研究紹介
(現在は簡略版です。近いうちに加筆修正予定)
(現在は簡略版です。近いうちに加筆修正予定)
一度に一つの確定的な時間的・空間的な値を取る身体と対比的に、思考は複数の解釈を同時に抱いたり、定まらない状態を取りうる可能性があります。
たとえば、文学作品などの解釈は多様で開かれているからこそ美的体験がもたらされるとの指摘が文学理論の分野でされてきました。この指摘は、現代社会がしばしば一意でわかりやすい文章を求めるのとは逆の、文章理解の可能性を示唆していると思われます。
本研究室ではこういった思考の不定性の可能性や機能を、主に文章理解を対象として研究しています。特に、不定な認知を表現できる可能性のある量子認知の枠組みに注目しています。
本研究課題は創発的研究支援事業に採択されており、RAを募集しています。
文章全体の理解は単語や文といった部分の理解を元になされます。一方で、こういった単語や文といった部分の意味は多義性があり、より大域的な文章の文脈がわかって初めて定まります。たとえば「赤い人」と言った時、情熱的な人なのか、髪の毛が赤い人なのか、思想的に赤い人なのか、複数の意味があり、それらは文脈によって定まります。このような文章の部分と全体の循環的な理解がどのような認知プロセスによってなされているのかを研究しています。
こういった解釈学的循環の構造は文章理解のみならず、絵画の理解や音楽の理解など、多様な対象に見られると思われます。今後は多くの対象に対して、こういった循環的理解の構造を調べていきたいと考えています。
私たちは現実世界や自分自身を忘れて、物語の世界に熱中することがあります。熱中状態は主観的な状態で、またメタ認知が弱まることから、科学的な研究が難しい対象の一つです。たとえば、私の熱中とあなたの熱中、昨日の私の熱中と今日の私の熱中は同じ熱中状態と言えるでしょうか。「我を忘れて小説を読んだ」というとき忘れていた「我」はどういった認知なのでしょうか。熱中している物語世界の認知と現実世界の認知は同じなのでしょうか。違うのでしょうか。
本研究室では主観報告、生理指標、読解処理推定など多様な方法を併用して、物語への熱中状態の研究を進めます。
比喩理解は被喩辞と喩辞の間の意味的な対応づけによってなされると考えられます。たとえば「椿のような水」と聞いたらどのような水を思い浮かべるでしょうか。滴り落ちる水でしょうか。柔らかい花弁のような優しい味の水でしょうか。こういった理解は、椿の持つ「花が塊で落ちる」「花弁が丸く柔らかい」といったイメージが水の持つ様々なイメージに対応づけられることでなされます。しかも、豊かな比喩理解では、こういった複数の対応づけがその複数のイメージの間の関係性も含めて(たとえば落ちた後も花弁が形状を保つなど)対応づきます。
本研究室ではこういった豊かな関係性に彩られた比喩理解の理論を関係性の記述に優れる圏論を用いて構築し、実証する研究を他研究室と共同で進めています。