(10/15 更新)
夏休みが終わって、子どもたちが元気一杯に戻ってきました。やっぱりこの活気には格別な幸せを感じます。始業礼拝では久しぶりの再会に興奮気味で、ザワザワした空気が漂っていましたが、翌週の礼拝ではピタッとメリハリが付いた様子に変わっていて、ちゃんと幼稚園モードに切り替えているのに驚きました。1週間で取り戻せるのが第1保育期とは違うところです。1ヶ月余りの夏休みの間にもしっかり成長していたことが伺えます。
さてその夏休み。いろいろな体験をした子どもたちがその思い出話をしてくれます。と言っても、子どもたちの話は【改まった報告】ではなく、遊びの中で不意に断片的に語られます。「レンタカー借りてね~」「このTシャツ、沖縄のなんだ」「もぐれるんだよ」といった調子です。感性を柔らかくしていないと聞き漏らしてしまいます。記録してくださった【なつのはなたば】を通してその背景が更にわかり、大変楽しませていただきました。拝読しながら、お母様たちがよくよくつぶやきを拾ってくださっていることに感動しました。お子様がご家庭に戻って来て、さぞかし忙しない生活になっていたでしょうに、そんな日常にあっても、感性を豊かに柔らかにして受け止められていることに敬意を抱きます。
ここ数年、夏休みが終わると問われだすのは「体験格差」という事柄です。経済事情を初めとする家庭の諸事情が、夏休み中の子どもの「体験」に差を生じさせていると憂いています。特別な体験は【非認知能力―テストでは測れない“やる気・思いやり・粘り強さ…”】の育成に繋がるものだから、ある程度平等に、獲得する機会を与えるべきだとも言われてます。でも私はその論調に今一つ共感できないでいます。【はなたば】を読んでいると、特別な体験の中でなくても、十分に心が動き、幸せに満たされていることが伝わってくるからです。子どもにとって本当に必要なことは何か、社会はそれを見誤っているように思えてなりません。
・・・【はなたばより】・・・
☆ ある日突然「お母さん、生きててくれてありがとう。お母さんがいなかったら違う世界になってた!」と言ってくれました。
☆ 私がゴロンとするとすかさず寄って来て私を枕にして絵本を見ていました。このまったり時間が気に入ったのか「ママ、いっしょにゴロゴロしよー」と誘ってきます。子どもはママがゆったり過ごしているだけで、こんなに満たされた表情をしてくれるんだなと思いました。 (園長 廣田雅子)