いつまでもずっとつづいてゆきます

ふたつのまどか展《わたしたち、言葉になって帰ってくる》のためのノート


2020年 福田尚代 


始まりは小学三年生の時に拾った消しゴムだった。あの頃は、校舎や校庭や通学路に落ちている消しゴムが、まるで海岸の小さな漂着物のように見えた。黒鉛や埃や砂にまみれていても、拾わずにはいられない何かがあった。

 

しばらくすると、使い古しの消しゴムを譲り受けるようになった。

 

小学五年生の春、友だちの部屋へ遊びに行くと、使いかけの消しゴムがたくさん硬くなっていた。

「いつも途中で飽きてしまって……」困ったように彼女がつぶやいた時、咄嗟に「ゆずってほしい」と応えてしまった。彼女は喜んでそれらを集めて包んでくれた。以来、話を聞いた友人たちから、使わなくなった消しゴムを手渡されるようになった。机の奥で眠る消しゴムを疎んじつつもどこかで気にかけていた人たちだから、くだらないと笑うこともなく、そっと届けに来てくれた。使い切れない後ろめたさと共に手放してしまいたかった人もいたのだろう。いつしか噂を聞いた上級生や下級生まで訪れるようになり、その奇妙な贈答は中学校を卒業するまで続いた。何にたいしてもどこか噛み合わなかった自分は、消しゴムを介してかろうじて世の中と繋がっていたのかもしれない。

 

わたし自身は消しゴムを使い切らずにはいられなかった。託された消しゴムも、皆の代わりに最後まで使うべきだったのだろうか。でも、なぜかそうではないと感じて、大切にしまっておくことにした。

 

高校生になると、美術に心を傾けるようになった。大学で油画を専攻し、卒業して何年も逡巡をかさねるうちに、ふいに机の端に転がる一個の消しゴムから目が離せなくなった。芸術がこの世界ではない別の場所と深くかかわることであるなら、その場所へ行き来できる自分なりの通路を見つけ出さなければならない。おそらくそれは、こうして世界の余白から転がり落ちつつある、あるいは  引き出しの奥に打ち捨てられていたものの中にある。思えば消しゴムはいつも境界にあった。それからは、毎日のようにまっさらな消しゴムに彫刻をほどこすようになった。彫刻は百、二百、千……と増え続け、あっというまに歳月が過ぎていった。

 

そのあいだ、子どもたちから託された消しゴムは、もとの姿のまま手許にあった。それらをどうするのか、どうもしないのか、迷いながら四十年近い時が経ってしまった。ある日、黒鉛で灰色になった消しゴムのひとつを手にとって、そっと紙の上で擦ってみた。しばらくすると、消しゴムの中から驚くほどまばゆい、本来の色彩が現われた。息をのんで次々と擦った。かつては持てあまされたものたちが、みんな色とりどりの鮮やかな珠になって帰ってきた。


擦り続けるうちに気付いたことがある。消しゴムには針の先で突いたような微細な穴、ほとんど目に見えない微かな点が隠されていた。その極小のしるしの正体は、シャープペンシルの芯の痕跡だった。誰かが消しゴムに突き刺してそのままポキリと折った細い芯、いわば儚い棘が、内奥に残されてずっと埋もれていたのだった。

 

驚くほど多くの消しゴムが、無数の棘を抱えていることが分かった。慎重に芯を摘出する。消しゴムの持ち主がどんな気持ちで芯を突き立てたのかは分からない。戯れや遊び心だったのか、苛立ちや悲しみだったのか。数十年前に芯を刺したその人は、いまこの時、どこで何をしているだろう。棘が取り除かれた瞬間、遠い場所で何かを感じただろうか。もちろん、消しゴムのことなど覚えているはずがない。でももしかしたら、気づかぬうちに、ほんの少し何かがふわりと軽くなったかもしれない。ひとすじの煙が空へのぼってゆく幻が見えた。

 

芯を取り出していると、ほとんどの消しゴムに小さなひびが走り、静かに分解してしまう。割れたかけらをさらに擦る。淡くなめらかになるまで擦り続ける。成就なのか変容か、供養なのか賜物か、すすぎすすがれる感覚にひたされてゆく。

 

気が付くと七年が過ぎていた。色とりどりの消しゴムのかけらが七百九十九個になった頃、消しゴムにシャープペンシルで井戸を彫っていた記憶がよみがえる。授業中、整列する小さな机に閉じ込められて、身を屈めてうつむいて。消しゴムの静けさは、自らをすり減らして言葉を塵にした後の空白によるものかと思っていたけれど、それだけではなく、音の沁み込むやわらかさのせいもあったのかもしれない。授業中に誰にも気付かれずに穴を掘ることができる場所など、きっと消しゴムのほかになかったのだから。遠い日々、消しゴムの井戸の底を覗き込むと、水面に星が瞬いていた。

 

もしかしたら、彼女たちも教室でこつこつと井戸を掘っていたのではないか。水脈の兆しを探し、奥底に星を求めて。儚い棘は、後に続く者へ残した道しるべだったのかもしれない。それとも、こちらへ戻って来る者への目じるしか。世界中に散らばった子どもたちは、自分でも知らぬまま、時空を超える信号をひそやかに発している。わたしたちは糸のように細くどこまでも続く空洞を、始まりも終わりもない場所へ向かってもう一度そろそろと降りてゆく。




 

 

参照:『アネモメトリ-風の手帖―』手のひらのデザイン

#18「消しゴム」福田尚代  https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/tenohira/131/