3歳児(年少)〜5歳児(年長)までが一緒に関わり合って1日を過ごす生活です。
お世話したり・されたり・教えたり・教えてもらったり…まるで兄弟のようです。
一緒の生活を重ねていく中では、年上だからといっても譲れないことがあったり、年下だからといっても主張したい時があったりします。そんな時は兄弟げんかのように揉めます。
でも、だからこそ、そこで生まれてくる心は本物なのです。
取り繕ったよそ行きの思いやりや憧れなどではなく、本物の異年齢ならではの優しい心が育っていくのです。
「多様性」を自然に受け入れていく柔軟さと寛容さの源だと考えます。
『みんな違ってみんないい』
小さなことでも「自分の選び」を大切にし、個々の思いを尊重していくと、制服は必要ないのでは?となりました。
更に、子どもにとって人生初めての集団生活の場である幼稚園は、大きな緊張感を伴うものです。その中で伸びやかに過ごすためには、出来るだけご家庭と同じような環境が良いとも考えています。
お家の方と先生が直接、お子様の様子を伝え合ったり、何気ないお話を交わすことで関係が深まっていきます。
そして、お家の方と先生が親しく話している様子は、子どもたちにとっては大変嬉しく、大きな安心感をもたらします。
ちょっとした疑問や小さな不安を抱え込むことなく伝え合っていくことで、保護者の方も安心感を持ってくださいます。
また、降園前に園長からの「インフォメーション」があり、その日の出来事や印象的なエピソードなどをお伝えする時間は、保護者の皆様から好評をいただいています。
園理解だけにとどまらず、全ての保護者が同じまなざしで子どもたちの生活を捉え、園の在り方を知ってくださることは深い信頼に繋がります。
更には、全員送り迎えですから毎日顔を合わせます。必然的に“知り合いばかり”になります。
知らない人は一人もいないという環境は、お母様同士の関係性も深めてくれるのです。
子どもたちの遊びは「学び」と「生活そのもの」です。
大人がイメージするいわゆる“息抜き”とは違います。
誰と遊ぶ? どこで遊ぶ? 何をして遊ぶ?・・・いろいろなことが自由です。つまり自分で選べるのです。
まずは自分のやりたいことに取り組むうちに、お友だちからのアプローチや刺激が加わって遊びが様々に変わっていきます。遊びの深まりや広がりです。もちろんその過程には葛藤や揉め事も加わりますが、これこそが遊びの醍醐味です。
指示されたことをみんなと足踏み揃えて同じようにこなしていくという生活ではなく、いろいろな人と関わり合いながら、試行錯誤で遊びを深めていく生活を幼児期の中心に置くことは、大きな価値のあるものだと思います。
保育の価値観の土台がキリスト教の教えにあります。
・お子様はご家庭からお預かりしていると同時に「神様から託されている」と受け止めています。
・どの子も「神様が命を与えたかけがえのない存在である」と受け止めています。
どんな子もかけがえのない一人として捉え、どの子にも特別感を持って向き合います。
その根拠がこの聖書のお話です。
『ある羊飼いが100匹の羊を連れて野原に出かけました。帰り際に数えると99匹しかいません。
羊飼いはいなくなった1匹のために99匹をその場において山々を探し回りました。』
「1匹の迷える子羊」とのフレーズを聞いた方もおられるでしょう。
人間社会での捉え方は「そんな1匹もいる。99匹いるからいいじゃないか。」となりましょう。
でも聖書は違います。
そんな1匹…ではないのです。99匹を置いてでも探しに行きたい存在なのです。
イエス様(羊飼い)に倣って、私たちも同じように子どもたちと向き合いたいと願ってやみません。
*通われているほとんどのご家庭はキリスト教とゆかりのない方々です。
*七五三・初詣・七夕などの日本の文化、ご家族が大切にされていることは尊重しています。
*勧誘やノルマなどはもちろんありません。
*毎週日曜日の教会学校(子どもの礼拝)はどなたでもご自由に出席できます。
安心感の中で、新しい食材や味覚を広げていくために開始しました。
現在は 毎週(水)(金)・希望制
無添加・無農薬中心の身体に優しい食材を中心に調理しており
地元(千葉・船橋・シオンの畑)のものも大切に使用しています。
調理者は、食材の安全と幅広い知識があり、豊かな調理経験のある方々、
食べる喜びや感謝・人との繋がりを大切にしている方々が
子どもたちのことを想い、心を込めて作っています。
〔みんな平等に〕は社会の大切な理念です。
でもシオン幼稚園はそれを踏まえた上で、更に一歩踏み込んで〔みんな特別扱いに〕なることをひるまずに奨めている幼稚園です。
“一人ひとりを大切に”を具体的に保育の中で実践していくと、“みんなと一緒に”ができない場面が出てきます。
例えば、遊びの中で心がザワザワしたことがあった時に、みんなと一緒にお弁当を食べる気持ちになれない…などという場面です。
そんな時は心を汲んで、別の場所で食べたりします。いわゆる特別扱いです。
他の子たちから“ずる~い”とか“一人だけ?”と声が上がったことはありません。
みんな自分が困った時にも、先生たちがきっと同じようにしてくれると知っているからです。
特別扱いをされた子がそのままわがままになっていくこともありません。
子どもたちはどうするのが望ましいのかはちゃんと分かっているのです。
先生たちは、どちらの側の子どもも信じて向き合っています。