思想に着目することで、戦後ドイツ思想史に、従来とは異なる解釈枠組みから光を当てることを目指す。
※ 対面+オンライン同時双方向型