✈2019年10月~11月

フランス滞在レポート


✈最初に✈


元々フランスのJapanExpoにプロ出店するお話で、著書『イコールランド(フランス語版)』を最初に出版しました。

そのため、Twitterなどでも特に目立つような宣伝ツイートはしていませんでした。

グッズなども制作予定での出店予定でしたが、出版がその期間に間に合わなかったことや予算などの関係で、中止か延期でということになったのでした。

その代わりに、『イコールランド(フランス語版)』の本をフランスの子ども施設に寄付に巡る計画を立て、Airfundingで活動費の募金をしました。

寄付していただいた方々には心から感謝と共に、フランスでの内容をレポートにまとめ掲載させていただきます。

そして、寄付金額に対して、 のちに日本語版の書籍やグッズなどを出版後や制作後にお送りすることを計画しています。

(寄付していただいた方々にはAirfunding内とTwitterツイートで各お礼とお名前をツイートさせていただきましたが、

グッズなどお送りする際にのちほど改めてご連絡させていただきたいと考えています。)

そして、フランスに行く目的はもう一つロケハンでした。

今後の物語制作のための舞台などの材料として実際観たり体験することでした。

*写真と動画を1500以上撮影し、動画についてはYouTubeに投稿したかったのですが、編集する時間がとても確保できないため、写真だけの掲載にさせていただきます。


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①フランスの田舎での滞在


フランスに渡る前に、活動に協力してくれたフランス人のかたと連絡を取っていた。

飛行機代や初日のホテルなど手配していただいた方々に感謝します。

飛行機は成田国際空港からAirFRANCEで直行した。

機内食は特別食としてVEGANミールを選べたのは良かった。

だけど、調理法のアイデア豊富な日本のVEGANレストランのメニューと比較すると、

まだ野菜や豆類や穀物は定番調理で限られていたのは これからなのかなと思った。

AirFRANCEの出発が予定より40分ほど遅れて離陸した。

元々、フランスでの乗り物の乗り継ぎの予約が全部ギリギリの時刻の連続だったため、 かなり焦っていた。

しかも、飛行機内の雰囲気がとても騒々しく、がさつだったので、まったくフランス行きの旅の気持ちに浸れず、

ゆとりを全然感じることができず窮屈な気持ちで、不安と不快だったのは残念だった。

でも、それよりも以前に、わたしは今回のフランス滞在に行くことにとてもネガティブな予感を感じていた。

出発前、なぜか虚しく悲しく全然気持ちがワクワクしない重苦しい前兆を感じていたが、やはり命中した。

Parisに予定より大幅に遅れて着陸した後、わたしは予定の電車に乗るためにかなり急いだ。

空港での入国審査や荷物受取はスムーズに行ったものの、電車乗り場までかなり走ったし、乗車手続きなどに並んで、時間が間に合うかギリギリだった。

その電車に乗れなかったら、その後の予約の乗り継ぎの乗り物すべてがバツになる。

めちゃ焦りながら、なんとかホームに3分前に到着しギリギリその電車に乗れた。

だけど、その電車を降りて、今度は予約のバスに乗るまでの距離と時間もギリギリで、道行くフランス人に道を聴きながらめちゃ焦った。

そして、何とかバス乗り場に到着と同時にバスが来て、ギリギリ間に合って乗車した。

そこからこのバスで約6時間移動だったが、 そのバスの中は酷い状態だった。

とにかくバス内は荒れていて、トイレも壊れていて、電気も真っ暗で、なんとか座れた席も空気が悪く とても窮屈で不快だった。

そして深夜に、フランスのクレルモン=フェランに到着する。

事前に連絡していたフランス人が準備してくれたホテルに1泊した。

翌朝、その街を少し散策した。その街は黒い建物が多いと言われていた。広場を散策したり、教会や大聖堂などに入った。





そして、夕方からさらに田舎の滞在場所へと移動する。

その田舎に到着したらもう日が暮れて暗くなっていた。

その町は大きなお屋敷がたくさんあり、小さな教会やミュゼもきれいな建物だった。自然に囲まれて、近くに湖もある環境だった。

駅から滞在する家に向かうまでは、街灯はあるものの暗くて本当に怖い道のりだった。

暗い道中に、大きなお屋敷が見えていた。

そして、滞在予定の家に到着する。





わたしがフランスに来る前から連絡したり、いろいろ手配してくれたフランス人は表面的には笑顔だった。

しかし、のちに本音を言ってきた。わたしは、そのフランス人のわたしに対する人種差別的な発言にとてもショックを受けた。

そのフランス人は、わたしの黒い髪や黒い目を悪い意味でショックだと言った。白人より劣っていると日本人に対する差別発言をした。

わたしはフランスでは他から来た人種として受け入れないだろうと言われた。

だから、わたしはここでは受け入れられないのだとわかった。

(だけど、それは田舎のそのフランス人の偏見だと後で知った。

なぜなら、Parisに移動した後、日本人を好きで尊敬してくれるParisの人々がたくさんいて、誉めてくれたから。

日本人の黒い目も髪もミステリアスですてきだと言ってくれる目の青い白人もいたから。

Parisは都会でおしゃれで日本の文化やすばらしいアートを知っていたからだと思う。

フランスのその田舎の人は日本について文化も人間もアニメもまったく知らなかった。

だから、見下し差別をしてきた。単なる時代錯誤、Parisとの大きな格差、時代遅れな人なのだとわかった。

特にフランスのその田舎の人は極端に保守的で他を受け入れない人だと実感した。)

わたしはそんなフランス人がいる家に滞在したくはないと、翌日その家を出る事を考えた。

わたしが出発前に予感していた悲しさはこの出来事のことだったのだとわかった。

しかし、そのフランス人はわたしのことを差別見下しながらも、滞在してほしいとわたしを強引に引き留めて、いろいろ世話してくれた。

わたしはこの田舎で、子ども施設に寄付のために巡ることを予定していたが、その前にそのフランス人は家族と共に、その町の案内や

サイクリングや森や湖などにわたしを連れて行ってくれた。

湖につれて行ってくれた時は、馬に乗って散歩しに来ている人たちがいた。

(わたしは『乗馬』ということばは使わないようにしている。著書『イコールランド』の物語の中にも書いているけど、馬は乗り物としての道具ではないから。)

日本で湖の水辺に馬に乗って散歩しに来ている人は見たことがなかったから、フランスのその田舎での光景は不思議だった。

どちらにしても、馬に乗るのはイヤだから、乗らずに散歩してほしかった。

森に入った時に、乗馬禁止の忠告板が所々に貼られていた。森では、きいちごみたいなベリー系のくだものをみつけた。

森の中に、野生の子馬?かロバのような生きものがいた。ユニコーンだったりして、と少し離れた木の間から見ていた。

そいう光景は、おとぎの国みたいだなと思った。馬を飼っている(どうぶつを家族としてではなく飼う意識の)人々や野生の馬やロバと共存してるフランスの田舎のひとつの世界を知った。

(馬と野生のロバや森のくだものなど湖と森での光景は動画にたくさん撮っていたのに、写真には撮ってなかったから残念です。)





そして、わたしは子ども施設行くことで以前から話していたことに対して、そのフランス人が話してくれたその施設に行くために、

一緒に リモージュという町の子ども施設に向かった。

事前にアポなしで大丈夫なのかと思っていたけど、連絡が取れないまま訪問し、違う支援の形の機関に変わったとの情報で建物に入れなかった。

大聖堂では子どもたちがいてハロウィン姿をしていた。他施設でも。

あてにしていた施設がバツなり、 その後、いろんな子ども施設を探すが、対応してくれる場所はみつからず、その田舎を出発することにした。









そのフランスの田舎で子どもたちと触れ合ったイベントといえば、ハロウィンだった。

たくさんの子どもが次々順番に家にやってきて、玄関先に山盛り準備していたお菓子は全部無くなった。

その動画は撮影したけど、写真は撮っていなかった。


(滞在した家の田舎のフランス人の生活の不思議)


その田舎のフランス人の不思議だったことは、ちゃんとした料理をまったく食べないことだった。

毎食チョコレートの入ったパンやお菓子だけを食べていた。

食事といえば、フランスパンにレタスとトマトとチーズをはさむだけの食事で、それ以外はお菓子しか食べていなかった。

一度、パエリアの冷凍食品をそのフランス人が調理したが、(いろんなサイズのコンロがたくさんあるのに)めちゃとろ火の小さなコンロを選んで、解凍する程度の火を通し、 解凍できたかできないかの冷たい生ぬるいパエリアで、しかも小石が入っていてジャリっとした。

わたしはとても食べることができず、 過去最低に下手でまずく酷い食事だと思った。

そのフランス人の家には、まな板も包丁も無く、まったく料理する道具がなかったのは驚いた。

調理したこともおいしい食事を食べたこともない人なんだなと思った。

そして、何よりも清潔不潔の区別がない。

食卓に靴を乗せたり、食器洗いのスポンジでテーブルを磨いたり、本当に不潔で驚いた。

他には、マーケットで買い物する時、購入前の品物を買い物カゴ代わりに、その人のリュックに入れるのには驚いた。

日本でそんなことしたら、完全に万引き扱いになる。購入前の品物をリュックに入れるなんて驚いた。

それで、レジに持って行って、 リュックから購入前の品物を出して支払いしていた。

完全にリュックから購入前の品物を出しているかの確認さえなく、出し忘れていたら、 完全に万引きと同じ。

どんだけ信用されてるんだかって驚いた。

それから、ギャグみたいな人だなと感じたのは、その人が昔のハリーポッターのDVDを出してきて、観始めたとたんに、爆笑し始めたことだった。

お笑い系の番組を観てるわけでもないのに、そんなに爆笑する映画でもないと思った。

ハリーポッターの登場人物のセリフを真似して繰り返し言っては、手を叩きながら、ソファーから転がり落ちるほど爆笑していた。

何がそんなに笑えるのかまったくわからなかった。

わたしが特に困ってない時には、やたら手伝ってきて、本当に困って辛くてきつい時には、まったく手伝ってくれず、逃げ出す人だった。

(のちのParisでも、横断歩道で、たくさん荷物を持っているわたしをまったく手伝ってくれず、先に走って渡ってしまう人だった。

全然困ってない時に手伝ってきたのは、ただのうわべの優しさで、肝心な時はいなくなるタイプの人だとわかり残念だった。)

日本との違いで、その田舎のフランス人の発言で驚いたのは、「週40時間働いたら、恋人も妻にもさみしい思いさせるから結婚もできないだろう」と言っていたことだった。週40時間って1日8時間×5日だけど、日本人では一般的な勤務時間だし、それで恋人も結婚もできないって発想と発言には驚いた。そのフランス人にとってはとても大変な過労な勤務時間の長さらしい。

でもまあ、日本人のわたしを見下し差別しながらも、田舎ではいろいろ手配や世話してくれたのは家族のかた共に感謝している。


田舎のマルシェでは、ブタや子牛やヤギが売られているのがショックだった。

その動画を撮影したけど、掲載不可能で残念。



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②Parisでの滞在


そして、Parisに移動する。

その田舎のフランス人は1日だけ同行してくれたけど、わたしよりParisを知らない様子で、 わたしがそのフランス人に案内することがあった。

そのフランス人はParisのメトロが難しいと言っていたのは驚いた。

東京に比べたらParisのメトロめちゃシンプルで簡単だし迷うこともない。

そのフランス人はParisに来ただけで、めちゃストレス感じてピリピリしていて、同じフランス人と思えなかった。

そんなので、他の国にたくさん旅行するとか言っていたけど大丈夫なのかと思った。

とにかく、わたしは水を得た魚のように、Parisに来てから懐かしさと共に元気になった。

Parisの人々はめっちゃ見てくるし、目を合わせようとしてくるし、笑いかけてくるし、挨拶してくるし、話しかけて来る。

道歩いていたら、いろいろ誉め言葉を投げかけてくる(イタリアでもそうだった。)し、車からクラクション鳴らしてまで挨拶してくる。

日本なら知らない人には、目を合わせないし、もし目が合ってしまったらすぐ反らそうとするし、笑いかけることもしないし、挨拶もしない。

とにかく日本人は知らない人には無関心で、道歩いてて基本的に自分から知らない人に関わろうとしないから対照的。

さらに日本と対照的で驚くのは、電車の中で、携帯マイクや爆音で音楽を流しながら歌って踊りながらチップをもらいに廻ってくる人がいること。

電車内で、大きな声で歌う人もいれば、ギターやアコーディオンなどの楽器を弾きながら廻ってくる人もいる。

日本ではヘッドホンからもれる音でさえマナー違反だと言われるのに、フランスでは爆音で踊りながらチップを集めに来る。

おもしろいカルチャーの違いだと思った。

Parisに到着して、最初に少し有名な場所を観光することになった。

でも、そのフランス人と行ったエッフェル塔は最低な思い出となった。

なぜなら、そのフランス人がわたしに対して急に態度が恐ろしく酷い扱いをし始めたから。

わたしはスーツケースとリュックを持って歩いていたが、そのフランス人はそんな荷物を持っているわたしと歩くのは恥ずかしいと言って

まったく手伝ってくれることなく、どんどん先に歩き、しかも、足場の悪い泥道やゴテゴテの石や段差の多い通りをわざと歩き、

わたしは足や腰を痛めているのにまったく気遣ってくれることもなく、そのフランス人はわたしを放置し何度もどこかに姿を消してしまった。

わたしは泥水で靴もぐちゃぐちゃに壊れかけ、足がかなり汚れて怪我していた。


わたしはそのフランス人の家族にお世話になったお礼の品を買いたいと言っていたが、そのフランス人はまったく聞きいれず、

その買い物さえできなかったのが心残り、田舎で何か買って渡せばよかったと思った。

Parisは見物専用みたいな街だから、日本と違って気軽に何か買えるようなお店は無く、買えなかった。


Paris散策中、芝生の広場にどうぶつたちがいた。飼育されているのだと思うけど、行く末が悲しい。

La tour Eiffel


凱旋門


その田舎のフランス人は、Parisの危険エリアをとても警戒していた。

だから、そのエリアには行かないようにわたしに何度も忠告してきた。

そして、安全なParisセントラルのエリアに宿泊するようにとわたしを連れて行った。

しかし、その田舎のフランス人が連れて行ったわたしが宿泊することになったのは、収容所のように酷い宿舎だった。

同じ部屋に知らない男女が押し込められて、知らない男性がいきなりわたしのスペースのカーテンを開けて来たり、 いびきがすごかった。

どこの国の女か知らないが、その部屋の女二人がわたしに嫌がらせをして、窓を開けて強風をわたしに向けて来たり、

水をかけてきたり、わたしの悪口を言ってケラケラ笑ったりしてきた。

悪質な女と押し込められた収容所のような部屋で不快な思いをした。

そして、助けてくれたのが、Parisのセントラルエリアに住む男性友人だった。

その収容所の部屋からわたしを連れ出してくれて、 Parisを案内してくれて、彼の部屋に移動し宿泊することになった。

その友人は舞台役者もやっているアーティストでオペラ座ガルニエについてもガイドのように詳しく説明して案内してくれた。

そして、フレンチレストランの後、あのすてきな建物のHotel de Villeあたりからシテ島周辺の夜のParisも案内してくれた。

それから連れて行ってくれたピアノバーもすてきだった。

ピアノバーの帰り道、家までシェアバイクに二人乗りして、夜中のParisの街を超スピードで走ったのは楽しかった。

田舎での人種差別でメンタル的にショックを受けていたわたしだったけど、Parisの人々や友人はとてもわたしをほめてくれて嬉しかった。

多分、あの田舎のフランス人のままの印象で終わっていたら、フランスに対する偏見を持っていたかもしれない。

でも、Parisの人々は田舎のフランス人とは正反対にわたしを尊重してくれてたいせつにしてくれて、フランスに悪いイメージのまま終わらなくてよくなった。





L'opera Garnier









Hôtel de Ville




グランパレの向かい側に建っているPetit Palaisは内観も外観も本当にすてきだった。













懐かしいモンマルトルの丘と広場に行った。

過去の思い出の場所に再び来れたのは嬉しかった。

だけど、過去はとても大きく感じたサクレクール寺院も、あれから著名人の納骨されているNYの大聖堂やバチカンのサン・ピエトロ大聖堂(寺院)を訪れて見てしまった後だからか、

あの時ほど感動できなくなっていた自分がさみしかった。

どちらにしても、わたしがParisでほっとできる大好きな場所で、Parisの友人もたくさんきれいな写真を撮ってくれた。

Parisでは一番高い場所にあるここからParisの景色を再び見れたのはすてきだった。この景色はホームシックで何度か夢に出てきたから。






フランスに来てから、フォーのお店や中華料理店でご飯を食べたくなって、Parisの友人の家の近くにあるこの中華料理店に行った。

久しぶりに米と野菜を食べさせていただいておいしかった。

世界モンドセレクション?賞をもらってるお店らしい







📕著書『イコールランド(フランス語第2版)』を寄付

Paris子ども病院図書室他


子ども施設に本を寄付する活動では、Parisの大きな子ども病院ネッカー病院の図書室に著書『イコールランド(フランス語第2版)』を寄付させてもらいました。

他の施設は時間外だったり、休館だったり、わたしが行先を間違えて辿り着けなかったりした。

ネッケル病院は、写真撮影させていただけた。

図書室の担当者の方々と寄付させていただいた記念の写真を撮影させていただきました。

いろんな施設を探したが、対応してくれた施設に感謝しています。

本当なら、施設で動画上映をしたり、オリジナルキャラクターの着ぐるみやコスプレなどで楽しませたりなど企画していましたが、

受け入れ施設がみつからず、今回は本を寄付することで精一杯でした。

施設探しから活動に協力してくれた方々に心から感謝します。


📕今回の活動に協力してくれたかたや、他子ども施設に寄付されているCEOのかたにも、著書『イコールランド(フランス語第2版)』をお渡し贈らせていただき、ご一緒に記念写真は撮影しましたが、事情により非公開とさせていただきます。














📕寄付した著書とお渡しした名刺



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③Versailles


そして、再びベルサイユ宮殿へ

その日は満月だった。

ベルサイユ宮殿の帰り道に車内から満月を見た。

Palais de Versailles





















✈おわりに✈


フランスではマスクをしている人がいなかった。

それでわたしがマスクをしていると、とても怪しまれたし、 一緒にいたフランス人は、わたしがマスクをすると外すようにと何度も言ってきた。

フランスでマスクをしている人はとても重病人のように見られるらしい。

他人にうつさないようにマスクをしている人らしい。

日本だと自分の予防のためにもマスクをするし、マスクをするのが当たり前みたいになってるけど。

それと、フランスは歩き煙草する人が本当に多くて、めちゃ煙いのに、マスクもできないの辛かった。

そういう意味では、他人の受動喫煙の配慮も無いし、予防的な発想もなく、ポイ捨て当たり前でマナーも無いし遅れてる国だなと思った。

なんといっても、メトロのシステムは7月には変わるらしいけど、15年前と変わっていないって驚いた。

古めかしい券売機は味はあるけど、改札も含めエラー多くて、なかなか改札通れなかったり、不便さは変わらなかった。

日本では常に新しく改善されてるし、券売機の画面やシステムなど、同じ時代と思えないくらい日本は発達してる。

フランスは保守的な国とは言われているけど、それは特に一緒にいた田舎のフランス人に強く感じた。

建築物は田舎もParisも本当に豪華絢爛で美しくて凄いなと思うから、残すのは重要だし、たいせつだけど。

一緒にいた田舎のフランス人はまず日本人を受け入れなかったし、人種や外見を見下してきた。

(*念のため、わたしが書いている『田舎のフランス人』『Parisの人』は一般的な人々について言っているのではありません。

わたしが一緒にいた特定の人について書いています。一般的な田舎の人、Parisの人として書いていません。)

そして、発達してる日本の文化や、最新技術について話してもまったく聞き入れようとしない保守的で閉鎖的だった。

一緒にいたParisの人は日本の文化や日本人について好きでいてくれてたし、尊敬してくれていた。

だから、Parisに日本の文化を伝えた方々のおかげでもあり、それを受け入れたParisの人の感性のすてきさでもある。

知り合いのParisの人は、田舎のそのフランス人が日本人を差別し見下した発言に対して、恥ずべき愚かな発言だと言ってくれたし、

恥ずべきはその差別したフランス人であり、差別された側はまったく恥ずべきでなくすばらしさを尊重するべきだと言ってくれた。

それは、わたしも思う。

日本人はとてもすてきですばらしいし、美しいと思う。日本人にしかないすてきさすばらしさがある。

田舎のフランス人は、女性は白人しか美しくないと言っていたけど、Parisの男性はアジア女性がとても魅力的で美しいと言ってくれた。

日本の文化やの日本人の魅力やすてきさやすばらしさを理解できるParisのフランス人は、おしゃれでセンスが良いのだと思うし、実際おしゃれでセンスも良く、清潔感があって爽やかだった。

友人がオペラ座ガルニエで案内してくれた時も、その田舎のフランス人とは対照的に歩調も合わせてエスコートしてくれた。

わたし個人の好みでいうなら、アジアの女性の顔立ちが一番魅力的で憧れるし、かわいくてきれいで美しいと思う。

(個人的に、白人女性のような、鼻が尖って高くて目が奥に引っ込んでるような掘りの深い顔立ちが、わたしはあまり好みではないから憧れない。

韓国アイドルのような目がかわいくてふんわりやわらかいベビーフェイスの顔立ちがとても好きだし憧れる。)

実際、日本人を差別したその田舎のフランス人は、おしゃれとは無縁で、同じ服ばかり着て、臭いもあったし、決してかっこいいは言えなかった。

ほとんどお菓子しか食べない食生活で、筋肉もなく、24歳くらいなのに頭頂部に髪がなかった。

目の色も濁ったような緑色で、わたしの黒い目を見下すほど、そのフランス人は特に魅力的なものはなかった。

しかも、性格も悪く、人の欠点を探して笑いものにしたりする行為もあった。

例えば、他人の一番醜い状態の姿(長時間移動で寝不足の寝起きの酷い表情など)をいつも写真に撮ったり、観光でモニュメントの前で写真撮影をお願いしたら、背後のモニュメントをまったく入れず、下半分以上は地面だけで、わたしの顔も崩れた瞬間を狙って撮ってきたり、顔をわざとぶらして撮ったり、悪質にもほどがあった。

わたしのいい写真はまったく撮ろうとせず、送ってきたのは酷い時の写真ばかりだった。

一般の他人の顔を変な顔に変える加工アプリで撮って、変な顔に変えて笑いものにし、投稿したりしていた。(わたしは報告したけど、そのSNS反応無し。)

その田舎のフランス人は自分の写真だけはとてもよくうまく撮って、景色の撮り方も上手だったから、他人への写真の撮り方はわざと悪質なものだった。

だから、Parisの人と一緒にいた時、わたしをとてもすてきに撮ろうとしてくれて、センスのよい写真を撮ってくれて、対照的で嬉しかった。

田舎のそのフランス人は自分の外見のコンプレックスからなのか、日本人を劣った外見として見下したり、他人の酷い姿を写真に残すことで、自分が優位に感じたいようだった。

しかし、Parisのすてきな青い目のフランス人は、日本人の黒い目や顔立ちは魅力的ですてきだと言ってくれた。

近所のスーパーで例えていうなら、しなしなの新鮮でない野菜を高額で売っているスーパーと、新鮮な採れたて野菜を格安で売っているスーパー。

それか、お店で例えるなら、少々高くても、とても丁寧で腰が低くてすばらしい接客対応のお店と、安くても言葉遣いやお金の扱いなど接客態度がとても悪いお店の違い、みたいに感じた。


好みはさておき、自分が優越感に浸るために、他の人種や種類の違う命を差別する人は、劣等感を感じている人なんだと思う。

自分の劣等感が原因で、他人を見下したり差別することで優越感に浸り、差別される側の気持ちを考えられない人は、本当に残念だと思う。

本当にすてきでセンスが良い人は、日本人のすてきさすばらしさをちゃんと理解してほめてくれたように、他人を素直に肯定し尊重できる。

自己の優越感を満たすために、他を見下すような偽りの判断で差別することなく、いろんな種類の人種がいても、それぞれのすてきさやすばらしさをみつけられるような感性と寛大さが生まれるといいのに。


それから、フランスの男性は女性に本当によく尽くすのだなと、今回それをとても実感した。

ここまでしてくれるのかと思うほどいろいろしてくれた。

フランスの女性は何もしてくれないと、フランスの男性は言う人が多い。

男性が女性のために本当にいろいろするのが当たり前になっているみたいだった。

確かに料理も洗濯もさせてくれないくらい全部家事も男性がやりたがるのは一緒にいて感じた。

例えば、ほとんどお菓子しか食べていない田舎のそのフランス人に、わたしが何度か料理をしたが、作ってしまえば、いつもおいしいと言ってくれながらも、わたしが台所に立つのを嫌がった。

でも、わたしは料理と掃除や洗濯はこだわりあるからやらせてもらいたかった。

私自身も、日本の食事レベルが高すぎて、フランスでまともな食事を食べることができず、かなりつらかった。

帰国時、体重が13㎏減っていたのは本当に驚いた。何か服が大きく感じたからおかしいなと思ったけど、2か月でこんなに体重が減ったのは異常だった。

精神的なショックと、とにかくフランスで食事がまずくてまともな食事が無く食べることができなかったのが原因だと思う。


今回はいろんな意味で勉強になった。

ショックなこともあったけど、そのおかげで、人種差別されるつらさもわかったし、逆に差別しない感性のすてきな人も知ることができた。

このショックな体験と嬉しかった体験を、これからのイコールランド活動に身をもって生かしていきたいと思った。


性別、年齢、人種、命の種類、容姿による差別で辛い目に遭わせられた命を助けるために、実体験を元に、わたしはこれからも創作から始まる救助活動として日々積み重ねて創り上げてゆきたいと思う。


今回は本の寄付とロケハンの目的でフランス滞在したけど、どうぶつ保護の施設の見学も兼ねて探していた。

元々、フランス他国内外の署名活動は参加していたから、その団体に対して活動のきっかけも探していたが、今現在のイコールランドの活動内容と

団体や施設の支援に合う内容がまだみつからないままだった。

今後、本の寄付以外に子ども施設やどうぶつ施設に支援できるような活動の項目を考えていきたいと思う。

著書『イコールランド(日本語版)』出版後は、日本国内の子ども施設やしょうがい者施設も巡る企画を立てるために、本の寄付以外で、動画上映やオリジナルキャラクターの着ぐるみやコスプレなども少しずつ制作してゆきたい。

イコールランド設立の勉強のためもあり、少しずつできる活動項目を増やしてゆきたい。


そして、今回寄付ご支援いただいた方々や、活動を手伝ってくれた方々、応援していただいた方々に心から感謝いたします。

お返しの御礼の品についてなどは、今後の日本語版書籍やグッズ制作後に改めてご連絡させていただきたいと思います。



Je suis resté en France encore.

J'ai eu de tristes expériences en France.

Mais certaines personnes m'aimaient.

J'aime la France💖

Merci pour ces personnes qui m'ont aidé.

Sela 🎀Usumi