歌人若山牧水の歌には、地名としての「玉川」や「二子玉川」は出てきません(そもそも「二子玉川」の呼称は、牧水が没した昭和初期につけられたものです)。しかし、多摩川を詠んだ歌は多数あり、多摩川の文字が出てくるものも、間接的に表現しているものもあります。
牧水は早稲田の学生だった明治37年、病気療養のため玉川村瀬田の長崎家に逗留し、その際に二子玉川の多摩川べりを歩いたようです。当会では、牧水生誕100年を記念して、兵庫島に歌碑を建立しました。
多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにもおもふ人のあれかし
この歌に、歌人の俵万智さんはこんな解釈をしています。(『牧水の恋』文藝春秋刊)
〈春になってたんぽぽが咲く頃には、自分にも思う人がいてくれ、という。一見前向きな感じもするが、 何よりも、今は「おもふ人」がいないという寂しさが前提だ。「あれかし(あってくれよなよ)」という念押しの表現には、たぶん無理・・・・・・という弱気が貼りつていてる。〉
この歌は、第四歌集の『路上』に収められています。『路上』は、2種類刊行されている『若山牧水全集』(雄鶏社・1958年、Z会・1992年)のそれぞれ第一巻に収録されています。この歌を含む牧水の代表作は、岩波文庫『若山牧水歌集』がお薦めです。
尚、牧水が多摩川を詠んだ歌(と深い恋の悩み)に関しては、また別項で詳しく紹介する予定です。
※牧水碑救出大作戦! は こちら です。 (令和元・2019 10月 台風19号)
村松梢風(明治22・1899~昭和36・1961)は、大正から昭和まで活躍した作家。代表作は、溝口健二監督で映画化された『残菊物語』、清朝王女・川島芳子を死刑に追い込んだとも言われる『男装の麗人』など。直木賞作家・村松友視は孫(戸籍上は五男)。
二子玉川・兵庫島の名は 、約700年前の南北朝時代に、武将・新田義興(よしおき=義貞の二男)の家来・由良兵庫之介(ゆらひょうごのすけ)の遺骸が流れ着いたことによるとされています。(これは誤りであることを、2019年9月の「二子玉川学会」で解説しましたが、のちに別項で詳説します。)
『太平記』 33巻には、義興が兵庫之介ら家来13名と共に「矢口の渡し」にて謀殺されたことが書かれていて、この小説『新田義興』は、『太平記』に即して義興の生涯を辿っています。『太平記』をもとにした小説作品は、吉川英治『私本太平記』(NHK大河ドラマ原作、真田広之が足利尊氏役で主演)、山岡荘八『新太平記』など多数ありますが、いずれも義興や兵庫之介が登場する前で話が終っており、この小説が、ほとんど唯一義興が登場する作品です。
村松梢風は、「矢口の渡し」に向かう前、主従が現在の二子玉川あたりにいたことにして物語を進めます。(新字・現代仮名に変更)
<義興の一当は玉川べりの瀬田付近に隠れていたのだった。(略)「敵方では、おん大将が、必ず瀬田、二子をとり、河を渡って高津、坂戸から鎌倉街道へ出ると思い、(略)瀬田などに居られては敵の網の中に居るも同然、危ないことでござる」>
ちょっとわかりづらいのですが、ここに出てくる「玉川」は多摩川のこと、「瀬田」は現在の二子玉川、「二子」は川を渡った現在の川崎市 高津区のことです。
小説『新田義興』は、昭和16年に博文館文庫で刊行されましたが、それに以前に刊行されたものの文庫化かどうかは不明。現在、大田区の図書館にコピーがあるだけで、世田谷区の図書館にはありません。
石坂洋次郎(明治33・1900~昭和61・1986)は、映画化されて大ヒットした『青い山脈』などで知られる流行作家。『若い人』『陽のあたる坂道』など、映画化・テレビドラマ化された作品もたくさんあります。
昭和31年に発表された短編『乳母車』は、等々力に住む中産階級(昭和な言葉ですね)のひとり娘・桑原ゆみ子が主人公。慶応と思われる大学に通い、ディケンズを原書で読む。この当時で身長が1m60cmあり、石坂が得意とした「新時代の女性像」の象徴として描かれています。
作品のはじめのほうで 、ゆみ子は大学の友人たちと二子玉川に泳ぎに行きます。この場面が、当時の二子玉川の様子をうまく描写しています。
<国電で田町から渋谷に行き、そこから玉川電車に乗り換えて、二子玉川駅で降りた。土曜日であったし、残暑が厳しかったので、ひろい河原のそちこちにはたくさんの人々が群れていた。泳いでるのもあれば、釣糸を垂れてるものもある。(略)
川岸に立つと、時おり、橋の上を通る電車の音のほかは、外界の物音が遠のいて、その代り、浅瀬の水の音がに耳いっぱいにせまってくる。その上に、人々の罵り騒ぐ声が浮いて聞こえる。
ゆみ子たちは、岸のお茶屋で水着に着かえると、 深い流れの中に飛びこんで行った。冷たい----といっても、陽に温められた水の感触が肌に快く、五官がいきいきとはたらき出すようだった。(略)
泳ぎ疲れた四人は、川原に匍(は)い上がり、砂地を探して、思い思いの恰好でそこに寝そべった。腹匍いになったゆみ子の背中の上には、ちびた灌木が乏しい影を落としていた。>
ゆみ子は、 この川原で 父のスキャンダルを聞かされる。父には愛人がいて、最近子供が生まれたというもの。母親に確認すると、知っていた。ゆみは九品仏に住む愛人宅に乗り込み、そこで愛人の弟と出会う。弟は赤ん坊を連れて浄真寺に出かけるが、境内で居眠りしてしまう。すると、ゆみ子は乳母車を……。
この小説は、刊行された年に日活で映画化されています。主人公は芦川いづみ、父は宇野重吉。愛人が新珠三千代で、その弟は石原裕次郎。残念ながら二子玉川でのロケは行われていません(大邸宅のプール!)。九品仏・浄真寺境内は登場しますが、主人公の自宅は等々力ではなく鎌倉に変更されています。
石坂洋次郎は新しい女性像を描いているということで、近年再評価を受けています。今年(2020年)、講談社文芸文庫で『乳母車/最後の女 石坂洋次郎傑作短編集』が刊行されました。
湯本香樹実( ゆもとかずみ、昭和34・1959~)は、東京音楽大学作曲科を卒業したのち、寺山修司に師事してオペラの台本も書く音楽家。初めて書いた小説『夏の庭』が世界10か国以上に翻訳されるベストセラーとなった。『ポプラの秋』は第3作(新潮文庫書き下ろし)。
作品中に明確に二子玉川の名は出てきませんが、世田谷文学館編『あの名作の舞台~文学に描かれた東京世田谷物語』でも二子玉川周辺の作品として紹介されています。
父を交通事故で亡くした7歳の千秋は、母と共に河川敷が見下ろせる未知の駅で下車する。そして、その街の、大きなポプラの木のある庭に面した「コーポポプラ」に住むことを決める。大家のおばあさんは、自分のことを「あの世へ手紙を届ける郵便屋」だという。そこから千秋とおばあさんの不思議な交流が始まる……。
……大人になった 千秋は、ある事情で再びこの街に戻ってきた。
<駅前には大きなショッピングセンターが建ち、商店街もずいぶん変わってしまったけれど、おばあさんの好きな西川屋の豆大福は健在だったから私はその包みを提げて歩いた。
川は澄みきった秋の光に照らされて、「痩せ過ぎだ」と会うたびに母にいわれるいかり肩のシルエットが水面にくっきりと映っている。川底の水草は、ゆらりゆらりと眠たげに揺れている。あの頃、この小さな川にはしょっちゅう洗剤の泡がぷくぷくと膨れ上がっていたものだが、水がきれいになったのだろうか。
おばあさんが、あの世への手紙の話をしてくれたのも、こんな秋の日だった。>
ショッピングセンターとはもちろん玉川高島屋、西川屋は西河製菓店、川は丸子川(六郷用水)と符合します。
この作品は2015年に映画化されました(千秋・本田望結、おばあちゃん・中村珠緒、今や大人気のピアニスト・清塚信也が音楽だけでなく出演もしている)が、ロケ地は二子玉川ではなく飛騨高山となっています。
『僕って何』で芥川賞を受賞した三田誠広(昭和23・1948~)は、青春文学の旗手として人気作家になったのち、様々なジャンルの作品を発表しています。この作品は、出版社(実業之日本社)からの「若者たちに人気のある二子玉川を舞台とした、ミステリーふうのユーモア小説」という求めに応じて書かれたものです。
主人公の沢村孝彦は、通っている「文学教室」の先生から、こんな指示を受ける。
<「きみ、にこたまへ、行きたまえ」
「はあ? どこですか」
「二子玉川だ。あそこは、いま、いちばん新しい街だ。若い女が、いっぱいいる。犬も歩けば何とやらというだろう。これからは、原宿でも渋谷でも六本木でもない。にこたまの時代なんだ」
まるで玉川高島屋の回し者みたいな発言だったが、何しろ、先生のアドバイスだから、孝彦は素直に従うことにした。>
やってきた二子玉川 で孝彦は不思議な美少女・リサと出会い、住宅街の奥にある不思議な館・蒼竜館(そうりゅうかん)を舞台に、政界再編をめぐる失踪事件が展開して行く……(ちょっと、赤川次郎的な展開)。
それにしても、ライズなど東口地区が開発されていない四半世紀前に、「二子玉川の時代」が来ていたのかどうか・・・。
吉村喜彦(よしむらのぶひこ、昭和27・1954~)は、開高健、山口瞳に連なるサントリー宣伝部出身の作家。二子玉川にある架空の「バー・リバーサイド」を舞台に、京大の研究者くずれのマスター・川原草太とバーテンの新垣琉平、そしてそこに集う客たちの「物語」(全3冊×5話)が綴られています。二子玉川にお住まいなら、それぞれの「モデル」と思われる 方を想像できそう。さすがサントリー出身だけあって、酒にまつわる蘊蓄も楽しめます。
1冊目の第一話では、玉川高島屋裏の創作手打ちうどんの店「よかばい」の店主・井上がゲスト(まるで「どん×く」!)。博多出身の井上が、この街で店を開いた経緯をこう語る。
<「どうして二子玉(にこたま)だったんですか?」
琉平が井上に訊く。
「ん? 蝙蝠(こうもり)のおったからばい」
琉平は首をかしげた。
「初めて駅に降り立ったんも、ちょうど夕暮れどきやった。蝙蝠が何匹もひらひら飛んどった。あっちへふらふら、こっちへふらふら、……あのふらついとぉ飛び方の好いとっちゃ。わたしの人生そのものばい」
そう言って、井上は、
「中州に敬意を表して、次は、マンハッタン、もらえるかい?」
「かしこまりました。」マスターとが琉平が声をそろえてこたえる。
「博多も中洲ばい。言うてみれば、この店も多摩川と野川の中洲にあるやろ? マンハッタンもハドソン川の中州ばい」>
二子玉川も、多摩川も、そしてそこに住まう人や集う人のことを、きっと大好きになる秀作です。おすすめします。(角川春樹事務所「ハルキ文庫」・刊)
原宏一(昭和29年・1954~)は、コピーライターを経て、『床下仙人』がベストセラーとなった人気作家。本作のタイトルとなっている「ポロロッカ」とは川の逆流のこと。アマゾン川では毎年起こっている現象で、その原因は月の満ち欠けとも言われています。この小説は、多摩川流域の7つの街を舞台に、多摩川大逆流が起こるという噂に翻弄される人々を描いた連作。 「第5話 」が、二子玉川を舞台にした「世田谷区二子玉川 芝口プランニング」(他に舞台となる街は、大田区の糀谷・田園調布・下丸子、川崎市の登戸・川端町、調布市小島町)。
心を病んだフリーのイベントプランナー・芝口に代わって、妻の仁美が地元・二子玉川の食品スーパー「フタコ―」の販促企画を考える。出てきたアイデアが、多摩川のポロロッカを備えた「食品備蓄フェア」。二人は企画を練るため、揃って多摩川を見に行く。
<住宅街の路地を抜けて二子玉川駅へ向かった。
玉川通りに入って玉川高島屋ショッピングセンターの前を通り過ぎると、斜 (はす)向かいに再開発ビルと一体化した二子玉川駅が見えてくる。東急田園都市線と大井町線が乗り入れる高架式の駅。そのホームの真下を多摩川が流れている。川辺には行ったことがないが、電車を待つホームからは芝口も幾度となく眺めている。>
<上流側から草が生い茂る河川敷に下りた。この辺りは支流の野川と多摩川の合流地点らしく、二つの流れの合間には中洲のような河川敷“兵庫島”があった。
小さな橋を伝って兵庫島に渡ってみた。のんびりと釣り糸を垂れている釣り人を眺めながら兵庫島の川岸まで歩き、川面に向かって夫婦肩を並べて腰を下ろした。
「こんな近くに自然があったんだなあ」
芝口は空を見上げた。岸辺の浅瀬には白鷺だろうか、つんと嘴(くちばし)が尖った白い鳥が佇んでいる。>
二人は、スーパーの企画を無視して「多摩川流域・民間緊急対策プロジェクト」の立ち上げることに……。(現在は、光文社文庫に入っています。)
斎藤千輪(生年非公表)は、本作で「第2回角川文庫キャラクター小説大賞・優秀賞」を受賞してデビューした作家・放送作家。
29歳の主人公・柏木美月は、カネなし、男なし、才能なしのアラサー女。職業はタロット占い師。
<勤務地は、東急田園都市線・二子玉川駅から徒歩数分。高級感溢れるハイブランドのテナントが、ズラリと並ぶ老舗ショッピングセンター“玉川髙島屋”。の、裏手側だ。
再開発でタワーマンションやシネマコンプレックスなんかが出来ちゃって、ニコタマダムとか呼ばれる奥様方が集まるハイソな街になった二子だけど、一歩裏に入れば昔ながらの雑居ビルが立ち並び、庶民的な飲食店やカラオケ店、DJブースのあるクラブ風のバーや、ガールズバーなんかも入っていたりする。
そんな雑多なエリアの一角に、古民家を改装したレトロな雰囲気の居酒屋がある。黒布で覆った小さなテーブルと折り畳み椅子が、軒先にポツンと置いてある店だ。>
ここが美月の仕事場。ある日、儚(はかな)げな外見なのにずば抜けた推理力を持つ美少女・愛莉(えり)を助けたことから、占いユニット「ミス・マーシュ」を結成し、人々の悩みに秘められた謎に挑む……。(角川文庫・刊)
お笑い芸人・又吉直樹(昭和55・1980~)による芥川賞受賞作品。皆さまご存知の大ベストセラー。文春文庫・刊。
売れない芸人・徳永は、先輩芸人・神谷と出会い、その不思議な魅力のとりことなる。そして始まる奇妙な関係の日々……。
ある日二人は、池尻大橋から二子玉川まで歩く。
<池尻大橋の丸正で安い惣菜をいくつか買い、そこから、二時間近くかけて神谷さんと二子玉川の河川敷まで歩いた。(略)
二子玉川の河川敷に到着した頃には、西の空の茜色が、僕達の頭上の雲までも同じ色に染め上げていた。神谷さんと並んで座り、冷えて固くなった唐揚げと、ポテトサラダを食べた。>
この作品は2017年に映画化(徳永 ・菅田将暉、神谷・桐谷健太)されましたが、二子玉川まで歩くシーンはありませんでした。
19歳で芥川賞候補になり、純文学とエンタメ作品の双方が書ける早熟の天才女流作家ともてはやされた島本理生(しまもと・りお、昭和58・1983~)による直木賞受賞作品。女性の自立と、母親との関係性を一貫したテーマとして優れた作品を関係性発表しているが、ひとつの頂点となるのがこの作品。文春文庫・刊。
臨床心理士の真壁由紀は、父親を刺殺した女子大生・聖山環菜の半生を出版物にまとめることになる。父親は画家で美術学校講師。殺害場所が二子玉川にある美術学校。
<事件当日の午前中、環菜は都内でキー局の二次面接を受けていた。しかし具合が悪くなり、途中で辞退したという。数時間後には父親が講師を務める二子玉川の美術学校を訪ねている。そして、女子トイレに呼び出した父親の胸を、渋谷の東急ハンズで購入したばかりの包丁で刺殺した。(略) 自宅を飛び出して多摩川沿いを歩いていたところを近所に住む主婦が目撃。>
由紀は、事情を聞くために美術学校を訪れます。
<午前十一時の二子玉川の駅前は子連れの母親でにぎわっていた。充実した商業施設と、川沿いの緑地の対比が印象的だった。>
この作品は、NHK BSプレミアムでドラマ化されました(放送日:2020年2月22日、主演:真木よう子、上白石萌歌)が、作品には二子玉川や多摩川とはっきり特定できる場所は映ってませんでした。また、堤幸彦監督によって映画化(公開:2021年予定、主演:北川景子、芳根京子)されることが発表されています。
「乳と卵」で芥川賞を受賞した川上未映子(かわかみ・みえこ、昭和51・1976~)が発表した話題作。帯の推薦文を村上春樹が書き、毎日出版文化賞を受賞し、世界10か国以上で翻訳されています。
本を一冊だけ出版したことのある“作家”夏目夏子のモノローグを主体に、「生を享ける」ことの意味を豊饒な言葉で語られます。
三軒茶屋に住む夏子が、担当編集者と待ち合わせる場面で「二子玉川」が1回だけ登場しますが、本筋とは関係ない部分です。
<仙川さんはさっきまで二子玉でべつの作家と会食をしていたのだと言った。>
注目すべきは、「二子玉川」ではなく「二子玉」と表記していることです。恐らく作者は「にこたま」と読ませたいのでしょうが、ルビは振っていません。川上未映子という鋭敏な時代感覚を持つ作家をして、「二子玉」と書いたら読者は「にこたま」と読み、なおかつ「二子玉川」のことと理解する、と判断したということになります。
これはある意味、画期的なことと言えましょう。ただ、翻訳された外国語作品では“Futakotamagawa”と表記されていると思いますので、いずれ確認いたします。
明治期に活躍した自然主義文学の先駆者・国木田独歩(くにきだどっぽ、明治4・1871~41・1908)の代表作『武蔵野』(明治31・1898)は、小説と勘違いされることが多いが、風景美を描きつくした短い随筆作品。渋谷を拠点として、東京近郊を逍遥した実体験をもとに書き上げているが、その中に、多摩川や二子という言葉が出てきます。この場合の二子は、川崎市側の現在の二子新地あたりを指します。
<多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならぬ。六つ玉川などと我々の先祖が名付けたことがあるが、武蔵の多摩川の様な川が、外にどこにあるか。>
<立川からは多摩川を限界として上丸邊まで下る。八王子は決して武蔵野には入れられない。そして丸子から下目黒に返る。此範囲の間に布田、登戸、二子(ふたご)などのどんなに趣味が多いか。>
独歩は、武蔵野の西の限界を多摩川としている割には、川を超えた現在の川崎市内もその範疇に加えています。まぁ、細かい話なのでしょうが……。
また、独歩の小説『忘れえぬ人々』(明治31・1898)には、冒頭に二子の渡しが登場します。
<多摩川の二子(ふたご)の渡をわたって少しばかり行くと溝口(みぞのくち)といふ宿場がある。其中程に亀屋という旅人宿(はたご)がある。恰度(ちょうど)三月の初めの頃であった、此日は大空からかき曇り北風強く吹いて、さなきだに淋しい此町が一段と物淋しい陰鬱な寒むさうな光景を呈していた。>
主人公は、無名の文学者で、亀屋で出逢った無名の画家・秋山との会話を回想の形で綴っています。作中で主人公書いた作品『忘れ得ぬ人々』には、秋山のことではなく、亀屋の主人のことが綴られていた……しかし、現実の独歩の作品には秋山のことが書かれているという二重構造の作品。
※これ以外の作品は、鋭意調査中です。