二子玉川井戸端会議

【第一回】二子玉川、思い出の味

■日の出屋の鍋焼きうどん。風邪のひき始めの時には、鍋焼きうどんを食べると、100%元気になります!心も体もポカポカです。(福田妙美・52歳)

■古びた極小店のタイガーベーカリーのチョココロネ。子供の頃、買い物帰りによく母が買ってくれたもの。本当は母自身が大好きで、母と私で半分個して、食べながら家に帰った思い出があります。(日比野)

■昭和24年に二子玉川小学校に入学。26年(?)位に学校給食が始まった、脱脂粉乳のミルクとコッペパン!!このコッペパンについての記憶です。現玉川三丁目の「原田パン屋」さんより給食パンは郷土史会会員、野呂シズ江さんの実家なり!!メニューとして、昔から今に至るも人気はカレーライス、揚げパンは、1、2を争っているようです。※個人的な思い出の味に、お彼岸、お盆、運動会などの行事の時につくる、母の「おいなりさん」です。(原佳子)

■高島屋大食堂の「ホットケーキ」。厚い二枚重ねにシロップをかけて、二枚重ねたままナイフを入れるのが感激でした。(井上頌一・76歳)

■中耕地商店街 中華「一番」さん。配達までして、おいしかったあ。(山田イヨ子・89歳)


■味一番のラーメン 長谷川さんのおじさんにいつも御世話になっていました。大倉さんと富士屋さんのうなぎをおもいだしました。(井田)

■昭和51年に玉川に引越しをして来ました。当時は米穀通帳が必要とされ、吉岡米屋さんに手続きをしていただきました。その時にあったのが、米屋のとなりの味の一番と云う中華屋さんで、中耕地では、大きな店でした。浅草に本店があり、玉川にのれん分けをされたそうです。もやしそばが私は好きでしたが、現在50才になります息子は、えびそばが大好きでした。今は、えのきやさんのわきに入ったうなぎやさんがあり、よく配達していただきました。今はどこもなくなり、残念だと思います。(孝子さん)

■二子玉川園の前にあった『福屋』のラーメン。戸越公園で生まれた私は、日曜日、家族で二子玉川園に来るのが楽しみでした。帰りに『福屋』に寄り、父はビールを飲み、母と私や弟たちはラーメンを食べました!(田村尚美)

■山ちゃんラーメン 少し前、玉川通り246号高島屋の南館の富士銀行玉川支店の前に、リヤカーに台をのせた、夜鳴きそばならぬ、チャルメララーメン 。そのご主人、江戸の“イナセ”スタイル 。お祭り騒ぎが大好きで、熱燗酒ひっかけ、その後のラーメンが美味しくて、正に玉川の思い出だ。ご主人から何枚か、名言の短冊をいただいています。懐かしい思い出です。ありがとう。(大塚勝利・76歳)

■玉川高島屋SC地下1階にあった「かつ吉」。一人で晩ごはんを食べに行くと、まずスポーツ新聞がくる。次に山もりのキャベツ(おかわり自由)。そしてわさびを小さな「おろし」でおろして、待つ。いつもたのむかつ丼は、上・下が別盛りになっていて、「食べざかり」の私には大満足な日々でした。(佐々木幹雄・62歳)

■かつて二子玉川商店街にあった「とんかつ・大倉」(昭和49年~平成29年11月)。行列のできる人気店であり、1日限定7食の「特ロースカツ定食」が有名。厚みがあり真ん中に若干の赤身(レアな感じ)が残り、ジューシーで塩をかけるのが定番。月1回は通い、「特ロース」を目当てに開店1時間前に並び、店主とも顔見知りに。残念ながら諸事情で閉店に。(ALWAYS・24歳)

■『漬け物(つけもの)ステーキ』。飛騨高山の郷土料理。ステーキ皿の上に漬け物を焼き、“卵を(二個)”のせて混ぜる。味付けはしょうゆ味。各家庭で作ったり、今では居酒屋のメニューになっています。※卵は一個でもOKですが、二個卵(ニコタマ)がオススメでおいしいです。(TERA・40代)