人物

NPO法人地球守

【長南タウン】(長南町)から高田造園設計事務所代表の高田さんが近年取り組む活動を紹介します。詳しくはホームページをご覧ください。

地球守

地球守(FB)

長南町の古民家環境改善WS 指導をされています。

古民家の裏山と庭の環境整備vol.①(千田地区)

古民家の裏山と庭の環境整備Vol.②(千田地区)

地球守自然読本③が完成!町の特別協力(協賛)が決定


総代関係者が【鬼の出前】

【長南タウン】から長福寿寺の総代関係者が行っている節分の<鬼の出前>を紹介します。

コロナ禍で出前が出来なくなったため、Youtubeで見てもらおうと頑張って映像作品にされています。是非、子供達に見せて下さいね。_________________________________________

「ガオッーーで、ガンス!!」

 長福寿寺の総代鬼は、長福寿寺で行われる『節分の豆まき』(豆とお菓子を山ほど撒く)に来れない、施設のお年寄りや幼稚園・学校で来れない子供たちを対象に、毎年『鬼の出前』と称して、ご利益のある長福寿寺の開運豆と鬼ヶ島の宝のお菓子を持って、来訪して、皆んなと『豆まき』合戦をして楽しんでいます。

 今年はコロナで来訪できないので『鬼の出前』リモート版にしました。

              赤鬼大魔王


(2019/3/10)

【長南タウン】(長南町)から、0歳からの親子英語リトミックをされている[とことこリトミック]さんのブログを紹介します。

はじめまして!とことこリトミックです。

「親子で楽しもう音楽と英語」をテーマに茂原市、長南町を中心に活動しています。

リトミック&ピアノ担当もとこと、英語担当さとこ、の二人でとことこと力を合わせてレッスンします。

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英語リトミック

平日午前中は0才からのクラス、平日夕方は園児クラスがあります。

ピアノ生演奏によるリトミックと、英語絵本の読み聞かせやオールイングリッシュでの英語レッスンが同時に受けられる「英語リトミック」

季節のイベントも取り入れながら、子供達の発達に寄り添った楽しいレッスンです。初めてでも大丈夫です!

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スタジオ BSKにて

2歳児対象リトミック「音楽ひろば」

金曜日:月3回レッスン

お月謝:月3,500円



ジャズサックス奏者の石田玄紀さん演奏

(2018/1/21 Google+掲載記事)

【長南タウン】(長南町)から、ジャズサックス奏者の石田玄紀(ishida haruki)さんの演奏ビデオを紹介します。是非応援を!

以前、<プロジェクト長南町>演奏された映像をお楽しみ下さい。


ジャズサックス奏者の石田玄紀HP

(2018/1/21 Google+掲載記事)

【長南タウン】(長南町)から、ジャズサックス奏者の石田玄紀(ishida haruki)さんのHPを紹介します。まだ長南町在住だと思われますので、是非応援を!HP内には、Yutubeへアップされた演奏のリンクがありますので、まずはそちらでお楽しみ下さい。


[あびこ植物図鑑全集]佐久間俊行さん

(2017/9/20 Google+掲載記事)

【長南タウン】(長南町)から、長南町出身者の記事を紹介します。

現在は我孫子市にお住いの佐久間俊行さんですが、30年に渡って我孫子市の広報誌で「あびこ植物図鑑」を連載されていたそうです。

同級生の方は知っていますか?町の図書室に[あびこ植物図鑑全集]を備えたら如何ですか。

[日本の点字]の創始者:石川倉次

(2016年7月10日 Google+掲載記事)

【長南タウン】(長南町)から、少しだけ長南町と接点があった[日本の点字]の創始者:石川倉次を紹介します。

石川倉次物語:日本点字の創始者(著者:永嶋まつ子(長南町:2011永眠))という自費出版された児童向け書籍があります。所蔵館は、千葉県立中央図書館 、千葉市中央図書館、国立国会図書館だそうです。

読んだことはありませんが、関心ある方は地元の図書館からリクエストすると図書館ネットワークの仕組みで貸し出してくれます。

その児童書で取り上げられた、少しだけ長南町と接点があった[日本の点字]の創始者:石川倉次の生涯を紹介します。

◆幕末に浜松で生まれ、藩籍奉還で鶴舞に

石川倉次は1859年(安政6)、井上藩士の石川専七、母ゑしの長男として現在の浜松市中区鹿谷町に生まれました。

向学心旺盛な少年だったようで、8歳の頃には現在の早馬町に手習いに通い、藩士の子弟が通う克明館(現在の浜松市中区高町)に入学し、西洋の砲術や英語も習い成績は抜群だったようです。

しかし、時代は幕末から明治へ大きく揺れ動き、1868年(明治元年)藩主井上正直の上総国への転封によって、石川家も市原市鶴舞へ転居となります。

江戸時代末期には、現在の鶴舞は桐木原と呼ばれ、7軒ほどの家が散在した寂しい場所であったようです。

浜松からどの位の人達が鶴舞に移り住んできたのかは分かりませんが、築城すべくお堀や武家用の宅地造成が行われたものの、版籍奉還・廃藩置県が行われたため城としてはその体裁を成さないまま未完で、実態は「鶴舞陣屋・藩庁」の様相であったそうです。

この時期、井上正直は上総埴生郡矢貫村(現在の長南町長南)の浄徳寺を仮陣屋として移り、築城にあたったということです。


◆ 教育者への道

藩籍奉還で職を無くした父は家族と離れて仕事を求めて千葉県の各地を転々とする身となります。病弱な母も生活のために、まだ幼い倉次の妹弟を養育しながら針仕事や近所の手伝いなどをして懸命に働きました。そんな母を見て倉次は、早く一人前の大人になりたいと思い、学問に身を入れてゆきます。

1875年(明治8)鶴舞小学校を16歳で主席卒業した倉次は、その優秀な成績と才能を認められ、卒業と同時にその母校の助教師に採用されます。

さらに、正教師の資格を得るために千葉師範学校教員検定試験に合格、正教師として水沼小学校(現長南町立西小学校)へ赴任します。

そんな中、母が亡くなり、妹弟は父と銚子で暮らし始めます。なお、単身となった倉次は教師を辞め、新聞記者になろうとしますがそれは叶えられませんでした。

1878年(明治11)、あらためて高い志を胸に教師となる決意をした倉次は千葉師範学校へ入学、同校師範科を卒業した後、鷲野谷小学校(現手賀西小学校)や浜田小学校(現幕張小学校)で教鞭をとっています。

そして、1881年(明治14)、22歳の時に久野さのと結婚し翌年長男が誕生します。このころから国語・国字の研究に熱中しはじめ、東京の仮名文字会「かなのくゎい」に参加し表音文字の研究を始めています。

1885年(明治18)に、倉次は茂原小学校への赴任となり、茂原で親子3人での充実した生活を始めます

◆ 小西信八との出会いと転機

ところが翌年1886年1月(明治19)、差出人『楽善会訓盲唖院内 小西信八』から、楽善会訓盲唖院(現筑波大学付属視覚特別支援学校)への赴任を促す手紙が届きます。彼とは仮名文字会で知り合い、日本の文字の改良でお互いの意見を交換する仲でしたが、小西の勤める学校の名前を聞くのも初めてですし、どのような教育をしているのかも想像できませんでした。

一度は申し出を断わったものの、その後も小西から障害者教育の現状と倉次の協力を必要とする旨の手紙が届きます。そして、1886年(明治19)2月、小西の誠意と熱意に促されて倉次は、楽善会訓盲唖院(現筑波大学付属視覚特別支援学校)の教員となります。

小学校教育制度の上では訓盲唖院と一般の尋常科との教育内容には大差ないものの、生徒にしっかりと学力をつけてもらうためには、適切な触読用文字を必要としていました。

当時は漢字や仮名を浮き出しにした凸文字の教科書でしたが、なんという文字が書かれているのかを指で理解するのに生徒は大変な苦労をしていました。

その姿を目にして、倉次は触読用文字の研究・考案への使命を痛感します。そして、凸文字書を前に考え込む日が続くようになります。

そんな時期、イギリスの教育者が書いた「盲人の職業と教育」を読んだ小西は、フランス人のルイ・ブライユが考案した点字の優秀さを知り、そしてブライユ点字を日本点字へ翻案研究するよう倉次へ依頼します。

承諾した倉次は寝食を忘れて点字研究に没頭します。ブライユ点字は3点2行の6点点字で欧米文字を表現するのは十分可能でしたが、日本語は表音文字(仮名文字)だけでも100を超え、6点では無理がありました。

そのため倉次はブライユ点字の基本に従いながらも3点4方の8点点字への研究に邁進し1888年(明治21)3点4方の8点を基とする案を作り上げました。しかし、1889(明治22)年遠山邦太郎が6点点字案を発表したため、小西からは『世界との共通性』を理由に研究のやり直しを助言されます。

◆ 理想の点字を求めて

3点2行の6点点字を模索し続けた倉次は、次々に6点点字配列表やその改良案を発表していきます。その独創のひとつが前置付加点方式(清音文字の前に濁点符等を置く方法)です。この方式を生徒たちへ試みて、触読しやすい結果を得られたことから、日本点字の完成に自信を深めます。

そして、1890年(明治23)倉次案の3点2行の6点点字完成。この年の11月1日、学内で開かれた点字撰定会で倉次の案が支持され、日本点字として採用が決定します。(後に11月1日は「点字記念日」に制定されています)

倉次は日本点字の普及を図るために全国の盲学校や関係団体へ「日本訓盲点字一覧」を配布したり、各地で点字の指導・解説活動をおこないます。それは、次第に全国の視覚障害者及び教育者に浸透していきました。

1898年(明治31)懐中点字器を発表。これにより盲人がいつでもどこでも文字が書けるようになったそうです。またこの年、拗音(きゃ、ぎゃ、ぴゃなど)の点字を完成させたとのこと。

そして、1901年(明治34)4月の官報に「日本訓盲点字」として掲載され、名実共に「日本の点字」になりました。また、点字を表記するための「点字器」や「点字タイプライター」も開発しています。こうして倉次の「日本点字」は社会で生活する視覚障害者へ『文字の光』を与えました。

倉次は点字を完成させた後も、東京盲学校や東京聾学校などで教育に携わりながら、日本点字の普及と指導を続けて行きます。


晩年は、父が暮らした銚子で過ごしていましたが、1944年、太平洋戦争により疎開した群馬県安中で85歳の生涯を終えました。まさに日本点字の研究と発展に尽くした人でした。

石川倉次は、浜松生まれで9歳まで浜松で過ごしたことから浜松の偉人とも、10歳以降は鶴舞であったので千葉県の偉人とも言われています。

明治初期の、長南・鶴舞エリアは教育や経済面は同じエリアだったと聞きます。この地で育った方が成し遂げた功績は誇らしいですね。

斉藤さん <工房 水銀堂>

(2016年7月3日 Google+掲載記事)

【長南タウン】(長南町)から、山内地区にお住いのイラストレーター:斉藤さんの<工房水銀堂>HPをご紹介します。

以前このサイトで紹介したのは、オリジナル家具のマガジンラック・絵本棚でしたが、本業のイラストレーターで関わった絵本作品紹介などがありますので一度ご覧になって下さい。

斉藤さんは、 1966年福島県生まれで武蔵野美術大学卒。

立ち上げに携わってきたグループホームいろりんの開設を機に、2006年に福祉の仕事からイラストレーターへ転身され、2010年には長南町山内の古民家に引っ越され、身の丈にあった手作りの暮らしをはじめたとのこと。

また、奥様は、図工教室及び陶芸教室の<あおぞら工房>を主宰されています。お子さんと創造的モノづくりをしてみませんか。

近くの八平の食堂の壁に<あおぞら工房>の案内が貼ってあったように思います。

若手サックス奏者である石田玄紀さん

【長南タウン】(長南町)から、地元の音楽家を紹介します。

シティライフ Vol.982 (2016.2.27)に紹介された 長南町在住の若手サックス奏者である石田玄紀さんのことです。

都内、千葉、地元のライブハウスなどで、ライブ活動など様々な演奏活動、作曲、サックス講師などをされている方です。

2015年6月にオリジナル曲をおさめたリーダーアルバム『GOOD WAVE』をリリースし既に完売とのこと。

また、2016年からはオリジナルのエレクトロサウンドによるソロ活動も開始されているとのことです。

シティライフ 2016年2月27日号の紹介記事はこちらです。

また、演奏されている映像がYutubeにありましたので以下。

そして、最後にご自身のブログがこれ。

ご縁があったら、是非演奏をお聞きください。

芝原(しばら)人形作家の千葉惣次さん

【長南タウン】(長南町)から、郷土人形の芝原(しばら)人形作家の千葉惣次さん(長南町岩撫)をご紹介します。

江戸末期から、長南町に伝わる郷土人形の[芝原(しばら)人形]を製作されているのが、千葉惣次さんです。

芝原人形は、粘土を素焼きし、泥絵の具で彩色する江戸浅草の今戸人形の流れをくむ極彩色の土人形です。

千葉惣次さんの実家は、隣の茂原市でしたが、幼いころからおばあさまが芝原人形を飾っておられ、日常の風景の一部として常に身近にあったそうです。

千葉さんが高校生の頃に、近くに芝原人形を作っている田中さんという方がおられると知り、以降、足繁く会いに行くようになり、ほとんどが年配者の中で、高校生が芝原人形を少しずつ買い求めていたそうです。

近所に林天然さんという民俗学者のご親戚がおられ、その方の影響も大きかったのか、その後、全国の郷土人形にのめりこんでいかれたそうです。

大学を卒業後、ヨーロッパの民芸品を扱う会社に勤めましたが、29歳の時、やきものの作り手になろうと思い立ち退職し、岐阜県の多治見市陶磁器意匠研究所に入所されます。

そして意匠研究所の後、美濃焼の窯元で10年間職人をし、その後、独立し千葉県に帰ってこられたそうです。

その時、日本郷土玩具の会の石井さんという方から、既に芝原人形作家が途絶えていたこともあり、それを引き継がないかという話がありました。

子どもの頃から芝原人形を見て育ち、高校時代に作者を知り通いつめて芝原人形をコツコツと買い集めた芝原人形は、ほぼ全種類揃っていたそうです。千葉さんが意匠研で学んだ型の技術を活かして、集めていた人形から型を起こし復元できるとなれば、必然的に芝原人形を引き継ぐ唯一の人だったわけです。

そして、4代目の芝原人形作家として、現在まで続いているのです。

その芝原人形4代目の千葉惣次さんが、「東北の伝承切り紙 神を宿し神を招く」(128頁 1890円 平凡社 2012/09)を出版されています。

伝承切り紙は、正月飾りや神楽などの宗教儀式に用いられるもので、平面的な「切り透かし」、立体的な「御幣(ごへい)」と「網飾り」の三つの形があります。御幣や切り透かしは、全国広い範囲で見ることができますが、網飾りは東北地方の一部でしか見られません。

千葉さんが、郷土人形を制作するかたわら取り組んできた伝承切り紙の研究は、東日本大震災の被災地の伝統を伝える、貴重な記録ともなっています。東北特有の[網飾り]は、幾重にも和紙を折りたたみ、小刀で複雑な切り込みを入れたものを、順次解きほぐして作られます。

和紙が上下左右に網のように広がり、そのなかに俵やタイなどさまざまな縁起物が表現され、魅力的な正月飾りに変身しているのです。

この[網飾り]は、神職が作り、神社から氏子に配られますが、1年間飾られた後には、どんど焼きで燃やされるため、古い[網飾り]作品は全くといっていいほど残っていないそうです。

この伝承切り紙を作っておられる方々は70歳以上が多く、遠からず消えてしまうのではないかと思い本にされたとのこと。

千葉さんは、記録に残そうと5年程かけて、宮城県、岩手県、福島県の神社を巡り、写真を撮り集めたそうで、この本では宮城県18社、岩手県8社、福島県1社を紹介しているとのことです。

東日本大震災の津波で神社が大きな被害を受けたところもあれば、自宅が被災した宮司もおられるようで、切り紙を伝承していく上でもこの本が貴重なものとなっているそうです。

平成26年には福島県立博物館で、平成27年には睦沢町歴史民俗資料館で、この切り紙の展示がされました。機会があれば是非ご覧下さい。

お花工房 ロサード美優(みゆう)

(2015/5/4 Google+掲載記事)

【長南タウン】(長南町)]から、お花工房 ロサード美優(みゆう)さんをご紹介します。豊原の渡邉美由起さんが講師をされているお花の教室です。生花、プリザーブドフラワ-、アーティフィシャルを基本から応用まで、またイベント向けにアレンジするレッスンをされているとのことです。

資格取得を目指す方には、以下のサポートを行えるとのこと。

・日本フラワーデザイナー協会資格取得(2級までは茂原教室で資格検定可)

・ラムズイヤー資格取得(プリザーブド・アーティフィシャル)

また、<出張教室>にも対応されており、4人以上集まれば出張での教室開催も行っておられます。(一回2500円~3800円で花材・講師料込み、資格取得の料金は別途)

日々の活動はFacebook Pageをご覧下さい。

https://www.facebook.com/Miyuflowerdesignschool

長南町の宮司・宮田修さん

(2014/12/23 Google+掲載記事)

【長南タウン】(長南町)から、長南町の宮司・宮田修さんの講演会から参考になるお話を紹介します。

2014年11月21日(金)、茂原市民会館では第4回「千葉県観光物産大会」が開催されました。基調講演は、長南町にお住まいで元NHKアナウンサーであり、現在は、長南町の熊野神社で宮司をなさっている宮田修さんの「茂原市・長生地域の現状と今後について」でした。

宮田さんが長南町に来たのは、知人の紹介で借りた古民家がたまたま長南町であっただけで、「時計を気にしない週末生活」を満喫していた折り、ある日突然、宮司を務める家主に後継指名を受けて、本気になったとのことです。

神職の資格取得を目指し、大阪の通信制養成機関に入学したのが53歳の時で、膨大な教科書に当初は後悔もしたが、教材のひとつである古事記や日本書紀を読みふけるうちにその魅力に引かれたそうです。

中でも、先祖からの『命のつながり』を大切にする神道の歴史観に深い感銘を受けた。それは「『個』を大事にする戦後教育によって日本人が忘れてしまったものと話しておられます。

不満に思っていることとしては、当地域(長南町)は新参者に親切ではないということ、それから長南町は若者の移住は歓迎するが、定年組をあまり歓迎していないということ。

若者は、仕事や教育や遊びに便利な都会に住み、長南町には移り住んで来ない。リタイアして移住してくる者は、身も心も健康に自信があるからこそ、田舎に移り住んで来れるのであり、自信がなければ元々田舎にやって来れるはずがない。

お金もほどほどあるので自治体にあまり迷惑はかけないので心配は無用、町は元気な高齢者をたくさん呼び込んだ方が良い!と話されました。

不満に思っていることとしては、長南町は新参者に親切ではないということ、それから長南町は若者の移住は歓迎するが、定年組をあまり歓迎していないということ。

若者は、仕事や教育や遊びに便利な都会に住みたがり、長南町のような田舎には移り住んでは来ないのだから、リタイアして移住してくるシニアを大切にすべきと話す。

リタイア後の移住者は、身も心も健康に自信があるからこそ、田舎に移り住んで余裕のある時間を過ごしたいのであり、健康や生活資金に自信がなければ元々田舎にやって来れるはずがない。お金もほどほどあるので、自治体にあまり迷惑はかけないので、健康保険の増大などの心配は無用ではないか。

長南町は元気な高齢者をたくさん呼び込んだ方が良い!と話されました。元気なシニアが、元気な若者を呼ぶこむ、そんな地域社会が望ましいのではないでしょうか?多くのシニアが人生を楽しめる地域になれば、おのずと人は集まるものです。

陶芸家・鈴木重孝さん

(2014/5/18 Google+掲載記事)

【長南タウン】(長南町)から、長南町在住の陶芸家・鈴木重孝さんをご紹介します。

「長南町のアーティスト展 出展者リスト」by協働交流サロンに出展されていた鈴木重孝さんのHPは以下です。

鈴木さんが長南町へ引っ越して来られて、既に30年余りが経つそうです。現代の生活に溶け込み、モダンな建築空間の中でもインテリアとして刺激を与えるような器、 伝統的な風合いや、品のある質感を大切にした、そんな器を作っていきながら、手にとっていただいた方の、気持ちが晴れやかになるような暮らしに寄り添っていけたら嬉しいです。とHPでは書かれています。

陶磁器に関心ある方は、一度、作品を手に取られては如何ですか? [作品展示は自宅にて随時公開中です。]とのこと、是非ご訪問してみて下さい。

手織り工芸をされている斉藤知子さん

(2014/5/18 Google+掲載記事)

【長南タウン】(長南町)から、手織り工芸をされている斉藤知子さんをご紹介します。

「長南町のアーティスト展 出展者リスト」by協働交流サロンにも展示されていましたが、いすみ市日在(旧大原町日在)の外房長屋でも展示販売をされておられるようです。販売品を見ると、彩がよいですねー。


熊切智佳子さんの[ポーセラーツ]

(2014/5/18 Google+掲載記事)

【長南タウン】(長南町)から、「長南町のアーティスト展」by協働交流サロンに出展されていた熊切智佳子さんの[ポーセラーツ]ついてご紹介します。

ポーセラーツ(白磁絵付け)って何という方に紹介資料を掲載しますのでお読みください。ポーセラーツ(白磁絵付け)をやってみたい方は問い合わせてみて下さい。

長南町佐坪1460


フロンティアスピリッツで田舎暮らし

(2014/5/18 Google+掲載記事)

【 長南タウン】(長南町)から、ど田舎の長南町へ来られた方が地域情報誌で紹介されていましたので掲載させて戴きます。

トモ長谷川(長谷川朋之)さんという銃器写真家の方だそうで、ナイフに関する写真を中心に撮影されています。


いろいろな経験をされてこられたようですので、関心ある方は訪ねてみて下さい。長南町の協働交流サロンにも参加されて、田舎の魅力発信をされています。


定年後の10万時間里山暮らし

(2013/10/19 Google+掲載記事)

【長南タウン】(長南町)から、長南町を選んで移住いただいた小橋さんをご紹介します。多くの候補地から長南町を選定戴き、ありがとうございます。

『定年後の10万時間里山暮らし』という本を出版されています。

(小橋暢之著 家の光協会 1400円)

イラストレータ- 斉藤さん

(2013/9/16 Google+掲載記事)

【長南タウン】(長南町)から、長南町在住のイラストレータ- 斉藤さんをご紹介します。

2010年に、家族4人で千葉県長南町山内の古民家に移り住まわれた方です。小さい畑を耕し、鶏を飼い、器を作り、ストーブ用の薪を割り、コツコツと古い家を改修しながら、身の丈にあった手作りの暮らしをはじめまられたとのこと。奥様が、あおぞら工房という創作教室はじめられています。

福音館書店 「富士山のまりも」

たくさんのふしぎ 2014年3月号

文 亀田良成/絵 斉藤俊行


つくる楽しみを体験してもらう<あおぞら工房>

(2013/9/15 Google+掲載記事)

[長南タウン](長南町)から、つくる楽しみを体験してもらう<あおぞら工房>をご紹介します。主催されているのは<さいとう しょうこ>さんで、HPから引用させて戴きます。

あおぞら工房は、「つくる」ことをとおして、親子や地域のひとたちが、つながるじかんを 大切にしています

そして・・・、何かと忙しい日々のくらしの中でほっと一息できる、「つくるってたのしい」を感じていただけたら嬉しく思います。

手捏ねパン教室『te+te』(てとて)

(2013/9/15 Google+掲載記事)

[長南タウン](長南町)から、手捏ねパン教室『te+te』(てとて)を主催されている方をご紹介します。

ご自宅にて、手ごねパン教室を主宰されている方です。

国産小麦を取り寄せ、できるだけ身体に優しい材料で作るパン教室です。

手作りでつくるので、何が入っているかもぜんぶわかります。

計量から焼き上げまで1人で行ってもらい、すべてお持ち帰りしてもらうとのこと。ただの粉だったものが、ぷくぷく膨らんで、いろいろなパンにかわってゆくのを見るのは、なかなか楽しい作業です。

自然ゆたかな自宅教室の窓からは、春はすみれ、山桜からはじまり、ほたるぶくろ、やまゆり、紅葉、などなど四季の移り変わりも感じることができます♪ ♪って!