コロキウム4
教育人間学のハイデガー
── 京都学派における「存在論と人間学」の問題 ──
企画者:森 七恵(京都精華大学)
司会者:井谷 信彦(武庫川女子大学)
報告者:川上 英明(山梨学院短期大学)
髙谷 掌子(石川県西田幾多郎記念哲学館)
森 七恵(京都精華大学)
門前 斐紀(金沢星稜大学)
教育人間学のハイデガー
── 京都学派における「存在論と人間学」の問題 ──
企画者:森 七恵(京都精華大学)
司会者:井谷 信彦(武庫川女子大学)
報告者:川上 英明(山梨学院短期大学)
髙谷 掌子(石川県西田幾多郎記念哲学館)
森 七恵(京都精華大学)
門前 斐紀(金沢星稜大学)
本コロキウムでは、京都学派の思想圏を中心とした日本のハイデガー受容に焦点を当て、両哲学の接触の場から、教育と人間をめぐる思想史的課題を浮かび上がらせることを試みる。議論の出発点には、京都学派のハイデガー受容における、存在論の「人間学的な」読みかえという問題がある。ここには一方で、存在論を主軸としつつも、現象学・解釈学・実存論という方法や主題の広がりから、人間学の近接領域となりうるハイデガーの思想自体の可能性が示されている。しかし他方でそれは、京都学派のそれぞれの思想家が、ハイデガーの存在論から意識的に距離をとって、自らの学問的主題や方法を提示していったことをも意味する。このずれのうちから、人間学的主題としての「教育」の思想史的論点を見出すことができないだろうか。
以上の見通しから、具体的には、次のような報告が展開される。川上報告では、田邊元-森昭の教育人間学のハイデガー解釈とは異なる議論として、三木清・九鬼周造・中井正一による一連の人間学のハイデガー的形態を検討し、その政治的ないし教育的な可能性を考える。髙谷報告では、ハイデガーと西田幾多郎における「動物/人間」の人間学的発想を比較し、それらの教育人間学的展開として矢野智司のメディア論に注目する。森報告では、和辻哲郎のハイデガー受容において浮上する「主体性」の問題に注目しつつ、和田修二のハイデガー受容に即して、教育人間学におけるSubjekt(主観/主体)の問題領域を見極める。門前報告では、和辻哲郎の倫理学におけるハイデガー解釈と、一面にその影響下で体系化された木村素衞の教育学を読み合わせ、自然/技術の共同性をめぐる人間学的な視座を探る。
これらの議論を重ね合わせることを通して、京都学派のハイデガー受容における「存在論と人間学」の問題を、教育人間学の課題へと架橋していきたい。
※ 対面+オンライン同時双方向型