介護を受ける立場になるきっかけは人さまざま。病気が発覚したり、事故でけがをしたり、知らず知らずのうちに認知症になっていたり。多くの場合、それは予期せぬかたちでやってくると思います。年齢とともに、将来のことを考えていろいろな方法で準備していても、いざ自分が当事者になってから知ることもたくさんあることでしょう。私の両親もそうでした、というより、まだ本人は介護を受けている実感もないことでしょう。それほどコトは突然始まりました。
特に持病もなく、足腰も元気だった両親は、各自きままに一人暮らしを満喫していました。半年ほど前までは。
「持病もなく」と書きましたが、実際はコロナ禍をきっかけとした孤立により母の認知症は3年ほど前から始まっていたようです。コロナの行動制限をきっかけにして一人暮らしになっていた母(事情はおいおいつづります)が、通帳類をまるごと無くしてしまうことを繰り返すようになったのが3年ほど前。その後、固定電話がつながらなくなることが繰り返され、その都度無理を言って見に行ってもらっていた地域包括センターの方から、玄関の「虫たち」や「臭い」などを知らされて、様子を見に行ったのが一昨年の12月でした。その頃から現在に至るまでのことや、今日から後に起きていくことなどを体験談として綴ることで、認知症の家族が見る実際を、今後の備えを考える方々にシェアできれば、と思います。
また、車なしでは暮らしにくい地域にある一軒家を守っていた父の方は、周囲の植え込みの手入れをしたり、週2回ほどのサロン的集まりに出かけたりと、一人でしっかりやってくれていて安心していました。その父が家の中で倒れているのを発見された、と突然連絡を受けたのが半年前。近隣の方が、父の姿が見えないことを気にかけて通報して下さったお陰で、おそらく2日ぶりに救出された父親は何とか命を繋ぎましたが、倒れた原因はわからずのままです。そんなこともあるのです。
このような、まったく違う形で両親が要介護状態になったこの娘(私)は、飛行機でしか通えない土地に、知的障害の息子と2人暮らしをしています。子どもの生活のことにいちばんエネルギーを注いできたこれまでの生活を一転させた、両親二人の状態の変化に関わってみて、初めて知ったこと、感じたことなどを綴っていければと思っています。
2024.8.13
老健(老人保健施設)は、皆様ご存知のとおり、居宅復帰を目指し、短期の入所を基本とし、リハビリを中心とした生活を送るところです。病院から転院してくる場合が多いので、あたり前のように車いすなどの提供(借用)があります。これまで車いすとは縁のなかった父は、自分でブレーキをかけることを忘れてしまうので、自動ブレーキ付きの車いすになっていました。
次に、居宅に戻る場合は、ケアマネさんの段取りのもとに申込みをして介護保険で車いすを借りることになります。サ高住や住宅型老人ホームの場合も同じですね。
でも、グループホームは違うのだそうです。グループホームはすべてのサービスをホーム内で完結させるということになっているので、他なら介護保険適用になる部分(デイサービスや、車いす利用など)は、利用が必要になり、(予備のレンタル用器具がホーム内に無い場合)は全額自己負担になるとのこと。
デイサービスも体験しないままグループホームに入った場合、実質的にデイサービスは利用できない(全額負担での利用)ということになるのですね。「自分はまだデイサービスなんか行かない」とか言わないで、早めに使ってみるのも良いかもしれません。
2024.8.13
倒れて最初に運ばれる急性期病院は、ほんとうに適格な診断、相談、業務分担・引継ぎなどを通して素晴らしいケアをしてくれるからこそ命を助けてもらい、通常の病院への転院へと回復させてもらえた、という点で、厚い信頼感を持っていました。多くの方はそうなると思います。それでも、「情報共有させてもらいますね」と言われた時の共有範囲をうのみにしてはいけません。
限られた引継ぎ時間の中で、すべての情報が共有されているわけではないということ。時間とともに必要のなくなる情報などはそれでも問題ないと考えることもできますが、日々の看護に直接関係のない情報(例えばアレルギー情報)などは、看護の共有ポイントの中心にないせいか、誤報がそのまま残っているので注意です。
父の場合は、最初に運び込まれた時に書かれていた「青魚アレルギー」という誤情報がありました。入院中の面談の際、栄養士さんからの確認があって初めて訂正するまで父は好きな魚を一切抜いた食事を出されていました。
しかし、その情報訂正は栄養士さんの中で管理されただけでその病院内にとどまり、次の病院へ転院する引継ぎ書類はデフォルトの情報を看護師さんが使用して作ったために、転院先の病院でも、その次の老健でも、父は「青魚アレルギー」のまま、魚を出してもらえないまま過ごしていました。老健の途中面談で改めて笑い話のつもりで話した際に、そのことがわかりました。「えっ?今も青魚出してません…」と。
多くの人が関わってくださる看護・介護だからこそ、書類上の特にネガティブな情報はなかなか訂正されていないことがあるのだと、感じました。
また、名前の漢字間違いもありました。苗字の一文字が読めない漢字にかわってました。
老健から老人ホームへの転出用につくられた書類(介護士が作成?)が間違っていたようです。老健から通常貰っていた請求書(事務の人が作る)は正しかったし、老人ホームから来ていた見積書(営業の人がつくる)も正しかったので油断していました。老人ホームへ転入の際の契約書関係(前の施設からの引継ぎ書類を参考に作成)は違う字になっていたのです。
各施設とも、さまざまな点で、しっかりとした印象を受けていただけに、こんなことが発生するのに驚きです。でも、それだけ多くの人が父の情報に関わり、各々が作成している資料があるということなのですね。留意しておくとよいかもしれません。
2024.8.13
9月は認知症月間らしいです。といううことで、最近の母の話をします。
物を捨てられない世代の中にあっても、かなり強い捨てない系のひとです。腐敗した野菜の液体などがしみ込んでしまったドロドロのキッチンマットも、持ち手が割れてしまっている両手鍋も絶対に捨てさせてくれません。炊飯器の中で腐ったご飯もしかりです。
1年半前の冬のこと、食中毒が怖くてまな板を取り替える時も大変でした。妹も参戦してくれて、きれいなものに取り換える許可をやっと得て、古いまな板は速攻で捨てたのですが、2日後「私のまな板捨てたの?」と叱られてしまいました。今思えば、この頃は使い慣れたものと取り替えたものの見分けがついたということです。
1ヶ月ほど前のこと。固定のファックス電話が繋がらなくなり、ひと騒動のあと、新しいものに交換したのですが、この時は数日後また繋がらなくなった電話について、前回のいきさつを説明すると、「覚えていないけど、ほんとね、電話が白くなってる(正確にはグレーからシルバー色になってます)」ということで、「交換した」ということにあまり抵抗を感じなくなっていました。つまり、以前のモノの色形をあまりはっきり覚えていないということ。思ったよりすんなり受け入れてもらえてホッとしたのを覚えています。
そしてつい先日のこと。スマホが部屋の中でとうとう行方不明になったままだったので、前に故障しているかも、と修理に行く必要を感じていた私は、母とショップへ行きあらかじめ調べていた「かんたん携帯」に機種変更しました。色もローズ系から一新、ゴールドを選んだのは母本人でした。帰宅して、夕飯を食べたころには、予想通りその記憶も消えていましたが、「前のスマホは使い勝手が良かったのに(ツカイコナセズ、「モウスマホハイラナイ」トイッテイタケド…)、どうしてこんなのを買ったのか」、と怒り始めました。
でも、無くなってしまって出てこないから、と言うと、「ある」と言い張るので、じゃ、持ってきて見せて。というと、別室へ探しに行った母が満足げに戻ってきました。「ほら、ここにある!」
それは、デジカメでした…。色はかすかにピンクで、確かに液晶画面も付いている。惜しい。「でもこれは…電話はできないよね。」と言うと「電話できるわよ。時々ひとに貸してあげて、その人は電話してる」と架空の話も入ってきました。「どうやって電話をするの?これはカメラだよ。」と伝えても、本気で操作しようとしている母の姿。自分に漫画の才がないことがザンネン…。
その後1時間もすると、この件も忘れてくれているので、新しいケータイの使い方を少し2人でやってみたりと、ほのぼの夜更かしをしました。
モノの判別がつかなくなってきていることが顕著になり、これからは古い鍋や電化製品を新しく交換してもあまり怒られることはないのかな、と複雑な心持で帰ってきました。
2024.9.1
認知症がわかってから急遽集めた本を読むときは、その時に必要な情報が目に入ります。しかし異なるじきに見返すと、以前目にとまらなかった項目が気になるのです。『認知症の親が損害を負わせたら』。
認知症の症状は進んでいても、足腰は(痛いと言いながらも)まだまだ自立でどんど歩き、警察署まで行ってしまう、その母の症状が進んだとき、あるいは施設に入った時に、思っていなくても何かを壊してしまったりという損害を与えてしまうことは考えられます。それは、平和に‟住宅型有料老人ホーム”で暮らし始めた父についてもあり得ること。契約時、それらの責任一切を負うことは私が署名しています。
あ、そうだった!
たいていの保険には個人賠償特約はつけられるので、「入っていたはず」、と調べてみたら、2件入っていましたが、どちらも保障範囲の家族は「同居の親族と別居の未婚の子ども」まででした。別居の父母はカバーされていません。
急ぎ調べて、あいおいニッセイ同和損保の個人賠償保険では別居の父母までカバーされることがわかり、即日入りました。1ヵ月200円くらいでした。前述の本によると、保証金額は小さくなるそうですが、ほかにもミニ保険というのがあるそうです。
本人たちの安否に集中してしまっているときには気づかない盲点でした。
「自分は死ぬまでここ(自宅)に住む」という意志が固い母ですが、ヘルパーさんが来ても解錠できないことが時々あると聞き、私が行った時に試しにやってみてもらうと、応答するインターフォンとその下に置いてある固定電話の受話器を取り違えて応答していました。
そんなことが重なってくると、そろそろ施設を考えては?と直接は言われないけれど、地域包括のケアマネさんの雰囲気が変わってきます。
最初に母の状態を目の当たりにした2年前から、「すぐにでも入所しないと大変なことになる!」と思ってはいるのですが、目の前で起こることに対応するだけでここまで時間がたっています。もちろん、母のところに行く機会ごとに時間をみて、紹介業者さんに良さそうな施設を教えてもらったり見学に行ったりしています。
(身体が動いて自立して歩けると、認知症だけでは介護度は要介護1又は2。国が管理する特別養護老人ホームに入る資格(要介護3以上)に及ばないので、民間の施設で選ばなければなりません。)
多くの住宅型有料老人ホームでは、「認知症対応可」と掲げていますが、認知症が重くなってきた時にそうではない人たちの中で生活して、辛い目に遭わないだろうか、という心配は想像の域を脱しません。そういったこともあって多くの認知症の人が利用するのはグループホームのようです。このブログの1.で少し触れた高齢者グループホームは入居者の多くが認知症なので、職員さんも認知症に現れる症状や対応に慣れているように見えます。見学に行くと、穏やかに過ごしている入居者の方々の様子を見て安心します。
なので、グループホームを中心に探していたのです。母に向いていそうな所を…。
ただ、難点がひとつ。グループホームは「地域密着型」。つまり、住民票があるところのグループホームにしか入れないのです。絶対にここがいい!というところが見つかれば、住民票を移動させて入居することも可能でしょう。(地域によってはそれを目的に住民用を移動することを認めず、居住期間2年以上などと定めているところもあるようですが)その、「絶対ここがいいい」所を、すでに自分の意志で選べなくなっている本人に代わって自分をはじめとした家族が判断するのは、とても難しいことです。
・今、母の住む地域にはすぐ駆け付けられる家族は誰もいません。(しかし、自分が生まれ育った戦前の良い思い出がある)
・父が入所した老人ホームのある地域は空港からの道すじを考えると、行くのがとても不便です。(いちばん近くにすむ親せきの家から車で30分)
・私の住む地域に来てくれれば頻繁に会いに行くことができ、様子もわかります。(父と遠く引き離すことになる)
父にも兄弟にも相談はしていますが、答えを出せないのは同じ。こんなとき、人生の岐路に立った時、心配なこと悩みごと、こんな時はすべて母に相談していた私です。せつない…。
6.「意向に抗う娘」のまま、の切なさ
久しぶりに母の様子を見に行くとき、毎回小さな小包を作り、訪問日程のとその間の予定を添えて送ります。小包でなければなりません。
1携帯電話は常に充電忘れでつながらない、2電話で口伝えでは切った瞬間に忘れてしまうので後で読み返せるものが必要。3手紙では受け取った後小さすぎてなくなってしまう。4レターパックでは、開封してまず最初に目に留まるお菓子などの内容物だけに注意が向き、同封している手紙に気づかない。
以上の理由で、訪問予告は小包(定形外郵便ではだめ。時間指定ができるものでないと、昼夜逆転しているので受け取れない)と決まってきました。
そしてその続きの決まり事が、母からの拒否電話。「今、体調が悪いの。でも人が来ると起きて無理してしまうから、私の体を気遣うならもう少し後にしてほしい」と。でもその「もう少し後」は永遠に来ません。
ゆるやかに言葉に同調しながらも、「じゃあ行かないね」としない私は「いつもそうやって強引なやり方で来るけれど、私がお願いしても聞いてくれないのね」と最強の悲しい表現が返ってきます。それでも行かないと、とわかっているのでまた、行きます。
「来てくれるのね、」の言葉あったら、きつい予定の中で行く自分はどんなに元気になることでしょう、しかし現実はその反対。そんな言い方をするようになったのはもちろん認知症になってからのことです。この先の余生を通してずっとこの言葉に立ち向かい、心の笑顔を自らの意思で立て直して、今回も出かけます。
7.家の鍵が、全部ない…
母の家に到着し、玄関に入るや否や、私の来訪を拒否していたことはきれいさっぱり忘れている母が、玄関先でまず最初に口にしたこと。「あのね、鍵がないのよ。」玄関先の定位置を振り替えると、これまで家の鍵が置かれていたところになにもありません。引き出し付き小物入れの中にあった祖母の家の鍵や自転車の鍵なども含めてすべての鍵がありません。これは、『紛失』とはやや違う雰囲気。
いつごろから?と聞くともう1カ月以上と言います。(ここは定かではありませんが、今日昨日の話では無いようです)そして、母の説明は、隣の家のご主人と息子が二人で入ってきて持っていったというのです。その有様の説明は具体的でリアルなのですが、現実とは思えませんでした。母には申し訳ないけれど。彼等が家の鍵の他の鍵類も持ち去る理由がないからということもあります。
とにかく、今回の無くなり方は、母が意図的に隠した(たぶん、悪い人が持っていかないように)と感じました。これは、発見は難しい…と覚悟しました。別の会話の中でポロっと母がこぼしていたひと言が今回出てきたから。
「あなたも誰も思いつかないようなところに隠す」
以前、通帳が全部なくなった際に相談していた「認知症の家族の会」で、経験者の方が「本当に想像もつかないところから出てきますよ」と話していたことが蘇りました。
母の家の鍵は、エントランスの鍵と自宅ドアの鍵の2本セットになっています。どちらもないのですから、買い物に出かけてしまったら自力でエントランスに入れません。どうしていたのかと聞いたら、玄関先の植え込みの所に座って、次の住人が帰ってくるのを待って、一緒に入っていたと言います。自宅の玄関ドアのカギはもちろんかけずにお出かけです。日中ならよいのですが、昼夜逆転している母が買い物に出るのは夜更けです。
「『外で次の住人の帰宅を待つ』作戦は危ないだけでなく、これから冬に向けては寒くなるから、もうやめた方がいいね。」と言いながら、急遽作ったエントランスの合鍵と、妹が持っていたディンプル鍵を合わせて、やむなく置いてきました。合鍵をあまりたくさん作りたくないのは言わずもがなですが、私の滞在期間中に見つけ出すことができなかったので、仕方がありません。
できるだけなくしても見つけやすいように、手首にかけられるくらいの大きめのストラップを付けました。これも、「付けないで、いらない」とさんざん揉めましたが、付けてきました。
この鍵を、「どうかなくさないで、そして、隠さないで」と祈りながら帰途につきました。
8.無くしものなら、発見機はある
通帳や印鑑、鍵など、大切なものの紛失を繰り返してしまうことを、本人も気にしている間は、「キーファインダー」などの名前で販売されているグッズが役立ちます。
発信機をキーホルダーなどで取り付け、リモコンのボタンを押すと音が鳴るという仕組み
実物はこんな感じ。ボタン電池を入れます
最初は、本人と一緒に遊び感覚でなくしもの探しゲームみたいにして機能を説明し、面白がってもらいながら付けていきました。印鑑ケースとお財布にだけ、控えめにつけてスタート。1度は、これをつけておいた財布を見つけるのに、役立ちました。
ただ、このキーホルダーがなぜついているのか本人が忘れてしまい、「何か邪魔くさいものが付いてる…」と思って外してしまうことは想定内です。外されてしまう前に再度訪問し、ついているかチェックすることは必要デス。
私の場合、訪問期間が開いてしまったために、お財布も鍵も姿を隠したまま。取り外されたキーファインダーは引き出しの中にあるのを発見。もう鳴りません…。
9.洗濯物の怪
今回、母の所に訪れた時、玄関先まで母が抱えて持ってきて、最初に訴えられたことは「ヘルパーさんに洗濯機回したもらって洗った下着、干してみたらこんな風になっていたの。」と、10枚くらいの下着の束。
「こんな風」とは、形をとどめないほどのズタズタな感じになっていました。画像を載せたいくらいですが、さすがにそれはできません<(_ _)>
これまでの人生経験では見たことが無い、繊維の破損状態が、何から起こっているのか全く分かりませんでした。一箇所のほつれとか穴とか、そういうことではないのです。元の衣類の形をとどめないほどになっています。
ヘルパーさんは時間の関係で、洗濯機を回すところで帰られて、干すのは母がしているので、そのような形になったことをヘルパーさんは知らないとのこと。それならば、まずは伝えてみようか、と、たまたま翌日訪問して下さることになっていたケアマネさんとヘルパーさんの上司の方に、現物を見せてお話しました。
ヘルパーさんの上司の方が奥ゆかしく話された言葉に「そんなこともあるのか!」と想像できなかった案をいただきました。1日分の下着だけで洗濯機を回すのは…と思って水を張ったバケツにつけ置きして置いてある洗濯物の、水が腐敗することで、繊維も一緒に腐敗し、弱ってしまうこともあると。
その晩、浴室に付けてあった洗濯物予備軍のバケツの水を取り替えようと、流したら、すごい臭い!ああ、本当にそうなのかもしれないと思いました。ためるならためるで、汚れものを重曹などを入れることもなく、真水でつけているのだから、頻繁に取り換えなければならないのに、その水は流してみて、初めて臭いが立つものなのです。流さなけらば腐っていることがわからない…。
その晩に私が水を取り替えた洗濯物を翌日洗濯機にかけたところ、前回見せてもらったものほどではなかったものの、通常ではありえない破損状態になった下着はまた何枚か発生しました。
殆ど外出しない高齢者の一人暮らしだと、出る洗濯ものは下着くらい。洗濯機を回すまで、ためたい気持ちはわかります。ここ、落とし穴だと思いました。
10.多機能型居宅介護というのもある
今回は、多機能型居宅介護の事業所を見学しお話を聞いてきました。
ここは同一建物内にグループホームを併設していますが、それぞれ異なる施設なので相互に利用者さんが行き来することはありません。多機能型というのは、デイサービス・ショートステイ・訪問介護(家事支援など)が一つの契約でまとめて利用できるサービスです。グループホーム同様、地域密着型の事業なので、住民票がある人のみが利用できます。
料金としては、契約すると毎月の定額基本料金がかかり(在籍会費のような捉え方)、必要に応じて利用の予約をして利用した分だけ支払うという形です。単体のデイサービスだと、一度回数や曜日を決めると毎週利用が前提になりますが、こちらは行きたい時だけの予約が可能です。また、ショートステイをセットで予約すれば、夕方から朝までショートステイを利用してその続きでデイサービスを利用して帰るということができるので、朝が起きられなくてデイサービスに行けない方でも利用しやすく組み合わせることができます。母は昼夜逆転しているので、どうしても午前中起きられずデイサービスで生活のリズムを作ることができなくて、困っていたので、これだ!と思いました。
しかし一方で、訪問介護もセットの契約になるので、現在利用中のヘルパーさんの事業所とは契約を切らなければなりません。難しい母との信頼関係を上手につくってくれているヘルパーさんを新たに見つけるのは容易なことではないとも感じるので、帯に短したすきに長しです。
この事業所の所長さんはざっくばらんに他施設や全体の状況について何でもお話しくださいました。それで分かったことの一つは、ショートステイは本来最長1カ月ということになっているそうですが、実際は、ショートのロングステイをされているケースが多く、そのまま住んでしまっている感じになっている利用者さんが多くいる施設がたくさんあるそうです。それにより、本来のショートステイ利用が受け入れられなくなっているとのこと。
これは、泊まりを30日続けても9万円程度の加算(この事業所の場合)で、同様のサービスを受けようとした場合と比べて合算した料金が低く抑えられるからかな、と推測しました。
多機能型居宅介護を設置している事業所が少なくなっているのはそうした事情もあるのかもしれません。
10.新年連絡も
昨夜も夕方ごろ電話を鳴らしてやっと起きていた母。。
家の前の商店へ買い物にでも行けていれば今日が元旦だとわかると思うのですが、ままならぬようでした。新年の挨拶をもって、今日から1月1日だと実感してもらえたらいいな、との思いで電話をしてみましたが、不在メッセージが帰ってくるばかり。
昼夜逆転で、午後起きる母の好調時間を見計らっての午後6時30分…。買い物に出かけているのでしょうか。
新年の挨拶、したかったな。お正月の過ごし方にこだわって私に説明していた母の姿を思い出します。___________________
一方、ホームに居を移した父は、施設内でインフルエンザ罹患者が5名(約8パーセント)いることで、飲食はすべて居室内での孤食となっていて、寂しい年越しのようでした。
施設でなくても一人は一人、ですが、気分が違うのではないだろうか、と声をかけたところ「これも運命だ」と、淡々としていました。何でもなんとか我慢できる世代はすごいです。元旦の新聞が届くや否や、送りました。(父の部屋には本人の希望でテレビもなく、フロアに設置されている新聞も競争率が高いと言っていたので、せめて…と思いました)______________________________
それぞれの年越しと新年。何事も、家族揃っての年越しの思い出から推し量る父母の心理。家族そろっての年越しのがなければ彼等の思いを想像する事もできませんでしたから、そういうことが大切なのだと、現役の方たちにも伝えたいです。
11.マイナンバーカード周りの代行①
両親とも、支援を要するようになる以前にマイナンバーカードは作っていました。しかし、母の所に通うようになってから尋ねてもあとの祭りで、持っていたかどうかも覚えていませんでした。しかし、預金通帳や家の鍵、印鑑、健康保険証などにくらべたら、とりたてて必要な場面もなく、後回しにしていました。
でも、従来の健康保険証廃止の動きが騒がれ始めて、保険証の予備的に作っておいた方がよいだろうかと、申請しに行きました。もちろん本人が行けば何のことはない、とっても簡単に進むのですが、、前日から「マイナンバーカード作りに行こうね。」と約束をしておいても、完全に昼夜逆転している母が、役所がやっている時間に起きて外出することは難しく、結局私一人で行って、代行申請することにしました。区役所まで歩いてほんの5分なのに…。
まず、申請の際は申請書をもらうための委任状が必要です。これは、住民票等を代理申請する時の用紙を多めにダウンロードして持っていたので、これで代用が可能。申込書には本人が来られない事由を記入します。身分証明書等は1通ずつ必要。ここで、母のカードが以前発行されていたことがやっとわかります。→申請ではなく、再交付を申込みます。暫く待つと、即日「再交付申請書」を受け取ることができました。この先は方法が2つあります。
①これに記入・写真を添付して郵送する。②オンライン申請する。
私の自宅ではないので、写真を撮っても「プリント」がまたひと手間orお金もかかります。それで、写真のプリントがいらないオンライン申請にしました。(動いてもらうことが大変な家族の代行にはこれが一番便利でした!)
さて、問題はこの後。3週間後くらいに引換証が送られてくるのですが、この送付先は本人の住民票のある場所以外に変えることができません。なので、郵送されてきた封筒が母にお片付けされてしまう可能性があります。お片付けされてしまった場合、到着付近を見込んで母を尋ねても、未着なのか、もう来ているけれどないのか、がわかりません。(ちなみに引き換え証は紛失してしまっても、本人が取りに行けばマイナンバーカードは渡して貰えるそうです。ただ、我が家の場合、本人がとりに行けない可能性が殆どなので、引換証が重要。)
このあたりの緊張感を、役所の窓口の方にも話して、もし郵便が見当たらなかったら区役所にカードが来ているかどうか問合せができるようにさせてもらいました。
翌月、母の所を訪れたら、引換証入りの封筒は簡単に見つかりました。「よかった~」。これで独りで朝から行動できる。この日は往復3時間かかる父の空き家と父の施設をまわる予定があったので、朝一で区役所へ。
引換証があれば代理人のワタシだけでも受け取れると聞いていたのですが、印鑑と身分証1枚ずつでは足りませんでした…。同居していない家族が受け取りの際は、本人の身分証がさらにもう1枚必要だったのです。顔つきのものとして「運転経歴証明書」はあったのですが、「健康保険証とか、ありませんか?」と…。結局この日は手ぶらで帰りました。
父の方の用を済ませ、母の所へ夜帰宅。どこかにお片付けされてしまっている保険証を家探しし、翌日、晴れてカードを受け取ることができました~(汗)。再発行なので、暗証番号の設定とか色々したと思いますが、もうなにをどこに書いたのか、私の方も怪しいあやしい。(一難クリアと安心はできません。マイナンバーカード本体の更新は10年に1度、しかし暗証番号の更新は5年に1度です!!)
「やすちゃん、きょうはどこへいってきたの?」と涼しい顔で聞いてくる母です。
12.公的郵便物の転送について
空き家になった父の住まいに送られてくる郵便物の中には、公的な郵便物など、郵便局の転送手続きでは転送されないものがあります。それらについては、一つずつ当該自治体の窓口に電話をして、郵便送付住所を変更する手続きをすればだいたい対応してくれます。(健康保険・マイナカード・生命保険などは不可。住民票どおりの住所以外には送ってくれません)
介護保険の受給者証などは、電話対応で大丈夫でした。
税金関係の納付書については「送付先変更依頼書」などを提出する必要がありますが、可能です。そもそも、税金関係の納付書は郵便局の転送サービスでも転送可能です。なので、郵便局の転送届を毎年出すのであれば、それでも良いのですが、今回は先々のことを考えて、登録の送付先を変えることにしました。翌年度の送付先登録は2月中に終わらせるという役所の流れがあるそうですので、1~2月ごろをめどに、手続きをすれば、新年度からは新しい住所に送ってもらえます。
しかし!!!この「送付先変更依頼書」をだれが書くのか、という詳細な部分については自治体ごとに規則が異なっていました。
ひな型はそれぞれですが、用紙は1枚で、届出人住所などと新規送付住所を記入するシンプルなものです。最初に届けを出した母の住まいの自治体では、私がすべて書いても良かったのですが、父の空き家がある別の自治体では、納付義務者本人が記入することになっていました。近くに居ればすぐに行って一緒に書けば何ということはありませんが、そうもいかず、
かといって次に私が父の所へ行く時に書くのでは、2月の末になってしまい間に合いません。それで、父と私の方に同じ書類を送ってもらい、同一の用紙を見ながら電話で父と確認し合い、父に一人で書いてもらうことにしました。
自分の住所と電話番号を書くところは問題ないので安心していました。伝えたかったことはたった2点。①新しい送付先の欄には私の名前の記入欄が無い(あくまで父(納付義務者)宛ての郵便のため)ので、住所の下欄に「方書」という欄があって、ここに「〇〇方」と、私の名前を入れてもらうこと。②私の電話番号を間違いなく書いてもらうこと。
なかでも、電話で番号を正確に伝えるのが大変でした。上記を伝えるのに40分程を要しました。そのあとも、3度電話がかかってきました。一昨年までは自分で確定申告をしていた父でも、一人で書類を埋めていくことや番号を正しく聞き取る力は加速度的に衰えていることを実感。本人が書類を書かなければいけない、という規則は高齢化に適応して改正したもらいたいな~と、感じました。
13.安心だけれど、制約される部分もあるホーム生活
1年前の奇跡の生還から、老人保健施設(老健)のリハビリを経て、安定した日常生活が送れるようになった父ですが、老人ホームでは安全性を保障するために歩行器を使わせてもらうことができません。正確に言うと、歩行器を使う際には傍に補助する人がつかないと使わせてもらえません。老健は機能回復が目的でリハビリの先生がたくさんいらっしゃるので、歩行器を使えていたのですが、今は車いす生活を余儀なくされ、残念な気もします。本人は脚が弱っていくことを感じて、自ら廊下の手すりを伝い歩きするセルフリハビリをやっているようですが、「こんなのでは全然ダメ」と言っています。
今の施設を選ぶ際、レッドコードなどを使用した行う集団リハビリを、理学療法士が毎日定期的に開催するなどの特色を持った老人ホームもありました。ですが、その当時の父本人の希望は今のところでしたので、しかたがありません。トータルの居心地の良さはそこだけではありませんものね。
さて、そうした身体機能の衰えが影響するのか、筆記力(運筆力)もかなり衰えていることを感じます。
家族が近隣に住んでいれば、本人と外出することは問題ないのですが、私の場合、現地で車いす対応の車も持っていないので、書類請求などの所用で父が外出することは実質的に難しくなりました。その父の代行のために、さまざまな委任状を書いてもらうのですが、彼の運筆力は、そうした簡単な書類の「住所、名前、生年月日」などを記入するのが精いっぱいという感じになってきています。
電話だけでやり取りしていると、ゆっくりではあるものの、理解力(わかっていないことがわかる、衰えている部分がわかるという点でも)がある父なので、「書くことが難しい」ということは気づきにくく、自筆で書いてもらわないといけない書類が発生する仕事は早めに片づけておきたいと思うようになりました。
安心な施設とはいえ、そうした衰えなどを見て把握し、教えてくれるという機能はないので、できる限り直接会うことは必要だと改めて感じています。
2025.3.10
14.タクシーに乗車してさまよう
早朝、携帯が鳴りました。母の自宅近くの警察署から。昨年11月に自ら駆けこんでしまい、電話がかかってきた時以来のご連絡。
これまでは、その場で電話がかかってきていたのですが、今回は昨夜起きたことを報告するかたちでした。もう何度かお世話になっているので、記録等はばっちり残っていると思っていたのですが、「娘さんはどちらにお住まいですか?」「お母さんは認知症とか、そういう心配はありませんか?」と振り出しに戻るような質問をされて、署内の引継ぎはどうなっているのだろう、と逆に尋ねてしまいました。優しいものごしで、話しやすい感じではあるのですが、今回はタクシーに乗ってきたということだけがわかり、家の鍵のこと、持っていたもの、など具体的なことがはっきりわからず、頼りなさを感じたまま電話を切りました。
それにしてもタクシー料金はどうしたのだろうか、と警察署に折り返し電話をしたら、別の署員方が対応。母がタクシーに乗り込んだのは自宅前で、そこから車で30分ほどかかるターミナル駅に行き、ここではない、と言うので住所を聞くとわからず、保険証を持っていたので住所がわかり、近くにある警察署に連れてきてくださった、ということがわかりました。そこまでのタクシー拘束時間は約2時間くらいで料金は「いらない」と、いうことだった、と。(その運転手さんには本当に申し訳ないことをしたし、安全に送り届けてくださったことに感謝です。)
タクシーに乗ってしまうというのは初めてのパターンで、驚きました。野菜を持っていたというので、いつものように前のスーパーに買い物に出たのでしょう。そのまま、帰る先を昔住んだことのある地域だと思ってしまったと推測されます。家の鍵も2週間前に尋ねた時、揃っていたものとは全く違うキーホルダーのようなものについていたといいます。
最近、ヘルパーさんのご協力のもと、少し一人でやっていけるかも、と思っていたところだったので、どのくらいのテンポ感で次の対応をしていけばよいか、わからなくなっています。
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(2回目の電話に対応して下さった署員の話で明らかになったのは、個人情報の記録は一定の権限をもった人しか見られないため、最初にかけてくださった署員の方は知らなかったとのこと。記録の管理についてはそれで安心しましたが、現場対応した署員とのコミュニケーション不足は改善されるといいな、と思いました)
2025.3.11
15.食料調達
遠方から手を差し伸べられないことの一つに食料調達があります。
通常は、①ネットスーパーや生協の配達などを利用する。本人の注文が難しければこちらで注文することもできそうです。②配食サービスを利用する。このどちらかで解決しそうですが、完全に昼夜逆転している母は、宅配便を受け取ることができなくなってきてます。郵便ポストも殆ど見なくなっているので不在票にも気づきません。なので、昼間に配達に来る①や②を使おうとしても、受け取ることができない日が殆どと思われます。
偶然にも、24時間営業のスーパーが家の向かいにあるので、これまでは自分が起きている時間(真夜中)に、なんとか買い物に行って食べるものを買ってきていました。ところが、今年に入った頃から1,2ヶ月分の買い物用のお金を入れて置いていた封筒が、封筒ごと無くなってしまうようになりました。(どこかに移動してしまうのだと思います)それでも他の所にちょこちょこと置いてあったらしいお財布のお金も、3月に入ってからどこにしまったのかわからなくなってしまったらしく、先週月曜日のヘルパーさんに「お金が無くて、ぜんぜん買い物にもいっていない。食べるものもない。」と口にしたとのこと。一緒に探してくださったそうですが、お金は出てこなくて、それではヘルパーさんも買い物に行けないので、帰ってきたけれど、心配です、と連絡がありました。
それで、3日後に再びヘルパーさんが入ってくれる時間をめがけて電話をし、いざという時のために別の場所に置いてあるお金を母に伝えてヘルパーさんに買い物に行ってもらおうと思っていました。
当日、私が電話をかけようとしたところで、あちら(ヘルパーさんの事業所)からの電話が鳴りました。玄関のオートロックが開かないとのこと。開け方がわからないはずはないし、うまくあかない時は下まで直接降りていくはずなので、なぜ開けられないのかわからないまま、緊急時対応の暗証番号で入ってもらいました。すると、次は自室の玄関のドアを開けてもらえないと電話がまたあり…。そんなこんなで中に入った時にはもう残り時間が15分となっていて、買い物を頼むことができませんでした。
いよいよとても心配になりました。以前同じような状況になったときは、大急ぎで食糧を詰めた宅配便を送ったのですが、その時も配達時に起きられず、受け取れず、でしたので、もうこの方法は使えません。
「食べるものがない」と聞いてから日々衰弱していないか、心配で電話をするのですが、私がかける時間には寝ているのでしょう、電話に出ません。(生きているとわかるのは、私以上にしつこく電話をならすという叔母がなんとか母を起こして声を聞いていたためです。そして、私もかなり深夜まで待ってかけた昨日はやっと話すことができました。
そこで、「明日来てくれるヘルパーさんに買い物に行ってもらおうね」と話すと、何かのスイッチが入ってしまっていて、「自転車であちこち買い物に行くから頼まなくていい」と2年以上前の母ごとく、「ヘルパーさん?私がもっと弱って動けなくなったときに頼むわ」という調子で、押し問答になり、意味のない電話になってしまいました。
結局、今日は叔母の協力も得て、まずヘルパーさんが来る時間に母が起きているように、先に起こしておいてもらい、ヘルパーさんが入ったであろうタイミングで私が電話をかけて、お金の場所を伝え、なんとかヘルパーさんに買い物を頼んでもらうことができました。(バンザ~イ)ほっとしました。でも、この先同じ方法で週2回電話をかけてお金を渡して貰うことを続けていくことができるかどうか…。本人自身は困っていることを忘れてしまうので、今日のように私の言う通りにしてくれる日ばかりではないと思うし。
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社会が動いている時間に起きていられず、宅配便が受け取れず、現金を置いた場所がわからなくて、携帯電話も充電ができず、スマホも卒業して写真や動画で説明することもできず、マンションのオートロック解錠も危うい…という何重苦になると、一人暮らしは本当に厳しいです。そして、今日は食べられたのかさえも覚えていないので、真相が誰にもわからないこと、確認できないことが、苦しいです。
この時代でも…、こういうこともあるのです。
近くに住んでいれば、まだ一人でもやっていけるかもしれませんが、遠隔に必須の”通信手段”が「蜘蛛の糸」状態ということは致命的です。
2025.3.17
16.食料調達 その後
「スーパーが家の前にあるから」と言っていた母が、どうやら買い物に行けていないことがわかってきた先日以来、週2回の支援に入ってくれているヘルパーさんに、毎回買い物もお願いする方法しかない。しかし、「お金」と「依頼」は毎回本人が渡し依頼しなければならない。このルールを足かせに感じます。たとえば買い物依頼専用にプリペイドカードを作って、1枚預けておけば良いような規則緩和は、それほど安全性に支障をきたすとは思えないのですが、現在のところ、母の住む自治体ではそれはダメなのだそうです。
また、活動時間が限られている中で、本人に買い物内容を聞き取るのだけでは、必要な量をすべて言えるはずもなく。それらの問題をクリアする苦肉の策を講じました。
毎回の買い物依頼用のポチ袋(1回分の現金4000円前後+買い物リストのメモ入り、表に「〇月○日用」と日付を書いて)を2ヶ月分17個準備しました。クリアファイルを改造したポケットを食器棚の脇に2段にして貼り、上の段に1か月分9袋のポチ袋をセット。(残りの一か月分は母の目につかないところにまとめておき、次に行ける人(妹か叔母)を頼んでセットしてもらうことにしました。)下の段は使用済みの袋を入れてもらうポケットです。
千円単位の約70枚のセットや、リストの内容と金額が見合うかどうか推測するのには結構手間がかかりましたが、なんとか母の所に滞在中に完了。
あとは、私が毎回ヘルパーさんが来る時間に母に電話をし、買い物を依頼するように促すことにしました。
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ヘルパー訪問の時間にちゃんと起きてるかが怪しい母。起きていたとしても、オートロックの解錠をするインターフォンの操作ができなくなってきています。うまくいかないので、殆どいつも歩いてエントランスまで行くそうです。ここまでで、ヘルパーさんの時間は10分くらい過ぎてしまうので、家の中に到着したヘルパーさんは、とてもとても急いでいて、私からの電話さえもまどろっこしいと感じているはず。しかし、事業所に相談したところ、それでも「日によって、ご本人が買い物依頼を拒んだりするかもしれない。ムラがあると思うので、」電話は必要なのだそうです…。
とにかく、この方法で、行けるところまで行くことにしました。
2025.4.3
17.幻覚が日常的になってきた
3月の末に母の所へ行った際、いちばん焦ったのは、一晩中誰かに話しかけている母の声がすることでした。その声は呟きというよりは、別室に居る私にも内容が聞き取れるほどはっきりした声で、はじめは電話をかけているのかと思ったほどです。話す相手は、いろいろ変わっているようです。殆どは祖父母、父、妹、私の息子など、家族のよう。
私が起きている時間帯に一緒に食事をしている最中にも、私の息子に話しかけます。
「美味しいわよ、まさちゃんも早くこっちに来て食べなさい」
「まさちゃん、って今何歳くらいなの?」と尋ねると「5歳くらい。」だそうです。
その日の夜中、私が寝ている部屋の前をサササッと速足で通り過ぎる音がしたと思ったら、玄関ドアがガチャッと開いた音。あっという間に外へ行ってしまった母に慌てて起きだしとっさに声をかけました。「どうしたの!?」「まさちゃん、そこにいる?外に行っちゃったかと思った」と戻ってきた母。
「孫がとび出していってしまった」、と言って警察まで夜中に歩いて行き騒ぎになった昨年11月のことを思い出しました。こうやって出ていってしまうんだ…。あっという間のことです。
一人暮らしの危機を目の当たりにしました。
2025.4.20
18.お風呂に入る・髪を洗うの難しさ
お風呂に入れなくなってしまうというのは、どういうことなのか。デイサービスには必ずごはんとお風呂がついている意味が、デイに通っていない母を見ながらわかってきました。体力的なこともありますが、認知症や昼夜逆転の中で生活時間がわからなくなったり、電話での声掛けなどで「お風呂入らなきゃ」と思い出してもお湯を沸かしたりする時間の経過とともに記憶と気力が消えてしまうようです。
外へ行くこともなくなり、新陳代謝も不活発な年齢なのでかゆくも臭くもなりません。私が行った時に、支度をして声をかければ一人で入れる体をもってしても、一人生活では入れないのです。洗髪はもう一つハードルが高く、お風呂で体を洗っていても髪を洗うまでの行程は長すぎて「またこんど」となってしまって出てくる…。
髪を洗ってもらうことを最大の目的にして、母の所へ行ったときなどは、「やっとお風呂に入ってくれた!」とおもった矢先に乾いた髪で出てきました。「髪も洗ってねって、そのために入ったのに」と言うと、「今日は洗わない」。
いったんそうなってしまった時は、泣いても話しても、もうだめです。もう数か月は洗われていない髪が、抜け毛となって大量に部屋中に落ちているのがいたたまれず、涙をこらえてドライシャンプーをして帰ったこともありました。
デイサービスに行けない母=(お迎えの朝にそもそも起きられない、起こしてしたくをする家族がいない、送り出し支援のヘルパーさんを頼んでもそもそも起きられず解錠できないので送り出し支援も受けられない)の、そのような事態を解決する方策としては、①美容院へ連れて行く②ショートステイを利用するの二つしかないと思いました。
次回月、母の家の近くの美容室を調べて予約をとるまでには勇気も必要でした。美容室といってもいろいろですから、嫌がられはしないだろうか、予約時間通りに連れて行けるだろうかと。幸運にも母の家のはす向かいに小さな美容室を発見。通りすがりに飛び込んで事情を説明したら、「今日はムリだったけど、そういうことなら」と受け入れてくださり、「体が動かない」「今日は本当に調子が悪いから歩けない」とだだをこねる母を何とか動かして徒歩30秒の美容室へ。もちろんカットもしてもらいます。
洗髪のタイミングでの、毎回の美容室利用はムリがあるので、お風呂目的のショートステイを利用することにしました。
2025.4.22
19.ショートステイへの送り出し方
認知症が無い方であれば、特に問題はなさそうなところですが、「拒否」と「物忘れ」が折り重なる母の場合は、送り出し役は大変です。それを担うのは私しか無理だろうと思い、当初は5月の末を初回として申し込みをしていました。
しかし、契約・面談後、ケアマネさんから電話があり、買い物もできなくなっている今の本人の状態で、それまで一人で置いておくのはとても心配なので、その前で施設側にアキがある期間も利用してはどうか、と。基本的には2カ月前に予約をする流れなのですが、現時点で1週間空いているお部屋が一つあるとのことで、利用することになりました。必要な荷物は、前回こちらに戻る前に母のところに準備して置いていたので、送り出しは車で2時間くらいの場所に住む妹に頼みました。
何時間前に到着して母を起こすところから、着替えてもらう声掛けタイミングなど、細かくアドバイスして、あとは現地についた妹とラインのやりとりをしながら。なんとかお茶をして気分を和ませ、着替えをしてもらうところまではうまくいったようでした。
しかし!お迎え予定の10分前に、「行かない、っていってる」と焦りのラインが。誠実に対応しようとするとつい「説得」にいってしまうのですが、認知症にとっては、これは傷を深くする方向(事前学習による予備知識)なので、できません。そのことを妹に伝え、「わかった」といって、「お断り」をしに行こう(母も一緒に行ってもらう)。とお願いしました。
外に出て、お迎え担当の方に会うことが、最後のチャンスだと。
そして、結果はその通り。担当の方は「病院から迎えに来ました。」と言って、妹も一緒にバスにのせられたそうです。そして、現地で妹だけ送り戻してもらったとのこと。帰りのバスで泣いていた妹に、その担当者の方は「今の状態でお母さんをショートステイにさえ出さない方が、ネグレクトともいれる虐待行為だともいえるから、大丈夫」なのだとおっしゃったそうです。かなり辛辣な表現ではありますが、妹の心に傷を残さないための配慮だったと思います。
そして、1週間後、ショートを終えた母を迎えたのはヘルパーさんとケアマネさんでした。(家族が行けないとき、お迎えは頼めます)様子を報告していただくと、「病院に行ってきたの」とフワフワの髪の毛の母は「泊ってないわよ」と言ったそうです。
送ってもらう時に言われた「病院へいきます」をそのまま疑うことなく、日々を過ごしていたことがわかり、本当にほっとしました。後日、ステイ期間の様子の記録を送ってもらい、そちらにもデイサービスの活動やお散歩でも楽しそうにしていたこと、昼夜逆転もなく、3食とも時間通り完食できていたことなどが記され、最初は違う言い方での誘い出しでしたが、それは良い結果を生んだのだと、ホッとしました。
2025.4.22
20.ショートステイと入所、必要書類の違い
体験談などを読んでいると、親が一人暮らしの遠隔介護でうまくいきそうなパターンとして、長めショートステイを時々使う、というのが多い気がします。ショートステイとショートステイの間、一人暮らしでもやっていけそうな程度の認知症までならこれがいいのかなと思います。
今回のショートステイが栄養不足に陥っていたと思われる母に元気を取り戻したように見えている私は、できることなら月1回、7日間程度のショートステイをはさんで生活できると理想かもしれない、と思います。唯一心配なのは、「17」で書いた「飛び出し」が再発する可能性です。他にも夏場は特にエアコンを止めてしまう習慣、(生ごみなどの始末ができなくなってきているため)暑くなる時期の虫の発生なども心配になります。比較的、外の気温より過ごしやすい住居ではありますが、そのために若い頃からエアコンを使い慣れていない母は、エアコンがついていることに気づくと根こそぎコンセントを抜いてしまうので、昨年夏季にケアマネさんが訪ねた際に一度脱水になっていて、「急遽病院に連れて行ったんです」ということがありました。
それで、自宅復帰・今後の住処を考える間、生活習慣や健康管理を含めたリハビリが、まず母には必要と考え、老人保健施設(老健)入所を考えました。
「基本的に老健というところは、入院していた人が次の段階としてリハビリに入るという流れで利用する場合が多いので、母のような状況で入れるのかな」、とケアマネさんは半信半疑でしたが、その部分は各施設によって対応がいろいろのようです。先日母の洗髪でお世話になった美容室に教えてもらった老健では、認知症由来の入所もOKとのこと。
しかし入所に必要な書類には、障壁になりそうなものが二つありました。一つは①健康診断書、もう一つは②緊急連絡先です。
②については、このブログの「1,2」で書いた父が入院のあと老健に入所していたので、ここで引っかかるとは思っていなかったのですが、この部分も施設長の判断基準がそれぞれなのだとわかりました。父の所は、連絡がつけば緊急連絡先が私でも大丈夫だったのですが、こちらの施設では連絡後1時間以内に駆け付けられるところに住む家族がいない場合は、身元保証会社との契約が必要、とのこと。(身元保証会社のほとんどは財産などを含めたすべてを一括管理するので、そこまでしないといけないのかと驚きましたが、緊急待機のみの契約というのがある業者が一つだけあることがわかりました。それにしても契約料はかなりかかります。)
①は、そもそも3ヶ月毎の検診を、約1年間本人欠席で通してきた母なので、次の検診予約(=私が行ける日)まで書類が揃いません。施設との本人面接を先に済ませてもらっても、この健康診断書をとれるのは5月の末。その後の判定会議のタイミングによっては、次に私が連れて行けるのは6月の末です。暑くなってしまいます。
そこでもう一か所、1年前に見学に行っていたグループホームに問合せました。書類を郵送で提出すれば、本人をすぐに連れて行けるということです。「良かった!」と一安心したのも束の間、手続き書類が来てみると、こちらにも「健康診断書」が含まれていました。事情があっても、これが欠如したままでは入所はできないそうです。は~…。
父の時は、病院経由で入ったので健康診断関係の書類は私の手を通ることなく手続きができていたのですね。
在宅から直接入所の際は、必ず1回「本人が」病院へ行く、「検査」を受けるという行程が加わることを、他の契約には出てこない大きな要素として立ちはだかることがわかりました。ですから、認知症で本人が病院に行きたがらない(必要ないというなど)場合は施設入所を考えなければならなくなるずっと手前に、健康診断書をすぐに出してもらえる程度の検査を、予めしておく段取りが必要なことを、ここでお伝えしたいと思いました。
2025.4.26
21.ヘルパーさんには頼れないことたち
掃除・片付け・ゴミ出し・買い物、様々な面で母に寄り添い、一人生活が成り立つように手助けをしてくださるヘルパーさんは本当にたよりになる存在です。そんな支援を受けながらの母の生活の中で、ヘルパーさんには頼れないこともいくつか存在します。
・電気の球切れの発見と付け替え(高所作業などはヘルパーさんができないことの一つですが、そもそもいらっしゃるのが昼間なので、電気がつかなくなっていることに気づいてもらえません。)
・テレビのリモコンが紛失していることに気づく。(本体にオンオフスイッチがついているタイプのテレビならリモコンがなくなってもまだOKですが、今どきのテレビに買い替えてしまった母のところは、テレビ本体ではオンオフができないので、リモコンが無くなって消えなくなったテレビを、母はコンセントの抜き差しでオンオフしていました。しかし、活動時間帯にテレビを見ることはないヘルパーさんはこれには気づけません)
・知らないうちに定期購入に入ってしまった通販の未払い請求に気づくこと。(郵便物のチェックはヘルパーさんの仕事ではないので、そこに督促状が入っていることを見つけるのは、家族の役割です)
・カーテンレールのビスが外れてレールが落ちそうになっていることに気づく。(これも、ベランダの出入りをしないと近づかない窓際のカーテンが落ちかけていることには気づきません。気づいたとしても、ビス止めは高所作業になるので、修理はヘルパーさんには頼れません。)
・お風呂のカビ取り。(塩素系の漂白剤を使ってのおそうじは危険作業に当たる。しかし、そもそもそこまで行える時間はヘルパーさんにはありません)
上に列記した事柄は、今回私が訪ねた際に処理してきた諸々です。これらはそもそも、本人が困っていないので、「発見」するところから始まるのが、遠隔地一人暮らしの辛いところです。
2025.5.31
22.テレビリモコン
先に書いたテレビリモコンについて、気づいたことがありました。
1日中探しても出てこないリモコン。私が帰ってしまうまでに何とかオンオフ操作ができる状態にしておかないと、またコンセントの抜き差しでオンオフを行うことは目に見えているので、まずは新しいリモコンを購入しました。後から出てくるかもしれないし、純正品でなくてもある程度機能してくれれば良いので、980円というおもちゃのような値段のものを購入。翌日配達だったので助かりました。開けてみると、本当におもちゃのような軽さ。大丈夫かな、と思いながら使ってみると、オンオフはできます。選局もボリュームも、母が使う機能はここまでで十分。良かった。
翌々日、思わぬところから元のリモコンが見つかりました。
それを使ってつけてみると、何かを選択するメッセージが表れて、消し方がわかりにくい…。母の手の中で押し間違えて、どうすればよいのかわからないメッセージが出てきてしまった。これが、リモコン放棄してコンセントを抜く方式に移ったきっかけと見ました。
高機能に反応してしまう純正のリモコンよりも、単純な操作だけできるおもちゃっぽいリモコンの方が、高齢者にとってはずっとあつかいやすいものなのだと、気づきました。思わぬ盲点。
2025.6.1
23.老健入所
熱い日が続くことが予想されるこの夏を前に、できればショートステイを間に挟みながら自宅での生活をするのがベストなのですが、在宅介護支援の中では、ショートステイの送り出し、お迎えはしてくれるものの、荷物の準備はしてもらえません。そういったことで、私が行ったときに送り出すタイミングでしかショートステイは利用できない。
それと、もう一つ。昼夜逆転生活から抜け出せない母は、3年前までは几帳面に通っていた内科や眼科などにも全く行けておらず、脳梗塞の薬もコレステロールの薬もストップ、入れ歯もどうやら増歯が必要なのに、難なく抜けた冠を入れ歯にはめ込んで使っている、緑内症の目薬も全くもらっていません。足の筋力も衰え、買ってきてもらった加工食品だけに頼る食生活になって栄養状態も悪く痩せてきた…。
そうした一つ一つをバラバラにフォローするのは、私の短い滞在中では無理なので、それらを一手に診てもらえる老健(介護老人保健施設)に一度入って、体と生活をリセットしてもらうのがよいと考えました。
「20.ショートステイと入所、必要書類の違い 」で書いたように、入所申し込み用紙を出しただけでは、入所判定会議に進んでもらえないので、絶対に書いてもらわなければならない主治医の健康診断書をとるために、起きられない母を起こし、病院に行く気になってもらって何が何でも病院に行ってもらわなければならない、という役割のほうを私が担うとなると、病気でもないし、足も歩けるので「入所」など必要なわけがないと思っている本人を、あらためて説明し、入所日に老健施設へ連れていくのを私が担うと、私が次に母のところへ行けるとき=1か月後になってしまいます。
なので、自宅から連れ出すのは無理でも、ショートステイ先へ迎えに行って、老健施設に連れていくならできそう、と言ってくれた妹に、その役割は任せることにしました。
2025.6.3
24.懸命に自分らしく頑張っていた母
妹にバトンタッチする前の大切なミッションの日。まずは病院へ行ける時間にうまく起こして、着替え食事など、をクリアしながら病院へ連れていき、検査を受けてもらい、そのままショートステイにいくことを最後に伝え、ショートステイ先に入ってもらう。
大緊張で、待ち時間に心臓が痛くなるほどでしたが、なんとか家に戻ることなく、ステイ先に入っても来、ほっと一安心。
母の家に一人で戻り、初めて母がいない部屋を一人で眺めながら、片づけなくちゃと動こうとしますが、どこにもかしこにも彼女の気配がまだ色濃く残っています。部屋のどこを切り取ってみても、一人でこれまで頑張って暮らしていたであろうメモや工夫が残されていて、今日、のこの部屋が母の暮らしの最終日なのかもしれないと思うと、昨日までどんな思いで暮らしていたのだろうか、封印していた寂しさがたくさんあっただろうなと、切なくて涙が出てきました。
玄関を開けて入ったとき、ヨタヨタと出てきてくれる母は、もう出てきてくれない。
2025.6.4
25.安心は束の間
そして妹のミッションの当日、なんとかうまく入所。入所時に院長先生の診察があるのですが、その場でも一応落ち着いていたので、ズームでつないで様子を観ていた私も、安心しました。
ところが……
2025.6.7
26.医師からの呼び出し面談
酷暑の今夏、毎日の天気予報を見るたびに、本当に自宅から脱出してもらってよかった、と思っていたのも束の間 、
母が老健に入ってから2日目に、早くも私の電話が鳴りました。何事かと思いきや、「家に帰る」と言っている母をなだめてほしい旨。ショートステイに入った時も、これまでそんなことはなかったのに、うまくいなすことができないのかしら、と周りの看護・介護職員さんの力量が、やや不安になりました。
それから2週間後、「朝から晩まで、荷物をまとめて帰ろうとするために、職員が1名ずっとつきっきりの状況で、向精神薬を服用してもらっていると、ラインメッセージが入っていました。施設都合で薬を飲ませる、という思いもよらなかった対応に驚き、とにかくその6日後には面会の予約をとっていたので、その時を恐る恐る待っていました。そのメッセージの数日後、さらに「当施設の施設長より話があるので来てもらいたい」と連絡があり、直接話をしている窓口の相談役の方ではなく、わざわざ医師の施設長が出てくるのというのは、しかも、1回目のカンファランス(セラピストや看護師を交えた面談)さえもまだなのに、どうしたことか。
何か、うまく行っていない。少なくとも母にはここは合っていないと感じ始めました。
母との面会日は日曜日に設定していたため、翌日もう一度面談のために施設を訪れました。母と同年代の院長先生が私に伝えたかったことは、端的に言えば「興奮を抑える薬を使う」こともある。ということ。思った通りでした。
もちろん、今何の薬も飲んでいない母に、(職員の時間をとられるからという都合で)薬を使って落ち着かせるようなことは絶対にやめてもらいたいです。そんな言い方はできませんでしたが、「極力薬は使わないでほしい」をははっきり伝え、その後、相談役の方にもその旨をはっきり伝えました。医師がいる、ということはそうした処方ができてしまうということ。おそろしいのだと、気づきました。
早く母をここから救出しなければ! なんて、大げさな表現かもしれませんが、対応次第でまだまだ笑顔になれる母の状態なら、認知症対応が適切なグループホームに早く移してあげたいと、気持ちが焦っていました。
2025.7.1
27.老健でも詳細はいろいろ
父が病院経由で老健(介護老人保健施設)にお世話になったのは、去年の春から初夏の4カ月でした。私たち家族が遠方であることを含んだうえでの対応でしたので、2回あったカンファランスのうち1回は、オンラインでやっていただけました。洗濯は、予め業者さんにお願いするかどうかのチョイスがありましたので、そちらにお願いしました。
その他の消耗品の補充についても、不足が出た場合は、雑貨関係の出入りの業者さんで補充していただけるかたちで、消耗品についてこちらから送るなどの必要はありませんでした。
今回母がお世話になっている老健も、入所時の説明の中で、消耗品についてはこちらで手配する、とのことだったので、同じように考えていたのですが、数週間前に、「歯ブラシが消耗したので2本送ってください」と連絡が来ました。6月に入所した際、3本持っていき、それで2カ月ほどたったところでです。そんなに消耗する物なのか…、と思いましたが、すぐにレターパックで郵送。
そして、今日は、「歯磨き粉がなくなったので送ってください。」と連絡が来ました。無いのであれば困ると思うので、すぐに当日発送しましたが、同じ老健といっても、雑貨の補充などの細かい部分のシステムはちがうものなのだと、異なる老健を利用して初めて知りました。
料金設定の違いもあるのかもしれません。父の入っていたところ(28.8万円/月)と母が入っているところ(17.1万円/月)の1ヵ月の支払いは11万円あまり差異があります。(健保の負担率は両者と同じですが、介護保険負担率が3割と1割で異なるので、その兼ね合いもあると思います)
いずれにしても、同じ国庫負担の「老健」といっても施設ごとに運営会社が違うので、いろいろ生活面でも違うのだとわかりました。
20258.88
28.ゴミ捨ての難
母が老健に入るまでは、ヘルパーさんと並行して、清掃局のゴミ収集支援を受けていました。
自治体によって呼び方はまちまちですが、65歳以上、とか要介護認定を受けているなどの条件が合うと、本人と1度面接をした後、週1回玄関先までゴミを取りに来てくれる市の支援です。分別は必要ですが、生ごみから粗大ごみ扱いの不燃ごみまで種別に関係なく出すことができました。
母がショートステイの間は、この支援の継続ができていましたが、老健入所によってこの支援がストップになってしまいました。その結果、私が行って部屋の中の整理をしても最終的に「出す」すべが限られてしまい大変困っています。
↓↓↓
3泊4日で行っても、朝は3日なので、「可燃ごみ」が1回あたる程度。その他の「不燃ごみ」「資源ごみ」「粗大ごみ」はその日に合わせて行かない限り出すことができません。2つめの手段として清掃局への持ち込みとなりますが、現地で車を持っていないので、2)レンタカーをして持ち込むか、3)業者さんに頼むか、という選択肢になります。
市のホームページに紹介されていた業者に電話をしたところ、料金的には公的な補助はなく点数に関わらず(車1台人1人=2万円)基本料金がかかるので、もっとたくさんたまった時の方が良いですよ、と言われました。
それで、「くらしのマーケット」という地域の便利屋さんたちと繋がれるサイトで、「遺品整理」「ゴミ屋敷清掃」などのカテゴリーで調べ、良さそうな業者さんにコンタクトをとりましたが、「リユース目的ではなく、清掃局への持ち込み代行をお願いできるのか」と問い合わせたところ、返答は、「リユースできるものに限って回収している」というものでした。
ならば、「ゴミすて」の道はどこ?住んでいないところでのごみ捨ては、本当に大変です。一気にやる以外ないのかな。
20258.811
29.集団生活の難
母の避暑も心配で、避難した老健に入所して3ヶ月。連日の猛暑のニュースを聞くたびに、エアコンを入れない、コンセントを抜いてしまう母が安全に管理された施設で夏を過ごせて本当によかった、と胸をなでおろす毎日でした。
そんな中、先週末、同じフロアにコロナの罹患者が出たために面会が中止になったとの連絡がありました。
そして今朝、母の陽性を知らせる電話が…。一人暮らしを続けていたら、まず安全だったコロナ感染に、こんなにもいとも簡単に見舞われてしまったことに、入所の決定をすすめた自分の中の後悔とも何とも言えない感情に苛まれています。 現在、同フロアの罹患者は3名とのこと。
今のところ、症状は発熱と鼻水で咳はないと聞いて、少し安心。早く、できるだけ早く外に出してあげたい、治ってもまたかかる可能性もありますものね。
自宅生活をあきらめた今、どこで生活をするとしても集団生活となりますが、要は今のような状況になった際にどのように対応してもらえるのか、どのように本人の安心を担保してもらえるのか、そいういうところが施設選びの本当のポイントなのかもしれない、とわかりました。
まだ遅くない。…と、まずは無事と快復を祈ります。そして、母の今後の生活の場を、新たな視点で選びたいと思います。
20259.1