パラダイムシフトと研究者の賞味期限

2016.4.1 林 文夫

<初出:キヤノングローバル戦略研究所 機関誌Highlight Vol.35 2016.4. 小幅改訂>

「お父さんはもう56だ 。お父さんの人生は、もう終わりに近いんだよ。」 これは、小津監督の名作「晩春」(昭和24年公開)で、大学教授で父親役の笠智衆が、いつまでも父と暮らしたがる娘の原節子に諭す場面の台詞である。

しかし昔の60歳は今の70歳。昔なら全盛期を過ぎたような年齢になっても元気な人々が、今の世の中には続々と出現している。この文章を書くのを機に、以前から気になっていた、オリンピックの競泳選手の年齢を調べてみた。競泳の個人種目の金メダリストは、50年以上前の東京オリンピックでは12人いるが、平均年齢は18.8歳、12人のうち10人が十代だった。2012年のロンドンオリンピックでは、23人が金メダリスト、平均年齢22.5歳、5人が十代、そして25歳以上が6人いた。

これは、より健康的な食生活などのおかげで現役時代の延長が可能になった一例だろうが、知的活動についても同じことが起こっているのだろうか。

私の属する業界である経済学界では、オリンピック入賞にあたるのは、世界的に権威ある学術雑誌(理系の業界では “Nature” などがその例)に論文を投稿し、厳しい審査を通ってその論文が掲載されることだ。こうして掲載までこぎつけた著者の年齢分布について、経済学のトップ3の雑誌を対象とした最近の研究がある。それによると、61歳以上のシェアは、1973年には0%だったが、2011年には6%になった。

その理由の一つとして、アメリカで教授の定年がなくなったことがその研究では挙げられている。それまでは70歳が定年だったので、還暦を過ぎてから一流学術雑誌に論文を掲載することによりベースアップを獲得しても、その恩恵は10年以内で終わる。しかし定年がなければ、引退しない限り恩恵は続く。そのせいであろう、適度の運動と食生活に気を配り、還暦後もせっせと論文を書く教授が世界的に増えている。先日も、まだテニュア(終身雇用権)がもらえていないアメリカの助教授が、最近はノーベル賞を取ったような老大家もまだ投稿してくるので、一流誌に論文を掲載するのが難しくなったと嘆いていた。

幸運なことに、私の若い頃は老大家は退場してくれたから、論文の掲載枠を巡って彼らと競争しなくてもよかった。さらに、これは徐々に気がついた事だが、私は二重にラッキーだったのだ。私の専門のマクロ経済学では、1970年代にパラダイムシフトが起きた。幸い私は、そのあとに大学院生になったので、苦労して習得した知識が一夜にして陳腐化することはなかった。しかし私よりほんの二、三年だけでも年上の世代は、新しい潮流に乗ることができず、論文掲載ゲームから早々と退出した。私の助教授時代は、老大家どころか40歳前後以上の世代とも競争しなくてもよかったのである。彼らの研究者としての賞味期限は、還暦よりずっと前に終了していたのだ。

若い頃に小津の映画を観たときには、還暦を過ぎれば遊んでいてもいいんだと思ったが、そんなことも言っていられない時代になった。