大勝庵

玉電と郷土の歴史館

大勝庵

玉電と郷土の歴史館

電車が大好きな人、ここはゼッタイあなたを失望させません。

電車がまだ好きでない人、ここで大塚館長の話しを聞くと、あなたは間違いなく電車が好きになります。

『玉電と郷土の歴史館』の素晴らしさ!

この前のオリンピック、そう1964年(昭和39年)の第18回のオリンピックが、東京で開かれた頃のお話。山手線外回り、渋谷駅のまだ駅員さんのいた改札口を出てまっすぐのところに「玉電」の乗り場がありました。2輌連結の緑色の電車の行き先は「二子玉川園」、運転手さんだけでなく車掌さんも乗っています。道玄坂の裏の急坂をグググーンと登りきって、道玄坂のてっぺんで玉川通りに出ました。

混み合うクルマをかき分けかき分け進みます、「三軒茶屋」では右に分かれるのは「下高井戸線(いまの世田谷線)」、そして「駒沢」ここを左に行くとかのオリンピックの女子バレーの決勝の地、駒沢競技場があります。

玉電はさらにまっすぐ進み、やがて多摩川が見えてきます・・・と、電車の思い出話は聞く人の心をなごませ懐かしがらせてくれます。

◇玉電がなくなる日は、どんなだったの? もう「田園都市線」は走っていたの?

◇二子玉川から砧にいった「砧線」って、単線だったの?

◇大井町線は多摩川の橋を渡っていたの?

◇電車賃はいくらだったの? キップの自動販売機って、なかったの?

そんな話しを根掘り葉掘り聞いて、証拠の品を手にとってつくづく眺めたい人が訪ねるのが、二子玉川から歩いて7分『玉電と郷土の歴史館』、楽しく話しを聞くうちに、あなたは知らない時代にタイムスリップできます。そして町が鉄道とともにどう発展したかが自然に理解できます。

そんな『玉電と郷土の歴史館』を訪ねる人のもうひとつのお目当てが、館長の大塚勝利さん、大塚館長の話しを聞きたいというだけで、訪れる人がたくさんいるのです。 玉電や消えた砧線のお話しには、愛情がこもります。今はすっかり住宅地になった沿線が、まだまだ田園地帯だったお話しは、まるで懐かしい写真を見るようです。

電車のお話しだけではありません。大塚館長のすさまじい好奇心は、町のあるゆる変化を記憶にとどめて、その証拠のオモシローイ資料も次々見せてもらえます。そう、ここは玉電と《郷土の》歴史館なのです。

ナイショの話し・・・『玉電と郷土の歴史館』は、その昔、ここで蕎麦屋さんをやっていました。その時、どんなお客が来たか・・・!

おどろくべき話しが聞けます、聞きのがせない!

(イラスト 藤縄聡美)

(イラスト 藤縄聡美)