São Paulo
サンパウロ(São Paulo)はブラジル南東部に位置する都市。
ブラジルのみならず南米最大の都市であり、首都圏人口は南半球1位。市街地の高層ビルや郊外の工業地帯が印象的で、ブラジル/南米の経済や文化の中心地であり、市民パウリスターノ/パウリスターナ(Paulistano: 男性形 / Paulistana: 女性形)の仕事好きな性格から「ブラジルにおける東京」と喩えられる。
対するリオデジャネイロは、観光の中心地で、市民カリオカ(Carioca)の性格は遊び好き、さらにサンパウロと文化的に対立している点も「ブラジルにおける関西あるいは大阪」と喩えられるのにぴったりであろう。
Santos
サントス(Santos)はブラジル・サンパウロ州にある港湾都市。
サンパウロから見て南におよそ50〜60kmに位置し、内陸都市であるサンパウロ市の外港として機能している。コーヒーの取引市場で有名なほか、1908年に日本人移民が「笠戸丸」で上陸したのもこの街である。
ちなみに、サントスは周囲を大きな川や海で囲まれた、島の街。
Aeroporto Congonhas
リオデジャネイロ、サントス・デュモン空港からやってきたのはサンパウロ、コンゴーニャス空港(Aeroporto Congonhas)。
ここでは2階建ての大型バスが待っており、高い位置からの車窓を眺めながらホテルへと向かった。
InterContinental São Paulo
ホテル、インターコンチネンタル・サンパウロ(InterContinental São Paulo)。サンパウロ最大のストリート、パウリスタ大通り(Avenida Paulista)近くに位置し、私たちがバストスへと向かう前の1泊とサンパウロ見学期間中の2泊を過ごすホテルだ。
広くて綺麗なロビーやレストラン、客室を持っており、さらに一部日本語にも対応している。とても居心地が良いホテルだった。このホテルも同様に、宿泊中の朝食をここで頂いた。
最初の宿泊日には美味しい朝食を食べたあと、一度チェックアウトして[バストス]へと向かった。
7月16日、バストス/トゥパンからサンパウロへ帰ってきた。
そんな日の夕食はホテル近くの「Hiro Restaurante Japonês」さん。お腹を休める目的も兼ねて、懐かしの日本食をいただいた。特にお味噌汁などは日本のものと遜色なく感じられ、美味しかった。ただ、ブラジルで頂く日本食には基本的に「出汁」がないようで、いくつかの食品は味が異なっているようだった。
Antigo Cassino do Monte Serrat
モンテ・セハー旧カジノ場(Antigo Cassino do Monte Serrat)は、サントス、モンテ・セハーの丘の上にある施設。この丘からは、サントス市街を一望することができる。
この施設へは、ケーブルカーで上って行く。その勾配は45度で、始発駅は手摺りによる斜めの直線が印象的【写真1】。ケーブルカーから後ろ(下)を見ると、旧市街が広がっている【写真2】。
このカジノ場はもともと5-6人の実業家により世界中の建材を集めて作られたというが、1人を残して経営から離脱、その1人の家族で保存されてきたという。現在では多くのアンテナが建ち、これまた直線が際立つ綺麗な建物だ【写真3】。施設を抜けると、丘の上にある教会の奥に新市街を望むことができる【写真4】。
最後には、ケーブルカーを動かしている機械室にお邪魔し、年季の入った歯車を間近に見ることができた【写真5】。
おしゃれな壁画などを見ながらやってきたのは、イタリアンレストラン「Cantina Di Lucca」さん。ここでは昼食としてスパゲッティをいただいた。このお店のスパゲッティは(半)無限おかわり制らしく、私は一皿分でお腹いっぱいになったのだが、一行では用意分を完食でき、お店の方も喜んでくれていたようだ。
ここでは2階建ての大型バスが待っており、高い位置からの車窓を眺めながらホテルへと向かった。
Parque Roberto Mário Santini
ロベルト・マリオ・サンティーニ公園(Parque Roberto Mário Santini)は、サントス海岸にある象徴的な公園である。バストスでも見られたような都市看板が見られる【写真1】。
この公園には、日本移民ブラジル上陸記念碑(Monumento aos Imigrantes Japoneses)が建っている【写真2(補正済)】。「親子の碑」とも呼ばれるこの碑が建ったのは1998年、日本移民が上陸した1908年から90年の節目であり、さらに現在2023年は115周年ということになる。まわりには日系子孫を表す「二世」から「五世」と刻まれた灯籠があるが【写真3】、こちらも現在では日系六世も誕生しており、時の流れを感じることができるだろう。
隣接するビーチにも訪れ、広大な大西洋とビル群を眺めた【写真4】。
サンパウロに戻り訪れたのは「Mercado Extra」、チェーンのスーパーマーケットだ【写真1】。ちなみに、ポルトガル語読みでは「Extra」は「エストゥラ」となる。
ここでは、広大な店内にブラジルらしいお菓子やコーヒーなどが大量に陳列されており【写真2】、たくさんのお土産を買うことができた。
夕方に訪れたのは、パウリスタ大通りに面するショッピングモール「Shopping Cidade São Paulo」。【写真】の左下に写っている建物だ。
中にはたくさんの高級そうなお店が揃っており、ここでは親しい友達向けのお土産を買うことができた。
この日の夕食は北海道会館での歓迎会。多くの日本人・日系人の方々にお集まりいただき、手厚い歓迎を受けた。また、私たちが自己紹介をする時間もあり、楽しむことができた。
ここではサンパウロの学生たちも集まっていて、こちらでも新鮮な交流をすることができた。
【写真】は、入ったところに見つけたポスター。ここでは、少しながら居合道の稽古を見学する時間もあった(注: 私は居合道をかじっているため、個人的に興奮していた)。
Monumento em Homenagem aos Pioneiros da Imigração Japonesa
サンパウロにある巨大な公園、イビラプエラ公園(Parque Ibirapuera)を歩いていると突如現れる和の空間。その一角にあるのが開拓先没者慰霊碑(Monumento em Homenagem aos Pioneiros da Imigração Japonesa)だ【写真1】。
黒光りする石碑の碑文の文字は元内閣総理大臣、田中角栄氏。しかし、一番驚きなのは封印されし地下室。国宝級の仏像とともに、日本人移民や彼らの名前が祀られている【写真2】。
あとには、近くの「日本館」前も通ってきた【写真3】。見慣れない巨木が並ぶ公園の中で、この慰霊碑の周りは桜を含む“日本”を感じられる植物が植えられており、彼らが安らかに眠っている様子が窺える。
なお、「先没」という言葉は辞書にない。開拓のために先駆し死没していった人々を想い、この言葉が当てられた。移民については[日本移民と日系人]も参照してほしい。
Museu Histórico da Imigração Japonesa no Brasil
ブラジル日本移民史料館(Museu Histórico da Imigração Japonesa no Brasil)は、サンパウロ東洋人街(旧日本人街)にある「ブラジル日本文化福祉協会(Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa e de Assistência Social)」、通称「文協(BUNKYO)」の建物の7階から9階に渡る巨大な史料館だ【写真1】。
7階から始まり、日本人の移住初期から現在までをさまざまな物品や機械を用いて紹介している【写真2: 移民が乗ってきた「笠戸丸」】。入場してすぐのところには、日本をよく知らない人のために日本史の紹介から始まっているところが印象的だ。この史料館では、バストス市ももれなく紹介されている【写真3】。
日本の文化を体験できるコーナーでは、水習字を体験してきた【写真4】。
この日の昼食は中華料理「Restaurante Chi Fu」さん。伝統的な回転テーブルを囲んで、酸味や辛味が特徴的な美味しい中華料理をいただいた。
そして、このお店の目の前にあるのはリベルダーデ公園(Praça de Liberdade)。かつて奴隷が斬首刑にされた場所だとか。
Allianz Parque
アリアンツ・パルケ(Allianz Parque)は、サンパウロ市内にある多目的スタジアム【写真1】。サッカーチーム「SEパルメイラス(Palmeiras)」のホームスタジアムであり、地上階にはパルメイラスストアも。
まずはじめには5階の観覧席へ。とても広く、写真には収めきれそうにない【写真2】。この屋根は±2℃の気温調節に対応しているというほか、ここで「パルメイラス!!」 と叫んでみると、20人程度の一行だけでも反響がよく聞こえ、エンジニアリングに感動した。他にも、4階の特別席、地下階のロッカールームなど普段行けないところにも訪れ、写真撮影などを楽しんだ。そして最後にはフィールドへ【写真3】。広大なフィールドや観客席を背景に、スタジアム専用の記念写真を撮影した。
早くもブラジル最後の晩餐、「La Caballeriza」さん。ここでは、アルゼンチンの絶品ステーキをいただいた。厚切りでややレアなお肉がとても美味しかった。
Aeroporto Internacional de Guarulhos
グアルーリョス国際空港(Aeroporto Internacional de Guarulhos)は、サンパウロ都市圏/グアルーリョス市にある国際空港。
こちらは正式名称をサンパウロ/グアルーリョス - アンドレ・フランコ・モントーロ知事国際空港(Aeroporto Internacional de São Paulo/Guarulhos – Governador André Franco Montoro)といい、ブラジルの国際空港には人名がついて複雑な名称となっている。
ここでブラジルのみなさんとはお別れとなった。