はるか海のかなたから

2017.10.2 林 文夫

<初出:キヤノングローバル戦略研究所 機関誌Highlight Vol. 53, 2017年10月号掲載>

レイ・チャールズと二人だけで立ち話をしたことがある。ニューヨーク在住時、グリニッジビレッジのジャズクラブ「ブルーノート」で彼のライブがあった。開演前にトイレに行ったら、屈強の黒人が入口を固めている。何度頼んでも入らせてくれない。「ミスター・チャールズが中にいるからダメ」と言う。

その時とっさに口から出た英語が、「私ははるか太平洋のかなたから来た」という意味のフレーズだった。するとその小山のようなボディガードは、早くしろと言って入れてくれた。黒地に赤のド派手なステージ用ジャケットを着たレイ・チャールズのすぐ隣で用を足しながら、"How are you, Mr. Charles? I flew 6000 miles just to listen to your music." と話しかけたら、彼はステージで見せるあの陽気さで相手をしてくれた。

今は自分の取った行動を反省している。超一流のミュージシャンが経験する開演前の緊張は、常人には窺い知れないものがあるだろう。あのボディガードは後でこっぴどく叱られたのかもしれない。レイ・チャールズは2004年に亡くなったが、その年に公開された伝記映画「レイ」を見た(ちなみに、ライブのシーン、特にヒット曲What'd I Sayの即興場面は何回見ても楽しい)。盲目の黒人としての苦難、麻薬との闘いなど何も知らずに、私はソウルの神様と話ができて有頂天になっていた。


ちょうどその2004年の春、まだニューヨークでCDが買えた頃、同じフレーズを使う機会があった。メゾ・ソプラノのチェチーリア・バルトリの話。"No touching, no kissing." カーネギーホールの楽屋裏で、彼女の公演後集まったファンに、マネージャーらしき男が人差し指を挙げながら注意して回る。しばらくしてバルトリが入室。ファンが各自持参した彼女のCDにサインを始めた。私の番が回ってきた時に、あのフレーズを口に出した。すると彼女は顔を上げ、よくぞ来てくれたと言ってサインペンを持った手を差し出してくれた。私はその手の甲に接吻をした。それを見つめるファンが息を止めるのを背中で感じながら。

なにも私は高尚なオペラファンだと言っているのではない。バルトリは、私にとって一番「鳥肌度」が高い。昔のナポリの庶民は、この快楽を求めてオペラ劇場に通ったと想像する。映画「アマデウス」では、サリエリがモーツァルトの才能に嫉妬する。その日のリサイタルでは、彼女はサリエリだけを歌った。知らない曲でも、バルトリなら鳥肌が立つ。

ニューヨークで異邦人として暮らすと、不便なことも不安なことも多い。しかし異邦人だからこそ手に入る幸運もある。ひるがえって銀座や箱根や京都などの日本各地は、はるか日本海のかなたからの来訪者で溢れている。私は彼らを見ると、初めてニューヨークの摩天楼街を歩いたりパリのカフェに入った時の心の高揚を思い出す。海のかなたからの来訪者たちはどんな幸運を拾って帰国するのだろうか。