これまでお話してきたように、シャーロット・ブロンテのお話からインスパイアされたイメージで形作られた舞台設定と、これからお話するように、モンゴメリ自身の思い出が余すところなく注ぎ込まれている『赤毛のアン』。
そのマニアぶりは『赤毛のアン』だけでなく、アン・シリーズ全般に渡って物語の細部に埋め込まれていくわけですが、シャーロット・ブロンテが生前最後に出版した『ヴィレット』は、少女時代のモンゴメリに強い印象を残した作品だったようです。
モンゴメリが10代半ば頃、「ポリー "Pollie"」という愛称で呼ばれていたことはモンゴメリの日記などから知られています。
しかし、彼女のフルネームはルーシー・モード・モンゴメリ。
「ルーシー "Lucy"」とも「モード "Maud"」とも直接的な音の繋がりがないので、日本人にとってはちょっと不思議なニックネームではないでしょうか。
モンゴメリが「ポリー」と呼ばれていた頃、いつも一緒にいたアマンダ・マクニール ”Amanda Macneill”という女の子のあだ名は 「モリー "Mollie"」でした。
「ポリー」というのは、由来はわからないけれど鳥のオウムに付ける伝統的な名前だそう。
そして、モリーの ”M”もポリーの ”P”も唇で発音する音であり似ているため、Maryの愛称がPollyになったりするのだそうです。
このような慣習から、モンゴメリのミドルネーム「モード」の"M"から彼女の愛称が「ポリー」になったことが類推されますが、いつもお喋りに夢中な女の子ペアに、”Mollie & Pollie”とオウムを想起させるような呼び名をつけることで、同年代の男の子たちはからかっていたのかもしれません。
しかし、モンゴメリは「Pollie(ポリー)と呼ばれるのが好き。」と日記に書いています。
「ポリー」はオウムとは違う何かに因んで積極的に「呼ばせた」愛称だったのかも知れません。
『赤毛のアン』の3章で、マリラに名前を聞かれたアンが
「いいえ、あの、あたしの名前ってわけじゃないんですけれど、コーデリアと呼ばれたいんです。すばらしく優美な名前なんですもの。」
「アンという名を呼ぶんでしたら、eのついたつづりのアンで呼んでください。」『赤毛のアン』村岡花子訳
と頼む印象的な場面からも、少女だったモンゴメリの様子が思い浮かびます。
幼い頃のモンゴメリは、ルイーザ・メイ・オルコットの愛読者でした。(詳細は『ブロンテになりたかったモンゴメリ』1章を参照のこと。)
1870年に出版されたオルコットの『昔気質の少女』には、ポリーという主人公やモードというサブキャラが登場しますが、自分のミドルネームと同じ名の少女が登場することで強い親近感を抱いたであろうモンゴメリは、凛々しく描かれている主人公ポリーに対しても、次に述べるような理由から深い縁と憧れを感じたはずです。
オルコットの「ポリー」は作中 ”Little Polly”と呼ばれていますが、その17年前である1853年に出版されたシャーロット・ブロンテの『ヴィレット』にもポーリーナという少女が登場して ”Little Polly”と呼ばれています。
また、オルコットのファーストネーム「ルイーザ」が『ヴィレット』の主人公の名付け親として冒頭から登場するルイーザ・ブレトン ”Louisa Bretton"夫人と同じであり、物語を読み進めていくと、その夫人のミドルネームが「ルーシー」であることがわかるのですが、それはまさしくモンゴメリのファーストネームと同じでした。
その夫人の名をもらった『ヴィレット』の主人公が、自らと同じルーシーという名前であることは、オルコットの子供向けのお話だけでなくシャーロットの大人っぽい小説も既に読んでいたであろう多感な少女には、シャーロット・ブロンテとオルコットを自分と繋ぐ何か運命的なものと感じられたに違いありません。
その一方で、『ヴィレット』の主人公ルーシー・スノウが内向的な性格でとても寂しい境遇の女性として描かれ、そのラストも一人で生きていくというストーリーには、10代のモンゴメリはどこか歯がゆさを覚えたことでしょう。
対する『ヴィレット』のポリーは、とても気が利く愛らしい女子で、音楽を嗜みピアノを奏でる彼女の周りには若い男性たちが群がります。
モンゴメリの場合は音楽ではなく文学的素養が魅力だったようですが、ティーンエイジャー時代に異性からかなりモテていたとの自負があったことは、彼女の日記からもわかります。
もともと、同じルーシーという名の従姉妹が家の真向かいに住んでいたことで、ミドルネームで呼ばれたがっていた少女モンゴメリ。
「いいえ、あたしの名前ってわけじゃないんですけれど、ポリーと呼ばれたいんです。」
「eのついたつづりのポリー ”Pollie"で呼んでください。」
と家族や周囲の友人たちに求めた姿が想像されるのではないでしょうか。
そんな『ヴィレット』に登場するポーリーナは、舌足らずな喋り方の、学校へは行かずに家庭で教育を受けた美しい乙女ですが、『アンの娘リラ』のリラ・ブライスも、15歳になっても兄姉が入学したクイーン学院には行かずにずっと炉辺荘に居たことや、ケネスとの会話では舌足らずな喋り方になりがちな、美しい娘であったことと符合しています。
アン・シリーズの第二作目になる”Anne of Avonlea”(邦題『アンの青春』)でも、アンの周辺の人間模様はシャーロット・ブロンテに依っていました。
例えば『アンの青春』で新たに投入したドラ ”Dora"やデイビー "Davy"、ポール・アーヴィング "Paul Irving"という子供キャラがそうです。
ドラとデイビーの双子がグリーン・ゲイブルズに預けられますが、二人はシャーロット・ブロンテの『シャーリー』のドーラ・サイクス ”Dora Sykes"とデイヴィッド・スウィーティング "David Sweeting"(あだ名がデイヴィ”Davy”)という恋人たちの名前に符合しています。
16章でデイビーは「神学の迷路」からアンによって助け出されますが、『シャーリー』のデイヴィは助祭司(副牧師)なので、この辺りにもモンゴメリのユーモアの小悪魔が出没していることがわかります。
また、小さな詩人ポールは、シャーロットの『ヴィレット』に登場するポール・エマニュエル ”Paul Emanuel"教授と同じ名であり、ポールを主人公アンの生徒とすることで、『ヴィレット』でのポールが主人公ルーシーの先生であるという関係性を逆転させています。
余談ですが、ポール・アーヴィングのアーヴィング "Irving"については、「ウォルター・スコット邸訪問記」を著した作家ワシントン・アーヴィング "Irving"に因んでいると思われます。
ワシントン・アーヴィングは、米国人として初めて世界の文壇で認められた作家であり、今でも東海岸で読み継がれている『リップ・ヴァン・ウィンクル』や『スリーピー・ホローの伝説』を著しました。
ワシントン・アーヴィングがウォルター・スコットのアボッツフォード邸を訪問した時期に、スコットが執筆中だったのが『ロブ・ロイ(赤毛のロイ)』という物語であったのも実に興味深い符合でしょう。
赤毛のアンの物語の中で、成人したポール・アーヴィングがアメリカで活躍する詩人となったり、ダイアナ・バーリーの夫の名が「フレッド」であるのは、この辺りの繋がりからと推察されます。
シャーロット・ブロンテと『アンの青春』の間には、もっと沼深い符合があります。
シャーロットは、生涯に3人の男性を振っていることが研究者から指摘されていますが、実はその3人に因んだ人物を『ジェイン・エア』と『シャーリー』に登場させているのです。
『ジェイン・エア』のSt. ジョンが、シャーロットが22歳の時に振ったヘンリー・ナッシーをモデルとしていることは前述の通り。
23歳の時に振ったデイヴィッド・ブライスという助祭司は、先ほど触れた『シャーリー』のデイヴィッド・スウィーティングの原型であり、さらにシャーロットが35歳の時に振ったジェイムズ・テイラーは、『シャーリー』のキャロライン(2人の主人公のうちのひとり)の実父ジェイムズ・ヘルストンの原型であることは、名前の符合だけでなく、彼らの性格描写からもわかることですが、まだあまり知られていないようです。
しかしそこに気づいたモンゴメリ。
シャーロットが描いた『ジェイン・エア』の St. ジョンを、『赤毛のアン』ではアンの生家の地名「ボーリングブローク 」に、『シャーリー』のデイヴィッド・スウィーティングを『アンの青春』の双子のデイビーに、そして『シャーリー』のジェイムズ・ヘルストンを『アンの青春』のジェイムズ・ハリソンとして登場させます。
助祭司スウィーティングの明るくて軽いけれど誰からも愛される、歳の割に子供っぽいキャラクターは双子のデイビーを彷彿とさせますし、「若い女性に結婚してはいけない」と教え示す「危険信号の一つ」であるジェイムズ・ヘルストンは、モンゴメリ流のユーモアで描かれた「結婚してはいけない」だらしのない男、ハリソンさんと対になっています。
それから『アンの青春』18章のトーリー街道のネーミングも、シャーロットの『シャーリー』に出てくる「トーリー党」という保守派の政党名からですが、これがモンゴメリの手に掛かると、
"Mr. Allan says it is on the principle of calling a place a grove because there are no trees in it,"「アラン牧師が言いなすったけど、木が一本も生えていない場所を、わざわざ『なになに林』なんてよぶのと同じことですって。」村岡花子訳
という冗談に仕立てあげられます。
トーリー党の紋章には、大きな木が一本描かれています(ウィキペディア「トーリー党」参照)が、アンの訪ねたトーリー街道には「自由党のマーティン・ボヴェじいさんが住んでいるきり」で、「保守派のトーリー党」の支持者は一人も住んでいないことを「木が一本も生えていない場所」と表現しているのです。
相変わらずアンの周辺にはシャーロット・ブロンテ ネタが散りばめられている『アンの青春』。
その終わりから二つ目の29章には、次のような描写があります。
「アンは『夢の家』という言葉が口から出たとたんに、その文句が気に入ってしまい、早速、自分の『夢の家』をも計画しだした。それにはもちろん、色の浅黒い、気位のたかい、憂鬱そうな顔をした、理想的な主人がいなくてはならない。」村岡花子訳
このいかにもバイロン風な「理想的な主人」のイメージは、『ジェイン・エア』のロチェスターそのものではないでしょうか。
しかし、この後こう続きます。
「ところが不思議なことに、ギルバート・ブライスも、そこにうろうろしていて、アンを手伝って、額をかけたり、庭の計画を立てたり、そのほか、気位のたかい、憂鬱そうな主人公(拙注:原文ではヒーロー)なら威厳にかかわると考えるであろうような、雑用にいそしんでいた。」村岡花子訳
このようなユーモラスな描写があるからこそ、アン・シリーズは単にシャーロット・ブロンテのオマージュに終わらないモンゴメリ独特の物語となっているのです。
大好きなシャーロットとその作品から湧き上がったイメージで軽快に書き進められた『赤毛のアン』とは異なり、『アンの青春』は難産だった様子が書き終わった翌月に文通相手のウィーバーに宛てて書かれた文面から伝わってきます。
「もし、残りの人生がアンという’暴走する馬車’に引きずられてゆく運命だとしたら、アンを創造したことを痛烈に後悔するでしょう。」『「赤毛のアン」を書きたくなかったモンゴメリ』梶原由佳著 p.19~20
これは、「モンゴメリは本当はアン・シリーズを描きたくなかった」ということでは決してなく、’暴走する馬車’だった幼いアン・シャーリーを、落ち着いた乙女へと成長させることにまつわる創作上の苦悩を吐露したもの。
そして、そうする上で欠かせない、キンドレッド・スピリッツという概念の深化を模索していたからなのです。
キンドレッド・スピリッツについては後の第8章に譲るとして、ここでは引き続きブロンテ姉妹やその作品との関連を見ることにしましょう。
モンゴメリは16歳と半年になって少し大人びたアンを、シャーロットよりも落ち着いた性格だった妹のアン・ブロンテの作品に求めました。
例えば、13章のへスター・グレイ ”Hester Gray"のエピソードは、アン・ブロンテが22歳の時に体験した想い人ウィリアム・ウェイトマンとの死別と、モンゴメリ自身も22歳の時に想い人ウィル(ウィリー・プリチャード)と死別したことが重なっていることから、その共通体験を初めて物語に埋め込んだものと思われます。
アン・ブロンテはその死別体験を処女作『アグネス・グレイ』”Agnes Grey”で昇華していますが、モンゴメリは男女を入れ替えて、女性が22歳で亡くなるエピソードとしてへスター・グレイを置いています。
なお、GrayとGreyはスペルが異なりますが、発音も意味(灰色)も同じです。
アン・ブロンテが『アグネス・グレイ』で「グレイ」という名を用いたのは、詩人のトマス・グレイ ”Thomas Gray”の名からであることは、アン・ブロンテの次の作品『ワイルドフェル・ホールの住人』で主人公ギルバートが想い人ヘレンに伝えた ”kindred spirits”(同じ思いを持つ魂)という概念が、トマス・グレイの『墓畔の哀歌』”Elegy Written in a Country Churchyard (1750年)”に詠われた "kindred spirit"をオマージュしたものであることからも推察されます。
キンドレッド・スピリッツというワードを世界に知らしめたモンゴメリですから、もちろんこの関係性を知った上での「へスター・グレイ」のネーミングであったのでしょう。
村岡花子さんが「恋の蕾」と訳した、『アンの青春』19章で描かれるギルバートの ”sentiment in the bud” がアンによってすぐに切り取られてしまう関係性は、アン・ブロンテの2作目『ワイルドフェル・ホールの住人』8章にある同様の ”bud” のエピソードをオマージュしたものであることは、以前『ブロンテになりたかったモンゴメリ』で指摘した通りです。
(近年、全文訳と称してアン・シリーズの訳出を試みているものの中には、”bud”を「蕾」と素直に訳さずに、その比喩を表現していないものがあります。)
アン・ブロンテ、そして自分自身の青春を投影して成長したアンを描いたモンゴメリでしたが、『アンの青春』の執筆が終わった1908年8月から丸5年もの間、アン・シリーズの筆は止まっています。
1911年の結婚とそれに伴うオンタリオ州への引っ越し、そして1912年の出産という大きなイベントが続いたことがその理由ではないことは、『果樹園のセレナーデ(1910年)』『ストーリー・ガール(1911年)』『アンの友達(短編集で「アンの物語」ではない:1912年)』や『黄金の道(ストーリー・ガールの続編:1913年)』が、その間に出版されていることからわかります。
そしてモンゴメリの日記には、1913年9月1日に『アンの愛情』の執筆が始まったことが記されていますが、そこには何か特別なきっかけがあったのでしょうか。
次章からはその謎を解き明かしていきます。
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