Bastos
バストス市(Cidade de Bastos)は、ブラジルの内陸に位置する街。
日本人移民によって拓かれた歴史があり、現在も日系文化が色濃く残っている。その様子は、現地の土地や会社の名前に日本語由来の言葉が多く使われていることなどに見え、また今回私たちも参加した「卵祭り(Festa do Ovo)」のステージにも現れていた。
一方で、遠軽町もかつて本州からの集団移民による開拓によって発展したという歴史があり、開拓者の中に遠軽地方出身者も多くいたというバストス市と姉妹都市の提携を結ぶこととなった。詳しくは、以下の遠軽町のページを参照してほしい。
バストス市には1928年に日本人移民が入植し、1930年代には綿花と養蚕によって発展し、今でも世界一と言われる生糸の生産地として有名である。
1957年、バストス市は養鶏という天職を見出し、現在ではブラジル最大の鶏卵の産地であることから「卵の首都(Capital do Ovo)」と呼ばれており、養鶏に関する技術や製品の発表や、一般市民向けのエンターテインメントがある「卵祭り」を開催している。
Tupã
トゥパン市(Cidade de Tupã)は、バストス市から20kmほど離れたところにある街。
今回、私たちはトゥパン市の中心街=セントロ(Centro)にある老舗ホテル「タモイオスグランドホテル(Grande Hotel Tamoios)」に宿泊した。
この日は、朝サンパウロを出発し、夕刻バストス市に到着した。このとき日の出ている時間が短く、すでに日没していた。
街に入ると、大きな観覧車が目に入った。これはなんと南米一高い観覧車で、卵祭りのために用意されていたのだという。夜の市街を抜けて、私たちはバストスゴルフクラブ(Bastos Golf Clube, BGC)へ向かった。そこでは歓迎会が用意されており、想像していたより多くの日系人をはじめとする地元の方々にお出迎えしていただけることとなる。
私はここでお腹を壊し、途中離脱してしまうことになった。
歓迎会場のテント。正面席と食事の用意されている机。
アイラブバストスモニュメント(後日撮影)。
この日は、市議会や市長室の表敬訪問があったようだが、私は療養のため午前の間ホテルに留まることになった。
トゥパン市の日本風レストランで軽く昼食をいただいてバストス市へ向かったのだが、体調が良くならなかったため病院(のちに少し異なる市立救急外来(Pronto Socorro Municipal)であったと判る)に行き、奇遇にも「ブラジルの医療」を体験することに。この救急外来では、基本的に日本と同じく看護師さんによる問診、お医者さんによる診察、そして治療や薬の処方という流れで進んだ。一番驚きだったことは、ほとんどが質問により進み、発熱を否定すると熱を測ることもしなかったということだ。診察のあと、おそらくビタミン系物質に由来する黄色の点滴を受けることになったのだが、点滴を始めて少し経つと気分が悪くなり目の前が真っ暗になってしまったので、生理食塩水の点滴へと変えてもらい、無事元気になることができた。
トゥパン市 レストランからの景色。
バストス市の病院(快復後に撮影)。救急外来は写真の奥。
この日の午前には、町長を含むグループ1に同行し、史料館見学、柔道大会見学、福祉施設定礎式に参加した。
バストス市史料館(Museu Regional Saburo Yamanaka)は、和風な前庭を持ち、正面に大きく漢字で「博物館」と書かれた施設で、内部には日本移民やバストス市に関する資料、かつての移民のスーツケースのようなレトロな物品などが展示されていた。
史料館前景。(恐竜は人気に乗って設置したとのこと。)
和風な小屋や橋が見られる前庭。
前庭に拵えられている富士山。
展示の一部。格言や旗などが壁一面に飾られている。
移民の荷物。
レトロな物品の一部。他にも、テレビやオルガンなどがあった。
最深部には、生物に関連する展示が見られた。
史料館見学の後には、続けて柔道大会の開会式と福祉施設の定礎式に参加した。
会場表の看板には「寒稽古(KANGUEIKO) 2023」とあった柔道大会では、私も突然ながら紹介され、選手たちに向かって手を振る場面があり、緊張しながらもこれまで少し夢見ていた「来賓側での出席」を思わぬ形で実現し、嬉しかった。ブラジルでは、式典のときには多くの人がたくさん喋るようで、そのため日本のものよりも時間がかかると聞いた。 会場の盛り上がりを感じることができた。
福祉施設の定礎式では私の出番はなかったが、町長が日本の伝統的スタイルで祝辞を述べるなど正式な式典であり、今後のバストスの福祉の発展を願った。
柔道大会の会場。会場奥の来賓席にお邪魔した。
定礎式を多くの人が見送っている様子。
午後には、高校生グループで学生との交流の時間があり、その後卵祭りへと向かった。
学生交流会(注: もとは「学生座談会」という名称だったが、座談会とは異なったため個人でこう呼んでいる)では、現地の日本語学校の生徒をはじめとする多くの若者とバストスや遠軽について少し話し合ったあと、街を案内してもらいながら回った。以下の写真にある「卵公園(Praça do Ovo)」をはじめ、「会館」、「日本語学校」、そしてアイスクリーム屋さんなどを会話を楽しみながら巡った。学生との交流は新鮮であったうえに、文化の違いやバストス市についていくつか聞くことができ参考になった。
卵祭りステージでは、前日に聞き逃した太鼓の演奏を鑑賞した。卵祭りのステージでは、バストス市周辺の強豪チームだという太鼓や複数の県人会による踊りや歌が披露され、日本の雰囲気を色濃く感じることができた。私たちと同行した「遠軽がんぼう太鼓」の方々の演奏を聴くこともでき、私たちもブラジルの人々も本場日本の太鼓に圧倒されていた。
学生たちと訪れた場所のひとつ、「卵公園」。街灯の形が……!
「遠軽がんぼう太鼓」のステージを熱心に見学する現地チーム。
この日は、朝バストスの人々の見送りを受けながらホテルを出て、[サンパウロ]到着後、バスの運転手さんたちを含む同行してくれた方々との最後の挨拶をもってバストス市としばらくのお別れとなった。