「種の起源」から150年、いま「病気の起源」が問われる
ドブジャンスキー(1900-1975)の有名な「進化の光なくしては、いかなる生命現象も意味をなさない」という言葉が示すように、あらゆる生物のもつ特徴はその生物の進化のもとで生まれてきたものであり、その根本理解を目指すには進化を突き詰める必要があるといえます。私たちの体の生理的機能も私たちの先祖が36億年の時を経て獲得したものであり、その生理機能がうまく働かなくなる「病気」も、それが起こる生理的背景の理解のためには進化が大きな鍵をにぎっているといえるでしょう。ダーウィンの「種の起源」の発表から150年以上、進化生物学は発展を続けてきました。この間、遺伝のメカニズムが分子レベルで明らかになり、その遺伝情報を司る分子、DNAを直接調べられるようになることで、進化生物学は、理論的なモデルを議論する学問から、実際に遺伝情報の変化を調べて進化の原因を追求する学問へと変貌してきたのです。いま、これを先端的な病態学とうまく結びつけることで、「病気の起源」を理解し、私たちの医療のための根底的な知識の革新を起こすことが可能になるでしょう。
進化病態学のためのゲノム多様性の理解
遺伝病だけでなく、あらゆる病気への感受性は遺伝的な要因が関わってきます。そして、その遺伝的要素は全て生体システムの設計図とも言える「ゲノムDNA」の中に書き込まれています。生体システムの機能の精緻さを見ると、一見それは誰かがデザインしたように信じたくなりそうですが、実際にその機能を作り出している一次情報であるゲノム配列を見てみると、いかにそれが場当たり的な偶然の産物であるかがわかります。私たち生物のゲノム配列の進化は他の個体や種と比べると見えてきますが、その進化の一次的な要因である「突然変異(mutation)」は、DNAの複製ミスや偶然入ったダメージやその間違った修復であったり、DNAの複製や組換えのときに生じた誤ったコピーアンドペーストであったり、なかにはゲノムの中に巣食う利己的な遺伝因子の身勝手な複製であったり、と、その高次の美しい機能とは真逆の混沌としたものであることがわかります。その混沌とした「突然変異」にくわえて「選択」「移入」「組換え」「遺伝的浮動」などの進化的素過程によって、私たちのゲノムとそれが生み出す生体システムは進化しています。私たちは、生物の美しさに魅入られ、それを形作る進化を改善というふうに考えやすいですが、一方で、病気という生体システムの不協和音は、まさにこの混沌としたゲノム進化を体現しているものであり、私たちのゲノム進化のリアルにこそ、病気というものが生じている理由があると思われます。
病気になる人とならない人がいるということの多くは、進化過程でヒトが多様化してきた結果であると言えます。もっと広い目で見れば、ある病気は他の動物にも共有されたり、違ったりするでしょう。病気によっては、私たちの祖先が単細胞生物であるときから似たようなことが生じていた場合もあるでしょうし、ヒトという種になって初めて生じた病気というものもあります。また、ヒトと似たような病気を進化させた生物もいれば、それを克服した生物もいるかもしれません。このような種間の多様性をつぶさに見ていくことは病気の起源を明らかにするだけでなく、その解決方法についてのヒントを与える可能性があります。さらに、その種間の多様性とヒト種内の多様性の両方を見ていくことで、病気というものがなぜ生まれ、存在され続けているのか、その根源的な問題に解を与えることができるでしょう。これらの多様性の研究は、ゲノム配列の多様性を解析していくことで可能になります。現在、ゲノムDNAの配列解読の技術向上により、安価にゲノム全体を調べられるようになってきました。すでにヒトや霊長類を中心に多くの種と多くのヒトのゲノムが解読され、一般的に公開されています。私たちの研究室では、ゲノムの多様性が生まれる根源的な原因をモデル生物を使って実証的に見ていくという基礎的な「ゲノム多様性学」的研究とともに、多様なゲノム配列の比較を種間、種内両方で見ていくことで、病原性変異や疾患関連遺伝子の進化の様相を明らかにするという応用的な「ゲノム多様性学」的研究を行い、進化生物学と病態学を結びつけます。
私たちは、新潟大学脳研究所のミッションにこたえるため、主に神経変性疾患を中心とする脳病態に着目して研究を進めていきます。私たちヒトの脳の進化という究極的な課題にも関わってくるため、よりエキサイティングなアウトカムが得られるものと考えています。また、脳研究所の国内随一の脳病態学のリソースと先端的な研究を進めている先生方との共同研究により、実験的な証明、そして医療につながるロードマップを作成していきます。
研究領域1. 線虫をつかったゲノム多様性の基礎研究
ゲノム多様性を駆動する原因は何なのか、そしてそのゲノム多様性が生物のどのような進化に結びついているのか。このようなゲノム多様性とそれに関係する要素との因果関係を調べることは簡単ではありません。というのは、ゲノムはあらゆる生物の特徴と複雑に関係しているため、私たちの単純な理解ではその違いの一つ一つがどのように生まれ、どのような影響をもつのかを予測することがほとんど不可能だからです。関連性を見るというのは、一つのアプローチです。たとえば、あるゲノム因子とある表現型との相関関係をゲノム多様性の中から拾いだすのです。しかしながら、そのような解析で得られる「関連性」は「因果関係」からはまだ遠いと言えます。たとえば、二つの事象AとBが関連しているとわかったとしましょう。この二つに直接の因果関係があったとしても、Aが原因でBが生じたのか、Bが原因でAが生じたのかわかりません。さらには、Cという全く違う原因がAとB両方を生じさせており、AとBには直接の因果関係がない場合もあります。本当に因果関係を調べるならば、Aを変えてBが生じるのかをテストするという「実験」を行わなければなりません。しかし、進化というのは、遠い昔に起こる出来事です。そんなことを実験することはできるのでしょうか。そこで私たちがとるアプローチが「進化実験」です。世代時間の短い生物でのみ可能な手法で、生物を複数の世代にわたって、観察を続けることで、ゲノムがどのように進化するのかを実験室上で再現することができるのです。とくに、ゲノム操作が可能な生物であれば、ゲノムを操作したのちに、その進化を実験的に解析することで、ゲノム多様性の因果関係をダイレクトに解析することが可能になります。
このような「関連性解析」による仮説的なゲノム因子の抽出とその因果関係の仮説を検証する「進化実験」の両方を可能にする生物が重要になってきます。そこで私たちが着目しているのが線虫です。線虫は地球上に百万種以上いると言われる動物のグループです。調べればすぐに新種が見つかるほど、秘められたゲノム多様性が存在します。一方で、線虫は細胞生物学のスーパースターと言われるほど、研究の進んだ動物でもあります。一世代がたった四日間という短さで進化実験も可能です。しかし残念ながら、研究の多くは百万種の中のたった一つの種、C. elegans(シー・エレガンス)を用いているだけで、多くの線虫は謎に満ちています。私たちはこの線虫の「圧倒的な多様性」と「先進的な実験的利便性」をうまく利用して、野外に広く生息する線虫のゲノム多様性の解析とそれを実験的に解析する進化実験とを行い、ゲノム多様性の原因と結果を具に明らかにする唯一無二の研究を進めています。
最近の発表論文
Waltraud R., Yoshida K., Rödelsperger C., "Genome Announcement: Further Improved Genome Assembly of Parapristionchus giblindavisi", Journal of Nematology, 57(1), 20250026 [Link]
Yoshida K., Witte H., Hatashima R., Sun S., Kikuchi T., Röseler W., & Sommer R. J., "Rapid chromosome evolution and acquisition of thermosensitive stochastic sex determination in nematode androdioecious hermaphrodites", Nature Communications, 15, 9649, (2024) [Link]
参考文献
吉田著:Evergreen(新潟大学のウェブマガジン)「小さな動物の中にゲノム進化の秘密を知る」。[Link]
研究領域2. 進化脳病態のためのゲノム多様性の応用研究
現在、日進月歩でヒトゲノムとヒトに関連する動物のゲノムが公開されてきています。さらにそれとひもづけるトランスクリプトーム(ゲノムDNAが転写されたRNAの総体)やプロテオーム(それが翻訳されたタンパク質の総体)、さらには一つ一つのタンパク質の構造予測まで、少し前までは考えられないほどのデータが現在利用可能になっています。着眼点さえあれば、公開データを解析するバイオインフォマティクスによって色々なことができるようになっています。われわれは神経疾患の関連遺伝子がどのように近縁動物間で進化してきたかを明らかにし、さらにヒトの集団でどのような選択圧をうけてきたのかを明らかにすることで、病気の作用機序に関わる遺伝子ネットワークの進化を解析していきます。アイデア勝負の研究領域ですので、現在の計画をあまり公表はできませんが、できるだけ早くみなさんに成果を示せたらと思っております。
〒951-8585 新潟県新潟市中央区旭町通1-757
新潟大学 脳研究所 システム脳病態学分野(進化脳病態)吉田研究室
Copyright © Evolutionary Brain Pathology Laboratory - Yoshida Lab. All rights reserved.
本ホームページは吉田特任教授個人が自身で運営・管理するものであり、その作成・維持に公費・研究費などを使用していないことを申し添えます。