不定性と量子認知について
(個人的見解をちょっとずつ書いています。詳細は紹介している論文や書籍にあたってください)
(個人的見解をちょっとずつ書いています。詳細は紹介している論文や書籍にあたってください)
最近(2020くらいから)の私の研究のメイントピックの一つは不定性であり、それを研究するフレームワークの一つとして量子認知という研究方法・分野によっている。このあたり、どこかで整理しておきたいと思い、ここに書いていく。量子認知については、私の立ち位置を含めて、簡単な解説になるかもしれないが、気が向いたときに適宜書くのであまりきちんとしたものにはならないと思う。ブログとかnoteくらいの確度だと思って欲しい。基本的に書きかけ。
「不定性(Indeterminacy)」という言葉は、私は複数の意味を持つと考えており、場合・時期によってやや違う範囲の意味で使っている。違うのに同じ言葉を使うのは誤解を生むかもしれず、もうちょっと考えた方が良いかもしれない。
最近は、私は、古典確率論がモデリングできる確率的な構造や、ノイズ、誤差、については「不定性」と言わない(ことが多い)。どちらかというと、実在論的な定まらなさに対して「不定性」と言っており、認識論的な曖昧性(知識が足りなくて確率的にしか表現できない)場合は「不定性」と言わなくて良いように思う。ただ、この辺りは文脈や相手とのコミュニケーションにも依存し、より広い範囲に対して使っているように見える場合もあると思う。
量子確率論を使ったモデリングでは両者を区別できて、非直交な可換測量のペアの同時確率分布を考えられないケースが前者(実在論的な定まらなさ)。ただ、そもそもある一つの可換測量の観測結果も、確率分布でしか決められないことも不定性だと思う(素朴実在論的には)が、私には自然すぎて時々忘れる。しかし、どうも、たぶん、みんなにとってそれほど自然ではないのかも。以下に挙げている文献も参考に。西郷・田口(2019)や、ちょっとしか読んでいないがカレン・バラッド(2023)とかでも整理されてると思う。ちなみに、カレン・バラッド(2023)は読みかけだけど、実在論・認識論で閉じずに、倫理を考えているところが、自己他者認知の問題やQuansi-magical thinking(以下の布山・山田(2025))と関連して興味深い。バトラーやフェミニズムとの接続も(まだそこまで読んでないけど)、エキサイティングだと思う。
私は、どんな認知に興味があって、不定性に着目しているのか。
小説を読んでいるときに、複数の解釈をもったり、はっきりと自分の解釈が言語化できないけれど何か雰囲気を持っていたり、ということがあると思う。小説に限らず、芸術の鑑賞時に抱く感情、あるいは普段の感情も、基本感情に割り切れず、もっと自由ではないか。悲しいときに同時に嬉しくても良いのではないか。それは、悲しい+嬉しい以上かもしれず、そもそも外化しようとしなければ、もっと自由な何かの感情なのではないか。
また、布山・山田(2025)に書いたように、自分が世界や他者に影響を与えられるかもしれないと思えるその余地には、不定性があるのではないか。与えられた事前確率分布を想定して行動するのではなく、その確率分布自体を変化させられると思える余地としての不定性に興味がある。
私の研究の文脈では、以下の流れで「不定性」という言葉が出てきている。
比喩理解の圏論を用いた理論提案においてその理論の名前が「Theory of Indeterminate Natural Transformation(不定自然変換理論)」。ここでは、直接的には自然変換が動的に選択されること、および関連しては圏構造が確率的に決まることを意図している。基本的には、古典確率的な構造が圏論に加わったように見える。ただし、より正確には、共著者の西郷さんがのちに提案された圏上の状態を考えた圏代数をもって実装するのが良いと思うので、量子確率論との接続がある。
不定性をもつ文章理解・解釈(布山・西郷, 2022)。これは、理解や解釈自体は一つの状態なのだが、その一つの状態は量子確率論で定式化されるので、以下の意味で不定性を持つと考える。この不定性の種類は、すでに西郷・田口(2019)でうまく整理されていると思う。1つには解釈のどの側面を意識・測ろうとするか(可観測量として何を取るか)に応じてしか対象が定まらないこと、2つには観測対象を決めても(だいたいは)確率分布でしか決まらないこと。
量子認知の歴史的な流れは、たとえば、この論文(Fuyama et al., 2026)とかこの書籍(Busemeyer & Bruza, 2024)を読む方が良いと思う。
量子脳(量子物理的な現象が脳にある)研究とは区別されるかたちで、でも複数の量子認知の研究の流れがある。英語だと、Quantum Cognition、Quantum-like Cognitionがメインだろうか。でも、同じ名称を使っていても、研究者によって含意していることが違ったりする。
私自身は、たぶん一番せまく、量子確率論(非可換確率論・代数的確率論)を使って認知的対象をモデリングする研究フレームとして「量子認知」を使っている。つまり、モデリングの言語が、古典確率論か量子確率論かの違いで、量子物理は本質的には関係ない。ただし、同じ言語で記述できる現象を知ることはモデルのヒントになるので、その意味で量子物理の知識は役に立つかもしれない。一方で、より広く、量子物理的な現象からインスパイアされて認知を捉えることもあると思う(アナロジーほど厳密でなくても)。
個人的には、量子確率論を使って認知を研究するなら、likeじゃなくてQuantum Cognitionで良いと思うので、自分で書く時はそうしている。でも、量子物理ほど厳密でないというニュアンスを出すためにQuantum-likeとする人たちの気持ちもわかる。このあたりは、もう少ししたら、Ernst Strüngmann Forumで議論した関連の内容が出版されると思う。
そんなわけで、量子認知界隈も、研究者ごとにモチベーションも、目的も、やっていることも違う。私自身は、「量子確率論でしか説明できない現象があった!」という認知を探すために量子確率論を使っているのではなく、不定性を調べるための枠組みとして使っている。したがって、量子認知の枠組みでなくても、不定性に触れられる研究には惹かれる。
量子確率論を使った認知モデリングだって、古典確率論を使ったモデリングと同様に、多種多様になりうる。古典確率論を使った認知研究を古典認知といって一緒くたにしないように、この意味の量子認知も多様。ただ、古典確率論を使ってモデリングする人は、古典確率論を研究対象の認知の説明・予測に用いる言語とする理由を書く必要がない一方で(書いてみたら良いと思うけれども)、量子確率論はこれまであまり使われてこなかったから正当化する必要がある(読み手に対して)。その正当化の方法が研究間で似るのかもしれない。そういった正当化なく、古典確率論で記述したモデルと量子確率論で記述したモデルをAICとかBICで比較して、良い方を取るのだって、一つの方法ではあるけれど。
量子確率論を用いたモデルの多様性は、具体的には、何をシステム、状態、観測、時間発展とみなすかなどがモデリングのコアで、そこに現れるだろう。結局のところ、認知的現象をどのようなものだと思うのか、が発想になる。したがって、古典確率論のモデリングと、基本的には同じ課題であろう。