🐥2019年5月に感じたこと
①嘘をつく人の真のやさしさ:
相手に嘘をつく人がいる時、わたしが思うのは、その『嘘』が、その人軸か相手軸かということ。
嘘か真実かが重要ではなく、その言葉や行動を行う人の真の気持ちを知ろうとすることがたいせつ。
誰かを真に思ってのことなのか、自分を守るためのものなのか、誰かを助けたくてなのか、他人を利用するためなのか。
🐤その人軸の場合:
その人軸の都合で真実を言えない何か事情があったり、見栄や隠し事、知られたくないコンプレックスなど嘘をつく理由はたくさんあるのかもしれない。
好きな相手によく思われたくて、真実でないことを言ったりすることもあるかもしれない。
それが、相手をだましたり傷つけたりするものでなければ、わたしはその人のそんな嘘は知らないふりをしてあげようと思っている。
その人が本当のことを言いたくなるようになった時に真実を聴けばよいと思う。
🐤相手軸の場合:
以前、ある高齢者が離れて暮らしていたたいせつな人が亡くなったことを知らずにいた。
そのことを家族は、その高齢者に言わずに隠していた。
その事実を知ったら、高齢者が悲しむだろうと思ってずっと言えなかったからだ。
その高齢者は夢みていた。そのたいせつな人が今も生きていて元気で暮らしていると思って、それを生きがいにしていた。
わたしはその家族の高齢者に対する嘘を、思いやりだと思った。
真実を知らせ、向き合わせることだけが、幸せでないのかもしれない。
亡くなったかたの悲しみを受け止めて、前に進むこともたいせつだけど、
悲しみで、立ち直れない心の弱った高齢者がいたから、家族は言えなかった。
そんな嘘は人をだますとかではなく、真のやさしさからくるものだと感じていた。
②真実を伝えるちゃんと断るやさしさ:
何かの答えを知りたくて行動を起こし、その答えを知りたがっている人がいるとする。
その人はどんな結果になっても前を向き進む、乗り越える強さをもっていると思う。
そんな人には、断る場合にも、ちゃんと断ってあげるべきだと思う。
答えを待っている間、その人の時間も、その先の人生も奪っている場合がある。
だから、結果を知ることで、その結果を乗り越え、次の道を作って行ける、選択ができる。
断る時は、言うほうも言われるほうもショックや労力が必要だけど、相手のこれからも本当に思いやるなら、
ちゃんと断る勇気をたいせつにしてほしい。
だけど、断ることで逆ギレされたり、攻撃されたり、ショックで悲しみを与えてしまうと予測して、ほとんどの人は何も答えを伝えず、
蒸発していく場合が多いのかもしれない。
それはカケかもしれないけど、その事実に向き合う相手を思う気持ちや行為は、断る場合ももっていたいと思った。
わたしの場合は答えを知りたい人だから、ちゃんとその事実に最後まで向き合い答えを伝えてくれた人には本当に心から感謝してます。
③返信をちゃんとしてくれる人への思いやり:
現状自分も多忙で、プライベートでも本当に用件がある時しか、相手に連絡できない状況ではあるけど、
相手も多忙な人なのに、いつもちゃんとお返事くれる人の場合、
思いやりとして、本当に用件のある時しか、連絡しないようにしている。
もし、相手が忙しくてもわたしと連絡とりたいと思ってくれているなら、用件以外でも連絡することがあるかもしれないけど、
それが不明の相手には、用件がある時だけ連絡するようにしている。
必要以上の時間や労力を相手に使わせない思いやりのつもりでもある。
もしわたしのメッセージがメンタル的にその人の癒しになるなら、それはそれでいいかもしれないけど、
いつも本当に多忙でがんばりすぎている人に、少しでも休んでもらいたい気持ちでもある。
例えばわたしが個人的に相手を気に入っていて、連絡とりたいと思っていたとしても、相手の気持ちがわかるまではそれを心がけている。
だから、気に入ってる人と連絡を取る場合、何か用件がみつけるととても嬉しくなる。
④ロシア旅客機炎上事故について思うこと:
2019年5月6日、ロシアの首都モスクワのシェレメチェボ空港で、乗客乗員78人を乗せたロシアのアエロフロート航空機が緊急着陸した直後に炎上し、少なくとも41人が亡くなられた事故があった。
https://www.bbc.com/japanese/48173057
この事故を知った日、わたしはロシアの友人に即連絡した。
その友人はジャーナリストでいつも移動が多くて、ロシア内もよく移動していたのもあるけど、その飛行機の乗客かもしれない可能性があった。
しばらく返事がない間、わたしは久しぶりに眠れなくて、食欲もなくなり、創作の作業に全然集中できなかった。
その友人とはいつもはスローペースな連絡をしていたけど、その時は1日たってすぐに返信をしてくれた。
無事だったことを知って本当に安堵したけど、知り合いだけが助かってよかったなんて思っていない。
知らない人も、みんなそれぞれの人生や家族、悲しむ人がいるのだから。
知らない人が亡くなってもショックで悲しかった。
自分に関係するとかしないとかの問題ではなく、世界のどこかで誰かが亡くなることは悲しい。
知っているからじゃなく、知らない人でも、その想像や気持ちをたいせつにしたいと思った。
どんな国とか人種とか生きものの種類に関係なく。
⑤なぜかDMなどで質問をいただくことが何度かあった内容について(恋愛で好きなタイプは?):
芸能人でいうなら、素朴でナチュラルで爽やか系な人は五十嵐健斗さんがすてきというか癒されます。
役でいえば、刀剣乱舞の三日月宗近役の鈴木拡樹さんは本当に適役だと思います。
刀剣乱舞といえば、三日月宗近。三日月宗近といえば、鈴木拡樹さん。
だけど、鈴木拡樹さんと言えば、三日月宗近がいいので、その役限定で好きなのかもしれません。
それにしても舞台役者さんは本当に凄いなといつも尊敬と関心してしまいます。
前にも話したかもしれませんが、わたしが現世の年齢でとか気にしてないので、
たまにかっこいいなと思うかたが87歳だったりします。もちろん不倫とか自分は大嫌い(*他人の家庭を不幸にしたり迷惑かける恋愛など絶対したくないし、するくらいなら独りで充分)なので、まったく興味ないですが、
魂からの雰囲気とかで思うことがあり、恋愛感情というよりも人として、すてきだなと思うことがあります。
最近だと78歳のかたでした。
芸能人では年とってからのほうがいいなと思うかたがいます。
制作のための勉強でYouTube動画観る他に、息抜きでもドラマを観るようにしていますが、
このドラマのこの役でのこの人という限定ではありますが、
『警視庁・捜査一課長』の内藤剛志さんは、若い時のドラマ観たりしても、今現在が一番かっこいいなと思います。
池上彰さんもおもしろくて好きだし、わかりやすい説明できるのが本当に頭いいなと思うし勉強になり尊敬してます。
『執事西園寺の名推理』の上川隆也さんも54歳という年齢で気品があってミステリアスですてきなかただなと思います。
『 家政夫のミタゾノ』のミタゾノさんもおもしろくて爽快感を感じます。
Twitter相互フォローの方々で役者のかたや音楽されてるかたも人としてかっこいいなと思います。
もちろん、何してるからかっこいいとかではなく、存在自体にすてきだと思うこともあります。
リアルプライベートでは、過去5年以内だとかっこいいなと思った人は2人いました。
1人目は職場に来ていたクリニックの営業のかたでした。
芸能人でもこんなかっこいい人はいないだろうなと思ったくらい超かっこいいと思ったほどでしたが、特に何も関係は進展ありませんでした。
(芸能人もどきの男性や顔で売っている男性の中には、美容整形してまで成り上がとうとする自己顕示欲の強いかたもいると思いますが、
特にそれを目指さない美容整形もせず素でかっこいい。しかも美容整形した人より本当にかっこいい人は、一般人のほうがいるのかもしれないと思いました。)
あとは近所のスーパーのレジの男性がとても気配りあって丁寧で爽やかで、こんなかっこいい人いるんだなと思ったくらいでした。見た目は三浦春馬さんに似ていました。
と思うだけで、いつも終わってしまいます。
おもしろくて個性派の人も好きだけど、
わたし自身が変人だし、無茶しすぎる傾向があるから、
基本、素朴でナチュラルで爽やか系の人に癒されます。犬系男子がいいのかもしれません。
とわたしが思ったところで、相手は何も思ってないでしょう。
⑥自分の誕生日非公開について:
自分の年齢はともかく、自分を生んで育ててくれた家族や社会すべてに感謝の気持ちで誕生日に感謝するのはたいせつな儀式なのかもしれませんが、わたし自身お祝いしてもらいたい願望がまったくなく、物欲もないので、誕生日に何してほしいとか何買ってほしいとかもまったく願望がありません。
自分自身が自分の誕生日と周りに感謝するだけで充分だと思っています。もしお祝いしてもらったり、何かもらったりする時間と労力は申し訳なく、その分、飢餓や困っている命に使ってもらいたいというのが本心です。
でも、わたしは他人に対しては、お祝いしたい気持ちや自分にできるお祝いはできる範囲でしたい気持ちはありますので、お誕生日を知った人にはできる範囲でお祝いさせていただきたいです。
⑦自分の経験や経歴の非公開について:
基本わたしは過去に取得した資格などや経歴、経験なども非公開にしています。
それは自慢することではなく、誰かが困っていたり必要とする場合に、その経験したことを伝えたり、学びのきっかけとして伝えたり、使ったりするだけで充分だと思っています。
例えば、虐待に遭った子どもについて、自分の過去を話す事で、少しでもその子どもの心に近づき、心を開いてくれるように努力する意味で過去を話したりします。
世の中には本当にどうしようもないくらい酷いめに遭っている子どもやどうぶつがたくさんいます。
自分が過去に受けた事は例えツライ事だったとしても、苦労したとか辛かったとかそんなアピールは一切したくないし、
絶対しません。
自分は虐待受けた心的外傷や身体の損傷後遺症はあったとしてもまだ手足もあるし、全然安全な日本で幸せな環境で生活できているのに、まったく不幸だと思うことはありません。
何よりも、自分で選び生活できる自由という権利確立できてる自体、本当に幸せな環境で暮らせていると思っています。
わたしが過去に受けた外傷などは、不幸とかそんなアピールではなく、その気持ちを少しでも経験できたことで、今の活動につなげるきっかけになった重要な経験の1つだと思っています。
誰かを助けるためにそんな経験もしたと思っています。
だから、わたしなんかより、本当に自由を奪われ、物乞いのために大人たちに手足を切断させたれたり、火傷させられたり、
大人たちの都合で失明したり、手足を失ったりしてる子どもやどうぶつを助けるために、本当にわたしは人生かけて、自分にできる活動をしてゆきたいと思っています。
自分はまったく不幸なんて思っていないし、苦労したとのまったく思ってません。そんな自慢話もまったくしたくありません。
ただ辛い思いしてる命たちを助けるために生きていくだけです。
わたしは自分に対しての他人からのねぎらいの言葉もまったく求めていませんので、つらかったねとか大変だったねという言葉はわたしには本当に必要ありません。わたしには承認欲求が存在しないからです。わたしはただやるだけです。
本当につらい思いしている子どもやどうぶつは世界に数えきれないほどいます。