残っていくもの

2018.10.1 林 文夫

<初出:キヤノングローバル戦略研究所 機関誌Highlight Vol. 65, 2018年10月, 12月小幅修正>

六本木にある勤務先の大学の正面玄関を出ると、黒川紀章設計の国立新美術館が目に飛び込んでくる。桜の並木越しの優雅なガラスの曲線は、春にひときわ美しい。

数年前、肉親の納骨に立ち会った。法事では陽気に座を和ませてくれる懇意のお坊さんが、「どんな偉い人でも死ねばこんなもんだよ」と言いながら骨をお墓に入れたとき、強い無常感に襲われた。その頃からだろうか、人間のレーガシーについて考えるようになった。

政・財・官の卓越した業績には、銅像や勲章がある。アスリートには記録がある。多額の寄付者には冠がつく。そのような栄誉と無縁の文筆家にはしかし、活字という媒体がある。活字は風化しない。小説家や評論家の夢は、著書が文庫本となり何刷も重ねることだろうか。同じ文筆業でも大学の研究者の場合は、学術論文が、世界の同業者から引用され、ゆくゆくはその内容が学部生向けの教科書に紹介されるのが夢だ。私も論文を書くときは、十年後、二十年後の読者を想定している。

ただ、自分が残した活字の文化的な風化は心配だ。数学などと違って、経済学ではパラダイムシフトが頻繁にあるから、教科書の内容は数十年ごとに一変する。標準的とされる教科書の索引に自分の名前が載ったとしても、それが続くのはせいぜい次の世代まで。古代ギリシャのユークリッドのように二千年を軽々とまたぐことは、残念ながらあり得ない。

一世を風靡しても、文化的な風化を防げるとは限らない。例えば、石坂洋次郎というベストセラー作家がいた。多数の作品が映画化された。しかし今は読まれない(代表作『青い山脈』の新潮文庫版は久しく絶版と聞く)。同時代人で活動期間のずっと短かった太宰治が残ったのと対照的だ。経済学でも、ハリー・ジョンソンというシカゴ大学の先生がいた。1960、70年代には、一流学術雑誌の目次に彼の名前が頻繁に出た。しかし死後彼の論文はぱったりと引用されなくなった。

忘れ去られる心配がないという点で建築家は羨ましい。竣工すれば作品はそこに存在し続け、否が応でも人々の目に入る。そう思っていたが、最近の若尾文子のインタビュー(「若尾文子に30の質問」、キネマ旬報2015年6月下旬号)を読んで認識を改めた。

夫の黒川紀章が生前よく彼女に、「君の仕事は残っていくからいい。僕たちの仕事はどんどん古びていくんだ。それを見るのはつらい」と語ったそうだ。建築物は、新しい意匠や技術を体現していないと色あせて見えるということだろうか。それに対して映画女優は、最も美しい頃の声や所作の総体が映像として永遠に残る。

そんなことを考えていたら、行方不明の幼児を救った赤鉢巻のおじさんの話をニュースで知った。レーガシーは活字でも映像でも建築物でも、もちろん銅像でなくてもよい。見返りを求めない善意は人々の記憶に残っていくことを彼はリマインドしてくれた。