モンゴメリとシャーロット・ブロンテは、「失われた」スコットランドにロマンティックな郷愁をいだく感性をもつという点で共通しており、そんなシャーロットの作品から得た数々のインスピレーションが『赤毛のアン』の初期設定に込められていることはこれまで示した通りです。
「ものによっては縫いものも面白いかもしれないけど、つぎものにはちっとも想像の余地がないわ。」『赤毛のアン』村岡花子訳 13章より
とマリラにぼやく針仕事が苦手な少女アン・シャーリーが、シャーロット・ブロンテが
「彼女は時折縫いものをとり上げる。だがどういう運命の定めか、五分以上静かに座って仕事を続けることが決してできない。指貫きをはめるとか、針に糸を通すとかすると思うと、突然何かを思いついて、二階に上がる。」『ブロンテ全集4』都留信夫訳 p.77 みすず書房
と『シャーリー』で描いたシャーリー・キールダーと似ているのも、アン・シャーリーの瞳が時にシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア 』のジェインと同じ緑色であったり、時にシャーリー・キールダーと同じ灰色であるのも、決して偶然ではないのです。
ところで、『赤毛のアン』の37章には次のような件(くだり)があります。
「あたし、きょうの午後、マシュウ小父さんのお墓にばらを植えてきたんです」アンは夢見るように言った。「ずっと昔に小父さんのお母さんがスコットランドから持ってきた、小さな白いスコッチローズの小枝を挿し木してきたんです。小父さんは、そのばらがいちばん好きだっていつも言っていました。」『赤毛のアン』村岡花子訳 37章より
ここに描かれた白バラもブロンテ姉妹とのつながりを示しています。
ウィキペディアの「ヨーク朝」のページには
「ヨーク家のシンボルは白薔薇であり、今もヨークシャーとジャコバイトの記章として使用されている。」
と書かれていますが、ブロンテ姉妹が住んでいたハワースはヨークシャーにある村です。
シャーロット・ブロンテは、『ジェイン・エア』ではジャコバイトの主要な理論派であったヘンリー・St. ジョン(初代ボーリングブローク子爵)に因んだと考えられるSt. ジョンという名前の人物を描いたり、『シャーリー』では「ジャコバイト」というワードを用いて登場人物のキャラクター付けを行ったりしています。
「ジャコバイト」というのは、元々は1688年の名誉革命で追放されたスチュアート朝のJames2世(スコットランド王としては7世)の復位を支持した政治活動で、スチュアート朝のアン女王が1714年に崩御した後は、James2世の直系男子を正当な国王であるとして度々巻き起こったスチュアート朝復興のための反乱活動を行う人を指し示す名称です。
しかし、19世紀初頭に活躍した歴史作家ウォルター・スコットはその小説の中で、18世紀終わり頃にはすでに現実を動かすような活動ではなくなっており、スコットランド文化を守りたい人々が抱くロマンチックな願望のシンボルとして置いています。
モンゴメリが20世紀初頭に著した物語の中で、女王と同じ "Anne" と綴られることにこだわった少女が、身寄りのない自分を優しく守り育ててくれたマシュウ小父さんのお墓に、スコットランドの小さな白いスコッチローズを植えるというエピソードは、まさにジャコバイトのイメージを連想させるものなのです。
1455年から1485年まで続いたイギリスの王位継承をめぐる内戦は、シェイクスピアが「ヘンリー六世」で白バラと赤バラの抗争としてシンボライズして描き、後にウォルター・スコットにより薔薇戦争と名付けられました。
この30年におよぶヨーク家とランカスター家の血で血を洗う争いは、そのロマンチックな呼び名のせいもあり、世界史にそれほど詳しくない人にも知られる史実のひとつとなっています。
ランカスター家=赤バラというシンボライズは、もともと白バラに象徴されたヨーク家と対称する文学的な表現としてシェイクスピアにより創作されたもの。
では、「白バラ」はどこからきたのでしょうか。
ヨーク家やヨークシャー、そしてジャコバイトの紋章として用いられ、エミリー・ブロンテも詩の題材とした ”rosy Blanche(白バラ)”。
どうやら白バラのイメージは、英国の人々にとって特別なもののようです。
シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』23章の冒頭には、英国は元々Albion(アルビオン)と呼ばれていたことが書かれていますが、アルビオンの意味は「白」。
「ドーバー海峡沿岸地域に広がる崖のチョーク層(白亜層、石灰岩地層)の白さに、この地がその名を呼ばれるようになった由来がある」
とウィキペディアにあります。
一方、rose(バラ)は少し複雑です。
手がかりを求めて彷徨っていた私は、「Rose は薔薇ならぬ馬?」というタイトルのサイトと出会いました。
それをヒントに「ros」を調べてみると、コーンウォール語では「ヒースランド(荒れ野)」や「バラ」を意味し、オランダ語では「馬」を意味し、アイルランド語では「森」や「岬」を意味するとありました。
ケルト修道院のOld Melrose(古メルローズ)も、古ウェールズ語では語尾 ”rose”が ”peninsula(半島)”を意味し、その「半島」は具体的には「地峡」のことだったことは前の章でご紹介した通りです。
つまり、Albionとroseは「白い半島」や「白いヒースランド」あるいは「白い馬」というイメージを表象する組み合わせであり、これはローズマリー・サトクリフが"Sun Horse, Moon Horse(邦題『ケルトの白馬』)"で描いた「白亜層を浮き彫りにすることで地上に描き出された古代の馬型遺跡」と重なります。
英国にはその昔、青銅器時代に「白い馬」のような造形を白亜層から描き出した時代がありました。
その後のローマによる支配を経ることで roseの意味が転じて、いつからか自らを「白バラ」と認識するようになったのではないでしょうか。
元の意味は失われても、音が残ったのです。
ヨーク家やヨークシャーがその紋章を白バラとしていたり、ジャコバイトが白バラを記章としているのは、古代ブリテン島からのこのような記憶を音の響きの中に持ち続けているからなのでしょう。
ブリテン島の正当な継承者としての誇りを込めた白バラを、歴史の表舞台から降ろされてなお掲げ続ける人たちに強い共感を抱いていたブロンテ姉妹とモンゴメリ。
白バラを記章とするヨークシャーの村ハワースに住んでいたブロンテ姉妹に、白バラへの特別な思いがあることは不思議ではありませんが、カナダのプリンス・エドワード島で生まれ育ったモンゴメリのなかの白バラへの憧憬はどこから来たのでしょうか。
2歳になる前に母を亡くしたモンゴメリは母方の祖父母に育てられましたが、祖父アレクサンダー・マクニールはスコットランドの北西部にあるアウターヘブリディーズ諸島南部を領有していたMacneill(マクニール)氏族に連なる家系の人でした。
ヘブリディーズ諸島の南に位置するアーガイル地方には、アイルランドのケルト系キリスト教が最初に伝道した地アイオナ島があり、そこからリンディスファーンや古メルローズの地にケルト修道院を創建した人々が渡ってきたという歴史のあるこの島を新婚旅行で訪れているモンゴメリ。
スコットランドはブロンテ姉妹が住んでいたハワースのあるヨークシャーからはだいぶ北に位置します。
しかし、イングランドのほぼ全土がノルマンによる征服を受けるよりも前の時代、アングロサクソンの七王国時代にあった「ノーサンブリア王国」は、北は現スコットランドの首都エディンバラから南は現ヨークシャーまでがその領域でした。
現デンマークのユトランド半島南部からブリテン島に渡ってきたアングル人が、先住のブリトン人諸王国を次第に征服、同化させて建てた王国の一つがノーサンブリア王国です。
このアングル人の王国が存在したことで、その地に残ったアルビオンの先住者であるブリトン人にとって重要な意味を持つ「白バラ」という表象が、現在でもヨークシャーとジャコバイトの記章として使われているのかもしれません。
ノーサンブリアが王国となる少し前の時代、ブリテン島に勢力を広げつつあったアングル人の王オズワルド ”Oswald”は、若い時分に亡命先だったダルリアダ王国でケルト・キリスト教に改宗していたことから、アーガイル地方のアイオナ島からアイルランドの修道士を呼んでケルト修道院を創り、その周辺に住んでいたブリトン人たちにケルト・キリスト教の場を与えました。(英語版ウィキペディア ”Oswald of Northumbria”参照)
アングル人による征服から逃れた多くのブリトン人がいた一方で、アングル人の王国に留まってノーサンブリアの民となった人々がいたのも、やがてノーサンブリアのアングル人たちがケルト・キリスト教へと改宗していったのも、リンディスファーンや古メルローズ修道院があったからこそなのでしょう。
そして、元々は「裸の半島(地峡)」を意味する ”Mailros”という土地の名が Melroseに転化したのも、英語を話すアングル人の侵入とともに”rose(ローズ)”=バラのイメージが優位になっていったからではないでしょうか。
ノーサンブリア王国をめぐる変遷の中で、前述した古代ブリテン島の音の記憶である「白バラ」のイメージも受け継がれていったものと想像されます。
古メルローズ修道院が創建されてから、やがてダルリアダ王国の王ケネス1世によって滅するまでの期間が、ほぼノーサンブリア王国の年代(西暦653年〜954年。ただし9世紀の半ばには、ノーサンブリアの領土の南半分がデーン人によって征服されるなど、王国は衰退している。)と重なっているのも興味深い事実でしょう。
ダルリアダというのは、6世紀の始まりに元々アイルランドの北部にあった本拠地からゲール(スコット)人がアーガイル地方へと進出し、やがて独立してできた王国です。
アーガイルとはゲール語で「ゲール人の上陸地」の意味だそうです。(「武部良伸公式Blog」様より引用)
そのアーガイル地方にあるオーバンという海辺の都市から南へ約30キロ離れたダナッドという小高い丘が、ダルリアダ王国の中心地であったのだとか。
ダルリアダの王ケネス一世は、9世紀に古メルローズを襲撃した後に北方のピクト人を統合してアルバ王国の王となりますが、スコットランド王国はこのケネス一世を始祖としており、現在でもスコットランドはゲール語で”Alba(アルバ)”と表記されています。
そして古代王国ノーサンブリアの領地は、北のスコットランドと南のイングランドに分裂するのです。
このようにスコットランドのアーガイル地方は、元々は「自らをアイルランド人と信じるスコット(ゲール)人の王が支配する地域」であったわけですが、アイルランド北部出身のブロンテの父方と、アーガイルに近いアウターヘブリディーズ諸島出身のモンゴメリの母方の祖父は、同じ文化圏に属していたのでしょう。
そして、ダルリアダ王国の中心地だったダナッドはスコットランドの歴史において重要な場所であったため、最も近くにある都市オーバンまでシャーロット・ブロンテは行って見てみたかったということなのでしょう。
モンゴメリは彼女の代わりにその地を訪れ、そこからアイオナ島などの島々を船で観光していますが、その先に広がる北の海には祖父の先祖の土がありました。
さて、先にも述べたようにブロンテ姉妹が住んでいたヨークシャーもこの古代王国の領域のなかにありましたが、ギャスケル夫人の『シャーロット・ブロンテの生涯』には、彼女たちが暮らした牧師館に隣接するハワース教会堂の塔の銘板に、ノーサンブリア王国が成立するおよそ50年前の西暦600年にその礎石が築かれたことが刻まれているとあります。
その銘板の記録が確かなものかどうかはともかく、想像力溢れるブロンテ姉妹がいにしえの王国に思いを馳せながら子供時代を過ごしたことは想像に難くありません。
幼いシャーロットが弟のブランウェルと遊びながら紡いだ『アングリア物語』。
アングリア ”Angria"の空想上の時空間は、アングリア ”Anglia”(ラテン語で「アングル人の土地」の意味)と字面や音が似ていることから、アングル人の古代王国ノーサンブリアをモチーフにしていたのでしょう。
アイオナ島の修道士によって古メルローズが建てられた地を、アヴォンリーの元型としたモンゴメリ。
彼女は、聖クスバートが修行したケルト修道院がダルリアダの王ケネス1世に破壊されるまでの歴史の始まりと終わりに、アン・シリーズの始まりと終わり、すなわちアンをグリーン・ゲイブルズに連れて来るマシュウ・クスバートと、アンの娘リラがケネスと結ばれるハッピーエンドとを重ねたのです。
”Scott's View”から望む景色の手前に写っている "peninsular of land(半島)"がOld Melroseです。
"Scott's View"は眺めの良い場所で、そこから見渡せる南西の景色をウォルター・スコットは生涯愛し、彼の乗った馬はいつもその場所で自ら足を止めたそうです。
以下、ウィキペディア"Scott's View"からの引用。
”Immediately below the viewer is a meander of the Tweed itself, enclosing a peninsular of land on which stood the ancient monastery of Old Melrose, referred to in Bede, where St Boisil welcomed the young St Cuthbert to train following his vision of St Aidan of Lindisfarne in 651ad. ”
(拙訳:すぐ眼下には曲がりくねったツイード川が、古メルローズの修道院がその昔建っていた半島型の地をぐるりと巡り流れゆく。ベーダ僧が残した文献によれば、651年に亡くなったリンディスファーンの聖エイダンのヴィジョンを見たまだ若き聖カスバートが、古メルローズで修行をせんと聖ボワジルに迎えられたとある。)
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