ひとすくいの舟

個展「ひとすくい」のためのノート

2024年 福田尚代    

 

展覧会の案内状に宛名を書きながら、ふと思う。伝達の手段は刻々と更新をかさねてきて、今や大量の情報が一瞬で拡散されていく。いつしか郵便物でさえ透明な封筒で届くようになり、すみやかに中身が視界に飛び込んでくる。しかし一方では、やはりひそやかな通信が今も脈々と続いているようにも思われる。

 

あるとき、展覧会の会場に従妹が現れた。嬉しい再会であったが、海外在住の彼女に展示の予定は伝えておらず、突然の来廊に驚く私に彼女が言う。「コンビニエンスストアで書類をコピーしただけなのよ」。つまり店内でコピー機のカバーを上げたら、原稿台に展示の案内が一枚置かれていたというのである。たしかに以前、外出先で案内状の控えが必要となり、駆け込んだ店でコピーをとったが、そのとき原稿台から回収するのをうっかり忘れていたらしい。たまたま同じ日に同じ街にいて、同じ目的で数多のコンビニエンスストアの同じ店舗へ時間差で飛び込んだということか。偶然目にした忘れものを自分宛ての案内状に見立てて、ふらりと訪れてくれた心持ちに共感する。

 

ある日、見知らぬ女性から自宅に封筒が届いた。中にはなぜか私の色褪せた名刺が入っている。もう手元にはない、美術家になりたての頃の懐かしい名刺であった。添えられた丁寧な手紙によると、古書店で買い求めた本に挟まれていたらしい。だが、手紙に記されている本の題名には覚えがない。私ではなく、過去に名刺を交換した相手が即席のしおりにして、そのまま本を手放したのだろう。封筒には、名刺と共に本に挟まれていたという紙片も同封されていた。それには薔薇色の活字で詩が印刷されており、走り書きのメモもかろうじて読める。私は指先で、いつかどこかで名刺を手渡した相手の筆跡を辿った。水色のインクがうっすらと蒸発した跡には、キラキラ光るラメの粉が残されていた。

後日、名刺の返却人も私と同じく、刺繍の創作に打ち込んでいることを知った。薄紙で作った入れ子の小箱が次々と開くように、私たちの痕跡がかさなり時間の層が透けて響きあう。

 

さらなる日、突然、中学時代の女友達から厚い封筒が届いた。封を解くと、数十年前に私が彼女に書き送った三通の長い長い手紙と、一枚の古びた絵葉書が現れた。絵葉書は、彼女自身がずっと昔に綴ったものであった。十代最後の夏にインドを転々と旅していた私に宛てて、彼女はこの絵葉書をデリーの郵便局気付けで投函した。ところが私は現地で手紙の回収を果たせず、受取人不明郵便物となり船便ではるばる日本へ返送された絵葉書は、彼女の元で三十数年間保管されていたのである。思えば中学生の頃から、彼女はいつも黙々とピアノを弾き続けていた。それらの音がふいに色彩をともなって、辺りに漂いはじめたように思われた。

彼女が手放し、戻してくれた三通の長い長い手紙については、今すぐここには書き尽くせない。かつて三つの分岐点で私自身が書いた言葉たちが帰ってきて事物の別の輪郭を照らし出し、この展覧会の中へ、未知の人々の元へとふたたび届けようとしている。ジグソーパズルの膨大なピースの中から子どもが一片だけ手にとってじっと見つめるように、時間の波に洗われて千切れゆく光景から、たわいもない欠けらがすくわれて、ついには視界いっぱいまで拡大する。きれはしが新しい命を生きはじめる。

 

歳月を経てふさわしい瞬間に訪れる賜物を想う。今も宙を漂い続ける透きとおった言葉や、誤配先でついに受け入れられるひとことを。無数の泡、微細な線、広がる膜、ひとすくいの波。消え入りつつ生まれくるものたちは、遅れてきてゆっくりと見つけられていく。