(4/17 更新)
暖かな陽ざしと共に一気に色を取り戻した幼稚園です。とりわけ桜の木は見事な花をつけ“ご苦労様”と過ぎた1年を労い“またがんばれ”と新しい年を励ましているようで、大きな春のプレゼントです。
春休みの間、幼稚園は閉じていましたが教会学校には毎回多くの子どもたちが来てくれて嬉しいことでした。その礼拝の中で、いよいよイエス様が十字架にかけられるお話をする時がありました。自分は神の子であると宣言したことにより、捕まり、罵られ、叩かれていく様子を伝えると子どもたちから笑顔は消え、眉をひそめてし~んとなりました。更に、茨の冠を付けられ、裸にされムチで打たれ…と経緯を話すにつれて、顔はどんどん曇っていき今にも泣きだしそうです。自分たちの強い味方であるイエス様の大悲劇に心を痛めていることがその表情からよく伝わってきました。悲しみや辛さを自分事として捉え、寄り添える子どもたちでした。
別の日、あるお母様が子どもから教えられたと小さな出来事をお話ししてくれました。お母様の車の鍵がお気に入りでつい遊びに使ってしまう子。持ち出さないでと何度言っても変わりません。その日も出かける直前になって鍵のないことがわかり、おもちゃ箱を探すことになりました。イライラが募り「だからいつも言ってるでしょ!!」と憤慨しまくって探していたら、なんとお母様自身の別のバッグから見つかったそうです。散々叱った後なので、さすがにお母様自身もバツ悪く思っていた時その子が一言「ママ、見つかってよかったね~」と。一言も母を責めることなく、ただただ喜んでくれる我が子を目の前にして胸が一杯になったとお話しくださいました。喜びに伴なえるのも子どもであります。日本の幼児教育の創始者である倉橋惣三先生がその著書の中で語っていることをご紹介します。
・・・・・・・・・・ 【廊下で】 ・・・・・・・・・・
泣いている子がいる。涙は拭いてやる。泣いてはいけないという。なぜ泣くのと尋ねる。弱虫ねえという。随分いろいろのことは言いもし、してやりもするが、ただ一つしてやらないことがある。泣かずにいられない心持ちへの共感である。
お世話になる先生、お手数かける先生。それは有り難い先生である。しかし有り難い先生よりも、もっとほしいのは、うれしい先生である。そのうれしい先生はその時々の心持ちに共感してくれる先生である。
泣いている子を取り囲んで、子たちが立っている。何もしない。何も言わない。ただ さもさも悲しそうな顔をして、友だちの泣いている顔を見ている。中には何だかわけも分からず、自分も泣きそうになっている子さえいる。
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イエス様が言われました。「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」と。イエス様に導かれながら「共感」を大切にする1年にしたいと思います。「うれしい先生」でいられるよう、願いながら・・・。 園長 廣田雅子
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